Coolier - 新生・東方創想話

血塗られた本。或いは思い。もしくは巫女みこレミリア

2009/12/05 22:18:57
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 紅魔館に怒気をはらんだレミリアの声が響き渡る。美鈴の声もまた負けずに。

 「もういいわ、あんたは首よ! 首!」
 「わかりました! 長い間お世話になりました、でも漫画はちゃんと返して下さいね!」
 「ああ! わかったわよ! 退職金代わりにあげるから感謝しなさい!」

 それを言い残すとレミリアが、ガタン! という強くドアを叩きつける音と共に部屋を後にした。

 「そこの小悪魔!」
 「は、はい!」

 ドアの外で二人を眺めていたメイドの中に小悪魔を見つけ、レミリアが怒鳴りつける。小悪魔は微かに震えつつも、健気にレミリアに答えた。

 「これ買っといて。シャワー浴びてくるからその間にね!」

 先ほどの本を投げつけ、レミリアは自室に戻ろうとする。だが、怒りのせいか狙いがそれ、弾幕と呼ぶべき勢いとなりメイドの一人に激突し、半死半生の体となる。

 「メイドAちゃん! メイドAちゃん!」
 「はわわわわ! 早く日なたぼっこさせてあげなきゃ!」

 しかしそれを目にも止めず、レミリアは消えた。それに恐れをなした小悪魔も大急ぎで、一人本屋へと向かう。


 


 事の起こりはそれから少し遡る。美鈴から借りた一冊の少女漫画にレミリアが紅茶を溢した。そんな些細な事が発端だった。それだけならば、すぐに終わるいさかいでしかなかったかもしれない。だが、レミリアの横柄かつ高圧的な態度が仇となった。また、咲夜が所用で出かけており、なだめる者がいなかったのも原因となったのだろうか。

 「ねえ美鈴」
 「はい」
 「ちょっとお使いに行ってくれる? 今日門番休みでしょ?」
 「そうですけど。何を買うんですか?」
 「これよ」
 
 美鈴の目の前に、赤く染められた漫画が見えた。

 「これって……私のですよね」
 「そうよ、ちょっとお茶溢しちゃったから新しく買ってきてくれる?」
 「……それだけですか?」

 呆れ声でそう呟く美鈴。それを不思議そうな顔で見るレミリア。

 「何が?」
 「いや、これ私の本なんですよ? しかも読みかけの!」
 「わかってるわよ、ちゃんとお金は渡すわ」
 「お金で済む問題じゃないと思いますけど!」

 美鈴の声には怒気が混じり始め、レミリアは困惑した様子を浮かべる。

 「何を怒ってるのよ、新しく買ってくればいいだけじゃない」
 「『ごめん』とかそういう言葉はあってもいいんじゃないですか?」
 「なんでよ。だいたいね、この屋敷の物は全部私の金で買ったのよ! 私の金で買ったなら私の物と同じじゃない!」

 売り言葉に買い言葉か、レミリアの困惑は怒りに変わろうとしていた。

 「美鈴の部屋も、美鈴のベッドも、ソファーもテーブルも勿論漫画だって! この漫画って私の上げた小遣いで買ったんでしょ?」 「私は働いてるんですよ! 給料もまともに出ないのに日々紅魔館に尽くしてるんです!」
 「だから食事を支給してるでしょうが! 勿論私の金で材料を買った!」

 不毛な言い争いは続き、遂には美鈴が門番の座から追われるという結果を招いたのだった。





 「戻りました、お嬢様」
 
 肩で息をしながら小悪魔が戻ると、帰宅した咲夜に愚痴をこぼすレミリアがいた。怒りも幾分収まったかのように見えたが、

 「おかえり。で、ちゃんと買ってきた?」
 「それが、その……」
 「そのって、買えてないわけ? あんた何百歳よ! お使い一つ出来ないの!?」

 怯えた目で話す小悪魔の手に何も無いことに気づき、再び怒りを露わにしようとする。

 「あの、その、ええと、売ってなかったんですよ」
 「どういうこと?」

 小悪魔が震えながら説明を始める。件の漫画は少女漫画に似つかわしくないといわれるほどの、その過激さで有名だったのだが、結果各方面から苦情が殺到し、本屋から回収された、とのことだった。

 「じゃあ出版社でも倉庫でも乗り込みなさいよ! あんただって悪魔でしょうが! そこに居る人間を生まれてきたことを後悔させてきてから奪ってくればいいでしょう!」
 「それが、その、パチュリー様がですね」
 「はあ? パチェがどうしたの? そういえばこのとこ見てないわね、珍しくどっかに出かけてるみたいだけど」

 小悪魔が続けた所によれば、パチュリーと慧音を中心とした団体が悪書追放運動を行い、その一環として件の漫画も回収されたらしい。

 「余計なことしてくれるわね……漫画嫌いなのは知ってたけど……」
 「と、とにかくですね、パチュリー様相手は流石に……」
 「しょうがないわ、言論の自由のために親友相手とは言え心を鬼にする必要があるようね。パチェを半殺しにしてそんな運動をやめさせて……」

 そう物騒に話すレミリアを、咲夜は必死になだめる。

 「お嬢様、ここは穏便に……」
 「そうだ!」

 そこで小悪魔が思い出した様子で

 「本屋さんが山の上の巫女がこのあいだまとめて買っていったとか言ってました」
 「じゃあ奪ってきなさい」
 「え?」
 「奪ってこいって言ってるのよ、悪魔でしょ?」

 といい、咲夜も再びレミリアをなだめようとする。

 「いくら悪魔でも道徳的に……それ以前に小悪魔じゃ返り討ちに遭うと思われます……」
 「そうです! 人道、というか悪魔道にも、流石にもとりますよ! せめて譲って貰うくらいにしましょう!」

 レミリアも流石に言い過ぎた、という表情を浮かべると、小悪魔に命令し直す。

 「まあいいわ、じゃあ早苗から買ってきて」

 それを聞くと小悪魔は大急ぎで山に向かう。そしてすぐに戻ってきた。

 「すいません……」
 「また駄目だったの?」
 「『そんな下らない用事で寝てるとこを起こすな!』って怒られました……」

 レミリアが時計を見上げると、その針が午前三時を指していた。

 「随分早寝ね」
 「まっとうな人間はもう寝る時間ですから」
 「人間はこれだから面倒で困るわ」

 とはいえ、そういうレミリアの声からは過ぎ去った時間のせいか怒りが消え始めていた。

 「まあいいわ、明日にしましょう」

 そう言い残すとレミリアは本棚から漫画を取り出し、小悪魔と咲夜も仕事へ戻る。
 
 「もう読み飽きたわね」

 だが、少しするとそう独り言を漏らして、まだ見ぬ漫画で埋め尽くされた美鈴の部屋に向かった。当然美鈴の部屋には妖怪の影も無く、無人の部屋に漫画が並べられていた。
 レミリアは本棚から漫画を取り出し、美鈴の使っていたソファーに座りながら静かに読み始めた。その途中で徐ろにクスリ、と笑いを漏らし、静かな笑い声が口をつく。

 「傑作ね、この漫画、この作者は本当に天才だわ」

 レミリア一人きりの部屋にその声が響き渡った。いつものこの部屋なら返事が返ってくるはずの声が。いや、時には帰ってこない時もあった。それでも次の日には帰ってきた。
 そして、美鈴に始めて貸した漫画がこの作者のものであることを思い出した。それまでは漫画を見たことも無かった美鈴だが、レミリアと一緒に笑い転げていた。そして、この広い紅魔館で、ただ一人その価値を認めてくれたのが美鈴であった。
 しかしその存在はもういない。返事の代わりに反響だけが帰ってきたことに気づくと、そして、美鈴が、漫画を語れる友が明日も、明後日も、その次も居ないことに気づくと、レミリアの顔から笑みが消え、虚しそうな表情が浮かんだ。

 「漫画を語れる人間がいないのも退屈ね、明日譲って貰うついでに早苗と漫画論でもしてくることにしましょうか」

 虚無を帯びたような顔で、レミリアはそう独りごちた。
 



 「咲夜、ちょっと出かけてくるわ、山までね」
 「お一人でですか?」
 「ええ、一人で十分だから」
 「わかりました、お気を付けて」
 「雨も降りそうにないし平気よ」

 その翌日の夕方、レミリアは一人洩矢神社に赴いた。程なくして辿り着くと、大勢の参拝客の中に混じり、緑の髪の少女が、早苗の姿が見えた。

 「こんばんは」
 「あら、わざわざ参拝にいらっしゃったんですか? 大丈夫です。家は吸血鬼の信仰も歓迎ですから。いつでも帰依は受け付けてますよ!」
 「いや、その辺りは間に合ってるからいいんだけど、ちょっと時間ある?」
 「こうみえても忙しくて、決闘なら後にしてもらえると」
 「話があるの」
 「話? なんでしょう? まあいいや、神奈子様ー」

 神奈子に少し離れる旨を伝えると、早苗は部屋へとレミリアを連れて行く。早苗はお茶を用意しつつ、レミリアの言葉に耳を傾けた。

 「で、話ってなんですか?」
 「こないだ漫画買ったでしょ?」
 「そういえば買いましたね、忙しくてまだ途中までしか読んでないんですが」
 「売ってくれない?」
 「買えばいいじゃないですか」
 「それがね――」

 件の漫画が回収騒ぎになったことを伝える。

 「ええ? あんなのでですか? 外の世界じゃあんなものじゃないですよ」
 「……例えば?」

 流石に早苗も少し顔を赤くして、迷っていたようだが、レミリアが何度も聞くのに負けて、そっと耳打ちした。

 「………で………になって………なんですよ」
 「男と女が……つつつつ、繋がったまま歩く!?」
 「声が大きいです!」
 「だって頭が沸騰するのよ!」

 レミリアは内容の三割程度しか理解できていない様子だったが、それでも顔を真っ赤にしつつ、深呼吸を繰り返していた。

 「ま、まあいいわ、流石にけしからんわね、フランの目にはそんなのが触れないようにしないと」
 「でも外の世界じゃ子供が普通に買ってましたけどね、フランさんの四十分の一くらいの年の、もしかしたらもっと下の子も」
 「外の世界も恐ろしくなったわね……私がいた頃なんて……で、早苗は持ってないの? いや、まずければパチェに報告してあげたいだけなんだけど」
 「ないですねえ、私もあそこまで過激なのは趣味ではないので」
 「そう……」

 レミリアは落胆した様子を浮かべつつ、本題を思い出した。

 「とにかく、それに比べればずっとずっと健全なのに読めないのよ」
 「なるほど。なら売るってのはあれですけど、貸してあげてもいいですよ?」
 「う~ん、出来れば欲しいのよ、美鈴の退職金にするから」
 「退職金?」

 そこでレミリアは美鈴との件について、全面的に自分視点から話した。

 「いや、それはどう考えてもレミリアさんが悪いでしょう」

 それでも流石に早苗は美鈴に同情を禁じ得ない。 

 「なんで? 元は私のお金よ」
 「……美鈴さんは働いてたんですよね? 給料も無しに」
 「それはそうだけど」
 「それ以前にそういう時は謝らないと駄目でしょう」
 「そうは言うけどね、主人は謝っちゃ駄目なのよ、カリスマに傷が付くし」

 レミリアは蕩々と帝王学を、人の上に立つ者の嗜みを語りだすが、早苗は耳を貸そうともせず、呆れ顔でレミリアを見つめる。

 「だいたいレミリアさんって人に謝ったことあるんですか?」
 「あるわけないじゃない。私は貴族よ、おまけに吸血鬼よ、世界で最も偉大で高貴な種族のね」
 「巫女に負ける程度で最も偉大なんですか?」
 「あれは事故よ」

 明後日の方向を向きながらレミリアは答えた。

 「天人にも負けましたよね?」
 「記憶にないわ」

 目を逸らしつつレミリアは答えた。

 「新聞で読みましたよ」
 「あんなの捏造で出来てるじゃない」
 「写真付きでしたよ」
 「……」
 
 レミリアは声がつまりかけ、上手く答えられなかった。
 
 「おまけに説教くらったんですよね? 『いつまでも部下が付いてくると思ってはいけないよ』でしたっけ。そんな態度だからこういうことを言われるんじゃないでしょうか?」
 「あの自己中天人の説教なんて適当よ」
 「適当なのはたしかに同意しますけど、半分は自分に言ってるとしか思えませんよ? 自己中ってのは。それにこの説教は当たってるんじゃないですか?」

 レミリアはもう耳まで赤くなっていた。

 「す、すいません、言い過ぎました……泣くとは思いませんでした……」
 「泣いてなんてないわよ……本当よ……うん……」

 俯きながら、途切れ途切れにレミリアは答える。早苗も困った顔になったが、何かを思い出したように部屋を出て、大急ぎで戻ってきた。傍らに小箱を持ちながら。

 「そうそう、貰い物のチョコレートがありましてね」

 そう言いつつ早苗が差し出したチョコレートは高級感に溢れていた。上品な茶色の箱に威厳漂うロゴが箔押しされ、蓋を開ければ繊細に飾り付けられたチョコレートが並ぶ。その一つ一つが芳しい香りを放ち、口に入れれば、ほの苦い中に上質な甘みが広がる。泣く子も笑う美味な菓子であった。

 「お茶も入れ直してきますね」

 レミリアは一つを口に入れた瞬間、チョコレートに魅入られたかのようになる。

 「お茶が入りましたよ」
 「ありがとう。これって咲夜にも負けない味ね。中々のものだわ」
 「お口に合ったようで何よりです」

 早苗がお茶を持ってきた時には残りは半分程度となり、気がつけばレミリアも思わず顔をほころばせていた。

 「ちなみに」
 「何?」
 「これいくら位すると思います?」
 「さあ? ここ百年ほど自分で買い物したことないし」

 そうお嬢様らしくレミリアは話し、早苗は、やっぱり、といった表情を浮かべる。

 「だいたい漫画五十冊分ですね」
 「漫画の値段もよくわからないけど、そんなにするの?」
 「美鈴さんの仕事を人里でやって……三日か四日か、そのくらいですかね」
 「ただのチョコが? 恐ろしいわね、流石に食べ過ぎちゃったかしら」

 レミリアをしても恐縮させるほどの値段。洩矢神社の信仰の厚さと深さを感じさせた。

 「まあ、神奈子様へのお供え物で、捧げられた当人が甘い物をあんまり好きじゃないみたいですから、それは構いませんけど」
 「もったいないわね、こんなに美味しいのに」
 「こういう物は気持ちですからね、あげることと貰うことが重要なんですよ」
 「私も昔に外の世界にいた頃は、貢ぎ物が山の様にあったものだけど」

 レミリアは古き良き時代。吸血鬼が人々から恐れられた時代を懐かしむように遠い目をしていた。

 「貢ぎ物! それですよ!」
 「どういうこと?」
 「レミリアさんは自分で汗を流して物を手に入れたことがありますか?」
 「そもそも働いたこと無いし」

 早苗の目が輝き始める。それはまさに神の目、迷える子羊を救わんとするようであった。

 「それが駄目なんです、自分で労働して何かを手に入れてみればわかりますよ、美鈴さんの気持ちが!」
 「そんなものかしらね」
 「そうですよ、ありがたみと思い入れが違います」
 
 早苗は労働の大切さについて語り始め、レミリアは面倒そうな目で聞き流す。

 「家も人手不足ですし、ちゃんと手伝ってくれればあの本をあげますよ」

 美鈴と約束した以上、あの漫画を返さねば、という高貴な義務感もあったレミリアではあったが、面倒な思いも抜けきらない。

 「とはいえ面倒だしねえ……咲夜は止めたけど、やっぱり奪った方が悪魔らしいし」
 「負ける気はありませんけど、家には私を倒しても神様二人がついてますよ」
 「吸血鬼をなめてもらっちゃ困るわね、神ごとき片手でいけるわよ」
 「百歩譲って負けても、祟りますよ? 諏訪子様をなめたら酷いことにあいますよ?」

 早苗は和と荒の概念について語り始めた。

 「どんな神様にも和と荒の二つの面がありましてね――」

 レミリアは昔、あの古道具屋もこんな退屈な話をしてたっけ、と思いつつ、夢の世界に飛び立とうとしていた。

 「――で、荒の性格こそが本当の力なんですよ、って聞いてます?」

 目を半開きにしてレミリアは答えた。

 「要するにどんな祟りがあるのよ」

 早苗は言うべきか否か、と迷いつつ、一例だと前置きして、レミリアにそっと耳打ちした。それを聞いた瞬間にレミリアの顔は真っ青となる。

 「触手……触手に縛られて……」
 「ええ……触手というか、あれも蛇らしいですけど」
 「身動きできないところに……」
 「はい……」
 「ああ……口にしただけで寒気が……あんなのに襲われたら……」
 「いや、噂ですよ、でもミシャクジさまをなめちゃいけません、祟り神ですから」

 早苗は数千年前から続くという赤口信仰についても語っていたが、レミリアは頭を抱えるだけで、その言葉は欠片も耳には入れることが出来なかった。

 「人前で……触手が……そんなのされたらもう生きていけないわよ……」
 「大丈夫です、祟り神こそ信仰する物には御利益がありますから」
 「わかったわ、今日から私も帰依するから」

 こうして早苗はまた一人の信仰を獲得した。

 「ついでに働いてくれればもう巫女ですから、御利益も三倍くらい有りますよ」
 「巫女になるにも色々勉強とか修行が居るんじゃないの?」
 「私や霊夢さんみたいな本格的な巫女はそうですけど、バイトでも巫女は巫女ですよ、流石に神事はできませんけど」
 「でも、私が巫女ってのもねえ、実家は一応クリスチャンだったような。両親は十字架とか苦手だったし」
 「大丈夫です。八百万の神はみんな受け入れてくれますから。そうそう、ちょっと待ってて下さい」

 早苗は新たな信者を得て満足げな表情を浮かべつつ、一冊の本を持ってきた。

 「何これ?」
 「雑誌です」
 「それは見ればわかるけど」

 早苗は雑誌をパラパラと捲り、一つのページを開いた。

 「見て下さいよ」
 「何これ? ……ええと、人気の属性ランキング? 属性ってわかるようなわからないような」
 「とりあえず当てはまれば人気者ってことですよ。まず一位……巫女です」
 「本当に?」

 レミリアは手渡された本を眺める。

 「一位巫女、二位メイド、三位妹、四位病弱、五位体育会系、六位小悪魔」
 「みたいですね」
 「吸血鬼は?」
 
 早苗もレミリアと共に必死で捜すが、その三文字はどこにも見えない。

 「ないですね……あ! 三十八位にお嬢様がありました」
 「……よく考えれば吸血鬼もお嬢様もフランと変わらないし……あの子は三位だし……そもそもこれ誰が作ったのよ! いい加減にもほどがあるわ!」
 「公正なアンケートの結果ですよ、そうです、どこまでも公正な!」

 その雑誌は求人広告を始めとした洩矢神社の広告で埋め尽くされていたが、ともかくも雑誌曰く巫女こそが一番人気とのことではあった。

 「ですからね、レミリアさんも巫女になれば大人気間違い無しです」
 「カリスマがより身につくかしらね」
 「勿論です、ちゃんと給料も出しますから」





 「お嬢様……ご無事にお勤めを終えられることをお祈りしております……」
 「もう、咲夜の何十倍生きてると思ってるのよ! 子供じゃないのよ?」
 
 それから幾日かが過ぎた夕暮れの時のこと。咲夜が目に涙を浮かべつつ、心配そうに送り出したのを面倒げに見下ろしながら、レミリアは天高く飛び上がった。程なくして洩矢神社に訪れたレミリアを見て、早苗が快活な声を返す。

 「来たわよ」
 「待ってました。巫女服も準備してますよ、奥に置いてますから」
 「ん、ありがとう」
 
 社務所の奥で着替えを済ますと、清楚な巫女服に巨大な羽を持った吸血鬼が、巫女さんがそこにはいた。彼女は禍々しくも清楚な姿で早苗の元に戻る。

 「着替え終わったわ。でも羽の穴があいた巫女服なんてよくあったわね」
 「羽の生えた人もたまにバイトしてますから、でもサイズがぴったりのが有って良かったです」
 「そうね、それで、具体的に何をすればいいの?」
 「そうですね――とりあえず掃除しますか、落ち葉も溜まってますので片付けちゃって下さい」
 
 早苗は箱から箒を取り出すと、レミリアに手渡す。

 「私は表の方を掃除してますから、レミリアさんは裏の方をお願いしますね」
 「わかったわ、でも――」

 その言葉を聞き終わる前に早苗が消え、巫女服に箒を持ったレミリアが一人残される。レミリアは箒を見ながら考え込んでいた。 

 「これ見たことはあるわ、メイドが持ってたはず」
 
 と思いながら箒を見つめていた。思い出してみればレミリアに掃除の経験は無い。五百年間、いつもメイドが部屋していたレミリアには。箒の使い道を聞く間も無く、それ以前に掃除を理解しているかが怪しかったが、追いかけて聞くこともプライドが拒絶し、レミリアは箒に思いを巡らす。

 「まあ、考えればわかるはずよね、ええと、掃除ってのはゴミを消す事」

 ゴミをゴミ箱に入れるとメイド達がどこかに消してくれる。埃も溜まる前に消してくれる。おかげで私の部屋はいつも綺麗だ。そう、余計な物を消すのが掃除のはずだ。なるほど、この落ち葉を消せばいいのだろう。

 「でも、箒って何に使うのかしら?」

 消すなら弾幕で燃やせばいいだけで……でも必要だから渡したんだろうし……考えてみよう。そうだ、箒と言えば魔理沙だ。魔法にはさほど明るくはないが、魔法使いが魔法を使うには八卦炉のような触媒になるマジックアイテムが必要だと聞いたことがある。魔理沙はその一つが箒なのだろう。間違いない。箒の先から星を出していたのを見た記憶がある。そしてこれを渡されたと言うことは、私もこれを触媒にして炎を出せ、そういうことだろう。

 「なるほど、流石は巫女、日々此修行ってわけね」

 魔法を身につければより魅力的な弾幕も開発できるに違いない。巫女と言えばあの白い棒――大幣で奇跡を起こすものだとばかり思っていたが、箒を用いた魔法すら飲み込もうとする旺盛な意欲、探求心。これが巫女の力の源泉なのだろう。人気一位は流石か、そう感じたレミリアは心を弾ませつつ裏庭に向かう。人気の無い裏庭には落ち葉が散乱していた。これなら万が一失敗しても人に被害を及ぼすこともないはずだと感じ、魔法初心者に対する早苗の心使いに感謝しながらレミリアは箒を掲げた。

 「とりあえずまとめてから着火した方が安全ね」

 レミリアが腕を振ると凄まじい風圧が起きる。落ち葉が吹き飛ばされる。ただ、力の入り過ぎか,
思うようにまとまらない。それにレミリアが微かな不快感を感じた時、何かが起きた。一瞬、何かが歪んだように見えた。そして次の瞬間には、落ち葉が整然と、そして山となって積まれていた。

 「あら? これも魔法の力かしら? それとも神様の御利益?」

 レミリアは突然現れた落ち葉の山を不思議そうに見つめながらも、深く考えることなく箒を掲げる。振る。跨る。投げる。

 「出ないわね……」

 当然のように何も出ない、面倒だし普通に炎の弾を出そうか、と思った時。またしても不思議な事が起きた。レミリアが瞬きした瞬間に落ち葉の山が消え去った。

 「??? 消えたの? 不思議な魔法ね。とうかやっぱり神様の奇跡?」

 釈然としない表情を浮かべつつも、箒が奇跡を起こしたと感じたレミリアは上機嫌で早苗の元に向かう。

 「終わったわよ、早苗」
 「お疲れ様です。そうですね……売り子を手伝ってもらえますか? 向こうに先輩のバイトの方がいるので、細かいことはそっちで聞いてください」
 「わかったわ」
 「そうそう、客商売なんで言葉遣いは気を付けて下さいね、お客様にはちゃんと敬語を使って下さい」
 「わかってるわよ、こう見えても社交界で鳴らしてたの。その辺りは出来るから安心して。仕事だしね」

 それを聞いたレミリアは売店の方へと向かう。そこには金色の髪に紫の羽を持った少女がいた。

 「ああ、新人のレミリアさんですね、話は聞いてます、吸血鬼の方ですよね」
 「ええ、吸血鬼のレミリア・スカーレットよ。よろしく。あなたのお名前は?」
 「くるみです。私も吸血鬼なんですよ、同族ですしよろしくお願いします」
 「私たち以外にも吸血鬼はいたのね。こちらこそ」
 
 レミリアは同族との出会いに心を沸かせるが、くるみは、始めに冷静な指導を行おうとしていた。

 「レミリアさんは売り子自体初めてなんですよね」
 「そうね」
 「じゃあ最初は私を見ていて下さい、それと、上に価格表が貼ってありますから、それ見ながらでいいですよ」

 さほどの忙しさもなく、少女の手際の良さもあり、レミリアはただくるみを見ているだけだった。退屈に任せてか二人は世間話に花を咲かせる。

 「暇なのも結構辛いわね、立ってるだけって余計疲れるわ」
 「そうですね、まあ私は本職で慣れてますから平気ですけど」
 「あら? 他に仕事有るの?」
 「こっちはバイトですね、本職は門番なんですけど、あれは疲れますよ」

 夢幻館と言う名の屋敷で門番をしているとの事だったが、手際よく巫女をこなすくるみを持ってしても激務だという門番。レミリアは思わず美鈴を思い浮かべた。

 「何も無くても気は抜けないんで疲れますね。立ち仕事ですし」
 「なるほどねえ」
 「それに暇な方がいい数少ない仕事ですよ、退屈で困るのに、気持ちだけは張ってないといけないのがどうにも、最近は来客も少ないですし」
 「そうなの、大変そうね」
 「おまけに給料が安くて……」

 くるみの言葉に安月給への愚痴が混じり始め、それを聞いたレミリアは無休で仕えるメイド達にボーナスを支給しようかと考え始めていた。仕え人の気持ちを理解し、レミリアはまた一歩大人の階段を上る。

 「昔は博麗の巫女がわざわざ攻めてきたりもしたんですけどね」
 「門番は結構長いの?」
 「そうですね、でもあの頃は若かったなあ……話し方とか凄い間延びしてて、それが可愛いと思ってました。語尾も凄かったんですよ、ハートや汗が見えそうな感じでした」
 「難しい表現ね、再現してみてよ」
 「だ~め……ってう・そ! わたしくるみ。洩矢神社でバイトしてるの。ここに来た新人さんに一生懸命教えてるの」
 「時代を感じるわね。可愛いといえば可愛いし、好きな人は好きかもしれないけど」
 「まあ、いい思い出ですよ」
 
 しばらくはその調子だったが、神社が闇に包まれ、妖怪が闊歩する時間となってくると、次第に客足も増えてきた。

 「じゃあレミリアさんも会計お願いします、慌てなくてもいいんで、お金だけは間違いがないようにしてくださいね」

 そうして会計を行おうとするレミリアだが、新人のお嬢様に慌てるな、というのはどだい無理なことであった。

 「ええと、八百円のお守りに百円のおみくじが三つ、それと五百円の絵馬が二つで……二千百円……」
 「あ、すいません、この家内安全のお守りも下さい」
 「家内安全のこのやつは……ええと、千二百円だから……三千二百……違う、三千三百か、三千三百円になります」
 「どうぞ」
 「ありがとうございます」
 「あれ? お釣りが多いですよ」
 
 

 「合計八千三百八十円になります」
 「はい」
 「これ何円札だっけ……五千円か。お釣りが百二十円で……あ! くるみ! 十円玉無い?」



 「縁結びのお守りってありませんか?」
 「そんなのあったっけな……ああ、これだ。はい、あります。六百円になります」


 始終この調子で、慌てれば慌てるほど手際は悪くなり、レミリアの前には長蛇の列が出来ようとしていた。いや、それはすぐに消えた。皆はくるみの列を選び始めていた。くるみはその列をテキパキと掃いていく。レミリアは短い列に悪戦苦闘している。

 「おい嬢ちゃん! 早くしてくれよ! 後がつっかえてるんだよ!」

 レミリアの拙さに苛立ちをなしたか、ガラの悪そうな妖怪が悪辣な言葉を投げつける。その言葉にレミリアの堪忍袋の尾が切れそうになり、爪を剥こうかとしたその時、三度の奇跡が起きた。

 「あんた誰に向かって口……ってあれ?」

 妖怪の姿は跡形も無く消え去っていた。

 「ミシャクジさまの祟りかしら。くわばらくわばら、やっぱり神社で暴れちゃ駄目ね、危ないとこだったわ」

 奇跡はさらに続く。

 「とはいえ私の前だけ列が短いのはしゃくなのよね」

 その言葉に反応したかが如く、レミリアの前には長蛇の列が出来る。

 「千円のお守りをください」
 「ちょうどになります。ありがとうございました」

 レミリアの前はマスクを付けた妖精の列で埋め尽くされる。

 「千円のお守りをください」
 「ちょうどですね。ありがとうございました」

 皆レミリアの手際に不平を漏らすこともなく、簡潔に、そして釣りのでない買い物を行う。

 「こちらの列が開いてますよ」
 「いえ、この方の方が御利益ありそうですから」
 
 くるみの誘導にも従うことはない。くるみは当然として、流石にレミリアも不思議には感じた。自分の前に列が出来るのは恐らくカリスマに引かれたのだろう、とあたりを付けたが、妖精が一様にマスクを付けていることはどうにも解せない。

 「千円のお守りを下さい」
 「??? 妖精の間に風邪が流行ってるんですか? 皆さんマスクですけど」
 「え、ええと、はい、そうみたいです」
 「こちらに健康祈願のお守りもありますよ」
 「あ、そ、そうですね、それも下さい」
 「合計二千円ですね、お大事に……この妖精ってどこかでみたような……」
 「気のせいです!」

 その調子の列が続き、レミリアの機嫌も上々だったが、流石に慣れぬ仕事のせいか疲労の色を顔に浮かべる。

 「やっぱり忙しいのは忙しいで疲れるわね」
 「慣れないと特にそうでしょうね。休憩行きます?」
 「そうねえ、まあ列が掃けてからでいいわ、そろそろ売店閉まるんでしょ?」

 その言葉はまるでモーゼの杖のようであった。行列が割れ、一斉に消え去る。

 「……やっぱり休憩貰うわね」

 社務所に戻ると、神奈子が忙しそうに書類を作っていた。その傍らにレミリアは腰を下ろす。

 「お疲れ様」
 「何やってるの?」
 「企画書を作ってるのよ、ちょっと間欠泉に作りたい物があって」
 「神様がわざわざ?」
 「人手不足だしねえ」

 そう言うと、神奈子が暖かいお茶を入れてくれた。神が手ずから入れた茶。さぞや御利益のあることだろう、そう思う余裕すらなく、レミリアはようやく人心地が付いた、という様子で口を付ける。

 「流石に疲れたわね」
 「あなたのとこのメイド長や門番はきっとこんなものじゃないわよ」
 「かもね」

 返事こそ短いものであったが、この数時間の労働でレミリアはそれをつくづくと実感していた。従者達への感謝の意と共に。美鈴にも捧げられた感謝の意と共に。

 「うーん」

 レミリアは大きく背伸びをした。すると慣れぬ立ち仕事に体が悲鳴をあげているように思えた。

 「疲れてるわね、なんだったらあがってもいいわよ、どうせ後は片付けくらいしかないし」
 「いや、最後までやるわ。そういう約束だからね。人間との約束は絶対に破らない、それが吸血鬼よ」
 「そう、じゃあお願いね」
 「任せて貰っていいわ、よし、行きますか、と」

 そういいながら力を振り絞り立ち上がる。その姿は「凛とした」と言う形容詞が何よりも相応しく思えた。白い巫女服が神聖に輝いて見える。黒い羽すらまた。このレミリアの姿をみれば誰もが言うだろう――人気No.1の属性は巫女服を着た吸血鬼だと。





 「お帰りなさいませ。お嬢様」
 「ただいま、咲夜」

 レミリアが戻る前は今日の激務のせいか全身から疲労を表していた咲夜だったが、レミリアが戻ってきた瞬間その欠片すら消し去り、瀟洒な姿でレミリアを出迎える。

 「どうでしたか? お仕事は?」
 「ああ、楽勝よ、あんなの」

 顔に疲れを浮かべつつ、口調は軽くレミリアはそう答える。

 「今日は今までに無いくらいお守りが売れたそうよ、私のカリスマのおかげね」
 「そうでしょうね」
 「おかげでボーナスも貰ったのよ」
 「そうですか、おめでとうございます」
 「それに奇跡も起こしてきたわ」

 箒を振ると落ち葉が消え去った。などと得意げに話し、咲夜もまた笑顔で聞いている。

 「お疲れでしょうし、暖かいお茶を入れて参りますね」
 「B型で頼むわ」
 「ええ、勿論です」

 レミリアは自室へと戻り、件の漫画に目を通す。程なくして咲夜がお茶を持ってきて、今日の給料の何日分になるのだろう? それほどの価値を伺わせる瀟洒な白磁のティーカップに丁寧に注ぐ。

 「ああ、漫画はちゃんと譲って貰えたのですね」
 「いや、そうじゃないわ」
 「どういうことでしょう?」
 「借りたの。だって一回読めば十分でしょ?」
 「美鈴に渡すはず――」

 そこまで言いかけると、咲夜は微笑んで続けた。

 「わかりました、明日美鈴を呼び戻してきますね」
 「お願いするわ」

 一度はそう言ったが、レミリアは思い直す様子を見せると言い直した。

 「いいわ、やっぱり私も行く」
 「はい、では準備をしておきますね」

 咲夜はそれを言い残すと部屋を後にしようしたが、レミリアはそれを引き留める。

 「ちょって待って、咲夜」
 「なんでしょう?」
 「これあげるわ」

 レミリアは今日の給料が入った袋の中から、半分の札を抜くと咲夜に手渡した。

 「いつもお疲れ様、これで美味しいものでも食べて」
 「お嬢様……」

 咲夜の目が滲む。レミリアは照れくさそうに顔を背ける。

 「よく考えればそのまま渡すより何かプレゼントでも買ってくればよかったかもね」
 「……」

 完全なメイドは声を詰まらせる。

 「まあ、次はそうするわよ」
 「……」
 「それとね、妖精に風邪が流行ってるみたい、注意するように言っておいて」

 声を詰まらせた咲夜を見て、何故かきまりの悪い心地になりつつも、レミリアはもう二つの物を手渡した。二つのお守りを。

 「早苗から貰ってきたの、身体健康と病気平癒のお守りみたい。もう一個は博麗神社の。帰りに寄ってきてね。本当に効き目あるかはわからないけど、特に博麗神社のは。ま、気休めにはなるでしょ?」
 「……明日全メイドに伝えます……」
 「頼むわね」

 咲夜は詰まりながらもそれを言い終えると部屋を後にし、それに、より照れくさい気持ちを強められるレミリアであった。

 




 「で、美鈴はどこに居るの?」

 その翌日。レミリアと咲夜は美鈴の元に赴こうとしていた。

 「こちらの道場にいるそうです」

 咲夜の言葉に導かれ赴いた場所は、人里の一角であった。格闘技の道場であるようだ。遠くから窓越しに中を覗くと、大勢の人々が太極拳の演舞を行っている光景が見える。そして、皆の視線の先に美鈴の姿があった。

 「いたわ、ここで働いてるの?」
 「そのようですね」

 ガラス越しに見た美鈴の姿は水を得た魚の如く生き生きとして見えた。大勢の人々が居たが、美鈴はその一人一人をチェックしているようで、こまめに声をかけ、時に手本の演舞を見せる。美鈴の演舞は流れる水のように流麗な動きであった。そして、紅魔館ではまず見せることのない優雅な動きであった。

 「……こっちの方が天職なのかもね」

 レミリアは窓越しの美鈴を見て、思わずそう呟く。終了の時間となったのだろうか、人々が丁寧に美鈴にお辞儀をしては消えていく。美鈴もまた丁寧にお辞儀を返す。道場の中には武道の心が息づいていた。

 「いいえ、お嬢様、美鈴はやはり紅魔館に居てこそですよ、本人も内心そう思ってるはずです」
 「そうかなあ……」

 二人が窓の向こうで無為な時間を過ごしている間に道場の掃除を終えた美鈴が外に出るのが見えた。二人は思わず距離を取る。

 「ふう。今日もいい汗かいたわ」

 そして健康的に水を飲み干す。紅魔館の退廃とはかけ離れた光景であった。咲夜とレミリアは無言でそれを見つめていたが、美鈴が中に戻ろうとしたした瞬間、意を決したように咲夜が向かう。

 「美鈴!」
 「あ、咲夜様、お久しぶりです」

 その間、レミリアは二人を遠目で見ているだけであった。

 「ねえ美鈴、紅魔館に戻る気はない? お嬢様もお許しになられるそうよ」
 「ここで働いて思ったんですけどね、ここは給料もちゃんと出るし、みんな感謝してくれるし、紅魔館よりいい職場なんじゃないかなって思うんですよ」
 「紅魔館の恩を忘れたの?」

 咲夜の声は荒く――あくまでレミリアの前の咲夜にしては――荒いようにレミリアに聞こえた。その咲夜を見てレミリアはどこか息苦しく思えてきた。

 「確かに長年養って貰った恩はありますけど、仕事で返していたと思いますよ、でもお嬢様は……」
 「ちゃんと漫画も用意してるから、悪いとは思ってるの。それに美鈴、あなたもきっと言い過ぎてたわよ」
 「それはわかりますし、私が謝るのはやぶさかじゃないんですけど、悪いと思うなら自分で来るのが当然じゃないんですか?」
 「まったくね」

 その声と共に、咲夜の背にレミリアが現れた。その影を見て、思わず美鈴は息を飲み、言葉を止める。

 「ごめんね、美鈴」

 俯きながら、短く、それでも確かにレミリアは謝罪の言葉を口にする。自分より優れた奴は居ないと思い続けていたレミリアが――常に高圧的だったレミリアが――己の非を認め、短く、それでも確かに謝罪の言葉を口にしていた。

 「お嬢様……」

 そんなレミリアを知り尽くしていたはずの美鈴は刹那の困惑を見せ、直後に感極まったような表情を浮かべる。

 「もったいないお言葉です……こちらこそ申し訳ありませんでした……」

 紅魔館外の者が見れば単純極まりない思考回路の持ち主と思うかも知れない。だが、美鈴はそのレミリアの言葉で、今までの忠君が全て報われた、そのように思った。

 「もしよろしければ……今後も紅魔館に仕えさせて下さい!」
 「勿論よ、妖精達だけの門番なんて不安でしょうがないんだから」





 美鈴が引き留められつつも道場に辞表を出し終えると、三人は本来在るべき場所。紅魔館に向かう。

 「今日の食事は何に致しましょう? お嬢様?」
 「そうねえ……なんでもいいわ、美鈴に聞いてみたら?」
 「え、私ですか? そうですね……」

 三人は賑やかに家路に着いていたが、その途中、レミリアは思いついたことがあるよな素振りを見せつつ咲夜に呼びかけた。
 
 「そうだ、ちょっと用事があるから先に帰ってて」
 「何のご用でしょうか? 私がお供せずともよろしいのでしょうか……」
 「大した用じゃないわ。すぐ終わるし一人で平気」

 そう言い終えるやいなや、レミリアは羽を羽ばたかせ、次の瞬間には二人の視界から消え去っていた。





 満漢全席の夕食を終え、レミリアも、美鈴も満足げな様子を浮かべる。そしてレミリアは美鈴を連れ、二人でレミリアの自室へと赴く。

 「いけません……お嬢様……」
 「あらあら、良いこと? あなたは犬、犬よ? わ・ん・ちゃ・ん・よ!」

 左に座るはレミリア・スカーレット。右に座るは紅美鈴。
 二人の距離はたった数センチ。頬と頬が擦れそうな距離。

 「いい? "Yes"なら『わん』。"はい"なら『わんわん』それ以外犬っころのあなたに許された言葉なんてないの」
 「駄目です……私には他に――」

 薄暗い部屋の中で、二人の思いはただ一つ。
 
 「ねえワン公? あなたが欲しいのは皮の鞭? それとも鉄の鞭?」
 「私には――」

 二人の視線がただ一点で交錯する。二人が唾を飲む音が部屋に響き渡る。

 「体は正直なのよねえ。もう一度聞くわ。あなたは私に身も心も捧げたのよね? バカ犬?」
 「わ……わんわん!」

 二人の顔は思わず上気する。そして、赤い顔を冷ますかのようにドアの向こうから冷たい風が流れ込む。

 「嘘……お…じょうさま……嘘……だよね? あなたとお嬢様が……」
 「ち、ちが、その、違うんだ!」
 
 ドアの向こうでは一匹のメイドが二人を見つめていた。

 「違う? 何がよ、それにね、あなたに許された言葉は『わん』と『わんわん』だけだって何度言わせればいいの? この使用人風情が!」

 二人も気づき、漫画からメイドへと視線を移す。

 「お嬢様、食堂に忘れ物がありましたよ」
 「あ、いけない。ありがとう」

 レミリアは二つの袋をメイドから受け取ると、漫画を閉じて美鈴に話しかける。

 「そうそう美鈴、昨日バイトしてきたの」
 「バイトですか? お嬢様が?」

 レミリアは洩矢神社で働くことになった経緯、そして昨日の仕事について美鈴に話す。

 「私のためにそこまで……」
 「まあ私も読みたかったしね、それに案外楽しかったわよ、疲れたけどね」

 そして、少しはにかんだ顔で続ける。

 「自分でやってわかったけど、やっぱり働くのは大変よね、いつもお疲れ様」

 美鈴の口からは嗚咽が漏れ始める。

 「それでね、初めての給料で美鈴にプレゼント買ったの、昨日は咲夜にあげたんだけど、まあ咲夜には急だったからお金そのまんまになっちゃったけどね」

 レミリアは小さな方の袋を開けると、その中身を美鈴に手渡す。可愛らしくアレンジされた蝙蝠のキーホルダーだった。
 
 「あなたの国じゃ蝙蝠って縁起いいんでしょ? それに紅魔館らしいから買ってみたの。安物だけど」

 それは確かに、紅魔館に有る物の中でも、何よりも安い物だったかもしれない。だが、気持ちは何よりもこもっていたように美鈴には思われた。キーホルダーを受け取ると、美鈴の目からは滝のように涙が流れ落ちる。レミリアは慌てて二人の前から漫画を避ける。
 
 「駄目じゃない、また汚れちゃうわよ」
 「すいません……お嬢様」
 「汚したらまたバイトするって早苗と約束してるんだから」
 
 どこまでも可愛らしく、上機嫌な声でレミリアはそっと注意した。

 それから美鈴の涙が収まるまでに少なくない時間がかかったが、ようやく落ち着きを見せ、二人は漫画の世界へと戻り、幾ばくかの時を経て、漫画が閉じられ、机の上、二人の中心で表紙だけを見せており、二人は現実へと帰ってきた。しばしの間二人は漫画の余韻に浸る。もはや言葉を出すことすら躊躇われる、そんな様子であった。

 「いやあ、面白かったわね、やっぱりこれは万人が見るべきよ、まあ180禁くらいにはしてもいいかもしれないけどね」

 その沈黙を味わいつつ、レミリアが沈黙を破った。静かに、余韻を感じながら。
 
 「そうですね、でも名作ですよ。後半でこう感動的に化けるなんて。この魅力をパチュリー様にもわかっていただきたいものです」
 「明日二人で図書館に乗り込んでみましょうよ、パチェは漫画をまともに読みもしないで馬鹿にしてるみたいだし、ちゃんと読めばきっと印象変わるわ。馬鹿じゃないんだから」

 美鈴もまた、ゆっくりと、余韻を味わうように話し、その間にレミリアはもう一つの袋を開ける。

 「そうそう、お酒も買ってきたの、そんなに高いのじゃないけど、美鈴の国の名物みたい」
 「それ高粱酒ですか? 結構癖有るんですよね、でも確かに美味しいですよ、私は好きです」
 「そうなの、でも、ものは試しだし、飲んでみましょうか」

 二人は高粱酒を注ぎ合う。癖があるとは言われたが、レミリアの口には合ったようで見る見る間に減っていく。レミリアの顔が朱色に染められていく。

 「もう無くなっちゃったの?」
 「みたいですね」
 「もう少し飲みたいなあ……」

 60°近い酒にふらつきつつ、久々の美鈴との時間に心が沸いていたのか、レミリアはまだ酒を求める。

 「ワインでも飲みますか?」
 「そうね」
 「じゃあ持ってきますよ」
 「いいわ、私も行く」

 二人は仲良く千鳥足でワインセラーに向かい、どうにかワインとワイングラスを運んできた。二人とも揺れつつもどうにかコルクを抜き、ワインを注ぎ終えた。

 「じゃあまた乾杯しましょ、そうね、明日パチェに漫画を認めさせる景気づけに!」
 「はい!」

 その時、どちらの手元が狂ったのだろうか。それともグラスが繊細なものだったのだろうか。絹糸をするような繊細な音と共に、二つのグラスは砕け散った。グラスの破片が光を帯びて透明に、そして美しく輝く。破片に反射した透明な光はすぐにワインの赤で染められ、赤い光を放つ。
 二人の脳内には様々な思いが奔流していた。高粱酒なら透明だから誤魔化せたのかもしれない、さっきのグラスは厚手だから割れなかったのかもしれない。酒は控えめに飲むべきだったろうか、それらはグラスとワインが地に落ちるまでの須臾の中では言語になれなかった思いかもしれない。全ては入り交じっていたのかもしれない。だが、この言葉だけは確かに言葉として、頭の中を駆け巡ったように二人には思えた。

 ――読み終えた漫画はちゃんと本棚に片付けるべきだったと。

 だが、覆水は決して盆に返ることはない。二人の目の前には砕け散ったグラスと、赤く染められた漫画だけが残されていた。





 「くるみさん、今日もレミリアさんが来るんでお願いします」
 「はい」
 「それと新人も一人来るんで教えてあげて下さいね」
 「わかりました、どんな人です?」
 「レミリアさんの家の門番で美鈴さんっていいます、二人とも厳しく指導していいですからね……私もまだあの漫画読んでなかったのに……」
  Under A Blood Red Sky~四季 (10)(コミック)
   Potiron (著)

  ★★★★★(28件のカスタマーレビュー)
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  21人中、19人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
  ★★★★★ 漫画の域を超えた名作 
  By Magus of knowledge レビューをすべて見る

  この物語はあまりにも悲しい物語だ。行き所の無い閉塞感。倒錯した形でしか表現出来ない愛。死を持ってしか手に入れることのできない愛。ページの全てが悲しみに満ちている。だが読み終わった後に心に差し込める救いは何故だろう? それが「死」とでもいうのだろうか。
  漫画だからと敬遠している方(恥ずかしくも過去の私だ)にこそ読んでいただきたい。ダダイズムを全面的に取り込んだこの構図はもはや漫画の域ではない、絵画の域に達していると言っていいだろう。そしてこの構図を持ってしか表現出来ない物語がここにはある。

  30人中、2人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
  ★★★ 描写の過激ささえ無ければ。
  By HistoryEater

テーマ表現の上手さには同意出来ないことはない。だが、少女が読む雑誌にこれを連載したことにはやはり疑問を感じざるを得ない。発表する媒体を選ぶべき、という思いからこの点数を。

  36人中、28人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
  ★★★★★ この物語を世に送り出したことを神に感謝する。
  By Tepes's descendant

  最終刊を読み終え……私にはもはや言葉が紡げなかった。
  ただ一言で言いたい。この漫画を読まずして人生を語る事なかれ。

  
  全てのカスタマーレビューを見る(28件)
Pumpkin
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コメント



0.1160簡易評価
1.無評価名前が無い程度の能力削除
台詞には字下げは必要ないですよ。

読みにくいったらありゃしない。
3.80名前が無い程度の能力削除
まさかのレミリアのカリスマ復古。
文体も癖が無くて読みやすかったです。

しかしAmaZUNのレビュアーのチートっぷりがwwww
5.100名前が無い程度の能力削除
お嬢様が最強の属性でしょうjk
8.100名前が無い程度の能力削除
gj
10.100名前が無い程度の能力削除
早苗さんwwなんて本をwww
おぜうは架空請求とか余裕で引っかかるタイプだなw
14.無評価名前が無い程度の能力削除
>★★★ 描写の過激ささえ無ければ。
>  By HistoryEater
どこのアグネスかと思ったら、上白沢さんとこのハクタクで吹いた
15.100名前が無い程度の能力削除
↑失礼、点の入れ忘れ
16.20名前が無い程度の能力削除
話のために無理を押し通してる感じです。違和感が凄い。
22.無評価名前が無い程度の能力削除
お嬢様小物だなぁ

勘弁
25.100名前が無い程度の能力削除
なんという自作自演のカリスマwww
29.80名前が無い程度の能力削除
咲夜さん過保護すぎww
30.100名前が無い程度の能力削除
紅魔館にまた無駄な支出がwww
34.無評価Pumpkin削除
返事が遅れて申し訳ありません。逐一返すわけでは無いのですが、全て読んで参考にしています。

>台詞には字下げは必要ないですよ。

色々考えてみましたが、やはり揃えると読みにくいという方がいるなら、当面字下げ無しで書いてみます。ご指摘感謝。