01.
誰にだって、秘密はある。
例えば最近森の人形遣いがやたら大きい人形を作っている事だとか。
例えば最近紅白の方の巫女が来るべき冬へ向けて脇をしまおうか本気で悩んでることだとか。
出来れば誰にも知られたくないような、そんな心のモヤモヤの一つや二つくらい、誰だってあるに違いない。
それは勿論この私、清く正しいをモットーに毎日誠実に生きているこの私、射命丸文にも当然ある。
幸い今は誰にも気づかれていないが、このまま何も対策をしないことには少なくとも彼女には分かってしまうだろう。
だからこそ、今直ぐにでも、何とかしなければならなかった。ならなかったが、世の中は無常に出来ている。今の私には、この状況はどうする事も出来なかった。
どうしたら良いものか考えて――いや。
いや、やめよう。
こんな語り口はやめよう。こんな客観的で有耶無耶な口調には何の意味もない。こんな丁寧な話し方をしていられるほど、今の私には余裕がないのだ。それほどまでに、追い詰められている。
出来ればこの秘密は墓の底まで持っていきたかったけれど、どうにもその願いは叶えられそうにない。仕方ない、真情を吐露する事で少しは気が晴れる事もあるのだから、今は少しでも本来の余裕を取り戻そう。その為に、自分の状況を整理するのだ。
じゃあ、言うぞ。きっぱりと言うぞ。心して聞けよ。
私、射命丸文は。
実はドがつく貧乏なのだ。。
02.
幻想郷に住む多くの奴は、貧乏と言ったら紅白の巫女を想像するそうだが、私に言わせればあれはまだ恵まれてる方だ。一日何食かは知らないが、自力で飯にありついているんだから羨ましい。対して私は親友の雛の好意に甘えてるわけで、まぁ、自給自足なんて言う言葉とは程遠い生活をしている訳だ。そこ、ヒモとか言うな。
新聞記者の収入で一番のパーセンテージを占めるのは、当然新聞だ。で、勿論私もその常識に漏れずせっせと新聞を書いてはいるんだけど、これがさっぱり売れやしない。同僚のスイーツ的な記事はバカ売れするくせに、様々な異変の奥底まで調べてる私の新聞が売れないとは世の中不条理すぎやしないか。挙句最近では部下の椛が「そろそろ私も文さんにあやかって、新聞を書いてみたいです」とか言い出しやがる始末。文にあやかるって、洒落のつもりか馬鹿犬め。河童と盛って溺れてろ。
とは言え愚痴を言っても銭は増えない。背に腹は変えられないとは言うけどこのままじゃ背と腹がくっついてしまうので、同僚の新聞と自分の新聞を比べて見る事にした。ばさりと我が家の数少ない家具であるちゃぶ台に二つを並べる。どっこいせと胡坐をかいて、二つの記事を見比べる。スカートが捲れるが気にしない。どうせ私一人だし。まぁきっと親友の雛がこれを見たら直す様に言うんだろうけど。
新聞の方向性の違いはひとまずおいといて、それ以外で何かパク……いや、参考に出来るところは無いかを調べてみる事にした。
「ふむ。頁数、見た目の文字数は私の方が少ないと。天気予報は同じく表紙。むしろ花占いまで載せてるんだから私の方が有利なはず……」
これはやはりあれか、さっきは「おいといて」なんて言ったけどやっぱり内容の問題か。だとしたらちょっと泣くぞ。これでも眠い目を擦ってやってるんだよ。上司に「意外に丸い字で可愛いんだな」なんてちょっかい出されてもめげずに頑張ってるんだよ。癖字で悪いか。
しかしこの花占い、女性の読者を増やすべく幽香-今は私一人なので呼び捨てだ。プライベートでまで敬語なんて使ってられん-に頼んで載せてみたはいいものの、需要と言うか目的がさっぱり分からん。これいらないんじゃないのか。ついでに言うと占いの結果がここ三ヶ月全く変わってないのはどう言う事だ。今は晩秋だぞ、目に眩しい向日葵の季節は終わったんだよ。舐めてんのか。舐めてんだろうけどさ。頭来たから今度ポストに新聞と芋虫を入れといてやる。私に弱点なんぞ見せたお前が悪い。
「しかし内容はどうであれ花と甘味、どっちも女性は好きだと思うんだけどなぁ……」
私の分まで書き手に銭を拾わせている同僚の新聞。その主だった内容は食べ物の事で、やれ人里に新しい甘味処ができた、やれ今週はこの店が特売をやる、そんな記事ばかりだった。
違うんだよ、と思う。
こんなまるで読者に媚びる様な、買って貰うために書いてる様な記事じゃあ駄目なんだよと、声を大にして言いたかった。
確かに記者として銭を稼ぐためには数を書かなきゃいけない訳で。その為には万人受けするような、あるいは誰が見ても嫌な所は一つもない、当たり障りのない八方美人的な内容を書いてりゃ良いわけなんだけど。誰だって食べる事は好きだし、安い新しい美味しいの文字が踊る記事を見ればわくわくするだろう。でも、それは何だか違うんじゃあないか。
紅霧異変や春雪異変や永夜異変が起こった時人々は恐れおののいたろう。誰もが異変に恐怖して、誰もが解決に乱舞しただろう。でも、実際に何が起きたのかを知ってる奴なんて、極少数しかいないんだ。私だって知らない事がある。人里の人々はもっと知らないだろう。
知りたいとは、思わないんだろうか。
あの時誰が何を想い、誰が何をしたのかを。
異変や事件、その名の通り、綺麗なものじゃあないけど。暴けばきっと誰かが損をするんだろうけど。
それでも真実を知りたいと想うのは、私だけなんだろうか。
当たり障りのない生き方をして、異変や事件とか、そんな嫌な事からは目を背けるなんて。
「…………なんてね」
そこまで一気に考えて、畳に寝転がる。ここ数日、記事の為にあまり寝ていないからか、そのまま寝てしまいそうだ。
まぁいかに自分を正当化しようとも、要は売れない理由を考えたくないだけだ。スイーツだかクリームだか知らんが、私は根っからの辛党だ。そんな甘ったるいもん食うくらいなら銀シャリでも頬張ってた方が百倍マシだ。それが雛の作った料理なら比べようも無い。むしろ雛が欲しい。しかし哀しいかな、雛は乙女心に足が生えたような奴なので、冗談でもそんな事言おうものなら絶交されかねない。つーかこの間宴会で酔った勢いそのままに「雛が食べたい」なんて言った時に、一週間は口をきいてもらえなかった。雛の手料理が私の明日への活路だと言うのに、一週間も会えなかったせいで死ぬかと思ったよ、あの時は。
いや、まぁ、それじゃあ雛よりも食料の方が大事に聞こえるか。そんな事はないけどね。雛さえいればいいんだけどね。
だから実際、あの一週間は飢えもそうだが寂しさで辛かった。実は私、友達少ないし。なんか、嫌われてるみたいだし。雛の手料理以外では貴重な食事の場となってる宴会では、私から動く事はあっても、私の方に来てくれる奴なんか片手で数えられるくらいだ。特にあの小さい方の鬼なんか、自分から寄って来るくせに「どっちかって言うとお前は嫌いだ」なんて言いやがる。お前はあれか、わざわざ私の心を折りに来たのか。誰かの使者か。心を折られた代わりにその角をへし折ってやろうかと思ったが、仮にも天狗の上司である鬼に弾幕勝負以外では手を出せない。くそ、調子に乗りやがって。
そんな訳で、雛の手料理か宴会でのつまみ位しか食事の選択肢が無く、今日は宴会が無い以上、必然的に今から雛の家に行く事になる。まさかこのボロ小屋と勘違いされそうな私の家に雛を呼ぶわけには行かないので、私が行く事にしよう。確か今日は夜から大雨が降るそうだけど、その前に帰れば良い。さっきは乙女心に足が生えたとは言ったが、加えて言うならば雛は純情に手が生えたような奴で、食事は一緒にするけど泊まらせてもらった事は一度もない。誰に入れられたのか随分な箱入り娘になりやがって。まぁそう言う生娘を私色に染め上げるっていうのも中々どうして良いんじゃねぇか、とも思う自分がいるわけだけども。
よいせ、と新聞そのままに立ち上がる。にとりにタダで貰った時計が間違っていなければそろそろ雛が夕食をつくり始める時間帯だ。
単純に玄関の扉をぴしゃりと閉めるだけと言うのも切ないが、とられて困るものが全くないんだから仕方ない。とにかく今は愛しの雛に会いに行くのが最優先事項だ。ついでに夕食。
「待ってなさいよ雛。今会いに行ってあげるから!」
今日も楽しく夕食を、だなんて。こんな時は想っていた。
間違って、想ってしまった。
03.
「御馳走さまでした」
「お粗末さまでした」
雛の手料理は今日も素晴らしい出来で、当然私だって今日も完食してみせた。残すと雛に悪いが、あんまりがっつくのもみっともない。その辺りの加減が難しいったらありゃしない。ついでに言うと、褒めすぎるのも雛の場合は逆効果になるから要注意だ。ちょっとの言葉ですぐ赤くなる雛に、一から十まで語ろうものなら、夏の氷精みたいに溶けてなくなるんじゃないかなんて思う。
かちゃかちゃと洗い物の音がする。以前手伝おうかと申し出たんだけどやんわりと断られた。ふにゃふにゃとしてて優しいくせに、一度こう言ったらなかなか自分の意見を変えてくれやしない。下手に口喧嘩なんてしたくないので、「ありがとう」とだけ言って、以来一度も手伝った事はない。
とは言え、季節はもう冬だ。あの時は夏だったから気にしなかったけど、今は水が冷たい時期でもある。しかも今日は一日中陽が出る事はなく、ついに予報通り大粒の雨が降りしきっていた。多少強引でも、ここは手伝って上げるべきじゃないか。それに、もしそうなれば私と雛が並んで台所に立つってことになって、それはつまりいずれ訪れる(つもり)の新婚生活の予行演習とかになったりしちゃったりして。やっべ、よだれ出てきた。
思い立ったら吉日。素早く私は立ち上がり、背後の雛に提案を――
「雛……」
「え、何?」
終わってた。気が付けば雛の手には皿が一枚。、てん、と茶色い丸いものが二つ載っている。それは確か、あの同僚の憎たらしい新聞に取り上げられていた「しゅーくりーむ」とか言う奴だ。
「そうですか。雛もついに私を捨てて他の新聞に乗り換えたんですね……ああ、良いんです。所詮この世は弱肉強食、強きを助け弱きをくじく理です。私なんぞの売れない新聞より、余所の甘くて幸せな新聞の方が読んでて楽しいでしょう」
「ち、違うわ。これは自分で作ったの! 文は甘い物が好きじゃないから甘さを抑えたの! その分洋酒を混ぜたりして文が食べてくれる様にしたのよ。文以外の新聞なんて読むわけないじゃない……だって……」
これは誘ってるんだよね?
「とにかく、そう言うわけだから! こっちが文の分、私はお酒苦手だからちゃんと食べてね!」
真っ赤な顔を下に向け、ずずいと皿を渡される。なんていうか、もう死んでも良いや。この可愛さは正直異変レベルじゃなかろうか。なんてこった、だとしたらこの異変を感知しているのは私だけで、当然解決できるのも私だけじゃないか。受け取ったシュークリームとやら、どうやら私好みに酒が入っているらしい。ならばこれを雛に食べさせるというのはどうだろうか。きっと下戸の雛の事だ、すぐに酔っ払うに違いない。普段と違う雛とは果たしてどんな難易度なのかは知らないが、こちとら雛専門の異変担当者、例えルナティックでも余裕で解決してみせる。当然解決報酬は唇と唇での熱いベーゼ。
「素晴らしい……」
「食べてないのに分かるの?」
シット、独り言が勝手に口から出ていたか。適当に誤魔化し、二つある内の片方にかぶりつく。瞬間、口の中に上品な甘味が広がる。雛の言う通り甘味はかなり控え目で嫌味にならない。そして一拍遅れて鼻腔を独特の香りが抜けてゆく。普段は日本酒ばかり呑んでいる私にもはっきりと分かるほどいい洋酒で、味をちっとも邪魔していない。却って、二口目、三口目へと向かいたくなるくらいだ。
なるほど、確かに。
こんな新聞なら、読んでみたいのかもしれない。
誰もが損をしない、甘ったるいシュークリームの様な記事なら。
(ああ、そう言えば)
そんな事を考えて、ふと思いつく。そろそろ、流し雛の相談時期か。
「美味しいですよ」
「ふふ、ありがと」
雛も美味しいんでしょうね、とは言わないでおく。変に話をこじらせても意味が無いし。
「そろそろ流し雛の相談時期ですよね。今年はどんな着物を着るんですか?」
流し雛、とはいわゆる儀式だ。災厄を払う為に人形(ヒトガタ)を身代として、川に流す行事で、厄神として生きている雛にとっては切っても切れない祀りだと聞いた事がある。実際に行うのは毎年春で、今から約三ヶ月くらいあるけど、準備や計画はもうこの時期に始まっている。
最も、儀式としての厳かな雰囲気は前半だけで、後半になれば幻想郷をあげての祭りや宴会になるわけだけど。だから来年の流し雛は一緒に屋台でも回ろうかな、なんて考えてる。いわばデートだ。本人に言おうものなら赤くなるだけじゃなくきっと本番にやる舞の型まで忘れそうだから、終わってからぶっつけで言うしかないけど。
儀式の最中、雛は毎年違う着物を着ていて、それが非常に可愛い。惜しむらくはその雛を見ている人が少ない事か。まるで前半の厳かな雰囲気がないがしろにされているみたいで、雛が折角真面目にやってるのにこいつらと来たら、と思ったくらいだ。
だから来年はちゃんとやらなけりゃならない。
甘くて緩い上辺だけの平和だけじゃなくて、
異変や流し雛のような、失くしちゃいけないものだってあるんだ。
――でも。
私の言葉に、雛は一瞬だけ、表情をなくしていた。そして慌てて、いつものやんわりとした微笑を浮かべようとしていた。
それは、私の記憶が間違ってなければ。
確か、困った時に浮かべる顔のはず。
どうしてそんな悲しそうな顔をするんだろう。
ぽかんと私が馬鹿みたいな顔をしてると、雛が言った。
「……来年はね、流し雛、やらないの」
「え……」
「来年だけじゃなくて……もう流し雛は、おしまい。もう、いいの」
まるで自分に言い聞かせてるみたいに。
一文字一文字自分に刻んでるみたいに。
食べようとしていた二つめのシュークリームを皿に置き直す。そして雛を見つめる。そんな私の視線に気付いたのか、数秒見つめ合う。
根負けしたのは、雛の方だった。偶然眼が合った時、いつも最初に目を逸らすのは雛の方だったな、なんて場違いな事を一瞬だけ考えて、すぐに打ち消した。今はそんな事はどうでもいい。もっと大事な事を、言われた気がする。
「雛の言ってる事が良くわかりません。おしまい、とは?」
「言葉通りの意味よ。流し雛は来年も、再来年も、その先も、もう二度とやらないの」
「何故です?」
「……」
幾許かの躊躇いの後、雛が答える。
「流し雛をやる理由、知ってる?」
「……ええ。息災や災厄予防ですよね」
「ええ、そう。それらの対象は主に小さい子供なの。無論大人だって息災や災厄は予防するべきだけど、大人になればそれらを『そう言う物』として、受け入れられる。凶作や自然災害や異変。それらを全てひっくるめてこの幻想郷で生きてゆけるのよ。
でも、子供は違うわ。子供には自身を守る術がない。凶作や自然災害や異変を、『そう言う物』だなんて割り切っていけないの。
だから、誰かが守ってあげなければならないのよ。それはその子達の親もだし、人里と言う単位でも良い。そんな起こってほしくない事を身代に、流し雛は川を流れるの。
その、守るべき子供が最近減っているのは知ってる? 去年の流し雛を覚えてる? 子供より大人の方が多かったわ。ましてや、私の舞や祝詞を聞いてた者なんて極僅かだった。
その時に思ったの。ああ、もう私は必要とされていないんだなって――」
ぽたりと。
テーブルに雫が落ちた。
笑おうとして上手く笑えなくて、どうしていいのか分からない。そんな、顔。
「良いじゃない。厄神の私の仕事は、人間の厄を集める事よ。厄がなくなって皆幸せになれるなら、それで良いじゃない。その為の厄神よ。その為の私なの」
もうぽろぽろと流れる涙を拭おうともせずに、雛が笑った。上手に、笑った。
私は、笑えなかった。
一回だけ目元に手をやって、そうして立ち上がる。いつも通りなら、このまま雛は風呂を沸かしに行く。そしてそれは私が自分の家に帰る合図にもなっていた。けれど今帰る訳には行かない。今帰ったら、このまま雛がいなくなりそうな気がした。だから、
「じゃあ私はお風呂を沸かしにいくから」
「雛」
「嵐だけど、ちゃんと帰れる? お泊りとか、そういうのは恥ずかしいからあんまり……」
「雛」
「戻ってくるまでに、そのシュークリームも食べちゃってね。お皿、洗いたいから」
「雛!」
強くテーブルを叩く。びくんと雛が反応するけど、後ろ向きなので表情は分からない。一つ言える事は、私の言葉に立ち止まってくれた雛を止めなきゃいけない。力ずくでも、何でも。
けど、どうだ。新聞記者のくせに、咄嗟に掛ける言葉が、思いつかなかった。何だろう、何を言えば良いんだろうか。こんなだから私の新聞は売れないんだろうな、だなんて関係ない事ばかりが頭をよぎる。
「……それじゃあね」
雛が再び動き始める。どうしよう、何を言う?
分からない。分からなかったから、行動した。
幻想郷最速のこの足で、雛の元へと駆け寄った。そしてそのまま――抱き寄せた。雛の前で手を結び、逃げられないようにする。私より少し背が低い雛の頭のてっぺんが、私の鼻辺りに。シュークリームの様な甘ったるい、けどずっと嗅いでいたい良い匂い。頭がくらくらとしてしまう前に、言いたい事をぶちまける。
「嫌ですよ、私は雛が居なくなったら嫌です。幻想郷の多くの者がそれで幸せになれても、私が幸せになれません。『そう言う物』だなんて、割り切れませんよ」
手に、熱いものが触れた。それは今もなお雛の瞳から零れ続けている。
それをどうしても止めたくって、泣いてほしくなくって、もっと強く抱き締める。でもそんな私の思いとは裏腹に、私の手に落ちる熱いものはより熱くなって、気付けば雛が嗚咽をあげながら私の手を握っていた。
上手く喋れなくて、
上手に話せなくて、
好きな人が泣いていて、
その涙を止めたかった。
「……嫌」
「え?」
「中止だなんて、嫌……」
そのままかくんと、雛の膝が折れる。つられて私も一緒に床へ。座った状態で、私の手を握りながら雛が泣きじゃくる。くらくらと、私の思考は鈍っていく。
どうしてこんな事になっているんだ。なんで雛が泣いているんだ。違う、理由は分かってる。流し雛を中止にしなきゃいけないなんて思ったからだ。じゃあなんでそうなった。人が少ないからか? 誰も雛を見てないからか? 人が増やしたけりゃお前が何とかしろよ。新聞記者だろ。記事にして配れば良いじゃないか。やったとも。でも私の新聞は売れないんだ。誰も見向きもしてくれないんだ。
彼女の舞も、
私の新聞も、
誰だってないがしろにして、見向きもしないんだ。
厄がなければ幸せになれるだなんて、ありえない。
大人になればだなんて、そんなの体の良い冗談だ。
厄のない人間なんていやしない。身から心まで綺麗な奴なんていやしない。誰だって心の中はシュークリームの様にドロドロで、そのくせ表面だけは穏やかでいようとしやがるんだ。だからこそ、雛が必要なんじゃないか。必要な時だけ求めておいて、いらなくなったら見向きもしないなんて、いつからそんなに神様は安くなったんだ。
けど、きっと。雛もそんな事は分かってるんだろう。自分が必要とされてないだなんて、そんな事はないって。
流し雛に参加した人が少なくなっていって、
私の新聞を読んだ人が少なくなっていって、
いつかそれが零になった時が辛いんだ。辛くなって、自分の無力が悔しくなって、どうしようもなくなって、哀しくなるんだ。
誰が悪いんじゃなくて、自分が悪いなんて思いたくないから。
そうして、やり場のない感情がくるくると心を駆け巡るんだ。
「……文」
「何ですか?」
「ごめんね。私、来年も流し雛をやりたい。それと……」
くるりと私の中で振り返った雛の顔は、それはもう可愛くて可愛くて。
だから、「ス」の一文字しかきいてないのに、思わず私はその唇を唇で塞いでいた。
04.
「どうしてこうなった……」
「なぁに?」
「いえ、何でもありません」
「あぁん、敬語なんてやめて。文、私の事嫌い?」
「あやや、いや、いやいや。そんな訳では」
「だったら、良いでしょ?」
私の「上」で、雛が妖艶に微笑む。本人はいつもと同じつもりなんだろう。正直言って怖い。とは言え雛に馬乗りされている以上、退路はどこにもない。くそ、もっと嵐が強くなってこの家を壊せば良いのに。
つい反射的に雛にキスをしてしまったあの後、お互い抱き合っていた状態だったわけで、当然雛はかつて無い程に赤くなってしまった。そして下を向くどころか私の胸に顔をうずめる始末で、何だか段々私の方も恥ずかしくなって、咄嗟に近くにあったシュークリームをちぎって雛に食べさせてしまったのが全ての発端だった。
雛は確かに下戸だけど、まさか洋酒で酔うなんて。
しかも悪酔いするタイプだったなんて。
気が付いたら雛が残り四分の三ほどのシュークリームを持っていた。ついでに凄い笑顔だった。
そしてまたちぎったかと思うと、おもむろにそれを咥えて、私に食べさせようとしやがる。なんてこった、箱入り娘かと思って蓋を開けたらとんだファンタズムだった! しかも雛が私に近づく度に胸が当たりやがる。ちくしょう、着やせとかそういう次元じゃねぇ。なんでこの体勢で更に敗北感を覚えにゃならん。やっぱり世の中は理不尽だ。
そんな私に気づかないのか、シュークリームの欠片を加えたまま私に顔を近づける。鼻と鼻が擦れ合うほどの距離。雛の濡れたまつ毛が良く見え、吸い込まれそうだ。
そんな甘ったるい地獄を二回潜り抜け、残りは後一口。哀しいかな身体はコツを覚えている。要領の良い所は私の取り柄だが、今はそんな補正は要らん。
「これが最後。食べて?」
「ええ、ああいや、うん」
幾分か慣れた甘味が口の中に広がって、さぁさっさと噛み砕こうかと思ったんだけど。
「んぶっ!?」
シュークリーム以外の柔らかい物がそれを邪魔して、なんだと思ったら、雛の舌だった。そのまま為すがままに弄られて、糸を引きながら、雛の唇が離れる。
「なっ、なん、ええ!?」
声にならない声を出して、そこで気付く。口の中に、何もない。少しだけ甘いあのシュークリームの食感がない。
まさか、と思って雛を見る。少しだけ口を動かして、やがてこくんと何かを飲んだ。いや、何かっていうか、この状況でお互いが口にしてるものなんて一つしかないわけで。その一つはさっきまで私の口の中にあったはずで、つまり、ええと。
「舌、噛まれちゃったわ。乱暴ね」
うっとりと、にっこりと。雛が目を細める。
ああ、確かにこれは――厄い。
厄すぎて、逃れられない。
だから、思いっきり抱き締めた。そのまま時が止まって良いくらいに。
くらくらと甘い匂いに包まれて、
トロトロに甘い口付を交わして、
そうして夜が更けてゆく。
外ではまだ嵐が続いている。
けれど、今日は、帰らない。
にやにやしっぱなしでした。
素晴らしい文章力です。
それと、文の考えに共感出来る部分が。
最初の新聞のくだりなんか特に。
以下誤字と思われる部分。
>>そしてまたちぎったかと思うと、おもむろにそれを加えて、私に食べさせようとしやがる。
もう一つ。
--の部分は-(ハイフン)ではなく―(ダッシュ)を使います。
――こんな風に。
射命丸の語り口調が貧乏っぽさをうまく表現しているなぁ、と思いました。
とりあえずこの内容にはまだ突っ込むところがありそうなので、ぜひ続編を。
脱字報告
>声を大にして言いかった。
雛かわえぇ
貧乏だったり友達少なかったり雛とくっついたりで、今まで見た事が無かった文が新鮮でした。
文と雛の雰囲気や会話など、面白かったです。
半端ない甘さ!!!だがそれが良い!!!
しかし雛様は
文を養う余裕がある→お賽銭がある→信仰がある
な気がする…
あぁ畜生、甘いじゃねえか!文雛もいいじゃねえか!100点だこの野郎!
違ってたら申し訳ありませんが、作者殿は秋山スキーなのでは?
これが率直な感想です
実の所この話で完結のつもりで、次はパルスィアリス恋話を書こうと思っていましたが、数多くの反響に喜びを感じました。その為、次回も文と雛の話を書こうかと思います。
>19様
決して余裕と言うわけでは在りませんが、相手が文だからです。その辺りの苦労を見せないのが雛の愛らしい所。
>23様
申し訳在りませんが、その方を存じ上げません。偶々でしょう。
>25様
貴重な批判有難うございます。確かに描写と考察が雑すぎました。次回は納得していただけるような話を書きたいと思います。
天道語録とはまた懐かしいネタをww
第二弾を裸で正座したまま待つことにします。寒いよ。けど心はホットだ
文雛第二弾にも期待ッッッ!!!
なってるんじゃなくて厄を払いに来る子供が少なくなってるって
解釈したんだけど、違うのかな?
大人も少なくなってると書かれてたからそう自然に読み取れたんだけど。
とあれ、面白い組み合わせでした。
雛かわいいよ雛
雛可愛いなぁもうっ!
今後の作品も期待してます!
シュークリームなんかよりよっぽど甘いぜ!
兵器ですね、うん。この甘さは兵器だ。
早いとこ二人っきりになれる場所を作って隔離してあげて下さい。
ごちそうさまでした。