あ、ありのまま、いま起こったことを話すぜ!
『あのクールビューティなアリスが幼子のような無垢な笑顔でシャンハーイと私に抱きついてきた』
な、何を言っているのかわからねーと思うが、私も何をされたのかわからなかった。
頭がどうにかなりそうだった。
素直クールとかツンデレとか、そんなチャチなものじゃ断じてねぇ。
もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ。
抱きついてきた身体をゆっくりと引き離すと、アリスは、うにゅるんとした表情で私を見返してきている。
子犬かなにかが物欲しそうな表情でおねだりしているような感じの顔だ。
普段のアリスとは真逆を通り越して、超時空へと旅立っている。仮にアリスのことが嫌いなやつでも一瞬で大好きにさせちゃう程度の天使の笑顔。元から好きなやつは死んじゃうぜ。なんつう破壊力なんだろう。私は死んだ。
私心を排して言えば、一息にアリスの細身の身体を抱きしめてしまい、そのままお姫様抱っこしつつベッドまでお持ち帰りしたくなるほどの威力だったといえる。もちろん単なる比喩表現だ。他意はないぜ。
ひとつ大きな息を吐いた。気が落ち着くと言われている呼吸法を試してみる。
ヒィヒィフゥ。
ヒィヒィフゥ。
落ち着いたか? 落ち着き始めたか? ああ、なんか生まれそう。
というか、冷静になれ、冷静になるんだ私。
私――、霧雨魔理沙はいちおうカテゴリー人間に属することを自負している根っからの人間さまである。人間からしてみれば妖怪は不平等のかたまりだから、たとえば目の前にいるアリスが冬の寒さのなか、たいして厚着をしていなくても涼しい顔をしているのは、そう驚くことではない。
折からの雨で、アリスの服が濡れ濡れで透け透けだとしても、そこまで驚くべきことではない。
けれど、なんというか。
これはもう一種の天変地異だ。私にとっては最近の異変なんかよりもずっと異常な事態だ。
あのアリスが無防備に私の胸に飛び込んでくるとは――。
いやはや、なんか照れるぜ。
ただ、妙な感じだった。いまのアリスはアリスっぽくない。
その碧眼の瞳はいつもの知性を宿してはおらず、まるで五歳児のような好奇心の光を放っている。
それだけじゃない。部屋のなかをきょろきょろと見渡していて、子兎のようにジャンプしている。
信じられるか?
あのアリスが――大事なことなので二度言う――あのアリスが、ぴょんぴょんと跳ねているんだぜ。
ちくしょう。かわいいぜ。
そしてもう一つの異常。
それは――――
上海だった。
正確には上海人形。アリスのお気に入りの人形のひとつで、よくお供をさせている。半自律人形でほぼコントロールなしでも動くらしいが、アリスからの魔力の供与がなければ活動を停止してしまうから、独立しているわけではない。
そんな生命と無機物の中間生命体。
上海の性格をひとことであらわすとどういうふうに言えるだろうか。
もちろん、上海を動かしているのはアリスだから、ただのキャラクターづけに過ぎないわけだが、アリスは人形たちの差異をできるだけ際立たせるためか、そいつらの性格分類に余念がない。
上海は明るい主人公タイプといったところか。好戦的なわけではないが、アリスの人形のなかでは戦闘能力が高く、しかも可愛いところがアリスのお気に入りなところかもしれないな。
ここでポイントなのは、かわいいってところだ。
かわいさにも千差万別いろいろあるのは当然のことだが、かわいいって言われてだいたい思い浮かぶのは子どもっぽいってところだろうと思う。人形のサイズは小さいから、小動物的な、まさにお人形さん的なかわいさがあるということなのだ。
そのかわいい上海が腕を組んでいた。
そして、その表情にはいつもの純真さはまったくない。
アリスがよくやっている、余裕ぶって、無機質で、それでいてどこか少女っぽい危うさも残した表情だった。
「つまり、上海とアリスが入れ替わっているってことでいいのか?」
私はそう結論づける。
「マリサ。テンサイジャネーノ?」
と、アリスの顔をした上海が、アリスの声で言った。なぜかカタコトなのはうまく身体を使えていないせいか。
しかし、こんなにアリスの顔を近くで拝めるとは珍事を通り越しているな。
いつものアリスはどことなく距離感があるんだが、その壁をあっさりと子どもっぽい虚栄の無さが取り払っている。顔は近い。
ものすごく近い。
あとちょっとでほっぺたにキスされそうなぐらい近い。
正直、その顔でこられるとこっちが興奮する。いや、べつに変な意味じゃない。もしかするとアリスが私をドッキリかなんかでひっかけようとしていることも考えられた。仮にそうだとすると、この純真無垢な天然培養アリスは完全な演技のたまものということになる。人形劇が得意なアリスにとっては自分を人形っぽくコントロールすることもやろうと思えばできるだろう。普段のクールな振る舞いも実は大部分演技であることを私は知っている。なぜなら、魔界でのあいつはけっこうな泣き虫だったから。そういった次第で、アリスの顔が近くにあると身構えてしまうのだった。断じて、ドキドキしているわけじゃない。そんなんじゃないからな。くそ、ドキドキ止まれ。
「ドキドキ、トマルト、シヌンジャネーノ?」
「うるさい。独り言にいちいちつっこむなよ上海」
「シャンハーイ?」
小首を傾げる上海。
アリスの肉体でやられると、私の精神がピチュりそうになるのがわかった。
こいつはヤベェ。はやいところなんとかしないと私の身がもたない。
「さて、そろそろ説明いいかしら」と、今度は上海なアリス。
「ああ、かまわないぜ……」
アリスはいつもの調子を崩さない。
たとえ自分が人形の身になってもこいつはマイペースなままだ。
「まずよく見破ったと褒めておくわ。いちおうは職業魔法使いだけのことはあるわね。魔理沙」
上海の甘ったるい声で言うな。
正直、違和感バリバリだ。
小さな上海がちょっとでも優位に立とうと、私より少し目線をあげたところで浮揚していた。
人形っぽい抑揚のない声ではなくて、きちんとした発音だ。
がんばれば上海もこれくらいはできるようになるのか、興味は尽きないところだ。
「ああ。そうだ。忘れていたわ。説明の前に、私の身体を拭いてくれないかしら」
「マリサ、フイテー」
「は、なに言ってんだぜ?」
「濡れたままだと風邪ひいちゃうでしょう」
そんな、さも当然のように言うなよ。上海のほうもアリスの顔で期待感キラキラな笑顔を見せるな。なんて恐ろしい二面攻撃なんだ。
とりあえずここで取り乱したら私の負けだ。
こう見えても数多の異変を解決してきた魔理沙さまだぜ。
弁舌もパワーだ。
「おまえ妖怪だろ。身体拭く必要ないだろ」
「妖怪だってなまものだもの。風邪ぐらい引くわよ。それに部屋が濡れちゃってもいいの?」
はい負けました。
口論でこいつに勝とうとした私が馬鹿だった。
「どっちの身体を拭けばいいんだよ」
「私の身体」
アリスはアリスの身体を指差している。
「上海に自分で拭かせればいいじゃないか」
アリスは静かに瞳を閉じた。
「上海やってみなさい」
「シャンハーイ」
掛け声はいつものまま、アリスの身体をした上海が服を脱ぎ始める。
そのまま五分ほど経過。
なんていったらいいのかな。私にはうまく表現しづらいんだが、例えてみれば、幼稚園児が服をうまく脱げなくて、首のところで止まってジタバタとしているシーンが展開されていた。
当然のことながら下着がまる見え状態。いわゆる膝下ぐらいの長さのロングキャミソールというやつ。色はアリスに似合う純白。胸元には薄桃色のリボンがあしらってあって多段フリルつき。ちょっと少女趣味っぽいところはあいかわらずだ。しかし、よく似合っている。お人形さんみたいだ。
上海なアリスのほうへと視線をやってみると、まったく表情に揺らぎがなかった。まるで他人事のような感じ。
こいつは恥ずかしくないんだろうか。
外見上は無関係のシールドで覆われているように見えても、結構世話好きなところがあるのがアリスだ。
うーん、謎だ。人形の表情のパターンが少ないせいか?
「パンツじゃないから恥ずかしくないもん」
隣から何か小さな声が聞こえてきたような気がしたんだが、あまりにも小さくてわからなかった。
上海の声量は人並み程度ではあるんだが、やはり人間とは大きさが違うから、聞き取りづらいこともある。
「なんか言ったか」
「いいえ、それよりもほら、上海はひとりで着替えることはできないの。結構な精密動作なわけよ」
んー、見てみると確かに上海のジタバタ格闘はけっこう長い間続いている。
「ヌゲナーイ」
「しかたないな」
アリスの顔をしているが中身はあの上海人形だ。
客観的に見ると、今の私は何をしているように見えるだろうか。ああ、想像してみるとぞっとするぜ。あのアリスの服を無理やりひん剥いてご無体なことをしている気分だ。
「マリサ、イタイイタイ、ヤサシクシテー」
「変なこと言うな」
首のところがスポンと抜けると、あとは楽だった。さすがに下着まで脱がせるのはどうかと思ったんで、暖炉に薪をくべて下着ごと乾燥させる。
部屋のなかからかろうじて綺麗だと思われる手ぬぐいを持ってくると、背中のあたりを拭いてやった。
くそ、こんなところにも罠が!?
アリスの着ているキャミソールは、背中ががら空きだった。
真っ白い肌が三角州のように開けていた。
私が殺し屋か変態だったら、『背中ががら空きだぜ』とニヒルに言いつつ、アリスの水もしたたる肌をむさぼりつくしていたことだろう。
だが私はそのいずれでもなかった。
私の強壮な精神力が、無心の境地へと至らしめていた。
「マリサ、サッキカラ、ナムサンー?」
「ああ、寺のやつらにちょっと教えてもらったお経だぜ。精神が平衡になるんだぜ」
「ナムシャンハーイ」
「上海はおりこうさんだな」
「シャンハイ、オリコー」
「なあ、アリス」
私は暖炉のそばで、同じく火にあたっていたアリスを呼んだ。
「なに?」
「上海人形だけど、普通に自律してないか?」
「あなたがそう思うんなら、そうなんでしょう。あなたの中ではね」
「私に何か怨みでもあるのか。新手の精神攻撃か」
「私と上海の関係はなにも変わってないわよ。ただ、私の人格と呼ばれるもの、つまりは事象に対する反応のパターンを上海に移し、逆に上海の反応パターンを私の肉体に移した、ただそれだけのことよ」
「それでなんで私のところに来る必要があるんだ。なんかミスったのか」
「……う」
「ミスったんだな」
「冷静に考えると、心というのは相対的な情報であるからコピーも同期も移動も可能なのだけれど、魔力と呼ばれるものはわりと肉体にも依存しているものなのよね。血の成せる業という側面もあるわけでしょう?」
「魂の力という考え方もあるぜ」
「そういう考え方もあるけれど、例えばそうだとしても、魂と肉体にズレがあったらあまり魔力を発揮できないという考え方はどうかしら」
「どうかしらって……、理論があやふやなまま実験したのかよ」
「ちょ、ちょっとした手違いよ」
とても貴重な上海人形が慌てるシーンだった。
ていうか、中身はアリスだけど。
「それで、どうしたら元に戻るわけだ?」
「要するに、今のこの上海ボディだと魔力が足りずに、換身の魔法を使えないわけよ。だから、魔力の補充を外部からしてもらえれば、たぶん元に戻るような、キガスルー?」
「なんで上海の声真似するんだよ……」
「シャンハーイ……」
いくらちゃんみたいに、シャンハイ言語だけですべての感情を表そうとするな。無理がありすぎる。
「まあ、とりあえず事情はわかったぜ。その魔力の補充とやらを私がおこなえばいいわけだな。どうするんだ」
「その……、き、キスを」
「な、なんでキスなんだよっ! このエロアリス」
「キスで補給するのが一番簡単で確実なのよ!」
「いちおう聞いておくが、どっちにすればいいんだ?」
私は上海とアリスの顔を交互に見比べる。
アリスの顔をした上海は、あいかわらず何も考えていない。恐怖や不安と無縁なのが人形の幼い心の証。
他方、上海なアリスのほうはというと、顎に手をあてて考えている。
「魔理沙がしたいほうでいいわよ。外部から魔力を補給することさえできれば、あとは同調させてエネルギーは補えるわ」
「いやその理屈はおかしい」
というか、それができるんだったら、そもそもアリスの肉体に残っている魔力を使えばいいような気がする。
アリスは頭を軽く振った。
「そうしろと囁くのよ私のゴーストが」
もうむちゃくちゃだな。
アリスがそう言うんならそうなんだろうと言ってやろうか。さっきのお返しに。
「マリサ、キススルー?」
「アリスの顔で迫ってくるな。脅威を感じる」
それにしてもなんという恐ろしい二者択一なんだ。
この場合、言うまでもないことだがどちらも選択しないという選択肢は存在しない。いや、正確には存在するんだろうが、アリスがこのままだと私としても寝覚めが悪いというか、相互に助け合うことができる絶妙な位置に居所を構えた意味がなくなってしまう。アリスには結構借りがあるし、ここらで一発返済しておきたい。死ぬまで借りておくというのも一つの手ではあるが、たまには返すというのも大きな借金をするためのテクニックのひとつだ。
では、アリスと上海。
どちらにキスすべきなんだ?
想像しよう。これはアリスのトラップなのかもしれないのだ。
[ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……]
もしも私が上海とキスするのを選んだ場合。わかりやすく言えば、アリスのからだとキスした場合。
アリスは泣く。いや、泣くというのは言いすぎかもしれんが、もしかすると、『私の肉体だけが目的だったのね』といったような類のいちゃもんをつけてくるかもしれない。
中身が上海とはいえ、確かにアリスのぷりぷりとした唇は非常に魅力ではある。
口紅とか何も塗ってないのに、ピンク色をした血色のいい唇は、形がよくて、身がよく引き締まっているような。
ごくりと生唾を飲み込んでしまった。
いやはや……、これはけっこう役得なんじゃないか?
盗賊家業を生業として生きている身としては、奪っておけるときに奪っておくというのは行動原理といえる。
しかし。
しかしだ。
中身は何度も言うが、上海である。
あの機械っぽい、確かにかわいいが、人形に過ぎない上海なのだ。
人形遊びはずいぶん前に卒業したはずだぜ魔理沙。
そういう心境で考えてみると、どうにもイケナイことをしているような気分にもなってきて、私の心はさらなる混乱を呼びこんでしまう。
では、逆にアリスにキスをするというのはどうだろう。
つまり肉体的には上海人形のほうに。
これはこれで問題だと思われる。
もしかするとアリスは『私のからだってそんなに魅力ないかしら』などと言ってきかねん。
そのとき私はどういう言葉を返せばいいのか、想像の埒外だ。アリスが拗ねたら一ヶ月は口を聞いてもらえない。妖怪にとっての一ヶ月はさほど長い時間でもないのかもしれないが、人間の、さらには少女の時間は、黄金と等価の価値がある。
「どうしたの魔理沙。何を悩んでるの。どっちでもいいって言ってるでしょ。もしかして魔力を提供するのがそんなにいやなの?」
「いやそんなことないぜ」
「そんなことあるわね。だってあなたって吝嗇の人だもの。泥棒なのもその表れでしょう」
「それは私を見誤ってるな。いつも借りてるのは信頼関係の現われだぜ。言ってみれば愛情表現だ」
「ふうん。そう。まあいいけどね。私のほうの被害はそんなにたいしたことじゃないし。それよりも今このとき助けてほしいものだわ」
「助けないって言ってないだろ。それよりもいろいろと問題があるんだよ」
「どんな?」
「ほら、いろいろとあるだろう。少女の唇の価値は……」
「なによ。やっぱり惜しんでるんじゃない。キス程度」
「キス程度ってなんだ」
アリスはどうも誤解をしている。
これでは私のほうがキスをすることを出し惜しんでるようじゃないか。
そうじゃなくて、アリスのほうはそれでいいのかと聞きたかった。
アリスはアリスの、なんといえばいいか、肉体的な部分じゃなくて、魂的なあるいは心とか呼ばれているものに対してキスして欲しいと感じてるわけじゃないんだろうか。そりゃあキスなんてものは好きどうしがやったほうがよくて、しかも肉体的にも好きあってるほうがしたほうがいいに決まっている。上海のことは嫌いじゃないが、アリスのからだじゃない状態で、アリスの心にキスしてもそれは本当の意味で、ベストなキスショットだと言えるのか。
そんな悩みがあるんだが、アリスはぜんぜんまったく気にしてる様子がなかった。
悩んでる私だけが馬鹿みたいだ。
「キスぐらいで悩んでる魔理沙って馬鹿みたい。そんなに悩んでるならほら、上海のこの身体にしたらどう? 人形とキスしたってたいしたことないでしょう。あなたが子どものころにはさんざお人形さん遊びぐらいしてたでしょうから」
「魔理沙さまはそんな、人形遊びなんか……、してないぜ」
「うそおっしゃい」
「うそじゃないぜ!」
お人形遊びはすぐに卒業したんだぜ。本当だぜ。
「魔理沙がそう言うんならそういうことにしておいてあげてもいいけどね」
「私は、その……、アリスのほうはそれでいいのかって思っただけだよ」
上海のかたちをしたアリスは少しだけ驚いているようだった。
「べ、別にいいんじゃないかしらね。キスぐらい」
「私が言いたいのはだ。えーと、うまくいえないけど、もしも、アリスが中年のおじさんの格好してたら、やっぱりキスするのはいやだなぁと思っちゃうっていうかそんな感じなんだ。上海もかわいいし、おまえもかわいいからいいんだけどな。今回は」
「カワイイ……?」
「ん」
私は頷く。まあ成り行きというか話の流れ的にそうするのが正しいだろうし、一応本心なので今回は問題なしだ。
ぷしゅ?
そんな音が上海なアリスから聞こえた。
関節という関節から白い蒸気のようなものがでて、フラフラとした飛行でソファのほうへと落ちていった。私は慌ててアリスのほうへと駆け寄った。
「おい、どうしたんだ。なにか不具合でも出たのか」
フルフルとアリスは首を横に振った。
何も問題ない。だとすれば今の蒸気はいったいなんなのだろう。謎だ。
「ともかく。上海はかわいいから今回見逃されがちだが、私が上海のからだにキスするのは若干問題があるんじゃないか。そうだ! よく考えれば、上海の気持ちを無視してる」
「ベツニイインジャネーノ」
「答えるのはえーよ!」
いや、混乱するな私。
冷静に考えろ。まだ慌てるような時間じゃない。
「よく考えろよ上海。おまえはまだ心が幼いからそういうふうに即断できるんだ」
「カンガエルコトナイゼ」
アリスの声でそんなかっこいい台詞を言うな。ビシっと親指たてるな。ウインクするな。私を萌え殺しにかかってきてないかこいつ。
「あのな上海。乙女のキスというのはエメラルドと等価なんだぜ。そこんとこよく考えようぜ」
「ホウセキ?」
「そうだ。宝石と同じ価値があるんだぜ。簡単にしたりされたりしちゃダメなんだぜ」
「ソーナノカー」
「そうなのさ」
「あなたの価値観はわかったけど、このままじゃ私が困るのよね。それとも私なんかキスする価値もないって言うの」
ものすごい迫力で迫ってきたのは、いつもの上海とはまったく違う怒りの表情だった。
アリスが中に入っているとはいえ、そんな上海の表情はできることなら一生拝みたくなかったぜ。
「アリスとキスするのはべつに問題ない。むしろ……いや、なんでもないが、ともかく問題はない」
「あ、そう……」
妙な間だった。
例えて言うなら、お茶の間で家族団らんしていたら、いきなりテレビから濃厚なエロスシーンが流れだしたようなそんな気まずさだ。
「と、ともかく問題がないならやってよ」
「だからいろいろと問題があるって言ってるだろ。あーもう面倒くせぇな」
いっそのこと、どっちにもやっちまうか。
いわゆるハーレムエンドしちゃうか。
そんなこともちらりと考えたりもしたけれど、それも違う気がした。
上海のことが嫌いなわけじゃない。むしろちっこい上海にはいろいろと助けてもらったことも多くて、私にとってはアリスとは違う意味で友情のような感情をもっていたりするんだ。たとえ人形に過ぎなくても、感情移入しちまうのは、人間にとってごく普通のことだし。
だけど、アリスは――うーん、そういう友情とは微妙に違う気がして、その違いを知ってもらいたいというか、そんな感じがあるんだよな。
考えれば考えるほど泥沼に陥っていくような気がする。
こんなの私らしくないぜ。あー、面倒くせぇ。
私は基本、面倒くさいことはあまり好まない大雑把な性格だ。そんなことは自分でもよく理解している。どうもこういう細やかな少女っぽいとされている感情は苦手で、自分の手にも余る。
「なあアリス」
「ん。なによ。決心した?」
「例えばの話、私が上海と入れ替わったとする。その場合、お前はどっちにキスする?」
「どっちでもかまわないわね」
「質問の仕方が悪かったな。えーっとお前が好きなやつが、上海と入れ替わったとする。そのときどっちにキスしたい?」
「心と身体のどちらを重視するかって言いたいわけ?」
「かいつまんでいえばそういうことだ」
「そうね。結局は――価値の比較に過ぎないと思うわ。肉体に惹かれているというのは、その人の中で、ポイントつけてるわけでしょ? それで心というのも、つまりは反応と記憶で大部分は形成されているといえるから、その観察されうる反応と記憶に対してポイントつけてるわけよね。だから、上海のポイントプラスその人の反応パターンのポイントと、その人の外見プラス上海の反応パターンのポイントを比較して、点数が高いほうにキスすることになるわ」
「ずいぶん算術的な物言いだな」
「誰かを好きになったり嫌いになったりするのは、ただの評価なのよ。それが真実。その真実はその人の中では絶対なのだから他人がどうこう言える問題ではないし、どうこう言っていい問題でもない。そのことを不快に思うことは――それもまた、自由なのだけど」
アリスは透徹した眼差しで私と視線を合わせてきた。
上海の無垢な表情はまったく感じさせない人形の眼差しだ。
「もしかして、私のことが嫌い? だとしたら、それもまた自由だわ。私はあなたの自由を尊重しているし、そしてそうあることが正しいと思っているのよ。たとえ嫌われていてもね」
「こ、小難しいな」
上海の小さな口から、そんなシリアスな言葉が吐き出されると焦るぜ。
くそ。
アリスには勝てないな。
「いいか。アリス」
「なに?」
「今から言うことは、とてつもなく恥ずかしいから、オフレコだ。記憶から消去して抹殺して、ゴミ箱のなかにポイしろ」
「はい?」
「だ、だからな。私はべ、べつにアリスのことが嫌いじゃないっていうか、むしろ逆っていうか、いや、違うんだぜ。誤解して欲しくないんだが、上海のことは決して嫌いなわけじゃない」
「なによ。なんだか要領を得ないわね。はっきり言いなさいよ」
「だから好きだって言ってるんだよ!」
か、顔から火が出そうだぜ。ご、誤解しないで欲しいのは、文脈から察して欲しいのぜ。好きっていっても、卑猥な意味はまったく無い。ぜんぜん無い。そっちのほうが恥ずかしいという説もあるかもしれないが。
あれ?
アリスからの反応がぜんぜんまったく無い。
もしかして引かせちまったのか。
この魔理沙さまともあろうお方が、アリスひとりすら落とせなかったというのか。
一大決心で言ったのにな……。正直へこむぜ。
「えーっと、上海のことが好きってことなの?」
怪訝そうな上海顔をしたアリスだった。
「違うそうじゃなくてだな。私は――、アリスの容姿も好きだし、アリスの反応パターンというか、そんなのも好きで……、どっちも気に入ってるというか……、そんな感じなんだがどうすればいい?」
ぷしゅ?
プシュウウウウウウウウウウ!!
上海の身体から、霧のような煙が再び出た。
なんなんだこれは。やっぱり何か不具合があるのか。部屋のなかは煙に包まれて、一メートル先も見えなくなってしまった。近くにいたから、上海人形の姿――もといアリスを見失うことはなかったが、それにしても不可解すぎる。
やがて脱力した上海人形のアリスが、煙をかき消すような声をあげた。
「あ。あ。あのねえ」ぷるぷる震えている上海――もといアリス。「そんなのどっちでもいいでしょ。私のからだも、私の心も、どっちも私なの!」
「ああ、それはそうなんだが、割り切れないというか、甲乙つけがたいぜ」
「じゃあ、もう私とする! それで決定!」
「上海人形の身体をしたアリスとか?」
「そうよ。甲乙つけがたいってことは、どっちでもいいってことでしょう?」
「どっちでもよくないような気がするから悩んでるんだぜ」
「評価が等価に近いから、悩んでるんでしょ。だったらどっちも同じなのよ」
「でもアリスが」
「私は最初からどっちでもいいって言ってるじゃない!」
烈火のごとく怒るアリスに引っ張られるようにして、私は部屋の中心に強制的に立たされる。
怒られるのはあまり慣れてないが、しかし、上海のちいさな身体に引っ張られるとは思わなかったな。
小さくてもパワーあるからなぁ。そんな感慨にふけってみたり。
それで今回ばかりは盗賊魔理沙さまがまさかこんなことになるとは思いもよらなかったが、上海のちんまいボディを押しつけられるようにして、無理やり唇を奪われ、魔力を奪われ、ついでによくわからん少女チックな悩みや、もやもやした気持ちも奪われることにあいなったのだった。
暗転。
それで目が覚めると、妙に天井が高いじゃないか。
おやこれはどうしたことだろう、そしてこの身体の軽さ、存在の軽さはいったいどうしたことだろう。
なによりも驚くべきなのは、アリスの顔が巨大に見えることだったり、なんだか自分の手のひらが妙にちっこかったり、
飛んでみると背中に透明な羽が生えていたりと、妙なことが起こっていた。
これは稀有なことだな。いったいどうしたことだろう。
「って、どう考えても、上海人形です。本当にありがとうございました!」
「あら起きた?」
「ていうか、私が上海で」
「シャンハーイ」と声を上げる私の肉体。
「上海が私だ」
「やっぱり、魔力を同調させるという行為が、なんらかの作用を……」
アリスは冷静沈着で、なんら悩みがなさそうだった。そういやこいつ曰く『悩みなんて無いわ』だったなと思い出す。
やれやれ――、まったくアリスらしい。
そんなアリスのことが、私の脳内お気に入りフォルダにカテゴリー分けされているんだから、いったい私の価値評価はどうなっているんだろうと思わざるをえない。自分でもままならないことってあるのだ。少女らしい甘さとすっぱさを併せ持つ、はちみつレモンソーダ味の感情。
でも、とりあえず、今回は私の番じゃない。
だから、私は上海らしくない、やや男っぽい口調で、いつものように不敵な笑いを決めた。
「それで、アリスはどっちにキスするんだ?」
三人とも最高に可愛い!! 胸がトキメキに支配された!
で、どっちとキスをするんだ? 両方でよくね?
と共にアリスを心底好いているというのが伝わってきました。
最近の投稿ペースでこれだけのものが書けるのはやっぱ尊敬します。
うm、ご馳走様でした。
照れて蒸気を吹き出すのが素敵
両方キスしちゃえば良かったのにw
そして冒頭ので久しぶりにアノ電波ソングを思い出しました。
魔理沙もアリスもいい味出してますね
後、先生、ニヤニヤがとまりません。
ニヤニヤが止まらないw
ストーリーも小ネタの使い方も素晴らしかったです
アンタスゴイネー
ニヤニヤしたまま元に戻らない
マリアリジャスティス!