「あなたは、食べてもいいじんる、い?」
雲ひとつないとてもいい天気のもと、畑仕事にいそしんでいた男の目の前で、そう言ってぱたりと女の子が倒れた。
「え?」
――――――――――――たべるか、だべるか――――――――――――――
人里はずれの、畑だけが続く何もない所。
そこにある用水路の役目も果たしている川のほとりに、ひとりの男の影と少女の姿があった。
男の恰好は何の変哲もない畑仕事の作業着で、その汚れ具合からすでにいくらかの仕事を終えた後だというのが見て取れる。
少女はというと、真っ黒の服、ブロンドのショートカットの髪に赤いリボンをしていて、一見十代に入ったばかりの子どものように見える。
二人は並んで川のほとりに腰掛け、男は何かの準備を、少女は川の流れをただただ見ていた。
すると男はおもむろに包みを取り出したかと思うと、その中から一つおにぎりを取り、少女に手渡す。
そのおにぎりを手に取った少女は、ぱくぱくとおいしそうに食べ始めた。
その様子をそばで見ていた男は、少女に話しかける。
「いったい、どうしたんだい? 話しかけてきたと思ったら、急に倒れたけど」
あっという間におにぎりをひとつ食べ終えた少女は、手に着いた米粒をなめとりながら答える。
「お腹が空いてて、それで倒れちゃったの」
少女はぺろぺろと右手を丁寧になめとり、きれいになった手を男につきだしてきた。
「もう一つ、頂戴」
そんな少女の手を見て、やれやれと呟いた男だったが、包みからもう一つおにぎりを取り出し、少女に渡した。
それを受け取った少女は一個目と同じようにぱくぱくと食べ始める。
「僕の分が無くなっちまったな」
そんな男のつぶやきが、川の流れる音にかき消される。
あっという間に二個目のおにぎりの食べ終えた少女はというと、同じように右手を綺麗になめとりもう一度男に問いかける。
「もう、無いの?」
「もう、ないよ」
そう答える男。両手を広げてもう持ってないことをアピールする。
すると少女は、さっきまでと同じ様におにぎりをねだる時の口調でこう言った。
「じゃあ、あなたを食べてもいい?」
一瞬止まる会話。川のせせらぎが、とても綺麗に聞こえる。
男は少女をまっすぐ見つめ、それから大きくため息を吐いた。
「まいったな、妖怪だったのかい君?」
「うん、そうだよ。腹ペコな妖怪、ルーミアっていうの」
こくこくと頷き、男の目をまっすぐと捉えた状態で答えるルーミア。そこには何の感情も読み取れない。
一瞬思案した男は、目の前の妖怪に向かってこう答える。
「ルーミアは、まだお腹がすいているのかい?」
その問いに困った顔をするルーミア。ほんの少し考えてから
「どういうこと、それ?」
と聞き返した。
ルーミアから目を離した男は、川に向って身近にあった石を投げながら言葉を続ける。
「さっきおにぎりをあげただろ。あれじゃあ足りなかったのかなって」
「ちょっとお腹は膨れたけど、まだ足りないの」
「そうかい」
捕食者と被食者の会話とは思えない、なんとも気の抜けた会話。
「でもさルーミア、こんな言葉を知ってるかい?」
「なに?」
「空腹こそ最大の調味料である」
「なにそれ」
「お腹がとても減っている時に食べるものこそ、一番おいしいってことだよ。僕もせっかく食べられるなら、おいしく食べてもらいたいんだ」
「ふんふん」
「だからさ、今日はさっきのおにぎりでお腹がちょっと膨れたルーミアは、僕をおいしく食べられないわけだ」
「そーなのかー?」
「そうなんだよ。だから僕を食べるのは今度にしてくれないかい?」
普段と変わらない、まるで食堂で友人と話し合うような二人の会話。
ルーミアはむむむと少し考えた後、男に向かってこう答えた。
「そうだね、おいしく食べたいもんね。じゃあ明日、私ここでお腹を空かせて待ってるから来てね」
無邪気にそう言うルーミアの瞳は、やはり何も読み取れない。
男は目を合わせながら答える。
「分かった。じゃあ、明日食べられに来るよ」
そう言って腰を上げる男。近くに置いてあった鍬を持ち上げてルーミアに言う。
「じゃあ僕はまだ畑仕事の続きがあるから。また明日ね、ルーミア」
そんな男に手を振り、
「うん、じゃあまた明日ね」
そう言って空へと舞い上がり、いつもの丸い闇の球体になってふわふわと飛んでいった。
地上に残された男はルーミアを見送ったあと、まいったなと一言つぶやき、残っている今日の分の農作業を終わらせるため、大地に向い思い切り鍬を振りおろした。
==============================================================
次の日、太陽が頭の上で輝きさんさんと照らしている時分、川のほとりにはやはり、男とルーミアの姿があった。
二人は並んで川のほとりに腰掛け、男は何かの準備を、ルーミアは川の流れをただただ見ていた。
男の準備はどうやら手間取っているようで、その様子にしびれを切らしたルーミアが声をかける。
「ねえ、いつになったら食べらしてくれるの?」
困ったようにそう言ったルーミアに、手の中に用意したものを広げながら男が答える。
「素直に食べられようとは思ったんだけれど、こんなものを用意してきちゃった」
そう言って見せられたものは昨日と同じおにぎりと、様々な種類の漬物だった。
おにぎりは一目見ただけで十個以上あると分かる量で、漬物はたくあん、白菜の浅漬け、しばづけが重箱いっぱいに詰められていた。
そんな、男が用意してきたご飯を見た瞬間に、ルーミアのお腹がぐ~と大きく鳴った。
「ははっ、どうやら気に入ってもらえたようだね」
「これ、食べてもいいのか?」
「ああ、そのために持ってきたんだよ。一緒に食べよう」
それを聞いたルーミアは、両手におにぎりを持ってがつがつと食べ始める。
「あむあむっ」
「落ち着いて食べなよ。いっぱい作ってきたから」
瞬く間になくなっていくおにぎりと漬物。
およそ八割をルーミアが食べ、残りを男が食べた。
最後のおにぎりを食べ終え満足そうにお腹をさするルーミアは、男に渡された竹の水筒に入ったお茶をごくごくと飲む。
「ぷは~。おいしかったのだ~」
「そうかい。それは嬉しいな」
照れたように笑う男に向かって笑顔でそう言ったルーミアだったが、あっ、と呟くと何かを思い出したようにむ~と唸った。
「どうしたんだい?」
「またお腹がはっちゃって、あなたを食べられなくなっちゃった」
拗ねたようにうつむき、そう答えるルーミア。
「そうかい、それはしょうがないな。また明日ってことで」
「そうだけど、……もう! 今日は食べようと思っていたのになぁ」
「ところで、どうして僕を食べたいんだい?」
「え、だって」
そう言って手を伸ばしたルーミアは、つつっと男の腕を人指し指でなぞった。
その行動は、親愛の情が全く含まれていない事をすぐさま男に理解させ、また危険なものであるということを瞬時に悟らせた。
まるで、人が品定めをするために八百屋の店先で野菜を手に取る。そんな行動であるということを男に理解させるには十分だった。
ルーミアはなぞる指を胸にまで伸ばし、耳元まで口を寄せ、あやしげかつ不気味に呟く。
「あなた、とってもおいしそうなんだもん」
男の背中に寒気が走り、全身に電撃が走ったかの様に体が警鐘を鳴らす。
そんな男をよそにルーミアはすっと離れ、昨日とおなじ無邪気な笑顔を浮かべる。
「でも、今日もお腹がちょっと膨れたから食べられないね。なんだったけ、あの言葉」
「……空腹は、最大の調味料」
「そうそれ! とってもお腹が減ってたら、あなたはとても美味しいんだろうな~」
そんなルーミアの瞳は、まったくの曇りがない。
ルーミアの気が変わらないうちに、慌てて男は話題をずらす。
「そんなことより、せっかく僕は君に食べられることになったんだ。だから、僕は君のことを知りたいんだけど」
「え、どうして?」
「どうしてって、自分を食べる相手のことを知りたいと思うのは、当然じゃないかい?」
「……分かんない」
「まあ、僕は知っておきたいんだよ。僕を食べる腹ペコ妖怪、ルーミアっていうのはどんな女の子なのかなって」
「ふ~ん、変なの」
「まあ、食べられる側じゃないと分からないよ。人であるが故の特権だね」
「まあいいや、じゃあどんな話が聞きたいの?」
そう問うルーミアに対して男は考えこむ。
そして、思いついたようにこう言った。
「やっぱり君のことが知りたいな。いつもの君を」
「そんなことでいいの?」
「そんなことがいいのさ。僕を食べる妖怪のことを知っておくべきだろ」
頭の上に?マークを浮かべていたルーミアだったが、そのうち納得したようにうなずくと、
「まあ、それだけであなたが食べられるならいいかな」
そう言って笑うのだった。
その後、昨日と同じように明日の約束を交わし、空の彼方へ飛んでいくルーミア。
ぽやぽやと飛ぶ黒い球体を見送りながら、男は大きなため息をつく。
「さて、どうしようかなあ」
天高く光り輝く太陽は、そんな男の言葉に何も返さず、いつものように光だけを届けていた。
==============================================================
その次の日、また同じように川辺に腰掛ける二人は、昨日と同じように言葉を交わす。
「じゃあ、食べてもいい?」
「その前に昨日約束したことを聞かせて欲しいな」
「……なんだったっけ?」
「君の話を聞かせてもらうってやつだよ」
「ああ、そんなことも言ったね」
「うん。じゃあ、これでも食べながら聞かせてくれるかい?」
そう言って男が取り出すのは、やはりおにぎりと漬物。
それに今日は、ほんの少しの焦げが見える卵焼きが加わっていた。
「わぁ! これ、食べてもいいのか?」
「もちろんだよ。話を聞かせてくれるお礼にね」
そう言うと、とても嬉しそうにおにぎりと卵焼きに手を伸ばすルーミア。
がつがつと食べ進める様子は、本当にお腹が減っているようで、急ぎながらもとても美味しそうに食べ進めている。
「この卵焼き、ちょっと味が濃い」
「え? あ、ホントだ」
「お漬物は美味しいぞ!」
「そうかい、それは良かった」
もぐもぐ、ぱくぱくとご飯を食べ進めていく。もちろん食べる速さはルーミアの方が二倍も三倍も速い。
そんな二人に、相変わらずお天道様はポカポカとした陽気を届けている。
「ごちそうさまなのだ」
「お粗末さまなのだ」
そう言って笑い合う。お腹がいっぱいになったルーミアに男がこう切り出す。
「じゃあ、君のことについて聞かせてもらえるかな?」
「え? ああ、そうだったね。じゃあ何から話そうかな~」
「なんでもいいよ。ルーミアが話したいことで」
「じゃあ、私の友達のこと話すね。えっとね、鳥の妖怪のミスチーとね、虫の妖怪のリグルと、妖精のチルノと大ちゃんがいてね……」
「うんうん、それで?」
だんだんと話を続けていくルーミアに、男は相槌を打つ。
話の内容はどうやら、紅い館の門番さんに悪戯をした時のことのようで、チルノが初めに捕まり、それを庇ってみんなで説教を受けた事のようだ。
そのあと、チルノをかばったことに対して門番に誉めてもらったことまで、ルーミアはとても楽しそうに話していた。
それを聞いていた男もずっとルーミアの目を見て話を聞き、終わると同時に拍手を返した。
「まあ、私の話はこんなところかな」
「とても面白かったよ。ありがとう、ルーミア」
その言葉を聞き、へへっとはにかんだように笑うルーミア。
その顔はとても無邪気で、それでいて本当にうれしそうな笑い方だった。
「でも、今日もまたあなたを食べ損ねちゃった」
「まあ、それは仕方ないよ。お腹が一番空いている時に僕は食べてもらいたいんだ」
「でもあなた、いっつもお昼ごはん用意してるんだもん」
「まあそれは僕なりの感謝のつもりさ。話を聞かせてくれるね」
さも当然のようにルーミアの言葉に男はそう返す。
それまで俯いて男の話を聞いているルーミアだったが、ふと顔をあげ男と向き合った。
その瞳はこれまでと違い、ほんの少しだが光がさしているように男は感じた。
「じゃあ、明日も食べに来て、いいの?」
初めての、ルーミアからのお願いになるのだろうか。
男は少し戸惑ったが、先ほどのルーミアに負けないような笑顔でこう答えた。
「もちろん」
やがて空に去っていく黒い球体。そしてそれを地上から見送る一人の人間。
昨日よりも傾き、斜めの角度から光を届ける太陽。それとは反対の方向へ去って行くルーミア。
見えなくなるまで手を振り続けていた男は、
「さて、明日のおかずは何にしようかな」
とひとり呟き、まんざらでもない様子で大地に鍬を思い切り叩きつけた。
その次の日も、さらにその次の日もルーミアと男の昼食会ともいえるおしゃべりは続いた。
男が用意するものはもちろん、おにぎりとそれに合う幾ばくかのおかず。
質素な時は漬物だけの時もあったが、基本的にはそれに他のおかずがついた。
それは、焼き魚の時もあったし、焼き鳥の時もあった。
ルーミアはそんな男が持ってくるご飯を、いつも喜んで食べていた。
豚の焼き物のときはルーミアのテンションが上がってしまい、男は一口も食べられなかったほどである。
そして、いつもの昼食が終わればルーミアのお話の時間がはじまる。
リグル達と遊んだことはもちろん、紅い霧が幻想郷を覆った時のこと、春が遅れた冬のこと、月がほんの少し欠けた夜のことなど、
ルーミアが体験した、様々の奇々怪々な出来事を男に聞かせる。
それを聞く男もとても興味心身にルーミアの話に耳を傾け、それが終わればやはり拍手を返す。
そして、最後に二人で明日の約束をして、手を振り合いながら別れる。
そんな、なんとも形容しがたい日々が続いていたとき、ふと男はルーミアにこう、問いかけた。
「君は、人を食べたことがあるのかい?」
なんともなしに気になって、問いかけた、意図も何もない、ただただ興味本位の質問。
そして、やはりルーミアはそれに対して、何の感情も持たずに答えたのだった。
「あるよ」
何の重みのもたない、そんなルーミアの言葉に、男も特別何も感じなかった。
「そうか、あるのか」
「うん、もちろん」
「それは、おいしかったかい?」
「おいしかったよ。もう、長い間食べてないけれど」
「もう一度、食べたいかい?」
「食べたくないって言ったら嘘になるけど……」
「けど?」
「今はいいや」
「どうして?」
「もっとおいしいもの、毎日食べてるから」
そう言って満面の笑顔で笑う。その瞳にはもう、ただの少女の瞳だった。
「そっか。それは良かったよ」
そう返す男も、それはそれはいい笑顔だった。
「じゃあ、また明日ね」
「ああ、また明日」
いつものようにそう約束して別れる二人。
太陽はもう山並みの近くまで傾き、紅い光を届けるような時間になっていた。
いつからか、もう数えてはいないがいつの間にか、この昼食会はこの時間までかかるようになっていた。
紅く染まった空にぽわぽわと浮きあがり、いつもの方向へ去っていくルーミア。
そしてやはり地上からルーミアが見えなくなるまで見送る男。
もう畑仕事をするような時間ではないから、近くに置いてあった鍬を手に取って家路に着く。
てくてくと歩いていく男は、すでに明日のお昼御飯のおかずについて考え始めていた。
しかしその約束は、ついに破られることになる。
==============================================================
「早く終わっちゃったなあ」
いつもは二人で腰掛ける川のほとりに、今日は男が一人で腰掛けている。
そのそばにはいつもの包みに入ったおにぎりに山に漬物、そして以前にルーミアが一番喜んでくれた豚の焼き物が入った重箱が用意されている。
畑仕事がいつもより早く終わってしまい、仕方がないのでずっと待っていたのだ。相棒の鍬はもうすでに畑の隅に放りだされている。
「まあ、自分が早く終わりすぎたのがいけないんだよな」
誰にでもなく呟く。もちろん返ってくる声もない。
さらさらという川のせせらぎがとても心地よいが、あいにく天気の方はそうはいかなかった。
「雨、降らなきゃいいんだけど」
空を見上げてそう呟きながら川に向って石を投げる。ぽちゃんという気の抜ける音をたて、石は当たり前のように沈んでいった。
その時、男の後ろからガサリと何かが動く音がした。それをルーミアが来た音だと思った男は
「やあ、ルーミア早かったね」
そう言って振り向いたのだが。
しかし、そこに見たのは真っ赤に光る眼だった。そして次の瞬間首に鋭く熱いものを感じた男は、一瞬のうちに意識を刈り取られた。
「今日のごはんはっ、なんだろなっ」
そんな風に楽しげに歌うような声が聞こえる。空を飛ぶ少女の独り言のようだ。
今日はいつもの闇の球を広げておらず、その姿をそのまま確認することができる。
いつもの闇はどうやら天気が影響しているらしい。
今まで休むことなく照らし続けていた太陽は、今日は分厚い雲の上で久しぶりの休暇を楽しんでいた。
「おにぎりおにぎりおいしいな」
ルーミアの歌は続いている。
友人の一人から習ったリズムと音程に、自分の思うがままの歌詞をあてはめたその歌は、調子はずれだが歌う人の気持ちを十分に表していた。
やがて、あの川が見えてくる。いつも二人で、ささやかな昼食会を開いている川だ。
友人からは「変なの」といわれたルーミアだが、初めての人間との食事は、やはりルーミアにとっては楽しいものなのであろう。
これから楽しいことがあるんだ。といわんばかりの調子はずれの歌をうたうルーミアの顔は、やはり笑顔なのだ。
「到着到着~」
ふわりと地面に降りる。きょろきょろと周りを見渡し、いつもの姿を探す。
「今日はまだ来てないのかな~」
畑には姿はない。仕方がないので先に待とうとしたルーミアの目に、その姿が映った。
いつも二人で腰掛けるあたりよりも少し川から離れた所に、男がうつ伏せで寝ころんでいた。
「あ、いた」
姿を確認して男に近づく。いつものように声をかけながら。
「お~い、きた、よ?」
その時、ルーミアは気づいた。
男が寝転がる地面に生える草が、真赤に染まっていることに。
そして、血の匂いがあたりに広がっていることにも。
「どう、し、たの?」
男に近づくにつれ、血の匂いが強くなり、錆びた鉄の匂いがルーミアの鼻を刺激する。
そばまで来たルーミアは、うつ伏せのまま寝る男の肩をゆすり、問いかける。
「ねえ、どうしたの。ねえってば!」
思い切り揺すったせいなのだろうか、うつ伏せの男はルーミアの力によって仰向けになった。
そして、ルーミアが見たのは、
「……うそ」
真っ赤に染まった男の体だった。
どうやら妖怪に襲われたらしく、そのからだは鋭い爪で切り裂かれたような傷や、牙でかじられたような跡があった。
それも低級な妖怪らしい。だから、あとで巫女がやってくるかもしれないのにも関わらず、襲った男をそのまま放置したのだ。
そう、低級な妖怪にやられたのだ、スペルカードすら知らない程度の。
「あ、え、……う」
言葉にならない声を発するルーミア。
目の前には昨日まで自分と話しあって、笑いあっていた人間が横たわり、そして今、そのからだは血に染まっている。
自分にとっては、食欲をそそる魅力的で真っ赤な血に。
「……そんな! いやあぁぁああぁ」
目の前が真っ赤になり、ルーミアの瞳孔が開き始め息も激しくなっていく。
今のルーミアの前にあるのは、あの男なのか、それとも……。
「あぐ、うう」
がしと男の肩を掴み、自分の目線まで持ち上げる。真っ赤に染まった体が露わになり、血が地面に滴り落ちる。
むわっとする血の香りがさらに強くなり、力なくうな垂れる男の様子は、まるで狩りで仕留められた兎か何かのようで。
じっと、それでいてねっとりとした目線を男であったものに向けたルーミア。
そして、ルーミアは、その男を……。
「た、大変です! 慧音様!」
「授業中だ。 静かにせんか」
寺子屋というものは基本的にとても静かな場所である。
もちろんこの時、里の男が慧音に緊急の知らせを持ってきた時も同様で、教壇に立つ慧音は突然の来訪者に怒声をぶつけた。
「急になんだ。そんなに慌てて」
「大変なんです! 里に、妖怪が!」
「落ち着け。妖怪がどうしたんだ」
慧音の近くに寄り耳打ちをするように事の詳細を伝える。そして、その話を聞いていた慧音の顔色は、だんだんと変わっていった。
そんな二人の様子に騒然となる教室。ざわざわと子どもたちが喚きあう。
そんな子供たちを
「静かに!」
の一声で黙らせた慧音は、言葉を続ける。
「聞いての通り、先生には急用が入った。今から少し出かけてくるから、教室から一歩も出ずに皆ここにいなさい」
有無を言わせない慧音の言葉に、もちろん逆らう生徒はいない。
心配そうに慧音に駆け寄ってきた一人の少女の頭を、安心させるかのように撫でた慧音は、その後すぐに里の入口に向かうため教室を後にした。
里の入口に向かうまでの間、慧音はその妖怪の様子を連絡役の男に聞く。
「それで、本当なんだな」
「はい。人間を背負った妖怪があらわれたんです」
「それで、その妖怪は?」
「それが、何もせずにただただ里の入口に立っているんです」
「人間を背負ったままでか」
「はい」
慧音はその言葉に顔をしかめる。
一体その妖怪と人間の間に何があったのか。なんにせよ、妖怪に背負われているという事自体ただ事ではない。
「背負われた男は、どんな様子だ?」
「それが血まみれで、おそらくその妖怪に襲われたものだと」
「血まみれだと!」
足を止め、血相を変えてそう叫んだ慧音に男は気圧される。
「すまんが私は先に行く! あとから来てくれ」
「わ、わかりました。先生、気をつけて」
そんな男の言葉を後ろに聞きながら、慧音は急ぐために宙に舞う。
空は今すぐにでも泣きだしそうで、鈍色の雲が慧音の気持ちをあせらせる。
(大事にならなければいいが)
里を低空で飛ぶ慧音に、冷たい風が吹きつけた。
里の入口。いつもは人の往来がそれなりにあり、出店などもでていて賑やかなところである。
しかし、今日は様子が違って、人通りが少ないばかりか、人が避けて通っているようなのだ。
そんな里の真ん中にぽつんと立つ影がある。その影は入口の真ん中に立ち、まったく動かない。
自分から動くことのないそれを、まわりの人々は遠巻きに眺めているだけだった。
そんな様子を、空を飛ぶ慧音が見つけるには簡単すぎ、また焦燥感を煽るにも十分だった。
急いで真ん中に佇む人影の前に降りる慧音。そして、まわりを取り囲む人々に向けて叫ぶ。
「離れろ!」
一瞬どよめきが起こったが、それが慧音の姿だと分かると、人々は何か安心したように慧音の言う通りに離れる。
人々が離れたことを確認して、慧音はその影に目を向けた。
確かに人を背負っていた。血まみれの人を。
もう、その人間は事きれていることが一目見て分かった。虚空を見つめる目は生気がなく、背負っている者を真っ赤に染める血は異常な量だったからだ。
そして、背負っている者。その者に慧音の目は奪われた。
ブロンドの髪に赤いリボン。紅い瞳に、今は赤く染まってはいるが黒と分かる服。
いつも神社で開かれる宴会で、顔を合わせていた少女だ。
「……ルーミアか」
その言葉にびくっとなる。どうやら間違いはないらしい。
ゆっくりとルーミアに近づき、その顔を両手でつかみこちらを向かせる。少々強引だが仕方ない。
「ルーミアだな。何があった?」
初めは焦点が合っていなかった目が、だんだんと自分に向いていくことが分かる。
しっかりと正気を取り戻したルーミアは、見つめる先にいた人物を見て、小さく呟く。
「けい、ね?」
「そうだ。慧音だ。一体何があった」
慧音を見つめながらぽかんとしていたルーミアだったが、突然がばっと慧音に掴みかかった。
まわりで見ていた人々が騒然となり、飛びだして来ようとする者もいたが慧音がそれを制する。
胸倉をつかんで、ルーミアは必死に慧音に乞う。
「慧音! たすけて!」
その言葉に一瞬固まった慧音だったが、そのことにも気づかずルーミアは矢継ぎ早に次の言葉を続ける。
「この人、私が行った時にはもう襲われたあとで、血まみれで倒れてて、私約束してたのっ! 一緒にご飯食べるって!
それで、私がお話したらこの人が喜んでくれるから、それで毎日約束してたの。おいしいおにぎり持ってきてくれるって。
でも今日はいつもと違ってて、私どうしたらいいか分からなくてっ! とりあえず人間が多い所に行こうって思って! だから、助けて慧音!」
必死に、それはもう必死に慧音にすがりつくルーミア。背中に背負われた男もルーミアにつれられるように力なくがくがくと揺れる。
しかし、それが最も分かりやすく示していた。もう、その男はこの世にいないということを。
「たすけてよう、けいねぇ。たすけてよぅ」
慧音にしがみついたまま地面にへたりこむ。それにつられて背負われていた男もずるりと落ち、ルーミアの横にばたりと倒れた。
仰向けに倒れた男の顔は天を向き、もうなにも映さない眼ははるか虚空をとらえていた。
しゃがみ込んでしまったルーミアに、慧音は諭すように話しかける。
「ルーミア、お前が一番わかっているんだろう」
ぶんぶんと首を横に振り、拒絶を表すルーミア。
その肩を掴んだまま慧音は言葉を続ける。
「もう、手遅れだ。私でもどうにもできない。それぐらいお前なら分かるだろう」
「わかんない! わかんないよ!」
大きく首を振りながらルーミアは叫ぶ。それは精一杯の拒絶のように慧音の目には映った。
「だって、約束してたんだもん! 今日も一緒にご飯食べるって! 私の話聞いてくれるって!」
自分に言い聞かせるように、そう叫ぶ。そんなルーミアの独りきりの叫びは、里の中に響く。
「おいしいご飯食べさせてくれるって言ってくれたんだもん! そうだよね!?」
そう言って隣に倒れた男に問いかけたルーミア。
もちろん男は答えない。二度と言葉を発することのない口は半開きのままで、力なく永久に開いたままなのだろう。
それを見たルーミアは呆然とする。今まで受け入れまいとしたことが、目の前に突然現れたから。
肩をつかんでいた慧音は、もう一度諭すように言う。
「……そういうことだ、ルーミア。これは、しょうがないんだ」
「っ!」
そんな慧音の腕を思い切り振りはらい、鈍色の空へと飛び出すルーミア。
歯を食いしばり、眼を見開いて、それでも涙をこぼさずに空高く舞い上がっていく。
「ルーミア!」
そんな慧音の呼ぶ声も届かず、ルーミアは飛び去っていく。
そこに残された慧音は、なんともいえない寂しさに襲われながら、ルーミアが届けてくれた男の骸を優しく抱きあげた。
この男を家族のもとに、ルーミアの代わりに届けるために、慧音はゆっくりとルーミアと反対の方向へ歩き始めた。
どんよりとした空から大粒の雨が降ってきたのは、それから間もない事だった。
さらさらと流れる川の音が聞こえる、いつも二人で腰掛けたあの川沿いにルーミアは一人佇んでいた。
いつの間にここに来たのかルーミア自身分からない。いつの間にかここに立っていたのだ。
あたりには男が用意していたであろう今日のお昼御飯のおにぎりや漬物、そして前に一緒に食べた豚の焼き物が無残に散らばっていた。
「もったいないな」
力なくそう呟く。どうやらこのお昼ごはんも妖怪に荒らされたらしく、すでにつぶれたり土にまみれたりしていた。
「結局、食べられなかったな」
誰に言うでもなく続くルーミアの独り言。かなしい響きを持つそれは川の流れる音にかき消されていく。
「どうして私は、あの人とお話しを始めたんだっけ」
そう言って思い出そうとしても、浮かんでくるのは一緒に食べたご飯と自分の話を楽しそうに聞くあの人の顔だけ。
「あの人の名前、私知らないや……」
目線を下におろす。不思議なことに涙は浮かんではいない。
その時、ルーミアはふと気がついた。地面に落ちている、いつもおにぎりが入っていたあの包みが、ほんの少しだけ膨らんでいるのを。
包みを拾いそっと開けてみると、まったく汚れていない真っ白なおにぎりが、一つだけ掌に転がってきた。
それは二人で食べあった、あの何の変哲もない塩むすびだった。
「あ」
真っ赤に染まった手の上にある、そのおにぎり。
ルーミアはそれを一口かじった。ゆっくりと、それはとてもゆっくりとそのおにぎりを咀嚼し、長い時間をかけて味わう。
いつの間にかぽつぽつと雨が降り出していて、はじめは地面に黒い斑点を作り出す程度だったそれは、ルーミアがそれを飲みこむ頃にはざあざあと本降りになっていた。
「おいしくない」
一言そう呟く。
雨に打たれながら、本当に美味しくなさそうにそう言うルーミア。手の上のおにぎりは降ってくる雨をその身に受けている。
降りしきる雨は地面に溜まり、そして大地を綺麗に流していく。
無残に散らばったお昼御飯の残骸はもちろん、男が倒れていたところに広がっていた血だまりも雨に流され、そして最後に目の前の川に流れ去っていく。
まるで、ここには何もなかったかのように、容赦無く全てを流していく雨。
冷たく痛いその雨はルーミアの体にも容赦なく突き刺さり、掌の上のおにぎりも、最後には無残に崩れ去りルーミアの掌から流れ去っていった。
「おいしくないよぅ」
もう、手の上にはないおにぎりを見つめながら、そう幽かな声で呟いたルーミア。
そして地面にうずくまり、自分の中にこみあげてくるものが一体何なのか分からないまま、そうやって雨が上がるまで動かなかった。
そんなルーミアの背中にも、冷たく痛い雨は突き刺さった。
その日、その川のほとりでは、雨がやみ、再び太陽が現れるまで、少女の泣き声が木霊していたという。
雲ひとつないとてもいい天気のもと、畑仕事にいそしんでいた男の目の前で、そう言ってぱたりと女の子が倒れた。
「え?」
――――――――――――たべるか、だべるか――――――――――――――
人里はずれの、畑だけが続く何もない所。
そこにある用水路の役目も果たしている川のほとりに、ひとりの男の影と少女の姿があった。
男の恰好は何の変哲もない畑仕事の作業着で、その汚れ具合からすでにいくらかの仕事を終えた後だというのが見て取れる。
少女はというと、真っ黒の服、ブロンドのショートカットの髪に赤いリボンをしていて、一見十代に入ったばかりの子どものように見える。
二人は並んで川のほとりに腰掛け、男は何かの準備を、少女は川の流れをただただ見ていた。
すると男はおもむろに包みを取り出したかと思うと、その中から一つおにぎりを取り、少女に手渡す。
そのおにぎりを手に取った少女は、ぱくぱくとおいしそうに食べ始めた。
その様子をそばで見ていた男は、少女に話しかける。
「いったい、どうしたんだい? 話しかけてきたと思ったら、急に倒れたけど」
あっという間におにぎりをひとつ食べ終えた少女は、手に着いた米粒をなめとりながら答える。
「お腹が空いてて、それで倒れちゃったの」
少女はぺろぺろと右手を丁寧になめとり、きれいになった手を男につきだしてきた。
「もう一つ、頂戴」
そんな少女の手を見て、やれやれと呟いた男だったが、包みからもう一つおにぎりを取り出し、少女に渡した。
それを受け取った少女は一個目と同じようにぱくぱくと食べ始める。
「僕の分が無くなっちまったな」
そんな男のつぶやきが、川の流れる音にかき消される。
あっという間に二個目のおにぎりの食べ終えた少女はというと、同じように右手を綺麗になめとりもう一度男に問いかける。
「もう、無いの?」
「もう、ないよ」
そう答える男。両手を広げてもう持ってないことをアピールする。
すると少女は、さっきまでと同じ様におにぎりをねだる時の口調でこう言った。
「じゃあ、あなたを食べてもいい?」
一瞬止まる会話。川のせせらぎが、とても綺麗に聞こえる。
男は少女をまっすぐ見つめ、それから大きくため息を吐いた。
「まいったな、妖怪だったのかい君?」
「うん、そうだよ。腹ペコな妖怪、ルーミアっていうの」
こくこくと頷き、男の目をまっすぐと捉えた状態で答えるルーミア。そこには何の感情も読み取れない。
一瞬思案した男は、目の前の妖怪に向かってこう答える。
「ルーミアは、まだお腹がすいているのかい?」
その問いに困った顔をするルーミア。ほんの少し考えてから
「どういうこと、それ?」
と聞き返した。
ルーミアから目を離した男は、川に向って身近にあった石を投げながら言葉を続ける。
「さっきおにぎりをあげただろ。あれじゃあ足りなかったのかなって」
「ちょっとお腹は膨れたけど、まだ足りないの」
「そうかい」
捕食者と被食者の会話とは思えない、なんとも気の抜けた会話。
「でもさルーミア、こんな言葉を知ってるかい?」
「なに?」
「空腹こそ最大の調味料である」
「なにそれ」
「お腹がとても減っている時に食べるものこそ、一番おいしいってことだよ。僕もせっかく食べられるなら、おいしく食べてもらいたいんだ」
「ふんふん」
「だからさ、今日はさっきのおにぎりでお腹がちょっと膨れたルーミアは、僕をおいしく食べられないわけだ」
「そーなのかー?」
「そうなんだよ。だから僕を食べるのは今度にしてくれないかい?」
普段と変わらない、まるで食堂で友人と話し合うような二人の会話。
ルーミアはむむむと少し考えた後、男に向かってこう答えた。
「そうだね、おいしく食べたいもんね。じゃあ明日、私ここでお腹を空かせて待ってるから来てね」
無邪気にそう言うルーミアの瞳は、やはり何も読み取れない。
男は目を合わせながら答える。
「分かった。じゃあ、明日食べられに来るよ」
そう言って腰を上げる男。近くに置いてあった鍬を持ち上げてルーミアに言う。
「じゃあ僕はまだ畑仕事の続きがあるから。また明日ね、ルーミア」
そんな男に手を振り、
「うん、じゃあまた明日ね」
そう言って空へと舞い上がり、いつもの丸い闇の球体になってふわふわと飛んでいった。
地上に残された男はルーミアを見送ったあと、まいったなと一言つぶやき、残っている今日の分の農作業を終わらせるため、大地に向い思い切り鍬を振りおろした。
==============================================================
次の日、太陽が頭の上で輝きさんさんと照らしている時分、川のほとりにはやはり、男とルーミアの姿があった。
二人は並んで川のほとりに腰掛け、男は何かの準備を、ルーミアは川の流れをただただ見ていた。
男の準備はどうやら手間取っているようで、その様子にしびれを切らしたルーミアが声をかける。
「ねえ、いつになったら食べらしてくれるの?」
困ったようにそう言ったルーミアに、手の中に用意したものを広げながら男が答える。
「素直に食べられようとは思ったんだけれど、こんなものを用意してきちゃった」
そう言って見せられたものは昨日と同じおにぎりと、様々な種類の漬物だった。
おにぎりは一目見ただけで十個以上あると分かる量で、漬物はたくあん、白菜の浅漬け、しばづけが重箱いっぱいに詰められていた。
そんな、男が用意してきたご飯を見た瞬間に、ルーミアのお腹がぐ~と大きく鳴った。
「ははっ、どうやら気に入ってもらえたようだね」
「これ、食べてもいいのか?」
「ああ、そのために持ってきたんだよ。一緒に食べよう」
それを聞いたルーミアは、両手におにぎりを持ってがつがつと食べ始める。
「あむあむっ」
「落ち着いて食べなよ。いっぱい作ってきたから」
瞬く間になくなっていくおにぎりと漬物。
およそ八割をルーミアが食べ、残りを男が食べた。
最後のおにぎりを食べ終え満足そうにお腹をさするルーミアは、男に渡された竹の水筒に入ったお茶をごくごくと飲む。
「ぷは~。おいしかったのだ~」
「そうかい。それは嬉しいな」
照れたように笑う男に向かって笑顔でそう言ったルーミアだったが、あっ、と呟くと何かを思い出したようにむ~と唸った。
「どうしたんだい?」
「またお腹がはっちゃって、あなたを食べられなくなっちゃった」
拗ねたようにうつむき、そう答えるルーミア。
「そうかい、それはしょうがないな。また明日ってことで」
「そうだけど、……もう! 今日は食べようと思っていたのになぁ」
「ところで、どうして僕を食べたいんだい?」
「え、だって」
そう言って手を伸ばしたルーミアは、つつっと男の腕を人指し指でなぞった。
その行動は、親愛の情が全く含まれていない事をすぐさま男に理解させ、また危険なものであるということを瞬時に悟らせた。
まるで、人が品定めをするために八百屋の店先で野菜を手に取る。そんな行動であるということを男に理解させるには十分だった。
ルーミアはなぞる指を胸にまで伸ばし、耳元まで口を寄せ、あやしげかつ不気味に呟く。
「あなた、とってもおいしそうなんだもん」
男の背中に寒気が走り、全身に電撃が走ったかの様に体が警鐘を鳴らす。
そんな男をよそにルーミアはすっと離れ、昨日とおなじ無邪気な笑顔を浮かべる。
「でも、今日もお腹がちょっと膨れたから食べられないね。なんだったけ、あの言葉」
「……空腹は、最大の調味料」
「そうそれ! とってもお腹が減ってたら、あなたはとても美味しいんだろうな~」
そんなルーミアの瞳は、まったくの曇りがない。
ルーミアの気が変わらないうちに、慌てて男は話題をずらす。
「そんなことより、せっかく僕は君に食べられることになったんだ。だから、僕は君のことを知りたいんだけど」
「え、どうして?」
「どうしてって、自分を食べる相手のことを知りたいと思うのは、当然じゃないかい?」
「……分かんない」
「まあ、僕は知っておきたいんだよ。僕を食べる腹ペコ妖怪、ルーミアっていうのはどんな女の子なのかなって」
「ふ~ん、変なの」
「まあ、食べられる側じゃないと分からないよ。人であるが故の特権だね」
「まあいいや、じゃあどんな話が聞きたいの?」
そう問うルーミアに対して男は考えこむ。
そして、思いついたようにこう言った。
「やっぱり君のことが知りたいな。いつもの君を」
「そんなことでいいの?」
「そんなことがいいのさ。僕を食べる妖怪のことを知っておくべきだろ」
頭の上に?マークを浮かべていたルーミアだったが、そのうち納得したようにうなずくと、
「まあ、それだけであなたが食べられるならいいかな」
そう言って笑うのだった。
その後、昨日と同じように明日の約束を交わし、空の彼方へ飛んでいくルーミア。
ぽやぽやと飛ぶ黒い球体を見送りながら、男は大きなため息をつく。
「さて、どうしようかなあ」
天高く光り輝く太陽は、そんな男の言葉に何も返さず、いつものように光だけを届けていた。
==============================================================
その次の日、また同じように川辺に腰掛ける二人は、昨日と同じように言葉を交わす。
「じゃあ、食べてもいい?」
「その前に昨日約束したことを聞かせて欲しいな」
「……なんだったっけ?」
「君の話を聞かせてもらうってやつだよ」
「ああ、そんなことも言ったね」
「うん。じゃあ、これでも食べながら聞かせてくれるかい?」
そう言って男が取り出すのは、やはりおにぎりと漬物。
それに今日は、ほんの少しの焦げが見える卵焼きが加わっていた。
「わぁ! これ、食べてもいいのか?」
「もちろんだよ。話を聞かせてくれるお礼にね」
そう言うと、とても嬉しそうにおにぎりと卵焼きに手を伸ばすルーミア。
がつがつと食べ進める様子は、本当にお腹が減っているようで、急ぎながらもとても美味しそうに食べ進めている。
「この卵焼き、ちょっと味が濃い」
「え? あ、ホントだ」
「お漬物は美味しいぞ!」
「そうかい、それは良かった」
もぐもぐ、ぱくぱくとご飯を食べ進めていく。もちろん食べる速さはルーミアの方が二倍も三倍も速い。
そんな二人に、相変わらずお天道様はポカポカとした陽気を届けている。
「ごちそうさまなのだ」
「お粗末さまなのだ」
そう言って笑い合う。お腹がいっぱいになったルーミアに男がこう切り出す。
「じゃあ、君のことについて聞かせてもらえるかな?」
「え? ああ、そうだったね。じゃあ何から話そうかな~」
「なんでもいいよ。ルーミアが話したいことで」
「じゃあ、私の友達のこと話すね。えっとね、鳥の妖怪のミスチーとね、虫の妖怪のリグルと、妖精のチルノと大ちゃんがいてね……」
「うんうん、それで?」
だんだんと話を続けていくルーミアに、男は相槌を打つ。
話の内容はどうやら、紅い館の門番さんに悪戯をした時のことのようで、チルノが初めに捕まり、それを庇ってみんなで説教を受けた事のようだ。
そのあと、チルノをかばったことに対して門番に誉めてもらったことまで、ルーミアはとても楽しそうに話していた。
それを聞いていた男もずっとルーミアの目を見て話を聞き、終わると同時に拍手を返した。
「まあ、私の話はこんなところかな」
「とても面白かったよ。ありがとう、ルーミア」
その言葉を聞き、へへっとはにかんだように笑うルーミア。
その顔はとても無邪気で、それでいて本当にうれしそうな笑い方だった。
「でも、今日もまたあなたを食べ損ねちゃった」
「まあ、それは仕方ないよ。お腹が一番空いている時に僕は食べてもらいたいんだ」
「でもあなた、いっつもお昼ごはん用意してるんだもん」
「まあそれは僕なりの感謝のつもりさ。話を聞かせてくれるね」
さも当然のようにルーミアの言葉に男はそう返す。
それまで俯いて男の話を聞いているルーミアだったが、ふと顔をあげ男と向き合った。
その瞳はこれまでと違い、ほんの少しだが光がさしているように男は感じた。
「じゃあ、明日も食べに来て、いいの?」
初めての、ルーミアからのお願いになるのだろうか。
男は少し戸惑ったが、先ほどのルーミアに負けないような笑顔でこう答えた。
「もちろん」
やがて空に去っていく黒い球体。そしてそれを地上から見送る一人の人間。
昨日よりも傾き、斜めの角度から光を届ける太陽。それとは反対の方向へ去って行くルーミア。
見えなくなるまで手を振り続けていた男は、
「さて、明日のおかずは何にしようかな」
とひとり呟き、まんざらでもない様子で大地に鍬を思い切り叩きつけた。
その次の日も、さらにその次の日もルーミアと男の昼食会ともいえるおしゃべりは続いた。
男が用意するものはもちろん、おにぎりとそれに合う幾ばくかのおかず。
質素な時は漬物だけの時もあったが、基本的にはそれに他のおかずがついた。
それは、焼き魚の時もあったし、焼き鳥の時もあった。
ルーミアはそんな男が持ってくるご飯を、いつも喜んで食べていた。
豚の焼き物のときはルーミアのテンションが上がってしまい、男は一口も食べられなかったほどである。
そして、いつもの昼食が終わればルーミアのお話の時間がはじまる。
リグル達と遊んだことはもちろん、紅い霧が幻想郷を覆った時のこと、春が遅れた冬のこと、月がほんの少し欠けた夜のことなど、
ルーミアが体験した、様々の奇々怪々な出来事を男に聞かせる。
それを聞く男もとても興味心身にルーミアの話に耳を傾け、それが終わればやはり拍手を返す。
そして、最後に二人で明日の約束をして、手を振り合いながら別れる。
そんな、なんとも形容しがたい日々が続いていたとき、ふと男はルーミアにこう、問いかけた。
「君は、人を食べたことがあるのかい?」
なんともなしに気になって、問いかけた、意図も何もない、ただただ興味本位の質問。
そして、やはりルーミアはそれに対して、何の感情も持たずに答えたのだった。
「あるよ」
何の重みのもたない、そんなルーミアの言葉に、男も特別何も感じなかった。
「そうか、あるのか」
「うん、もちろん」
「それは、おいしかったかい?」
「おいしかったよ。もう、長い間食べてないけれど」
「もう一度、食べたいかい?」
「食べたくないって言ったら嘘になるけど……」
「けど?」
「今はいいや」
「どうして?」
「もっとおいしいもの、毎日食べてるから」
そう言って満面の笑顔で笑う。その瞳にはもう、ただの少女の瞳だった。
「そっか。それは良かったよ」
そう返す男も、それはそれはいい笑顔だった。
「じゃあ、また明日ね」
「ああ、また明日」
いつものようにそう約束して別れる二人。
太陽はもう山並みの近くまで傾き、紅い光を届けるような時間になっていた。
いつからか、もう数えてはいないがいつの間にか、この昼食会はこの時間までかかるようになっていた。
紅く染まった空にぽわぽわと浮きあがり、いつもの方向へ去っていくルーミア。
そしてやはり地上からルーミアが見えなくなるまで見送る男。
もう畑仕事をするような時間ではないから、近くに置いてあった鍬を手に取って家路に着く。
てくてくと歩いていく男は、すでに明日のお昼御飯のおかずについて考え始めていた。
しかしその約束は、ついに破られることになる。
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「早く終わっちゃったなあ」
いつもは二人で腰掛ける川のほとりに、今日は男が一人で腰掛けている。
そのそばにはいつもの包みに入ったおにぎりに山に漬物、そして以前にルーミアが一番喜んでくれた豚の焼き物が入った重箱が用意されている。
畑仕事がいつもより早く終わってしまい、仕方がないのでずっと待っていたのだ。相棒の鍬はもうすでに畑の隅に放りだされている。
「まあ、自分が早く終わりすぎたのがいけないんだよな」
誰にでもなく呟く。もちろん返ってくる声もない。
さらさらという川のせせらぎがとても心地よいが、あいにく天気の方はそうはいかなかった。
「雨、降らなきゃいいんだけど」
空を見上げてそう呟きながら川に向って石を投げる。ぽちゃんという気の抜ける音をたて、石は当たり前のように沈んでいった。
その時、男の後ろからガサリと何かが動く音がした。それをルーミアが来た音だと思った男は
「やあ、ルーミア早かったね」
そう言って振り向いたのだが。
しかし、そこに見たのは真っ赤に光る眼だった。そして次の瞬間首に鋭く熱いものを感じた男は、一瞬のうちに意識を刈り取られた。
「今日のごはんはっ、なんだろなっ」
そんな風に楽しげに歌うような声が聞こえる。空を飛ぶ少女の独り言のようだ。
今日はいつもの闇の球を広げておらず、その姿をそのまま確認することができる。
いつもの闇はどうやら天気が影響しているらしい。
今まで休むことなく照らし続けていた太陽は、今日は分厚い雲の上で久しぶりの休暇を楽しんでいた。
「おにぎりおにぎりおいしいな」
ルーミアの歌は続いている。
友人の一人から習ったリズムと音程に、自分の思うがままの歌詞をあてはめたその歌は、調子はずれだが歌う人の気持ちを十分に表していた。
やがて、あの川が見えてくる。いつも二人で、ささやかな昼食会を開いている川だ。
友人からは「変なの」といわれたルーミアだが、初めての人間との食事は、やはりルーミアにとっては楽しいものなのであろう。
これから楽しいことがあるんだ。といわんばかりの調子はずれの歌をうたうルーミアの顔は、やはり笑顔なのだ。
「到着到着~」
ふわりと地面に降りる。きょろきょろと周りを見渡し、いつもの姿を探す。
「今日はまだ来てないのかな~」
畑には姿はない。仕方がないので先に待とうとしたルーミアの目に、その姿が映った。
いつも二人で腰掛けるあたりよりも少し川から離れた所に、男がうつ伏せで寝ころんでいた。
「あ、いた」
姿を確認して男に近づく。いつものように声をかけながら。
「お~い、きた、よ?」
その時、ルーミアは気づいた。
男が寝転がる地面に生える草が、真赤に染まっていることに。
そして、血の匂いがあたりに広がっていることにも。
「どう、し、たの?」
男に近づくにつれ、血の匂いが強くなり、錆びた鉄の匂いがルーミアの鼻を刺激する。
そばまで来たルーミアは、うつ伏せのまま寝る男の肩をゆすり、問いかける。
「ねえ、どうしたの。ねえってば!」
思い切り揺すったせいなのだろうか、うつ伏せの男はルーミアの力によって仰向けになった。
そして、ルーミアが見たのは、
「……うそ」
真っ赤に染まった男の体だった。
どうやら妖怪に襲われたらしく、そのからだは鋭い爪で切り裂かれたような傷や、牙でかじられたような跡があった。
それも低級な妖怪らしい。だから、あとで巫女がやってくるかもしれないのにも関わらず、襲った男をそのまま放置したのだ。
そう、低級な妖怪にやられたのだ、スペルカードすら知らない程度の。
「あ、え、……う」
言葉にならない声を発するルーミア。
目の前には昨日まで自分と話しあって、笑いあっていた人間が横たわり、そして今、そのからだは血に染まっている。
自分にとっては、食欲をそそる魅力的で真っ赤な血に。
「……そんな! いやあぁぁああぁ」
目の前が真っ赤になり、ルーミアの瞳孔が開き始め息も激しくなっていく。
今のルーミアの前にあるのは、あの男なのか、それとも……。
「あぐ、うう」
がしと男の肩を掴み、自分の目線まで持ち上げる。真っ赤に染まった体が露わになり、血が地面に滴り落ちる。
むわっとする血の香りがさらに強くなり、力なくうな垂れる男の様子は、まるで狩りで仕留められた兎か何かのようで。
じっと、それでいてねっとりとした目線を男であったものに向けたルーミア。
そして、ルーミアは、その男を……。
「た、大変です! 慧音様!」
「授業中だ。 静かにせんか」
寺子屋というものは基本的にとても静かな場所である。
もちろんこの時、里の男が慧音に緊急の知らせを持ってきた時も同様で、教壇に立つ慧音は突然の来訪者に怒声をぶつけた。
「急になんだ。そんなに慌てて」
「大変なんです! 里に、妖怪が!」
「落ち着け。妖怪がどうしたんだ」
慧音の近くに寄り耳打ちをするように事の詳細を伝える。そして、その話を聞いていた慧音の顔色は、だんだんと変わっていった。
そんな二人の様子に騒然となる教室。ざわざわと子どもたちが喚きあう。
そんな子供たちを
「静かに!」
の一声で黙らせた慧音は、言葉を続ける。
「聞いての通り、先生には急用が入った。今から少し出かけてくるから、教室から一歩も出ずに皆ここにいなさい」
有無を言わせない慧音の言葉に、もちろん逆らう生徒はいない。
心配そうに慧音に駆け寄ってきた一人の少女の頭を、安心させるかのように撫でた慧音は、その後すぐに里の入口に向かうため教室を後にした。
里の入口に向かうまでの間、慧音はその妖怪の様子を連絡役の男に聞く。
「それで、本当なんだな」
「はい。人間を背負った妖怪があらわれたんです」
「それで、その妖怪は?」
「それが、何もせずにただただ里の入口に立っているんです」
「人間を背負ったままでか」
「はい」
慧音はその言葉に顔をしかめる。
一体その妖怪と人間の間に何があったのか。なんにせよ、妖怪に背負われているという事自体ただ事ではない。
「背負われた男は、どんな様子だ?」
「それが血まみれで、おそらくその妖怪に襲われたものだと」
「血まみれだと!」
足を止め、血相を変えてそう叫んだ慧音に男は気圧される。
「すまんが私は先に行く! あとから来てくれ」
「わ、わかりました。先生、気をつけて」
そんな男の言葉を後ろに聞きながら、慧音は急ぐために宙に舞う。
空は今すぐにでも泣きだしそうで、鈍色の雲が慧音の気持ちをあせらせる。
(大事にならなければいいが)
里を低空で飛ぶ慧音に、冷たい風が吹きつけた。
里の入口。いつもは人の往来がそれなりにあり、出店などもでていて賑やかなところである。
しかし、今日は様子が違って、人通りが少ないばかりか、人が避けて通っているようなのだ。
そんな里の真ん中にぽつんと立つ影がある。その影は入口の真ん中に立ち、まったく動かない。
自分から動くことのないそれを、まわりの人々は遠巻きに眺めているだけだった。
そんな様子を、空を飛ぶ慧音が見つけるには簡単すぎ、また焦燥感を煽るにも十分だった。
急いで真ん中に佇む人影の前に降りる慧音。そして、まわりを取り囲む人々に向けて叫ぶ。
「離れろ!」
一瞬どよめきが起こったが、それが慧音の姿だと分かると、人々は何か安心したように慧音の言う通りに離れる。
人々が離れたことを確認して、慧音はその影に目を向けた。
確かに人を背負っていた。血まみれの人を。
もう、その人間は事きれていることが一目見て分かった。虚空を見つめる目は生気がなく、背負っている者を真っ赤に染める血は異常な量だったからだ。
そして、背負っている者。その者に慧音の目は奪われた。
ブロンドの髪に赤いリボン。紅い瞳に、今は赤く染まってはいるが黒と分かる服。
いつも神社で開かれる宴会で、顔を合わせていた少女だ。
「……ルーミアか」
その言葉にびくっとなる。どうやら間違いはないらしい。
ゆっくりとルーミアに近づき、その顔を両手でつかみこちらを向かせる。少々強引だが仕方ない。
「ルーミアだな。何があった?」
初めは焦点が合っていなかった目が、だんだんと自分に向いていくことが分かる。
しっかりと正気を取り戻したルーミアは、見つめる先にいた人物を見て、小さく呟く。
「けい、ね?」
「そうだ。慧音だ。一体何があった」
慧音を見つめながらぽかんとしていたルーミアだったが、突然がばっと慧音に掴みかかった。
まわりで見ていた人々が騒然となり、飛びだして来ようとする者もいたが慧音がそれを制する。
胸倉をつかんで、ルーミアは必死に慧音に乞う。
「慧音! たすけて!」
その言葉に一瞬固まった慧音だったが、そのことにも気づかずルーミアは矢継ぎ早に次の言葉を続ける。
「この人、私が行った時にはもう襲われたあとで、血まみれで倒れてて、私約束してたのっ! 一緒にご飯食べるって!
それで、私がお話したらこの人が喜んでくれるから、それで毎日約束してたの。おいしいおにぎり持ってきてくれるって。
でも今日はいつもと違ってて、私どうしたらいいか分からなくてっ! とりあえず人間が多い所に行こうって思って! だから、助けて慧音!」
必死に、それはもう必死に慧音にすがりつくルーミア。背中に背負われた男もルーミアにつれられるように力なくがくがくと揺れる。
しかし、それが最も分かりやすく示していた。もう、その男はこの世にいないということを。
「たすけてよう、けいねぇ。たすけてよぅ」
慧音にしがみついたまま地面にへたりこむ。それにつられて背負われていた男もずるりと落ち、ルーミアの横にばたりと倒れた。
仰向けに倒れた男の顔は天を向き、もうなにも映さない眼ははるか虚空をとらえていた。
しゃがみ込んでしまったルーミアに、慧音は諭すように話しかける。
「ルーミア、お前が一番わかっているんだろう」
ぶんぶんと首を横に振り、拒絶を表すルーミア。
その肩を掴んだまま慧音は言葉を続ける。
「もう、手遅れだ。私でもどうにもできない。それぐらいお前なら分かるだろう」
「わかんない! わかんないよ!」
大きく首を振りながらルーミアは叫ぶ。それは精一杯の拒絶のように慧音の目には映った。
「だって、約束してたんだもん! 今日も一緒にご飯食べるって! 私の話聞いてくれるって!」
自分に言い聞かせるように、そう叫ぶ。そんなルーミアの独りきりの叫びは、里の中に響く。
「おいしいご飯食べさせてくれるって言ってくれたんだもん! そうだよね!?」
そう言って隣に倒れた男に問いかけたルーミア。
もちろん男は答えない。二度と言葉を発することのない口は半開きのままで、力なく永久に開いたままなのだろう。
それを見たルーミアは呆然とする。今まで受け入れまいとしたことが、目の前に突然現れたから。
肩をつかんでいた慧音は、もう一度諭すように言う。
「……そういうことだ、ルーミア。これは、しょうがないんだ」
「っ!」
そんな慧音の腕を思い切り振りはらい、鈍色の空へと飛び出すルーミア。
歯を食いしばり、眼を見開いて、それでも涙をこぼさずに空高く舞い上がっていく。
「ルーミア!」
そんな慧音の呼ぶ声も届かず、ルーミアは飛び去っていく。
そこに残された慧音は、なんともいえない寂しさに襲われながら、ルーミアが届けてくれた男の骸を優しく抱きあげた。
この男を家族のもとに、ルーミアの代わりに届けるために、慧音はゆっくりとルーミアと反対の方向へ歩き始めた。
どんよりとした空から大粒の雨が降ってきたのは、それから間もない事だった。
さらさらと流れる川の音が聞こえる、いつも二人で腰掛けたあの川沿いにルーミアは一人佇んでいた。
いつの間にここに来たのかルーミア自身分からない。いつの間にかここに立っていたのだ。
あたりには男が用意していたであろう今日のお昼御飯のおにぎりや漬物、そして前に一緒に食べた豚の焼き物が無残に散らばっていた。
「もったいないな」
力なくそう呟く。どうやらこのお昼ごはんも妖怪に荒らされたらしく、すでにつぶれたり土にまみれたりしていた。
「結局、食べられなかったな」
誰に言うでもなく続くルーミアの独り言。かなしい響きを持つそれは川の流れる音にかき消されていく。
「どうして私は、あの人とお話しを始めたんだっけ」
そう言って思い出そうとしても、浮かんでくるのは一緒に食べたご飯と自分の話を楽しそうに聞くあの人の顔だけ。
「あの人の名前、私知らないや……」
目線を下におろす。不思議なことに涙は浮かんではいない。
その時、ルーミアはふと気がついた。地面に落ちている、いつもおにぎりが入っていたあの包みが、ほんの少しだけ膨らんでいるのを。
包みを拾いそっと開けてみると、まったく汚れていない真っ白なおにぎりが、一つだけ掌に転がってきた。
それは二人で食べあった、あの何の変哲もない塩むすびだった。
「あ」
真っ赤に染まった手の上にある、そのおにぎり。
ルーミアはそれを一口かじった。ゆっくりと、それはとてもゆっくりとそのおにぎりを咀嚼し、長い時間をかけて味わう。
いつの間にかぽつぽつと雨が降り出していて、はじめは地面に黒い斑点を作り出す程度だったそれは、ルーミアがそれを飲みこむ頃にはざあざあと本降りになっていた。
「おいしくない」
一言そう呟く。
雨に打たれながら、本当に美味しくなさそうにそう言うルーミア。手の上のおにぎりは降ってくる雨をその身に受けている。
降りしきる雨は地面に溜まり、そして大地を綺麗に流していく。
無残に散らばったお昼御飯の残骸はもちろん、男が倒れていたところに広がっていた血だまりも雨に流され、そして最後に目の前の川に流れ去っていく。
まるで、ここには何もなかったかのように、容赦無く全てを流していく雨。
冷たく痛いその雨はルーミアの体にも容赦なく突き刺さり、掌の上のおにぎりも、最後には無残に崩れ去りルーミアの掌から流れ去っていった。
「おいしくないよぅ」
もう、手の上にはないおにぎりを見つめながら、そう幽かな声で呟いたルーミア。
そして地面にうずくまり、自分の中にこみあげてくるものが一体何なのか分からないまま、そうやって雨が上がるまで動かなかった。
そんなルーミアの背中にも、冷たく痛い雨は突き刺さった。
その日、その川のほとりでは、雨がやみ、再び太陽が現れるまで、少女の泣き声が木霊していたという。
10点は笑顔のためにとっておきます。
次は幸せなお話を期待しています。
少しでも触れると壊れてしまいそうで
でも暖かかったから一緒にいたくて
人と妖、ふたりの距離の近さが悲しく切ないお話でした
涙の後には笑えるように、と泣きながら言ってみます
ルーミアは笑って「そーなのかー」だろうが!!
…
…
…
頼むからルーミアを幸せにしてあげてくださいよ…
80点
ちょっとそこら辺の低級妖怪に喧嘩売ってくr(ry
なんてこったい…涙が、涙が止まらないぜ…。
妖怪と共存する世界というのはこういうものなんだと、気づかされた思いです。
このお話はハッピーエンドじゃないからこそ光ってる作品だと思います。
ルーミアは可哀想でしたが、よいお話でした。
次作では是非、笑顔のルーミアが見たいです。
次回作ではハッピーエンドをっ・・!
点数だけ入れていく
次回こそHAPPY ENDで!
もう少し、男との会話の中でルーミアの心持ちが変わっていくプロセスの描写を多くしたら、
もっと男が死んだときのカタルシスが大きくなったんじゃないかと思いますが。
しかし、最後の「おいしくないよぅ」は素晴らしかった。
残りの10点はそんな少女の幸せの為に
次作、楽しみに待っています。
ハッピーな次回作を期待してます
ルーミアにとっての最高の調味料は男の存在だったのかもしれませんねぇ・・・。
そんな二人である以上、ある程度は悲劇的な展開になるだろうな、と予想はしていましたが、
まさかこんな展開になろうとは……。
もう少し救いのある結末であってほしかったですが、仕方ないのかな。