Coolier - 新生・東方創想話

その揺らめきは妙なる貪り 二

2009/11/28 00:39:47
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「人を喰ったことがあるかね。それとも無いのか。教えてくれよ。こまっちゃん」

 一語一語を早口で、玄助は何度も小町に問うた。


 短刀で切り欠いた破片のようにぎざぎざと不揃いな言葉の断面が、小町の意識へと投げ付けられる。ざんばらの髪の毛越しにのぞく玄助の二つの眼は、膠を全身に塗りつけられでもしたような、じとりとした汗の滲みを肌に喚起させた。


 小町は困惑した。


 これは何かの冗談だろうか。もしも、そうだとするならあまりに悪質に過ぎるというもの。突然、相手を仇名で呼ぶようになったり……ひょうきんな男であるとは思うけれど、こんなたちの悪い冗談を繰り出して来るほどに嫌な性格をしていたのだろうか。この予測が正しいとするなら、それこそ“人を喰った話”であるが。――相手が冗談で返すつもりなら、こちらも冗談で返すのが礼儀かもしれない。

「んん? あたい、アンマリ他人を馬鹿にするのは好きじゃないがねえ」

「いや、いや。そっちの方ではねえのさ」

 と、そう言ってくッ……くッ……と笑う玄助の眼光は、小町を昼寝から揺り起こしたときの、あの化け物じみた悪辣さの塊だった。腹のうちにある何ものかを隠そうともしない、一切の矜持なるものを捨て去った、ただ卑屈さを感得した者だけが浮かべ得る醜悪な顔をしていた。殊更に露悪的な色でもって空間に嫌悪の軌跡を残す玄助の両眼は、もはや軽蔑に近い感情に向かい始めていた。何を考えているのか。死神の船頭として数え切れないほどの死者を渡してきた小野塚小町は、ついぞ感じた事のない不安――玄助と舟に同乗していた時よりもなお一層にどす黒い不安を見出している。

「玄さん……お前さん、一体あたいに何が言いたいんだい。確かに、この小野塚小町は死神だ。大鎌もって、舟こいで、死人をあの世に連れてくのが仕事さ。ま、生者にとっちゃあ忌々しい嫌われ者だよ。けれど、悪いが人間を取って喰うような趣味は無いね。だってソイツは……」

 ……ソイツは、人間を喰らうのは、つまり妖怪の領分だから。


 そう言いかけて、小町は口をつぐんだ。そうせざるを得なかった。
 何故なら、途中まで微細な棘の生えた苛立ちと共に吐きだした彼女の言葉を、目の前に立つ玄助は、まるで美味いものを口に運びでもするように呵々大笑して聞いていたから。玄助はそうして、世の摂理を何も知らぬのだなと言わないばかりに汗と埃で曇った茶色い頬を引き攣らせた。それが小町には怖かったのである。ぷるぷると震える両の唇が鎌型に開かれて、もう一寸も笑う余地が無いといった様子で、玄助は、言った。千本の針を断続的に耳へと突っ込まれるかのように、彼の言葉は途切れ途切れしながら小町へと突き刺さった。けれど彼の言葉は、本当に針で身を苛まれるよりも、ずっとずっと鋭利であった。

「おれはな、こまっちゃん。人間を、喰ったことが、あるんだよ。死んだ人間の肉をな、鉈で削いで、火で焼いて…………そうして、喰っちまったことが、あるんだよ」

 ひ――――ひ――――ッ! 
 ひ――――ひ――――ッ! 
 ひ――――ひ――――ッ!


 彼の言う事がことごとく途切れ始めているのは、きっと、嗚咽にも似た荒い呼吸が、彼の胸へと必要以上の負荷を与えていたからかもしれない。

 
 肉体は既に消滅して苦しいはずは無いだろうに、自ら人間の肉を喰らったとうそぶく玄助の目尻には、何か親に隠しだてしきれない悪事をしでかした幼児のような焦慮があった。彼の頬は赤かった。今しも泣き出しそうになっていた。首を手で触れる例の癖が、また出ている。ただし、今度のはいつもより激しい。


 まるで“首元にかかった返り血を消そうと考えている”ように。

「言いたい事はそれだけかい、玄さん?」。

 溜息を吐きながら、小町は言った。


 ほんの数分の出来事と言うのに、彼女は全身に著しい疲労を覚えていた。全身の骨格が鉛にすり替わったみたいに身体が重いのである。


 それを埋め込まれたのはザンバラ髪の男。間違いなく、この玄助だ。なぜ彼は小町にこんな話をしたのだろうか。彼女がそれが疑問だった。閻魔の元へ行くのが待ち切れず、こんな中途半端な場所で悔悟の情を覚えでもしたか。悪くはないが、特別に良い訳でもない頭を捻っても、これという回答は見出せない。


 それに、彼が食人をしたという話は――?

「お前さんが私にどんな冗談を言おうが勝手だけどね。生前に何をどうしたとか、それで同情を買おうってのは無駄だと考えた方が良いよ。四季様には、生きていた頃の行状を余さず見透かすお力があるんだから」

 洗いざらいブチ撒けるのは、然るべき時に、然るべき場所で行いなよ、と。


 クルリと玄助に背を向けて、小町は再び歩き出した。大鎌の柄を肩にかけて、彼女は腕をぷらぷらと動かして戯れに鎌を揺らした。自分が玄助の言葉から受けた明らかな動揺を、意味も無い行為で遠くに放り出そうとしているように。草履が草地を抜けて再び巨大な地獄の門に立った頃には、玄助もまた彼女の後ろへとピッタリと張り付いて来ていた。今度こそは大人しく付いて行く気になったらしい。視線をチラと後ろに遣り、彼女は心から次第に不安を消そうと意識し始める。


 ……大丈夫。きっとただの冗談さ。四季様の審判によって全てが明るみに出る。恨み言に泣き言、時によっては感謝の言葉。死人との別れ際にいろいろ好き勝手なこと言われンのも、死神稼業にはつきものだ。

「さあ! 小野塚小町のお通りだよ! 久方ぶりに大真面目に仕事してンだ。門番やってる獄卒どもは、とっととココを開けておくれよッ」

 極めて明朗な大音声が彼岸に満ちる静謐を揺るがすと、ギギっ……と門が軋んだ。それは鉄であるにも関わらず、木で全てが造られているかのような奇妙な音だった。古い洞の中を金属が跳ね回っているような音。


 満ち満ちる死の匂いは、鉄錆によって口中に広がる血の味を経、ついには地獄の奥底で燃え盛る火炎が内包する硫黄じみた臭気へと変わっていく。やがて無骨な黒い門が完全に開かれると、小町と玄助はどちらが先ということも無しに地獄の土を踏み始める。


 暗闇を遥か遠方に湛えた地獄の内部からは、霧とも煙とも取れない霊魂の群れが、二人を包み込もうとしているようであった。


――――――


『近々、ある一人の“厄介な死人”が貴女の審理を受けに行くことになるだろう。貴女の“白黒はっきりつける程度の能力”をもってしても、もしかしたら、その処遇には悩むことになるかもしれない。心して裁判を執り行っていただきたい。』

 ……四季映姫・ヤマザナドゥは、先ごろ西行寺幽々子より届いた書状に目を走らせるたび、心痛の度合いがいや増したと言わないばかりに息を吐くのである。


 仕事道具である悔悟棒と帽子を傍らに置いて、彼女は周囲に誰も居ないのを幸い、少しばかり気を抜いていた。極端なまでに大真面目な性格で、趣味が『説教』の閻魔様にも、時には気を緩めるだけの憩いは必要だ。机に頬杖をついて折り目のついた手紙を眺めるその顔は、普段がしかめっ面を浮かべている事が多いだけに、細められた両眼も相俟って眠りかけた様なうつらうつらとした表情にも見えた事だろう。


 彼女の座る椅子には、燃え盛る火焔を象った多様な意匠・装飾の類が施されている。意思あるものの如くにうねり、ねじられ、その身をよじる火焔の姿は、現実の再現性という限界を超え、新たな熱の発現とでも言い表せそうな雄弁さが感じられる。


 顕界にはかつて、不動明王を取り巻く炎の様相を完璧に表現すべく妻子が炎に焼かれる様を恍惚と眺めた絵師が居たという。だが、後に理想の作品を完成させて自ら命を絶った彼でさえも、もしも映姫の座る椅子を見れば芸術家として到達し得ない美の極致を垣間見、途端に敗北を悟らざるを得ないほど、それは、おぞましいまでに美しかった。


 ――が、実際にその装飾に背を預ける映姫本人は、そういった点を特に考慮した事はあまり無い。そもそも先述の意匠とは、後背に特別の気を使う事で罪人に対して閻魔大王の威厳を演出するのが目的だった。死者の魂を裁くという重大な権限を付与されている彼女は、しかし、地獄を預かる神様らしからぬ小柄な身体である。派手な椅子にすっぽりと収まる少女の姿は、場所さえ変われば他人になかなか神様だとは信じてもらえないかもしれない。外見だけなら子供と言えない事も無いのだから。
 ……つまるところ、彼女が座る椅子の怖ろしげな火焔とは、裁く死者に対して『ナメられない様にするため』という、まことに実利的な側面も無いでは無かった。

「西行寺幽々子にも困ったものですね……まるで、われわれ彼岸に対して責任を押し付けているようではないですか」

 また盛大な溜息をついて独り言を弄する彼女の眼には、手元の書状の末尾に付記された一文へと注がれた狼狽の意があった。

『ついでながら。このたびの一件において白玉楼一門は、始めから終わりまで一切の介入・および関与を行っていないという事を、ここに付記しておく』

 書状の要旨は――最近、現世で死者の発生を伴う奇妙な事件が発生した。それにまつわる死人の魂を裁くのは地獄の閻魔でも難しいだろう……と。


 ここまでなら単なる忠告に過ぎないが、読んだ映姫にとっては体のよい言い訳というか、責任逃れのように思えて仕方が無かった。むろん、それは単なる邪推ではあるし、四季映姫・ヤマザナドゥはまがりなりにも神様だ。人々に公明正大な審判を下すという使命がある。なまじ極端と言えるほどに正義感の強い彼女だから、疑心暗鬼とは言わないまでもやたらめったら他人を疑う事には抵抗がある。しかし、普段から冥府の大屋敷・白玉楼の管理人たる西行寺幽々子の人柄を知っている彼女には、どうしても拭い去れない疑念じみたわだかまりが心中に残る。


 西行寺幽々子。
『死を操る程度の能力』を持つ、亡霊少女。


 よく言えば天真爛漫で天衣無縫。しかし、見様によってはいい加減でちゃらんぽらんな性格。嘘か実かは判らぬ噂程度の情報ながら、亡霊らしからぬかなりの健啖家……というか大食いで、夜雀を食べようとしたこともあったとか無かったとか。


 映姫は、彼女のような人物が苦手だった。


 何事にも真面目かつ全霊で力を尽くす映姫。飄々と、まるで風か水のように事によって触り具合をくるくると変えていく幽々子。亡霊だから――ということも無かろうが、まるで実体の掴めない霞のような人物である。同じく人の死に関わる仕事に就いていながら、二人はまるで正反対だった。前者が利剣によって悪を粉砕する正義の炎とするならば、後者は相手が朽ちるに任せて傍らより死の匂いを放ち続ける黄泉の風という喩えが当てはまろうか。
 映姫は真面目さゆえ、何に対しても不器用すぎる。対する幽々子は抜け目なく硬軟を巧みに使い分ける。


 もしかしたら、今回の書状も責任逃れの類ではなく、ともすれば硬直しがちな映姫の思考に対し、常に変則する事態への柔軟な対処を促すための善意によるものだったのかもしれないが――。

「どうやら現世で何かが起こったのは事実のようですし、ここは大人しく彼女の言葉を受け容れておくのが上策でしょうね……」

 三度目の溜息を発して書状を折り畳んだ映姫は、眠りから覚めた意識を現実に慌てて引き戻すようにして、両手で頬を強く叩いた。


 帽子を被り直し、悔悟棒を両手で握っては指が白くなるほど力を込める。それは、どんな難解な事象も白黒はっきりつけて見せようという、閻魔としての矜持の表れだったに違いない。それに、疲れたからと言ってあまり長時間に渡ってだらけていては、いつもサボってばかりいる“彼女”を叱り飛ばす権利を自ら放擲するも同義の愚行。部下を有能な者として使うには、まずはトップが有能さの模範を示さなければならないと映姫は思っていた。


 程なくして幽々子が言うところの『厄介な死人』とやらも到着するだろう。その時こそ――。
 と、まとまりの無いことを考え考えしていると、部屋と廊下を隔てる扉を叩く音があった。


 ゴ――、オ、ン。ゴ――、オ、ン。


 初めは金槌で鉄を力任せに打つ様に轟き、二度目の響きは虚ろな風音、三度目は差し詰め蜂の羽音に似ていた。重々しくも鎮座する執務室の扉を叩いて、広い閻魔の居室の静謐を著しく破る事が出来るのは、日常的に舟を渡して力仕事に従事している“彼女”――死神の船頭・小野塚小町だろう。

「小町ですね。入りなさい」

 人目を忍んで休息を取っていた少女の姿を一時、振り捨て、彼女は神としての威厳を身にまとう。その腹や喉から吼えたてたのは、果たして声だけで相手を恐れさせる事の可能な、怖ろしい獣に擬態した彼女の意思だったのだろう。


 眠るようになっていた朧気な視界をも明瞭に造り変え、少女はしばし『四季映姫・ヤマザナドゥ』としての職分を全うせんと決意した。


――――――


「……だってさ。じゃ、行こうかい。玄さん」

「お、おう」

 未だ何にも喋ってないのに。さすがは四季様ってところかな。


 扉を叩くだけで相手が誰かを判別するとは、神様ともなると違うな……と、小町は変てこな感心を覚えながら、後ろに立ち尽くす玄助を見遣った。


 彼と小町は地獄の門を潜ってから、一言も話さずに閻魔の部屋までひたひたと、足音もさせずに歩いてきた。二人ともが先ほどまであれほどモノを喋りたがっていたのに関わらず。それは、とりもなおさず玄助が小町に話した奇妙な話のためだったのであろう。曰く、彼は人を喰った。食人をした。もしもそれが本当なら、恐るべき大罪である。生き物はものを喰わねば生きられない。しかし、人間には人間の、妖怪には妖怪の……いわば侵してはならぬ領分というものが存在するはずである。


 人が人を喰う。
 人を逸脱して妖に近づく行為。それが、どれほどの刑罰を課せられるのか。


 あの世とこの世の境を渡すだけが仕事の小町は、閻魔の裁定における詳しい基準を知っている訳ではない。けれど、この自白が本当だとするなら、容易ならぬ一件であるな……と、思う。

  
 玄助は、やはり首に触れる例の癖を出していた。
 が、小町へと陽気に話しかけていた頃の面影は、もはや無い。浮かべている笑顔は何らも変わるところが無い様に見えた。しかし、その実――鋭い刃物を蔵しているかのような、触れたらずたずたに切り刻まれかねないようなものが、どことは言えないながらに宿っている。たった一つの事象が、これほどまでに人間の様相を変えるものであろうか。揺さぶりをかけられた小町の心中は、いつの間にか自分自身で必死に否定しようとしているほど、少なくとも著しく動揺していたのは間違いない。

「しつこいようだけど……四季様の前で言い逃れをしたり、嘘を吐いたりするなんてのは、やるだけ無駄さ。いかに閻魔様が慈悲深いお方とはいえ、下手に言い訳なんかしたら地獄行きが早まるだけだからね」

「解ってるさ、こまっちゃん。言ったろ、俺はいちど聞けば大概のことは覚えられるぜ」

 ひひッ……と、玄助はザンバラ髪の下の目を、束の間、細めて言った。口角が僅か釣りあがり、唇の間から茶色くなった舌が覗いていた。不揃いな歯は黄色くまだらの模様に染まっており、土をお歯黒の出来損ないみたいに塗りつけたようだった。彼の笑顔を確かにその目で見た小町は、「これなら大丈夫」と確信する。


 四季様の前に彼を突きだせば、全ての真実が明るみに出る。
 彼が人を喰ったのか。果たして食人の、人間の領分を逸脱せるか否か。


 見たい! と、小町は、強く強く思った。玄助が映姫の眼差しの下に頭を垂れ、生前の行状を開陳させられる様を、その眼で感じたいと激しく欲求した。本来なら、閻魔の下に引き出せば死神と死人の関係は途切れる。仕事柄、死人に感情移入をする事は禁物だ。けれど、彼女は見たい。玄助の行く末が、彼に下される審判が!

 
 それが単なる野次馬じみた好奇心の類であったら、小野塚小町は容易に制御し得るだけの理性を備えていたはずだ。だが、それが出来そうにない。この不気味な男に、心底から小町は惹かれている。しかし、それは友情ではない。まして恋などであって良いはずがない。ただ自らの手で成される彼の魂の顛末を見届け、己の内にいつまでも留め置きたいという――言うなれば、母の子にかける慈愛に最も近い感情だったのかもしれない。

「ヨシ。上等さね、玄さん。それじャあお前さんの行く末――このあたいが、見届け人になってやろうじゃないのさ」


――――――


 地獄の門を抜け、長い長い回廊を通り過ぎた後。

 閻魔の座する執務室には、血と火炎に彩られた凄惨な地獄の様相など視覚的にはもちろん、音すらも聴こえてくることは無い。獄卒の振るう槌や刃が哀れな罪人の骨を打ち砕き、肉を幾つもの破片に分解すると、例外なく彼らは断末魔の悲鳴、絶叫、慟哭を上げて許しを請う。だが殺されても直ぐに生き返り、生き返ってはまた殺されるのが地獄の摂理。驕り高ぶった不遜な悪人共の死を燃料としてその火を灯されてより、一時も絶えたためしの無い地獄の平常であった。


 現世の時間に換算するならば兆単位とも言われる刑期を終えて転生の権利を与えられるまで、地獄の裁判で有罪と断じられた者は儚い人の身にすれば永劫にも等しい苦役を課せられるのである。


 ――そんな、極端なまでの正義が執行されている場とは隔てられた部屋は、しかしながら閻魔の裁きいかんによっていつでも直結してしまう。


 扉を押し開けて執務室に入って来た死神と死人――小野塚小町と玄助が、従容として閻魔たる四季映姫・ヤマザナドゥの面前に現れる。


 閻魔の使用する机と椅子の置かれた場所は、平坦な床の中でそこだけが幾段か高くなっている。これもまた閻魔大王の威厳を強調するために為された処置であった。ために、扉を開けてこの部屋に入って来た者はみな高所より見下ろされる状態となり、閻魔に対して平伏すが如き錯覚を植えつけられる。顔を見るにはいちいち見上げねばならぬし、嫌でも立場の違いを自覚させられるという仕組みであった。
 遥か頭上より注がれる上司の視線を全身に浴び、小町は頭を垂れて映姫の言葉が出るのを待った。次の命令なり指示なりがあるはずだからである。が、意想外と言えば意想外の反応……端的に言えば、かけられたのは嫌味のような言葉だった。

「おや。“あの”小町が真面目に働いているとは珍しい。もしや、明日は三途の河が干上がりでもするのでしょうか」

「ちょッ……! 四季様ったらヒドいな、もう。あたいだって死神の端くれなんだ。今日だってホラ、この玄助という男――むろん、裁くべき死人ですがね――を、連れてきたじゃありませんか?」

 予想もしていなかった言葉を受けて慌てだす小町である。


 弁解の余地を見出すべく慌てて手柄を強調し始めるが、映姫はみなまで言わずともよく解っているとばかりに大きくうなずいた。両手で捧げ持つようにした悔悟棒を、数度、前後に揺り動かして「たまには、私も冗談を言ってみたいと思いまして」と微笑しながら、閻魔大王は言葉を継ぐ。

「御苦労でした、小町。後は私に任せて、あなたは下がっていてよろしい」

 世に怖ろしい断罪者と伝わる閻魔らしからぬニコリとした笑みを浮かべて、映姫は命じた。


 だが言われた小町と言えば、はッ……として目を見開き、幾度か口をもごもごと動かすばかりだった。鎌を支える手は無意識に震え、脚は床に根を張った如くに動こうとしない。

「どうしました? ここから先は私の仕事ですが……何か伝えたいことでもあるのですか」

「は、はい。実は、ひとつだけお願いが」

「お願い……? 何でしょう。言ってみなさい」

「実は、その――今、私が連れてきたこの男。玄助という名前なンですが、彼が裁かれる様を、私にも見せて欲しいんです」

 空いた片手で頭頂部を掻き掻き、まるで何か道徳に反する行いを告白でもするように小声で語る小町の声は、持ち前の明朗さを置き忘れた様な色があった。傍らの玄助を指し、薄笑いを浮かべながら阿諛にも似たものを見せる死神の頬は、越権の域に踏み込んだ行為を明らかに躊躇して震えていた。言ってみたは良いものの、どんな返答が返ってくるか予想もできない彼女は、すぐさま頭を垂れて映姫の顔から視線を逸らす。


 だが、意外な要求に驚いたのは映姫の方である。

 まさか裁判の様子を見せてくれなどとは。
 何の意図があるのかは知らないが、別段、死神が審理の様子を目にする事を咎める法がある訳でなし、断る理由は特に無いが――。

「…………まあ、良いでしょう。特別に許可します。小町が私の仕事を邪魔するつもりだとも思えませんしね。では、その玄助とやらを私の前に立たせなさい。あなたはどこか遠くから、眺めているがよいでしょう」

「は、い! ありがとうございます」

 途切れ途切れに感謝の言葉を述べた小町の元から、今まで殊勝に二人の遣り取りを観察していた玄助が進み出た。映姫の言葉を聞き、自ら彼女の前へ出ようとしているらしかった。

「よろしくお願いしますよ。閻魔様」

「――では、玄助。あなたに対する審理を開始したいと思います。よろしいですね?」

「はあ」

 玄助の挨拶へ特に返答する様子も無く、事務的な口調で語り始める映姫。対する玄助もまた、気の抜けた応答が地獄のしじまに染み出ていた。


――――――

 
 ――――始めに幾つかの質問をしたいと思います。


 ――――良いですぜ。


 ――――まず一つ目。
 ――――あなたは、自分が死んだという事を認めますか?


 ――――へえ。
 ――――おれは死んでますね、確かに。
 ――――それが解らないほどに馬鹿じゃあ、ない。


 ――――よろしい……では二つ目。
 ――――自分の生前の行状、つまり、自らが為した善行・悪行。
 ――――それらのものを、覚えていますか?


 ――――善行に悪行ね。
 ――――子供の頃のことは曖昧だけど……。
 ――――大人になってからはだいぶ覚えてますよ。
 ――――思い出せる限り、話したって良い。


 ――――なるほど……次に三つ目。
 ――――これが最後の質問です。玄助。
 ――――もしもあなたが償うべき大罪を犯していたとして……。
 ――――大人しく刑罰に服する勇気がありますか?


 ――――もちろん。
 ――――子供の頃から、悪い事をした奴は地獄に落ちるぞーって。
 ――――親父やお袋から散々に脅されてきたんです。
 ――――悪事は、いつか償われるべきだ。



 ――――確かに、その通り。
 ――――では……次に移りましょう。


 ――――ンン……? 
 ――――閻魔様、その、手鏡はいったい何に使うんで?


 ――――これは、“浄玻璃の鏡”と言います。
 ――――この鏡面に今から玄助の姿を映します。
 ――――すると、あなたの過去の行いの全てが映し出される。
 ――――よって、私に嘘や隠しごとの類は一切無効という訳です。


 ――――おッ! 
 ――――何だか、イヤに眩しいじゃあないですか…………。


(続く)
  
前回投稿させていただいた、
「その揺らめきは妙なる貪り」の第二話となります。
いちおう次回を以て、全三話での完結を想定しています。

作者本人としては、
「何だか冗長に過ぎるきらいがある」
と感じていたのですが、
実際に目を通された読者の皆様からの、
ご意見・ご感想等を頂ければ幸いです。


では、次作まで、しばしのお付き合いを頂ければ嬉しく思います。
こうず
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コメント



0.490簡易評価
4.80名前が無い程度の能力削除
描画が濃いような・・・しかしシリアス前提で考えると受ける方もいるかと。
5.80煉獄削除
次回で彼の過去の行いが出てくるのですか……どんなことが映しだされるのか気になりますね。
小町と玄助の話や空気とかも面白かったです。
8.100名前が無い程度の能力削除
>「何だか冗長に過ぎるきらいがある」
いやいや、貴方ぐらいのはむしろ丁寧な情景・心理描写というのです。
もっと厚く濃密しても良いとすら思いますよ。

人喰い人の過去とは?
続きも期待しております。
9.80葉月ヴァンホーテン削除
完結するまでは評価すまい、と思っていたのですが……
だめだ、面白い。
どんな風に玄助を見ていいのかがわからなくて、もどかしいです。
続きを期待しています。
13.無評価コチドリ削除
独りよがりな指摘ですが

>それを埋め込まれたのはザンバラ髪の男。間違いなく、この玄助だ。なぜ彼は小町にこんな話をしたのだろうか。彼女がそれが疑問だった
 →それを埋め込んだのは~彼女はそれが疑問だった
>心痛の度合いがいや増したと言わないばかりに息を吐くのである→言わんばかりに