ある日、レミリアが突然言った。
「野球をしましょう」
外の世界から流れてきた漫画を読んだらしい。爛々とした眼差しで私を射抜く。
けど、私はやきゅうなんて知らない。だから私は小首を傾げた。
「やきゅうって、何」
そんな私の仕草を見て相変わらず可愛いわね、なんて茶化される。思わず私は赤くなって、下を向いてしまった。
にやにやと笑いながら彼女は私に説明する。
なんでも、飛んで来た球を棒で打って、より遠くへ飛ばす競技らしい。
でも、人数が足りない。
やきゅうをするには、打つ人と、投げる人と、守る人と、判定する人と、その他控えが必要らしい。
ついでに言うと、場所も道具も無かった。肝心の棒と球、あとは捕るための網が無かった。
おまけに外は雨が降っていて、彼女は出られない。
だから、きゃっちぼうるをする事にした。
大人数が必要なやきゅうだけど、これなら二人でもできるそうだ。
やり方は簡単。とって、投げる。それだけ。そう聞くと退屈そうですぐに飽きそうだけど、身振り手振りで色々語る彼女が可愛かったからやる事にした。
ここは紅魔館。外には出られない。と、手元にあった紙をくしゃくしゃに丸めるレミリア。
そしてクローゼットの引き出しから靴下を取り出し、丸めた紙を詰めた。球の代わりなんだろう。
「ほい」
下手投げで渡される。
「ん」
下手投げで返す。
距離が近いと往復するのも早い。そんな至近距離での渡し合いを十分ほど続ける。そして見詰め合う事数秒間。
「廊下に出ましょうか」
「そうね」
そして先程より少し離れて向かい合う。廊下を飛びながら進む妖精メイドがじろじろと見てきて恥ずかしいが、彼女は気にしない。
「それ」
ぽすん。
山なりの球を両手で捕る。
「えい」
ぽすん。
山なりの球を右手で返す。
初めてだからか即席の球だからか、お互い球が手につかない。その度に妖精メイドにとって貰って、お礼を言う。
山なりのコミュニケーションを重ねる。そして、彼女の癖に気付く。
私の投げた球を捕ろうと夢中になるから、口が半開きになっている。ほんの数秒の事だけど、可愛くて目に焼き付ける。
続ける事、数十分。レミリアが投げようとした時、突然背後から人が現れた。一瞬だけ、驚く。
会話の内容は聞こえないけど、レミリアの渋る顔を見るにきゃっちぼうるを止められたんだろう。
待ってる間、する事も無いので窓の外を見る。
何時の間にか雨は止んで、夕刻過ぎの空には灰色とほんの僅かな朱色が広がっていた。
地面はぬかるんでいるけど、二人とも空を飛べるから平気だろう。
やがて会話を終わらせたのか、レミリアがやってくる。小さくむくれている。見ると手にはさっきまでの歪な球とは違い、本物の球を持っていた。
「雨が止んだから外でやってこいってさ。全く、主人を敬わない子ねぇ」
見ると彼女の姿はもう無い。流石は完全で瀟洒なメイドだ。
「ああ、でもちゃんとした球をもらったわよ。漫画ではもっと硬い球だったけど、グローブも持ってないからこれで良いでしょう」
球を捕る道具はぐろうぶと言うらしい。渡された球はふにふにで、これは確かゴムボールと言う奴だ。
外に出る。雨上がりの空気は澄んでいて、実は少しだけ汗ばんでいた身体を心地良く冷やしてくれる。レミリアも同じだったらしく、ぐっと一つ背伸びをした。
廊下の時と同じくらいの距離で、きゃっちぼうるを始める。
外と言っても紅魔館の敷地内の庭だ。地面は土ではなく芝生で覆われていて、ボールを落したりしても下手に汚れたりはしない。
「ほい」
ぺちん。
「ん」
ぺちん。
やっぱりちゃんとした球になったからか、投げやすい。同時に、紙からゴムに変わったので、きゃっちした時にいい音がする。
少し続ける。少しだけ、手が赤い。そして、レミリアが笑う。
「やっぱりちゃんとした球を投げるのがいいわね。さすが咲夜だわ」
ぺちん。
手に、僅かな痛み。紙の時には無かった感触とレミリアの笑顔が重なる。
きゃっちぼうるをしながら、何かを話す訳でもない。ああとかうんとか、言葉じゃない声を出すだけ。
レミリア、楽しいのかな。
咲夜さんとやった方が楽しいんじゃないかな。
さっき笑ったのだって、私じゃなくて咲夜さんのおかげだ。
--そんな事を考えて、ちくりと心が痛んだ。そしてそんな自分が、嫌になる。
地底の妖怪じゃ、ないけど。
心のどこかで咲夜さんが憎い。
独占欲、なのかな。
嫌だな。こんな気持ち。
でも、好きなんだもん。
ぐるぐると思考が回ってごちゃごちゃになって、そして力加減を間違える。
「あ」
「あ」
私の投げた球は、レミリアの遥か上。咄嗟に手を伸ばすけど、一瞬遅かった。
「もう」
「ごめん」
気を付けなさい。そう彼女は言い、パタパタと背中の羽をはためかせ、ボールをとりに行く。
ぽつんと、私一人がその場に残される。
ほら、こうやって。
月でも、ここでも。私は上手くいかない。
きゃっちぼうるも、私は上手く出来ない。
部屋の中で二人だけで居たなら、そんな事に気付かなくてすんだのになぁ、なんて。
レミリアが私以外を見ないでいてくれたら、私も私に自信がつくのになぁ、なんて。
部屋を出て、
廊下に出て、
きゃっちぼうるをする度に。
距離が広がって、
世界が広がって、
声が遠くなり、顔が見えなくなる。
私が明後日の方向にボールを投げた時、レミリアはどんな顔をしたんだろう。
やっぱり、怒ってたかな。嫌われたかな。
そんなの、嫌だな。
「なんて顔してんのさ」
気がついたら、レミリアが目の前に居た。目の前と言うより、目の下にいた。
私より背の低い彼女が、私を見上げている。
「今にも泣きそうな顔して……まぁ、良いわ。戻りましょう」
「もう疲れたし、また一雨きそうだしねぇ。それに、泣きそうな弱虫兎に優しくしてあげなくちゃいけない」
「べ、別に私は」
顔後と横に逸らそうとして、ぐいっとネクタイを引っ張られる。必然、私の顔はレミリアのすぐ近くに下がる。視界一杯に、彼女独特の不敵そうな笑みが広がる。目を逸らそうにも、逸らせない。
ふわりと、いい香りがした。クランベリーかラズベリーみたいな、けれど少し違う匂い。
「優しくしてほしくないの?」
そんな質問、答えられるはずも無い。けれど、答えないとこの状況から逃がしてはくれないだろう。
視界一杯にレミリアの笑み。
鼻先一杯にレミリアの匂い。
胸一杯にレミリアへの想い。
--勝てるはずも無かった。
「……降参。降参するから、離して」
「ま、良いでしょう。部屋でたっぷり撫でてあげる」
「うう」
翌日。寒空の下きゃっちぼうるをしたせいか、風邪を引いてしまった。なんで私だけなんだろうか。理不尽だ。
師匠に説教されながらふと想う。
ああ、きっとこの風邪が治っても。
もう一つの病は治らない。
何せこれは不治の病。師匠の薬でも治らないだろう。
これを治すには、ベリージャムに良く似た匂いとあの独特の笑み。それと、一晩分の温もりが必要だ。
私はそれを求めに、明日も紅魔館へ行くんだろう。
「野球をしましょう」
外の世界から流れてきた漫画を読んだらしい。爛々とした眼差しで私を射抜く。
けど、私はやきゅうなんて知らない。だから私は小首を傾げた。
「やきゅうって、何」
そんな私の仕草を見て相変わらず可愛いわね、なんて茶化される。思わず私は赤くなって、下を向いてしまった。
にやにやと笑いながら彼女は私に説明する。
なんでも、飛んで来た球を棒で打って、より遠くへ飛ばす競技らしい。
でも、人数が足りない。
やきゅうをするには、打つ人と、投げる人と、守る人と、判定する人と、その他控えが必要らしい。
ついでに言うと、場所も道具も無かった。肝心の棒と球、あとは捕るための網が無かった。
おまけに外は雨が降っていて、彼女は出られない。
だから、きゃっちぼうるをする事にした。
大人数が必要なやきゅうだけど、これなら二人でもできるそうだ。
やり方は簡単。とって、投げる。それだけ。そう聞くと退屈そうですぐに飽きそうだけど、身振り手振りで色々語る彼女が可愛かったからやる事にした。
ここは紅魔館。外には出られない。と、手元にあった紙をくしゃくしゃに丸めるレミリア。
そしてクローゼットの引き出しから靴下を取り出し、丸めた紙を詰めた。球の代わりなんだろう。
「ほい」
下手投げで渡される。
「ん」
下手投げで返す。
距離が近いと往復するのも早い。そんな至近距離での渡し合いを十分ほど続ける。そして見詰め合う事数秒間。
「廊下に出ましょうか」
「そうね」
そして先程より少し離れて向かい合う。廊下を飛びながら進む妖精メイドがじろじろと見てきて恥ずかしいが、彼女は気にしない。
「それ」
ぽすん。
山なりの球を両手で捕る。
「えい」
ぽすん。
山なりの球を右手で返す。
初めてだからか即席の球だからか、お互い球が手につかない。その度に妖精メイドにとって貰って、お礼を言う。
山なりのコミュニケーションを重ねる。そして、彼女の癖に気付く。
私の投げた球を捕ろうと夢中になるから、口が半開きになっている。ほんの数秒の事だけど、可愛くて目に焼き付ける。
続ける事、数十分。レミリアが投げようとした時、突然背後から人が現れた。一瞬だけ、驚く。
会話の内容は聞こえないけど、レミリアの渋る顔を見るにきゃっちぼうるを止められたんだろう。
待ってる間、する事も無いので窓の外を見る。
何時の間にか雨は止んで、夕刻過ぎの空には灰色とほんの僅かな朱色が広がっていた。
地面はぬかるんでいるけど、二人とも空を飛べるから平気だろう。
やがて会話を終わらせたのか、レミリアがやってくる。小さくむくれている。見ると手にはさっきまでの歪な球とは違い、本物の球を持っていた。
「雨が止んだから外でやってこいってさ。全く、主人を敬わない子ねぇ」
見ると彼女の姿はもう無い。流石は完全で瀟洒なメイドだ。
「ああ、でもちゃんとした球をもらったわよ。漫画ではもっと硬い球だったけど、グローブも持ってないからこれで良いでしょう」
球を捕る道具はぐろうぶと言うらしい。渡された球はふにふにで、これは確かゴムボールと言う奴だ。
外に出る。雨上がりの空気は澄んでいて、実は少しだけ汗ばんでいた身体を心地良く冷やしてくれる。レミリアも同じだったらしく、ぐっと一つ背伸びをした。
廊下の時と同じくらいの距離で、きゃっちぼうるを始める。
外と言っても紅魔館の敷地内の庭だ。地面は土ではなく芝生で覆われていて、ボールを落したりしても下手に汚れたりはしない。
「ほい」
ぺちん。
「ん」
ぺちん。
やっぱりちゃんとした球になったからか、投げやすい。同時に、紙からゴムに変わったので、きゃっちした時にいい音がする。
少し続ける。少しだけ、手が赤い。そして、レミリアが笑う。
「やっぱりちゃんとした球を投げるのがいいわね。さすが咲夜だわ」
ぺちん。
手に、僅かな痛み。紙の時には無かった感触とレミリアの笑顔が重なる。
きゃっちぼうるをしながら、何かを話す訳でもない。ああとかうんとか、言葉じゃない声を出すだけ。
レミリア、楽しいのかな。
咲夜さんとやった方が楽しいんじゃないかな。
さっき笑ったのだって、私じゃなくて咲夜さんのおかげだ。
--そんな事を考えて、ちくりと心が痛んだ。そしてそんな自分が、嫌になる。
地底の妖怪じゃ、ないけど。
心のどこかで咲夜さんが憎い。
独占欲、なのかな。
嫌だな。こんな気持ち。
でも、好きなんだもん。
ぐるぐると思考が回ってごちゃごちゃになって、そして力加減を間違える。
「あ」
「あ」
私の投げた球は、レミリアの遥か上。咄嗟に手を伸ばすけど、一瞬遅かった。
「もう」
「ごめん」
気を付けなさい。そう彼女は言い、パタパタと背中の羽をはためかせ、ボールをとりに行く。
ぽつんと、私一人がその場に残される。
ほら、こうやって。
月でも、ここでも。私は上手くいかない。
きゃっちぼうるも、私は上手く出来ない。
部屋の中で二人だけで居たなら、そんな事に気付かなくてすんだのになぁ、なんて。
レミリアが私以外を見ないでいてくれたら、私も私に自信がつくのになぁ、なんて。
部屋を出て、
廊下に出て、
きゃっちぼうるをする度に。
距離が広がって、
世界が広がって、
声が遠くなり、顔が見えなくなる。
私が明後日の方向にボールを投げた時、レミリアはどんな顔をしたんだろう。
やっぱり、怒ってたかな。嫌われたかな。
そんなの、嫌だな。
「なんて顔してんのさ」
気がついたら、レミリアが目の前に居た。目の前と言うより、目の下にいた。
私より背の低い彼女が、私を見上げている。
「今にも泣きそうな顔して……まぁ、良いわ。戻りましょう」
「もう疲れたし、また一雨きそうだしねぇ。それに、泣きそうな弱虫兎に優しくしてあげなくちゃいけない」
「べ、別に私は」
顔後と横に逸らそうとして、ぐいっとネクタイを引っ張られる。必然、私の顔はレミリアのすぐ近くに下がる。視界一杯に、彼女独特の不敵そうな笑みが広がる。目を逸らそうにも、逸らせない。
ふわりと、いい香りがした。クランベリーかラズベリーみたいな、けれど少し違う匂い。
「優しくしてほしくないの?」
そんな質問、答えられるはずも無い。けれど、答えないとこの状況から逃がしてはくれないだろう。
視界一杯にレミリアの笑み。
鼻先一杯にレミリアの匂い。
胸一杯にレミリアへの想い。
--勝てるはずも無かった。
「……降参。降参するから、離して」
「ま、良いでしょう。部屋でたっぷり撫でてあげる」
「うう」
翌日。寒空の下きゃっちぼうるをしたせいか、風邪を引いてしまった。なんで私だけなんだろうか。理不尽だ。
師匠に説教されながらふと想う。
ああ、きっとこの風邪が治っても。
もう一つの病は治らない。
何せこれは不治の病。師匠の薬でも治らないだろう。
これを治すには、ベリージャムに良く似た匂いとあの独特の笑み。それと、一晩分の温もりが必要だ。
私はそれを求めに、明日も紅魔館へ行くんだろう。
次も期待します