放課後の寺子屋に、カリカリと、ペンを走らせる音が響き渡る。
(○、○、○、○、○、×、○・・・何だ、○ばっか)
私の目の前には、慧音の作った○×テストの解答用紙が置かれている。
解答用紙とはいっても、縦13マス×横20マスの正方形が並んだだけの、とてもシンプルなものだけど。普通であれば、これを「解答用紙」とは呼ばないだろう。
こんな手抜きでいいのか?と慧音に聞いたところ「解答用紙一枚一枚作るのも結構大変なんだ」と返された。というか、通っている子全員分、全部手書きで作っているんですか。いつもご苦労様です。
そんなわけで、先程から、私はそれに向かってひたすら書き込んでいるわけだ。
当然、私はここに通っているわけじゃないのだから、補習なんてものではない。
加えて言うと、慧音の試験の丸付けを手伝ったりしているわけでもない。
では、これは一体どういうことなのか。
・・・実は、私にもこの状況がよく分かってなかったりする。
今日、私は、慧音が授業を終える時間を見計らって、寺子屋まで会いに来た。すると、いきなり慧音から試験用紙を突き渡されて「今から半刻でこれを解け」などと、訳の分からないことを言われてしまったのだ。
(○、×、×、×、×、×・・・今度は×ばっか)
慧音の試験は、普段こういうのを作らない私から見ても明らかなほど、釣り合いの取れていないものだった。
案外、問題作るの下手なのか?とつまらないことを考えつつ、私はさっきから黙って本を読んでいる慧音に声をかけた。
「・・・なあ」
「ん?」
「慧音、今日何の日か、覚えてるだろ?」
「忘れるわけないじゃないか。今日はお互いにとって大事な日なんだから」
「だったらさあ」
うん。本当に忘れていないんなら、この仕打ちはとっても納得がいかない。
「何で私は、折角の記念日に試験なんて受けなきゃならないんだー!?」
「妹紅、うるさいぞ。試験中だ」
「そうは言うけどさあ!あと『○だと思えば空欄のまま、×ならマスを黒く塗りつぶせ」って何!?おかげで1問解くのに結構な時間かかるんだけど!普通に○とか×書けばいいじゃん!」
「妹紅、うるさいぞ。試験中だ」
「・・・へーへー」
さっきから、何を言ってもこの調子である。
慧音が一体何をしたいのかさっぱり分からないが、どうやらこれを解き終わるまではこんな態度を貫くつもりらしい。
私はぶーぶーと文句を言いながらも、さっさと終わらせてしまおうと、再びペンを手に取った。
慧音と初めて出会ったのは、今のような寒い季節だった。
当時私は、輝夜との血で血を洗うような争いなど、色々なことがあり、誰も信じられなくなっていた。
そして、当然里にも居られなくなった私は、人目を避けるようにして、竹林に一人篭っての生活を始めたのだった。
何十日も誰とも会わないような日が続き、我ながらよく狂わなかったものだと思える。いや、むしろ、既に狂ってしまっていたからこそ耐えられたのだろうか?あの頃は、大分精神的にやばい状況だったから、そうであっても全くおかしくない話だ。
そんな、どうしようもない状況の私の所に現われたのが慧音だった。
「お前が『藤原妹紅』だな?初めまして。私は『上白沢慧音』という者だ。お前がこんなところでずっと一人でいると聞いてな。何か手助けできることはないかと思って来たんだ」
初対面で、しかも私がどんな奴か知った上で、そう声をかけてきた慧音。
そのときの私の正直な感想を言えば『何だこいつ』というものだった。それはそうだろう。好き好んで私に会いに来た奴など、慧音が初めてだったのだから。
ただ、にこりと笑った彼女の表情は、今でも私の脳内にはっきりと焼きついている。
初めは、そりゃ拒絶したものだ。
だって、見ず知らずの者からいきなり「お前を助けたい」などと言われても、そんなの、こっちから願い下げだろう。
だから、慧音が来るたびに「帰れ!」なんて暴言を吐いたり、特に機嫌が悪いときにはスペルカードを使ったりもした。
今から思えば、あの時期には相当慧音を傷つけてしまったのではないかと思う。それぐらいひどいことをしてしまった。
勿論、仲良くなってからきちんと謝ったんだけど。
とにかく、何度追い返してもやってくる慧音に対し、私も徐々にではあるが、心を開いていくことが出来た。というか、何だかんだで私も人恋しいと感じている部分があったのだろう。そんな状況であれだけ優しくされれば、懐柔せざるを得ないという面もあった。
まあ、それまでがそれまでだっただけに、かなり時間はかかってしまったけれど。でも、慧音は辛抱強くそれに付き合ってくれた。
そして、5年前の今日、私たちは共に同じ家での生活を始めたのだった。
彼女と出会えたのは、本当に幸運だったと思う。
そうでなければ、私は沢山の人を傷つけるだけの暴君か、でなければ廃人のように『肉体が死んでいないだけ』という存在になってしまっていたと思うから。
慧音と暮らし始めてからは、以前よりずっと生活にメリハリが出てきたし、何より彼女といつも一緒にいられることが、私にとっての生き甲斐になっていった。
今日は、そんな、私にとっても慧音にとっても特別な日だから。
毎年、この日は欠かさずに、慧音と共にちょっとした『特別なこと』をするのが、二人の間で暗黙の了解となっていた。
(○、×、×、×、×・・・)
問題の数はかなり多く、まだ全部解くには時間がかかりそうだ。
一つずつ空欄を埋めながら、ふと私は、去年までのこの日の過ごし方を思い出していた。
(色々あったっけなあ。えーと、まず最初の年は・・・そうだ、あそこへ行ったんだ)
一年目は、ミスティアの屋台で、二人して朝まで飲み明かした。慧音も珍しく、顔が真っ赤になるまで飲んでたんだよな。
それまでの共同生活を振り返りながら、やたら陽気に騒いだのを覚えている。
酒の味も上々だったが、あの時食べた、ヤツメウナギとかいうのは美味かった。
家に帰ったあと、慧音が二日酔いと寝不足を抱えながら寺子屋まで行ったんだっけ。その状態でもきっちり授業を終えて帰ってきたんだから、私は思わず感動してしまったものだ。玄関を開けた途端に、即倒れてしまったが。
二年目は、偶々神社で行われていた宴会に参加した。
それまでは機会が無くて中々行くことができなかったが、これも楽しい体験だった。ここで初めて顔を合わせた連中も多いし、皆気のいい奴だった。鬼やら天狗があんまり酒を飲むんで驚かされたものだ。そういった連中とは、今でもよく会う仲になることが出来た。
ただ、前年の反省をして途中で帰ってしまったため、最後までいられなかったことが心残りだったけど。
いつかまた、今度はきっちり最後まで参加したいものだ。
三年目は、趣向を変えて、パチュリーのいる図書館へ足を運んだ。
それまで私は、長く生きた割には読書経験が少なかった。そのことを慧音に話したら、「お前にぴったりの場所があるぞ」と連れて行ってくれたのだ。
慧音の言うとおり、そこには和洋問わず様々な種類の本が置いてあり、私は貪るようにそれらの本を読んでいった。
胸を躍らせるような小説、人生の深い教えに満ちた寓話、あるいはひたすら難解な数学書。
全てが私にとって新鮮で、とても有意義な時間を過ごすことができた。
前二年と違って物静かな過ごし方となったが、こんなのものいいなあ、なんてことを思った。
ただでさえ、幻想郷は普段から騒がしいわけだし。たまにはこんな時間があってもいいだろう。
そして、去年は。
うん。告白したんだよな。私から。「慧音が好きなんだけど」なんて、顔真っ赤にしながら言ってさ。
『特別なこと』というなら、こういうのもありだよな?なんて勝手な解釈をして。
だって、それまで既に、結構長い間一緒にいたわけだし。女同士とか、そういうの関係なく、好きになっても仕方ないと思う。慧音は本当に、見た目も性格も最高のヤツだしさ。
まあ―結果としては、振られてしまったみたいなんだけど。
今日みたく、放課後の寺子屋だったなあ。心臓がバクバクしすぎて、早く言わなきゃ死ぬ!とまで思った。本当は、家まで帰って落ち着いてからと思っていたんだけど、待ちきれなかった。
『慧音が好きだ』と自覚してから、ずっと『この日に告白しよう』と決めていた。
私にとってその日はそれだけ大事な日になっていたし、それ以上に慧音の存在は大きなものになっていた。
だから、慧音にとっても、私の存在はそれぐらい大事になってるんじゃないかな?なんて、淡い期待を持ってたりもしたんだけど。
・・・なのに、慧音の奴「ありがとう妹紅、私も好きだぞ」なんて、あくまで『友達』みたいな感じで返して来やがって・・・。
あんまり悔しかったんで、久々に思いっきりスペルをぶつけてしまった。
慧音は黒焦げになってたけど、次の日には何事もなかったかのように寺子屋へと行っていた。『自分が行かなきゃ心配する』という子供たちの気持ちを考えるのも分かるけど、私の気持ちももう少し分かってほしかった。
カリカリとペンを動かしながら、私は未練がましく考える。
(はあ・・・何で振られちゃったかな、私)
どうすれば、振られずに済んだのか。どうすれば、慧音と恋人になれたのか。
本当は、そんなこと考えるまでもない。
彼女は教師だ。教師というのは、常に博愛主義だ。
だから、私はあらゆる者を愛し、導いていくのだと、慧音は誇りを持っていつもそう言っていた。
慧音の言葉が本当であることは、私が保証する。
何故なら、私自身が慧音に導かれた一人だからだ。
彼女は本当に、どんなにひどい状況に置かれている者であっても、決して見捨てるということをしない。
そうでなければ、当時のあんな荒んだ私など、見向きもしないだろう。
だけど、その『博愛主義』という考え方は、同時に、誰か一人だけを特別扱いしないということでもある。
それ故に、例え一緒に暮らしている私であっても、誰よりも慧音の事を知り、愛している私であっても、特別扱いはしてもらえなかった。それだけのことだ。
(寂しいけど、しょうがない。慧音と一緒にいられるだけ、今の私は幸せなんだから)
私は、そう無理やり自分を納得させると、残り少なくなった問題に、再び集中して取り組んだ。
(×、○、○、○、○、○・・・よし)
長かった試験も、これでようやく全問解き終わった。
私は、すっかり固くなった自分の肩をトントンと叩く。
「ふう、やっと片付いた」
「お疲れ、妹紅」
「本当に疲れたよ」
むう、と頬を膨らませる私に対し、慧音は、すまんすまんと軽い調子で謝ってくる。
「いや、今日は私たちにとって『特別なこと』をする日だろ?妹紅にも、私の作った試験がどんなものか聞きたくてな。今まで私が妹紅に試験を受けさせたことなんてなかったし」
「そりゃそうかもしれないけどさ」
慧音の言葉はもっともだとも感じる。でも、私はやっぱりどこか腑に落ちない。
「これだけ頑張って解いたんだからさ。あんまり期待してないけど、せめて何か御褒美ないの?」
冗談めかしてそう聞いてみると、慧音は苦笑を浮かべた。
「全問正解してたらな」
「ええー!?それ、厳しくない?」
「何言ってるんだ。お前ならあの程度余裕だろう」
ありゃ、見抜かれていたか。流石に慧音、私のことをよく知っている。
試験の内容は、実際、そんなに難しいものではなく、正直余裕があるくらいだったのだ。
私だって、伊達に長く生きているわけではない。
ただ、分からないのは慧音の意図だ。
折角の記念日に、何故わざわざ試験なんてしなければならなかったのか。
「それじゃ、採点するから、ちょっと答案を見せてみろ」
慧音は、私から答案を受け取ると、赤ペンを持つでもなくそれを眺め始めた。
(あれ?)と、その慧音の様子に違和感を感じつつも、私は(まあいいか。採点が終わるまで、ちょっと横にでもなるかな)なんて考えていたのだが。
採点を始めてものの数秒後には「妹紅、満点だ。よく出来たな」と、慧音が私の頭を撫でてきた。
「え?ちょ、あんなに沢山問題あって、そんな一瞬で採点」
出来るわけないじゃん、という私の言葉を遮り、慧音は
「ほら、これが満点の御褒美だ」
と言いながら、私の解答用紙を差し出してきた。
その状況に、ますます私の頭は、疑問符で埋め尽くされる。
「何、自分の解答用紙が御褒美ってどういうことよ?」
訳が分からず、慧音に問いかける私。すると、慧音は「よく見てみろ。私の気持ちだ」と、更に混乱するようなことを言ってきた。
「一部だけ見てては分からないぞ。全体を見ればすぐ分かる」
その言葉を聞き(何なのよ)なんて思いつつも、ぐっと紙を遠くから見つめてみる私。すると、不器用な慧音が伝えたいことが、私にもようやく分かったのだった。
「あのさ、こんな回りくどいやり方しないで、一言言ってくれれば良かったんじゃないの?」
「いや、こういうのはどうにも照れくさくてな。正直、今にも顔から火が出そうだ」
「私だって恥ずかしかったけど、ちゃんと言ったよ?」
「うん、妹紅は偉いな。私なんかよりもずっと立派だ。好きな人に好きと言えるのは、すごいことだぞ」
「馬鹿けーね・・・」
私は、思わず涙ぐみながら、慧音に向かって文句を言う。
こんなやり方って、ずるい。私はきちんと直球で告白したというのに。
ああ、でも、頬が緩んでしまうのは抑えられそうにない。
駄目だ。私はこんなやり方でしか告白できないへタレ慧音に怒ってるんだから。
「慧音、誰か一人を特別扱いはしないんじゃなかったの?」
「何、いくら教師だからって、別に一切恋愛をしないわけじゃないさ」
「じゃあ、何で去年は『友達』みたいな雰囲気で返事してきたのさ。私、すごく傷ついたんだよ?」
「すまなかった。ただ、親友だと思っていたお前にいきなりあんなことを言われて、私も動揺していたんだ。同性だということもあったし・・・。だから、考える時間がほしかった。結果として、一年も待たせてしまったが」
「いいけどさ。私にとっては一年なんてあっという間だから」
流石に、それは嘘だけど。慧音と過ごす穏やかな時間は、私にとってはとてもゆっくりと感じられるものだ。
「私の気持ちも、あれからずっと変わってないからさ。―これからもよろしく、慧音」
「ああ、形は変わるが、私たちはずっと一緒だ・・・妹紅」
クス・・・とどちらからともなく笑い声が漏れた。
「こういうの、私たちらしくないね」
「ああ、何かな。どうだろう、せっかくの記念日だし、これから何処かへ行くか?」
「うん!」
一年胸につっかえていた思いがようやく取れた私は、自分でも驚くほど元気な声で慧音へと返事をした。
慧音と出かけることを考えると、それだけで胸が弾んだ。
また、二人の思い出が増やせることが、こんなにも嬉しい。
ミスティアの屋台で酔いつぶれるか。
神社の宴会で思い切りはしゃぐか。
図書館で静かな時間を過ごすか。
あるいは、今までに行ったことがないような場所を探してみようか。
「慧音、早く!」
「待ってろ、すぐ行くから」
ふと表を見ると、景色が先程までと全く違う、キラキラしたものに見えた。
これが所謂『恋の魔法』なんてやつなのかな、と思い、私は苦笑する。
今日は、これからどこへ行こう。
どこだって、慧音とならば最高に楽しめると思うけれど。
はやる気持ちを抑えて、私と慧音は手を繋いで、寺子屋の外へと走り出したのだった―。
特別試験 氏名:藤原妹紅 点数:100
□□□□□□□□□□□□□□■□□□□□
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(○、○、○、○、○、×、○・・・何だ、○ばっか)
私の目の前には、慧音の作った○×テストの解答用紙が置かれている。
解答用紙とはいっても、縦13マス×横20マスの正方形が並んだだけの、とてもシンプルなものだけど。普通であれば、これを「解答用紙」とは呼ばないだろう。
こんな手抜きでいいのか?と慧音に聞いたところ「解答用紙一枚一枚作るのも結構大変なんだ」と返された。というか、通っている子全員分、全部手書きで作っているんですか。いつもご苦労様です。
そんなわけで、先程から、私はそれに向かってひたすら書き込んでいるわけだ。
当然、私はここに通っているわけじゃないのだから、補習なんてものではない。
加えて言うと、慧音の試験の丸付けを手伝ったりしているわけでもない。
では、これは一体どういうことなのか。
・・・実は、私にもこの状況がよく分かってなかったりする。
今日、私は、慧音が授業を終える時間を見計らって、寺子屋まで会いに来た。すると、いきなり慧音から試験用紙を突き渡されて「今から半刻でこれを解け」などと、訳の分からないことを言われてしまったのだ。
(○、×、×、×、×、×・・・今度は×ばっか)
慧音の試験は、普段こういうのを作らない私から見ても明らかなほど、釣り合いの取れていないものだった。
案外、問題作るの下手なのか?とつまらないことを考えつつ、私はさっきから黙って本を読んでいる慧音に声をかけた。
「・・・なあ」
「ん?」
「慧音、今日何の日か、覚えてるだろ?」
「忘れるわけないじゃないか。今日はお互いにとって大事な日なんだから」
「だったらさあ」
うん。本当に忘れていないんなら、この仕打ちはとっても納得がいかない。
「何で私は、折角の記念日に試験なんて受けなきゃならないんだー!?」
「妹紅、うるさいぞ。試験中だ」
「そうは言うけどさあ!あと『○だと思えば空欄のまま、×ならマスを黒く塗りつぶせ」って何!?おかげで1問解くのに結構な時間かかるんだけど!普通に○とか×書けばいいじゃん!」
「妹紅、うるさいぞ。試験中だ」
「・・・へーへー」
さっきから、何を言ってもこの調子である。
慧音が一体何をしたいのかさっぱり分からないが、どうやらこれを解き終わるまではこんな態度を貫くつもりらしい。
私はぶーぶーと文句を言いながらも、さっさと終わらせてしまおうと、再びペンを手に取った。
慧音と初めて出会ったのは、今のような寒い季節だった。
当時私は、輝夜との血で血を洗うような争いなど、色々なことがあり、誰も信じられなくなっていた。
そして、当然里にも居られなくなった私は、人目を避けるようにして、竹林に一人篭っての生活を始めたのだった。
何十日も誰とも会わないような日が続き、我ながらよく狂わなかったものだと思える。いや、むしろ、既に狂ってしまっていたからこそ耐えられたのだろうか?あの頃は、大分精神的にやばい状況だったから、そうであっても全くおかしくない話だ。
そんな、どうしようもない状況の私の所に現われたのが慧音だった。
「お前が『藤原妹紅』だな?初めまして。私は『上白沢慧音』という者だ。お前がこんなところでずっと一人でいると聞いてな。何か手助けできることはないかと思って来たんだ」
初対面で、しかも私がどんな奴か知った上で、そう声をかけてきた慧音。
そのときの私の正直な感想を言えば『何だこいつ』というものだった。それはそうだろう。好き好んで私に会いに来た奴など、慧音が初めてだったのだから。
ただ、にこりと笑った彼女の表情は、今でも私の脳内にはっきりと焼きついている。
初めは、そりゃ拒絶したものだ。
だって、見ず知らずの者からいきなり「お前を助けたい」などと言われても、そんなの、こっちから願い下げだろう。
だから、慧音が来るたびに「帰れ!」なんて暴言を吐いたり、特に機嫌が悪いときにはスペルカードを使ったりもした。
今から思えば、あの時期には相当慧音を傷つけてしまったのではないかと思う。それぐらいひどいことをしてしまった。
勿論、仲良くなってからきちんと謝ったんだけど。
とにかく、何度追い返してもやってくる慧音に対し、私も徐々にではあるが、心を開いていくことが出来た。というか、何だかんだで私も人恋しいと感じている部分があったのだろう。そんな状況であれだけ優しくされれば、懐柔せざるを得ないという面もあった。
まあ、それまでがそれまでだっただけに、かなり時間はかかってしまったけれど。でも、慧音は辛抱強くそれに付き合ってくれた。
そして、5年前の今日、私たちは共に同じ家での生活を始めたのだった。
彼女と出会えたのは、本当に幸運だったと思う。
そうでなければ、私は沢山の人を傷つけるだけの暴君か、でなければ廃人のように『肉体が死んでいないだけ』という存在になってしまっていたと思うから。
慧音と暮らし始めてからは、以前よりずっと生活にメリハリが出てきたし、何より彼女といつも一緒にいられることが、私にとっての生き甲斐になっていった。
今日は、そんな、私にとっても慧音にとっても特別な日だから。
毎年、この日は欠かさずに、慧音と共にちょっとした『特別なこと』をするのが、二人の間で暗黙の了解となっていた。
(○、×、×、×、×・・・)
問題の数はかなり多く、まだ全部解くには時間がかかりそうだ。
一つずつ空欄を埋めながら、ふと私は、去年までのこの日の過ごし方を思い出していた。
(色々あったっけなあ。えーと、まず最初の年は・・・そうだ、あそこへ行ったんだ)
一年目は、ミスティアの屋台で、二人して朝まで飲み明かした。慧音も珍しく、顔が真っ赤になるまで飲んでたんだよな。
それまでの共同生活を振り返りながら、やたら陽気に騒いだのを覚えている。
酒の味も上々だったが、あの時食べた、ヤツメウナギとかいうのは美味かった。
家に帰ったあと、慧音が二日酔いと寝不足を抱えながら寺子屋まで行ったんだっけ。その状態でもきっちり授業を終えて帰ってきたんだから、私は思わず感動してしまったものだ。玄関を開けた途端に、即倒れてしまったが。
二年目は、偶々神社で行われていた宴会に参加した。
それまでは機会が無くて中々行くことができなかったが、これも楽しい体験だった。ここで初めて顔を合わせた連中も多いし、皆気のいい奴だった。鬼やら天狗があんまり酒を飲むんで驚かされたものだ。そういった連中とは、今でもよく会う仲になることが出来た。
ただ、前年の反省をして途中で帰ってしまったため、最後までいられなかったことが心残りだったけど。
いつかまた、今度はきっちり最後まで参加したいものだ。
三年目は、趣向を変えて、パチュリーのいる図書館へ足を運んだ。
それまで私は、長く生きた割には読書経験が少なかった。そのことを慧音に話したら、「お前にぴったりの場所があるぞ」と連れて行ってくれたのだ。
慧音の言うとおり、そこには和洋問わず様々な種類の本が置いてあり、私は貪るようにそれらの本を読んでいった。
胸を躍らせるような小説、人生の深い教えに満ちた寓話、あるいはひたすら難解な数学書。
全てが私にとって新鮮で、とても有意義な時間を過ごすことができた。
前二年と違って物静かな過ごし方となったが、こんなのものいいなあ、なんてことを思った。
ただでさえ、幻想郷は普段から騒がしいわけだし。たまにはこんな時間があってもいいだろう。
そして、去年は。
うん。告白したんだよな。私から。「慧音が好きなんだけど」なんて、顔真っ赤にしながら言ってさ。
『特別なこと』というなら、こういうのもありだよな?なんて勝手な解釈をして。
だって、それまで既に、結構長い間一緒にいたわけだし。女同士とか、そういうの関係なく、好きになっても仕方ないと思う。慧音は本当に、見た目も性格も最高のヤツだしさ。
まあ―結果としては、振られてしまったみたいなんだけど。
今日みたく、放課後の寺子屋だったなあ。心臓がバクバクしすぎて、早く言わなきゃ死ぬ!とまで思った。本当は、家まで帰って落ち着いてからと思っていたんだけど、待ちきれなかった。
『慧音が好きだ』と自覚してから、ずっと『この日に告白しよう』と決めていた。
私にとってその日はそれだけ大事な日になっていたし、それ以上に慧音の存在は大きなものになっていた。
だから、慧音にとっても、私の存在はそれぐらい大事になってるんじゃないかな?なんて、淡い期待を持ってたりもしたんだけど。
・・・なのに、慧音の奴「ありがとう妹紅、私も好きだぞ」なんて、あくまで『友達』みたいな感じで返して来やがって・・・。
あんまり悔しかったんで、久々に思いっきりスペルをぶつけてしまった。
慧音は黒焦げになってたけど、次の日には何事もなかったかのように寺子屋へと行っていた。『自分が行かなきゃ心配する』という子供たちの気持ちを考えるのも分かるけど、私の気持ちももう少し分かってほしかった。
カリカリとペンを動かしながら、私は未練がましく考える。
(はあ・・・何で振られちゃったかな、私)
どうすれば、振られずに済んだのか。どうすれば、慧音と恋人になれたのか。
本当は、そんなこと考えるまでもない。
彼女は教師だ。教師というのは、常に博愛主義だ。
だから、私はあらゆる者を愛し、導いていくのだと、慧音は誇りを持っていつもそう言っていた。
慧音の言葉が本当であることは、私が保証する。
何故なら、私自身が慧音に導かれた一人だからだ。
彼女は本当に、どんなにひどい状況に置かれている者であっても、決して見捨てるということをしない。
そうでなければ、当時のあんな荒んだ私など、見向きもしないだろう。
だけど、その『博愛主義』という考え方は、同時に、誰か一人だけを特別扱いしないということでもある。
それ故に、例え一緒に暮らしている私であっても、誰よりも慧音の事を知り、愛している私であっても、特別扱いはしてもらえなかった。それだけのことだ。
(寂しいけど、しょうがない。慧音と一緒にいられるだけ、今の私は幸せなんだから)
私は、そう無理やり自分を納得させると、残り少なくなった問題に、再び集中して取り組んだ。
(×、○、○、○、○、○・・・よし)
長かった試験も、これでようやく全問解き終わった。
私は、すっかり固くなった自分の肩をトントンと叩く。
「ふう、やっと片付いた」
「お疲れ、妹紅」
「本当に疲れたよ」
むう、と頬を膨らませる私に対し、慧音は、すまんすまんと軽い調子で謝ってくる。
「いや、今日は私たちにとって『特別なこと』をする日だろ?妹紅にも、私の作った試験がどんなものか聞きたくてな。今まで私が妹紅に試験を受けさせたことなんてなかったし」
「そりゃそうかもしれないけどさ」
慧音の言葉はもっともだとも感じる。でも、私はやっぱりどこか腑に落ちない。
「これだけ頑張って解いたんだからさ。あんまり期待してないけど、せめて何か御褒美ないの?」
冗談めかしてそう聞いてみると、慧音は苦笑を浮かべた。
「全問正解してたらな」
「ええー!?それ、厳しくない?」
「何言ってるんだ。お前ならあの程度余裕だろう」
ありゃ、見抜かれていたか。流石に慧音、私のことをよく知っている。
試験の内容は、実際、そんなに難しいものではなく、正直余裕があるくらいだったのだ。
私だって、伊達に長く生きているわけではない。
ただ、分からないのは慧音の意図だ。
折角の記念日に、何故わざわざ試験なんてしなければならなかったのか。
「それじゃ、採点するから、ちょっと答案を見せてみろ」
慧音は、私から答案を受け取ると、赤ペンを持つでもなくそれを眺め始めた。
(あれ?)と、その慧音の様子に違和感を感じつつも、私は(まあいいか。採点が終わるまで、ちょっと横にでもなるかな)なんて考えていたのだが。
採点を始めてものの数秒後には「妹紅、満点だ。よく出来たな」と、慧音が私の頭を撫でてきた。
「え?ちょ、あんなに沢山問題あって、そんな一瞬で採点」
出来るわけないじゃん、という私の言葉を遮り、慧音は
「ほら、これが満点の御褒美だ」
と言いながら、私の解答用紙を差し出してきた。
その状況に、ますます私の頭は、疑問符で埋め尽くされる。
「何、自分の解答用紙が御褒美ってどういうことよ?」
訳が分からず、慧音に問いかける私。すると、慧音は「よく見てみろ。私の気持ちだ」と、更に混乱するようなことを言ってきた。
「一部だけ見てては分からないぞ。全体を見ればすぐ分かる」
その言葉を聞き(何なのよ)なんて思いつつも、ぐっと紙を遠くから見つめてみる私。すると、不器用な慧音が伝えたいことが、私にもようやく分かったのだった。
「あのさ、こんな回りくどいやり方しないで、一言言ってくれれば良かったんじゃないの?」
「いや、こういうのはどうにも照れくさくてな。正直、今にも顔から火が出そうだ」
「私だって恥ずかしかったけど、ちゃんと言ったよ?」
「うん、妹紅は偉いな。私なんかよりもずっと立派だ。好きな人に好きと言えるのは、すごいことだぞ」
「馬鹿けーね・・・」
私は、思わず涙ぐみながら、慧音に向かって文句を言う。
こんなやり方って、ずるい。私はきちんと直球で告白したというのに。
ああ、でも、頬が緩んでしまうのは抑えられそうにない。
駄目だ。私はこんなやり方でしか告白できないへタレ慧音に怒ってるんだから。
「慧音、誰か一人を特別扱いはしないんじゃなかったの?」
「何、いくら教師だからって、別に一切恋愛をしないわけじゃないさ」
「じゃあ、何で去年は『友達』みたいな雰囲気で返事してきたのさ。私、すごく傷ついたんだよ?」
「すまなかった。ただ、親友だと思っていたお前にいきなりあんなことを言われて、私も動揺していたんだ。同性だということもあったし・・・。だから、考える時間がほしかった。結果として、一年も待たせてしまったが」
「いいけどさ。私にとっては一年なんてあっという間だから」
流石に、それは嘘だけど。慧音と過ごす穏やかな時間は、私にとってはとてもゆっくりと感じられるものだ。
「私の気持ちも、あれからずっと変わってないからさ。―これからもよろしく、慧音」
「ああ、形は変わるが、私たちはずっと一緒だ・・・妹紅」
クス・・・とどちらからともなく笑い声が漏れた。
「こういうの、私たちらしくないね」
「ああ、何かな。どうだろう、せっかくの記念日だし、これから何処かへ行くか?」
「うん!」
一年胸につっかえていた思いがようやく取れた私は、自分でも驚くほど元気な声で慧音へと返事をした。
慧音と出かけることを考えると、それだけで胸が弾んだ。
また、二人の思い出が増やせることが、こんなにも嬉しい。
ミスティアの屋台で酔いつぶれるか。
神社の宴会で思い切りはしゃぐか。
図書館で静かな時間を過ごすか。
あるいは、今までに行ったことがないような場所を探してみようか。
「慧音、早く!」
「待ってろ、すぐ行くから」
ふと表を見ると、景色が先程までと全く違う、キラキラしたものに見えた。
これが所謂『恋の魔法』なんてやつなのかな、と思い、私は苦笑する。
今日は、これからどこへ行こう。
どこだって、慧音とならば最高に楽しめると思うけれど。
はやる気持ちを抑えて、私と慧音は手を繋いで、寺子屋の外へと走り出したのだった―。
特別試験 氏名:藤原妹紅 点数:100
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まめだなー、けーね。
問題作りながら悶えてるけーねが浮かんできました。
が、やはりもこけーねは最高じゃないか
GJ!
けねもここそが我らの希望
いいふみですね
もこけねは良いものだ…
読めてしまうと、冗長なだけの文になってしまう。
仕掛けか展開にもう一捻り欲しかった。