Coolier - 新生・東方創想話

出航前夜

2009/11/21 23:54:04
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 鍬を振るう手を休める。

 体力が落ちたのだろうか、最近は疲れるのが早いように思う。

「――単に、衰えただけかな」

 妖術を使うことなく数十年。否、もう百年は過ぎているだろうか。

 これはもう衰えと称しても間違いではあるまい。

 やはり、精進料理だけでは力は――――

「…………こほ」

 そんなことはあるまい。ずっと前からこの暮らしは変わっていないのだから。

 今更獣肉など食わずとも大丈夫だろう。

 それに私は仏門に帰依している。寺に住む以上五戒を破るわけにはいかない。

 不殺生戒を破り肉を喰うなど許されたことではない。

 鍬と手拭いを縁側に置き、代わりに笊を手に取る。

 さて、キュウリがそろそろ食べ頃だろうし採ってくるか。

 今年は天気がよかったからさぞ美味しく実っていることだろう。

 などと考えていると、顔に影が差した。

 別段暗い気持ちになるようなことを考えていたわけではない――空から何者かが降りてきたのだ。

「ただいまご主人様」

 鈴を転がすような声。

 太陽を背にした少女の姿。

「おかえりなさいナズーリン」

 私のたった一人の部下にして、たった一人の同居人。

 妖怪ネズミのナズーリン。

「偵察報告、本日も異常なし。博麗の巫女にも大きな動きはなかったよ」

「御苦労さまです。――そのような真似、しなくともよいと言ったでしょう?」

「世情は知るべきだよご主人様。情報を制する者が勝利するのが世の理だ」

 一緒に住むようになってもう数十年が経つと云うに、相変わらず働き者だ。

 こんな私の傍に居れば怠け者になってもしょうがないというのに。

 なにせ、私はこの寺を任されているのに――御覧の通り廃寺にしてしまったような能無しだ。

 私、寅丸星は――毘沙門天の代理として、信仰を集める為にこの寺に置かれたというのに。

「ちょっと裏に行ってきますから、あなたは休んでいてください」

「畑仕事なら手伝うよ」

「いえ手伝ってもらうほどの」

 手拭いの横。ナズーリンが置いた荷物に目が行く。

 偵察とやらに持っていく荷物ではないように見える。

 強いて言うなら、買い物の後のような。

「それは?」

「ん? ああ……偵察中に見つけた骨董などを売ってちょっとね」

「お金ですか?」

 それにしては随分と大きな袋だ。それほどの大金で売れるような物を見つけたのだろうか。

「いやいや。金に換えた後は趣味の物に換えたのだよ」

 言って取り出すは大きな酒徳利。

 袋の中身は殆どがそれで、当然徳利には中身が入っているようだった。

「またそのような」

「いいじゃないか。般若湯さ。この時期川で冷やして飲むと格別でね」

「湯が聞いて呆れますよ」

 まったく、どこの僧が言い出したことか知らないが小ずるいことを……

 ……いや、私は兎も角彼女は仏門に帰依しているわけではないのだし……咎めることでもないか。

 杓子定規に過ぎたかな。どうせこの廃寺で仏に仕えているのは私だけなのだから。

 そうだ、彼女に謝って私も

 ――――――――――――――――…………

「ご主人様?」

 ナズーリンの声で我に返る。

「え、あ。すいません。ちょっと……立ち眩みでしょうか」

 ええと、なにを考えていたんだったか。頭の奥が痛む――気がする。

 そういえば陽射しが強い。陽に中てられでもしたのか。

 どの道大したことはなかろう。さっさと収穫を終わらせて休めば……

「え」

 笊を取り上げられる。

「ナズーリン、何を」

「採ってくるのはキュウリだろう? 私が行くからあなたは休んでいてくれたまえ」

「そんな、大げさですよ。ちょっと立ち眩みしたくらいで」

「あなたのような人はすぐに無理をするからね。その無理で私の食事がなくなっては困るのだよ」

 食事って、料理は彼女の方が上手いのに。

 ……気遣われてしまっているな。彼女は本当に真面目に働いてくれる。

「それにきゅうりを採ってくるだけだろう? 私が代わるくらい気にする程でもないじゃないか」

 そうは言っても……

「あなたは働いて帰ってきたばかりですし」

「そんなもの。あなたにはやらなくともよいと言われていることだ。働いた内に入らんよ。

それに、こういうことは普通上司であるあなたが部下である私に命じるものだよ。

私に回す気配りを少し自分に向けたらどうかねご主人様」

「む、う」

 叱られてしまった。多分に皮肉めいた物言いだが、彼女の場合それは真摯に私を想っての言葉だ。

 気遣いを無碍にするのも……彼女に悪い。ここは、折れておこう。

「わかりました。では頼みますねナズーリン」

「アイアイ。了解だご主人様」

 皮肉気ににやりと笑って彼女は裏の畑に向かった。

 せめてお茶でも用意しておこうか。何か礼をせねば気が済まない。

 兎角――私は彼女に頼りきりなのだ。

 偵察とやらは置いておくにしても、資金調達から買い物まで、全て彼女がこなしてくれている。

 背が異様に高く派手な金髪金目の私は人里に買い物に行くことも出来ない。

 人間に化けれればよいのだが……生憎、そのような術は使えなかった。

「こほ、ごほっ」

 ともあれ、その忠勤に報いねば。お茶や食事を出すくらいしか私に出来ることはないけれど……

 さ、釜戸に火を入れ湯を沸かさねば――

「ぅ――う……?」

 目眩、か。

 壁に凭れたまま動けない。暑さのせいだけではない汗が溢れてくる。

 夏ばて、なのだろうか――酷く気分が悪い。

「ふ――ふ……っふ……」

 呼吸を整える。

 こんなところを彼女に見せたら、また心配されてしまう。

 ――なんでもないさ……ただ暑さに中てられただけだ。妖怪の私が病ということもあるまい。

 少し休めば落ちつくだろう。まだナズーリンは戻ってこない筈。彼女にこんな姿を見せることも無い。

 三和土に座り込む。こうして休んでいれば……大丈夫だ。

 ただ、お茶は彼女が戻るまでに用意出来ず、彼女を少し待たせることになってしまった。

 その晩、夕餉の席では珍しくナズーリンは多弁だった。

「偵察がてら周囲を見回ってきたのだがね」

「はい」

「参拝客などが来る様子は、今日も無かったよ」

「――そうでしょうね」

 この寺に続く道はもう獣道とさえ呼べぬ有様になっていることだろう。

 妖怪のように空を飛んで来ねば訪れることなど出来はしまい。

 この寺が人の訪れぬ廃寺となってもう何年か。最早判然としない長い年月。

 私が無為に過ごしてきた――百年以上の月日。

「……浮かぬ顔をしているね」

 指摘され苦笑する。

「ええ。己の不甲斐無さを恥じています」

「恥じる、ね……毘沙門天の証たる宝塔や鉾を失ったのは恥じるべきだとは思うが」

「仰る通りで」

「ただ、あれも色々なごたごたの末に失くしたのだし……しょうがなかったんじゃないかな」

「寺一つ潰しておいて、しょうがないでは済みませんよ」

「私が着た頃には既に人間の心は離れていた。それこそ「しょうがない」だと思うがね」

 言って彼女はお茶を啜る。

 心が離れる……人の心はうつろうもの。故に「しょうがない」か。

 彼女の言うことは間違っていない。確かに人の心というものはそういうものだ。

 だが、その心を引き留められなかったのは私の責任だ。

 人々の信仰心が足りなかったなどと言い訳は出来ない。

「それも私の不徳の致すところ。責められるべきは私です」

「…………」

 ずず、とお茶を啜り彼女は不満げに私を見た。

「どうかなご主人様。転居してみては」

 睨むような眼のまま、そんな突拍子もないことを言ってくる。

「転居……? 突然ですね」

「いや、前から考えてはいたのだよ。こんなところに独りで住むのはよろしくないと」

「あなたが居るじゃないですか。それに、何がよろしくないのです?」

「……そうやって、己を責め続けるからだよ」

 重々しい口調で告げられる。

「寺と共に朽ちていくつもりかいご主人様。それこそ褒められたものじゃない。

過去を捨て新天地で気侭に暮らすという選択肢もあなたには与えられているのに」

 彼女が何を言っているのか理解出来ぬ程に、それは私から程遠い言葉だった。

 過去を捨てるなど――到底出来ることでは、ない。

「それは……出来ませんよ、ナズーリン」

「何故。また自戒かい」

「自戒……」

「あなたのそれは自戒と云うより自罰だよ。度が過ぎている。なんでそうなったのか知らないが……

見ていて気持ちのいいものじゃない。出来ることなら直して欲しいね」

「…………」

「主であるあなたに、言い過ぎたかな。そこは謝る。だが私は間違ったことを言っていないよ」

 部下の分を過ぎた物言いだと謝罪しながらも彼女は己の言葉を撤回しない。

 真っ直ぐに私を睨んでいる。

 でも、それでも……

「例え自罰でも……私はこの寺を離れることはありません。

この寺が朽ちるのなら共に朽ちるのが私の運命です。それが、寺を任された私の責任です」

 言い終えるのと、ナズーリンの眼が細められるのは同時だった。

 悪寒。

 背筋に氷が刺し込まれたかのような悪寒が走る。

 将棋の終局で一手打ち損じたことを思い出す。

 してはならぬことをした、与えてはならぬ機会を与えてしまったと、感じた。

 ゆっくりとナズーリンは立ち上がり、近づいてくる。

「な、ナズーリン?」

「自戒、自罰、……運命、責任、か――ご主人様」

 彼女の顔が近づいてくる。

 私より随分と背が低い筈の彼女は、私が座っている為に見下ろす形で足を止めた。

 そのまま、顔がぐんと近づく。鼻先が触れる距離。

「ナズーリン、何を」



「聖白蓮を失って、何年になるね」



 ――言葉を失う。

 彼女の口からその名が出るのは初めてだった。

 素晴らしい人間がいたと、ずっと昔に一度話したことはあったが――

 彼女は興味なさ気に聞いていただけだったのに。聞き流しているとさえ、思ったのに。

「どうしたんだいご主人様。何を怯えているのかな?」

 きりきりと彼女の口の端が吊り上がっていく。

「う――失って、など――か、彼女は封じられただけで」

「封印が解けなければ同じことだろう?」

「そ、れは」

 聖。聖白蓮。

 この寺の本来の主。

 私を毘沙門天の代理とした人間。

 様々な法力を操り妖怪救済を説いた尼僧。

 私の生に意味を与えてくれた、恩人。

「この寺に執着するのは、聖白蓮への未練からだろう?」

「私は」

「あなたは聖白蓮を失って捨て鉢になっているだけだよ。運命? 責任?

聞こえはいいが、そんなのは言い訳さ。あなたの自棄の口実だよ」

 見栄も意地も斬り捨てられていく。

 理論で包んだ私の強がりが曝け出されてしまう。

「さて、ご主人様。さて、寅丸星。あなたは何時まで毘沙門天の真似事を続けるのかな?」

「まね、ごと」

「そう真似事だ。ごっこ遊びと大差ない。なにせ今や信仰すら受けていないだろう?」

 人の通わぬ廃寺。

 信仰の絶えた廃墟に住まう仏の代理。

 それは、確かに彼女の言う通り、真似事でしか――ない。

「妖怪に戻ったらどうだい」

 とても――優しい声だった。

「血肉を啜る、人間を狩る、夜闇に生きる、妖怪に」

 す、と彼女の顔が離れる。

「そうだ。私と共に野山に生きようじゃないか。好きな時に人を襲い、好きな時に人を喰らい――

妖怪のあるべき姿だよ。そして、とても楽しい日々だ。いいだろう?」

 代わりに差し伸べられる手。

 許せることではない。人々に害為す妖怪として生きるなど。

 私は、仏法の守護者で、迷える衆生を救う為に……

「あなたと私で神様に逆らおう。毘沙門天のお役目などを律義に果たすことはない。

自由に生きよう。何ものにも縛られぬ生を謳歌しよう。あなたと私の二人で」

 差し伸べられた手から目が離せない。

 この手を取れば、私は……全てのしがらみから解放される……?

 彼女の小さな手が――救いの御手に見えた。

「ねぇ、ご主人様」

 ――皮肉にも、私を主と呼ぶ彼女の言葉で正気に返った。

 ああ、そうだ。彼女が、ナズーリンが仕えてくれている私が、このような誘惑に負けてはならない。

 私の弱さ故にナズーリンの信頼を裏切るなど――――なにより許せない。

「――それは、試練ですか?」

「は?」

「あなたは毘沙門天に遣わされた妖怪だ。

私が誘惑に堕することなく修行を続けるか、試しているのでしょう?」

 問えば、毒気を抜かれた風に彼女は苦笑した。

「では、そういうことにしておこう」

「ありがとうございます」

 当然の礼に、彼女はきょとんとした顔を見せる。

「私を気遣って言ってくれたのでしょう? 今まで、一度も誘惑なんてしなかったのに」

 私の迷いと、疲れを察して発破をかけてくれた。

 でも礼を伝える理由はそれだけじゃない。

 嬉しかったんだ。

「例え試練の為の嘘でも……私を誘ってくれて、ありがとう」

 共に生きようと、私に手を差し伸べてくれたことこそが――嬉しかった。

 聖を失い、信仰を失い……最早なんの価値も無い私を見限らずにいてくれたことが嬉しかった。

 私の生は彼女の言う通り捨て鉢故の惰性なのだろう。

 だが、それでも生きていられるのはナズーリンが居てくれるからだ。

 ナズーリンが支えてくれているから、寅丸星は生きていられる。

「――本当にあなたは、生真面目と云うか、お人好しと云うか」

「はい?」

「なんでもないよ。お茶、いただけるかな」

「はい。ちょっと待ってくださいね」

 再び苦笑を浮かべた彼女から湯呑を受け取り茶の支度をする。



 寺を訪れる者も無く――ただ静寂に満ちた日々を過ごしていく。

 二人きりで、俗世に関わることも無く陽が昇り陽が沈み――――

 それでも、ナズーリンはずっと私の傍に居てくれる。

 私には過ぎた幸福だ。

 私には分不相応に満ち足りた……余生だ。






















「失礼するよ」

――夜更けに妖怪が何用ですか

「噂に違わぬ鋭い眼光だ――流石毘沙門天の化身と呼ばれるだけのことはある」

――噂? なんです、態々調伏されに来ましたか

「血の気が多い。いや流石武神たる毘沙門天の化身と云うべきなのかな?」

――回りくどい。率直に言ったらどうです

「私も単刀直入の方がやりやすい。乗らせてもらうよ毘沙門天殿」

――…………

「私は妖怪ネズミのナズーリン。あなたに仕えたいと思って訪ねたのだよ」

――仕える……? 妖怪のあなたが、私に? 何の冗談ですか

「本気だよ。ほら、ネズミは毘沙門天の遣いだろう? そして、私は正にそれだ。

本物の毘沙門天からあなたに仕えるように遣わされたのだよ」

――……仮に、あなたが真実毘沙門天の遣いだとしても、私は

「うん?」

――あなたが仕えるだけの器ではない。私は毘沙門天の化身などではなく……ただの代理で……

「私が求めたのはあなただよ」

――……え?

「勘違いしないでくれたまえ。私は毘沙門天の部下ではない。毘沙門天に仲介を願っただけの妖怪だ。

私は他の誰でもない、あなたの部下になる為にここに来た」

――ですが

「風の噂に聞き、仕えたいと願った。あなたが毘沙門天であろうがなかろうが、関係ない。

私が求めたのは今此処に居るあなただ」

――……でも……

「私は狙ったら逃さぬのが身上でね。なんとしてもあなたに仕えたいのだよ。

名前を聞かせてもらえないかな? 『ご主人様』」

――私、は――――






 眼を開く。

 身を起こせば刺すような寒さ。冬も終わりに近付いているというのによく冷える。

 隙間風が吹いてくる。ああ、壁の補修もせねば……

 寝惚け眼のままぼんやりと考え事をしていると、不意に夢の光景が甦った。

「……昔の夢を見るなど」

 あれは、何百年前のことか。

 ナズーリンが私の元へ訪れた時の夢。

 あれから世では色々とあったと聞く。大きな戦が何度も起き、幻想郷は結界に閉じられたと。

 それらは全てナズーリンからの伝聞だ。私は一度もこの寺を離れることはなく……

 如何なる些細なことも見聞きすることなく彼女に頼り切って――数百年。

「ごほっ、ごほ」

 追憶に耽るなど、まるで老人だ……

 咳で乱れた呼吸を整え布団を畳む。

 冬だから、することが少ないから追憶に耽るのだ。

 写経でもしておればこのようなことで悩むこともない。

 そうしていつものように一日が始まる。

 朝食を作り偵察に行くナズーリンを見送り、私は自室に戻った。手に取るのは一冊の本。

 ナズーリンが拾ってきてくれた異教の経典。これの翻訳がまだ途中だったことを思い出した。

 誰に見せるでもない益体のないことではあったが……何もせずに日々を過ごすよりはよい。

 異教の教えを知ることは驚きの連続だったし、なにより新鮮さがあった。

 数百年も寺に籠っている私にはとても――――

「……エリ・エリ・ラマ・サバクタニ。……『神よ、神よ、何故私を見捨てられるのか』」

 ある一節を訳して、手が止まる。

 違う。これは、彼女のことではない。

 でも、彼女は私が、違う。しかし、この胸を灼く後悔は。

「……ごほ」

 繰り返される悔恨。

 それを止めたのは近づく大きな妖気だった。

 この妖気には……憶えがある。筆を置き部屋を出て縁側に向かう。

 どうせあの妖怪は玄関から訪ねてくることはないだろう。

 予想通り、縁側に出ればばさりと舞い降りる影。

「どーもどうも。清く正しい射命丸です。取材に伺いました」

 にこりと笑うのは天狗の少女。

 癖のない黒髪に強気な眼。一度見れば中々忘れられない容姿をした少女だ。

 相変わらず、彼女の連れる風は爽やかだ。冷え冷えとした冬だというのに気持ち良ささえ感じる。

 さて立ったままというのも失礼だ。特に私は背が高いから見下ろしてしまう。

 座り、応待する。

「お久しぶりです天狗殿。あなたも物好きですね、このような暇妖怪に構いに来るなど」

 たまに迷い込む妖怪や人間とは違う、明確な意思を持ってこの寺に訪れるただ一人の妖怪。

「私の記者としての嗅覚があなたからネタの臭いを感じていますので――

おや? 今日はお付きの方はお留守ですか?」

「散歩に行っています」

 偵察のことは教えない。

 新聞記者を自称するこの少女に教えれば尾鰭がついて広まり騒ぎの元となることは目に見えている。

「ふむ? 散歩ですか――まあいいでしょう。

彼女に捕まるとお布施だの信仰しろだのと口酸っぱく言われてしまいますからねえ」

「それは私の部下が失礼を……」

「いや、彼女の行いは間違っちゃいませんよ寅丸さん。少なくとも寺の者としては至極真っ当ですよ。

だからこそ、ひっかかるものがあるんですけどね」

「――それは?」

 問えば待ってましたと言わんばかりに笑みが深まる。

「妖怪が寺の者として振舞う――ここは廃寺ですけど、それ故に尚更おかしい。

彼女はこの寺がまだ機能しているかの如く振舞っている。まるで最初からこの寺で働いていたかのように。

生憎この寺がどういう歴史を持っているのかまでは調べられませんでしたが、おかしいですよね?

寺が妖怪を住ませて、尚且つ働かせるなんて」

 ナズーリンらしからぬ失敗だった。こんな好奇心の強い者にそんな隙を見せるなど……

 まあいい。取り繕うことくらいはこなしてみせよう。

 私が彼女の手助けを出来ることなど皆無と言ってよいのだから。

「私と彼女は流れ者ですよ。この廃寺を見つけてこれ幸いと住みついただけです。

……御覧の通り、畑も小さなものしか作れませんでしたから。彼女もお金を得るのに必死なのでしょう。

私が不甲斐無いばかりに彼女にそんな真似をさせてしまって心苦しいばかりです」

「そう言われると……突っ込んだ話を訊き難いですね。

ですが、そんなに苦労しているのなら……妖怪の山に転居なさってはどうです? 

天狗や河童が大勢を占めてますが、流れ着く妖怪が居ないわけではありませんし……」

 ……昔、ナズーリンにもそんなことを言われたな。

「いえ、私は隠居した身ですので……こういう暮らしが分相応ですよ。

部下は責任感が強いので、私に苦労をかけまいと奔走してくれていますが」

 あの時と同じように断る。

 百年経とうが千年経とうが、私の決意は揺るがない。

 ふと下を向いていたことに気付き顔を上げると、少女は訝しげな表情を浮かべていた。

「…………なんというか、随分変わった妖怪ですね、あなたは」

「そうですか?」

「ええ、あなたは妖怪なのに欲らしい欲を全く見せない。

失礼ながら、隠居しただの分相応だの……まるで老い先短い老人のようです」

「間違いではありませんよ。私は長く生きた――長く、生き過ぎた」

 今朝のことに重なる。成程、老人というのは的外れではなかったらしい。

「そんなに達観してまで生き長らえるとは……ますますもって興味深い。

で、そろそろあなたの来歴などを……」

 失敗したかな。変な風に興味を持たれてしまった。

 出来ることならこのまま静かに暮らしたいのだが。

「来歴など、私は見ての通りの世捨て妖怪ですよ」

「そうですかねえ? 廃寺に棲む妖怪などいかにも、という気がするのですが。

そうそう、実は仮説を立てて来たのですよ。あなたの正体のね」

「…………」

 随分と大胆に出てくる。

 好奇心の塊のような少女だが……どちらかと言えば慎重に事を運ぶ性質と見ていたのだが。

 とりあえずその仮説とやらを喋らせて様子を見るか。対処するにもまだ何もわからない。

 先を促すと、少女は弁士の如く大仰に身振りを交えて語り始めた。

「まず、あなたは相当に強力な妖怪だったのではないか――という点を挙げさせていただきます。

質素な生活の所為か、今のあなたは大した妖力を持っていませんがあの、ナズーリンでしたか?

彼女のような部下を持っている。手下を持つ妖怪などそうは居ませんからね。論拠としては十分です。

次に廃寺に棲む、というのはまあ、言っては何ですがありがちとも言えます。タヌキが化ける塗仏然り。

ですがあなたはそういう「化けている」という感じではないので、一つ、大胆に飛躍してみました」

 つい、と指が私に向けられる。

「あなたは嘗て神と崇められた存在ではありませんか?」

「私が――神?」

「はい。零落した神。信仰を失った神。存在としての格が妖怪にまで落ちた神。

割と多いのですよ、そうやって神格を失った神というのは。妖怪となった神というのは。

そこで先程の疑問に戻りますが……この寺で信仰されていた神、それがあなたなのではないですか?

信仰を失い、妖怪となり、隠居したように暮らして……今に至る。

私はそう考えました。寅丸さん、如何でしょう?」

 膝に置いた手を握り締める。

 肩が震えるのを抑えられない。

 神様。私が、ね。

「ふ――はは、天狗殿、それはまた、面白い」

 私は――弱い。全知全能などではない。万能などには決してなれない。

 ――――神になれなかった。

 私は……最後の最後で聖を、見捨ててしまったのだから。

 いつだか、ナズーリンに自罰が過ぎると言われた。

 でもね、これは自罰なんかじゃないんですよ。歴とした……罪に与えられる罰だ。

 聖を、恩人を見捨ててしまった弱い私に与えられた、罰だ。

 こうして独り朽ちていくことこそが――――私の生きる意味なんだ。

「私など、なれて紛い物だ。神など――そんなものになれる筈がない」

 自嘲が止められない。

 信じてくれた者を救えぬ神などあろうものか。

 私は何故ナズーリンが付き添ってくれるのかもわからぬ程に――無価値な女だ。

「……ごほっ、ごほごほっ……」

「だ、大丈夫ですか寅丸さん。どこかお具合でも……?」

 体を支えられる。――そんなに傾いでいただろうか。

 口元を拭い崩れた姿勢を正す。

「いえ、なんでもありません……兎も角、私は神様などではありませんよ」

「……長話をしてしまいました。申し訳ありません」

「お気遣いなく」

 そうは言ったが、彼女の顔には後悔の念がありありと浮かんでいた。

 存外に生真面目な少女だ。風に当たり過ぎたとでも思ったのか。

「本日はありがとうございました。謝礼と言っては何ですが、私の新聞を置いていきます」

「謝礼をいただく程の事は」

「いえいえ、ほんの気持ちですので。世の事を知って損はありませんよ。

というわけでよろしければお読みください。定期購読は何時でも受け付けておりますので」

 お大事に。最後にそう付け加えばさりと少女は舞い上がっていった。

 大したことはないと言っているのに……そんなに気遣われては逆に意識してしまう。

 いや、それよりもうナズーリンの帰ってくる時間だ。お茶の用意をせねば。

 こんな寒い日には熱いお茶が一番ですからね。

「ごほごほ……」

 随分と咳が出る。

 妖怪の私が、風邪でも引いたのだろうか。そんな、馬鹿馬鹿しい。

 ……あれ? 戸を閉め湯を沸かしに向かっていたつもりなのに、なんでまだ縁側に居るのだろう。

 歩いていないどころか、肩を壁に預けたまま動けない。

「ごほっごほ……ごほっ」

 早く、戸を閉めないと……帰ってきたナズーリンが寒がってしまう。

 お茶を、支度しない、と――

「ごほっ、ごほごほっ……ごぶ」


ばしゃり


 口元を押さえていた手も床も、赤く染まっていた。

 膝の力が抜け、ずりずりと壁に凭れたまま倒れ込む。

 これは、喉か胃でも裂けたか――否、この鮮やかな血の色は。

「……参りましたね。肺腑、ですか」

 道理で苦しい。

 煙草は一度も吸わなかったのに、まずそこから弱るとは……皮肉だ。

 立ち上がらないといけないのに腕も指も動かない。

 こんなところで寝ている暇はないのに。

「――ご主人様っ!?」

 ああ、いけない。

 こんな姿を見せては心配させてしまう。早く掃除しないと……

「ご主人様! ご主人様ぁっ!!」

 ナズーリンに苦労をかけるのは、忍びない――――

















 己の咳で目を覚ました。

 首を動かし状況を確認する。ここは私の自室で、どうやら私は布団に寝かされているようだ。

 布団の横には水差しが置かれている。火鉢も布団の近くに置かれ、私を冷やさぬよう配慮されていた。

 反対側の壁を見る。ナズーリンが拾ってきてくれた壁掛け時計の針は……二時を差していた。

 暗さから見て夜中の二時か。随分眠り込んでしまったらしい。

 からりと戸の開く音に顔を向ける。

「……ナズーリン?」

 見れば、桶を持ったナズーリンが入ってくるところだった。

「目が覚めたかい?……気分はどうかな?」

 彼女は安堵の息を吐き、私の横に座る。

「大丈夫ですよ……看病、ありがとうございます」

 桶には手拭いがかかっている。恐らくは何度も顔を拭ってくれたのだろう。

「ん……済まないが部屋まで運ばせてもらったよ」

「済まないなどと……それは、私の台詞です……」

「いや、そんな……喉は渇いてないかな? その前に顔を拭おうか?」

「もう大丈夫です。その分では食事もとっていないのでしょう? 

待っていてください、すぐに作りますから……」

「なにを馬鹿なことを。いいからあなたは寝ていてくれ。雑事は私に任せて」

「ですが」

 身動ぎすればパリ、と乾いた音。

 なんの音かと布団を捲れば、血の付いたままの私の服。

 服に染み付いた血は乾き切っていて、ぱらぱらと粉を落としていた。

「あ――す、済まないご主人様。その、あなたの服を着替えさせるまでは……」

 まったく……こんな時まで真面目な子だ。

 きっと彼女は部下の己が主人に触れるなど許し難いと思っているのだろう。

 なにせこの数百年、一度も私に触れたことがないのだから。

 私を布団に寝かせることにも相当の葛藤があったのかと思うと、心苦しい。

「構いません。十分面倒を見てもらいましたから」

 起き上がろうとする。しかしぴんと服が張り体を起こせない。

 袖を、ナズーリンに掴まれていた。

「寝ていてくれご主人様。あなたは、血を吐いたんだ」

 かつてない剣幕に押し切られる。

 ナズーリンが強硬に出ることなど一度もなかった。常に私を立ててくれたのに。

 そんな彼女がこうも私に強く出るとは。つまりは――そういうことだ。

「……わかりました」

 彼女から見て、私はもう……治る見込みが無いのだ。それほどに弱ってしまっている。

 随分前から咳は止まらず、動くのも億劫になっていた。薄々、そろそろではないかと思っていたのだ。

 ならば……覚悟を決めておくのもいいだろう。

 部屋を見回す。処分した方がよいような物はなかっただろうか。

 見慣れぬ物が増えていることに気づく。布に包まれた、棒のような……?

「ナズーリン、あれは?」

「ああ……あなたの鉾を見つけてきたんだ」

 私の? また、懐かしい。私が毘沙門天を演じていた頃の法具。

 ずっとずっと昔に失ってしまったのに――彼女は、偵察と称し探し続けていてくれたのか。

「御苦労さまでしたナズーリン」

 もう無駄になってしまうけれど、労わずに済ますことは出来ない。

「…………」

 彼女は正座したまま動かない。己の膝を見つめるように俯いたまま口を開いた。

「ご主人様……お願いがある」

 彼女の口からそんな言葉が出るとは。初めてではないだろうか――彼女が何かをねだるなど。

 丁度いい。こんな時だからこそ、どのような望みにも応えられる。

 今の私に出来ることならなんでもしてあげよう。

「なんです? 言ってみなさい」

「――……あの、ご主人様、その……」

 俯いたまま言い辛そうに何度も私を呼び――意を決したのか、顔を上げ私を見た。

「妖怪に、戻ってくれないだろうか」

 何百年も昔、そう嘘を吐かれたことを思い出す。

 今度は、本気なのだろう。真剣な顔で、彼女は私の眼を見ている。

「あなたは昔日の輝きを失った……もう、毘沙門天の代理ですらない。

失礼ながら――ご主人様、あなたはもう誰からも信仰されず、畏れられてもいない。

忘れられてしまった妖怪だ。このままではあなたは……消えてしまう」

 それこそ血を吐くように苦々しく、彼女は言う。

「ご主人様、頼むから人間の一人でも食べてくれないか。あなたが頷いてくれれば私はすぐにでも」

「――人間など、どこから調達するつもりです?」

 だから、止める。

 彼女が苦しむところなど見たくない。苦しむのは私一人で十分だ。

「そんなもの、里やそこかしこに住んでいるのを捕まえれば」

「それでは妖怪の賢者に叩き潰されてしまいますね?」

 あなたは責も咎も受ける必要はない。それは、主である私の役目なのだから。

「条約くらい知っています。あなたが教えてくれたのではないですか。

それを忘れるほど――耄碌はしていませんよ」

 あなたが私のことで苦しむ必要なんてないんだ。

「――……だが、あなたは弱る一方だ。手を打たなければ、あなたは」

「ナズーリン」

 そっと彼女の頭に手を伸ばす。

「もう、よいのです」

 ゆっくりと、柔らかな彼女の髪を撫でた。

 こんな時まで、己の願いを言わずに主を助けようとする忠臣を褒め称える。

 何も持たぬ私には与えられる物など何もない。こうして労うことしかしてあげられない。

 だから、せめてこの感謝の念が伝わるように心を込めて撫でる。

「そんな、それじゃまるで、死にたがっているみたいじゃないか」

 しかし彼女の顔はますます苦しそうに歪む。

「……その通りなのかもしれません」

 故に、その言葉を肯定した。

 驚きに見開かれる赤い瞳。心苦しい。だが止められぬ。

 彼女を苦しみから解放するには……私が仕えるに値しない主だと、伝えねばならぬのだから。

「私は己を許せない。恩人と己の命を天秤に掛け、己の命を選んだ弱さが憎い。

だから私は死にたがっているのでしょう。遠まわしに……自殺を望んでいるんでしょうね」

 初めて、私の罪を告白する。

「千年前のあの日……聖の代わりに死ぬべきだった。死ぬ筈だった。

何を措いても私は彼女を……聖を助けに行くべきだったんです……

なのに、逃げて、不様に生き延びてしまって……」

 幻滅されるだろう。軽蔑されるだろう。

 私は――それだけの罪を犯しているのだから。

「これまで生きてこれたのは……生きようと思えたのは……

ナズーリン、あなたが私を信頼してくれたから――その信仰心が私に時間を与えてくれた。

こんな、どうしようもない私に、罪を償う時間を与えてくれた」

 最後になるだろう礼を伝えねば。

 即座に出て行かれてもおかしくはない。何百年も付き従った主がこんな女では愛想も尽きよう。

 出て行かれる前に、せめてもの礼を言葉にして、伝えよう。

「あなたと過ごしたこの数百年は、楽しかった。罪を償う、罰としての生だったのに……

あなたのおかげで……生きていてよかったと、笑って終えられます」

 ――ああ、私はまだ、弱いな。

 別れの言葉を口に出せぬ。もう主従ではないと告げられぬ。

 この期に及んでナズーリンと離れたくないと……願っている。

 それでも……もし、叶うのなら……ナズーリン。

 あなたに看取られて終えられるのなら、それは――

「――――ふざけないでくれ」

 強い、怒り。

 押し殺しきれぬ怒りが声に滲み出ていた。

「二度と、二度と死にたいなどと言わないでくれご主人様。

もし、またそんなことを言い出したら」

 赤い瞳が――私を射抜く。

「私はあなたを許さない」







 床から身を起こせぬまま数日が過ぎた。

 あれから一度もナズーリンは口をきいてくれない。

 身動きのとれぬ私の世話はしてくれるが、いくら話しかけても返事の一つもない。

 随分と怒らせてしまったようだ。

 しかし、しょうがない。私の命はもう長くないのだ。もう、どうしようもない。

 これは病ではなく、寿命なのだから。

 どれだけ彼女が生きろと願ってくれても……それが叶うことはない。

 私が……彼女と共に生きたいと、願っても……

「――――っ」

 愚か。

 何を私は、未練がましく――

「……?」

 何か、聞こえた。

 叫び声と、何かが弾ける音?

 ……外では、ナズーリンが番に立っている。

 以前、天狗の少女が訪ねて来た時も一悶着起こしたことを思い出す。なら、これは彼女が?

「く……」

 力の入らぬ手足に鞭打って立ち上がる。

 不安で、寝てなどいられない。誰が来たのか知らぬが、もしナズーリンの手に余る相手だったら……

 この期に及んで彼女を失うなど、そんなのは――耐えられぬ。

 なんとか部屋を出て外を目指す。やがて、声が聞こえてきた。

「止まれ! 斯様な夜更けに何用か!」

「あ、いえ私は」

「我が主を狙っているのなら生かしては帰さん」

「違うの、私はこの寺に用があって……」

「黙れ! 今日の私は虫の居所が悪い。さっさと帰らねば」

 叫ぶ彼女の前に、誰かが居る。

「……ナズーリン?」

 壁に寄りかかったまま声をかける。

 ナズーリンは相手を見据えたまま手を振った。

「侵入者だ。下がっていてくれたまえご主人様」

 ――無理だ。感じる妖気の桁が違う。ナズーリンの妖気を突き破って私に届く、水底のように昏い妖気。

 嘗ての私に匹敵する力……並の妖怪じゃない。

「だ、駄目ですナズーリン……! 戦ってはならない、私に任せて……っ」

「今のあなたに任せられるものか!」

 言い返せない。私はもう、妖精にすら劣る。

 でも、例え歯が立たず殺されようとも私は、あなたを失いたくないんだ。

 前に出ようとして――――緑の瞳が私を見ていることに気付いた。

「寅丸!」

 名を呼ばれ、駆け寄られる。

「ああ、まさかまだ残っていたなんて……! あなたはまだ、聖を忘れていないのね!」

 涙さえ見せるその様子に、ナズーリンも制止を忘れて困惑する。

 え? ひじ、り……?

 古い……古い記憶にある、白い衣装。艶やかな黒髪に、鮮やかな緑の瞳。

 その顔は――

「え――え? まさか、ムラサ……?」

 ムラサ。村紗水蜜。千年も前の、仲間。

「そうよ! また会えるなんて……! いえ、今は再会を喜んでいる場合じゃないわ!」

「む、ムラサ?」

 痛いほどに、肩を強く掴まれる。

「船が! 聖輦船の封印が解けたの! 聖を迎えに行けるわ!」

 再び告げられるその名に、頭が真っ白になる。

 聖――聖、白蓮。

 忘れ得ぬ私の……恩人。

「でも、私には聖がどこに封じられたのかも、封印を解く手段もわからない。

あなたなら、聖の信仰を一身に受け続けたあなたならわかるでしょう!?」

 体を揺さぶられても何も考えられず、応えられない。

「一輪と雲山の封印も解けている筈。探せば必ず力になってくれるわ! 寅丸!」

「で、ですが――」

 ――欠片も私を疑わぬ目。

 嘗て私が受けた――信仰に等しい、信頼。

 枯れ果てた私の四肢に力が漲るのを感じる。

 失った信仰の代わりに、彼女が与えてくれる信頼という力が私に昔日の姿を取り戻させようとしている。

「私、は――」

 でも、それでは、裏切って、しまう。

 毘沙門天だと、私を信仰してくれた人間たちを。

 こんな私に毘沙門天たれと道を指し示してくれた聖を。

 妖怪であることを捨て毘沙門天の弟子として歩んできたこの千年を――

 なにより……

「――ご主人様」

 私を、何百年も信じてくれたナズーリンを裏切って……

   ――これでまた、ナズーリンと生きられる。

 胸を抑える。胸の内から聞こえた、暗い声を抑え込む。

 今、私は……なんと思った。

   ――――欲のままに生きる妖怪となれば、私は彼女と――

 昏い、何百年も封じ込んできたものの蓋が、開く。

   ――もう、私は……後悔したくない。

 ああ……そうだ。

   ――理由をつけて逃げるのは、御免だ。

 誰がどのようなことを私に望もうが、知ったことか。

 私は、私の渇望する……欲のままに生きよう。

 私は――――妖怪だ。

 聖を助ける。

 仲間たちと共に走る。

 全てを手に入れてやる。

 私の望みを、果たしてやる。

「……寅丸?」

 心配そうに私を見上げるムラサを安心させようと、肩に手を置く。

 その手に、硬い物が当たった。

「ムラサ、これは」

 彼女の服に引っ掛かっていた木片。

「え? この木の板がどうかしたの?」

「……飛倉の、破片……」

 全ての鍵が、揃いかけている。

 甦りつつある私の法力。聖輦船。飛倉の破片――

 ムラサの元を離れ、不安げに立ち尽くしているナズーリンの元へ向かう。

 もう足取りはしっかりしている。ふらつくことも倒れることも無い。

 彼女の前に立ち、その赤い眼を真っ直ぐに見つめる。

「――ナズーリン、協力してください」

「ご主人様?」

「この飛倉の破片を集めるのです。あなたの能力なら容易い筈だ」

「そりゃ、出来るが……」

「ナズーリン」

 彼女の手を取る。

 私の思いが伝わるように強く握り締める。

 ただ、伝えるのは別れ故の感謝などではない。生きると云う、確固たる意志。

「私は妖怪に戻ります。人間と真逆を歩む、人間に害を成す妖怪に。

誘惑に負けた、と受け取ってもらって構いません。

それでも――……」

 不安げなままのナズーリンから目を逸らさない。

 私はもう、逃げ出さない。

「ついてきて、くれますか?」

 返事はない。

 彼女は呆けたように私を見ている。

 かくん、と彼女の視線が落ちた。

「……結局、あなたを救えるのは聖白蓮か」

「え?」

「いや、なんでもない」

 再び私を見上げる顔は、いつものナズーリンらしい笑み。

「――当然だ。私の主はあなた以外にはあり得ない。ついていくよ、ご主人様」

「はい――また、よろしくお願いします」

 二人でムラサに向き直る。

 やることは多い。

 あと二人……雲山と一輪を探し、飛倉の破片を集め……聖の封じられた魔界へ向かう。

「ムラサ、船の準備をしてください」

「寅丸、じゃあ」

「ええ」

 数百年使うことのなかった妖力を解放する。




「封印を解く為には、白蓮の弟様、命蓮の力が必要です。

それが残っているのは、空を飛ぶ倉、飛宝だけ……

ムラサ、船を出して探しましょう!」
最後の台詞は東方星蓮船設定テキストから引用させていただきました



三十八度目まして猫井です

星さんたちの過去を捏造妄想してみました

ナズーリンが気になっているけど色々なしがらみでそれが恋だとは気付けない星さんと

ストレートに星さんが好きなのに立場上素直になれないナズーリン

この二人の数百年を妄想すると止まりません

一周してナズ星は私のアブソリュートジャスティス
猫井はかま
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コメント



0.3210簡易評価
1.100煉獄削除
星の語りやナズーリンとの会話とか思い、村紗とあってからの話の流れなど
その内容にどんどん引き込まれる面白いお話でした。
9.100名前が無い程度の能力削除
ナズーリンの一途さに全俺が泣いた
11.100名前が無い程度の能力削除
とても良かったです!
毎回楽しみにしてますよーー
12.100名前が無い程度の能力削除
純粋におもしろかったです
15.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい…鳥肌モノです。忠臣ナズーリンがとても素敵でした。
非常に面白い解釈だと思います。是非ともその止まらない妄想力をもっと文章にw
これからも応援しています。
16.100名前が無い程度の能力削除
ナズーリン健気すぎるぜ・・・
おk、いい話読ませてもらった、ありがとう
18.90名前が無い程度の能力削除
これは実にいい星ナズ。
ナズ側の心理描写が欲しいような、しかしそれも蛇足なような……ぬう。
20.100名前が無い程度の能力削除
さすが星蓮船だ! 血を吐いてしまいそうなほどに重い一撃だぜ……
ナズーリンを応援せざるを得ない。
22.100名前が無い程度の能力削除
感動した!なんかもうみんなしてカッコイイ
24.100名前が無い程度の能力削除
ナズーリンの皮肉屋の忠臣というキャラ付けは良いものですなぁ
26.90名前が無い程度の能力削除
星が宝塔を探させていた理由が単にうっかり以外に説明されているとこがグッド。
若干飛倉の木片の部分が強引な感じでしたが、これぞ2次創作といった塩梅ですね。
29.100名前が無い程度の能力削除
氏のssはなんというか…こう…ゾクゾクするね
33.100名前が無い程度の能力削除
変態じゃない…だと…!?
なずりんが素敵すぎる
34.100名前が無い程度の能力削除
私も星なず二周目に突入しました
と同時に失われた民族気質との葛藤が目下最大の課題と感じております
41.100名前が無い程度の能力削除
ナズ星アブソリュートすぎる
44.100名前が無い程度の能力削除
やべ・・・超感動した・・・
49.100名前が無い程度の能力削除
アブソリュートジャスティス!
54.100名前が無い程度の能力削除
本気で泣いた。感動した。
58.100名前が無い程度の能力削除
正史になりました
82.100プロピオン酸削除
全俺が泣いた