Coolier - 新生・東方創想話

人間らしく、妖怪らしく 序

2009/11/21 01:04:41
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 私は、目的もなく歩いていた。
 ただ前にある風景の中で地面のある場所、そこに足を出す。そんな作業を繰り返すだけ。そうやってふらつく足を無理やり前に押し出して、今日をいきる場所を探す。まだ日は傾いていないから、闇夜をうろつく野獣は本格的な活動をしていないだろう。それでも今の私の歩く速度では、夜になるまでにこの森を抜けることができるかどうかも怪しい。
 何せ、いまここが一体どこなのかすらわからないのだから。
 いや、それよりなにより――


「昨日は、どこで何をしていたんだったか……」


 栄養不足で職務を放棄し続けている思考回路は、ほんの少し前のことすら深く考えないと出てこない状態だった。大きな木々に囲まれたその場所で、木の幹に寄りかかって昨日のことを思い出してみれば、別段何も変わらない。
 昨日も同じような森の中を歩き、焚き火をすることで野獣を避け、浅い眠りについただけ。

 一昨日も、その前も、その前の週も……

「さて、今の私は他人の目にはどう映るんだろうな」

 自嘲気味に自分の姿を見下ろせば、はっきり言って見られたものではない。
 やっと体に張り付いているぼろ雑巾のような衣服を身に纏った、奴隷にも劣る姿。特徴的な青みがかった髪は埃や泥で汚れており、皮膚も同様。近くに川があれば多少は身なり程度は整えられるけれど、整えたところでどうだというのだろう。

 人間の村や町に下りるため?
 確かに、奴隷やそういった扱いを受けて逃げてきたといえば、同情してある程度の期間寝泊りさせてくれる家があるかもしれない。それでもきっと、ある夜を迎えたら、私はまた追い出されるだろう。
 クワや鎌を持った村人たちに追われ、そこを逃げて出るしかなくなる。
 
 満月になれば、私は醜い化け物に変わってしまうから。

 鬼のような角を持った、歴史を生み出す化け物。
 人はソレを『ハクタク』という。
 全ての災厄、全ての妖怪、全ての病に関する知識を所有し、その妖怪の力は国を動かすもののために使われるという。さらには、そのハクタクが暮らす家には末代までの繁栄が約束されるらしい。なんと素晴らしいことか。

「ハクタク、か」

 もし、生まれたときからその獣であったら、どこかの国に入り込み裕福な暮らしをしていたのかもしれない。人間たちに敬われ、神として祭り上げられていたかもしれない。
 王の横に立ち、政を影で操る。そんな獣に。
 けれど、生まれたときは、何の変哲もない人であった者が……
 偶然、神の気まぐれとでも言うように、血に目覚めてしまったときはどうすればいいというのか。
 
 パキ……

 頭に血が上ったせいか、足元が少しおぼつかなくなって折れた木の枝を踏みつけてしまう。
 そうだ、いつもそう。あのときのことを思い出しただけで、気分が悪くなり、何もできなくなるのだ。
 いままで気軽に挨拶を交わしたはずの近所のおじさんやおばさん、共に学び共に遊んだ友人たち、そして、私を暖かく育ててくれた両親。
 その私を見る瞳が、私の血が目覚めた頃から、一変した。


 『なんだ、この化け物は』と


 目が語るのだ。
 自分たちと違うものが、何故この村に紛れ込んでいるのかと。
 なぜ、こんなものと一緒に生活していたのかと。
 なぜ、こんなものを――産んでしまったのかと。


 だから私は、その村を出た。出るしかなかった。
 だって、そうだろう?
 みんな私を追い払うために、武器を持って襲い掛かってくるのだから。
 いくら声を上げても、泣き叫んでも、見逃してくれないのだから。
 逃げなければ、殺される。そんな恐怖しかなくて、私は必死に生まれ故郷を後にした。何もしていないのにそんな扱いを受けたなら、報復するべき。人間を襲うべきだと、妖怪たちは言うかもしれないが、それでも私にはできなかった。
 人間として生まれたからかもしれないが、人間が大好きだから。
 人間が好きすぎたから、私はその後も人の里を点々として歩いた。その正体が半人半獣だとばれるまで、少しでも人と接していたいと、そう願った。
 
 それでも最後はその願いを人間に裏切られることをわかっていながら……
 

「その結果が、これか」


 一度足を止めてしまったせいで、理解してしまった。
 今の自分の疲労の度合が、いままでとは比較にならないということを。視界がぼやけ、周囲の音が反響する。別に何に覆われているわけでもないのに、そんな錯覚が生まれ始めている。この状況を何とかするために、体の維持に使う力をわずかな時間だけ頭に集中させ、過去の記憶を洗い出す。そうやって最善の手段を考えようとする行動こそが、俗に言う記憶の走馬灯。
 生命の危機に瀕したときにだけ使われる手段。
 それが私の中で映像として流れているのを感じる。


 人を愛し、人と共に生きたいと思うのにそれが許されず。
 ただ迫害され続けた歴史だけが流れていく。
 時には幸せな時間も見えるが、それはわずか一瞬。
 その大半は、私が必死に逃げている姿しか映らない。


「……疲れたな」

 
 それでも、ほんの少しでも人間として生活できた記憶を映像として見ることができて、私は幸せ。
 ならばこの、少しでも幸せを感じられる世界の中に意識を預けても良いだろうか。
 今日だけ、ほんの少し、だけ――


 ドサリ


 この日、この世界で、私が最後に聞いた音。それは、何か重いものが草や張り出た木の根に当たりながら地面に倒れこむ音だった。







 ◇ ◇ ◇






 

「紫様。妖怪を呼び込む結界に新たな反応が」

 主の部屋で待機していた九尾の式神、八雲 藍は結界から軽微な反応を感じ取り膝を付きながら報告する。それを受けた境界を操る妖怪は瞳を細めたまま数回瞬きを繰り返した。

「藍、あなたが感じるその個体の特徴は?」
「いえ、まだわかりません。現場をみたわけでもありませんし、ただ存在を感じただけですから。紫様が結界に触れたものの詳細までわかるように手を加えてくださればいいのですが」

 そんな主に対する皮肉を軽々と微笑みで受け止め、紫は扇子を広げる。広げてからそれを口元へ運び、表情を隠すように言葉を続けた。

「その個体識別にどれほど複雑な術式を組み込まなければいけないか。それをわかっていての発言と受け取っていいのかしら?」

 もしそれを実際の結界で再現するとなると、まず人型か、獣か、それとも異形か、そんな判断から始まり、人型であれば男か女か、どのような種族で、妖力の質は、弱っているかそれとも健康な状態は、凶暴かそれとも穏和か等々。細かな情報を分析する機能をもたせなければいけないというのに。しかもその解析に多大な時間を有するため、素早い反応ができなくなる恐れもある。
 そんな実用不可能な術式のことくらい、式を扱える藍もわかっているはず。
 ならば何故、急にこんなことを言い出したのか。答えは簡単。
 紫にもう少し動いて欲しいと思っており、それを遠まわしに訴えているのだ。紫がそれを理解するという前提で。

「ええ、言葉の裏まで理解していただいて結構です」
「そう、でも簡易な結界の反応なら、まずあなたが動くべき。違うかしら?」
「それはそうなのですが、少々今回は勝手が違っているようでして」

 勝手が違う、とは珍しい言葉だと紫は感じた。
 様子がおかしい、危険だ、という言葉は何度か聞いた覚えはあるのだが、今回の言葉はまだ聞いた覚えがない。それが何かと問い質す前に、藍は自信なさ気に畳へと視線を落とした。

「異質な者であるはずなのに、その気配が小さすぎるといいますか……
 まるで人間を招き入れたときのようで」
「人間? それはおかしい話ですわ。反応した結界は別物のはず」
「ええ、ですから紫様に状況を判断していただこうと思った次第でして」

 人間の気配しかしない異質なもモノ。
 その言葉だけで紫は大体どのような存在が入ってきたか理解する。ただ普段は人間と同じ姿をする化け物にも多々種類がいるため、どれかまでは想像できないものの、その多くは獣となったときに正気を失うものの方が多い。
 もしかすると『処分』したほうがいい部類かもしれない。

「そうね、なら私が直接出向いた方がいいかしら、夜に動くよりもこの時間の方が暖かいし」
「わかりました、それでは橙に留守番を頼んできます」
「あら? あなたも行くの?」
「また面白半分で小さな異変の種を撒かれては困りますからね」
「あらあら、随分とお利口になったものね。
 さて、その子は私の退屈を癒してくれる存在になりえるかしら」

 舞うように扇子を扇ぎ、微笑みかけるその表情はあまりに妖艶で、式である藍が一瞬見惚れてしまうほど。わずかに頬を染めた藍の様子を楽しそうに見つめるその姿は、大妖怪の威厳そのもの。
 そんな主を藍は横目で盗み見て……




「とりあえず、布団から出ましょうか……」

 ため息を零しながらそうつぶやいたのだった。
 

 







『あら? もしかして結界に掛かったっていうのはこの子かしら?』
『そのようですが、やはり見た目は人間ですね。
 どうします? 食料として倉庫にでも運びましょうか?』


 ――なんだろう、誰か、近くに居るのだろうか。


『いえ、少し結界を調べてみてからにするわ。
 ふむ、確かに呼び込んだのは、彼女みたいね。しかも彼女は、正確には妖怪という分類ではない。へぇ、なるほど、広い意味では妖怪なのだろうけれど、やはりそういう存在ね』
『一人で納得なさらず、私にも教えていただけませんか? 私にはどうしてもこの女性がどこかの奴隷商人の売り物くらいにしか思えないのですが』


 妖怪? 奴隷?
 ぼやけた意識はその何者かの会話を拾いながら、何かを考えようとするが疲労感が先にたってどうしても立ち上がることができない。その間も何者かの会話はどんどん私のわからない話になっていく。


『どちらかと言えば、獣の要素を多く含んでいる。あなたに近い存在と言えば多少理解できるかしら?』
『妖獣に近い? ああ、なるほど獣人ですか。しかし獣人であればもう少しそのような匂いがするはずなのですが、ふむ』
『甘いわねぇ、藍。だから、あなたが最初にした勘違いもある意味正解ということ。それに、もしこの子が私の予想通りの存在なら、使えるわよ、十分に』


 何か私に関わる大事な話をしているというのは理解できるが、不意に襲ってきた眩暈が、私の意識を完全に遮断して……
 きっと、何か……大事な……


『さて、でも問題は身なりねぇ。こんなボロボロじゃ目的の場所に連れて行っても、誤解されかねない。藍、あなたの服で何か良さそうなのなかったかしら?』
『……全部尻尾用の穴が開いてるんですが。普通の女性だと町を歩いただけでつかまるような気がしますよ』
『違うわよ、ほら。あなたが人間に化けるときがあればと思って、作った服があったじゃない』
『ああ、なるほど、アレですか。それならば――
 いや、しかしそれでも少々、問題があるような気がするのですが』
『問題? そんなものどこにも――ああ、なるほど。私からのプレゼントを人に渡すのが嫌なのね、藍ちゃんは大きくなっても可愛いんだから♪』
『ば、ばばばば、馬鹿なことを言わないでください。いいですよ。全然イイデスヨあげっちゃって! 絶対私使いませんから、ええ、絶対! ほら、紫様さっさと境界開いて準備しましょう!』


 そんな消えかかった意識の中で、私はどこかの、深い闇の中へ落ちているようなそんな感覚の中眠りに落ちる。
 眠ったら命に関わるかもしれないというのに、あまりの疲労感で立ち上がることすらできず……


『今度また作ってあげるから、ね♪』
『いりませんっ!!』


 その会話を残し、三つの人影は地面の影に溶けるように消えていったのだった。












 チュンッ チュチュンッ

 鳥のさえずりと共に目を開ければ、柔らかい光が目を射してきて思わず瞼を閉じてしまう。そうやって目を背けた先には昨日まではなかったはずの、白い柔らかな物体。その柔らかな感触の上に自分の体が置かれていた。これが何かは誰かに問いかける必要はない。それに自分の体の上に掛けられているものから伝わってくる暖かな感触から判断して、間違いなく私は布団に寝かされている状況だった。
 もう一度光が差し込んでいる方向を見ると、障子が白く輝いていて朝日が昇りきっていることを知らせてくる。しばらくその光を気を抜きながら眺め、気分を落ち着かせてから周囲を見渡し周囲の状況を探れば、どうやら私は8畳ほどの空間に眠らされていてるようだった。天井の作りや畳からして、私の知らない異国の建物ではないようだが、何はともあれこのままじっとしているわけにはいかない。

 私の最後の記憶は、深い森だったはず。そこから無意識のまま人の暮らす場所まで移動できるはずがない。つまり、状況からして私は間違いなく誰かに助けられたのだろう。
 ならば、助けてくれた礼を言うのは当然。善は急げ、という言葉を思い出し、私は慌てて体を起こして……

「!?」

 体を起こすために右手を付いた瞬間手首に痺れるような痛みが走る。
 それでも、激痛とまではいかなかったのでそのままゆっくり上半身だけを起こし、痛みを感じる部分をゆっくり動かしてみれば、なんのことはない。ときおり小さな痛みを感じるだけ、おそらくは倒れたときに捻ったのだろう。布団の中で足を動かしてみても違和感は感じないし、腹部や胸に目立った傷も見えない。正確には、青を基調とした服のおかげで、傷も何も見えない。しかしそこから血のにじんだ後も見えないのでたぶん怪我をしていないと予想しただけ。念のため触ってみても痛みを感じない。やはり不調なのは右の手首のみ。
 久しぶりに布団で眠れたおかげで疲労もほぼ回復しているから、手首以外で困ったことといえば、先ほどから鳴り続けている腹の虫くらいか。まったく、自分自身のこととわかっているもののなんと不甲斐ないことか。

 私は服の上からゆっくり腹部を撫で、少しでもその音を小さくしようと――


 まて、まてまてマテマテマテッ


 この青い服は一体、誰のものだ。
 私はもっと土気色の、みすぼらしい服しか身に着けていなかったはずだ。
 それに――そうだ髪の毛! それに肌は?

 私は自分の長い髪を右手で一束掴み、手元に持ってくると、あのドロ汚れが嘘のよう。サラサラと指の間で流れていくほど柔らかなものになっていた。香りも汗臭くなく、石鹸の匂いが、する。
 肌もさわり心地が良く、布団も汚れた気配がない。


 と、ということは――


 つまり、うん、冷静になれ。
 れ、れれれれれれ、冷静になるんだ。
 べ、べべべ、べつっ別に、問題! 問題ないじゃないか!

 う、うん、怪我をしていないか見るのは当然。
 汚れていれば布団に入れる前に風呂に入れるて当然。
 そうしなければ、大事な布団が汚れてしまうからな、汚れてボロボロに破れた服も気を利かせて処分したのだろう。

 何もおかしなことなど、ないぞ! うん!
 だから何も、裸を見られたとかそういうことを意識する必要はない!
 堂々と胸を張って感謝の一言を笑顔で伝える。


 それだけだ。たったそれだけのことに私は何故こうも顔を熱くしているのだ!
 まったく馬鹿馬鹿し――


 すーっ


「おーい、そろそろ目が覚めたか~」


 そうやって私が心を落ち着かせていると、障子戸が急に開いた。
 朝日を背にいきなり現れたのは、二十歳前後と思われる青年。
 見た目で言えば自分と同じくらいの、青年。


 同じ、くらいの?


「あ、あの、つ、つつつ、つかぬことをお伺いしますが」


 いつもと違う口調。
 裏返ってしまっている声。
 怪訝な青年の表情からも、妙な女性だと思われているかもしれないが。
 これは大事な、非常に大事な確認で――


「もしかして、あなたがぁ、わ、わわたしをぉぉ、介抱したりしたわけでは、あ、ありませんよね?」


 うん、いくらなんでも。
 年頃の若い青年がそんなことをするはずがない。
 私だってこんなに、顔から火が出るほど恥ずかしいのに、いや、馬鹿げた質問だ。
 今の質問は忘れて欲しいと、うん、訂正しよう。
 不思議な顔をしている今ならまだ間に合――


「ああ、俺が布団までしっかり介抱してやったぞ」


 ピシッ


 音を立てて、私の体が固まった。
 そんな気がした。

 ……え、あ?
 いや、待て。うん、今のはきっと、そうだ! 聞き間違い!  
 きっと俺の家族が、とかそういう言葉を聴き間違えただけ!


「まあ、多少体を抱えたり触ったりしたけどな。まあ、そういうの気にしなくてもいいぞ。
 何せ服も特に脱がせてな――」


「ふ、ふふ……」

 
 しかし、私にその男の声は最後まで届いていなかった。
 抱えたり触ったりした、という単語で既に――


「いやああああああああああああああああああああああ!!」
「え、ええ、えええぇぇぇ!?」


 ――おもいっきり混乱していたから。
 何も考えないまま、体を抱き掛け布団を盾にするように壁際へと後退。
 瞳に涙を溜めて、顔を真っ赤にしたままその青年を見上げる。
 すると、そこには扉を開けた場所で立ったまま慌てふためく青年が居て……


「い、いや、だから違うって言ってる! 服は、服は脱がして――」


 なんとか弁解しようと身振り手振りで訴えようとしているが、それは成功しなかった。
 なぜなら――


「こ、この変態めぇぇぇぇぇぇぇぇ~~~~~~~~~!!」


 廊下を走ってきた一人の女性。
 その女性が青年に向かって飛び上がり。
 大きく体を捻ってから、十分速度の乗ったとび蹴りを脇腹に突き刺したのだから。


 ドゴォッ!


「へ、へにょわ!?」


 奇妙な悲鳴を上げ、白目を向く青年。
 白髪の、輝くような長髪をした、活発そうな女性のとび蹴りを受けて、水平方向へ飛び。
 廊下を数回、跳ねた後。
 ドバーンっという大きな水飛沫を上げて庭の池に飛び込むこととなった。


「ふん、女の敵め……」


 そんな水飛沫に向かって一瞥してから、紅いモンペを着た女性は私に微笑んでくる。
 その微笑みは少し固い表情だったけれど……


「大丈夫、もう怖いことはないから」


 太陽を背にした、その凛々しい女性の表情が一瞬だけ女神のように見えて。
 私は、顔を紅くしたまま、彼女に、ずっと瞳を奪われたままで、コクリッと首を縦に振ったのだった。







 私が保護されたこの家は、人里の中で自警団という組織の建物らしい。組織とは言っても家の構造は特に一般的な家屋と大して変わらないそうだ。使われていない民家を改修して利用しているという話だから、当然と言えば当然。
 それで今、私が何をしているかと言えば――


「何で私が正座しなきゃいけないの……」


 先ほど、私に微笑を向けてくれた白い髪の女性と並び一緒に正座させられている状態だった。ただし横に座った女性は反省というより、不満顔である。
 そんな拗ねた表情を可愛いと素直に感じながら、視線を女性から目の男性に向ける。男性も女性と同じように不機嫌そうで、あぐらをかいて座ったまま女性の方を指差していた。さきほど池に落ちたせいで服装は変わっているものの、頭だけはまだ湿っているようで、元々自然に流してあった短い髪の毛が肌に張りついてしまっているように見えた。

「当然だろうが! 何が悲しくて朝っぱらからわき腹に重い一撃をうけなきゃいけないんだよ! しかももうすぐ冬になるってのに池の中に落としやがって! この男女!」

 あの綺麗な角度で入った蹴りを思い出しつつ、少し思い出し笑いをしてしまう。それに気付かれ男性から鋭い視線を受けてしまうが、それを遮るように横の女性が声を張り上げた。

「ふん、そっちが欲情に任せて女性を襲おうとするからよ! この色情狂!」
「誰がするかー! 俺が妻子持ちだってことお前知ってるだろ!」
「男の人って奥さんいてもそういうとこ変わらないのね。最低」
「だぁかぁらぁ、誤解だって言ってるだろうが!
 あんたからも何か言ってやってくれよ!」

 どちらも自分の意見を主張しつづけ、意見は平行線のまま。
 これではいくらやっても無駄だと悟ったのか、男性が私に話を振って来る。しかし私としてもまだ感情の整理がついていないわけで……

「そ、そうですね。確かに私の肌を見るのは必要な行為だったのでしょうね。
 やはり服もみすぼらしいものでしたし、新しい衣服を着せてくれただけでも感謝するべきだとは思うのですが、しかし、できれば女性の方にそういうことをして欲しかった。あ、そうではなくて、していただきたかったのです」

 久しぶりに使う丁寧な口調。混乱したまましどろもどろになってそう答えると、男性は肩を落として大きくため息をついていた。

「だから、服は脱がせてないって……
 俺は自警団の泊まり番でここに居ただけだし、そこの妹紅が運んできたあんたを布団まで抱えただけなんだよ、本当に。服とか裸とかそういうのは、そっちの方が詳しいんじゃないか?」

 男性に、裸を見られたわけではない?
 そんな期待の目を妹紅と呼ばれた女性に向けると、しかし彼女も少々難しそうな顔をして頬を指で掻いていた。そして説明しにくそうに苦笑しながら私を見つめ返してくる。

「え~っとね。実は私も、森の中で倒れたあなたを見つけただけで、服や肌とかそういう問題は全然ね。
 逆になんでこんなに身なりが綺麗なんだろうって疑問に感じたかな」

 そうやって真剣に悩んでくれる姿を見ているだけで、私の中には暖かい感情が溢れてくる。素直にうれしい、そんな感情と安堵が一度に押し寄せてきて、私は胸を右手で抑えながら息を吐いた。つまり彼女が私をそのままの格好で連れて来たのなら、この男性が私の肌を見た可能性は大分低くなるのだから。気の迷いで、そういうことをしたと考えられなくもないが、それは信じるしかない。

 ただ、それ以外に一つ。
 それはあまり考えたくないことだが、彼女が何かを隠している可能性も同時に生まれてしまった。私が肌を綺麗にされ、服を着替えさせられてからその場に放置されていた、という彼女の言葉。それは普通に考えてありえないことである。
 そこまで介抱したのであれば、わざわざ森の中に置き去りにするなんて考えられない。彼女が私を介抱したというのが一番自然な流れなのだから。しかしそれを不自然とするなら、彼女が嘘を付いていることになる。

「何? 私の顔に何かついてる?」
「あ、すまな――じゃなくて、すみません。
 こうやって、間近で人を見るのは久しぶりだったもので」
「あはは、何それ。まるで、人とあまり一緒に生活していなかったみたいね」

 びくっ

 しまった。
 私は一瞬だけ瞳孔を見開き、顔を青くしたまま目を背けた。
 久しぶりの平和な朝で、気が抜けてしまっていた。
 人間は群れで生活するのが普通なのだから、あんな言い方をすれば違和感を持たれるのは当然。しかしいつまでも俯いて黙っていては、余計に怪しまれてしまう。
 そんな私を追及するように目の前の男性が口を開いて――

「あー、そうか。
 君も巫女や森の魔法使いみたいな、人里にいない人間だったのか。
 なるほどね、それであんな森の中にいたと。ふむふむ」
「そ、そう、私も一人で暮らしておりまして」

 助かった、私は男の助け舟に頷きを返し、苦し紛れの嘘をつく。
 どこに住んでいるの?
 と聞かれればその時点でネタ切れという、愚かにもほどがある行為。それでも、何も話さないよりはましだと思ってついつい乗ってしまっていた。私はその質問がないようにと願いながら、二人の様子を見守っていると、正座を崩した女性が腕を組んで頷く。

「あなたも一人暮らしなのね。気楽でいいよね、一人ってやつは。
 たまにこうやって人里に来るのも悪くないけど」
「まあ、一人暮らしし過ぎたせいで、ひねたやつもいるけどな。
 特に、普通なら育つはずの胸もずいぶん捻くれて」
「うりゃ♪」
「あっち、うわ、あっちぃぃぃぃぃ」

 そんな何気ないふざけあい。
 しかし、その普通の人間のやり取りでは発生しない現象が、二人の間で起きていて、私は声を出すのを忘れて見入ってしまう。だって、妹紅さんが引きつった笑みを浮かべて右手を軽く振っただけなのに、指先から小さな炎が走り、男性の顔の前で破裂したのだから。
 しかし、それよりも驚いたのは――

「おまっ! 妹紅! 火は人に向けちゃいけませんって親から教えてもらわなかったのか!」
「いいんじゃないの? 人間じゃなくて外道に撃ったつもりだから」
「ああ、いやだいやだ。そうやってすぐ暴力に訴える馬鹿は。
 大平原のような広い真っ平らな部分を持っているくせに、心はなんて狭……
 ごめんなさいわたしがわるかったとおもいますだからそのおおきなほのおはなげないでクダサイ」
「うむ、わかればよろしい」

 この人間が、異質な力を日常のように受け取っているということ。
 私はそれに衝撃を受けた。
 何で? 何故?
 今、起こったことが納得できる?
 炎が何もないところから生まれたというのに、なぜ冷静でいられる。

「ほら~妹紅。いきなり知らない人の前で炎使うからびっくりさせたじゃないか」
「あ、ごめん。驚かせちゃったね。
 私は炎の術が得意で、ついつい手よりも炎が先にでちゃったりするの」

 呆けている私の顔を見て、火に驚いたと思ったのかもしれない。
 しかし、私が驚いたのは、そんな力をここで平然と使えること。

「え、あの……
そんな力を人の里で使って、大丈夫なのですか?」
「いいんじゃない? ほら、妖怪だって当たり前のように出入りしてる世の中だしさ」

 え、えっと、今、なんて?

「よ、妖怪が!? どこに!」
「おいおい、そんな大袈裟に驚くことないじゃないか。別に悪さをする妖怪が出たわけじゃない。いつもどおりその辺りの店で世間話をして帰っていく程度だ」
「せ、せせ、世間話っ!?」

 ありえない。
 そんな世界はありえるはずがない。
 井戸端会議をしている人間の中に、こっそり妖怪が混ざっている映像を思い浮かべて、私は必死に首を横に振る。そんな、そんな夢のような世界、あるはずがないじゃないか。
 満月の夜、ハクタクになってこの世界の歴史を探れば納得できるかもしれないが……
 過去を思い出してみても、人と妖怪が同じ里の中にいて、平気で会話するなんてこと信じられるわけがない。
 そんな、そんな羨ましい世界なんて……

「あ~、なんだ。もしかして、妖怪が苦手とか?
年頃の娘さんなら、しかたないかもしれないけど。そういうのはちゃんと慣れないと。私なんていつも竹林で妖怪みたいなヤツの相手してるし」
「まあ、俺もいちいち妖怪やら妹紅に驚いてたら、自警団なんてやってられないしなぁ」
「だから、私を妖怪と同列に置くなっ!」
「怒るなよ、単なるわかりやすい例えじゃないか」
「わかりにくいね、すっごくわかりにくい!」
 
 そうやってまた喧嘩をはじめる二人。
 もう朝の騒動を忘れてしまったかのように、楽しそうに喧嘩をする二人。
 この場所がどんなところか、いまいちよくわからないけれど。
 
そんな姿を見ていたら、私も少しだけ勇気が湧いてきた。
 
 もしかしたら、この場所は本当に妖怪と人間が仲良く暮らせるのではないか。
 私の居場所があるのではないだろうか。
 そんなことを考えるたび、次第に元気が湧いてきて――

 
 くきゅるきゅるきゅる……


「…………何か食べる?」
「…………何か食べる?」

「……はい、いただきます」


 元気過ぎる自分の腹の虫を恨みながら、私は消え入りそうな声でそう答えたのだった。








「さっきのは自警団の中の若頭、喜助って奴。
 生意気で困ったヤツでしょう?」
「い、いえ、別にそのようなことは……」

 少しだけ不機嫌そうに言う妹紅さんの横顔を眺めながら、私は自分でも抑えきれない期待を抱く。久しぶりの里、間近に感じ取ることのできる人の息吹。生活感が溢れる喧騒。その全てに感動し、胸を躍らせていた。
 ――断じて、お腹が減ったから朝食を楽しみにしているわけじゃない。
 断じて、違う。

 私はいつの間にかその、懐かしい光景に目を奪われ、何か物音がするごとに体の向きを変えたり首を動かしたり。初めて人里に下りてきたと、言わんばかりにあちこち眺めていると、かなり前の人ごみの中から妹紅の声が聞こえてきた。

「おーい、置いてくよー」
「あ、すまない! じゃなくて、す、すみません……」

 昔の癖で、どうしてもぶっきらぼうなしゃべり方が抜けないのは困り者だ。
 急に呼びかけられると、どうしても地が出てしまう。ちゃんと女性らしい話し方をしないと、また嫌われてしまうかもしれないというのに。

 私は歩く人の波を避けながら彼女の元に辿り着き、小さく頭を下げた。そのから横に並ぶようにして秋晴れの空の下を一緒に歩いていく。
 私たちが向かっているのは、彼女オススメの食事処。いつも朝と昼は人で一杯らしいのだが、この朝食よりも少し遅い時間帯であれば空いているとのこと。そんな美味しい場所ならば、あの男性も一緒の方が良かったのではないか。そう思った私は、少しだけ妹紅さんの機嫌を確認してから声を掛ける。

「その、ご飯のことなんですが、喜助さんという方はお誘いしなくてよかったのですか?」
「それは無理無理、あいつ結構軽そうな感じなんだけど、朝と昼は絶対奥さんのご飯食べるって聞かないんだよ。愛妻家というか、ベタ惚れっていうか。まったくそれまでは人里に下りてきたときの良い昼食時の話し相手だったんだけど」

 そういえば、朝食に出かけると妹紅さんが言った途端、『俺も帰る』という一言だけ残してどこかへ行ったのは、本当に家に帰るためだった、ということか。女性として生まれたからにはそれほど想われている奥さんが少し羨ましくなってしまう。

「そ、そうなんですか。助けてくれた感謝の言葉の一言も返せなかったので、食事のときに改めてと思ったのですが」

 丁寧に、人間の女性らしく。
 そう意識しながら、会話を楽しもうとした私に、少しだけ不機嫌そうな彼女の顔がいきなりぐっと近づいてくる。そして私の唇を右手を指差し、左手を腰に当てた。
 
「……ねえ、絶対それ、無理してるよね?」
「何がです? 私のどこが無理をしていると」
「口調よ。口調。 朝から気になってたけど。ときどき、敬語じゃないところがあった。
 意地張って丁寧な言葉を使わなくてもいいよ。その方が気軽に話ができるし」
「あ、いや、でも私の言葉はそうそう綺麗なものでは……女性らしくもないので」

 体の前、腰のあたりで両手を重ね、視線をほとんど真下に向ける。
 そうしないと、不安げな瞳を見られてしまう気がしたから。と、そのとき。下げた額の前に赤い炎がいきなり現れて、ぼふっと派手な音だけを響かせて爆発する。
 私は驚いて飛びのき、そんないたずらをした張本人と距離を取った。

「きゃぁっ!
 い、いきなりなにをするんだ。危ないじゃないか!」

 驚きに任せて声を上げると、彼女はお腹を抱えて大笑い。
 私を指差していた手を顔に持ってきて、笑い涙を拭くために目尻へと運ぶ。

「ほら、やっぱりその口調の方が元気があって良いじゃない。
 可愛い悲鳴とその言葉使いの落差が、ぷっあははははっ」
「うぅぅぅぅ~~~、もこぉぉぉ~~~~」

 私がこうも心配しているというのに、冗談にもほどがある。
 その気恥ずかしさで顔を真っ赤にした私は、思わず彼女のことを呼び捨てで呼んでしまっていた。

 しかしそれは彼女が一番求めていた反応のようで、口元を笑みの形に歪めたまま自分自身の顔を指差す。

「そう、私は藤原妹紅、これからはそうやって呼び捨てでいいよ。
 そのかわり、あなたのことも呼び捨て、それでいいよね?」
「え、あ、そんな、妹紅さん、勝手に決められても――」
「そのままの呼び方だったら、ご飯ごちそうするのやめようかなぁ」
「う゛――」

 もうすでに朝食を食べられることを意識してしまったせいか、私の腹の虫はどきどき上機嫌に高い声を鳴らしている。そんな状態でお預けなんて、考えられるはずがない。何せ人の作るまともな料理を食べるなんて、何ヶ月ぶりのことなのだから……

 いや、しかし、よく考えるんだ慧音。他人をいきなり呼び捨てなんて、それはいけない。
 初対面の相手には礼節を尽くしすぎてもいいくらいなのだ。そうだ、だからこういうことはしっかり線引きしておかなければ! ここは断って、しばらくは『藤原さん』か『妹紅さん』と呼んだほうが良いに決まっている。
 た、たとえそれで一食抜くことになっても、今までの生活を考えればその程度のことなど――

 きゅるるぅぅぅぅ……

「……ひ、卑怯だぞ! 妹紅!」
「うん、それそれ。やっぱりその方があなたらしさが出ておもしろい。
 それじゃあ、私が呼び捨てにするためのあなたのお名前を教えていただけないかしら?」

 私のお腹の音を聞き、口を押さえて笑う。
 急に丁寧な口調で問い掛けるのは、私に対しての遊び。

 その遊びが私はとても嬉しかった。
 初対面の私に対してどうしてこうも、積極的に接してくれるのだろう。
 そう考えるだけで、また耳まで赤くなってしまう。

「……か、上白沢 慧音。それが私の名前だ」
「じゃあ慧音でいいな。ほらほら、ぼ~っとしてないで、いくよ」
「あ、ああ、わかった、妹紅。わかったからそんなに走らないでくれないか」

 火照った顔に当たる秋の空気のなんと心地良いことか。
 私は緩やかに流れる風の中、妹紅の背中を追って人里の中を駆けていく。
 彼女は私よりも少し背丈が低いので、その背中は私よりも小さいくらいだと思うのに、とても頼もしくて、力強く感じた。








「……おお、これは」
「どう? いいでしょう、私のお勧め」

 私は彼女に勧められて入った焼き鳥屋で、何故か蕎麦を啜っていた。
 朝食なので何か軽いものがいいか、と妹紅がつぶやき。この店を指差したときはどうしようかと思ったが、妹紅が入ってすぐこう言ったのだ。

「ソバ二つ」と。

 注文のお品書きにもない料理をいきなり頼んだかと思うと、まばらに客の居る店内の隅。一番壁際の席を選んで腰を下ろす。私もとりあえず席についてみたのはいいのだが、妹紅が注文をしても世話しなく動く店員はまるで反応していない。ただ手早く料理を作っているようにしか見えない。
 私が不安げに周囲を見渡していると、『みてなさいって』と自慢気に妹紅が腕を組み、椅子の背もたれに寄りかかる。いったいその自信がどこから来るのか……
 そうやって妹紅がいくら待っていても、全然状況が変わっているとは思えない。
 やはりソバ屋と間違えたのではないか、とそんな疑問が私の中に生まれ始めた頃。

「はい、鳥ソバお待ち」

 コトン

 二つの器が私たちの机に運ばれてきた。
 その丸い容器の中を覗けば、確かに何の変哲もないソバ。ソバの上に鶏肉が載っているだけのごくありふれたものに見えた。お品書きにないそのソバを少し警戒しながら眺めていると、妹紅は手を合わせ『いただきます』と小さくつぶやいてから、一気にそれを啜り始めた。
 あまりに美味しそうに食べる妹紅に釣られるようにして、私も一口ソバを口に運び……
 
 その味の深さに、純粋に驚かされてしまった。
 ツユは決して濃い色に見えないのにしっかりと味が調えられていて、ソバも程よい硬さと喉越し。純粋に感嘆の声を漏らしてから、私は黙々と箸を進める。
 ふと気がついたときには、ツユまで綺麗になくなったソバの器だけが机の上に置かれていた。

「焼き鳥に使わない鳥の部位をじっくり煮込んだ汁に、秘伝のダシを加えて旨みを出しているらしい。
 まかない料理なんだけどね、ここの」
「正直、妹紅がここの店を選んだとき、朝から焼き鳥でも食べるのかと思ってしまったよ」
「鳥を食べるかと思わせといて、あっさり料理。
 ただ美味しいものを食べさせるより、そっちの方が楽しめるからね」

 普段は決まりきった一面しか見えないはずなものの、別の一面。
 まるでそれは自分に似ているなと、そんな暗い考えを頭の中で思い浮かべる。こんな美味しい料理をごちそうになったのに何を馬鹿なことを考えているのか。そんな根暗な自分を叱咤していると、妹紅が何故か真剣な顔で私を見つめていた。

「さて、お腹もある程度膨れたことだし、そろそろ本題に入るとしましようか」

 さきほどのあの暖かい視線とは別の、射抜くような視線。
 それがまっすぐ私の瞳を捉えてくる。
 私が思わず目を背ける前に、彼女の唇は動いていた。
 
「……あなた何者?」

 その眼と、その言葉は、まるで私の本質を見抜いているようだった。
 単なる人間だと、そう答えたかったが。
 静かな威圧感を感じ、私は唇を緩く噛むことしかできなかった。

「あなたさっき、一人で暮らしているっていったよね? 
 それなのに、妖怪という言葉に対して過剰な反応を見せた。
 悪いけど、それは不自然なんだよ。この世界ではね。人の姿をした妖怪が溢れているから、人里から離れてすんでいる場合は妖怪に対する知識をしっかりもって対処しなければいけない。
 幻想郷で暮らしている人間で齢が十を越えれば、それはもう常識の部類」

 幻想……郷?
 この世界の名前?
 揺れる私の瞳、それは私の心をそのまま移していた。
 そんな小さな私の仕草だけで、彼女は察してしまう。  

「だから妖怪の話題が出た程度で、驚くわけがない。
 幻想郷という名前を聞いて、そんな不思議な顔をするはずがない。
 この世界で生れ落ちていれば、当然の知識だから」

 きっと彼女は、この話を誰にも聞かれないようにするために、この席を選んだのだろう。
 他の客が近くに居ない店の隅、そこで妹紅は私にだけ聞こえるように、静かにでもしっかりと聞き取れる声で私に語りかけてくる。
 それが世間話のような軽い話題であればよかったのだが、首筋に汗が滲むような思いに縛られた私はなんとか妹紅から視線を逸らし、膝の上に置いた握りこぶしだけをじっと見つめるしかなかった。
 汗で手のひらが濡れていくのを感じがながら……

「慧音に何者かと尋ねたのは、別に責めているわけではないし、怪しいから正体を探って妖怪退治の連中に引き渡すつもりもない。純粋に興味があったから。出会ってすぐにこういうことを言うのは変かもしれないけど、私は慧音は悪い人間や妖怪じゃないと思ってる。
 だから、もしなにかあったとき協力できるように、あなたの正体を聞いておきたかっただけ。
 それでも答えられない?」
「すまない……」

 嬉しかった。
 正直言えば、涙が出るほど嬉しかった。
 もしかしたら嘘かもしれないけれど、悪い人間や妖怪に見えないという彼女の言葉が暖かくて、心に染み入るようだった。それでも、私中の過去の暗い記憶が湧き上がってきて……
 どうしても、首を縦にふることができない。

「いいよ、何か裏があるんだろうけど、それは聞かない。
 だからこれだけは答えてくれないか」

 妹紅はわずかにその張り詰めた気配を解き、微笑を私に向けてきた。

「慧音、人は……人間は好き?」

 躊躇いがちにかけられたその言葉。
 きっと、妹紅はこの質問も答えにくいものだと思っているのだろう。私がどういう存在かを概ね察した上で、尋ねている。
 だが――
 この答えだけは、ずっと前からひとつしかない。


「私は、人間という種族を愛している」


 顔を上げ、胸に両手を当てながら。
 他人からみれば恥ずかしい言葉を私は堂々と言い切る。
 これだけは自信を持って言えるから、妹紅が大笑いしても、真っ直ぐな瞳を向けていられるから。
 
「そうか、ならよかった」

 でも妹紅の反応は私が思っているのとはまるっきり正反対のものの。
 だって、なぜか影を持った瞳で私を見つめていたから、どこか悲しげに肘をついたまま、あるはずのない窓を見上げるようにして壁のほうをじっと見つめ始める。
 
 その憂いを秘めた表情が何を意味するか。
 彼女と出会ってすぐの私にはわからないけれど。
 もしかしたら、彼女も私と同じような過去を持っているのではないだろうか。
 比べ物にならないほど大きな闇を抱えているのでは……

「さて、じゃあ疑問もすっきりしたところで、人里案内再開と行こうか!」
「い、いや、いくらなんでも。 ごちそうしてもらったのに案内までさせるのは……」
「遠慮しないで、いいって、ほら急いだ急いだ!」
「え、あ? い、いや。 遠慮しているわけじゃないんだ、妹紅。
 私はもう少しゆっくり見て回りたいと――あ、こら!」

 そんな私の要望をまるで聞かず、妹紅は二人分のソバ代を机に置き、私の左手を掴んでおもいっきり引っ張っていく。あまりに強引過ぎるその態度に少し困惑してしまったが、その力強さが心強くて――
 気づけば、私も彼女に合わせて歩みを進めてしまっていた。
 それからは、ずっと妹紅の行動に引っ張られ続け――


 美味しい匂いにつられ、団子を食べたり。
 通りに並んだ昼市を見て回ったり。
 女性らしく、万屋で髪飾りを選んでみたり。
 八百屋の店主に『奥さん』と言われて、顔を赤くしたり。


 時間が経つのも忘れて人里を歩き回り、ふと空を見上げれば空はもう茜色。
 こんなに一日を早く感じたのは、いったい何ヶ月ぶりだろうか。
 そんな空を彩り始めた朱色の中、私たちは大通りの中にある一軒の茶屋で一息ついていた。ここは店の外にも席が要してあるので、人里の様子を楽しみながらお茶を味わうことができる。私はここのお金を持っていないので、当然今回も支払ってもらったが……
 いつかこの世界で職を持つことができたら少しずつ恩を返していきたいと、そんなことを考えながら、私は風景の中の一箇所をじっと見詰めていた。

「どう? 一日歩き回った結果は。大体の場所は紹介できたから、いいかなと思うんだけど。楽しんでくれたかな?」
「ああ、そうだな」
「そうか、よかったよかった。
 それでね、慧音はまだここで暮らす場所や、働き口を決めていないよね?」
「ああ、そうだな」
「無理にとはいわないんだけどもしよかったら『……』とかどう?」
「ああ、そうだな」

「……」

「…………えぃっ」

 ペシっ

「っ!? い、痛いじゃないか妹紅、いきなり叩くなんて」
「人の話を聞かない方が悪い。何をそんなにぼーっとしてるの? お茶冷めちゃうよ」
「それはすまなかった。少々懐かしいと思って」

 私は、ずっと眺めていた場所を妹紅に教えるために指差した。
 その場所には男女含めて10人くらいの子供たちが、元気に駆け回っている。もう夕日が沈もうとしているというのに誰も帰ろうとしない。

「やはりいいな子供は、無邪気で」
「好きなのか? 子供?」
「そうだな。ああやって遊びの中で学ぶ姿が、とても輝いて見えるよ」
「へぇ~、なるほどなるほど。ならちょうどいいか。
 まだ暮らす家も、仕事もないわけだしね」

 なにが丁度いいかは知らないが、妹紅は腕を組みながら私の方へ体を向け、こほんっと一つ咳払い。
 そうやって自分の緊張を解してから、私の瞳をじっと見つめてくる。
 そんな瞳から逃げるように私は手に握った湯飲みを口元に運び、温かいお茶を喉へと――

「慧音、子供。何人までなら大丈夫だ?」
「――ぶふっ!?」

 噴き出すな、という方が無理な話である。
 湯飲みから口を離していなかったので、噴出したお茶を撒き散らすことはなかったが、代わりにのどの変なところへお茶が入り込んでしまい。ゲホゲホと何度も咽てしまう。
 初対面で少し付き合っただけの相手にいきなり振っていい話題ではないのだから。

「大丈夫って、そ、それはどういう意味で?」
「そのままの意味だけど? 何人くらい相手にできるかなって」

 そのままの意味っ!?
 落ち着け、落ち着くんだ慧音。
 妹紅が欲しいと言う訳じゃない、同性同士だから子供は生まれないのだから。ということはさっきの会話の中にあった丁度いいという言葉が重要なんだろう。家がなくて、職がない、それで子供。
 ああ、なるほど、養子を探している家があるということか。
 もしくは嫁が欲しいという家があるか。

「正直、驚きばかりが先になってどう返事をしたらいいかわからないのだが、その……
 相手方は何人ほど求めているのだろう? 
 今の話を聞くと、比較的多く求めているように聞こえるが、5人くらいだろうか?」
「いや、それじゃ少なすぎるだろう」
「す、少ない!?」
「そうそう、せめて20人以上は頑張って欲しいかな」
「に、にじゅっ!?」

 こ、この世界はいったい、どこまで私を驚かせれば気が済むのか。
 出会ってすぐ、見合い話のようなものを持ちかけてくるのもどうかと思うが……
 20人が子供の数の平均など聞いた覚えがない。
 やはり、相手方には悪いがここは丁重に断るしかなさそうだ。
 
「悪いが妹紅、私はあまりこの世界のことを理解していないようだから、いきなりそういうことは難しいと思うんだ」
「それもそうか、じゃあ今度別なヤツを紹介するよ」
「いや、私はそんなに早く身を固めるつもりはない、それに……」

 こんな化け物である私が子を産むなんて、許されるはずがない……
 私はそんな悲観じみた言葉を喉に引っ掛けながら、微笑を妹紅に向けた。それ以外にとるべき行動がおもいつかなかったから。

「んー、そうか。良い仕事だと思うんだけどね、寺子屋」

 そう、だから妹紅のいう『寺子屋』さんの嫁になることは、できない。
 異性が私を愛してくれたとしても、私がそれに潰れてしまう気が……

 ――む? 寺 ……小屋?

「え、えーっと妹紅? 今の話というのは、ずっと寺子屋の話だったのか?」
「当たり前じゃない、それ以外にどう取るっていうの?」
「ま、まあそうだな。確かに」

 いつのまにか見合いの話まで発展させてました。
 なんて言えるはずがない。
 しかし、そうとわかれば話は別だ。私はこほんっと咳払い一つしてから、改めて妹紅の方へと座ったまま向き直る。

「しかし、よく考えてみれば、やはり家がないのは不便だ。
 一度は断った話だが、私にやらせてはくれないか」
「そう言ってくれると、助かるよ。
 歴史というか、妖怪と人間の歴史っていうのを中心に、算数や字を教えて欲しいだけど、できる?
 授業用の資料は先に渡すから。
 ほら、さっき慧音が言っていたように、歴史となると子供より先に勉強しないといけないし」

 確かに、そのとおり。私のようにこの世界のことをよく知らない者が先生をしたら、子供に馬鹿にされるだけ。
 普通なら、だが――

 私には正攻法とは別の手段がある。


「妹紅、満月の夜は近いのか?」
「満月か、確か明後日だったかな。それがどうかした?」
「そうか、なら明日から数えて四日後なら、寺子屋の先生を引き受けるよ」
「四日後か、うん助かるよ。
 少し前に寺子屋の先生してた人が急病で倒れてさ。そのまま引退。誰も代理がいなかったから。じゃあ自警団の連中に話を通して、里の中に話を広げてもらうよ」

 何も知らない場所で、地域の人たちと友好関係を結びやすい寺子屋。
 そんな場所で先生をやれる喜びを必死に抑えながら、私は空を見上げた。

 空は驚くほど美しい紅に染まっていて、そんな夕日に照らされながら明日への希望を胸に抱いた。





 ただ――



 私はまだ気付いてはいなかった。




「あの程度の獣人に何があるというのだ、まったく……
 私に全てお任せしていただければ良いものを」


 夕日に染まる空から人里を見下ろすその影がつぶやくように。

 
 この場所で、何かが起こり始めようとしていることを――




 
 
<つづく>


読んでいただきありがとうございました。

慧音がもし、幻想入りした半人半獣であったなら?
というコンセプトを元にこんな話を作り始めてみました。
何話になるかわかりませんが、ある程度の長さで人里の、慧音の日常のようなものを描きたいと思います。一話一話でもある程度お話がまとまるようにしたいとは思うのですが。

では、次回も楽しんでいただけると幸いです。

ご意見ご感想あればよろしくおねがいします。

追伸:誤字修正させていただきましたっ
pys
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コメント



0.480簡易評価
3.70名前が無い程度の能力削除
続きに期待

>一度は断った話だが、私いやらせてはくれないか
い→に かな?
4.80名前が無い程度の能力削除
続きを期待と言う意味合いでこの点数を
5.70名前が無い程度の能力削除
続きに期待。
6.80名前が無い程度の能力削除
うむ、続きに期待です
7.80名前が無い程度の能力削除
これはいいコンセプト
後は、作者がどうするか
続き期待
10.100名前が無い程度の能力削除
オラわくわくしてきたぞ!
続きに期待。
11.70名前が無い程度の能力削除
誤字かな
>寺・・・小屋?
三行くらい前はちゃんと寺子屋なのにwww