それは刹那の瞬き。
世界は炎に染まる。地獄と謂うも躊躇われる景色へと変る。
あらゆる木々が灰になり、空を焦がす。
空気が燃え、数多の命が消炭になる世界。
その呼吸すら困難な中――その少女は笑っていた。
白銀の髪を熱砂に揺らめかせて。
※
「どうしたの、少年」
「は?」
間の抜けた返事しか出なかった。
私に話しかけてくるのは……頭の湯だった奴が大半だから。暫し考察。
――嗚呼、そういうことかと一人合点納得した。
つまりこの女も例外ではなく頭がおかしいのだ。
とにかくこの女は妖怪ではないのだろうかと疑うほど異形だった。
半分妖怪の私が言うんだから間違いない。
月光のような青白い髪に夕日色の瞳が嫌に印象に残る。
そして女の背丈が小さいというのもあろうが、非常に繊細に見えた。
そして――つい最近どこかで合ったような気がした。
どこだかは覚えてない。最近物忘れが激しい。留意せねば。
「……私を見て身長が小さいと思っただろう。現在もいや思ってるだろう」
私がこれからの方針を定めていることなどお構いしなしに、その女は声色を響かせた。
無視してもよかったのだが、心の中で返答してあげることにした。
――思ってる。だって私と同じぐらいだし。
だけど言ってやらない、だって義理がないもの。
「小さいのは生まれつきだから仕方ないんだ」
うぐ、答えを読まれた。そしてそれが違う。
――単に、途中で成長しなくなっただけだ。
女は、なかば諦めたように溜息を一つ吐く。まぁいいけど、と一人愚痴りながら。
「ここでお昼寝? いい天気だものね」
目を細めて笑う。純粋な心からの笑いが気に障る。
「…………」
こちらも別の意味で目を細め、拒絶する。
「里の近くの子供じゃないよね、なにしてるの?」
言いながら、ご丁寧にも私のすぐ横に座ってきた。
場に不似合いな爽やかな一陣の風が舞い込む。
女の髪が頬をくすぐる。『うるさい』。
本当に迷惑だ。
極力話などしたくない。というか帰れ。
「この近所に住んでるのよね……?」
「あなかまし。帰れそして私は女だ」
「あ、あなかま……? 女? ああ、女の子!
えっと、ごめんなさい……!」
とことん喜怒哀楽の激しい奴だ。
嗚呼、勘弁して欲しい。
今からゆっくり寝て、夜また再開しようと思ってたのに。
「あら、貴女……それって」
女の視線は私の脇腹を凝視していた。
見れば、多少血やらで紅く染まっていた。
まぁ昨日の今日、数え切れぬほど帰さめたし、しょうがないだろう。
だが、
「もしかして妖怪に襲われたの!?」
「私が襲ったんだ、空け者」
「……? とにかく怪我してるんだったら治療しないと……」
そういうなり強引に衣を破ろうとしやがった。
何様だ、こいつ。
「下衆が! 触れるな!」
「でも怪我が……」
「触るな帰れ!
――灰燼に帰さめるぞ」
そう吐き捨て、私は背を向け奔った。
「待って!」
後ろで呼び止める声が聞こえたが、聞こえないことにした。
――一人になりたい。
特にあの女と話してると脳に蛆虫が沸きそうだ。
全身の鳥肌が止まらない。
「気持ち悪い」
……。
…………。
今宵も探すか。
※
「行っちゃった……」
病的なまでに伸びた髪が瞬く間に遠のいていく。
そして確信した。
――多分、アレが間違いないのだろう。
半妖怪の人、人であり人で無き者の少女。
おそらく多比能(たびの)もしくは古慈斐(こしび)、はたまたそれ以外の妾の子。
このあたりに巣食う妖怪。
でも……。
「とてもそうは見えなかったなぁ……」
非常に空虚な感じの受け答えだったけど、それでも人を無作為に襲うような人ではない
そう確信できる。
確信できるだけの『事実』があるから。
他の誰もが経験したことのない体験があるから。
手にした革張りの歴史書を強く抱く。
…………。
ここにいてもしょうがないか。
言われたとおり……帰ろう
…………。
「やっぱ気になるなぁ……」
※
事の起こりは夜。
あれから家に帰り、晩御飯を食べていた。
試験の採点をしながらというと行儀が悪く思えるかもしれないが仕方がなかった。
だって見たい活動写真があったし。
間に合わせて心置きなく見たいじゃないか文句あるか~!
一人うきうきしていたことは事実です。反論の余地無し。
さてさて、話は変りますが余り歴史のテストの出来がよくありません。
此れは早急に授業内容変更が必要かもしれません。
さっきから一桁が多いですし。
特に森近君は零点とはどういうことでしょうか。
熱心に聴いているフリをしていたと――
「…………おと?」
……音がする。
何かを叩く音。それは玄関の方から聞こえてくる。
「…………誰?」
私を姓で呼ぶ声もしており、声色に焦りが混じっていた。
「……こんな時間に」
……何か、例えようもない違和感があった。
髪を一本一本束ねられていくような感覚。
……何かが、解れる。
拭えない不安が背筋を掠める。
「はい。上白沢です。なにか御用ですか?」
扉を開けると、風が吹き込んできた。
夏にしては涼しすぎる強風だ。
目の前には二人の人物。
教え子の両親であった。
※
――深い夜。
あたりは静寂。声はなにやら喚声のみ。
見渡せば木々。墨汁に似た深い闇の色がじわりと広がる。
ここからでは良く見えないが、星星が滅びるために瞬いているのだろう。
滅びるものは美しい。風前の灯とも言うべき輝き。
したがって食べ物も腐りかけが一番美味だ――なんか違う。
ともかく。
その考えは人間にも当てはまると思う。
つまり瀕死の状態が一番輝いているということ。
蝋燭の最後の灯火と同じことである。
「――――」
「そんなに泣かなくても……」
心にもないことを平気で言う。
目の前にいる幼子は歔欷するのみで……面白くない。
たがだが、頬を焦がしただけなのに。
髪を燃やしただけなのに。
ただ爪で傷を付けただけなのに。
「もっと選べばよかった……」
この童のほかにも数人来ていた。
言動から察するに、『肝試し』とやらに来ていたみたいだが。
私にあったのが運の尽き。
この少女はもっと運が悪い。つまり『まいなす』評価という事だ。
「転んじゃったものね。
――でもね」
一拍。
「考えようによっては貴女は他の人の命を救ったのよ。自らの命を犠牲にして」
心の中で嘲笑。んなわけあるかともう一人の私が一蹴しました。
退屈しのぎとしては十分だ。
こんなのでもいないよりはましだし、一晩楽しむならば十分でしょう。
昨日は邪魔が入った。昼間も予想外の邪魔が入ったし。今宵はないことを祈ろう。
「私の渇きを癒してくれるよね――」
瀕死の状態が一番美味だということだ。
ふふ、私は食わなくても生きていけるけど、食べたほうが楽しい。
味気ない食事よりはおいしい食事の方が絶対にいいに決まってるのだ。
「では――」
――食してあげます。そう言おうと思った矢先。
別の声が聞こえた。
『それ』ははっきりと、触れるな、と言った。
出所は真横。
「昼間の――」
ソイツは翔けた。
一瞬で私と『獲物』の間に割り込む。
若葉が拉(ひしゃ)げる、いい音がする。
そいつの容貌には見覚えがあった。
背丈ほども白髪に非常に華奢な体。
両眼で威圧する少女は『獲物』を庇うように一歩前に出る。
ただ、顔が強張っている。
寒いわけではないだろうから――。
結論は一つ。
「……畏れか」
忌々しい。恐怖をねじ殺す瞳が。
まっすぐな眼光が妬ましい。
「――ちっ。人の神経を逆撫でさせる眼だな」
ソイツは何も言わず、私をただ睨みつけているだけだった。
「――本当に興ざめする。昼間といい今宵といい……!」
だが。こんな気色はもう終わる。
だってコイツは今ココで私が殺すのだから。
※
ごぼりと血が口から吐き出される。
爽やかな朝には似合わない黒味のある体液と、なにやら内臓の欠片みたいなものが地面に吐き散らされる
色々な内分泌が絡み、おどろおどろしい液体となっているが、地面の栄養となるであろう。願わくば、彼岸花が咲かんことを。
闇夜、いよいよってときに殺し合った。
まぁ中途半端な私は勝てる見込みはないが、負ける理由がないのだ。
なぜならば不死だから。
「くっくッくく……!」
自分でも気味が悪いと思える笑い声が出た。
心の奥からの笑い声。
……醜悪だ。
どうしてこんなことをしてるのだろう。
漠然とした疑問は螺旋の階段のように堂々巡りだ。
いうなれば渦の中心から外側に進もうとする意思であるが、報われるとは限らない。
自問自答を何億という時間の中でしているのに、いっこうに答えは出ない。
いったい、『いつ』になったら終わるのか。
はたまた終わりはあるのか。
そんなものはないのか。
どうなのだろうな。
いっこうに答えが出ないので自問自答を終えた。
さて。
「…………ん」
ようやく腹部の傷も治ってきた。
貫通寸前だったので治りはもう少し遅いかと思ってたけど、案外だな。
「くそ、派手に貫(あ)けやがって……」
お陰で苦痛だったじゃないか。
少し……『思い出してしまった』……。
…………嫌だ。
「少し……眠いな」
……決して眠いわけじゃない。
ただ自覚しているから、声に出してないと不安だ。
「ちょうど近くにいい木があるしな」
やっぱ寝るには木の上が一番――。
…………。
ここは昨日の場所ではなかったか?
あの説教が五月蝿い女が来ていた……。
「木の上だし、気づかないだろ……」
口に出すのは不安な証拠だと自覚している。
木に飛び乗り腰を下ろす。
「まぁ……来たら来たで……追い返せば――――」
※
「さすがに動物じゃあるまいし、戻ってくるなんて習性はないよね……」
そういうものの望みは捨てきれない。
昨日と同じ大木のある地に来ていた。山の中腹。
青々としている芝生も今は赤々と照らされている。
時間は誰そ彼時。
温かみのある風が、涼しい風に飲み込まれる。
他者の顔も知人の顔も区別できなくなる時間。
『宵』の始まりである。
溜息を一つ、わざとらしく吐く。
彼女を何故こんなにも、探しているのか。
「心配だから……か」
言い訳上手だな本当に、子供の頃から何も変わらない。
…………嫌だ。
歩き続けて疲れたし……ごめんなさい建前です。
本音はちょっと気分を紛らわすために休みたいんです。
昨日の少女と同じ体勢で休む。
先を見つめる。
これ以上先に行くとさらに山奥に入り込むことになるな……。
この時間で奥に入るほど武力に長けているわけではないのでココ止まりだ。
しかし――
「ここから見る里は美しいな……」
夕日に曝される人の生み出した文化というものは例えようもなく、神秘的なものに見える。全てが朱色に染まり、そこに元来の色が付加される『非日常』の世界を演出する。
――おかしなものだ。
私は今『日常』ではなく『非日常』を楽しんでいるのだ。
誰かを日常に戻すためにここに来たのに……。喜劇みたいだ――。
「――――!!」
唐突に叫び声が。――聞こえた。
それは真上から……っ!
「――きゃ!」
落ちてきた。
固形のもの、紅い狩衣を纏った少女が。
「…………」
「――――ぁ」
※
「父上――!」
目が覚めたどころではない。
「っ!?」
木の上で寝ていたのを忘れていた。
「…………あ」
間抜けな声が飛び出る。
「嘘うそ……!? ちょっと待て――!」
誰に待てといってるんだ私は。
手をつく地面はなく、重心がかかった右腕から木下に落下していく。
うぉ、頭から落下する――!
「…………!」
怖くて目を閉じる。
頭蓋を揺さぶる鈍い音が。
「…………?」
しない。
なにやら柔らかいものに引っかかったらしい。
大方何かの屍骸だろう。死しても私を救うとは恐れ入る。
「だ、大丈夫……?」
おかしい。周囲には獣の骸しかいないはずなのに。
いつぞや聞いた凛とした声が真上で聞こえた。
どこで聞いたかな……昨夜だったか? 確か子供の――どこでもいいか。封印っと。
――――はぁ。
溜息製造機械と成り果てた。
もう一秒間に三十回は余裕だ。
つまり。
嫌な予感的中。
現実を受け止めるために目を開く。
「やっぱり……」
昨日の女だ。
しかも寝不足なのか目の下に黒い紋様がある。
「降ろせ」
「拒否権を発動する」
「はぁ!? …………。一応理を問う……何故?」
「もふもふして可愛いから」
そういって頭を撫で――――!?
「――――っ!」
手が炎を纏い、女を穿とうと動いた。
※
危うく前髪を焦がされるところだった。
帽子が香ばしい匂いを発している。
「というか、貴女! 今、顔狙ったでしょ!?」
「ああ狙った」
「人に向けて撃っちゃいけないんだよ!
…………!? 何を撃ったの!?」
「あなかまし」
「『うるさい』じゃないわよ! ちゃんと昨日調べたんだから!
……怒らないから言ってくれない? 今の何なの?」
「……花火だ」
「ふーん…………言いたくないんだ」
「知ったって面白くないだけ」
「じゃあ聞かない」
「…………」
静寂に満ちる。
夕日が心地よい。
心なしか頬が熱い気がする。
緊張してるのかも……。いやいや、それは駄目だろう。
倫理的によろしくない感情が競りあがってきている。
「――なにか、ある?」
「ん?」
「助けてくれた礼を、しよう。
何か手伝って欲しいこととかある?」
「…………」
「ほら、言えば可能な限り手伝ってやる」
そういって何か紙切れを渡してきた。
達筆な文字で『援助券』と書かれていた。
「不純異性交遊禁止ーーーーっ!」
「な、なんだよ、急に! 間違ってないだろ!」
「駄目なものは駄目! 全部没収!」
「おいっ! 人の単の内を弄るな! 私の人助け精神を無駄にするなよ!」
まったく、何たること無知とは罪であり悲劇である。
今後教育的指導が必要であるな。
「ただ、人助けしたかっただけなのに……」
「――――」
驚いた。
どういうことだろうという疑問が脳裏を掠める。
なにやら頬を照れくさそうにそっぽを向き、ぶっきらぼうを装い話しかけている仕草が
可愛いとも思った。
否、もはや可愛いとしか思わない。
「そうね……じゃあね。手伝って」
「金銭は出来ない相談」
「お話しましょう!」
「……なるほど審問か。いいだろう」
む、鋭いな。なぜ質問することを予想しているのだろう。
「そういうのじゃなくて……まあ世間話しましょう」
「……そんなのでいいのか? 物好きだな」
「私にとっては大切なことよ」
少しでも貴女の気持ちを知ることが出来るなら。
「私にとってはどうでもいいことだな」
「ああ、私の名前は上白沢慧音。寺子屋を運営してます」
「――名乗れと?」
「(わくわく)」
「姓(かばね)は藤原、名は――」
聞いた名前は多比能でも古慈斐でもなかった。
つまり『妾の子』である。望まれてない子。
その処遇がどんなものであったのか私には想像することも出来ない。
「どうした? 汝が名を聞いてきたのだろう。
ああ、真名だ。そこまで堕ちてない」
違う、そういうことじゃない……!
「……いい名前ね」
そうやって相槌を打つのが精一杯だった。
何がいい名前なんだ。
いけない、話題を変えよう――本題に。
「ところで、さ」
「何か?」
「昨日……なにやってたの?」
「――――」
一瞬息を呑んだ。
だが次の瞬間には常時の眉がつり上がった目をしていた。
その色彩は若干哀れみを含んだ色をしていて――。
「寝てたよ」
「そうなんだ。
昨晩、貴女を森の中で見たような気がしたから」
「他人の空似だろう」
「…………」
「――――」
「…………」
「――――」
「嘘っ!」
「正解」
「…………」
「――――」
「……どうして嘘吐いたの?」
「人は吐かないと生きられないからだ」
「本心を曝すのが怖いの」
「逆に問うならば曝して生きている人間風情がどこかにいるとでも?」
「貴女、人として歪んでるわ」
「『かたなじけない』、人ではないのであしからず」
「……矛盾してるよ」
「無双の盾も矛も持ったことはないわ」
「貴女は人だもの。だから嘘吐くんでしょ」
「私は人でないと何回言ったら」
「だって今、人間だから嘘を吐くって言ったばっかりじゃない」
「…………」
「――――」
あ、むすっとしてしまった。
「……この話やめよ、面白くないよね。ごめんなさい」
「なんで、謝る?」
「貴女に不快な思いをさせてしまったからよ」
「……別に私は」
「ねぇ」
「……?」
「明日も来ていい?」
「別に来たければ来ればいい。別に私も許可をとってここに住んでいるわけではないし」「――ありがとう」
「…………」
※
それからあいつは毎日欠かさずに来た。
余程暇なのか……。
「だとしたら、無理に追い返すと人里の人々に迷惑を掛けることになるな。
それいはいかん」
「『もこう』は思ったことを口にする癖があるな」
「……その『もこう』という不愉快な字(あざな)をやめろ」
「ええー!? 可愛いじゃないかぁ!
もこもこしてるから、『もこう』! いいじゃないかぁ!」
うわぁ……なんだろうこの胸の奥から湧き上がるどす黒いものは……。
「藤原の姓が傷つくだろう。大体、どういう漢字を当てはめるんだ?」
「こう」
そういって地面に文字を彫る。
「『母』に『紅』って……。
まぁ『紅』の部分はいいけど。『母』か……」
「嫌か……?」
「うまくはいえないが……。
なんか母という漢字を自分に当てはめられると気後れしてしまうような感じがする」
「もこうの母親はいい人だった」
「うん。多分いい人だったと思う。少なくとも出会った中では父の次にいい人だ」
「そうか。幸せだったんだな、いい家族に囲まれて」
「父と母だけだ。それ以外の人間は屑ばかりだった。数えられるほどしか『いい人』は居なかった」
おかしいことに唇が自然と動く。
「自分の不利益になる人は次々と切り離していく。
――そういうものだろう」
「でも、『もこう』の言うところのいい人もいたんだろう。全てが全て――」
「私がいい人と思った人は例外なく不幸になった。騙されたりして。
私は嫌だ。人と話すとか付き合うってことが。
表面上だけだろう、感情なんて。利害が一致しただけの関係――それに」
「それに?」
「私はそういう人たちを嫌ってほど見てきたんだ。もう今更なんだよ」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「あ、それで漢字のことなんだけど」
「……またその話か」
正直、感謝した。
嫌な事を思い出しかけた。
「『母』が気後れするんだったら『妹』はどう!?」
うぉ、目が輝いている。
もう否応無しだ。
「う、うん、いいと思う……」
「そうか! じゃあ『妹紅』でいい!?」
「好きにしろ」
「――大丈夫だよ」
「え?」
「少なくとも。私は妹紅を裏切ったりはしない」
※
本心だった。
言葉で救ってあげたかった。
だけど。それが間違っていたと気づいたときには遅い。
「――――」
妹紅が青ざめたと思ったら、再び白い頬が赤く染まる。
そして憎悪を吐き出した。
「――なんだよ、それ」
その一言に集約されて。
※
「――――」
頭にきた。
「なんだよ――それ」
少女は一切の感情を無くした
「貴女は生きたまま心臓を抉り取られたこと有る? 眼を解剖されたことがある? 腹部を自分で裂けといわれて裂ける? どの繊維を斬ればどの動きが変わるか教えることができる? 動脈と静脈を繋げたらどうなるか分かる? 他人の血液を混じらされた経験は? 爪を一枚一枚剥がされて挙句指を一本残らず寸断されたことは? 人間が死ぬのに必要な温度差は? 人間が呼吸をせずに生きていける最大時間は? 分かる? 全て――何一つ分からないでしょう。お前見たいな奴が一番嫌いなんだ! 分かったようなフリをして同情する自分が好きな奴らが! だったら無視してろ、私に構うなっ! 知ったような口を利かないで……!」
拒絶した。
「気持ち悪い」
※
気持ち悪い。
近づかないで。
触らないで。
話しかけないで。
勘違いしないでよ、貴女が一人でいるからしょうがないって思って誘ってあげただけ。
そんな建前も見抜けないなんて。
本当に死んだほうがいいんじゃない。
あなた見てると虫唾が走るの。
妾の子。望まれてないやつ。
誰もあんたなんか必要とされてないの。
友達なんかじゃないわよ、話しかけないで、気持ち悪い。
もうこないで近寄らないで。やめて。
なんであんたなんかと。
ああ気持ち悪い。こっちにこないで。
死んじゃえばいいのに。
――――死ねるのなら死にたいのにさ。
「…………」
目が覚めた。
いつもの蝉時雨。
葉の声が響き、寝汗に当たる軟風がひんやりと心地よい。
「……は」
私も同罪だ。彼ら彼女らを恨むことなど赦されざる行いとなってしまっていたんだ。
世界を拒むと同時に世界に拒まれているのは当然の報い。
「……嫌だ」
嫌だ――そうやって逃げるだけなんだ。
怖いから逃げて。
裏切られるのが怖いから、人を拒んで。
あまつさえ、自分はそういう奴らと違うと思い込んで。
傷つけられるのが怖いから距離を置いて。
一人分かったような素振りをして。
結局傷つけるのは自分じゃないか。
変らないどころか――最低だ。
でも――もう遅いか。
いつも気づいたときは遅いんだ。
誰か助けて欲しい。
助けられる権利もないくせに、主張だけは一丁前で。
「……今日も行かないと」
そういう声は震えていた。
精一杯の虚勢で張り詰めた顔が崩れる。
明日、来てくれないよな……。
「――――ぅ」
なんで泣くんだろう、悲しくないのに。
悲しむ人なんていないのに。
※
夜空は暖かい。
星星は煌き、風が闊歩する。
その風の中に一つの気配が乗ってやってくる。
……異形。人ではない、獣の匂いだ。
さぁ、来い。
「人間に肩入れする妖怪……!」
「私を召したということは」
髪を夜風に浚わせ、舞い降りる影は常と変らず。
満月も喚起する。
白髪は軟風に梳かされ、優美な扇に見える。
紅の瞳と衣が私を射抜く。
若干、目が血走っている。
――何故だろう?
「決着、つけよう」
「……まぁそういう流れでしょうね」
見合う。
後に音を超越し動く。
それは目の前の少女。
掌から紅の光の線を作り出し、こちらの四肢を貫こうと殺意を持って迫る。
と、同時にソイツは瞬息をもって距離を詰める。
が――。
「無理ですわね」
全てを叩き落し弾き、受け流す。
高速故に単調。協力無比であるが故に単純。
ソレは目前に迫る敵も同様。
一直線上なので回避しやすい。
そして、それは反撃のし易さも意味する。
「終わりね……!」
右腕の爪が胸部を貫く。余り脂肪がないので至極あっさりと貫くことが出来た。
表情を伺うとソイツは口から血を吐き出し――哂っていた。
「汝が、な」
私の腕を掴むと発火させた。紅い炎が腕を侵食する。
即座に灰になる。
その刹那。後ろに大跳躍をされた。
跳躍過程にも紅の弾をばら撒かれた。衣服が焦げる。
――チッ!
コイツの嫌なところは自らの体など省みないで、攻撃してくるところだ。
いわば特攻だ。本来の戦闘の駆け引きなどまるで無視。
――だから面白くもあるのだけど。
そして――。
「腕一本の代償にしては大きいわね」
もう瀕死。
血だらけの胸を押さえ、今にも倒れそうな体制でこちらを睨む。
今宵だけはその視線が快感だ。
強がりや、虚勢だらけの目。
自然と手足が快感に身悶え、小刻みに震える。
「次で終わりかしら?」
「まだまだ、だ……!」
とてもそうは見えないんだけどねぇ。
自然と顔が下弦の月を浮かび上がらせる。
一歩一歩距離を詰める。
「今から死ぬってどんな気分」
「……最悪」
「そう、最高ね――」
「妹紅っ!」
叫び声が聞こえた。
それに目を見張る白髪の少女。
誰――?
ソレは視界の端、森の切れ間が音源だった。
見れば、女が居た。
見られた。
同時に見られたから殺せと体が反応する。
視界を定める、女へと。
白髪から、突如現れた女へと。
「――――!?」
――そして爪が深々と頭から突き刺さり血液が舞い散る。
※
「妹紅っ!」
「空け者! 来るな――!」
世界が干満になる。
何故動いたのか分からない。
気がついたら慧音の前に転がりこむように、割り込んでいた。
慧音を無理やり蹴り飛ばし、前を見据える。
「っ!?」
ゆっくりと私の眼球に刃となった爪が食い込み頭蓋を裂き、脳漿まで安く届き――。
駄目だ、しぬな。あれ、死なないんだっけ?
わたしがしんだら、だれがけいねをまもれる――?
※
「――――」
頬に生温い体液が降りかかる。
間違いなく血液そのもの。
それは手には斑に脳の欠片や血液が紋様を刻む。
眼下には痙攣する見知った少女――大切にしたい人の亡骸。
骸の周囲を体液が伝う。
「――――」
目の前で少女が笑う。
不謹慎だが狂い咲いた桜を連想させるような笑いだった。
癪に障る。笑いが夜の山に木霊する。もう黙りなさい貴女。
絶対に赦さないから。
「何? 貴女? この子殺されてプッチンきちゃった?」
尚も笑いを堪えらないのか言葉の節々に過呼吸めいたものが入る。
「いいわ」
普段は重い髪が重力に逆らいふわりと浮かぶのが分かる。
ちょうどいい今宵は満月。
「歴史は森羅万象を束ねる力――。
境界も死も運命も、幾多の力を捻じ伏せてあげる」
「だから? 饒舌も結構だけどあの世でゆっくりと語りあってくださいな」
「貴女も例外ではない。貴女は消える。今日この瞬間に」
「おかしくなっちゃった?」
「『死ね』なんて言わない。無責任だから。責任は私が全部持つ。貴女のことは死ぬまで忘れない。だから――『殺す』」
「何を――」
言葉は続かなかった。
続くはずはない。
眼前には何も存在しない。
唯一、葉を浚い風と名を呼ぶ言葉が舞う。
「妹紅……!」
※
「けい、ね……?」
「うん……」
「なんで……」
「言ったでしょう、裏切らないって」
なんで、ないてるの?
ああ、わたしがひどいこといっちゃったから……。
「ごめんね、ごめんなさいごめんなさい」
涙が止まらない。
いやだ はずかしい。
「うん、いいよ。全然」
ゆるしてもらえた。
えへへ、うれしい。
なんか、あんしんしたら、つかれた。
「すこし、おやすみなさい」
「…………!」
だいじょうぶ、戻ってくるから。
今度は私が安心させてあげる番だ。
「綺麗な髪……」
そういって頭を撫でてあげた。
「けいね、あたたかい……」
でもそれがさいご。
眠い、少し休もう。
つぎにおきたら、ちゃんと、もっとやさしくしてあげるから。
いまはゆるしてください。
※
澄み渡る空に、白い雲が斑に舞う。
柔らかい夏。
あたりを見渡せば太陽の花が一面に咲き乱れている。
「いい匂いだ~」
隣には慧音がおり、間抜け面でごろごろしている。土だぞそこ。
「…………」
「やっぱりいいね」
「どうした?」
「似合ってるよ、その服」
「あ、ん、動きやすいし。
買ってくれてありがとう、慧音」
「いえいえ、どういたしまして。
あ、そういえばね」
慧音はいつも日常の話をしてくれる。
私が知りえなかったものを取り戻そうとするかのように逐一世間話を振ってくれる。
ありがたい。
「何かあったのか?」
「先日、博霊さんの所に子供が授かったんだって」
「博霊……? 神託を告げる巫女の家系のアレ」
「そう! 何でも歴代の中でも最高位の実力なんだとか」
「…………で?」
「『で』って……。でね、歴史によると、なにやら変革の相が出てるから何か起こるかもね、これから」
「そうだなぁ、何か起こるといいな」
「ふふ……」
「ん? 何かおかしなことを言ったかな」
「いや、別に」
顔が綻んでいる。
むぅ。妙に気恥かしい。
「ま、何があっても毎日妹紅と過ごすことは変らないだろうな」
「ば、虚け者! 何を囀るか!?」
「照れてるわね」
「照れてない!」
「へぇ……。
――顔赤いよ」
「…………。
まぁそう、なるといいな」
「あれ……照れないね」
「慣れた」
「そっか、いいことだけど寂しいな」
今も昔も日差しは不変。
日とは逆に人の感情は変化を伴う。
しかしその感情ですら一時である。
でもそれに縋ってでしか私たちは生きられない。
そうやって生きていかないと駄目なんだ。
「それって人だよね……。
私は人だよな」
「どうした唐突に」
「……なんでもない」
今だけは委ね酔おう。
この感情とやらに。
fin
その辺をもう少し練れば読みやすく面白いものができるのではないでしょうか。
主語をもっと明示されるべきだと思います。