日が落ちるのがすっかり早くなり、空気はひんやりと冷たくなっていた。
氷の妖精は元気に空を飛びまわり、寒気を操る妖怪も暴れまわっているようだ。
本格的な冬入りである。
夜の冷え込みは特に辛い。霊夢は布団から抜け出せないわと愚痴っていた。
しかし幸いな事に僕の店にはストーブがあるのだ。
これのおかげで凍えて過ごす事は無くなったし、しもやけやあかぎれなんかとは縁遠くなった。
最も燃料の入手が安定しないので闇雲に使うというわけにはいかない。
調達主の紫は冬に冬眠してしまうからだ。
その前にある程度用意して蓄積はあるが、大事に使っていきたいところである。
「そろそろ休むか」
もう日付も変わる頃だ。
僕は読んでいた本を閉じ、ストーブを消そうと手を伸ばした。
こんこん。
すると入り口を叩く音が聞こえる。お客さんだろうか。
「開いていますよ」
声をかけるが反応が無い。
不思議に思いつつ入り口へ向かい、開いた。
「ぎゃおー! お菓子くれなきゃイタズラするぞー!」
すると威厳の欠片も無い言動をする紅魔館の主のレミリア・スカーレットがそこに立っていた。
「ぎゃおー! お菓子くれなきゃイタズラするぞー!」
反応に困っていると同じセリフをもう一度言われてしまった。
「いや、聞こえているよ」
「聞こえているならもっと別の反応をしなさいよ」
物凄く不満そうな顔をしている。
「……ええと」
この場合考えなくてはいけないのは彼女が何を要求しているかだ。
言葉通りに考えれば、この言葉はある季節の行事の定型句である。
「ハロウィンだったかな?」
「ええ。その通りよ」
ハロウィンとは元々外の世界の西洋の行事である。
仮装をした人々が家を訪れ『お菓子をくれないといたずらするぞ』という定型句を告げる。
家主はその言葉に応じ、訪れた人々にお菓子を与えなくてはならない。
行事の由来や理由については取り合えず今はどうでもいいだろう。
「とりあえず、中に入るといい」
ここで話をしていたら体が冷えてしまう。
「ありがとう。……あら、暖かいのね」
中に入るとレミリアが感嘆の声を上げた。
「ちょっとした文明の利器があってね」
「へえ。売りものなの?」
ストーブに気付き、とてとてと近づいていく。
「残念だけど非売品でね。また手に入る事があったら販売も考えるよ」
「そう。まあ屋敷には暖炉があるから大丈夫だけれどね」
そして興味深そうにストーブを眺めながら手のひらを向けて暖めていた。
「ところで、何の用だったんだい?」
僕は彼女に尋ねてきた目的を聞いた。
「貴方がさっき自分で答えを言ったじゃない」
「ハロウィンだろう? それはわかるんだけどね」
問題はそこではない。
「何故この時期に?」
ハロウィンが行われるのは神無月が終わる頃の話で、こんな真冬に行う事ではない。
ちょうどその頃に魔理沙がお菓子を要求されてごっそり持っていかれたのを僕は思い出していた。
「私が今頃やりたいと思ったからよ」
酷く自分勝手な理由だった。
「妖怪なんて大概勝手なものでしょう」
僕の思っている事を察したのか、そんな事を言う。
「確かにそうかもしれないね」
妖怪たちは勝手きままに生き、時折異変を起こす。
長い目で考えれば異変を起こす事は妖怪にとっても益のある事ではない。
では何故それをするかというと、退屈を紛らわすためである。
よって彼女が勝手気ままに遅れたハロウィンを始めたとしても妖怪としては普通の話なのだ。
「もっと凄い事をされるよりは大分いい」
実際に彼女は大きな異変を起こした事があるのだから。
「ええ。可愛いものでしょ?」
そう言ってくすくすと笑う。
「しかしハロウィンといえば、仮装をしなければいけないはずなんだけれどな」
レミリアはいつもと何一つ変わらない格好だった。
もっとも魔理沙が僕にお菓子を要求した時もいつも通りだったけれど。
その時は魔法使いの仮装だぜとか言っていた。彼女もそういう理屈なのだろうか。
「もちろん吸血鬼よ。妖怪がわざわざ仮装する必要なんか無いじゃない」
「それはどうしてまた」
「本来はハロウィンって妖怪や力ある生き物に貢物を渡す行事だったんじゃないかと思うのよ」
「ふむ」
確かに一理ありそうだ。
「妖怪や悪霊の悪戯……つまり災害だね。それを起こされる前に、貢物を送り、防ぐ」
「そう。不慮の死を遂げた人々の気持ちを慰める意味もあったでしょうね」
「その役割を人々が変わりに演じるわけか」
あるいは化物を自分が演じる事で、別の化け物を遠ざけるという効果もあるのかもしれない。
「仮説だけどね」
日本でもそのような行事は存在する。
天狗など妖怪の姿を模して、祭りを行うのだ。
なまはげの姿を模して、人の家に訪れる行事もある。
「で、お菓子をくれないと本当に悪戯するわよ?」
「今持ってくるよ。煎餅くらいしかないけど、いいかい?」
「十分よ」
僕は奥に行ってお客用の煎餅をいくつか包んで持ってきた。
「これでいいのかい?」
「ありがとう」
レミリアはそれを受け取ると、懐へ仕舞った。
「~♪」
魔理沙と同じように売り物の壷の上に座り、足をぶらぶらさせたまま手をストーブに当てている。
「……帰らないのかい?」
「帰るなんて言ったかしら?」
「お菓子を貰ったら帰るものだと思うよ」
「本来のハロウィンならそうかもしれないわね。でも私が勝手にやっているハロウィンだし」
僕はため息を付かざるを得なかった。
「まあ、好きにするといい」
説得するのを諦めて椅子に座る。
レミリアはしばらく勝手にストーブの傍の棚の商品をを眺めたりいじったりしていた。
「ねえ。ちょっと諦めるのが早すぎるんじゃない?」
やがてストーブの前に戻ってきて僕に声をかけてくる。
「君くらいの実力者になると口での説得は無意味だよ」
吸血鬼という種族は力が強いせいか、大概が我侭であるらしい。
「あら、さっきまでの私の姿を見ていても私の事を評価してくれているの?」
確かに恐るべき力を持つ種族としてはいささか間抜けな態度であったかもしれないが。
「霊夢や魔理沙から聞くだけでも君の強さは知っているよ」
そうでなくても彼女は幻想郷においてトップクラスの実力者なので、その力の話は嫌でも耳に入ってくる。
そんな彼女が時折ではあるが僕の店を訪れ、また咲夜を通じてそこそこお得意様にしてくれている。
もう少し店の知名度があがってくれてもよさそうなのだが、残念な事にそんな事は全く無かった。
「そうなるとやり辛いわね」
ストーブに向けていた手のひらを僕のほうに向けて、爪で引っかく仕草をする。
「ぎゃおー! 食べちゃうぞー!」
「要は子ども扱いすればいいのかい?」
「ノリが悪いわね。大抵の相手は私の見た目でそういう扱いをするわよ?」
「僕は見た目だけで判断はしないよ。そういう対応をして欲しいならするけれど」
「いえ、必要ないわ」
レミリアはそう言って笑った。
「それならこちらもそういう対応をするだけだから」
場の空気が変わった気がした。
暖かなはずの空気が冷えていく。
そこにいるレミリアは何も変わらずただ笑っているだけなのに。
「子供の戯言に付き合ってくれてどうもありがとう。紅魔館の主、レミリア・スカーレットとして感謝するわ」
彼女の言葉と雰囲気から僕は察した。
さっきまでそこにいたのは、紅魔館の主としてのレミリアではなく、ただ僕の店に遊びに来ただけのいち妖怪だったのだ。
ひょっとしたら妖怪ですらなく、ただの少女として扱って欲しかったのかもしれない。
それなのに僕は紅魔館の主としての応対をしてしまっていた。
あまつさえ彼女の言葉に子ども扱いすればいいのか、なんて聞く始末だ。
レミリアがそれを求めてしていたとしてもプライドの高い彼女にそれを聞くこと自体が間違っていたのである。
「申し訳ないことをした」
「いいのよ。私が勝手に息抜きをしていただけなんだから。貴方は何も悪くない」
がらりと勝手に入り口が開く。
冷たい風が中に吹き込んできた。
「紅魔館の主をもてなしてくれたお礼は必ずするわ。ありがとう。楽しかったわよ」
レミリアの体が幾数匹の蝙蝠に別れ、闇の中へと消えていく。
僕は暫く呆けていたが、外の寒気がすぐに意識をはっきりさせた。
入り口を閉じ、彼女のいた場所を見て考える。
「……彼女にも色々あるのかもしれないな」
彼女は僕よりもずっと長く生きてきているし、組織の頂点に立つものとして、また力あるものとして考える事は僕とは大きく違ったものだろう。
時折子供じみた言動をしてみせるのはわざとなのかもしれない。
妖怪は人間よりも感情に左右される生き物である。
どこかでバランスを取らなくてはおかしくなってしまう。
「次は、レミリアの好きそうなお菓子を用意しておこう」
僕はそんな事を考えた。
******
「ここからここまであるものを全て頂けるかしら」
紅魔館のメイド長である咲夜の言葉に僕は耳を疑った。
「全部だって?」
「ええ。全部。お嬢様の命令ですわ」
「……」
咲夜が指さした箇所は、僕が好きにするといいと言った時にレミリアが色々と商品をいじっていた棚である。
「構わないけど……」
僕は頭の中で金額を計算した。
過去最高の売上というか、正直言ってこの店のものがそんなに売れたことなんかない。
「本当にいいのかい?」
「値引きなんてしないでも構わないそうよ。それと理由もないのに売らないなんて事はしないで頂戴ね」
「……」
僕は嬉しさなどまるで感じずに、ただただ罪悪感を膨らませていた。
本当に大きな誤解をしていたのだ。
今までちょくちょく紅魔館の主が僕の店に足を運んでいただなんて、勘違いも甚だしい。
昨日、あの瞬間まで紅魔館の主であるレミリア・スカーレットがこの店に訪れた事なんて無かったのだ。
それなのに僕は迂闊な対応で彼女をここに来訪させてしまった。
最初の言葉と仕草からして、そんな事は求めてなどいなかったのに。
レミリア・スカーレットはそんな僕に対して、敢えて言うが高慢に、力あるものとしての振る舞いを行ってみせた。
誇り高き彼女に、僕は何をするべきなのか。
「金額はこれだ。それと、サービスで色々つけさせてもらうよ」
ただ、彼女には値引きや付属品などで何かを示す事などは出来ないだろう。
するべきことはひとつだった。
「それと、紅魔館の主ではないレミリアに伝えて欲しい。気が向いたらいつでも遊びに来てくれて構わないと」
「? 意味がよくわかりませんわ」
僕の言葉に彼女は怪訝な顔をしていた。
が、すぐに納得したような顔に変わる。彼女もまたレミリアの理解者なのだ。
「わかりました。そのように伝えましょう」
それから僕は待った。
彼女が来るのを。
何日も、何ヶ月も。
******
日が落ちるのがすっかり早くなり、空気はひんやりと冷たくなっていた。
氷の妖精は蛙を凍らせて遊び、寒気を操る妖怪は東へ西へと大忙しだ。
本格的な冬入りである。
夜の冷え込みは特に辛い。魔理沙は八卦炉がなかったら凍りそうだぜと苦笑していた。
しかし幸いな事に僕の店にはストーブがあるのだ。
おかげで冬も暖かく過ごす事が出来る。
「そろそろ休もうかな」
もう日付も変わる頃だ。
僕は読んでいた本を閉じ、ストーブを消そうと手を伸ばした。
こんこん。
すると入り口を叩く音が聞こえる。お客さんだろうか。
「開いていますよ」
声をかけるが反応は無かった。
僕は駆け足で入り口へ向かい、開ける。
「ぎゃおー! お菓子くれなきゃイタズラするぞー!」
そこには悪戯好きの少女が立っていた。
「うわっ、妖怪だ。お菓子をあげるから悪戯は勘弁してくれ!」
僕は大慌てで奥へ走っていき、お菓子を包んだ袋を差し出した。
「おじさん、ありがとう!」
お菓子を受け取ると彼女は僕の横を通り過ぎ、売り物の壷の上に座って、足をぶらぶらさせたままストーブに手を当てはじめた。
「……結局帰らないのかい?」
「だって、私が勝手にやっているハロウィンだもの」
「そういえばそうだったね」
僕は彼女の向かい側に座り、本を開いた。
「好きにするといいさ」
「今日は居座らせても何も買っていかないわよ?」
「それでも構わないよ。そんな知り合いならたくさんいるからね」
「そう。ありがとう」
満足そうに笑う。
僕も自然と頬が綻んだ。
それからさっきの事を思い出してちょっと苦笑いになる。
「しかし、おじさんはないんじゃないかなぁ」
「それを言うなら貴方の今の反応だって無いわよ。芝居がかりすぎて」
「一生懸命やったつもりなんだけどね」
「面白かったからいいわよ」
二人揃って笑う。
「次はもっとうまくやりなさい」
それは彼女にまた来る意思がある事を示していた。
「そんなにちょくちょくハロウィンがあるものかな」
「別に何の理由もなく遊びに来てもいいでしょう? 白黒や赤いのみたいに」
「それもそうだ」
別に理由なんかなくたっていい。
妖怪は勝手きままに生きるものだ。
「ああ、そういえばお菓子をあげる側も言う言葉があったのよ。知ってる?」
クッキーを食べながら彼女が言った。
「ああ、そう言えば忘れてたよ。ええと」
それはこの場の雰囲気に相応しい言葉に思えた。
「ハッピーハロウィン!」
真顔で「うわっ」とのたまう店主を想像してしまった。
方や、紅魔館の面々をまとめる主らしさ。
う~む……成る程納得です。
最初のカリスマ急降下からのフォローが利いてて、
大変面白いお話でした。
レミリアは、ほのぼの,しみじみ,シリアス,etc.etc.
なんにでも対応できる万能キャラだと改めて思った。
仏頂面で棒読みに「うわぁ」とか呟く香霖を思い浮かべました。
これは私が抱くイメージ通りのお嬢様……!!!
たまには、肩書きとか忘れて子供の頃のように誰かに甘えてみたくなりますよね。