……厄介なことになったらしい。
群立している木々の間を縫うように飛行しながら、ナズーリンは胸中で舌打ちした。
場所は妖怪の山。その裾野の、標高もさほどない低地の一帯でのことだ。
人里で失せ物探し業の依頼を請け負い、その遂行途中で妖怪の山に踏み入ったのが厄介事の発端だった。
帰路で哨戒天狗に発見されたのだ。
見つかった当初は単純に空を渡って逃げ果せようと考えたのだが、予想以上に追跡者のスピードが速く、それは叶わなかった。おそらく烏天狗なのだろうが噂以上の飛行速度には舌を巻く。
次いで、高度を落として山に身を隠してやり過ごすことを選択した。が、ここに二度目の誤算が含まれていた。
(……居場所を特定できるだって?)
熱源によってか、それ以外の何かによってか。方法は不明だが、おそらくそういった能力なのだろう。おかげでじっと身を潜めることも出来ず、かといって真っ直ぐ逃走することも出来ず、残された手段といえばこうやって障害物を利用して複雑な経路で逃げ回ることだけだった。先回りされないようルートは厳選しているが、それもいつまで持つことか。
(まったく割に合わないな)
謝礼の額を脳裏に思い浮かべ、ナズーリンは嘆息した。
いっそ子ネズミ達を使って寺から応援でも要請しようか。実行する気もない案を考えて、軽く現実逃避をしていた直後だった。
隣接していた樹木が爆ぜる。
(――っ!? 弾幕!?)
間髪置かずに次々と弾幕が撃ち込まれてくる。
慌てて進路変更を行って回避する。
が、どういうことだ?
(弾幕ごっこには色々と取り決めがあっただろ?)
少なくとも、決闘宣言前から弾幕を撃ち込んでいいというルールをナズーリンは知らない。
追跡者に言わせれば侵入者に容赦は無用ということかもしれないが、現在の幻想郷がこれほどまでに和平を保っている大きな要因のひとつが弾幕ごっこ――スペルカードルールだ。そのルールを疎かにするなど、並みの妖怪ならばしないだろう。
胸中の憤慨をよそに、弾幕は雨のように降り注ぐ。
山の中に留まることが困難になって、ナズーリンは木々の梢を突き抜けて空に身を躍らせた。
空中でくるりと身を反転させて、弾幕が放たれている先――追跡者のいる方角に目線を移した。追っ手は二人、どちらも烏天狗であるらしい。
すぐに身を翻して逃走しようとして、ふと妙な違和感に襲われた。思わず動きを止めて追跡者を凝視する。違和感の正体を突き止めて、ナズーリンは思わず肩の力を抜いた。
(子供じゃないか)
烏天狗であることは間違いない。だが、どちらもまだ任務を任される年齢に達していない、少年といっても差支えがない容姿だった。
外見だけならナズーリンも同じぐらいだが、あちらは明らかに年齢相応の容姿だろう。
(はあ、なるほどねぇ)
色々と得心がいった。
実のところ、ナズーリンとて何の用意もなく妖怪の山に足を踏み入れた訳ではなかった。哨戒天狗の見回りルート、交替の時間、仕入れられるだけの情報を、独自の情報網を駆使して入手した上で挑んだのだ。そのうえでなお発見されたことに内心疑問を抱いていたのだが、発見者が彼らだというのならば納得もいく。おそらく、遊んでいる最中にでもたまたまナズーリンの姿を見かけたのだろう。
……まあ、それでも厄介なことに違いはないか。『天狗に見つかった』という事実に偽りはない。
なおも放たれる弾幕に応戦しながら、逃げる算段を巡らせる。
そちらがルール破りの弾幕ごっこを持ち出すと言うのなら、こちらもそれに合わせるのが妥当な所だろうか。目暗ましか足止めか、なんらかの手段の果てに遁走しよう。
そう考えて本格的に弾幕を展開しようと身構えた時、本日三度目の誤算が襲ってきた。……彼らのこれまでの行動を鑑みれば、それは予想の範囲内の出来事だったのかもしれないが。
烏天狗の片割れ、年嵩の少年が団扇をあおぎ突風を巻き起こした。
重い空気の塊がナズーリンを押し流し、肺が圧迫されて息すらも出来ず、なす術もなくナズーリンは風に吹き飛ばされた。
吹き飛ばされて上空、蒼天の空をめがけて押し上げられる。
やがて風が止み、突風にあおられて閉じていた目蓋をわずかに開けると視線の先には太陽が広がっていた。眩しい直射日光が網膜に突き刺さり、堪えられずに身体を反転させて再び目蓋を閉じる。目蓋の裏に焼き付いたのは、一瞬だけ写された先ほどの太陽。太陽の、大きな真円には、人影が、
(……え……?)
直後、背中に焼け付く衝撃が襲ってきた。
矢のように、ナズーリンの身体は落下を始めた。
落下の最中にもう一度太陽を仰ぎ見る。人影が見える。
白狼天狗だった。やはり少年の。追撃者は、二人ではなく三人だったのだろう。
手に携えているのは山刀のようだった。ではあれで切られたのだろう。
胸に怒りが湧き上がった。
樹木の枝をへし折り、身体はそのまま大地に叩きつけられたが、そんなことは問題ではなかった。
「お、おい! なんで刀なんかで切るんだよ!」
「……だって、とっさに……!」
少年達が慌てた様子でなじり合っている。
「と、とにかく確認しないと……」
ナズーリンが落下した地点まで移動して、彼等は彼女が倒れているはずの暗がりを覗き込む。そして、息を呑んだ。
想像して欲しい。例えば、町の裏路地。暗がりに眼を凝らすと、わずかに光が見つかる。それは赤い光。ネズミの眼光だ。
それは動かず、ただこちらを伺っている。無機物のような眼差しで。
少年達が悲鳴をあげて逃げ出したのは、すぐのことだった。
「ふん」
服の埃を払いながら、ナズーリンが鼻息を荒げた。
怒りはもちろん治まらなかったが、今はとにかく寺に戻ろう。
背中の刀傷が痛む。
まずはこれの手当てだろうか。
すぐに命蓮寺に戻りたかったが、どうやら背中の傷はあまりに目立つようだった。
仕方なくナズーリンは数匹の子ネズミ達を先んじて寺に戻らせ、適当な上着を取ってこさせることにした。
上着を受け取り、それを羽織って傷口を隠し、それから改めて寺に足を踏み入れた。
昼間はそれなりに人で賑わう命蓮寺だから人気のない裏口からの進入だった。
音も立てずに滑り込み、何食わぬ顔で廊下を歩く。
普段は生活スペースとなっているこの一帯は、好都合なことに、雑務で忙しい時間帯には閑散としている。日の当たらない廊下の空気はひんやりと沈み、黒光りする床板がさらに寒気を誘う。
冷たい静寂を足裏に感じながら、手当てに専念できそうな個室を目指した。薬箱は子ネズミ達が手配する算段だ。
しかし、人目を避けるように行動するのはあまり居心地のよいものではなかった。
逃走するのはお手の物だが、自分のテリトリーともいえる場所でまで行うのは、何とも言えない不愉快さを感じさせる。
「まったくあの天狗達……」
思わず愚痴がこぼれる。
「天狗?」
「―――――!?」
予想だにしない返答に、身体が跳ねそうになって慌てて自制した。
声の先を振り返ると、いつもは本堂で業務をこなしているはずの星が佇立していた。近づく足音が聞こえなかったのは、まがりなりにも彼女が肉食動物であるためだろうか。
「……ご主人様。どうしたんですか?」
「ナズーリンこそ、どうしたんですか? 上着なんか着て」
「最近は肌寒いですからね」
「? そうですか?」
不思議そうに星は小首をかしげた。
季節はそろそろ初夏。今年の春は例年よりも寒かったが、今は上着が必要な気候ではない。
「私は寒がりなんですよ」
「……初耳ですが……」
眉根を寄せて考え込む星。記憶をさらいでもしているのだろうか。
確かめずとも、数百年来の付き合いだ。星が初耳なことであれば、十中八九、それはナズーリンによる嘘だろう。が、
「体質が変化でもしたんでしょう」
「……なるほど」
相変わらず信頼されているらしい。
「私は小用があるので、失礼します」
「あ、はい」
ほんの少し呆けた様子の星を廊下に残して、ナズーリンは足早に立ち去った。
目当てに個室にはすぐに着いたが、念のために子ネズミ達に部屋を見張らせてから部屋に滑り込んだ。
物置部屋として機能している寺の奥まった小さな一室。その室内で軽く吐息をついたあと、さきほどの短いやり取りを反芻した。
彼女の狐につままれた様な顔が浮かんでくる。いつもよりも言い繕いに無理があったことを自省する。不審がられていないだろうか。
ほどなく、薬箱を抱えた子ネズミ達が到着したので、傷の手当てに取り掛かった。
傷口を綺麗に洗い、軟膏を塗りこめ、包帯を巻いていく。傷口が思いのほか大きかったため包帯が首筋にまで到達してしまった。……襟の長い服を用意しなければ。
――この傷はいつ完治するだろう。
ナズーリンとて妖怪だ。数日で治るのだろうが。
しかしその間、傷を隠し続ける労力を考えると今から気が重かった。
「とりあえず謝礼でも貰ってくるか……」
人里で謝礼を受け取り、夕飯を何食わぬ顔で平らげ、それからさっさと寝てしまおう。風呂に入りたいが、それは数日我慢しよう。
溜息をひとつ。
それから重い腰をあげて立ち上がった。
異変が起きたのは、その日の夜だった。
――計算違いをした。
胸中にそんな言葉が去来する。これで都合、四度目だろうか。厄日にしか思えない。
(こんなに熱が出るなんて……)
脂汗をじっとりと浮かべながら、ナズーリンは毒づく。
床に着いてから数時間、皆が寝静まった深夜になって、高熱が突然彼女を襲ったのだ。
袈裟懸けにされた背中の傷が、暑いほどの熱を孕んで疼く。おそらくあの山刀はあまり手入れをされていなかったのだろう。雑菌が傷口から入り込んだらしい。
じくじくと広がる熱はゆっくりと全身を渡って脳にまで浸透していくようだった。
布団の端を握り締めながらナズーリンは呻き声を洩らした。
水はないだろうか。とにかく喉が渇いて仕方がなかった。いつものナズーリンならば子ネズミ達に水の手配を命じたのだろうが、熱はすでに彼女から冷静な判断力を取り去っていた。
緩慢な動作で辺りを見渡して、ただ闇雲に水を探した。
水、水、水……
どこを探しても見当たらない。失せ物探しは得意だというのに。
舌打ちをひとつ。
見渡す範囲にないのなら捜索範囲を拡張すればいい。そう思って顔をあげると、思いがけないほど間近で、よく知った顔と視線がぶつかった。
星だ。心配そうにこちらを伺っている。どうしてこんなところに?
「その傷は?」
星が質問を投げかける。
「……傷?」
「背中の傷です」
何故気付かれたのだろう。秘密を言い当てられて、ナズーリンの心に焦りが生じた。
「傷なんて――」
「『天狗』と言っていましたね」
「――――!!」
ちがう、と唇の形だけが動く。声は出なかった。
「天狗が貴方を傷つけたんですね」
ナズーリンを覗き込む金の瞳には、彼女に似つかわしくないある種の感情が浮かんでいる。
その感情を認めて、ナズーリンの形相が歪んだ。
この傷を隠し通そうとしたのは何のためだ?
どんな苦労をしても隠し通そうとした理由は?
決まっている。見せたくなかったのだ。
誰に?
彼女だ。目の前で佇んでいる、このお人好しに。
何故なら彼女はきっと。
無自覚にゆるゆると手を伸ばしていた。彼女の裾に。
「いいよ、星。怒らなくて」
ぎゅっと掌中の衣服を握り締める。
「怒るの、苦手だろ?」
どうすればこの怒りを取り除いてあげられるのだろうか、そんな不安が胸に広がる。
熱に浮かされて錆付いた頭脳は、ただただ思い浮かぶ文章を彼女にぶつけることを選択した。
「虎なのに、人を襲うのも苦手で。ただの村人に退治されかけて、反撃も出来なくて、ぼろぼろにされて山に流れ着いて」
自分は何をしゃべっているのだろう。もう、判別もつかなかった。
相手が子供だと伝えれば、あるいは星は怒りを取り下げたのかもしれない。
だがそんな考えは思い至らなかった。
「聖に救われたって言ってたよね。初めて人間に受け入れられたって。嬉しかったって」
それを語ってくれたのはいつだったろう。思い出せない。遠い昔だ。
すでに白蓮は魔術に手を染めていたのだから厳密には人間とは言えなかったが、それでも嬉しかったと、そう聞いたのはいつだ。
まったく馬鹿馬鹿しいね、鼻で笑った自分だけは鮮明に覚えている。
ああ、馬鹿馬鹿しいよ。今でも思う。だから――
星の裾を握り締めて、ナズーリンは縋り付く。
「笑ってなよ、星。大好きな聖のそばで、キミはずっと笑ってればいいんだ」
だからそんな顔をしないで。キミが怒る必要なんてないんだ。
苦手なことなんて、しなくていいんだ。
それが限界だった。
気だるさが全身に圧し掛かり、目蓋が強制的に閉じられる。
意識が遠のいてゆく。
星の返答が、聞こえた気がした。
――私はね、ナズーリン。貴方を傷つけられたままで、笑うことなんて出来ませんよ
「…………星?」
そんな間抜けなひとことが、目覚めたときの第一声だった。
仰向けで天井を眺めたまま、寝起きの頭を持て余す。ゆっくりと記憶の海をさらう。
「目が覚めたのね」
横合いからの呼びかけにナズーリンは首を巡らした。直角に傾いた視界には、彼女自身の寝室の光景が収まっている。
呼びかけの主はすぐ近く、布団の側に座って控えていた。穏やかな雰囲気を纏った女性。膝元には水を湛えた手桶と手ぬぐいが見えた。
「聖……」
「熱はもう下がったみたいだけど、辛くはない?」
「熱……」
そうだ。熱を出していたんだった。熱を出して、それから。
(!!)
急速に記憶を思い出し、ナズーリンは慌てて上体を起こした。
「急に激しく動くのは身体に良くないわ」
「――ご主人様は?」
「昨日朝早く出掛けて、まだ戻らないの」
「出掛けた? 『今朝』の間違いじゃなくて?」
「『昨日の朝』よ。貴方は一日以上、寝込んでいたのよ」
その事実を平然と告げる白蓮の様子に、形容しがたい感情が湧き起こった。
無意識のうちに言葉が洩れた。
「どうして、止めなかったんだ。貴方の言葉になら、彼女は従ったはずなのに」
胸のうちには対比をなす別の言葉が生まれたのだが、そちらは口には出さず、また、自身の心の目からもそらすように努めた。ひどく胸に痛い言葉だったから。
「その……すまない」
目を伏せて、ナズーリンは謝罪の言葉を口にする。
八つ当たりに他ならないことは自覚していた。白蓮は事情を知らないのだから、的外れな指摘なのだろう。
白蓮はしばらくの間、静かにこちらを見つめていたが、やがてやんわりと言葉を発した。
「星は、貴方の頼みを振り切って行ったのね」
ナズーリンは返答しなかったが、それは無言の肯定と変わらなかった。
布団の裾を握り締めているナズーリンの細い手を、白蓮は優しく握りしめた。
あのね、ナズーリン、と命蓮寺の僧は語りかける。
「星が貴方の頼みを聞かなかったのは、あの子が貴方をないがしろにしたからではないの。星は貴方の言葉にもいつだって耳を傾けるでしょう? けれど、どうしても譲れない所は譲らない。それは素敵なことなのよ」
柔らかい眼差しで、俯くナズーリンの顔を覗き込みながら、
「わがままを言って、聞いてもらえないって、とても素敵なことなのよ」
綺麗に微笑む白蓮の顔をナズーリンはまじまじと見つめ返した。
ふと気がついたことがある。
この人は、『しなかった』のではなく『出来なかった』のだと。『出来る』から、『出来なかった』。
全能の神の役割はいつだって見守ること。彼女が介入してしまえば、何もかもが彼女の思うとおりになってしまうから。彼女の望みなど置き去りにして。
「星ならきっと大丈夫よ。ゆっくり待っていればいいわ」
「それでも、気になるから探しに行こうと思う」
「……そう」
ナズーリンは白蓮の手をそっと押し戻すと、毛布を剥ぎ取って、布団から離れた。
傷口を軽く触診。既にほぼ完治していることを確認し、部屋着を払って身支度に取り掛かった。
とにかく星を追おう、と心に決める。十中八九、妖怪の山に出向いたのだろう。
ちらりと窓から差し込む日差しを確認する。昼前。寝過ごすにもほどがある。
「ナズーリン」
身支度を整えて、部屋から退出しようとしたナズーリンの背中に声が掛かった。
「あんまり無理をしては駄目よ。星が悲しむわ」
肩越しに首肯する。
彼女の台詞は、そっくりそのまま星にこそ返したい台詞だった。
妖怪の山に到着したのは程なくで、まだ太陽が中天に届いていない頃合だった。
いったん裾野の山中に身を隠し、ナズーリンは思案する。
星がこの山にいる可能性は高いが、だからと言って、おいそれと人を探して回れるほど友好的な土地柄ではない。
素通りしようとしただけの前回でさえああだったのだから、慎重に慎重を重ねて対応しなければいけないだろう。
ほんのわずかに思考を廻らせて、次いで子ネズミ達に指示を出した。
――山に暮らしているネズミ達から、有益な情報を集めてくるように。
ネズミほど諜報活動に最適な四足は居はしまい。
自分達はどこにでも居て、誰の目からも眩ませられる。
あとは届く情報を待てばいい。情報が集まるまでの時間、身を切るほどの焦燥に駆られるだろうが、焦りは禁物であることを彼女は知っていた。
ゆっくり待つのが最良の手だろうと判断して、最寄の木に寄りかかる。
治りたての身体が思い出したかのように不具合を報告してきたが、黙殺して目を閉じた。
目蓋の裏の暗闇を眺めていると、自然と耳が研ぎ澄まされた。
緑溢れる山野は、常だって賑やかだ。
鳥のさえずりや梢をゆらす葉ずれの音に、獣の吐息、小さく響く虫の声。
ふとそれらの音に混じって、遠くから伝わる風切り音が耳朶を打った。
物憂げに目蓋を開き、宙に舞って木の頂上から顔を出し、音源である「それ」の姿を見て取って、
(まったく、勘弁して欲しいものだね)
思わず愚痴を胸中に洩らす。
雲居に紛れてこちらを目指して飛行してくるのは、小さな三つの人影だった。内の二つは翼が突き出ており、もう一つは白っぽい。
二人の烏天狗に白狼天狗、どの人影も子供のものだ。
そういえば居場所を特定できる能力を持っているようだったが、まさか人物まで特定できるのだろうか。
もしもそうなら、わりと脅威の能力だろう。
弾幕ごっこに流用できるかは疑問だが、哨戒天狗としての資質は申し分がない。
さて、どうするか。
(……虎穴に入らずんば虎児を得ず、か)
もっとも、入る場所は天狗の領域で、得ようとしている虎は「子供」と形容するにはあまりに情けない。
(ある意味、子供みたいなものかもしれないけれど)
こんなに人に心配をかけさせているんだから。
肩をすくめたあと、ナズーリンは空に躍り出た。
ナズーリンが飛び出すのと彼等が到着するのはほぼ同じタイミングだったようで、三人は心底驚いた顔でうろたえていた。
慌てて急ブレーキをかける様子からは、小気味いい満足感を得られた。
「――あっぶないな!」
「ぶつかったらどうするんだよ!」
烏天狗ふたりの批難は右から左に受け流す。
にしても、こういう台詞が最初に飛び出す辺り、やはりナズーリンだと判って目指していたらしい。
「私に何か用でも?」
「あ、そうだお前!」
「なあ! アレなんだよアレ!」
(……アレ、ねぇ)
「アレとは?」
「名前なんだっけ、あの人」
「なんとか星とか、お前わかる?」
一歩引いたところでうんうん頷いていた白狼天狗が矛先を向けられ、
「えっと、とらまるさんだよ」
おずおずと答えを口にする。
「そうそう。とらまるさん。お前の知り合いだろ?」
今度はナズーリンに対しての問いかけだ。
こちらを窺う彼らを観察して気が付いたことといえば、子供達の表情から鑑みるに、どうやら不思議と星は恨みを買ってはいないらしいということだ。
むしろ親しみを持たれていると言ってもいい。理屈はわからないが。
一気に安堵が襲ってきた。
杞憂していた事態には陥っていないらしい。
「彼女がどうかしたかい?」
「え? 女の人だったの?」
緩んだ気のせいも相まって、状況が状況であれば腹を抱えて笑ってしまっただろう言葉が返ってきた。
あどけない素の表情で目を点にさせる子供達の様子が、さらに笑いを誘う。
子天狗達はお互いの顔を見合わせて、
「ええ? でもあれぇ?」
「あんなことする女の人って居るっけ?」
「――様とかならするんじゃない?」
「そうかな」
漏れそうになる笑声を噛み殺しながら、口を挟んだ。
「あんなこと、っていうのは?」
「…………『道場破り』?」
「疑問系なのは?」
「だってここ道場じゃないし」
それはそうだ。
しかし星は格好こそ男性的だし態度は中性的だけれど、身体の輪郭は女性らしくもあるはずだ。それでも男だと思い込むほど、衝撃的な事件があったようだった。
まあもっともナズーリンに言わせると、『道場破り』なるものをやりかねない女性など幻想郷にはごろごろ転がっているのだけれど。妖怪の山という閉塞した場所で暮らすゆえに育まれた、井の中の蛙状態がそう判断させたのだろう。
「その彼女は今はどこに居るんだい?」
「さっき帰ったよ。遅くなると心配されるって」
とすると入れ違いだったらしい。白蓮の言うとおり、大人しく待っている方が正解だったのかもしれない。
ここですぐに寺に踵を返してもよかったが、戻って星を問い詰めても事の顛末の詳細が分かるとは限らない。
だからナズーリンは子供達を見据えて質問した。
「それで『道場破り』って?」
子供達は再び顔を見合わせたあと、わりとあっさりと語りだした。
以下は、子天狗達から聞き知った情報だ。
昨日の早朝、まだ朝靄も晴れ切らない妖怪の山に、朗々と響き渡る口上があったのだという。
曰く、部下が天狗に刃物を振るわれたらしい。経緯は知らないが、寝込むほどの手傷を負わせるとは如何なものか、と。
哨戒天狗達には、当然のことだが覚えがないことだった。不審者として処理して退散させようとするも、あまりにしつこく、警告しても威嚇しても引こうとしない。
そうして時間を費やしているうちに、とうとう子天狗達にも情報が知れた。
最初はしらばっくれようと彼らは考えたらしい。権限を持たない立場の者が、例え緊急時といえども許可なく判断を下すのは、それなりに重罪なのだ。大人たちに知られたくはない。しかし侵入者は一向に去ろうとしないし、ナズーリンを手違いで傷つけた気まずさも相まってとうとう名乗り上げることにした。
星は、現れたちいさな犯人達の姿に、目を丸くしていたという。
(どうして彼女にあのようなことを?)
(あいつ、山に勝手に入ってたから)
(それだけですか? なのにあんな傷を?)
(……うっ、うるさいな)
(…………そうですか……)
考え込んだあと星は周囲に集まっている天狗達に対して声を張り上げた。
これからこの子たちに決闘を申し込む。その勝敗で罪のいかんを問うが、それでよいだろうか。
逆らい難い威圧感に、傍観していた天狗達が思わず了承したのを確認したあと、今度は三人を見据えてこう告げた。
武力でも、弾幕勝負でも、構わない。三人いっぺんでもいいからかかってきなさい。
とまどい怯んだ子天狗達だが、すぐに意を決して立ち向かった。
言葉どおり、三人掛りで。最初は弾幕勝負を。次は武力でもって。そのうちなりふり構わずに、どちらもごちゃ混ぜで応戦した。しかしまるで歯が立たたず、何度も地面に転がされた。
しかも倒れても倒れても、金の瞳は無言で再戦を促す。
三人の気力が尽きるまで続けられたが、ついに一度も勝てなかった。へとへとになって地面に座り込むと、頭上から優しげな声が降ってきた。
人を傷つけるのはよくないので、これからはやらないでくださいね。
疲れ切った子天狗達は、呆然と星を見上げて、それでものろのろと頷いた。
「でさ、そこから何でか知らないけど、お偉いさんの天狗まで手合わせすることになってさ」
「いや、ほんとに何でさ。おかしいだろ」
さあ? と子天狗達は顔を見合わせる。でもあれは挑戦してみたい雰囲気だったよな、と烏天狗の一が同意を求めると、残りの二人も揃って頷いた。
なんでも星は、それから手合わせを願う何十人という天狗と試合い、その誰をも圧倒したのだという。
次から次へと名乗りを上げる挑戦者を、次から次へと薙ぎ倒す。圧巻のひとことだったらしい。
すごい、強い、信じられない。言葉を重ねる度に、子天狗達の説明には熱が入り、瞳には憧憬が混じり始め、ナズーリンは思わず苦笑した。
曲がりなりにも侵入者に対して、その評価はどうなんだ。強さに憧れる年頃なんだろうか。
「それにしたって、何でまた帰ったのは『さっき』なんだい?」
まさか一日以上試合をし続けていた訳でもあるまいに。
あー……それかぁ、と子天狗は言葉を濁す。
「えっと、日が傾きだしたあたりで円もたけなわってな感じで宴会に突入した」
思わず額を押さえるナズーリン。……ぐだぐだすぎるだろ。
無類の酒好きの鬼ならいざ知らず、天狗でさえもこうなのか。かつての上司に倣ったのか。それとも、いざこざのあとは宴会で水に流すのが、幻想郷の習わしなのだろうか。
「でもさ、お前の知り合い強いけど、俺たちの負けじゃないからな」
「そうだぞ。まだ大天狗様とかは負けてないぞ。試合に参加されなかったもん」
「僕もそう思う!」
さっきまでのキラキラした眼差しは鳴りを潜め、代わりに負けん気が込もった視線が寄越された。
天狗の矜持が高いというのは本当らしい。
ナズーリンは苦笑しながら、彼らに同意の相槌を返した。
(意図的に、あえて対戦を避けたんだろうけど)
そんな分析はおくびにも出さずに。
星が相手をしたのはおそらく下層の天狗達なのだろう。負けたとしても天狗の威信に傷が付かない程度の。
もしも名うての天狗が倒されでもしたら、収まりがつかなくなっただろうから。
「だいたいの事情は解ったよ。ありがとう」
ひらひらと手を振りながら、ナズーリンは礼を言う。
対する少年達は、互いに視線を交わしたあと、何故かもじもじとして言葉を詰まらせた。
三人寄せ集まって、隣に居る仲間の足をつま先でつつき合ったり、袖を引っぱり合ったりしている。
訝るナズーリンをよそに、彼らはいくらかの時間そうしていたが、やがて年嵩の烏天狗が意を決したように息を吸い込んだあと、
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
ぱちくりと、ナズーリンは目を瞬かせた。
「いやに素直じゃないか」
「う、いや、悪いことしたなぁって」
「うん。気になってたんだけど……」
「天狗の沽券がなぁ」
「沽券を気にするなら謝らなければいいじゃないか」
「それは駄目だ」
妙にきっぱり否定された。
非を認めたならば、けじめはつけなければいけないとの主張が告げられる。
それはそれで、子供ながらに矜持が高いことだ。
「ありがたく、受け取っておくよ」
「うん。あ、今度から、通るくらいなら許すって」
「それはお偉いさんが?」
「うん。それ以上のことをしたら、どうなるか分からないけどって」
「なるほど」
彼らに別れを告げて、ナズーリンはその場を離れた。
風を切って飛翔する。
遠ざかる三つの人影。ナズーリンの背中越しに、子供達の呼びかけが木霊した。
お前さー面白い人と知り合いだよなー
また来てって言っといてー
ごめんねー
ばっか、二度も謝らなくていいんだよ!
白狼天狗はこれだからだめだ!
だってぇ
寺に戻ると、奥の間でばったり星と出くわした。
「ナズーリン! もう起き上がって大丈夫なんですか!?」
慌てて駆け寄られ、ついでに肩を掴まれる。
治りたての身体を揺すってはまずかろうという概念はないのだろうか。たぶん忘れているんだろう。
(しかもなんだか酒臭いし)
宴会明けでの帰宅ということを、如実に告げている。
「ご主人様」
「はい」
「妖怪の山に行っていたでしょう?」
「……う…怒ってます……?」
ぎくりと身体を縮めて、若干視線をそらす星。叱られた子供のようだ。
言ってやろうと思っていた小言のストックは溜まっていたはずなのだが、その様子に毒気を抜かれてしまった。
あの子天狗三人にこの姿を見せたら、いったいどんな反応をするだろう。
ナズーリンは苦笑したあと、
「宴会は楽しかったですか?」
星の表情がぱぁっと明るくなる。許してもらえたと判断したのだろう。
「ええ。皆よい方ばかりでした」
「討ち入りした先で反感を買わずに、むしろ好感を得るというのは、なかなか無い才能だと思いますよ。しかも天狗相手に」
「そうなんですか? ありがとうございます」
「ちなみに今のは皮肉です」
「皮肉ですか?」
「………………いえ、冗談です。褒めてますよ」
「よかった」
この能天気さが勝因なんだろうか。自分には無い才能だ。
「ナズーリン」
気抜けしたナズーリンの耳に、星からの呼びかけが届いた。
随分と、真剣みを帯びた声色だった。
「もう無理をしないでくださいね」
起き抜けに、白蓮からも言われた台詞。
「傷を隠したりしないでください。あなたが陰で苦労をしていることも、あとでそのことを知ることも、私はひどく辛いんです。私は大丈夫ですから、我慢はしないでください」
返答しようとするナズーリンを、彼女は目線で遮った。
さらに言葉を重ねる。
「嘘でも偽りでもなく、本当に大丈夫なんですよ、ナズーリン。ここにはスペルカードルールがありますから」
「……スペルカードルール?」
「ええ、スペルカードルールがあるんです。昨日のように怒りを抱いて行動したとしても、他者を傷つけなくて済むんです。後悔をすることも、自分を嫌悪することもない」
星は安心させるように目元をゆるませた。
「ね? だから、『本当の』貴方のままでいてください」
ナズーリンは一連の所論を、ゆっくりと飲み下す。
星は、このお人好しは、『怒ることが苦手』なのだと思っていた。だが、恐らく違うのだろう。彼女は『傷つけることが苦手』なのだ。怒りは、それを誘発させる。だから嫌っていた。
――けれど。
「…………貴方は、貴方のままでいられるんですね」
この場所でなら。
「ええ。だから、貴方も貴方のままでいてください。そうしたら私は笑っていられますから」
その台詞が心に沁みこむのには、不思議と時間を要した。
星が笑っていられる。私が私であることで。
私のそばで。
胸に広がる感情に、ナズーリンは我知らず、ゆるゆると微笑んでいた。
星が、それに答えるかのように、にっこりと破顔する。
彼女の好きな笑顔だった。
星ナズいいですね
ありがとう!
カッコいいのもまたいいですね
そして白蓮もいい味出しているし。いいお話でした。
流石毘沙門天代理。強い。
解決の仕方もらしく見えて素敵でした