1
私、岡崎夢美は女の子だ。女の子は甘いものが好きだ。だから私も甘いものが好きだ。この三段論法によると、私はいちごタルトを食べるべきだ。だから早くこの店に入って注文してしまえ。
私、岡崎夢美は天才だ。天才は甘いものなどに執着しない。だから私は甘いものに執着しない。この三段論法によると、私はいちごタルトを食べるべきではない。だから早く大学に戻って研究に集中しろ。
二人の私が頭の中でせめぎあっている。目の前の店のショーケースにはいちごタルトの模型。研究室のある大学は目と鼻の先。助手の北白河ちゆりは私の隣。
「人間、するかしないかで迷っている時はした方がいいんだぜ」
「それはアドバイスなのかしら? それとも自分も何か食べたいという遠回しな意思表示なのかしら?」
ちゆりがさあ? と肩を竦ませる。そのくらいしっかり答えてくれてもいいじゃないか。こっちはただでさえ慎重なんだから、何か裏があるのではないかと疑ってしまう。
事の発端は些細なことだ。大学で使っているノートや消しゴムの買い出しに行った帰り、ふといつもと違う道を行ってみたくなった。その時、見つけてしまったのだ。喫茶店<アリス>のショーケースの中、きらきらと輝くいちごタルトを。それはまさに運命の出会いとしか言いようがない。ただ一点、ちゆりと一緒だと言うことを除けば。
「私はどっちでもいいぜー、ただ給料日間近だからご主人様のおごりじゃないときついなー」
「く・・・・・・」
どうやら読み通りだったらしい。ちゆりはおごってもらう気でいる。しかし、私だって財布の中身にはそれほど余裕がないのだ。ちゆりさえいなければ財布の中身も考えずに店に入っているものを。あーもー。こんなことなら気まぐれで道を変えたりするんじゃなかった。どうしたものかと私が額に指を当てて悩んでいると、ちゆりが突然何かひらめいたような表情をし、直後、あくどい笑みを浮かべて話を切り出してきた。
「そうだ、交渉しよう。ただご主人様がおごるだけじゃさすがに悪いからな。」
そう言ってちゆりは素早く口を私の耳元に移動させる。いったい何を耳打ちするつもりだ。というか、耳打ちしなければならない交渉なのか。そんな交渉、交渉するまえから願い下げだ。
「おごってくれるっていうのなら、あーんしてやるぜ」
よし、前言撤回。店に入っていちごタルトを頼む。
2
喫茶店、というかケーキ店<アリス>は、なかなかおしゃれな店だった。柱は木製で壁は白い店内には色とりどりの人形があちこちに吊るされている。あるものは手を取り合って、あるものは体全体を大の字にしている。まるで人形達が空を飛んでいるようだ。二人して上に見とれていると、カチューシャをつけた若い店員さんが迎えてくれ、席まで移動する。
店内を見渡すと、どうやら客は私たち二人だけのようだ。
「いちごタルト二つね」
「はい、いちごタルト二つですね」
席に着くやいなやちゆりが口を開く。店員さんはにこりと微笑んでカウンターに戻った。先ほどは気付かなかったが、カウンターにはもう一人店員さんがいる。
ぱっと見て少し驚いた。なぜ気付かなかったのだろう。そう思わせるほど不思議な髪の結び方をしている。表現するとしたら、頭の横に小さめのバナナを付けた感じだ。サイドテール、という言葉が浮かんだ。年齢は三十代半ばくらい。優しそうな顔をしている。
二人を店員さんと呼ぶのもなんだか説明が面倒なので、カチューシャを付けている店員さんをカチューシャさん、サイドテールの店員さんをサイドさんと呼ぼう。心中で決める。
カチューシャさんはサイドさんに私たちの注文を伝えている。その後カウンター――正確にはショウケースと言うべきか――の中からいちごタルトを皿に乗せる。後は運ばれてくるだけだ。
「にしても洒落てる店だなー」
「そうね。いくつかお持ち帰りしたいくらい」
「お人形さんとおままごとするのか?」
「飾って見るだけよ」
「ご主人様ならやっててもおかしくなさそうだけどな」
失礼ね、と返したところでいちごタルトがテーブルに置かれた。その瞬間、意識が会話からいちごタルトへ飛ぶ。おお、なんといちごまみれなんだろう。まず生地がある。そのうえにいちごジャムをたっぷりと塗り、その上からまた生地を乗せる。合成いちごだけど。その上に今度はいちごをそのままのせ、いちご達は寒天でコーティングされている。その上からさらに粉砂糖を振りかけられている。
このいちごタルトを表すのは、一言しかないだろう。
「素敵だわ――合成いちごだけど」
「一言余計だぜ」
ちゆりが間髪入れずツッコミを入れてくる。確かに一言ではなく二言だった。
まあいい、とにかくだ。
「ちゆり」
「ん?」
「さっきの約束」
「ああ、あれね」
そう言うとちゆりは、目の前にあるいちごタルトにフォークを突き刺し、差し出した。
「あーん」
こんな笑顔であーんなんてされたら、どんな人間でもイチコロだわ。
ふとそんなことを思った。
3
いちごタルトは文句なしのおいしさだった。まさか生地にまでいちごの風味を出してくるとは。給料日になったらまたここに来よう。そして持ち帰ってストロベリーティーと共に楽しむ。なんとも素敵ないちごまみれではないか。
「そういえばさっき合成いちごがどうのとか言ってたけど」
「うん?」
「この店はなかなか素敵なことをしてくれるみたいだぜ!」
と言って、ちゆりは親指で壁を指した。合成いちごと、この店がする素敵なことと、どう関係があるんだろう。そしてちゆりがやけに興奮しているのが気になる。ちゆりが指を指している方を見てみると、一枚のポスターが貼られていた。『限定数200!天然南国フルーツジュース!』と書かれている。天然?
ちゆりに視線を戻すと、ちゆりは目を輝かせている。
「天然だぜ、天然! 合成の食べ物しか見たことのない私たちが、こんなところで本物のフルーツとご対面なんて、ご主人様的に言えば素敵じゃないか!」
「そ、そうね・・・」
ちゆり勢いとフルーツジュースの魅力に押されて、ついどもってしまう。にしても、本物というだけでなく天然とは。今時本物として日本の市場に出回っているのは米と肉くらいのものだろう。ちなみに、日本で収穫できる天然のものはもうない。禁止されている。ということは、フルーツは全て外国のものか。よく集めたものだ。こんな街角にひっそりと佇んでいるケーキ屋ができる業なのか。まあ、サイドさんの手腕がすごいのだろう。サイドさんが店長というのは勝手な想像だが。
「さあさ、早速予約してくれご主人様!」
「ええ・・・ってちょっと待ちなさい」
「何だ?」
「私が奢るの?」
「当たり前じゃないか」
「何言ってるの? これ一杯二千円よ? こんなもの奢ると思ってるの?」
「やっぱり駄目か」
「駄目」
「ええー」
危うくちゆりの口車に乗せられるところだった。可能性空間移動船の制作と維持費のおかげで預金がないから、たとえ二千円でも余計な出費をしたくないのを分かってもらいたい。
「さ、予約したらとっとと帰るわよ。仕事が山積みなんだから」
ちゆりの不満そうな顔を無視しないと、大学に戻れそうにないのがよく分かった。
4
フルーツジュースの受け渡しは十月一日から一週間。引換券を持って行けばその場で作ってもらえる。ジュースの中身はパパイヤ、パイナップル、マンゴー。一杯のジュースにマンゴーを二つ使ってくれるらしい。そのままフルーツを切って出さないのが不思議だが、<アリス>はどうやらジュースにこだわりがあるようだ。前に来たときには気付かなかったが、メニューのドリンクの欄には様々なジュースが名を連ねていた。
まだ受け渡し期間まで一週間ある。予約してから夏休みに入り、夏休みが終わり、みんな気持ちを切り替えて講義に望んでくれるかなと思いきや宇佐見蓮子だけは一番前の席で爆睡している。お前は単位のためだけに来ているのか。私はもう少し講義を大切にしても損することはないと思う。だから。
「出る杭は打たなきゃ」
釘は、いきなり強い力で打ってはいけないという。しかし杭にはそういう決まりはない。というわけで本日は、体育の授業で習ったテコンドーを駆使して、かかと落としにした。残念ながら今日はズボンを穿いているので男子生徒諸君の性的興奮を引き起こすなんてことはないのであしからず。ああ、駄目じゃない。杭が途中で転がったりしちゃ。私が無垢で無邪気な笑みを浮かべていると、宇佐見は「起きます、起きます」と目の焦点が定まっていない様子で必死に謝った。最初からそうすればいいのに。というわけで、講義が再開された。
講義が終わると、宇佐見がふらふらとこちらにやってきた。どうやらまださきほどの衝撃が残っているらしい。まあ私の知ったことではない。ところで何の用だ。
「教授、あのフルーツジュースを予約されたようですね」
「あら、どうして知っているの」
「北白河助教授から聞きました」
いつの間に喋ったんだろう。当人は口笛を吹きながら黒板を消している。
「どうですか。せっかくですし、ご一緒しませんか」
「・・・うーん」
残念だが魂胆は見えている。今私がしているのは考える振りだ。おそらく宇佐見はジュースを飲むのを口実に私たちを<アリス>へ連れて行き、どさくさにまぎれて私にケーキを奢らせるつもりだ。現地に着いてケーキを頼み、「まさか教授が生徒とのお茶会で奢らないなんてことはありませんよねえ」なんて言ってしまえば、私は奢らざるを得なくなる。
それは些細なことで、何よりの問題はマエリベリー・ハーンだ。宇佐見は気付いていないようだが、マエリベリーの宇佐見に対する視線は明らかに『あれ』だった。私とちゆりがそういう関係だからよく分かる。そして密かに応援している。
宇佐見が行くところには彼女も付いていくだろう。せっかくの二人きりの時間をわざわざ邪魔することもない。だから、ここは穏便に断っておくべきだ。
「ごめんなさいね、仕事が溜まってるから、空く時間がいつになるか分からないの」
「そうですかー、残念。それじゃ、また今度の機会に」
そう言うと、宇佐見はすたすたとその場を去った。げんこつの余韻はどうしたんだろうか。
5
一週間はあっという間に過ぎ去った。生徒の頃は、ここらになると夏休みが懐かしくなったものだ。しかし体は不思議と学校に行くことに慣れてしまっている。そんな『夏が終わった時期』に、フルーツジュースは私たちの前に姿を現す。なんだか夏の方が私たちを懐古しているようだ。
そんなわけで、私は<アリス>の店内へ歩を進める。店内はごった返していた、というほどでもないが、結構賑わっていた。人がいる全てのテーブルにオレンジ色のジュースがある。
「ひゅー、いるいる」
「ええ、ジュースの効果はかなりのようね」
「そうじゃなくて、あの二人がだよ」
あの二人? と聞き返しそうになってすぐ気付いた。宇佐見とマエリベリーだ。奥の席で談笑している。
「あの二人に気付かれないようにした方がいいな」
「そうね」
短く言葉を交わし、二人でカチューシャさんに引換券を渡す。カチューシャさんが、フルーツ二つ入りましたーと言うと、奥からはーいと返事が返ってくる。続いてモーター音、なんだっけ、ミキサーのようで、ジュースをつくる機械。正式な名前を忘れてしまった。そう考えている間にジュースを持ったサイドさんが奥から現れた。意外と大きい。500mlはあるんじゃなかろうか。ちゆりがおお、と感嘆の声を上げる。二ヶ月近く待たされたのだから気分が高揚して当たり前だ。私もかなり気持ちが高ぶっている。カチューシャさんが太いストローを入れ、おそらく完成。
「席までお持ちしますので、お座りになって下さい」
カチューシャさんに催促されて、私たちはようやく席に着いた。できるだけ宇佐見たちとは遠くにした。一つ屋根の下なので向こうが丸見えなのだが、向こうは気付いていないようなのでまあいいか。続いてお盆からテーブルにジュースが移される。最後に、ごゆっくりどうぞと言ってカチューシャさんはカウンターに戻った。
「それじゃ、いただきましょうか」
「その前に」
「なに?」
「あれ、見てみろよ」
ちゆりの視線の先には、もちろん宇佐見とマエリベリーがいた。宇佐見が身振り手振りで何かを話し、マエリベリーが熱心に聞いている。二人の間にはグラスが一つ。・・・一つ?
目を疑ったが、どう見ても一つだ。片方は飲み干してしまったんだろうか。いや、違う。一つのグラスにストローが二本。ということは、まさか。
「あーあー恥ずかしい」
ちゆりが楽しそうに見ている二人は今、二つのストローで同時にジュースを吸い上げている。見ているこちらが赤面してしまう。
「ああいうことはできるだけ人目の少ないところでやってもらいたいわね・・・」
恥ずかしくて顔を手で覆ってしまう私。でもやっぱりちらちら見てしまう私。
「ま、こっちはこっちで楽しもうぜ」
「そ、そうね」
気を取り直してグラスを引き寄せ、ストローに口を付ける。天然のフルーツは、一体どんな味がするのだろう。そんなことを思ってから、考えるより味わった方がいいと考えた。さあ、フルーツたちよ、おいで。そして一気に吸い込む。
最初に味覚を刺激したのは、マンゴーだった。続いてパイナップル。パパイヤ。なんだろう、この味は。今まで食べてきたものはいったいなんだったんだろう。本当に美味しいものを食べた時は口の中に宇宙が広がるというが、確かにそんな感覚だ。銀河系いくつなどという単位では表せない、何度も襲いかかってくる味、味、味。口の中でマンゴーが衝突し、パイナップルが流星となり、パパイヤが超新星爆発を起こす。こんなにも大自然は偉大だったのか。これでは、人間は何年かかっても決してこの味を作り出せない。
ごくり、と飲み込んでしまうと、意識が現実に戻ってきた。ちゆりが興奮している目でこちらを見ている。
「すごいな、このジュース!」
「ええ、予想以上だわ・・・」
たった一口であれだけの破壊力を持つジュースとは思わなかった。これは長期戦になりそうだ。
6
ジュースを飲み干すのにどれだけ時間がかかったかは覚えていないが、かなり長かったのは確かだ。ちゆりと話ながらというのもあって、一時間はかかったと思う。その一時間はまさに至福のひとときだった。私はこんな素晴らしいジュースを提供してくれた<アリス>に敬意を表し、ちゆりと二人でケーキを買いに来た。
はずだったのに。
「すみませんね教授奢ってもらっちゃって」
「本当にすみません・・・」
「いいのよ? 別に」
宇佐見はチーズケーキをほおばり、マエリベリーは申し訳なさそうに合成りんごジュースを眺めている。
一体なぜ私が宇佐見とマエリベリーとちゆりに奢るハメになっているのだ。待ち伏せでもされてたのか?しかもちゆりはどさくさに紛れて自分の持ち帰り用のケーキまで注文している。これは後でなんとかしなければ。
「で、話って何かしら?」
そう。宇佐見は話があると言って私に奢らせているのだ。これで他愛もない話だったらビンタの一つでも食らった方が宇佐見のためだ。
「いやー私たちではどうにもできない話でして。是非岡崎教授のご教授をと」
「うーさみー」
ちゆり、あなたも寒いわ。
「一気に話しちゃいますけど、いいですか?」
「どうぞ」
「それじゃ。この前私たちがここのジュースをもらいに来たときに、どうにもおかしなことが起こりましてね。順を追って説明します。
それは十月一日の午後三時のことでした。私が午後三時ちょうどに着いたと思っていたらメリーの時計では午後三時二分十五秒だったんですよ。そのくらいの誤差は許して欲しいといつも思っているんですがね、メリーは許してくれないようです。まあその程度のことならいつもあるんですよ。問題はここからです。
私たちはこのお店に入りました。入ったときの盛況っぷりといったら、いつもとは比べものになりませんでした。だってカウンターに列ができているんですもの、なんだかこの世の人達の薄情っぷりが目にしみましたわ。で、私たちも並んで、何の問題もなくジュースを二つ作ってもらいました。んで奥の方の席に陣取って、二人で他愛ない話をしてました。重要なこと言い忘れてましたけど、奥の席に行くまでに見た限りでは、みなさんテーブルの上にジュースが置いてありましたよ。一人一杯。
ジュースが私たちのテーブルに運ばれてきたとき、メリーがお手洗いに行きたいって言うもんだから、私も行くことにしたんですよ。先に言っておきますけど、メリーにはなんの罪もありませんからね。むしろ被害者なんですから。
私がお手洗いから帰ってきたら、メリーがカウンターの方からこっちに向かってきたんですよ。何事かと思ったら、私たちのテーブルに一つしかジュースがないんです。もう一つはどうしたの、ってメリーに聞いたら、私が帰ってきた時には一つだったって言うんですね。つまり、盗まれたんです。私は驚き半分怒り半分であたりを見渡しました。でも、眼前の光景は盗まれる前と全く変わっていないんです。ちゃんとテーブルの上に一人一杯のジュースがありました。店員さんには聞いてみたの? って言ったら、カウンターから戻ってきたのは店員さんに聞きに行ったからだと言われました。
そこでうろたえても仕方ないんで、店員さんからもう一つストローをもらってきました。せっかくの天然南国フルーツジュースですもん、こんなところで怒ってもしょうがないです。二人で楽しまなきゃ損じゃないですか。それに二人で一つのジュースを共有するっていうのも楽しかったですよ、カップルみたいで。
余談なんですけど、メリーにカップルみたいだね、って言ったら顔を真っ赤にして何言ってるの! って言われちゃいました。私からの話はこんなところです」
一息に話し終えて、宇佐見はふーっ、と息を吐いた。手元のグラスから水分を吸い上げようとするが、空だ。宇佐見はこんな風に、といってストローをマエリベリーのグラスに刺す。一気に全体の三分の一を吸い上げ、マエリベリーはあきれ顔だ。
なるほど、私たちが見た光景の裏にはこんなことがあったのか。で、宇佐見は私に何があったのかを解明して欲しい、というわけだ。
「災難だったわね」
「でしょう? もう可哀想な生徒のために謎を解く気になっちゃったでしょう?」
「まあ、考えるだけ考えてみるわ」
「ありがとうございます! それじゃ行くわよメリー、そろそろ逢魔が時だわ!」
「え? ちょっと蓮子?」
行ってしまった。スタコラサッサという擬音が似合いそうだった。何故宇佐見は長い話が終わった後にすぐ去ろうとするのだろう。マエリベリーも慌てて鞄を持ち、去ろうとする。
「今日はありがとうございました。奢ってもらうつもりなんてなかったのですが・・・」
「いいのよ、そのことは。それよりマエリベリーさん」
「はい?」
マエリベリーは虚を突かれた顔をしている。まあそうだろう。マエリベリーは私と接点などほとんどない上に、今日もあまり口を開いていない。話しかけられる方がどうかしている。
それでも、これだけは言っておかねばならない。
「学生が二千円ものお金を無駄に使うのは関心しないわね」
「・・・」
目を見開くマエリベリー。今の心中を察するにまさかそんな、といったところか。
「あと宇佐見さんに嘘をついたのも誉めることはできないわ。厳しい言葉を使うけど、あなたがやったことは友達に対する裏切りよ」
「・・・」
「でも、まあ」
ふふ、と笑いが浮かぶ。なぜ笑ったんだろう。自分でも分からない。
「今回のことは宇佐見さんに黙っておいてあげるわ。宇佐見さんもそんなに怒ってないないみたいだし。私たちは貴方のことを応援してるもの」
「!」
マエリベリーの顔が一気に染まる。さっき宇佐見が言っていた「顔を真っ赤にして」というのはこういうことか。
「私からは以上。あ、付け足すともうこんなことしないように。それじゃ、行っていいわよ」
「・・・はい」
マエリベリーはお辞儀をした後、小走りでその場を去っていった。やりとげた表情の私と、呆然とした表情のちゆりが残されて。
7
「ちゆり、自分が持ち帰るケーキ代くらいは自分で払いなさいね」
「ええー」
ちゆりが抗議の声を上げる。抗議の声を上げたいのはこっちだ。
「じゃあ、さっきの謎がどういうことなのか教えてくれたら払ってやるぜ」
「なんだ、そんなこと」
簡単だ。カチューシャさんを呼べばすぐにわかる。というわけで。
「ちゆり、挙手しなさい」
「なんで?」
「カチューシャさんを呼ぶためよ」
「カチューシャさん?」
しまった。つい口が滑ってしまった。ちゆりの顔のニヤニヤがすごい。
「カチューシャさんって・・・ぷ、ぷぷぷ」
「・・・怒るわよ」
「はいすいません」
黙って挙手するちゆり。すぐにカチューシャさんがやってくる。
「お待たせしました」
「聞きたいことがあるのだけれど」
「はい?」
「ジュースの受け渡しを始めた日の午後三時過ぎ頃、金髪の少女がグラスを返しに来なかった?」
「金髪・・・ですか」
カチューシャさんはペンをぐるぐる回しながら考え込む。それにしてもよく回る。半世紀くらい前まではペン回しがスポーツとして流行っていたらしい。というのを思い出した。
「ああ、いましたよ。受け取ってすぐにグラスを返しにきた金髪の女性」
「ありがとう。もう下がっていいわ」
失礼します、といってカチューシャさんはカウンターに戻っていった。
私はちゆりに顔を向けて言い放つ。
「そういうことよ」
「いや、色々分からんのだが」
「何が?」
「メリーさんが犯人だってのはさっきの証言から分かったよ。なんでご主人様が分かったのかってことと、動機がわからない」
「なるほどね。じゃあ動機のほうは後回しにして、なぜ分かったのかを解説しましょう」
「いえーい」
「まず、マエリベリーさんが嘘をついていないと仮定しましょう。すると、ジュースは何者かの手によって盗まれたことになる。でも、宇佐見さんが言うにはお手洗いに行く前と行った後では、周りのテーブルに置いてあるジュースの数は変わっていなかった。つまり本当はジュースは盗まれていなかったのよ」
「はい、質問」
「何かしら」
「本当は盗まれていて、盗んだ誰かが一気飲みして、それを店側に戻したってことも考えられるんじゃないか?」
「それはないわ。マエリベリーさんは店員さんに聞きに行ったって言ってたでしょ」
「あ、そっか」
「続けるわよ。ジュースは本当は盗まれていなかった。だとしたら? そう、マエリベリーさんが言ってたことは嘘なのよ。そして誰かが盗んだ、という事実が嘘なら、証言したマエリベリーさんが犯人としか考えられないの。
さあ、今度はマエリベリーさんが嘘をついていると仮定して話を進めるわよ。嘘をつくことが可能な部分は二ヶ所。戻ってきたときにはグラスが一つだったという部分と、店員さんに怪しい人がいなかったか聞きに行ったという部分。
ここで重要なのが、この二つどちらとも嘘だということ。仮に一つ目を嘘、二つ目は本当のこととしてみましょうか。そうするとおかしいのが分かるかしら? グラスをどうにかして自分で消したというのに、店員さんにわざわざ聞きに行くというのはおかしいものね。一つ目を本当、二つ目を嘘にしてみても、今度はなぜ店員さんに聞かなかったのかという疑問が残るわ。
長くなったけど、二つとも嘘の場合。グラスを消したのはマエリベリーさんで、マエリベリーさんは店員さんに怪しい人がいたかなんて聞いていなかった。具体的にどうしたかというと、一気にジュースを飲み干して店員さんに空のグラスを渡したっていうのがさっきの証言で分かってもらえるわね。」
ちゆりはなるほどなー、と言ってガトーショコラを口に運んだ。
「で、動機は?」
「マエリベリーさんは宇佐見さんをどう思っていたかしら?」
「そりゃ恋人になって欲しいなーと」
「そう。それが動機よ。今回の騒動はマエリベリーさんがカップルの真似事をしたいから仕組んだ。それだけよ」
私もいちごタルトをほおばる。やはり美味しい。ちゆりは今度はうーんと唸っている。何をそんなに悩んでいるんだろう。
「分からないな。なんで動機まで分かるのかが」
なんだ、そんなことか。
「このお店にいると、カップルみたいなことをしてもらいたくなるのよ」
「なんで?」
なんで、って。あなたがそれを言うの?
「ちゆり、最初にこの店に入ってきたとき、貴方が言ったことを覚えてるでしょ?」
「・・・ああ、そういうことか」
そう言うと、ちゆりは手元のガトーショコラの最後の一片をフォークに刺して、私の眼前に持ってくる。
「あーん」
ああ、やっぱりちゆりの笑顔は最高だわ。
ふと、そんなことを思った。
恋する乙女は金に糸目をつけないのですな。教授もメリーも。
最近教授分を補給できて幸せです
教授とちゆりが好きな自分としては二人の話が増えるのは嬉しいです
なんて、ちゆりが可愛いんだ……!満足しました。本当にごちそうさまでした。
引換券を事前に準備するあたり、メリーが用意周到でいいですね~。
好きな人のためなら何でもできちゃうっ。
>ただ一点、ちゆりと一緒だと言うことを覗けば
除けば、かな?
いかんなにこれ糖分過剰摂取で死ねる
‥というくらい面白かったです。
この二組にはもっと活躍して欲しいですね、