人妖がともに暮らす世界、幻想郷。
その一角に生い茂る竹の林のなかにある永遠亭は今夜も静かな時間を有していた。
「…………」
この屋敷の主である蓬莱山輝夜は縁側に腰を下ろし、空に浮かぶ月を手にしたガラス玉越しに見上げていた。
「……ほんと、いつ見ても綺麗ね……」
天に広がる夜空のような漆黒の長髪(ながかみ)が風に揺れる。
月を、その前にあるガラス玉を見上げる彼女の瞳が細く、優しいものにその形を変えた。
「まだ起きてらしたんですか?」
通路の陰から出てきた少女の長いうさぎの耳や長い髪、そしてブレザーやスカートに月明かりが照らされる。
「イナバ……」
ギシ……と、洋館では聞くことのない、和屋敷ならではの木のきしむ音の生み出し主である鈴仙・優曇華院・イナバは意外そうな顔をしていた。
「お月見ですか?」
「ええ。今日は綺麗に見えると思ってね」
「そ、そうですか……」
普段はすぐに眠る輝夜が、この時間に、それもただ月を見るためにだけにこうして起きているのは鈴仙にとって意外でしかなく、ただ苦い笑みをこぼすだけだった。
「……なんか腹立つわね、その反応」
「あはは……」
もっとも、その思いの一部は輝夜に伝わってしまったみたいで、損なわれた機嫌が表情に出ていた。
「……あれ? それ、ガラス玉ですか?」
「え、ええ……」
「?」
わずかな驚きを見せる輝夜に鈴仙の長いうさみみがピクリと動く。
「…………」
「姫様?」
「え? なに?」
「あ、いえ。どうしちゃったのかなって思って」
「そう……」
「ぁ……」
そうして口を閉ざしてしまった輝夜。
「き、綺麗ですね。今夜の月は」
「……そうね」
「雲もないですし、絶好の月見日和ですよね」
「……ええ」
「…………」
「…………」
「あの……寒くないですか?」
「……私は大丈夫よ」
「そ、そうですか……」
「……ええ」
「…………」
「…………」
鈴仙が黙ってしまえば黙ってしまい、話題を振っても生返事と、その場にいるものとしてはいささか居心地のよくない雰囲気だった。
そんなやりとりから一時が経とうとしていた。
「き、綺麗といえば、そのガラス玉も綺麗ですよね」
「……当然よ。これは特別なガラス玉なのだから」
ようやく輝夜の口から気のある言葉が返ってきたのだ。
「特別……ですか?」
「ええ。特別よ」
「私には……ただのガラス玉に見えるんですけど」
輝夜の手にあるガラス玉をまじまじと見てみるも、特別変わったところはない。あるのはガラス玉に映った、首をかしげている鈴仙の姿だけだった。
「ふふっ。愛がなければ視えないのよ」
「愛……ですか?」
輝夜の口から出た言葉に鈴仙は鳩が豆鉄砲を食らったよな、きょとんとした驚き顔をしていた。
「そう、愛よ」
穏やかに微笑み、輝夜は続ける。
「愛がなければ視えないものもあるということよ」
「愛がなければ、視えない……?」
そんな彼女に鈴仙はただ首をかしげるだけだった。
そして白銀の月が沈み、黄金の陽が昇り、永遠亭をその輝光(きこう)で照らす。
「愛がなければ視えないものある、か……。いったいどういうことなんだろ」
先日の輝夜の言葉が気になるのか、ぽつりと呟きながら廊下を行く鈴仙だが、その答えが見える気配は一向になかった。
「ん~……やっぱり師匠に聞いた――みぎゃっ!?」
ドスン。と、なにもない廊下で突然なにかに蹴躓いて派手に転ぶ鈴仙。スカートはふわりとめくれ、隠れていた布地があらわにされていた。
「くすくすっ。『みぎゃっ!?』だって」
そんなパンツ丸出しで転ぶ鈴仙を見下ろし笑うのは鈴仙より少し短いうさみみの少女、因幡てゐだった。鈴仙を引っ掛けた片足はしてやったりと言わんばかりにお尻を突き出して転んでいる彼女に向けられていた。
「った~……。ちょっと、てゐっ! なにするのよ」
「なにって、眠そうにしてたから目覚ましに」
「そんなこと頼んでないわよっ」
「くすくすっ」
「な、なによ」
「別に~♪ 今日は水色なんだな~って」
「っ!?」
顔を真っ赤にしてスカートを元に戻す鈴仙だが、時すでに遅し。てゐには十分すぎるほどのからかう材料を与えてしまっていた。
「昨日はピンクだったよね~」
「て、てゐっ!!」
「あははは。引っかかるほうが悪いんだよ」
「こんの、待ちなさいっ!」
「あははっ。待てといって待つバカはいないよ~♪」
悪戯好きのてゐに、おドジといっても過言ではない鈴仙。朝から行われる彼女たちの賑やかなやりとりは永遠亭の誰もが知る、茶飯事といってもよかった。
二人の追いかけっこが始まってから十数分。今日も鈴仙はてゐを捕まえることができず、部屋で腰を落とすことになった。
「はぁ……はぁ……」
「鈴仙は朝から元気だねぇ~」
「誰のせいよ!」
息ひとつ乱していないてゐに対して、全力疾走直後のように肩で息をする鈴仙。この差は純粋に体力差というわけではなく、てゐの仕掛けていた数々の罠に鈴仙がことごとく引っかかってしまったためである。
「仕方ないじゃん。鈴仙面白いんだもん」
「…………」
「くすくす」
息を整え終えた鈴仙の表情に無言の怒りが浮かぶも、てゐはまったく気にせず笑っていた。
「はあ……もういいわ。それより、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なになに? わたしとエッチなことしたいって?」
「黙れ、百合うさぎっ」
目を輝かせるてゐを反射に近い速度で一蹴する鈴仙。
「別にわたしはいつでもオッケ――」
「だから違うって!」
「もしかして、お師匠様と……!?」
「人の話を聞けーっ!!」
事の真意は不明だが、てゐが鈴仙に向けた――頬を赤らめてなにかを期待する、潤みのある眼差しと、間髪入れずに出てきた鈴仙の冷たい一言があったのは紛れもない事実だった。
「ちぇ……。で、聞きたいことってなに?」
「……愛が視えなければ視えないものって知ってる?」
「愛がなければ視えないもの?」
ほへ? と、やはり鈴仙と同様に首をかしげるてゐ。
「昨日、姫様が言ったのよ。愛がなければ視えないものもあるって」
「ふ~ん。愛、ねえ……」
「なんのことかわかる?」
「…………」
「てゐ?」
「……まあ、わからなくもないと思うけど」
「え?」
「要は愛があれば視えるんでしょ? だから、今からわたしと愛を――」
「撃つわよ」
指でつくった拳銃の口をてゐに向ける鈴仙。
「やだなあ。冗談だよ、じょーだん」
苦笑いを浮かべるてゐに対し、
「…………」
鈴仙の目は本気だった。
「……というわけなんですよ」
「なるほどね……」
てゐのもとをあとにした鈴仙が訪れたのは輝夜をはじめ、みなの母親的存在である八意永琳の部屋だった。
「やっぱり師匠もわかりませんよね」
「そうね。私にも姫がそのガラス玉を通して、なにを見ていたかはわからないわ」
「ですよね……」
「けど、なにを見ていたかはわかるわよ」
「え……?」
鈴仙には永琳の言っていることがまったくわからず、目を丸くしてただ驚くばかりだった。
『なにを見ていたかわからないが、なにを見ていたかはわかる』
どう考えても矛盾した話である。
「師匠、いったいどういう……」
「あなたなら視れるわよ。愛さえあればね」
「…………?」
「ふふっ。あとは自分で考えなさい」
「し、師匠~」
「私が教えてあげられるのはここまでよ。でも……」
「でも……?」
「あなたに愛をあげることくらいなら――」
「……謹んで遠慮します」
服の一番上の留め具を外し、続いて第二の留め具へ手を伸ばしながら色めいた目線を送ってくる永琳に鈴仙はその先の展開に既視感を覚えつつ、その言葉をさえぎった。
「遠慮することないわ。あなたのためなら、私は一晩でも二晩でも……」
「いえ、本当にいりませんから……」
「まさか、もうてゐと……!?」
「あなたもですか……」
永琳が本気だったかはさておき、その後は蟲惑的な笑顔を見せるだけで、彼女の口から得れることはなにもなかった。
そうして日は沈み、月がまた昇る。
「結局、師匠はなにを言いたかったんだろ……」
夜の帳が下ろされた空を見上げ、永琳の言葉を思い返す鈴仙。
――なにを見ていたかわからないが、なにを見ていたかはわかる。
この言葉が矛盾していることくらい、月の頭脳とまで呼ばれた彼女には自明のはずである。
「はぁ……」
結局のところ、永琳の思惑を知るのもまた輝夜の言葉と同じくらい至難なものだった。
「あら、まだ起きてたの?」
「あ、姫様……」
ギシ……と、洋館では聞くことのない、和屋敷ならではの木のきしむ音を立てながら、見ているだけで心を奪われ、狂気に落ちてしまいそうな満月の光に彩られ、輝夜はくすりと笑っていた。
「お月見かしら?」
「あ、いえ。ちょっと考え事を……」
昨日とは
「考え事ねえ……もしかして、昨日のこと?」
「え、ええ。まあ」
「それで、答えは見つかったかしら?」
「いえ……」
「そう……」
「…………」
「…………」
流れる沈黙と時間。
月に雲がかかり、そして晴れる。
「……仕方ないわね」
それほどの時間が過ぎたころに、ぽつりと輝夜が呟く。
「これ、あなたに返すわ」
「え……?」
鈴仙の手に置かれたのは先日のガラス玉だった。
「あの、これ……」
「約束……だったしね」
「約束……? あっ――」
――いいですか? 約束ですよ?
――あげるんじゃないですからね。貸すだけですよ。
――これ、私の宝物なんですよ。
――もし、私が約束を忘れてたら返してくださいね。絶対に思い出しますから。
――大丈夫ですよ。どんなことがあっても、私はずっと一緒ですから。
「…………」
鈴仙の記憶の片隅に置かれていたカケラたちがパズルのピースのようにつながっていき、ひとつの絵を作っていく。
「ようやく思い出したのね」
「これ……私が姫様に貸したんですよね」
「ええ。あなたがここに来て、すぐのことだったかしら」
「すみません……私……」
「いいのよ。私にとっては短い間だったけど、あなたにとっては長すぎるくらいの時間だったのよ、きっと。どれだけ気をつけていても、人の記憶は時とともに色褪せ、風化しちゃうから……」
目を伏せた輝夜の顔が悲しみの色に染められる。
「…………」
改めて鈴仙は思い知らされていた。無限を生きる輝夜にとって、有限を生きる鈴仙の一生でさえ、ほんの一つまみの時間でしかないのだ、と。
「……でも、あなたはちゃんと約束を守ってくれた」
「え……?」
「忘れたの? 『もし、私が約束を忘れてたら返してくださいね。絶対に思い出しますから』って言ったこと」
「姫様……」
「鈴仙。ありがと」
そのとき見せた輝夜の笑顔は一切の悲しみを晴らすあたたかなものをしていた。
望月は微笑み、
星たちは煌き、
その下(もと)に影は並ぶ。
「そういえば、なんでこんな約束したんでしょうか、私たち」
「え? そ、それはその……忘れたわ」
「……それ、一番忘れちゃダメな気がするんですけど」
「べ、別にいいじゃない。そんなこと」
そっぽを向く輝夜の顔は少し赤みを帯びていた。
「……ねえ、鈴仙」
「はい?」
「今度は忘れないでよ?」
「はい。任せてください」
「ああ、忘れたら罰を受けてもらうからね」
「え……?」
「そうね……私の部屋で一晩過ごしてもらおうかしら」
「あの、姫様……?」
「もちろん、私の布団で一緒に、ね」
「…………」
次は忘れちゃいけない。そう思う鈴仙だった。
夜はますます更け、草木も眠りにつくほどの時間。
「……姫様の言葉の意味、ようやくわかったような気がします」
ガラス玉越しに月を見上げ、鈴仙がポツリと呟く。
「そう? それじゃあ、あなたにも視えているのかしら?」
「ええ――」
愛がなければ視えない、
『思い出』というかけがえのないものが。
その一角に生い茂る竹の林のなかにある永遠亭は今夜も静かな時間を有していた。
「…………」
この屋敷の主である蓬莱山輝夜は縁側に腰を下ろし、空に浮かぶ月を手にしたガラス玉越しに見上げていた。
「……ほんと、いつ見ても綺麗ね……」
天に広がる夜空のような漆黒の長髪(ながかみ)が風に揺れる。
月を、その前にあるガラス玉を見上げる彼女の瞳が細く、優しいものにその形を変えた。
「まだ起きてらしたんですか?」
通路の陰から出てきた少女の長いうさぎの耳や長い髪、そしてブレザーやスカートに月明かりが照らされる。
「イナバ……」
ギシ……と、洋館では聞くことのない、和屋敷ならではの木のきしむ音の生み出し主である鈴仙・優曇華院・イナバは意外そうな顔をしていた。
「お月見ですか?」
「ええ。今日は綺麗に見えると思ってね」
「そ、そうですか……」
普段はすぐに眠る輝夜が、この時間に、それもただ月を見るためにだけにこうして起きているのは鈴仙にとって意外でしかなく、ただ苦い笑みをこぼすだけだった。
「……なんか腹立つわね、その反応」
「あはは……」
もっとも、その思いの一部は輝夜に伝わってしまったみたいで、損なわれた機嫌が表情に出ていた。
「……あれ? それ、ガラス玉ですか?」
「え、ええ……」
「?」
わずかな驚きを見せる輝夜に鈴仙の長いうさみみがピクリと動く。
「…………」
「姫様?」
「え? なに?」
「あ、いえ。どうしちゃったのかなって思って」
「そう……」
「ぁ……」
そうして口を閉ざしてしまった輝夜。
「き、綺麗ですね。今夜の月は」
「……そうね」
「雲もないですし、絶好の月見日和ですよね」
「……ええ」
「…………」
「…………」
「あの……寒くないですか?」
「……私は大丈夫よ」
「そ、そうですか……」
「……ええ」
「…………」
「…………」
鈴仙が黙ってしまえば黙ってしまい、話題を振っても生返事と、その場にいるものとしてはいささか居心地のよくない雰囲気だった。
そんなやりとりから一時が経とうとしていた。
「き、綺麗といえば、そのガラス玉も綺麗ですよね」
「……当然よ。これは特別なガラス玉なのだから」
ようやく輝夜の口から気のある言葉が返ってきたのだ。
「特別……ですか?」
「ええ。特別よ」
「私には……ただのガラス玉に見えるんですけど」
輝夜の手にあるガラス玉をまじまじと見てみるも、特別変わったところはない。あるのはガラス玉に映った、首をかしげている鈴仙の姿だけだった。
「ふふっ。愛がなければ視えないのよ」
「愛……ですか?」
輝夜の口から出た言葉に鈴仙は鳩が豆鉄砲を食らったよな、きょとんとした驚き顔をしていた。
「そう、愛よ」
穏やかに微笑み、輝夜は続ける。
「愛がなければ視えないものもあるということよ」
「愛がなければ、視えない……?」
そんな彼女に鈴仙はただ首をかしげるだけだった。
そして白銀の月が沈み、黄金の陽が昇り、永遠亭をその輝光(きこう)で照らす。
「愛がなければ視えないものある、か……。いったいどういうことなんだろ」
先日の輝夜の言葉が気になるのか、ぽつりと呟きながら廊下を行く鈴仙だが、その答えが見える気配は一向になかった。
「ん~……やっぱり師匠に聞いた――みぎゃっ!?」
ドスン。と、なにもない廊下で突然なにかに蹴躓いて派手に転ぶ鈴仙。スカートはふわりとめくれ、隠れていた布地があらわにされていた。
「くすくすっ。『みぎゃっ!?』だって」
そんなパンツ丸出しで転ぶ鈴仙を見下ろし笑うのは鈴仙より少し短いうさみみの少女、因幡てゐだった。鈴仙を引っ掛けた片足はしてやったりと言わんばかりにお尻を突き出して転んでいる彼女に向けられていた。
「った~……。ちょっと、てゐっ! なにするのよ」
「なにって、眠そうにしてたから目覚ましに」
「そんなこと頼んでないわよっ」
「くすくすっ」
「な、なによ」
「別に~♪ 今日は水色なんだな~って」
「っ!?」
顔を真っ赤にしてスカートを元に戻す鈴仙だが、時すでに遅し。てゐには十分すぎるほどのからかう材料を与えてしまっていた。
「昨日はピンクだったよね~」
「て、てゐっ!!」
「あははは。引っかかるほうが悪いんだよ」
「こんの、待ちなさいっ!」
「あははっ。待てといって待つバカはいないよ~♪」
悪戯好きのてゐに、おドジといっても過言ではない鈴仙。朝から行われる彼女たちの賑やかなやりとりは永遠亭の誰もが知る、茶飯事といってもよかった。
二人の追いかけっこが始まってから十数分。今日も鈴仙はてゐを捕まえることができず、部屋で腰を落とすことになった。
「はぁ……はぁ……」
「鈴仙は朝から元気だねぇ~」
「誰のせいよ!」
息ひとつ乱していないてゐに対して、全力疾走直後のように肩で息をする鈴仙。この差は純粋に体力差というわけではなく、てゐの仕掛けていた数々の罠に鈴仙がことごとく引っかかってしまったためである。
「仕方ないじゃん。鈴仙面白いんだもん」
「…………」
「くすくす」
息を整え終えた鈴仙の表情に無言の怒りが浮かぶも、てゐはまったく気にせず笑っていた。
「はあ……もういいわ。それより、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なになに? わたしとエッチなことしたいって?」
「黙れ、百合うさぎっ」
目を輝かせるてゐを反射に近い速度で一蹴する鈴仙。
「別にわたしはいつでもオッケ――」
「だから違うって!」
「もしかして、お師匠様と……!?」
「人の話を聞けーっ!!」
事の真意は不明だが、てゐが鈴仙に向けた――頬を赤らめてなにかを期待する、潤みのある眼差しと、間髪入れずに出てきた鈴仙の冷たい一言があったのは紛れもない事実だった。
「ちぇ……。で、聞きたいことってなに?」
「……愛が視えなければ視えないものって知ってる?」
「愛がなければ視えないもの?」
ほへ? と、やはり鈴仙と同様に首をかしげるてゐ。
「昨日、姫様が言ったのよ。愛がなければ視えないものもあるって」
「ふ~ん。愛、ねえ……」
「なんのことかわかる?」
「…………」
「てゐ?」
「……まあ、わからなくもないと思うけど」
「え?」
「要は愛があれば視えるんでしょ? だから、今からわたしと愛を――」
「撃つわよ」
指でつくった拳銃の口をてゐに向ける鈴仙。
「やだなあ。冗談だよ、じょーだん」
苦笑いを浮かべるてゐに対し、
「…………」
鈴仙の目は本気だった。
「……というわけなんですよ」
「なるほどね……」
てゐのもとをあとにした鈴仙が訪れたのは輝夜をはじめ、みなの母親的存在である八意永琳の部屋だった。
「やっぱり師匠もわかりませんよね」
「そうね。私にも姫がそのガラス玉を通して、なにを見ていたかはわからないわ」
「ですよね……」
「けど、なにを見ていたかはわかるわよ」
「え……?」
鈴仙には永琳の言っていることがまったくわからず、目を丸くしてただ驚くばかりだった。
『なにを見ていたかわからないが、なにを見ていたかはわかる』
どう考えても矛盾した話である。
「師匠、いったいどういう……」
「あなたなら視れるわよ。愛さえあればね」
「…………?」
「ふふっ。あとは自分で考えなさい」
「し、師匠~」
「私が教えてあげられるのはここまでよ。でも……」
「でも……?」
「あなたに愛をあげることくらいなら――」
「……謹んで遠慮します」
服の一番上の留め具を外し、続いて第二の留め具へ手を伸ばしながら色めいた目線を送ってくる永琳に鈴仙はその先の展開に既視感を覚えつつ、その言葉をさえぎった。
「遠慮することないわ。あなたのためなら、私は一晩でも二晩でも……」
「いえ、本当にいりませんから……」
「まさか、もうてゐと……!?」
「あなたもですか……」
永琳が本気だったかはさておき、その後は蟲惑的な笑顔を見せるだけで、彼女の口から得れることはなにもなかった。
そうして日は沈み、月がまた昇る。
「結局、師匠はなにを言いたかったんだろ……」
夜の帳が下ろされた空を見上げ、永琳の言葉を思い返す鈴仙。
――なにを見ていたかわからないが、なにを見ていたかはわかる。
この言葉が矛盾していることくらい、月の頭脳とまで呼ばれた彼女には自明のはずである。
「はぁ……」
結局のところ、永琳の思惑を知るのもまた輝夜の言葉と同じくらい至難なものだった。
「あら、まだ起きてたの?」
「あ、姫様……」
ギシ……と、洋館では聞くことのない、和屋敷ならではの木のきしむ音を立てながら、見ているだけで心を奪われ、狂気に落ちてしまいそうな満月の光に彩られ、輝夜はくすりと笑っていた。
「お月見かしら?」
「あ、いえ。ちょっと考え事を……」
昨日とは
「考え事ねえ……もしかして、昨日のこと?」
「え、ええ。まあ」
「それで、答えは見つかったかしら?」
「いえ……」
「そう……」
「…………」
「…………」
流れる沈黙と時間。
月に雲がかかり、そして晴れる。
「……仕方ないわね」
それほどの時間が過ぎたころに、ぽつりと輝夜が呟く。
「これ、あなたに返すわ」
「え……?」
鈴仙の手に置かれたのは先日のガラス玉だった。
「あの、これ……」
「約束……だったしね」
「約束……? あっ――」
――いいですか? 約束ですよ?
――あげるんじゃないですからね。貸すだけですよ。
――これ、私の宝物なんですよ。
――もし、私が約束を忘れてたら返してくださいね。絶対に思い出しますから。
――大丈夫ですよ。どんなことがあっても、私はずっと一緒ですから。
「…………」
鈴仙の記憶の片隅に置かれていたカケラたちがパズルのピースのようにつながっていき、ひとつの絵を作っていく。
「ようやく思い出したのね」
「これ……私が姫様に貸したんですよね」
「ええ。あなたがここに来て、すぐのことだったかしら」
「すみません……私……」
「いいのよ。私にとっては短い間だったけど、あなたにとっては長すぎるくらいの時間だったのよ、きっと。どれだけ気をつけていても、人の記憶は時とともに色褪せ、風化しちゃうから……」
目を伏せた輝夜の顔が悲しみの色に染められる。
「…………」
改めて鈴仙は思い知らされていた。無限を生きる輝夜にとって、有限を生きる鈴仙の一生でさえ、ほんの一つまみの時間でしかないのだ、と。
「……でも、あなたはちゃんと約束を守ってくれた」
「え……?」
「忘れたの? 『もし、私が約束を忘れてたら返してくださいね。絶対に思い出しますから』って言ったこと」
「姫様……」
「鈴仙。ありがと」
そのとき見せた輝夜の笑顔は一切の悲しみを晴らすあたたかなものをしていた。
望月は微笑み、
星たちは煌き、
その下(もと)に影は並ぶ。
「そういえば、なんでこんな約束したんでしょうか、私たち」
「え? そ、それはその……忘れたわ」
「……それ、一番忘れちゃダメな気がするんですけど」
「べ、別にいいじゃない。そんなこと」
そっぽを向く輝夜の顔は少し赤みを帯びていた。
「……ねえ、鈴仙」
「はい?」
「今度は忘れないでよ?」
「はい。任せてください」
「ああ、忘れたら罰を受けてもらうからね」
「え……?」
「そうね……私の部屋で一晩過ごしてもらおうかしら」
「あの、姫様……?」
「もちろん、私の布団で一緒に、ね」
「…………」
次は忘れちゃいけない。そう思う鈴仙だった。
夜はますます更け、草木も眠りにつくほどの時間。
「……姫様の言葉の意味、ようやくわかったような気がします」
ガラス玉越しに月を見上げ、鈴仙がポツリと呟く。
「そう? それじゃあ、あなたにも視えているのかしら?」
「ええ――」
愛がなければ視えない、
『思い出』というかけがえのないものが。
ガラス球の向こう側に月を見る月人と月の兎の姿が、自然と脳裏に浮かびそうです
あとパンツ
忘れてた物を思い出させてくれました。
あとパンツ
愛ゆえに、ガラス玉の向こう側に故郷を見る想う永琳と輝夜、鈴仙が幻想的で美しいです
コミカルなパートとシリアスなパートがお互いを引き立てているとでも言うべきでしょうか……
あとパンツ
なるほど、染みてくる内容でした。
とても良かったです。
あとパンツ
特に最後の一文が素敵。
あとパンツ
でも、個人的にはもう少し人物を掘り下げて展開される話を見てみたかった
あとniceパンツ
あとパンツ