※花と死体で話三つ。
話三つで、一話。
【墓場にて】
風は柳を吹いてゐます
どこにこんな薄暗い墓地の景色があるのだらう。
『艶めかしい墓場』より
[アリス]
手を突くと土の香りがした。草の匂いの中、アリスは隷書で書かれた五文字を見つめている。こうして彼女の墓を訪ねるのは二度目だが、想像していたよりもずっと荒れていない。これなら雑草を申し訳程度に抜いておけばいいだろうと、しゃがみ込んでわずか五分。すでにやることなど何もなくて、アリスは次の行動に悩んでいた。こんなにすることが無いとは夢にも思わずにいたから、一週間前からこの日に行こうこの日に行こうと気合いを入れていただけに拍子が抜けてしまう。せっかく掃除用具一式を待機させてきたのに、それらは全部徒労のようだった。常ならば掃除の手間が省けたと喜ぶところなのだが、飛ぶのも一苦労である今現在、損をしたという気分の方が大きい。こうなるとわかっていたなら、もっと過ごしやすい時間を選んだものを。
「それにしても」
アリスは辺りに目を遣った。視線の先には花の散った梅の木が一本きり。近くに人家の影すらなく、その梅の他には草があるだけの、何とも殺風景な様子。墓の周りだけ緑が少ないのは、無造作に置かれた敷石の功績だった。これがなければこんなところに墓が有るなどと誰も思わないだろう。さみしい場所だなぁとアリスは思う。墓が置かれているこの辺りは、春にはカタクリが咲くとあの人は言っていたけど、梅雨の気配のある今となっては、その面影など何処にもない。だいたい、今年はカタクリ以外も咲いていただろうに。今年以外にも来たことがあるのかなと思う。霊夢の方にはちょくちょく顔を見せているようなことは言っていたけど。あれでけっこう忠実なのだろうかと思いかけ、すぐに否定する。ここには梅とカタクリ、博麗霊夢の墓周りにも四季の花が咲いていたはずだ。花を追って歩き回るのが生き甲斐の彼女のことだから、ついでに参っただけだろう。
「それにしても」
とアリスはもう一度言った。
「結局、貴女は死んでも人里には戻らなかったのね」
だから寂しい場所なのだろう。ここには彼女のもの以外、他の墓は一つもない。
「魔理沙」
久しぶりに呼んでみる。懐かしい気はしなかった。新鮮な気もしなかったから、アリスはそこに少しだけ安心する。今年の春は随分と花が咲いたから、いろんな名前があまりに遠くなってしまったけれど、魔理沙の名前はまだ大丈夫のようだった。まだ手の届く範囲にあることが嬉しくて、アリスはもう一度名前を口にする。
「霧雨、魔理沙」
今度もちゃんと出てきてくれた。記号としてではなく、朧気にも感情を纏っている。良い調子だとアリスは満足した。そうだ、と勢いづく。この次は霊夢の墓にも行ってみよう。そうして名前を呼んでみよう。今度は懐かしい気がするかもしれない。すればいいのに、と思う。それで、少しだけ泣けたらいいなと希望する。そういう妖怪で良いじゃない、そういう妖怪でいなさいと、冬の終わりに肯定してくれた人がいるから。アリスは久々に、思いっきり泣いたり笑ったりしたいのだ。
最後に霧雨魔理沙の五文字をもう一度水で濡らして、アリスはその場を後にした。
帰りの途中に無縁仏を見つけた。
また墓である。
きっと今日はそういう日なのだろう。
そう思って、アリスは道草を決めた。
おまけにオソロシイ妖怪も見つけた。
花の妖怪、幽香である。
今日はどういう日なのだろう。
疑問に思って辺りを見渡すと、白詰草が群生していた。
なるほど、彼女を呼んだのはこれらしいとアリスは納得する。それにしても、この時期花なんて選り取り見取りだと言うのに、こうして鉢合わせてしまうとは、一体なんの故か縁があるのやら。白詰草の花期は長い。開花を追うような花ではあるまいに。それとも、花期が長い花だからこそ、彼女はこれを宿場と定めているのか。いずれにせよ、高い確率というわけでもないのにね-というようなことをつらつらと口にする。すると幽香は神妙に頷き、
「当然じゃないかしら。墓場というのは人と会う場所だもの」
と、洒落た言葉を返してきた。なるほど、それは確かにその通りである。珍しく素直に頷ける話だったので、アリスはそれもそうねと首肯する。どうもこれがまずかったらしい。幽香の話はそこで終わらず、彼女は少し改まった調子で、僅かばかり声を張り上げた。
「それにしても墓石というのは気にくわないわ。これでは草も生えやしない。ねえ、アリス。葬るという字を書いてご覧なさい。ほら、死は草の下にあるの。人は石の下ではなく、草花の下で眠るべきだとは思わないのかしら」
さあ始まったぞとアリスは思った。最近はまともに張れる人がいないとかで、この妖怪は少々とは言えないレベルに欲求不満なのだ。おかげでこうしてしょっちゅう捕まっては、アリスは謂われのない小言を受ける羽目になる。毎度毎度律儀に聴かなくてもいいじゃないと言う話だが、言ってみれば病み上がりであるアリスには、この妖怪を振り切る術など持ち合わせていないのだった。人形相手に静かに暮らしているだけなのに、何故こうも絡まれるのだろう。この先体調が回復したら、小言が弾幕になるのだろうか。勘を取り戻すにはハードな相手だなぁと、今から溜息が重くなるのは仕方がないことだろう。幽香の言葉はさらに続く。
「生きている内は傲慢さが目立つのよ。それが大きな影を作るから、多くの人は綺麗に咲けないわ。せっかく土に還れば花の色になれるのに、どうしてこうも人間は強情なのかしら。この墓場もそう。砂利などひいて、無粋なことこの上ない」
死体なんて物は一つ残らず、野原か桜の下に埋まればいいのに。そんな風に幽香は言うけれど。
「強情とかじゃあなくて、単に寂しいのかも」
ふと、言葉が口を突いて出る。花に関して彼女と揉めるのは馬鹿な行為とアリスも黙っていたが、死が絡んでくるなら話は別だ。聞きましょう、と幽香が言葉を切り、待ちの態勢に入ったのを確かめてから、アリスは続ける。
「魂は花にも入れるけれど、それでも魂は躰が恋しいの。恋しいから、きっと躰を誰にもあげたくないのよ」
「入れ物が欲しいなら、肉体よりも花の方が優れています。死んだ魂の入れ物ならね」
「どうしても花では駄目なんでしょう。幽香は墓石には躰を入れると言うけど、私は思い出を入れるんだと思うわ。躰はほら、一番思い出が詰まっているもの」
確か、外では墓場のことをメモリアルパークと言うことがある、と八雲紫が言っていた気がする。
「思い出ね。死体は貴女の持っている人形とは違うのよ?」
「言われなくても、一緒にしてなんていないわ」
幽香の言葉にほんのりとからかいが混じっているのを耳聡く聞きつけ、アリスは少しむっとした。
これが、墓参りの時の話である。
【桜惑い】
おまえ、この爛漫と咲き乱れている桜の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まっていると想像してみるがいい。何が俺をそんなに不安にしていたかがおまえには納得がいくだろう。
馬のような屍体、犬猫のような屍体、そして人間のような屍体、屍体はみな腐爛して蛆が湧き、堪らなく臭い。それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。桜の根は貪婪な蛸のように、それを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食糸のような毛根を聚めて、その液体を吸っている。
何があんな花弁を作り、何があんな蕊を作っているのか、俺は毛根の吸いあげる水晶のような液が、静かな行列を作って、維管束のなかを夢のようにあがってゆくのが見えるようだ。
――おまえは何をそう苦しそうな顔をしているのだ。美しい透視術じゃないか。俺はいまようやく瞳を据えて桜の花が見られるようになったのだ。昨日、一昨日、俺を不安がらせた神秘から自由になったのだ。
今こそ俺は、あの桜の樹の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑めそうな気がする。
『桜の樹の下には』より
[霊夢]
とにかく夜鳴きソバが食べたくなったのである。
夜半で、春であった。桜の盛りである。花冷えの言葉のあるとおり、春といえどここ数日はよく冷える。昼間でも風が吹くと思わずぶるりと身を震わせてしまうのだ。夜の今、屋台の出ている辺りの寒さはどれほど骨に堪えることだろう。想像するだけで寒くなってくるようだ。いやなに、それ用ではないが麺ならあることにはあるのだ。スープも何か適当にこさえてしまえば、この家でだって食べられないことはない。しかし、それでは何か違うと博麗霊夢は思うのだった。
幻想郷でほとんど唯一とって言い夜鳴きソバ屋はおんぼろで、その小さな屋台を切り盛りする店主もそうとうの年代物だ。その為だけでは無いだろうが、店はいつもやっているというわけではない。まず暑い時分にはやらない。材料が悪くなるし、そもそも人もあまり来ない。暑い夜に空腹を覚えたからといって夜鳴きソバ屋に入る奴がどれほどいるか。はいお待ちと出された丼からもうもうと湯気が立ち上がれば、思わず顔を背けたくなるというもの。いくら暑いときこそ熱い物を食べるべきと言われようと、夜鳴きそばでそれは無い。
だから屋台は寒い時期――――――――だいたい秋口から山桜が散る頃――――――――にやってきて、三日に一回くらいの頻度で、おでん屋と並んでのんびりと客を相手している。ソバと言っても蕎麦粉で出来た蕎麦は出てこない。麺は卵色をしていて、スープは金色だ。葱も海苔も乗っかるが、海苔は細かく切らずに札状のを2、3枚スープの上に浮かばせる。具はこれだけ。後は何にもない。
粗末な具とシンプルなスープ、気をつけないとすぐに無くなり、しかしゆっくり食べると美味しくなくなる麺。その一品しかない[夜鳴きソバ]を、妙に達筆な字で書かれれている品書きは、湯気でしわしわによれて、薄汚れている。心許ない灯りは弱々しく、黒ずみ傷だらけの屋台を照らして、狭いから肩を寄せ合って座る客の背後には、せめてもと焚き火が燃えている。その燃える木の弾ける音と炭になっていく匂い、漂う油っぽい空気。それからあの揺れる提灯。
ぷわぁーと妙に切ない喇叭の音が夜を震わせ、後に引いていくのを聞いて、里の人間と夜を行き交う妖怪達は、今日もあの店主が存命であることを知るのである。
この幻影達が、霊夢にはすぐ近くにあるように思えてならなかった。やはり家では駄目だ。いてもたってもいられなくなる。こうなってしまってはもう諦めるのは無理な話で、霊夢はこんな時間に何処へ、という同居人の声を振り切り、春の夜空へと繰り出していった。
近づいてくる灯りを見て、霊夢は安堵の溜息を吐く。
この寒い中出てきたのだ。やっていなかったらどうしてくれようと思っていたが、それは杞憂だった。
「今日は人が多いわね」
屋台の定位置は見事な桜が数本植わっていて、拓けている。備えの椅子だけでは足らないと見えて、店からちょっと離れた焚き火の傍に数人が固まっている。椅子の代わりには切り株と太い丸太が転がされていた。焚き火は二つあったので、霊夢は一人だけしかいない空いている方に座る事にした。本当は人が多い方が寒くなくて良いのだが、あちらはすで定員オーバーだったので断念した。先客に失礼、と声をかけ腰を下ろす。
「おや、紅白の目出度い奴」
「うん?」
聞き慣れたフレーズに、霊夢は横を見る。
紅い長髪の妖怪がいた。
「あー、えっと……誰だっけ?」
確かに見覚えがあるのだが、すぐに思い出せず首を傾げる。と、相手は露骨にがっかりした表情を浮かべた。
「倒した相手くらい覚えておいてよ。ほら、紅魔館の―――」
「ああ、一人で陣の門番」
「いや、門番の前は要らない。っというか、それは名前じゃない」
「冗談よ、紅美鈴」
ようやっと思い出せた霊夢がそう呼んでやると、彼女はまぶしいほど晴れやかな笑みを浮かべた。
「それにしても冷えるわね。あれ、あんたもまだ食べてないの?」
「今来たところでね。注文もまだ」
「じゃ、どうせだから一緒に頼んでくるわ。何がいい?って、一つしかないけどね」
「あはは。いや、私も行くわ。こう冥いんじゃ、一人ではね」
各々で持った方が転んだときに被害が一つで済むということだろう。飛べば良いじゃないかと思ったが、霊夢としても片手は空いていた方が何かと都合がいいので構わない。
「はいはい。じゃ、行きましょうか」
名残惜しいが火を離れ、霊夢と美鈴は屋台に向かう。もっと近くで焚けばいいのに、火は店から十間ほど離れていた。おそらくはそれぞれの桜に近いようにと考えてのことだろうが、面倒なものは面倒だ。店主にソバ二つ、並と大盛り、と告げると、今ちょうど火を落としたところで、麺が茹で上がるには少々時間がかかると言われた。なるほど考えてみれば今はかなり遅い時刻で、霊夢が来なければあと一刻もしない内に店は閉っていただろう。
「じゃ、出来たらそっちへ持って行くよ」
「おねがいします」
「俺ももう一杯頂こうかな」
「いいや、あんたはもうやめときな」
持ってくるのが店主なら安全だろう。そう判断して、屋台で食べているお客さんと店主が言い合っているのを背中で聞きながら、霊夢と美鈴は焚き火へと戻った。そうして、ソバが来るまで、何となく二人黙って火を見つめた。夜の火はなんか良い物だ。暫くして、美鈴が口を開く。
「しかし、久しぶりな気がするね」
「そりゃあ、あんたはあんま宴会に来ないしね」
「まぁ門番ってのはね」
「だからすぐに思い出せなかったのよ。あ、それとほら、格好も」
「格好?」
「いつもとちょっと違うじゃない?」
「そう?」
自分の服の腹あたりを掴んで、美鈴はうーんと首を傾げている。
「同じだと思うけど」
「どこが」
いつもは緑色をした服じゃない。そう言うと、今日に限っては白い服の彼女は不思議そうな顔をした。
暫くすると店主ではない人が、丼を両手にこちらへやってくる。よく見ると先程食べ過ぎを窘められた男だった。きっと常連なのだろう。だからといって客を使うのはどうかと思うが。
「はい、まずこっち並ね」
丼が霊夢の前の切り株に置かれる。
「で、大盛りは?」
「あっちです」
考えればわかるだろうと霊夢が美鈴を指すと、指された彼女は「あ、こっちです」と小さく手を挙げた。男はちょっと首を傾げて、
「ええと……うん。じゃ、こっちが大盛りね」
美鈴が大盛りを食べそうに見えなかったのだろうか、腑に落ちないような顔のまま、とん、と丼を余った切り株に置いた。
「お代は後でいいそうだよ。それじゃ、のびない内に食べてね」
言われなくても。さっそく霊夢は箸をとる。美鈴がちょっと苦笑してから頂きます、と手を合わせたので、慌てて霊夢も同じようにした。
寒々とした中、油膜がいっぱいに浮かんだスープの水面には、春の月が映っている。弱々しい光は、しかしやわらかでもあるので、どれほど見上げていても目を痛めることがなった。すっかり麺を食べきった霊夢と美鈴は、今はぼんやりと月と桜を楽しんでいた。どちらも相手の意思を確かめたわけでもないが、店主に追い出されるまで居座る心算だった。他の客はもう帰っているから、辺りは寂然としている。
「やっぱり月は見上げる物よね。黙っていれば美人だし」
「あー、いつだったっけ?聞いた聞いた。月でのこと」
なんでも随分と不思議な物がわんさかあるとか。言いながら、美鈴は箸で水面をつついている。何をしているのかと思えば、小さい油の円同士をくっつけて、どんどんと大きなものにして遊んでいた。子どもみたいなことをする奴だ。
「これ、一度始めると一つにするまで止められないのよね」
「始めなきゃいいじゃない」
「もう始めちゃいました。巫女もどう?」
「遠慮しとく」
月の光と、桜の影。
「神社の桜もなかなかだけど」
他所様のも悪くない。
ふと、何か先程までと違った香りがしたので見てみると、いつの間に頼んでいたのか、美鈴は酒を飲んでいる。
「あ、ずるい」
「別にずるくない。これは私の」
「えー、一杯だけ」
「だめ」
「こんな夜に深酒は良くないわよ」
「平気平気。絶対に酔わないから」
言外にお前には一口も分けないよと言われた。ううむこんな強情な奴だったっけと霊夢は疑問に思う。どうにも情けない姿しか記憶にないのだが、思い返せばそれは美鈴の身内に対してだけのような気もした。美鈴は落ちてきた花びらを杯で受け止め、「これはこれで風流ね」とそのまま桜ごと酒をあおった。横でこんなことをされると面白くないのだが、美鈴は本当に嬉しそうに飲んでいる。案外こいつも宴会に参加したかったのかな、と考えると、少しだけ許してやろうという気が起きなくもなかった。
「それにしても」
「うん?」
「見事な桜ねぇ」
隣は極力見ないことにして、霊夢は上に視線をやった。
「神社(うち)のよりずっと紅いわね。こういう桜を見ているとあの話を思い出すわ」
「あの話?」
「桜がほんのりと紅いのは、てやつ。考えてみれば可笑しな話よ。それこそ桜より真っ赤な花なんて腐るほどあるし、体には血以外の部分がいっぱいあるのに、血の色だけを吸っているなんてね。あんたみたいに紅い髪がたくさんあれば話は変わるかもだけど」
おまけに血なんてすぐに黒くなっちゃうのにね。はははと霊夢が笑うと、何故か美鈴は急に手を止めて、
「いえ、あれはそういうのとは違うのです」
真面目な顔をしてそんなことを言った。いつもの気安い空気は先程の春風に吹かれでもしたのか、とうに消え失せていて、今は何だか寒々しい空気が両者の間を漂っていた。すっと背中を冷気に抱かれる。ああそうか、と霊夢は理解する。これが、本来の春の夜なのだ。あんなに湯気をたてていたソバの温かさも、もう体から逃げてしまったようだ。霊夢は自分も彼女のように酒を頼めば良かったと、今更ながら後悔した。そう言えば食べ終えて結構経つのに、店主はまだ声をかけてこない。
「違う、てのは?」
「紅を吸ったから紅というのはわかりやすい話だけど、実際は紅という幻想を吸っているのです」
「幻想?」
「仮に紅い液体を大量に、まぁ、そんなことをしたら桜は枯れてしまうかも知れないけど。それは置いておいて、人一人分くらい桜の根本に撒いたとするでしょう。するとほら、どうなる?」
「どうなるって、やっぱり紅くなるんじゃない?」
「まぁそうなんだけどね」
つまらないことに。
「では、血を抜いた死体を埋めたら?例えばそう、うちのお嬢様の食べ残しとかね」
「あんたのとこは血も残すでしょーが。さてね、紅くならないなら白くなるんじゃない。桜は本来白く咲くものなんでしょう?」
「紅とか白とか目出度いねぇ。それと答えだけど残念はずれ。桜はやっぱりほんのり紅いわ」
「ああ、やっぱり死体は関係ないのね」
「いや違うの。死体は関係あるよ、大ありよ。でも、別に死体が無くても桜は紅いし、死体に血が無くてもやっぱり紅い。何故なら、春が近づくと誰かが死体を想うからね。あの桜は今年もやっぱり紅いのだろうか、去年も紅かったのだから、今年もきっと紅いだろう。それは誰かがあそこに眠っているからなのだってね」
「それが幻想なの?どうして桜だけそうなのかしら」
「みんなそうよ。夢想しているのが死体じゃないだけで、みんながあの花はきっとこんな色になる、この花はあんな色になるって想ってる。偶に出てくる変わり種は、きっと誰からも期待されなかったのか、誰からも期待されすぎたのかどっちかね」
「ふうん。それじゃ、彼岸花なんかは桜と似たように想われているのね、きっと」
霊夢がそう返すと、美鈴は「そうかもねぇ」と頷いて、
「まぁ、全部私の想像なんですけど」
そう言って、きゃらしゃらと高い声をたてて笑った。
ひどく楽しそうに美鈴はひとしきり笑うと、立ち上がってふわりと浮かんだ。
両手を広げる。
「だから、此処の桜がほんのりと紅いのは、他ならぬ私の所為なのさ」
そう言われて、
霊夢はソバ屋に酒なんて売っていないことも、
そもそもソバ屋なんてもう無くなってしまったことも、
月に行ったのがずっと前だということも、
そうして美鈴がとっくの昔にいないはずの妖怪だということも、
全てはっきりと思い出したのだった。
「え」
はっと気がついたときには妖怪の姿はなく、後にはただ桜の木だけが悠然と枝を伸ばしていた。霊夢はただ一人、春の夜に取り残されていた。先程まで美鈴が座っていた切り株を見ると、そこには妖怪がいた証のようにぽつりと丼が置いてあった。ふらつく足取りで中を覗いてみると、器の中には大きな油膜の円が一つあり、水面は春風に揺れながら、その真ん中に月を捉えて震えていた。
【宴の後】
買い物帰りに満開の桜を見た。
そう言えば彼女に花でもどうかと言われたのを思い出す。
どうせ遣る方無い喪失感だ。
それならば。
だから私は、ショートケーキを桜に埋めたのだ。
[咲夜]
納豆がきれていることに気づいたときは、すでに店も閉まっているだろうという時間だった。咲夜は暫く考えて、戸棚の奥をがさごそとやり出した。
「なにしてるんです?」
「いえ、確かこの辺に今年の……あら?」
斜め上から振ってきた声に、咲夜は手を止めてそちらを向いた。すると鼻先に触れそうな位置に下駄の歯があって、ちょっとびっくりする。視線を上へとスライドさせていくと下駄には真っ白い足が付いていて、更に上の天井すれすれのところには天狗の顔があった。もうあと数センチで頭襟をぶつけてしまいそうだが、相手は天狗だ。そんな失態はないだろう。
「どこから入りました?」
「もちろん正面からです。突撃!隣じゃない晩ご飯。本日は山からスープどころか心も冷える距離の紅魔館に来ております!」
「いつから新聞記者からレポーターに転職を?」
「たった今です。だから、夕食を答えても記事に何てしませんよ?」
つまりはただの世間話ということだろう。
「何しているんです?面白いことなら是非聞かせてください」
「面白くないことに、納豆のストックがきれましたわ」
「確かに面白くも何ともないですが。それで?」
「それで、節分に使った豆で納豆を作ってみようかと」
「なるほど!それはどんなふうにするんですか?」
言っても帰りそうに無かったので、咲夜はまぁいいかと仕事を続けることにする。お嬢様の方にいかれるよりはマシだ、と考えたからでもある。
「まず、水を用意して、それからこの豆の時間を腐るように進めれば――――――――」
結論から言えば、勿論節分に使った大豆は納豆にならなかった。
「おかしいですね」
「何がいけなかったんでしょう?」
「やはり、時間を進めすぎたのかしら」
「よく腐るようにと水をかけたのがいけなかったんですよ」
「それなら、水が多すぎたといって貴女が温風を起こしたのは原因じゃないと?」
「でも乾いたじゃないですか」
「乾涸らびてるようにしか見えないけど?」
やいのやいのとお互いに責任を押しつけ合う。
途中ナイフが2、3本ほど天狗に向かって投擲されたが、文はわけなくそれをひょいっと避けた。その所為で壁に新しい傷が出来たが、どうせ明日には無くなっているのだから誰も気にしなかった。
「埒があきません。この議題はひとまずお預けです」
「そうね。今日は納豆ですと言ってしまったし、お嬢様には謝っておかないと。ケーキで手を打ってくれるといいのだけど」
「前から思っていたんですが、レミリアさんって何処の出身なんですか?」
“完全で瀟洒な従者は納豆も作れない”って記事するにはあまりにインパクトがないですねぇ。-勝手なことをぼやいている文を横目に、咲夜は氷室から出してきたホール状のケーキを何等分にするか思案していた。
「どうしました?」
「うちのお嬢様は小食ですから」
大きく分けても残してしまうだろう、と咲夜は言う。かといってフランドールの方を大きく切り分けるのも問題だった。
「余ってしまうわ」
「別に明日に回せばいいじゃないの」
取材モードは止めたのか、ややくだけた言葉が返ってきた。
「固くなるじゃない」
「それこそ時間を止めなさいよ」
「明日のおやつにはもう別の物を用意してるし」
「暫く経って忘れた頃に出すというのは」
「っていうか、私もお腹が空いているのよね」
「早い話、食べたいんでしょ?それならそう言えばいいじゃない」
借りるよ。言って、文は壁に突き刺さったままのナイフを引き抜いた。そうして咲夜がいいと言うより早く、さっとホールを八等分にした。新聞作りなんてマメなことしているだけあって、綺麗に八つともが同じぐらいの大きさに分かれている。
「そのナイフ、洗って無いんだけど」
「いや、風圧で切りました」
「嘘をつきなさい」
「まぁまぁ、いいじゃないですか。ところでお皿は何処に?」
「貴女も食べる気なのですか?」
「美味しかったら記事にしますよ。偶には料理について書くのもいいかもしれませんし。っていうか、もう今回は食べ物特集でも良い気がして来ました。あー何かそんな感じの異変が起きないでしょうか。食べ物に関する可笑しな事件とか」
「なんだか起こしかねない勢いね」
「きっと糖分が足りていないんですよ」
そうして取材をしているんだかしていなんだかわからない天狗とお茶をしながら、咲夜は残りの六ピースについて考えていた。
[文]
「そのケーキ、どうするんです?」
これがお嬢様、これがフランドール様、こっちがパチュリー様で、-ケーキをより分けていた咲夜は、何故か一つだけ皿ではなく紙箱に入れ、形を崩さないように仕舞ってしまった。
「食べるんですか?」
「ちょっとね」
「何ですか?気になりますね」
「面白い事なんてないわよ。どうせ最後に食べるのは鳥なんでしょうし」
本当に食べていた頃だって、半分は誰かにあげてたような気もするし。十六夜咲夜は珍しい口調でそんな事を言った。文はちょっと考えて、それから「ああ」と手を打った。彼女がこんな事を言う相手なんて、新聞記者は一人しか知らない。かつてこの館の門を護っていた妖怪で、ひょっとすると今も護っているかも知れない妖怪。
「なんなら花も添えたらどうです?」
「花ねえ。でも、パチュリー様の話では、美鈴は別に死んだ訳ではないらしいですから」
「それで仏壇も無いんでしたよね」
この館では、そもそも仏壇なんて置かないだろうけど。
「美鈴の部屋がその代わりみたいなものですね」
「うーん。確かに、時々気配を感じますし、案外この話もばっちり聞いていたりし――」
「ませんよ。それに関しては保証出来ますわ」
文の言葉を遮って、咲夜は少しだけ寂しそうな顔をして言った。ひょっとすると彼女も気配を感じていて、何度か話しかけでもしたのかもしれない。そうして、その呼びかけに対しての返事は、一度たりともなかったに違いなかった。
それから後は、ずっと記者として喋った。
二日後、文が里の近くを飛んでいると、博麗霊夢の姿が見えた。近々博麗の巫女を引退すると言っていた彼女だが、文にとってネタに困らない巫女は、今も昔も彼女が一番だ。挨拶がてらに近況を聞くことにした。
「そこな巫女さん。おはようございます。毎度お馴染み文文。新聞です」
「あー。うるさいのが来たわ」
霊夢は心底面倒そうな顔をした後、そうだ、と文に向き直る。
「ねえ、昔でも最近でもいんだけど、この辺りって何かあった?」
「今は桜が満開ですね」
「桜以外で」
「桜じゃないとすると、そうですね。確かちょっと前までは、ここにはよく屋台が出ていましたね」
私もよく立ち寄りました。ああ、あれは美味しかった、と思わず文はしみじみする。
「そう。その屋台よ。ねえ、夜鳴きソバの屋台。あの店主って、何で亡くなったか、あんた覚えてる?」
「何ってこともなくて、普通に寿命じゃあないでしょうか。あの店主は人間でしたし」
「殺されたとかじゃあなくて?」
「今日の霊夢さんは何だか事件の匂いがしますね。でも、あの店主は確かに歳で亡くなったんですよ。葬列をたまたま見たのを思い出しましたが、実に粛々としていて、普通なものでしたから」
ちょっとだけ嘘を吐いた。確かに歳は歳だったが、本当に致命的となった原因は凍死だったのだ。店をやれない体になって数年経ったある秋に、店主は夜になると昔のように車を引いて家を出るようになったという。家の人が何度言っても止めようとせず、そうしてある夜帰らなくなった。空の屋台の傍で冷たくなっている老人を見つけたのは、他ならぬ文自身だ。人一人分重くなった車を牽いて行った文は、家族からそんな話を聞いた。天狗の文が店主の最期を知っているのは、そういう事情からだった。ついさっきまでは忘れていたけれど。天狗の罪のない、そして楽しくもない嘘に、巫女はふうんと頷いただけだった。ともすると天狗である文以上に無感動に見えた。でもそれは霊夢をよく知らない人妖が見たらの話で、射命丸はそれに含まれていないのだ。
「それじゃ、昨日は狸にでも化かされたかしらね」
「おや、何です。巫女ともあろうものが」
「うるさいわね。ちょっと寝ぼけてたのよ」
「気になりますねぇ。是非話を聞かせてくださいよ」
「いやよ。記事されてもされなくても面倒だし」
口ではそう言うが、何だか聞いて欲しそうに見えた。相手が言いたがるような事は大抵記事にならないのだが、そこは巫女である。文はしつこく食い下がることにした。
「そんなこと言わずに。さあさあ!」
うざったい記者の顔を浮かべて、ついでにちょっと目を輝かせてやって、新聞記者は手帳を開く。霊夢はそんな文の様子に溜息をついて、けれど結局口を開くのだ。全く本当に勝手な奴だと言わんばかりだが、それはこちらの感想でもあると文は思うのだ。そうして、自分の周りはそんな勝手な連中ばっかりなので、心おきなく自分も好き勝手に出来ると満足した。
.
誤字(?)報告です。
>「貴女も食べる気なのんですか?」
>「美味しかったら記事しますよ。~」
>「うーん。確かに、時々気配を感じるますし、案外この話もばっちり聞いていたりし――」
このようなタッチの作品は何かと避けられがちなことが多いですが、ここまでするっとしてなおかつ、なんだかドロリとしたものをまるで糸を引くように残して行く作品は初めてかもしれません…
好みは別れるかもしれませんが私にはかなりの秀作に感じられました。
次作も期待しています。
この雰囲気というか作風は「歪な夜の星空観察倶楽部風」と呼ぶべきではないかと、そう思います。
クラシック音楽における「~風」や料理における「ロッシーニ風」などのように。
「alla(アッラ)」を付けたくなります。
凄いなあ…!好い文章読んじゃったなあ…!
最近、歪なさんの投稿頻度が高くて大変嬉しいです。
お話の組み立てが、まるでものを箱の中に綺麗に片付けていくような、そんなすっきりとした読了感。
長いのも短いのもお見事としか言いようがありません。自分の語彙のなさが憎い…
よいお話を拝読しました、ありがとうございました。
咲夜のいない紅魔館はよく見ますが、美鈴のいない紅魔館は余り見ませんから、新鮮でした。
アリスは大分持ちなおしてそうな、というか持ちなおせそうな雰囲気を感じるので
アリス好きとしては嬉しいかぎりです。まだ儚い感じはしますが、それもまたよし。
作品ごとに新しい試みも加えているようで、もう目が離せませんね。
あと、いつもながらカットバックの上手さも嬉しいです。
脱字かもしれない報告です。↓
本当に食べていた頃だって、半分は誰かにあげてような気もするし。-->「た」か「いた」が抜けているのでしょうか?
何故、今まで貴方の作品を読んでこなかったのか、と後悔しつつ、謝辞を。
とても素晴らしい魅せ方でした。色々と試していかれるとの事なので、これからも色々と魅せてください。
プレッシャーを与えるような言葉かもしれません。申し訳ないと、思いつつも、これは勝手な期待なので応えようと思わずに、これからも頑張ってください。
寝る前に読みたくなります。