※かなり甘い話ですので、苦手な方はご注意下さい。
渋い緑茶を片手にお読み頂けると助かります。
□
~♪
早苗はその手に刃物を持って、機嫌良く鼻歌なんか歌っている。
カチャカチャと手際良く準備を進めるその様子を、何をするでもなくじっと見ている霊夢。
「楽しそうねぇ」
「え、何か言いました?」
「いえ、何でもないわ」
霊夢は自分の状態を改めて確認する。
椅子に座らされていて、両手は塞がれている。
言ってしまえば、身動きが取れない状態だ。
(実際には動こうと思えば動けるだろうが)
まあ今の状況を了承してしまったのは自分な訳だが、と溜息を吐く。
(何でこんなことになったのかしらねぇ……)
話は一時間ほど前まで遡る。
□
それは、いつものように二人で境内で何気ない話をしている時のことだった。
「霊夢さん」
「何?」
「ちょっと髪伸びたんじゃありませんか?」
「む、そうかしら?」
言われて自分の髪に手を伸ばす霊夢。
心なしか、手に絡まる髪の量がいつもより多く感じる。
「ああ、確かに伸びたかも」
そういえば最後に髪切ったのっていつだっけなぁ、と思う。
「で、それがどうかしたの?」
早苗はどこか楽しそうな様子で自分を指差す。
「私が切ってあげましょうか?」
「へ?」
予想外の早苗の言葉に、霊夢は疑惑の表情を向ける。
「あんた、散髪なんか出来るの?」
「いや、あはは……。実際に他の人にやったことはないんですが、美容師って何だか憧れてたんですよ。
それで、見様見真似で勉強してる内に色々覚えてしまいまして」
早苗は昔の光景を思い出す。
まだ幻想郷に来る前、『カリスマ美容師』というフレーズが大ブームになり、
理美容師の就業希望者が続出するという時期があった。
まだ小さかった頃の自分は、そのブームにすっかり乗せられてしまった。
神社にあった道具を持ち出して、ごっこ遊びのような感覚で美容師の真似事をしたこともあった。
必死に逃げる神奈子の髪を切ろうとして、あやうく丸坊主にしてしまいそうになったのも、
今となっては良い思い出である。
と、霊夢が怪訝な視線を向けているのを感じ、慌てて早苗は弁明する。
「あ、ごめんなさい、嫌ですよね。慣れてない人に髪を切らせるなんて……」
「じゃあお願いしようかしら」
「……はい?」
思わず間の抜けた返事を返してしまう早苗。
霊夢の口から出た言葉が、自分の中で理解出来なかったから。
ぽかんという表現がぴったりなその顔に、霊夢の方が慌ててしまう。
「な、何よ、そっちから言ったんでしょ。別に嫌だったらいいわよ」
「あ、いえ、そんなことないんですけど……」
「けど?」
「その、本当に私でいいんでしょうか?」
その言葉に霊夢は小さく、けれどしっかりと頷く。
「……私はお願いしようかしらって言ったはずよ」
目を逸らして、少し恥ずかしそうに言う霊夢。
早苗は嬉しくてたまらないといった表情で、「はい!」と首を縦に振った。
□
そして、冒頭の光景に戻るという訳である。
「また、随分と本格的ね」
揃えられた道具を見て、思わず霊夢が呆れたような声を出す。
ちなみに霊夢は既に早苗が持ってきた大きな椅子に座っている。
首から下は真っ白なシーツに覆われており、さながらてるてる坊主のようである。
「ふふ、必要な道具は一通りこっちにも持ってきてたんですよ。
まさかこんなところで使う機会が来るとは思ってなかったんですけど」
そう言っている間に、準備が完了したようである。
「それじゃあ失礼しますね」
「お願い」
早苗の手が、そっと霊夢の髪に触れる。
その瞬間、早苗の全身に痺れとも疼きとも言えない感覚が走った。
思わず櫛を落としてしまいそうになるが、何とか堪えた。
一つ息を吐いて気を落ち着けてから、丁寧な手つきで霊夢の髪に櫛を通す。
早苗は思わず「わぁ」と声を出してしまった。
(すごい!全然櫛が引っ掛からない!)
それほど手入れしているように見えないのに、櫛を入れると何の抵抗もなくスルリと滑り落ちる。
一度櫛を通す度に、鮮やかな黒が陽光に照らされて弾けるように舞う。
綺麗だなぁ、羨ましいなぁと思う反面、そんな綺麗な髪を自分が触れるのが嬉しくなる。
思わず夢中になって、何度も何度も櫛を通す。
繰り返すだけの単純な作業なのに、何故だかずっとそうしていたくなる。
「……ねえ、早苗?」
「はい、何でしょうか」
「いやあのさ、いつまで櫛通してるつもり?」
「へ?」
えーと、と頭の中で目の前の光景と、霊夢の言葉を整理する。
段々と状況を理解して、早苗の顔がみるみる熱を持っていく。
「……あの、私何回くらいやってました?」
恐る恐る、と言った口調で尋ねる。
「正確に数えてはいないけど、三十回は超えてたと思うわよ」
「って、それなら何でもっと早く止めてくれなかったんですか!」
理不尽だとは分かってはいるが、つい声が大きくなってしまう。
正直、恥ずかし過ぎて穴があったら入りたい気分である。
霊夢は「いや、だってさ」と苦笑する。
「何かすっごく楽しそうだったから、止めるのも悪いかなって……」
「はぅう……」
トリップ状態で同じことを繰り返してた上に霊夢にまで気を使われたという事実により、
早苗の顔はもう林檎のように真っ赤になっていた。
霊夢はそれほど余裕があった訳ではない。
早苗の手が髪を撫でる感触がくすぐったくて、でも何となく気持ち良かったから止めるのが躊躇われた。
しかしそれを言葉にするのは余りに恥ずかしいので、ただ黙って俯いていた。
□
チョキ、チョキ
チョキ、チョキ
午後の神社の境内に、規則正しく鋏と櫛を動かす音だけが響く。
「霊夢さん、一つ聞いても良いですか」
「何かしら?」
「霊夢さんって、これまでは散髪とかどうしてたんですか?」
その言葉に霊夢は「んー」と人差し指をあごに当てて考え込む。
「大体、自分でやってたかしらね」
「セルフカット出来るんですか!器用ですね」
「いや、そんなに難しいことはしてないわよ。あんまり伸びちゃったりした時は紫に頼んだりもしてたし」
「紫さんにですか?」
早苗の脳裏に、妖しく笑う紫の姿が思い出される。
「あー、頼んだって言うと語弊があるかも。たまに面倒だからほったらかしにしてると突然隙間から現れて、
『女の子が髪のお手入れをしないなんて言語道断!ほら、切ってあげるからこっちに来なさい』
って聞かないのよ。うるさいったらありゃしない。」
「ははは……そうだったんですか」
(何かそれだけ聞いてると、紫さんが霊夢さんのお母さんみたいだなぁ)
霊夢も言葉ではうざったそうに言っているが、微かに赤くなった頬と、くすぐったそうな笑みを見れば照れているだけなのは一目瞭然であった。
本心では嫌がっていないのだろう。何だか微笑ましい気持ちになる。
これまで早苗は、紫のことを底の知れない妖怪と思い余り近づいていなかったが、
今度宴会で会った時にはゆっくりお話をしてみようかな、と思った。
「でも、早苗も十分手馴れてると思うわよ」
「そうですか?」
「ええ、初めてとは思えないくらい」
「模型とかでは結構練習してましたけどね」
「そういえば、早苗の方はどうしてたの?やっぱり外の世界だから、すごいお洒落なお店とかに行ってたのかしら?」
どこか期待が混じっている口調に、早苗は苦笑して首を振る。
美容師は憧れてはいたが、巫女という立場故か自分で行くようなことは余りなかった。
「小さい頃はお母さんによく切ってもらってました。
その時間がすごく好きで、思わず寝ちゃったこともあったりして」
そこで一息つく。
「その時から、私もいつかちゃんと他の人の髪を切ってあげたいなと思ってたんですが……」
「そうなんだ」
「何だか、幸せです」
ポツリと、独り言のように早苗が囁く。
「初めての相手が、霊夢さんなんですから」
「えっ……?」
今の、どういうこと?と問おうとして……声が出なかった。。
自分が今何か言うことで、この空気を壊してしまうのが怖かった。
降り注ぐ暖かで、柔らかな日差しも。
髪に添えられた二つの手も。
自分の上で響くその声も。
全てが霊夢にとって心地の良いものだった。
それだけで、十分だった。
一方の早苗も、思わず言ってしまった自分の言葉に戸惑っていた。
意識して言ったのではなく、完全に無意識で言ったものだから余計に恥ずかしい。
とにかく、鋏を動かしている手が狂わないように、必死で心を落ち着けようとする。
「お客さん、かゆいところはないですか?」
「じゃあ、背中でもかいてもらおうかしら」
「この状態でどうしろと」
二人揃ってふふっと笑う。
日差しは変わらずに、暖かく降り注いでいた。
「あのさ、早苗」
「何でしょう?」
「その……ありがと」
「……どういたしまして」
□
早苗はこの時間がずっと続いて欲しいとも思っていたが、何事にも終わりは必ず訪れる。
「はい、終わりました」
「お疲れ様」
仕上げにもう一度櫛を通して形を整える。これで基本的には終わりである。
ちょっと名残惜しい気持ちもあったが、早苗は鋏と櫛を用意しておいた台に置く。
首につけていたシーツを外して、隙間から侵入していた髪の毛をはたき落とす。
自分の服も結構あちこちにくっついているので、パンパン、と叩いて落とす。
地面に落ちる髪の毛を見て、ちょっともったいかなぁと考えて慌てて首を振る。
(違う違う!何を考えてるの私ってば!)
「ど、どうですか……?」
「んー……」
手鏡を霊夢に渡し、内心でドキドキしながら早苗が尋ねる。
大丈夫、大きな失敗はしてないはず、と思うものの、相手がどう思うかはまた別だから。
霊夢はしばらく色々な角度から手鏡を見ていたが、やがてうん、と大きく頷いた。
「まあ、悪くないんじゃないかしら?」
その言葉に、早苗はようやくと言った感じで肩の力を抜いた。
ふーっと大きく息を吐く。
「何よ、そんなに大げさに安心することないでしょ」
「だ、だって、気に入らなかったらどうしようかと……」
泣きそうな表情で言う早苗に、霊夢は苦笑するしかない。
こういう真面目な性格は嫌いじゃないが、もう少し軽く考えても良いのにと思う。
「じゃあ、お礼と言っては何だけどこの間良いお茶菓子をもらったの。一緒にどうかしら?」
「いいんですか?是非ご一緒させて頂きます!」
「それじゃ、お茶を入れて来るから早苗はあがって……」
待っててと言おうとして、ふと霊夢の視線が早苗の髪を捉える。
散髪している最中にくっついたのだろうか、エメラルド色の髪の中に一筋の黒い線が見えた。
そっと手を伸ばす。
「何か、ついてる」
霊夢の指先が早苗の髪に触れる。
とくん、と心臓の音が聞こえた気がした。
(柔らかい髪ね……)
さらさら、さらさらと霊夢は手櫛で早苗の髪を梳く。
髪を撫でていた手は、やがて早苗の頬を包む。
そのままゆっくりと撫ぜる。
「霊夢さん……?」
頬に当たる少し冷たいその手の感触に、早苗の頬に朱が差す。
霊夢の顔はそのまま徐々に早苗に近づいていく。
お互いの吐息が掛かるくらいの距離になって。
二人は、それが自然なことであるかのようにそっと瞳を閉じた。
――コツン――
額と額がぶつかる音がした。
我に返って、同時に目を開く。
視界には、お互いの顔がこれ以上ないくらいの至近距離にあった。
「うわぁ!?」
「きゃっ!?」
慌てて二人とも後ろに飛びのいて、尻餅をついてしまう。
「……」
「……」
二人とも、真っ赤な顔を隠そうともせずに見つめ合う。
お互い口をパクパクさせて何か言おうとしているが、声にならない。
(そうだ、お茶、お茶を入れなくちゃ!)
「あ、あの、私お茶を入れて来るから!早苗はそこで待ってて!」
「は、はい!」
もう自分で何を言ったかも分からず、駆け込むように神社の中に逃げる。
早苗は早苗で、呆然としてその場を一歩も動けなかった。
□
居間の前まで来た霊夢は、障子に背中から寄りかかる。
そのまま、へなへなと障子に寄りかかったまま座り込んでしまう。
「はぁ」
先ほど、早苗のそれとぶつかった自分の額に手をやる。
熱い。まるで火傷したかのように熱く感じる。
「さ……なえ……」
漏れ出た声には、いつもよりも甘い響きが混じっていた。
額にやっていた手を、そっと自分の胸に当てる霊夢。
大分落ち着いてきたと思ったのに、心臓の鼓動はトクントクントクンと早いリズムを刻んでいる。
「どうしちゃったのかな、私」
目を瞑れば、脳裏に浮かんでくるのは先ほどの光景。
今まで、誰にも感じることのなかったその気持ち。
胸が締め付けられるように苦しくて、体全体が熱くなって、息をするのも苦しい。
……でも、決して不快ではないその気持ち。
霊夢がその正体に気が付くのは、もう少し先の話
渋い緑茶を片手にお読み頂けると助かります。
□
~♪
早苗はその手に刃物を持って、機嫌良く鼻歌なんか歌っている。
カチャカチャと手際良く準備を進めるその様子を、何をするでもなくじっと見ている霊夢。
「楽しそうねぇ」
「え、何か言いました?」
「いえ、何でもないわ」
霊夢は自分の状態を改めて確認する。
椅子に座らされていて、両手は塞がれている。
言ってしまえば、身動きが取れない状態だ。
(実際には動こうと思えば動けるだろうが)
まあ今の状況を了承してしまったのは自分な訳だが、と溜息を吐く。
(何でこんなことになったのかしらねぇ……)
話は一時間ほど前まで遡る。
□
それは、いつものように二人で境内で何気ない話をしている時のことだった。
「霊夢さん」
「何?」
「ちょっと髪伸びたんじゃありませんか?」
「む、そうかしら?」
言われて自分の髪に手を伸ばす霊夢。
心なしか、手に絡まる髪の量がいつもより多く感じる。
「ああ、確かに伸びたかも」
そういえば最後に髪切ったのっていつだっけなぁ、と思う。
「で、それがどうかしたの?」
早苗はどこか楽しそうな様子で自分を指差す。
「私が切ってあげましょうか?」
「へ?」
予想外の早苗の言葉に、霊夢は疑惑の表情を向ける。
「あんた、散髪なんか出来るの?」
「いや、あはは……。実際に他の人にやったことはないんですが、美容師って何だか憧れてたんですよ。
それで、見様見真似で勉強してる内に色々覚えてしまいまして」
早苗は昔の光景を思い出す。
まだ幻想郷に来る前、『カリスマ美容師』というフレーズが大ブームになり、
理美容師の就業希望者が続出するという時期があった。
まだ小さかった頃の自分は、そのブームにすっかり乗せられてしまった。
神社にあった道具を持ち出して、ごっこ遊びのような感覚で美容師の真似事をしたこともあった。
必死に逃げる神奈子の髪を切ろうとして、あやうく丸坊主にしてしまいそうになったのも、
今となっては良い思い出である。
と、霊夢が怪訝な視線を向けているのを感じ、慌てて早苗は弁明する。
「あ、ごめんなさい、嫌ですよね。慣れてない人に髪を切らせるなんて……」
「じゃあお願いしようかしら」
「……はい?」
思わず間の抜けた返事を返してしまう早苗。
霊夢の口から出た言葉が、自分の中で理解出来なかったから。
ぽかんという表現がぴったりなその顔に、霊夢の方が慌ててしまう。
「な、何よ、そっちから言ったんでしょ。別に嫌だったらいいわよ」
「あ、いえ、そんなことないんですけど……」
「けど?」
「その、本当に私でいいんでしょうか?」
その言葉に霊夢は小さく、けれどしっかりと頷く。
「……私はお願いしようかしらって言ったはずよ」
目を逸らして、少し恥ずかしそうに言う霊夢。
早苗は嬉しくてたまらないといった表情で、「はい!」と首を縦に振った。
□
そして、冒頭の光景に戻るという訳である。
「また、随分と本格的ね」
揃えられた道具を見て、思わず霊夢が呆れたような声を出す。
ちなみに霊夢は既に早苗が持ってきた大きな椅子に座っている。
首から下は真っ白なシーツに覆われており、さながらてるてる坊主のようである。
「ふふ、必要な道具は一通りこっちにも持ってきてたんですよ。
まさかこんなところで使う機会が来るとは思ってなかったんですけど」
そう言っている間に、準備が完了したようである。
「それじゃあ失礼しますね」
「お願い」
早苗の手が、そっと霊夢の髪に触れる。
その瞬間、早苗の全身に痺れとも疼きとも言えない感覚が走った。
思わず櫛を落としてしまいそうになるが、何とか堪えた。
一つ息を吐いて気を落ち着けてから、丁寧な手つきで霊夢の髪に櫛を通す。
早苗は思わず「わぁ」と声を出してしまった。
(すごい!全然櫛が引っ掛からない!)
それほど手入れしているように見えないのに、櫛を入れると何の抵抗もなくスルリと滑り落ちる。
一度櫛を通す度に、鮮やかな黒が陽光に照らされて弾けるように舞う。
綺麗だなぁ、羨ましいなぁと思う反面、そんな綺麗な髪を自分が触れるのが嬉しくなる。
思わず夢中になって、何度も何度も櫛を通す。
繰り返すだけの単純な作業なのに、何故だかずっとそうしていたくなる。
「……ねえ、早苗?」
「はい、何でしょうか」
「いやあのさ、いつまで櫛通してるつもり?」
「へ?」
えーと、と頭の中で目の前の光景と、霊夢の言葉を整理する。
段々と状況を理解して、早苗の顔がみるみる熱を持っていく。
「……あの、私何回くらいやってました?」
恐る恐る、と言った口調で尋ねる。
「正確に数えてはいないけど、三十回は超えてたと思うわよ」
「って、それなら何でもっと早く止めてくれなかったんですか!」
理不尽だとは分かってはいるが、つい声が大きくなってしまう。
正直、恥ずかし過ぎて穴があったら入りたい気分である。
霊夢は「いや、だってさ」と苦笑する。
「何かすっごく楽しそうだったから、止めるのも悪いかなって……」
「はぅう……」
トリップ状態で同じことを繰り返してた上に霊夢にまで気を使われたという事実により、
早苗の顔はもう林檎のように真っ赤になっていた。
霊夢はそれほど余裕があった訳ではない。
早苗の手が髪を撫でる感触がくすぐったくて、でも何となく気持ち良かったから止めるのが躊躇われた。
しかしそれを言葉にするのは余りに恥ずかしいので、ただ黙って俯いていた。
□
チョキ、チョキ
チョキ、チョキ
午後の神社の境内に、規則正しく鋏と櫛を動かす音だけが響く。
「霊夢さん、一つ聞いても良いですか」
「何かしら?」
「霊夢さんって、これまでは散髪とかどうしてたんですか?」
その言葉に霊夢は「んー」と人差し指をあごに当てて考え込む。
「大体、自分でやってたかしらね」
「セルフカット出来るんですか!器用ですね」
「いや、そんなに難しいことはしてないわよ。あんまり伸びちゃったりした時は紫に頼んだりもしてたし」
「紫さんにですか?」
早苗の脳裏に、妖しく笑う紫の姿が思い出される。
「あー、頼んだって言うと語弊があるかも。たまに面倒だからほったらかしにしてると突然隙間から現れて、
『女の子が髪のお手入れをしないなんて言語道断!ほら、切ってあげるからこっちに来なさい』
って聞かないのよ。うるさいったらありゃしない。」
「ははは……そうだったんですか」
(何かそれだけ聞いてると、紫さんが霊夢さんのお母さんみたいだなぁ)
霊夢も言葉ではうざったそうに言っているが、微かに赤くなった頬と、くすぐったそうな笑みを見れば照れているだけなのは一目瞭然であった。
本心では嫌がっていないのだろう。何だか微笑ましい気持ちになる。
これまで早苗は、紫のことを底の知れない妖怪と思い余り近づいていなかったが、
今度宴会で会った時にはゆっくりお話をしてみようかな、と思った。
「でも、早苗も十分手馴れてると思うわよ」
「そうですか?」
「ええ、初めてとは思えないくらい」
「模型とかでは結構練習してましたけどね」
「そういえば、早苗の方はどうしてたの?やっぱり外の世界だから、すごいお洒落なお店とかに行ってたのかしら?」
どこか期待が混じっている口調に、早苗は苦笑して首を振る。
美容師は憧れてはいたが、巫女という立場故か自分で行くようなことは余りなかった。
「小さい頃はお母さんによく切ってもらってました。
その時間がすごく好きで、思わず寝ちゃったこともあったりして」
そこで一息つく。
「その時から、私もいつかちゃんと他の人の髪を切ってあげたいなと思ってたんですが……」
「そうなんだ」
「何だか、幸せです」
ポツリと、独り言のように早苗が囁く。
「初めての相手が、霊夢さんなんですから」
「えっ……?」
今の、どういうこと?と問おうとして……声が出なかった。。
自分が今何か言うことで、この空気を壊してしまうのが怖かった。
降り注ぐ暖かで、柔らかな日差しも。
髪に添えられた二つの手も。
自分の上で響くその声も。
全てが霊夢にとって心地の良いものだった。
それだけで、十分だった。
一方の早苗も、思わず言ってしまった自分の言葉に戸惑っていた。
意識して言ったのではなく、完全に無意識で言ったものだから余計に恥ずかしい。
とにかく、鋏を動かしている手が狂わないように、必死で心を落ち着けようとする。
「お客さん、かゆいところはないですか?」
「じゃあ、背中でもかいてもらおうかしら」
「この状態でどうしろと」
二人揃ってふふっと笑う。
日差しは変わらずに、暖かく降り注いでいた。
「あのさ、早苗」
「何でしょう?」
「その……ありがと」
「……どういたしまして」
□
早苗はこの時間がずっと続いて欲しいとも思っていたが、何事にも終わりは必ず訪れる。
「はい、終わりました」
「お疲れ様」
仕上げにもう一度櫛を通して形を整える。これで基本的には終わりである。
ちょっと名残惜しい気持ちもあったが、早苗は鋏と櫛を用意しておいた台に置く。
首につけていたシーツを外して、隙間から侵入していた髪の毛をはたき落とす。
自分の服も結構あちこちにくっついているので、パンパン、と叩いて落とす。
地面に落ちる髪の毛を見て、ちょっともったいかなぁと考えて慌てて首を振る。
(違う違う!何を考えてるの私ってば!)
「ど、どうですか……?」
「んー……」
手鏡を霊夢に渡し、内心でドキドキしながら早苗が尋ねる。
大丈夫、大きな失敗はしてないはず、と思うものの、相手がどう思うかはまた別だから。
霊夢はしばらく色々な角度から手鏡を見ていたが、やがてうん、と大きく頷いた。
「まあ、悪くないんじゃないかしら?」
その言葉に、早苗はようやくと言った感じで肩の力を抜いた。
ふーっと大きく息を吐く。
「何よ、そんなに大げさに安心することないでしょ」
「だ、だって、気に入らなかったらどうしようかと……」
泣きそうな表情で言う早苗に、霊夢は苦笑するしかない。
こういう真面目な性格は嫌いじゃないが、もう少し軽く考えても良いのにと思う。
「じゃあ、お礼と言っては何だけどこの間良いお茶菓子をもらったの。一緒にどうかしら?」
「いいんですか?是非ご一緒させて頂きます!」
「それじゃ、お茶を入れて来るから早苗はあがって……」
待っててと言おうとして、ふと霊夢の視線が早苗の髪を捉える。
散髪している最中にくっついたのだろうか、エメラルド色の髪の中に一筋の黒い線が見えた。
そっと手を伸ばす。
「何か、ついてる」
霊夢の指先が早苗の髪に触れる。
とくん、と心臓の音が聞こえた気がした。
(柔らかい髪ね……)
さらさら、さらさらと霊夢は手櫛で早苗の髪を梳く。
髪を撫でていた手は、やがて早苗の頬を包む。
そのままゆっくりと撫ぜる。
「霊夢さん……?」
頬に当たる少し冷たいその手の感触に、早苗の頬に朱が差す。
霊夢の顔はそのまま徐々に早苗に近づいていく。
お互いの吐息が掛かるくらいの距離になって。
二人は、それが自然なことであるかのようにそっと瞳を閉じた。
――コツン――
額と額がぶつかる音がした。
我に返って、同時に目を開く。
視界には、お互いの顔がこれ以上ないくらいの至近距離にあった。
「うわぁ!?」
「きゃっ!?」
慌てて二人とも後ろに飛びのいて、尻餅をついてしまう。
「……」
「……」
二人とも、真っ赤な顔を隠そうともせずに見つめ合う。
お互い口をパクパクさせて何か言おうとしているが、声にならない。
(そうだ、お茶、お茶を入れなくちゃ!)
「あ、あの、私お茶を入れて来るから!早苗はそこで待ってて!」
「は、はい!」
もう自分で何を言ったかも分からず、駆け込むように神社の中に逃げる。
早苗は早苗で、呆然としてその場を一歩も動けなかった。
□
居間の前まで来た霊夢は、障子に背中から寄りかかる。
そのまま、へなへなと障子に寄りかかったまま座り込んでしまう。
「はぁ」
先ほど、早苗のそれとぶつかった自分の額に手をやる。
熱い。まるで火傷したかのように熱く感じる。
「さ……なえ……」
漏れ出た声には、いつもよりも甘い響きが混じっていた。
額にやっていた手を、そっと自分の胸に当てる霊夢。
大分落ち着いてきたと思ったのに、心臓の鼓動はトクントクントクンと早いリズムを刻んでいる。
「どうしちゃったのかな、私」
目を瞑れば、脳裏に浮かんでくるのは先ほどの光景。
今まで、誰にも感じることのなかったその気持ち。
胸が締め付けられるように苦しくて、体全体が熱くなって、息をするのも苦しい。
……でも、決して不快ではないその気持ち。
霊夢がその正体に気が付くのは、もう少し先の話
甘々なレイサナご馳走様でした!
もう抜け出せないっす
んもうっ!!!甘すぎて堪りません!!!!
ニヤニヤニヤニヤ
これは良い甘さ
や、甘党ですので大好物ですよ♪
霊夢がここまで早苗を意識しているというのが何か新鮮で、すごく良かった!
なんという甘さw
いいレイサナでしたw
ご馳走様です
この一言に尽きます
あといいから口直しのお茶もってきてよ
まったく……
ご馳走様でした。