※ この話はオリキャラの名も無い村人A視点で進みます。
出来る限りオリキャラ臭を抑えたつもりですがオリキャラが嫌いな方は回避を推奨します。
ある中秋の日の晩のことだった。
日課の剣の稽古を終えて、ふと自害することを決意した。といっても絶望しただの人生の意味だのと大層な理由があるわけではない、剣に飽きてしまったためだ。そんな簡単にと思うやも知れぬが、生憎と生来このように割り切りの早く悩まぬ性格である。加えて剣は私の人生そのもの、それに飽きたということは生に飽きたと言ってよい。
さて、善は急げと人は言う。翌日、早速麻縄を買ってきた。特別工夫する必要もあるまい、首をくくれば人は死ぬ。
ところが試しに首に当ててみたところ随分とちくちくする、これは具合が良くないと思い、麻縄をなめすことにした。なに、それほど手間もかからぬ。
3日後、見事になめされた麻縄が出来上がった。首に当ててもまったく痛まず、むしろ心地よいほどだ。これなら問題あるまい。
道具の準備も出来たので、早速実行に移すことにした。とはいうものの、いかに冷や飯喰いの次男坊とはいえ、自宅で首をくくっては家族がのちのち村内で肩身の狭い思いをするやも知れぬ、それは私の望むところではない。里の外で妖怪にでも襲われたように身を消すのが一番であろう。翌朝、家族にしばらく留守にすると言い残し家を出た。懐中にはなめした麻縄、腰に刀と竹の水筒、手には木刀代わりの杖を持つ、どこから見てもしばらく出かける格好にしか見えまい。私がこうして家を開けるのは時折あることなので、兄も特に気にとめてはいないようだ。背嚢にはいつも通りいくらかの路銀やら握り飯などを入れてある。
しばらく歩き村の外れに来たものの、どこで首をくくるか。あまり村の近くはまずい、何かの拍子に見つからぬとも限らぬ、一寸考えたが、この近辺で村人がみだりに近寄らぬ場所といえば「迷いの竹林」が良いだろう。そうと決まれば足取りも軽く、私は竹林の奥へ奥へと踏み入っていった。握り飯を食べ、休みながら歩き続けることおよそ5刻ほど、もうだいぶ奥まで来たようで、振り返ってもどこが帰り道やら解らぬ。さて、ここいらでよかろう。
そう思い懐中より縄を取り出したところで、はたと気がついた。竹林は高く背を伸ばしており手ごろな枝もない、縄をかけるところが見つからぬ。これは困った、生来あまり深く考えない性質ではあったがこれは失策である。
どうするべきか、そこらの竹を切って太い竹に結び付けて枝の代わりとするか、しかし予備の縄は持っておらぬ、刀の下げ緒で結んでもよいが、少々長さが足りぬやも知れぬ。しばらく思案しているとふと背後に気配を感じ、振り返ると一匹の妖怪兎がこちらを見ていた。よく村へ薬を売りに来る永遠亭の兎である。妙にへにょりとした耳が印象的な兎であったのですぐに思い当たった。
そこな人間、どうしたのか。道に迷ったか。
これはどう答えるべきか。正直に今の状況を答えるのはいささか間が抜けている。
かといって追い払う口実も思いつかぬ。少し落ち着くべく、何も答えずに腰の水筒の水を飲んだところで妙案が思いついた。
小生、永遠亭なる住処にひとたび行ってみたく、竹林に入ったものの道を見失い此処がどこやら解らぬ。
よろしければ永遠亭まで案内してはもらえまいか。
なに、どうせ死ぬ身である。冥土の土産に永遠亭へ行ってみるのもまた一興、しばらく死ぬのが伸びるだけの話である。三途の渡しへの土産話にもなろう。
さいわい、へにょり耳の兎は話のわかる妖怪で、こちらの申し出を快く引き受けてくれた。私は思いのほか竹林の奥へ入っていたようで、半刻も歩かぬうちに永遠亭へと辿り着いた。
永遠亭には初めて足を運んだが、山居としては随分大きい屋敷であった。しかし、そこはかとなく侘びた風情があり、この屋敷の主の趣味の良さが伺える。
玄関で刀を預け、奥へ通されると銀髪の婦人が居た。聞けばこの方が名高い薬師の八意永琳殿とのことで、先ほどの兎は弟子だそうである。丁寧に礼を述べ永遠亭を訪れた一応の理由を説明したところ、なにやらおかしかったらしく、くすくすと笑われた。
すでに日も落ちて暗くなり始めていたため、今日のところは泊まっていくようにと勧められ、こちらも断る理由はないのでありがたく泊まらせていただいた。
案内された客間といい、使わせていただいた湯といい、随分と広く、村の自宅とは大違いであった。翌朝はこちらの主であるという姫に茶の湯に招待され、茶をご馳走になった。なんでも興味本位でここを訪れた人間は初めてで物珍しいらしい。村に居るときにも茶は飲んだことはあるが、比べ物にならないほど美味い茶であった。使われている茶碗等の道具も大変に良いもので、自分にはとても手が出ないものである。正直にそのことを伝えると姫は上機嫌に笑われ、つられてこちらも笑ってしまった。
その日の昼過ぎ、私は丁重に礼を述べ永遠亭をあとにした。ありがたいことに竹林の外れまでは例の妖怪兎が案内をしてくれた。
竹林の外れで妖怪兎に別れを告げ、歩くことしばし、気を取り直して良い場所を見つけねばならぬ。とはいえあまり気にかけることもない、このまま歩けば北の山へ入る、妖怪もよく出る山である。村人が好んで入ろうはずもない。適当に奥まで行ったところで木に縄をかければよかろう。
しばらく歩いたところで、腹の虫が鳴いた。陽を見ればもうじき夕方、さしあたり川で魚をとることにした。手ごろな木の枝を脇差で落とし、小柄で削って即席の手槍を作り、魚をニ匹ほどしとめた。あとは適当に薪を拾って焼くだけである。これを食ったらそろそろ縄をかけるのに適当な木を探すとしよう。
火打石と火口で熾した火種を付け木に移し、焚き火を熾す。このあたりはよく山に篭る私は慣れている。木串に岩魚を刺して焼いているとゴソゴソと茂みを掻き分ける音が耳に入った。おおかた山犬か低級妖怪だろう、まったく人の食事を邪魔するとは無粋な輩だ。刀の鯉口を切って向き直ると、見覚えのある帽子が目に入った。
よもや、と思ったが茂みを掻き分けて現れたのは予想した人物だった。いざという時は里を守り、普段は寺子屋をしている上白沢慧音、慧音先生である。これはとんだ邪魔が入ってしまった。
おや、こんな山中で何をしている。もう日も暮れるぞ。
困ったことに、私は子供時分に先生にお世話になって以来、先生には頭が上がらぬ。邪険に追い払うわけにもいかず、この場は誤魔化して通すことにした。
私が剣の稽古で山に篭るのはよくあることなので、先生も全く疑わずに信じてはくれたが、お前は相変わらずだな、と少々お説教をされてしまった。
やむを得ず片方の岩魚を先生に差し上げ、二人で食べながらお説教を拝聴する破目となった。しかし、これはどうしたものか、先生がこの場を去ってくれなくては、私も手ごろな木を探す作業に取り掛かれない。まさか先生の目の前でそんなことをすれば、たちまち止められ、さらにお説教を受けることとなってしまう。
難渋していると、ふと先生の手に下がった包みが目に入った。話を逸らしたい私が、その包みは何ですかとたずねると、友人への土産物だとおっしゃった。こんな山中に友人が、と私がいぶかしんでいると先生は突然手を打って、この山はよく妖怪も出るしもう日も暮れるのでお前も一緒に来るといい、などと言い出した。固辞したいところではあるが、先生はこう見えて意外と頑固で言い出したら聞かないところがある。しょうがなく先生とともに御友人のところへと行くことになってしまった。
しばらく歩き、あたりも暗くなってきた頃に先生の御友人の家に着いた。寂れた風情のある山庵である。戸口に声をかけると、中から先生と年恰好のあまり変わらぬ女性が顔を出した。聞けばこの方が先生の御友人の藤原妹紅殿とのこと、話してみるとたいへん気さくな方で挨拶もそこそこに中へと通された。庵の中は外見どおり必要なものが必要な分置いてあるだけの、たいへん簡素なものであった。
私が室内を見渡している間に、先生は持ってきた土産物を並べ始め、藤原殿は奥からなにやら木箱を抱えてきた。見れば先生の持ってきた土産物とは、どうみても酒のつまみである。案の定、藤原殿が木箱から取り出したのは酒とおぼしき物だった。私も初めて見るもので、透明の瓶に琥珀色の液体が詰まっている。藤原殿の話によれば「ぶらんでえ」という酒だそうな。博麗神社の宴会で紅魔の悪魔からせしめたらしい。ぶらんでえを注がれた湯呑を手渡され、とりあえず乾杯をすることとなった。口に含んだ瞬間に強い酒であることが解ったが、それ以上にふくよかな口当たりがあり、まろやかな大層美味い酒である。湯呑に残ったものを見れば透き通った綺麗な琥珀色で香りも良い、普段飲んでいるどぶろくとはまた違った、上品な味わいだった。
酒も肴も美味いとあっては話も弾む、藤原殿と先生の話を聞くうちに、私は紅魔の館に興味を引かれた。門番が武術の達人であること、瀟洒な従者が居ること、知識の魔女の住む大図書館があること、などなど。他にも博麗神社の巫女や森の魔女のこと、妖怪の山のこと、色々な話を聞くことが出来た。思えば私は里の外のことはとんと興味を持っていなかった。私の知識にあるのは里の中のことだけである。これはひとつ、紅魔の館を訪ねてみるのも面白いやも知れぬ。なに、多少の危険は承知の上、何事も割り切りが大切である。
翌日、私は途中で先生と別れ、紅魔の館を目指して歩を進めていた。これでも村一番の健脚である。もうじき昼になろうかという頃に、大きな湖のほとりへと辿り着いた。湖の中ほどの陸に大きな館が見える。昨晩聞いた話によればあれが目的の館であろうが、さてどうやってこの湖水を渡ったものか。周りを見渡せど小船の一艘もありはしない。
私は水練の達者で、泳ぐこと自体はどうということはない。問題は腰の刀や着物が濡れてしまうことだ。浅瀬の川ならば、頭の上に括り付けてしまえばよいが、どう見ても水は深い。と、思案している私の眼に遠くの人家が見えた。そうだ、あそこで家人に桶を譲っていただこう、荷物は全て桶に入れて渡ればよい。私はすぐにその人家へと歩き始めた。
訪ねた家屋は人家ではなく、香霖堂という名のよろず屋であった。このような辺鄙な場所に店を構えているだけあって、店の主人もどうやら人間ではない。とはいえ、こちらに害意がないならば何の問題もないことである。店内はまさによろず屋というべく雑多な品物が並べられていた。使い方も解らぬ見たことのない物、魔道書と思しき書籍、かと思えば日用品やお茶や煎餅まで置いてある。見ているだけでも面白い店内ではあったが、生憎と時間は有限である。
私はほどよい大きさの桶を買い求めると再び湖岸へとってかえし、着物や刀、背嚢などを桶へと入れ湖へと身を投じた。秋口とはいえ、さいわい陽気もよく寒さは感じぬ。そうして私は向こう岸へと向かって泳ぎ始めた。
ようやく湖水を泳ぎきり岸へと辿り着いた。木陰で濡れた体を拭き、身なりを整えながら館を見上げれば、たいそう大きな館である。永遠亭も立派な屋敷であったが、こちらは高くそびえた石造りの館であった。造りも里で見るような屋敷とはまるで違う、さりとて傾奇を気取っているわけではなく、均整の取れている豪華な造りである。
なにはともあれ、手土産も持ってはおらぬが、門前にて取り次いでもらわねばならぬ。館にふさわしい荘厳な造りの門へと近づくと、赤髪の女性が門の傍らに寝そべっていた。他に人影も見当たらぬところからして、この御仁が話に聞いた門番のようである。見たところ大変な器量良しの女性で、人間のようにも見えるが妖怪のはずである。しかしそれにしては妖怪らしい威圧感も雰囲気も無い、里にまぎれていても全く気にならないような柔らかな気配であった。さしあたり、この御仁に目を覚ましてもらわねばならぬが、こうまで堂々と気持ちよさげに眠られては起こすほうが無粋に思える。かといって勝手に門をくぐるわけにも参らぬ、そんなことをしては盗人と間違われんとも限らぬし、なにより勝手に忍び込むなど無礼千万である。
こうなってはしょうがあるまい、門番殿が目を覚ますまで待たせてもらうこととしよう。そう覚悟を決めて門番殿の傍らに座り込む、しかし、見れば見るほど緊張感の欠片もない寝姿である。丸っこい熊の子供が寝ているかのようだ。ふと良い暇つぶしを思いついた私は、早速背嚢から矢立と半紙を取り出し筆先をつばで湿らせた。黙って半紙にさらさらと筆を走らせる。この堂々とした寝姿を描き写しておこうと思った次第である。筆を走らせることしばし、なかなか良い具合に描きあがった絵を見て自画自賛する。当の門番殿は相も変わらず寝たままであった。いい加減起きて欲しいものだが、こうもいい陽気とあっては仕方がないのかも知れぬ。
絵と矢立を背嚢にしまいこみ再び視線を動かしたその時、つと勘が働いて、脇に置いてあった杖を素振った。軽い手ごたえと高い金属音、少し離れた地面に異風造りの短刀が落ちた。どうやら門番殿めがけて放たれたようだ。
はたと目をやれば、館にふさわしい洋装を身に纏った銀髪の女性が立っていた。短刀を投げたのはこの女性であろう。門番殿とは丁度正反対のような硬質な美しさのある女性であった。
私が短刀をはじいたのを驚いていた様子であったが、すぐに表情を戻し問いかけてきた。
あなたはどちら様でしょうか、当館に何用が?
特に隠すこともない私は、正直に門番殿が目を覚ますのを待っていた旨を伝えると、それは失礼しました、と謝られてしまった。音につられて門番殿もむにゃむにゃと寝言を言いながら目を覚ましたようである。
少し言葉を交わしたのち、女性は門番殿を門の奥へと引っ張り込んでいった。わずかに聞こえてくる声からして、どうやら門番殿はお叱りを受けているようだ。しばらくして、しょんぼりとした顔つきで出てきた門番殿の姿を見て思わず笑いそうになったが、そこはなんとかこらえて来意を告げる。すると門番殿は私にも済まなかったと謝り頭を下げた。その姿がまた思わず哀れんでしまうほどしょんぼりとしていて、そこでまた吹き出しそうになってしまった。
いや、お待たせして済みませんでした。では始めましょう。
はて、始めるとは何のことやら解らずにいると、門番殿は私に向かって半身に構えた。見たところ拳法の構えのようだが、思わず見とれてしまうほど均整の取れた、一分の隙も見出せぬ構えである。用の美という言葉があるが、まさにその言葉そのものの、相手を打ち倒すためだけの研ぎ澄まされたものであった。私がそうして見とれていると門番殿に、得物は抜かなくて良いのか、と問いかけられ、そこで我に返った。
待て待て、なにゆえ私と門番殿が立ち合わねばならぬのだ。押し込み強盗に来たわけでもなし、私はただの見物人である。あわてて、その旨を門番殿に説明するといささか呆れられ、次いで、少しこの場で待っていて欲しいと告げられた。しばらくして門番殿と一緒に先ほどの女性が現れ、私は先ほどと同じ説明を繰り返し、手土産もないが見物させてはもらえぬか、と問うた。
するとあっさりと逗留を承諾されてしまい、逆にこちらが肩透かしを食ってしまった。一応、腰の刀を門前にて預けようとしたがそれも不要とのこと、いささか無用心が過ぎはしないかと心配になったが、考えてみればここは悪魔の館、私ごときが刀を握ったところでこちらの主には傷一つ付けられまい、おそらくはそういった理由であろう。聞けば館の主人の了解も得たとのこと、ならば私がどうこう言う問題でもあるまい。
先ほどの銀髪の女性に客間に案内されながら、いくらか館内のことを聞いた。聞けば彼女はこの館の侍従長だという、若いのにたいしたものと素直に感心した。案内された客室はこれまた随分と広く、また豪華な造りである。洋風の調度品でまとめられた部屋の壁には窓一つ無いが、不思議と暗くはない。
侍従長によれば、さしあたり館内は自由に行き来してよいらしいが、主の部屋等には勝手に入ってはならぬとのこと。当たり前といえば当たり前な話なので承諾すると、ではあとはご自由にときた。ならばさしあたり館の中を見学させてもらうとしよう。
外から見ても大きな館だとは思っていたが、中に入るとそれ以上であった。魔法でも使っているのだろうか、明らかに外見以上の広さだ。内部は天井が高く洋風なつくりで、調度品も手の込んだ装飾がなされている。窓が少ないのは悪魔の館ゆえか。
これだけ広くては掃除も大変であろうに塵ひとつ落ちておらず、階段の手すりまで磨きぬかれて輝いている。隅々まで手入れが行き届いていることがわかった。いやいや、大したものである。
そうして館内の散策が済むころには夕食の時間となってしまった。妖精の侍女が部屋に食事を運んできてくれたが、これがまた非常に珍しい物ばかりであった。村では見かけない食材におっかなびっくり箸をつけると非常に美味である。こんな食べ物があると知らなかった自分を恥じた。
夕食後、ほどなく眠気が襲ってきた私はそのまま寝台で眠ってしまった。
数日後、相変わらず館に逗留させてもらっている私に、思いもかけない用事が舞い込んだ。なんと館の主人から御声がかかったのだ。
思わぬところで拝謁の栄に浴することとなったが、さてこのような安袴姿で良いのであろうか、せめて紋付を持ってくるべきであったと後悔していたが、侍従長によればそのような気遣いは不用とのこと、それならば私がどうこう言うことではあるまい。
日も落ちた夕暮れ時、侍従長に案内されて主人の待つ間へと足を運ぶと、館にふさわしい装飾のなされた重厚な造りの扉があった。この向こうが主人の待つ間であるそうだ。
いささかの緊張とともに声をかけると、入れ、と短く返答があった。扉に手をかけゆっくりと開ける。扉が開くと目の前に大きな空間が広がった。広い空間の突き当たりに玉座、その脇に門番殿が控えていた。
奥にある玉座に腰掛けている主は一見幼い少女のようである。しかし、姿とは裏腹に妖怪そのものの凄まじい威圧感と怜悧な威厳がある。背中に生えた大きな羽と真紅の瞳、そして口元にのぞく牙が彼女が人間でない事を教えていた。
よく来た人間、興味本位でこの館を訪れるとは珍しい。さあ入れ、もっとこちらに
言われるまま歩を進め、部屋の中ほどで跪くと正座で一礼した。
そのままで話を聞いたがどうやら私は余興で呼ばれたらしい、主の希望で門番殿と一手立ち合うこととなった。見れば門番殿の手にはいつの間にやら唐剣が握られている。木剣を借りようと願い出たが、門番殿は妖怪なので真剣で切りつけて問題ないそうだ。とはいえ相手も真剣を用いるとなれば、これは厄介なことである。
やむを得ず、立ち上がり刀を抜き払う。合わせて門番殿も手にした唐剣を引き抜いた。お互いに構え、間合いをつめる。僅かな緊張をはらんだ剣先を支え、静かに呼吸を整えていく。
空気が粘り気を帯び始めた時、まだやや遠いと思えた距離から門番殿が突きかかってきた。槍のように伸びてくる剣先をいなし、払い上げ、そのまま雁金打ちに切り下ろす。が、どういう身体操法なのか、あっさりと見切られかわされた。
すかさず剣を車にし逆袈裟に切り上げると、これはがっしりと受け留められる。そのまま二の太刀、三の太刀を繰り出し押し込むが柳のように流されてしまった。
一旦間合いを切り呼吸を正すと、今度はこちらからつっかけた。払い、打ち、いなし、突き、二合三合と打ち合う。そのまま五合ほども打ち合い、再び間合いが切れた。
門番殿は拳法使いと思っていたが、剣のほうも素晴らしい手練である。見たところ顔には涼しげな笑みを浮かべ、まだまだ余裕があると見える。正直、底の見えない相手だ。
八双に構えをなおし再び打ち込もうとした瞬間、玉座からからからとした笑い声とともに拍手が聞こえた。門番殿は張り詰めた気を解き剣を下ろす。ならって私も刀を鞘に納めた。
いやいや、美鈴とこれだけ打ち合えるとは大した人間だ。良い余興であった。杯をとらす、こちらへ来い
門番殿と主に丁寧に一礼して玉座へと近づいた。
主はいたく上機嫌であるらしく、背中の羽がぱたぱたと揺れている。気付けばいつの間にか脇に控えていた侍従長の手にギヤマンで出来た杯の乗った盆があった。
主から直々に手渡された杯を見れば、真紅の液体が入っている。よもや生き血ではあるまいが、得体の知れない飲み物であった。とはいえ突き帰すわけにはいかず、覚悟を決めると一気に杯を乾かす。
すると口の中に広がったのは、思いのほか優しげで豊かな芳香だった。素直に感想を口にすると、その場に居た皆に大笑いされる。あとで聞いたところによれば、あれば年代物のぶどう酒だとのこと、なるほど贅沢な味わいであった。
門番殿との立ち合いから三日ほど経った日の昼過ぎ、門前で門番殿と談笑しながら刀の手入れをしていると、どこからともなく急に現れた侍従長が面白い話を持って来た。
なんでも今晩、博麗神社で宴会があるのでよければ一緒に来るかとのことだった。博麗といえば有名な巫女様のいらっしゃる神社ではあるが、いかんせん里から遠くはなれた場所にあるため、実際に博麗の巫女様を見た人間というのはそれほど多くない。ときたま、里までいらっしゃった時に見た者が居るくらいのもので、実際に博麗の社に参拝した者などほとんど居ない。
これはまたと無い機会である。二つ返事で同行することを希望し、その後は刀の手入れを念入りに行った。目釘を新しいものに変え、ハバキや切羽にゆるみが無いか確認し、柄巻を確かめる。刀は私の魂のようなものだ、緩みがあってはならない。本来ならば研ぎに出して、先日の立ち合いの時に出来たヒケ傷も消したいところであるが、残念ながらその時間はない。
刀の手入れを終えた私は部屋へと戻り、背嚢から予備の着物を引っ張り出した。今夜のための準備である。それにしても、よもや紅魔の主が博麗の宴会に参加するとは驚きを隠せない、まあ幻想郷の実力者ということで呼ばれたのやもしれぬが・・・・。
そうして、あれやこれやと準備をしているうちに、いつの間にやら刻限になってしまった。私は空を飛ぶという事が出来ぬゆえ、館の妖精の侍女のひとりに吊り下げて運んでもらう。
ほどなく神社に着くと、境内で巫女様が社務所の縁側に座ってぼんやりとしておられた。紅魔の主は挨拶もそこそこに巫女様に抱きつく、巫女様も迷惑そうな顔はするものの振り払いはしない、あのような大妖にじゃれつかれて気にも留めぬとは大した胆力である。侍従長もそろりと近づくとニ、三、言葉を交わした。私もそれにならい巫女様に丁寧に挨拶をし、いくばくかの賽銭を手渡す。
聞けば宴会の始まる刻限までまだしばらくあるとのことで、そろってお茶をすすめられた。巫女様のくださった茶を飲みながら私も話に加わることにしたが、実際に話してみるといたって気さくな普通の女性で、やや肩透かしを喰らった気分である。とはいえ、やはり博麗の巫女様、言葉の端々や纏う空気が違っていた。おそらく、この方は人妖を本当の意味で区別しないのであろう、紅魔の主が博麗の宴会に参加する理由をそこに見た気がした。
私の抱いた感想を率直に言うならば、とらえどころの無い霞のような存在、もしくは雲ひとつ無い蒼天だろう。おそらく何物も彼女を束縛し得ないに違いない。彼女は常に一人、それゆえに彼女は博麗の巫女なのである。
ややあって、ぽつりぽつりと人や妖怪が集まり始めた。よくよく見れば、ちらほらと見覚えのある顔がある。慧音先生、藤原殿、永遠亭の面々、ときおり里に来る新聞記者の鴉天狗、境内はなにやらごった煮のような状況となっていた。一応、顔見知りには挨拶をして回ったが、慧音先生には何故こんなところに、と詰問されてしまった。またお説教は御免こうむるので、のらりくらりと誤魔化し、そそくさと立ち去る。
しばらくして、特に音頭もなく自然に宴会が始まった。しかし、人妖入り乱れとはこのことであろう、幻想郷の大妖から私のような何でもない人間まで混じって杯を交わしていた。端のほうで静かに飲むつもりであったが、隣に寄ってきた二本角の少女の妖怪がさかんに酒を注いでくる。私に注ぐだけでなく自分もかなり飲んでいるようだが、このようなうわばみに付き合っていては直ぐに酔い潰されてしまうだろう。
少女の注ぐ手を止めるべく世間話などをしてみれば、なんと彼女は鬼であるという。これは珍しい大妖を見たものだ。その大妖に酒を注いでもらえるなど、私もかなり珍しい人間ではなかろうか。鬼に注いでもらった酒を飲みながら、あらためて宴会の無秩序さに呆れかえった。
少々酔いが回ってきたので厠へ立った。用を足してから、水を飲もうと井戸端へ向かうと、行きすがらに奇妙な白い物体を連れた白髪の少女とすれ違った。見たところ年端も行かぬ少女のようであるが、帯びている刀が尋常ではない。腰の後ろに差してある一尺九寸ほどの長脇差はともかく、背負っている大太刀はざっと三尺八寸、どう短く見積もっても三尺六寸以上はゆうにある。よほどの膂力か、あるいは業前に自信がなくては扱えぬ代物だ。
私の刀が二尺二寸であることを考えるとその異常さが解る。よもや伊達や酔狂であのような長物を差しているわけではあるまい、人間か妖怪かは知らぬがおそらくはそれなりの家のお庭番であろう。
私がもといた場所へ戻ると、先程の鬼は既に別の者に絡んでいた。しかし、私が座っていたあたりには、まだ中身の入った大徳利がいくつも置かれている。これは飲めということであろう、やれやれ鬼というのは聞きしに勝るとんだ酒豪だ。しょうがないので手酌でぐい呑みに酒を注ぎ飲み始める。酒の肴はこの混沌とした宴会の風景だ。よくよく見ればさきほどの鬼や鴉天狗だけでなく九尾の狐まで居る。なんとまあ、かような大妖はそうそう目に出来まい。
あたりを眺めながらぼんやりと飲んでいると、ふと藤原殿と目が合った。藤原殿はにやりと笑うと立ち上がってこちらへと歩み寄ってくる。このまま静かに一人で飲もうと思っていたが、どうやらこの空間はそれを許してはくれぬらしい、心の中で大きく溜め息をついた。
あれから藤原殿に連れまわされ、あちらこちらの者と杯を交わす破目になった。慧音先生はもちろん、森の魔女たちや鴉天狗、あげくには妖怪の山の神社に住まう神々や九尾の狐とまで杯を交わした。
ようやっと解放された頃には、度を越して飲んでおり足元がおぼつかぬ、井戸で水を飲むとその場に座り込んだ。しばらく座り込んで唸っていると、自分と同じ様に頼りない千鳥足でふらふらとこちらへ来る者があった。先刻、井戸端ですれ違った少女である。もともと白い顔を真っ赤にしており、一目で泥酔しているのが見て取れた。やむを得ず肩を貸し井戸端へと連れてくると、呂律が回っておらぬがどうやら水が飲みたいようだ。今の彼女では釣瓶も持ち上げられまい、かわりに私が釣瓶を引き上げ、彼女に手渡すとそのままごくごくと飲み干し座り込んでしまった。
一息つくと少女はそのままごろりと横になってしまう、こんなところで寝てはまず風邪を引く破目になるであろう、私は小走りに巫女様のもとへ走り寄り、事情を話して社務所の居間を借りるてよいか尋ねるとあっさりと承諾された。直ぐに取って返し、少女に肩を貸しながら社務所の居間へと連れて行き、座布団を枕代わりに横にならせる。少女の差料は枕元へと置いた。
私もそのまま縁側に座り込む、火照った身体に夜風が心地いい、少女も私も酔いが醒めるまでしばらくかかるだろう。目が覚めた時に白湯の一杯も飲ませてやりたいが、あいにくと釜戸の場所がわからぬし勝手に薪を使うわけにもいかぬ、冷や水で我慢してもらうとしよう。私は戸棚から湯呑を借りると、水を汲みに井戸端へと歩を進めた。
子供時分に覚えた童謡などを口ずさみつつぼんやりとしていると、つと背後で人の起き上がる気配、振り返れば少女が頭を押さえながら身を起こしたところであった。ニ、三、言葉を交わし、汲んでおいた水をすすめる。水を飲むと少女は丁寧に礼を述べてきたが、私自身大したことをしたわけではないので、礼を言われるほどのことはないと返答した。
酔い醒ましがてら、少女とお互いの話などをすることにした。とはいっても私はただの里の人間に過ぎない、少女のほうは名を魂魄妖夢、半人半霊で冥界の住人だという、冥界の白玉楼という屋敷で庭師をやっているそうだ。只者ではあるまいと思ってはいたが、よもやこの世の者ではないとは驚きである。それとなく刀のことを聞くと、やはり普通の代物ではなく妖刀の類であるそうな。話の種にお互いの差料を見せ合うこととなった。
手にとって見れば、少女の大太刀はやはり三尺八寸はあった。抜いてみたところ大太刀にもかかわらず樋は掻いておらず、腰反りの姿に柾目肌、そして鮮やかな濤乱刃の刃紋、肉置きを見ても怖気をふるうような利刀であることが伺える一振りである。拵えは変わったもので、ひじり柄に桜の蒔絵が施され白いふさが付いていた。
かたや私の差料は二尺二寸、抜き打ちに適した中反りであるが、重ねは厚く樋もないためやや重い、杢目肌に匂出来の中直刃の刃紋、あまり飾り気の無い頑健で無愛想な刀である。少女の業物に比べると、いささかどころでなく見劣りする物ゆえ少々恥ずかしい。しかし彼女は気にする風もなく、しげしげと私の差料を眺めると鞘に収めた。
華やかさはありませんが、実直な良い御刀だと思います
その言葉を受け少々面映い気分になった。私も素直に感想を述べると、彼女は嬉しそうに微笑み、ありがとうございます、と頭を下げた。
せっかくの機会なので、これほどの長物を扱いきれるのかと尋ねたところ、昔からずっとこの刀を使っているので平気だと答えられた。幼少の時分からこれほどの太刀を使っているとは驚きである。
しばらくそうして話をしていると、どこからともなく彼女の名を呼ぶ声が聞こえた。途端にするりと宙が裂け、三人の妖怪とおぼしきものが縁側に降り立つ、何やらふわふわとした雰囲気の御仁が一人、あとの二人は先程酒を酌み交わした九尾殿と、どことなく胡散な雰囲気の妖怪であった。
魂魄殿の言によれば、ふわふわとした御仁は彼女の主で、名を西行寺幽々子殿、そして胡散妖怪はその御友人の八雲紫殿だそうな。彼女の主ということは西行寺殿もこの世の者ではないのだろう。とはいえこちらに害意がないなら私には関係のない事である。問題は八雲という妖怪のほうであった。
かすかにだが人食い妖の匂いがするのである。思わず身構えそうになるが、取って喰いはしないので安心せよと言われ、おっかなびっくり刀にかかった手を下ろす。
魂魄殿はその間、主にかいつまんで事情を話していた。話を聞き終わった西行寺殿は、従者が世話になったと礼を述べられたが、礼を言われるようなことをしたわけではないと魂魄殿へしたものと同じ返事を返した。
西行寺殿はこちらの返事を聞いたのち、しげしげと私の顔を眺めてから扇子で口元を隠して笑った。
貴方は魂が死んでいる。身体が生きているだけね
寸鉄人を刺すとはこのことだろう、思わずぎくりとしたが平静を装い黙りこくった。
ふわふわ惚けた雰囲気だがあなどれぬ、まるで何もかもを見透かしているかのようだ。魂魄殿は意味がわからなかったようで、きょとんとしているが、他の二人の妖怪は表情からは何も読めぬ。
西行寺殿はしばらく思案するように視線を宙に泳がせると、突然こんなことを言い出した。
貴方、妖夢と一手立ち合いなさいな
これはどうしたものか、私はまだ酒が抜けておらぬ、立ち合い自体は構わぬが、どうせ立ち合うなら酒が抜けてからにしたい。
魂魄殿のほうは如何なものかと目をやれば、やはり彼女も酔いが抜けておらぬようで、ふらりふらりとしている。
そのことを察したのか、八雲殿がすいっと歩み寄りぱちりと指を鳴らした。何のまじないか、とたんに酔いが抜け、身体が平時へと戻った。にわかに信じられず、縁側の中ほどへ歩き刀を抜いて二太刀、三太刀と素振るが、切っ先に震えは見受けられぬ。
振り返れば真意の読めぬ笑み、やはり胡散臭いというより胡散そのものの妖怪である。
さて、私は構わぬが魂魄殿はどうなのか尋ねると、西行寺殿の命であれば一向に構わぬと言う。ならば私が口を挟むことでもない。では早速と、襷をかけたところで足元が消えた。
次の瞬間、私は神社の境内、宴会の輪の中心に立っていた。はて、突然のことに何がなんやら解らぬ、前を見れば魂魄殿が同じように立っているが、私と違って戸惑いの色は無い。
すると背後から、宴会の余興に私と魂魄殿が立ち合うと告げる声が聞こえた。西行寺殿の声である。
周りの聴衆はやんやと囃し立て、止めようとする者もおらぬ、となれば私のすることは一つだ。思うが早いか、そろりと刀を抜きかけたところで、横合いから声がかかった。
幽々子の大切な従者に万一があっては困るわ、これを使いなさい
声とともに木剣を差し出してきたのは八雲殿、見れば私と魂魄殿、それぞれの刀とぴたり同じ長さの木剣である。
木剣とはいえ当たり所が悪ければ死ぬが、真剣よりはよほどましではある。魂魄殿を殺めなければならぬ理由もなし、ありがたく拝借することにした。
さて、胡散臭い妖怪から手渡された木剣を検める。つまらぬ細工等はないであろうが一応の心構えというものだ。一通り木剣を検め、いくらか素振りをして具合を確かめる。特に問題になるようなことは見受けられなかった。
魂魄殿のほうへと向き直り、一礼してから木剣を構える。彼女も合わせて構えを取った。私は青眼、相手もやや高めの青眼に構える。こうして構えてみると、改めて彼女の太刀の長さが壁だ。これほど間合いの差があっては易々とは飛び込めぬ、かといって後の先を取ろうにも上手くやらねば、こちらの間合いの外から一方的に切りかけられるのみである。
私のほうから静かにじわりじわりと間合いを詰めていく、ややあってお互いの木剣が交差してゆく。このあたりが限界であろう、そう判断した私は一気に魂魄殿の木剣を払うと、胴めがけて突きを繰り出す、彼女はまるで解っていたかのように身をかわすと、こちらの剣を払い上げ、袈裟懸けに切り下ろしてきた。すばやく身を捻り横へと避ける。
同時に彼女の小手を打つべく踏み込もうとした瞬間、咄嗟に勘が働いて横っ飛びに身をかわすと、ほとんど同時に私の頭があった辺りを木剣が薙いだ。
思わず感嘆の溜め息が漏れた。彼女はあの長い木剣を自在に操り、袈裟懸けから素早く二の太刀の切り上げへと繋げてきたのである。よほど足腰が鍛えられ、技も磨かれていなくば出来ない芸当だ。普通の者では初太刀はともかく二の太刀が定まらぬ。
私が飛び退ったため再び距離が開いた。魂魄殿は追い討ちをかけてこない、ただ刀を脇構えに下ろしている。再びこちらから踏み込むと、担ぎ太刀から渾身の袈裟斬りを振るった。まともに受ければ木剣ごと断ち切れる一太刀である。すると彼女はこちらの間合いを寸で見切り、刀の長さを生かして引き面を打ってくる。すかさず打ち落とされてくる剣を擦り上げて、伸びきった小手を狙って打ち込むが、するりとかわされてしまった。
やれやれ、切返しの素早さといい太刀足の速さといい、稀に見るような手練だ。これほどの腕前にあの大太刀となると、正直なところ手がつけられぬ。
まともに飛び込んではただの的となろう、まずはなんとか私の間合いに入れねばならぬ。剣をゆっくりと持ち上げ構えを上段に変える。上段に構えることであえて胴に隙を作り、胴を払いに来たところを打ち落とす。成否を分けるのは単純に太刀足の速さである。
魂魄殿を見据えれば、その瞳には一点の迷いも無い光、見え見えの誘いではあるがどうやら受けて立ってくれるようだ。じりじりと空気が熱を帯び、ぱちんと弾けたその瞬間、一気に彼女が踏み込んできた。さながら雲耀のごとき踏み込みから剣が横薙ぎに払われる。あまりの速さに打ち落としが間に合わぬ。
がつん、という鋭く重い手ごたえとともに剣が止まった。かろうじて彼女の剣を受け止めると、そのまま一気に押し込んだ。鍔迫り合いとなれば身の丈があるこちらが有利である。そのまま押し切るべく丹田に力をこめたその時、ごつりと顎の辺りに強かな当身、一瞬押し込む力が緩んだ機に着物の襟を掴まれる。途端に柔で体勢を崩され、たたらを踏んでしまった。
彼女はその隙を見逃さず剣を大上段に振りかぶり、そのまま唐竹割りに切り下ろしてきた。まさしく剛剣と呼んでいい一刀、はたして受けきれるか。咄嗟に首を捻りながら渾身の力を持って木剣を頭上にかざす、剣が合わさった瞬間に乾いた音を聞いた気がした。
気がつくと見覚えの無い天井が目に入ってきた。布団に寝かされているようだ。身を起こそうとすると首筋に痛みが走るが、どうにか身体を起こしあたりを見渡すと、神社の社務所のようである。はてさて、どういう経緯でここに寝かされたのか。服は脱がされておらぬ、枕元には私の刀、手足には特に異常も無い。先ほど痛んだ首筋に手をやると、どうやら膏薬が塗られている。
さしあたり布団から這い出ると、枕元に置かれていた自分の差料を手に取る。おもてからは騒がしい囃子が聞こえ、宴会がまだ続いていることを知らせていた。そういえば魂魄殿との立ち合いはどうなったのやら、あの唐竹割りの一刀を受けようとした辺りから記憶があらぬ。
とにかくも一旦、神社の境内へ出てみるとしよう。そう思い立ち布団を畳んで片付け、そそくさと縁側に出て表へ回る。境内へ出ると相も変わらず、様々な者が人妖の別なく酒を呑み交わしていた。皆の輪の中心には天狗と鬼、どうやら呑み比べをしているらしく、回りの者たちはやんやと囃し立てる。
さて、魂魄殿はどこかと姿を探していると背後から声をかけられ、ふいと振り返れば声をかけてきたのは博麗の巫女様であった。
あんた、もう目が覚めたの。見かけ通り頑丈ねぇ、これ永琳の膏薬、打ち身に効くそうよ。
そう言うと懐から丸い膏薬入れを取り出し、こちらへと放った。
はしりと受け取り、丁寧に礼を述べる。そして先ほどの立ち合いの顛末などを尋ねる。いかんせん私の記憶がないのでしょうがあるまい。
聞けば立ち合いは私の負けだった。彼女の繰り出した一刀は、私の木剣を叩き折りそのまま首筋へと入ったらしい、咄嗟に首を捻ったため頭に入らなかったのは幸運か。私は一刻ほど眠っていたそうで、手当ては永遠亭の八意殿がしてくださったそうな。ただの打身であるから心配ないとのことだ。
しかし、生来負けず嫌いな性分なため負けたとなると少々悔しい、若干顔をしかめていると巫女様が呆れたように溜め息をついた。
なかなか大したもんだと思うわよ、妖夢相手に普通の人間じゃ一合目で終ってるわ
そう慰めの言葉を下さった。巫女様の言う通りあれほどの手練相手によくやったほうなのかも知れぬ、まあ過ぎたことはしょうがあるまい。
彼女たちがどこにいるのか尋ねたところ、宴会の輪の端の方を指差された。見やれば確かに桜の木の根元にぼんやりと魂魄殿とその主が見える。巫女殿に礼を言って桜の下へと足を進めた。
近づいてみれば、西行寺殿はあの胡散臭い妖怪とからから笑いながら団子を食べておられた。魂魄殿と九尾殿は脇に控え、遠慮がちにぐい飲みで酒を飲んでいる。
声をかけると、顔を見るなり西行寺殿に笑われた。半死人が斬られて生き返った、とは彼女の弁。相変わらず捕らえどころがなく、それでいて全てを見透かしているかのようなお方だ。一方、魂魄殿のほうは私の怪我の具合を心配してくれたが、大したことは無いと告げると、ほうっと安堵の溜め息を漏らした。
先ほどの立ち合いのことなどを語りつつ談笑する。特に冥界のことを色々と伺った。なんでもこの世に未練があると、冥界の白玉楼に行くのだそうな。私も行ってみたいものだと告げると、西行寺殿が相変わらず真意の読めぬ笑顔で、何ゆえと問うてきた。私は正直に、この世に未練は無くともあの世に未練がございますゆえ、と答えると、途端に彼女と胡散妖怪に大笑いをされてしまった。
その日は空が白むまで飲み明かし、博麗神社で床を借りた。翌日の昼過ぎ、重い身体を起こして境内に出ると、巫女様が掃除をしておられた。
丁重に礼を述べ、神社をあとにしようとすると、機会があったらまた来るとよいとお言葉をいただいた。さて、その機会がいつになるかは知らぬが、是非また来てみたいものである。
なにやら里を出てからの日々はこの世のことでないような、夢か現か判然としない日々であった。
とぼとぼと里へと帰る道すがら、朝露に濡れた木の葉からぽつり、と雫が滴った。何の気もなく反射的に手が走り、すぱりと腰の刀を抜き打つ、切っ先が見事に雫を捉えて飛沫へと変えた。同時に自分にまとわり付いていた何かを切れた気がした。
やれやれ、私にはまだまだ未練が足らぬ、もうしばし此岸で修行に励むとしよう
そう思うと、なにやら朝日が先程とは違って見える。打って変わって足取りも軽く、私は里へ続く道を歩き始めた。
二次創作に於いて、適当な言葉かどうかは置いておいて、世界観がしっかりと作りこまれていて、その場の光景が目の前に見えるようでした。
セリフらしいセリフがなくとも、そのキャラクターの言葉がありありと浮かんでくるというのも技術の高さが伺えます。
良い作品をありがとうございました。
次回作を楽しみに待っています。
最初はどうかなと思いましたが(オリキャラものは良作が少ないように思うので)、
読んでよかったと思いました。
非常に面白かったです。
淡々と進む構成も会話も上手く合致しており、すんなりと読むことが出来ました。
次作も是非読ませていただければと思います。
宴会いいね宴会
ただ、縄の具合が悪いのでなめすことにした理由と、
どうして村人が永遠亭を出た後、自害する予定なのに食事をとったのかという所に疑問を感じました。
1つ目は別に死ぬのだからそんなことは気にせずさっさと吊ればいいじゃないかということと
2つ目は腹が減っていても目的地にたどり着けないということはないだろうという理由です。
自分が理解できていないだけなのかもしれませんが一応この点数です。
「首切り朝」とかに、こんな感じの浪人が出てきそうです。
次の作品も期待しています。
この一言につきます!!
主人公の立ち位置と幻想郷の面々とのあっさりとした関係が心地よかったです。
描写が丁寧で東方を知らない人でも楽しめると思います。
○博麗
そこだけ気になりました。
書籍化して売ってそうな作品レベルです。
その文才に嫉妬!
でもこういう一般人も時たまいるのが幻想郷って場所なんでしょうね。
きっと。
村人Aというキャラならではの視線のあり方が面白かったです。
幻想郷の風景をここまで書ききった作者に感謝を。
ただ、最後の方で「後に妖夢の夫となる人物である」みたいなモノローグが浮かんだ自分は…w
ただ、妹紅の庵の位置は竹林のどこか、香霖堂の位置は魔法の森のどこかですので
それぞれの場所に違和感があった為この点数で。
少々時代掛かった文体も良し、お見事です。
一部の場所などに違和感を感じたので、少し点数を引かせてもらいました。
本当に良作だと思います
これからも頑張って下さい
主人公も主人公でとらえどころの無い人だな、なんて思いました。
なんとなく妖忌と同じような雰囲気の剣格さんですね。
静かで淡々と、だがそれがよい味。面白い話をありがとうございました。
あなたの作品をもっと読んでみたい。
オリキャラにも好感がもて、
内容も面白く素晴らしい作品でした。
ありがとうございます。
その文体で丁寧に描き出されている主人公の真面目で素直で几帳面な性格がなんとも魅力的です。また登場人物がみんな、必要に応じた常識と礼儀を弁えているのにも好感が持てました。
オリジナルのキャラクターをこれだけ魅力的に書け、魅力的に書く事によって東方の人妖たちの魅力を引き出している。作者様の着眼点、構成力、筆力には壮快な嫉妬ともいうべき感嘆を禁じえません。
ありがとうございました。
文章を読んでいるだけなのに脳裏にその光景がまざまざと浮かび、自分もこの境地にいずれはたどり着きたいものだなぁ…と思ったほどです。二つの意味で。
これからの作品も楽しみにしておりますね。
P.S.
蒲公英のコーヒーは普通のコーヒーとはまた違った苦さと香りがあって素晴らしいですね。
自分も大好きです。
素敵だ
幻想郷の住人らの描き方もイイ。
むしろ適度に武闘派で時代がかった主人公を通すことで、
妖怪達を引き立てるのが狙いなものか。
節々の言葉の選び方といい、よく雰囲気を出した一作だと。
第三者視点が程良い距離感で抵抗なく読めました。
なのに読了感があって…。
まるでこのオリキャラさんそのものの視点で幻想郷を見たような、そんな錯覚を覚えました。
いい作品、ありがとうございます。
初投稿とか……。妬ましいから応援する。
心の底から面白いと思える作品に出会えたことを幸運に思います。
ありがとうございました。
そんな使い古されたテーマを、かつてない切り口で見た気がします。
初投稿で、これとは……正直、恐れ入る。
残りの10点は蒲公英コーヒーさんの次回作まではツケと言うことで。
素晴らしい作品をありがとうございます。
ゆゆ様のカリスマが凄いなぁ…
違和感を感じることが殆ど無くて、とても良かった。
アッパッレとしか言えません。名作です
いや、これは良い。何というか、とても「旨いもの」を食った心地良さでした。
やっぱり東方には前近代な香りが似合うなぁ。
オリキャラなどではなく、名前は無くとも確かに人里に住んでいる人間の一人だと思います。
幻想郷にその他大勢という人妖は居ません。幻想郷に生きる者全てが主役であり脇役であり、各々の目的を持って日々過ごしているのです。
死人と向かって死を斬る。
オリキャラを感じさせない、良いSSでした。
次作も期待しています
村人がまた淡々としてるのがよかった。
またもや期待の新人様が!!!
妖夢と真正面から立ち合える、って主人公かなり強いっすwwwww
今後も楽しみにしています。
流れるような文章で、読むのが楽しかったです!
である必要が無かったり、活かしきれてなかったり
することが多いからだと思う。この作品はその点
キャラが輝いていてとても良かったです
幻想郷の雰囲気もかなり出てると思います
新鮮というより懐かしさを感じる文体で、納得の高評価です。
淡々としていてそれでいて引き込まれる。
彼と一緒に幻想郷を回っている感じがして、実に楽しめました。
多謝多謝w
これからの作品にも期待。
人情味は勿論のこと、刀の造りや殺陣の様子も丁寧に描けてたと思う。
だがしかし、この村人A・・・いくら物事を深く考えない質だからって、ちょいと心変わりが早すぎませんかね。
剣の道に生きてきたにしては、一本気どころかあっちゃこっちゃブレまくりな気がしました。
ま、そんな人間くささもまた魅力的なんですけどね。
他の人ももう言っているけれども誤字修正希望。
×博霊→○博麗
勿体なさ過ぎるので。
投稿後の誤字脱字の修正程度の書き換えは普通に行われてますし。
丁寧な文体もさることながら物語自体の持つ流れにも深く魅了されました。
出会いとはかくも良いものだなぁと。
どことなく某アサシンを思い出した私は駄目な子。
誤字というか、約物の使い方なんですが、三点リーダーではなく中黒を使っている箇所がありました。
・・・ではなく、……と三点リーダーを偶数回で使う方が正しく、見た目も綺麗になりますよ。
>>184某アサシン
秘剣燕返しですね。わかります。
主人公の淡々とした感じがいい味だしてますねー
淡々とした主人公の描写と少し硬くも読みやすい文体で、非常に綺麗な作品に仕上がっています。
間違いなく傑作。良い作品を読ませていただき、ありがとうございました。
次回作も楽しみにしております
こんな作品に会えて感謝ですw
2度目で分かったのですが主人公の素行や言動から育ちのよさや丁寧さが分かりました
そしてあなたの文章力の妬ましさにも(ry
酒の旨さと物語の魅力に負けました。
あぁ、あなたの他の作品が読みたい。
村人A、その後の人生は天寿を全うしたのだろうなあと思います。
とても味わい深い一品を頂きました。読み終えて、腹の底を瓢風が吹いた心地です
改行が少なく一つの段落に詰まっている文の密度が多いのに読みづらいと感じることがまったく無かったばかりか全体を通してテンポがとても良く、文の速度と脳裏の情景の速度とが滞りなく噛み合ったままスラスラと読めるのでびっくりでした。
文章力のあるいい作品でした
これで初投稿ですか…その文章力に嫉妬するばかりです。
あんたの様な力有る書き手にこそ居続けて欲しい。創想話もまだまだ盛上がる。
暇を作れるようならまた投稿してくれ。
話は淡々と進んでいきますが、さまざまな幻想郷の人物と触れあっていく様は読んでいてとてもわくわくできました。
今日は一日幸せな気分で過ごせそうです。
没個性すぎて逆に個性的になってるっつーか