夕暮れに染まる山。秋深く、紅く染まる山と相まって美しく、神ですら恋してしまうその風景。しかしその美しさに似合わず、その山は妖怪の山と呼ばれていた。
妖怪の山の麓に、人里からは少し離れた小さな集落があり、丁度集落と山との境にその見張り台はあった。木材を組み合わせて作ったであろう高く、しかし脆い印象を受ける見張り台。
見張り台の下、一人の少年が立ち、上を見上げて叫んでいた。
「じっちゃ!じっちゃ!」
上から降ってきたしゃがれた声。
「なんじゃ!…カンタか。わしはもう少し山をみとる」
しかしカンタと呼ばれた少年は少し困ったような表情を浮かべるともう一度上に向かって声を荒げた。
「じっちゃ!おかあが夕飯だから馬鹿なことしてないではよ帰ってこいって!」
カンタの声は空しく響いた。上から降りてくる気配はない。カンタは少し待ったが仕方なく見張り台を登り始める。その慣れた様子はきっと何度も上り下りしているからだろう。するするっと見張り台を登るとそこにはボサボサの白髪の老人が独り、胡坐をかき山の方を一心に見つめていた。
「じっちゃ…はよ帰らんとおかあがまた怒るかもしれない」
「カンタ、山をみてみい」
「もう妖怪は襲ってきたりしないよじっちゃ。それより腹がす…」
「ええからみてみい」
なんだかんだでじっちゃには逆らえないカンタはじっちゃの左横に座り、山を見つめた。
「山って別にいつもと変わらないと思うけど…」
「ちゃんとみてみい!それでも猟師の息子か!」
ぽかりと頭を叩かれたカンタは目を見開いて山を見つめた。よく見ていると、カンタは徐々にいつもと変わらないはずの山に違和感を感じていた。大人達には危険だと言われている山が遊び場でありカンタにとって、そこには何かが足りなく、そして何か余計なモノがいるような…
「どうや?」
「…動物達がおらん…なのに山が、ざわついてる…多分」
そう、カンタには普段いるはずの動物達の気配が全く感じられなかった。
「厄神様の通り道」
ポツリと呟かれた言葉。
「厄神様がどうしたの?」
じっちゃは見張り台の松明に火をつけ、横においてある酒瓶から手元にある杯になみなみと注いだ。
「滅多にない事じゃよ。昔わしがまだ猟師になって間もない頃の話じゃ」
そういうと杯からちびちびと酒を呑みつつ語り始めた。こうなるとしばらくじっちゃは動かないことをカンタは知っていた。じっちゃの話はいつだって突飛でうさんくさい。でもいつだってカンタの心を躍らしてくれる。
もうカンタは夕飯のことなんてすっかり忘れていた。
…
私は村一番の猟師だった。幼少の頃から山を恐れつつもそこを遊び場として、自然と猟師の力を身につけていた。鉄砲だって百発百中。たびたび村に襲ってきた妖怪達を追い払ったことだってある。とはいえ、なりたての頃からそうだったわけではない。
その日は最初から調子が悪かった。草鞋の紐が切れ、予備の火薬がしけ、肝心の獲物である鹿はおろか兎も鳥すらもいなかった。とにかく、山は静かで、そしてざわついていた。
木々が。土が、草が、岩が、水が、空気が、薄気味悪い。その言葉の為にあるような雰囲気。
もう昼過ぎだというのに、一匹も獲物を獲れていなかった。こういう日がある事を村の老人達から聞いてはいたが、まさか自分が遭遇するとは思わなかった。もう少しだけ、もう少しだけ。嫌な雰囲気に飲まれつつも、その欲と意地が混ざった感情のままに獲物を求め、山を彷徨い歩いた。
時間が進むに連れ、山深くに踏み込むに連れ、空気が冷えてきた。
「おかしい。さっきみた日の傾きからして日没には早いはず」
そうは思ったが、きっと時を忘れて彷徨い歩いたせいか時間がずれてしまったのだろうと無理矢理納得した。
段々と気味の悪い空気が濃くなってきた。これはまずいと思い始めるが馴染みがあるはずの山が変貌していた。とにかく、ここから出よう。そう思うも、方角が分からない。辺りは暗く、上を見上げても木々の葉が空を覆い星も太陽も見えない。
すると、向こうのほうから不思議な音が聞こえてきた。なんと形容しがたい、この世にもあの世にもなさそうな音。 須く不可思議な音や現象は妖怪か神の仕業。そう思い、私は鉄砲を構えじりじりとその方向へ近づいていった。
少し開けたところに、何かが渦巻いていた。それは目には見えないが、確かに感じることのできるモノ。とてつもなく不吉な何か。そしてそれが今の状況の元凶であることも体で感じていた。それが一体なんのかは分からないが、それが触れてはいけないものだということは理解できた。
その中心のほうに人影が見えた。まるで踊りか何かのように優雅に回っている。それはとても神秘的で、すこし恐ろしい光景だった。
こちらに気付いたのか、その人影はその機械的な、人形的な回転を止めこちらへと視線を向けた。その人影は緑色の髪をした、見たこともない服を着た女の子だった。その少女らしきものは少し驚いたような困ったような表情を浮かべ、声を発した。
「あら…人間?」
「よ、妖怪!」
「ここは危険よ?山で迷ったの?」
「く、来るな!」
ほかではどうか知らないが、妖怪が必ずしも人外の形をしているとは限らない。女の子の形をした妖怪だって沢山いる。
だから。私は冷静さを失って反射的に構えていた鉄砲の引き金を引いた。
「あ、危な…」
少女が声を発した瞬間、右手に構えていた鉄砲から頭を強く打ち付けるような衝撃。バチンと何かが破れるような音。そして暗闇。
…
気が付くと朽ちかけた小さな社の縁側に寝かされていた。頭が痛いし、右側に違和感を感じた。どうも右耳をやられたらしく、何も聴こえない。
「確か、妖怪に襲われて、応戦しようとしたら鉄砲が暴発したんだ…」
自分の声にも違和感を感じる。しかし、左耳は無事のようだ。右腕も火傷程度ですんだようだ。しかも手当てがしてある。一体誰が?疑問に思っていると突然声が聞こえてきた
「あ、大丈夫?」
先ほどと同じ少女の声。
「よ、妖怪!くそ今度は…」
きっと後を追ってきたに違いない。応戦しようとするも手元にあった鉄砲はひしゃげており、使えなさそうだった。
どうしようか迷っていると少女が少し顔をしかめ、話しかけてきた。
「ええと、さっきから勘違いしているみたいだけど、私妖怪じゃないから」
「…妖怪じゃない?」
少女は少し悲しい顔をしていた。その少女からはまったく襲ってくる気配がない。私は少しだけ安心感を得た。何より、少女が先ほどまで纏っていた不吉な何かが感じられなかった。
「ええと一応これでも神様なんだけどね」
「神様?」
「はい、一応厄神を少々」
「や、厄神だって!妖怪みたいなもんじゃないか!」
「あっ、そう!!せっかく手当てまでしてあげたのに」
…
見張り台の上。パチパチと松明が爆ぜ、揺らめく光がじっちゃの顔を照らしていた。
「じっちゃ、厄神様って妖怪なのか?おばあは人間の為に働く偉い神様だって言ってたような」
話の腰を折るのは不本意だがカンタはどうしても聞きたかった。
「話は最後まで聞けっていつもいっとるじゃろ。おばあにそう教えたのは他ならぬわしだからな」
…
その少女は鍵山雛、と名乗った。
「つまり、厄を集めて山の神に還すのが仕事の神様ってことなのか?」
「そう。あとは、流れてくる流し雛から厄を取って、その後を面倒みたりとかかしら」
「じゃあさっき渦巻いていたのは…」
「厄よ、私が集めた。多分それのせいでさっき鉄砲が暴発したんだと思う」
ごめんなさいと呟く彼女にどう声をかけていいかわからなかった。
「私は厄神。私の近くにいると人間だろうと妖怪だろうと分け隔てなく平等に絶対、不幸になる」
「じゃあ今も…」
左横に座る彼女に反射的に少し距離をおいてしまった。不幸になるとわかっていて、近づけるはずがない。
「今は大丈夫。ついさっき還してきたから。でもすぐ厄は集まってくる」
そのうちタライが頭に落ちてくるかもよ?そう彼女は言うと少し微笑んだ。寂しそうな笑顔がよく似合う子だった。
「だから、行って。道はここから真っ直ぐいけば綺麗な沢にでるからそこを下っていったら人里よ」
「え、ああ、ありがとう。なあもしかして山に動物達がいなかったのは…」
「動物達はとても敏感だから、私には近づかない」
「そうか…運が悪かったとしかいいようがないな」
「あなたの狩りの邪魔をするつもりはなかったの。あの辺りには滅多に行かないんだけど、今回は厄が多すぎて…あそこを通らないと還しきれないの」
そう、私にとってあんな山は生まれて初めてだった。
「多分どこかで災厄でも起こってるのかもね。あ、そういえば知ってるこの歌?天狗が歌っていたんだけど」
そういうと彼女は静かに歌いだした。不思議な旋律に乗せて。
厄神様の通り道~道を譲れ~ほれきたぞ~厄神様の通り道~近づく奴は~みな不幸~
「ここまでしか知らない。それ以上聴こえる前に逃げちゃうし。言いえて妙よね。これ」
「…辛くないのか?自分ばっか不幸になるじゃないか」
「あら、なんで?そのおかげであなた達が平和に暮らせるならいいじゃない」
彼女の表情は柔らかく、いたたまれなくなった。その表情を読んだのだろうか
「それに人間に同情されるほど弱い神をやってるつもりはないし、私自身は不幸でもなんでもない」
そう言って彼女は立った。
「静かでいいわ。それにこの山には神様が結構いるの。中には仲良くしてもらってる神様だっている」
豊穣と紅葉の姉妹とかね。と彼女は呟いた。
「さあ日も落ち始めたし、厄が集まってこないうちに行って」
私は彼女の言葉に従い、立ち上がって少女と共に社を出た。やはり右側に違和感。社の先にはいつもの山の風景が広がっていた。このまま進めば彼女の言う通り帰れるのだろう。そう確信していた。そんな安心感を今の彼女は持ち合わせていた。
私は何かよく分からないモヤモヤした衝動に駆られていた。このまま帰れない。何か物足りない。いや、そうだ私は肝心な事を何もしていない。
「なあ。俺に何かできることはないのか?お礼をしたいんだ。」
「じゃあ信仰して」
「信仰?」
「冗談よ」
「なんだかわからないけど信仰するよ。助けてもらったし」
「まあ全部私のせいなんだけどね」
「また会えるか?」
「会わないほうがいいと思うけど。今度はかた耳ではすまないかもね」
そうだ、と言って彼女がこちらに向かって自分の両手の人差し指を胸の前でつき合わせた。
「ほら、えーんがちょ」
「な、なんだそれ」
「千代に八千代に縁を切るってことよ。私達はえんがちょの向こう側の存在。そこがいいの。それでいいの」
少女の言葉。縁を切る。私の躊躇いを切るように。
「さあ切って!」
彼女の言葉に、私は人差し指で彼女がつき合わせた指と腕で作った円を。彼女に出会えた縁を。
切った。少しだけ触れた彼女の肌は冷たかった。
…
強い吹き降ろしが吹いた。松明が一瞬燃え上がり、消えそうになり、また元に戻った。
「じっちゃはそのあとどうしたの?」
もう日も落ち、星達が瞬いている。じっちゃは丁度杯の中の酒を空けた。
「なんもありゃせん。そのまま言われた通り帰っただけじゃ」
「ふーん。でも多分じっちゃ、その厄神様のこと好きになったんじゃないの?」
カンタは真剣な表情でじっちゃに聞いた。しかしじっちゃの表情は変わらない。
「さてな。もう忘れてもうたわ」
「会いに行かなかったんだ」
「縁を切ってしもうたからな。きっと二度と会えん」
「ふーん。あ、今、山に入ったら会えるかな?厄神様」
人間の平和は厄神様のおかげ。自ら向こう側に行く必要はない。そう思ったが、じっちゃは口にはしなかった。
「さて、カンタ帰るぞ。おかあがきっと大怒りじゃよ」
「ああ忘れてた!」
カンタとじっちゃは見張り台を降りるとまばらに光る集落のほうに歩いていった。
山は本来の様子を取り戻し、ふくろうが、ほうっと鳴いている。
カンタは拙いっしょww
良い事書いてある筈なのに何故かクスリと来た…どうやら何処かで見た気がする平仮名の羅列の所為の様だw
何でわざわざ一年前の作品を消して投稿し直すのかサッパリわかりません。
すみません特に深い理由もなくただ単に改良したかっただけでした。
それでも読んで下さってありがとうございます。
あとがきのひらがなは今でもよく覚えてますw