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この作品は作品集87の拙作『好奇心は天狗を呪う』の続編的な扱いとなっておりますので、そちらとあわせて読むと歴史のテストでいつもより5点くらい多く取れるかもしれません。
戦国・三国時代以外がテスト範囲だったら諦めて部屋の片付けとか犬の散歩とかするといいと思います。
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時は戦国、十二代将軍足利義晴が即位した大永元年。甲斐国守護武田氏の元に一人の子が産まれた。
幼名勝千代。十五の時元服、将軍から「晴」の字を賜り武田晴信を名乗る。その後仏門へと出家した時の法名こそが、今も世に伝わる武田信玄である。
以前、諸葛亮孔明の一生を簡単に表すならば大国たる魏に対する反抗の一生だった、と語ったことがある。
同様に信玄の一生を語るとすれば、彼の一生は海への渇望だった、というところだろう。
信玄の生まれた甲斐、そして後に領土とした信濃は周囲を陸に囲まれた地である。北方には越後を領有する上杉、東には今で言う関東一円を我が物とする北条。信玄と同じ頃台頭を始めた斎藤道三が西の美濃を守り、南には将軍家の分家たる名門今川氏。
強国のひしめくこの内陸地で信玄はひたすらに海を目指した。時には南方面の北条や今川に攻め入り、またある時は日本海側へ向けて上杉へ兵を出した。
信玄が何故そこまでひたすらに海を目指したのか、それは僕にはわからない。
この幻想郷には海が無いからだ。それ故に、僕には信玄の海に対するその激情を理解することができない。僕にとっての海とは最初から存在しない物でしかないのだ。
僕のことはとにかく、生涯をかけて海を目指した彼の一生はただただ戦い尽くしだったと言っていい。
戦へ向かう彼の姿は今もなお語り継がれている。武田信玄と言って大抵の者がまず思いつくのが風林火山の軍旗だろう。風林火山と言えば本来は孫子の一説であり、また信玄より二百年も前の南北朝時代に北畠顕家も軍旗として使っていたのだが、今では風林火山イコール武田信玄、と強固なイメージが着いている。
そしてもう一つ、その軍旗以外で彼に付随するものと言ったら。それこそが信玄が指揮を奮う際いつも掲げていた軍配であり、今僕の前で射命丸文が気ままに振り回しているそれである。
「いやー、絶好調ですよ絶好調!」
彼女は香霖堂の上空を軽快に飛び回りながら、時折四方八方へと風を吹かせている。
絶好調だと彼女は言うが、それもそのはずだ。
疾き事風の如し、とはかの風林火山の一小節目だ。信玄の力が宿る軍配、風を操る彼女と相性のいいアイテムなのは間違いないだろう。
だが忘れて欲しくないのは、彼女が手にしているそれはあくまでも呪いのアイテムだと言うことだ。
長らく倉庫に眠っていた呪いのアイテムを順番に天日干ししていたところ、その中から彼女がこの軍配を手に取ったのが―――いや、彼女が勝手に手を出したのが十日ほど前。
これまで特に呪いの効果は現れていないようだが、呪われたアイテムにホイホイと手を出した結果死なれでもしたら僕としても目覚めが悪い。
日々戦に明け暮れた信玄が上洛の志半ばで散ったその無念、その悔恨、その激情が詰まった軍配なのだ。
調子に乗っていると思わぬ呪いの副作用でしっぺ返しを食らうことになるかもしれない。もうちょっと自重してほしいものだ。そうごちる僕の心配を庭に舞い降りた彼女は即座に笑い飛ばした。
「まぁいいじゃないですか、今のところは問題無いようですし」
「今のところは、ね。しかし何かあってからじゃ遅いだろう」
「その時は対応策をお願いしますよ、アイテムの持ち主さん」
「自分から勝手に呪われておきながらよく言うもんだ」
「そこはあれですよ、保護責任者としてのそちらの問題というヤツですよ」
あぁ確かに。彼女にはしっかりと目を光らせておく必要があると前回痛感した。
これ以上振り回されてはたまったもんじゃない。
「私じゃなくてアイテムの方なんですがね、保護しておくべきなのは」
「アイテムは勝手に動いて人を呪ったりしないからね。君は勝手に動くし勝手に触れるし勝手に呪われるだろう?」
「好奇心は猫をも殺す、とは言いますが、妖怪にとっては何よりも優先すべき事項ですから。それは仕方ないというものです」
その気持ちはわからないでもない。妖怪にとって、と言うよりもこれは長く生きる者にとっての共通項だろうから僕にもよくわかる。
代わり映えのしない時をひたすらに過ごしていれば、身も心も澱んでしまうというものだ。
それを解決するには自分から動いていくしかない。少しでも面白そうなことを、少しでも興味が持てそうなものを探していくしかないのだ。
そういう意味では天狗達の新聞作りは非常に妖怪の生態に合っているのかもしれない。
そのために振り回される方はたまったものではないが。
「仕方ない、で振り回されるこっちの身にもなってほしいものだがね」
「あ、そういえばちょっと気になることもあるんですが」
「全力でスルーかい……」
人の話を完全に無視しながらも、うーん、と首を傾げて彼女は言った。振り回していた軍配を肩に預けると、彼女は縁側に座る僕の隣に腰掛けた。
「いや、呪い解けないなぁと思いまして」
「……すまない、何を言っているのかわからないんだが」
うちに眠る呪いのアイテム達が、いとも簡単に勝手に解けるような類の呪いではないことは彼女も承知のはずだ。
それを承知で手に取るのだからたいした度胸だとは思うが。まさに体当たり取材と言ったところか。
「んー、この軍配を手にした時、すっごい敵意というか半ば殺意に近いようなのが湧いて来まして、それであちらに突撃していったわけなんですけれど」
二日前、彼女率いる妖怪の山の軍勢は命蓮寺に攻め入り、その住民を散々に打ち破った。
とは言ってももちろん本気の殺し合いなどではない。弾幕ごっこの団体戦のようなものだ。外の世界でサバイバルゲームなどと呼ばれるそれに酷似している。
彼女達が命蓮寺に攻め入ったのには、もちろん彼女が手にした軍配にその理由がある。
軍配の主、信玄はやがて南方面への進軍を諦め、北条・今川と同盟を結ぶことになる。この同盟をそれぞれが有していた領地の頭文字から甲相駿同盟と呼ぶことは有名だ。
同盟以後、信玄は北方方面への進軍を主とするようになる。相手は越後の龍、後に上杉家を継ぐ長尾景虎。法名を謙信。信玄の宿命のライバルと呼ばれる上杉謙信その人だ。
後世に残る資料を見る限り二人の生き様は非常に対照的だ。何をしようが勝てばいい信玄に対し、清廉を旨とした謙信。そんな二人の差異が一番大きく現れているのが宗教観だ。
信玄の出家はかなり政治的な意味合いを持っている。領主自らが信徒となることで領内の一揆を抑えたり、逆に他国の領地の一揆を扇動したりと、あくまで戦国の世にのし上がるための一手段として使っている。
対して謙信はと言うと全くの逆だ。領主という自らの立場も全く関係なく、あくまで一人の教徒として仏道に入っている。
大名上杉家の主たる者が自分の宗教は妻帯禁止だから、と跡継ぎを作らないのだ。彼の宗教への傾倒ぶりは凄まじかったことがよくわかる。
そんな傾倒が行き過ぎたのか、謙信はやがて自分が毘沙門天の転生だと吹聴するようになる。いや、最初から自分が毘沙門天の転生と信じていたからこそ傾倒していったのかもしれない。
自身の前に幾度となく立ちはだかる謙信の姿は、彼の妄言とあいまって信玄の胸にしかと刻まれただろう。毘沙門天の転生、上杉謙信。自分の宿願を阻み続ける男。
そんな謙信に対する敵意や憎悪が軍配には篭っていた。軍配を手にした文はその敵意に駆られ、一目散に山へ戻ると戦支度を始めたそうだ。
にっくき毘沙門天……の弟子、命蓮寺の寅丸星を打ち倒すために。
「ちょうど向こうの上役がいなかったようで、上手い具合に張り倒してきたんですけど」
「……あぁ、呪いの大元の宿願―――毘沙門天打倒を果たしたはずのに解けない、ということか。霊夢には解呪は?」
「頼んでみましたけど、やっぱり無理みたいですね。まだまだかなーり強く呪いが憑いてるそうで。ただその割にあれほどあった敵意は無くなってるんですよねぇ」
毘沙門天を打ち倒したのに呪いが解けないとすると、この軍配に宿る信玄の遺志は謙信打倒ではない、ということだろうか。
しかしそれだったら最初から毘沙門天に対する敵意が篭っているはずが無いし、その敵意が今では消えているのも妙だ。一体どういうことだろう。
「うーん、確かにこれは気になるね」
「でしょう?そこでですね!」
「だが断る」
「……せめて話を聞いてからにしません?」
「それすらも断る」
どうせ解呪法を見極めるために次の戦いに着いてきてください、とかそんなところだろう。
以前の呪いの時はこちらにも着いていくメリットがあったものの、今回は全く無い。こちらが付き合う道理は微塵たりとも無いのだ。
「だいたい、君は今その軍配のおかげでかなり調子もいいみたいじゃないか。前回と違って別に無理して呪いの謎を解かなくてもいいだろう」
「確かにそうでしょう。呪いによって何らかのデメリットが訪れる恐れはあるにしても、今の私は当社比ならぬ当者比120%出力。デメリット以上のメリットは充分にあります」
「だろう?だったら……」
「ですが、もし呪いを解くことによるメリットがそれより大きいとしたら?」
呪いを解くことによるメリット。そんなものあるわけがない。
何故なら呪いとは通常からマイナスへと働きかける効果だ。それがなくなったとしてもプラスマイナスゼロに戻るだけ。そこには利得など存在しない。
だが、彼女の言うようにもしあるとしたら……
「今回こそ呪いの秘密を新聞に載せてウハウハ、とかそんなところかな」
「さっすが店主さん、見事にビンゴです。『武田と上杉、決着を着けても呪いは消えず!呪いの秘密とは?両者の因縁に迫る!』んー、いい感じに湧き上がってくるじゃないですか!」
「案外大したことないかもしれないよ。送ってもらった塩を送り返してないから、とか」
「あぁ、あれですか。確かに信玄は悔しかったでしょうからね。ライバルに大儲けさせてしまったわけですから」
なんだ知っていたのか。
敵に塩を送る、という言葉は今では美談として伝わっている。
海が無いため自力で塩の生産ができない武田。それに対し今川は甲斐への塩商人の出入りを禁じた。
たかが塩を禁じても、と思うかもしれないが、当時は塩以外の調味料など殆ど無く、また食料の防腐用や保存用としても塩は使われていた。食料無くして戦争ができるわけがない。武田は一気に窮地に陥った。
しかしそんな中、宿命のライバルであるはずの上杉が武田に壷一杯の塩を送る。お前を倒すのはこんな姑息な手段でなく戦場でだ、と添えられたその壷。甘い野郎だ、と謙信に対し思いつつも、信玄は自分の頬を伝う塩よりしょっぱい液体を止められないのだった……というような話だ。
だが現実はと言うと。
「商売敵の今川が突如塩の販売をやめたんですから、そりゃ稼ぎ時ですよねぇ」
「まったくだね。ボロ儲けだ」
現実は別段大したことはない。今川が政治的な理由で塩の供給を止めたのに対し、上杉は経済的な理由を優先しただけだ。
さぞ儲かったことだろう。なんせほぼ独占供給だから価格競争も起こらない。信玄涙目。
今川は政治的に妙手を取ったと思ったろうが、実際には上杉の方が一枚上手だったということだ。なんせ武田から儲けた金を使って武田を攻めるのだから。泣きながら高い金を払って塩を買ったら敵が攻めてきた。信玄マジ涙目。
戦争は強いが内政ができない、などと謙信は言われることもあるが、その噂が事実と異なるということはこの逸話だけでもわかるというものだ。
「まぁ、そんなエセ美談は置いておきましょうか」
「そうだね。少しばかり話も外れてしまったようだ」
「店主さんの場合それはいつものことですけどね……」
む、そういえばそうかもしれない。
まぁ知識を披露できる相手も少ないからなぁ。これが魔理沙や霊夢相手だったら「ふーん」の一言で終わってしまう。
ある程度こうやって話し合える相手でないと脱線することすらできない。そういう意味では文は貴重な相手なのかもしれない。
「とにかく、今回の件について協力する気はないよ」
「むぅ……仕方ありませんね」
「やけに聞き分けがいいじゃないか」
珍しいこともあるもんだ。逆に何かあるんじゃないかと疑ってしまうくらいだ。
「たまにはそういうこともありますよ」
「たまには、じゃなくていつもだと嬉しいんだが」
「前向きに検討いたしますよ。それでは今日はこの辺りで。ではっ!」
最初から検討する気もない政治家のような台詞を吐いて文は帰って行った。
絶対僕を巻き込む気だ、あれは。聞き分けのいい文、なんてありえるわけがない。完全に矛盾している。
とは言ってもまぁ、こちらから応じなければいい話だ。彼女がどんないい条件を出しても無視しておけばいい。
文も帰った。辺りも暗くなってきたし、そろそろ夕餉の準備でもするとしよう。
ぐっと一つ伸びをして、まずは干しておいた布団を取り込んだ。どんよりした今日の天気と、外に出しておいた時間の割りにはしっかりと乾いていた。
「……あぁ、なるほど」
道理であんなに無駄に風を吹かせていたわけだ。
たまにこういう殊勝なところがあるから憎めないというかなんというか。いや、どうせ僕との交渉のために好印象を与えておこうとかそんなところだろうから殊勝とも言い難いか。
だがまぁ、明日もう一度頼みにくるようなら受けてやってもいいか。今は彼女が持っているとはいえあの軍配も香霖堂のアイテムだし、僕としてもあの呪いには興味がある。
もっとも彼女が明日また来れば、の話だ。彼女はここにそう頻繁に来るわけではないし、どうせ来ないだろう。
味噌汁用の大根を切りながらの僕のそんな予想だが、残念なことにそれはすぐ明朝に儚くも裏切られるのであった。斜め右上の方向に。
翌日。早朝の香霖堂で、僕を心地よいまどろみから引き戻したのは大きな大きなノックの音だった。
ドンドンコンコン、ドンコンコン。ドンドドドンドン、コンコン。
大きな音と小さな音が交互に僕の鼓膜を揺り動かす。覚醒し切っていない意識の中でたまらず僕は玄関へと向かった。
「文、いくらなんでもうるさ……どちらさまで?」
そこにいるのは一匹の虎とネズミ―――いや寅と子であった。
「香霖堂店主とお見受けいたしますが」
「その通りだが、人に名を尋ねる時は先に己から名乗るものだよ。特にこんな早朝の闖入者はね」
「これは失礼。私は命蓮寺毘沙門天代理、寅丸星と申します」
「同じく毘沙門天門下のナズーリン。安眠を妨害してすまないが、ご主人がどうしてもと言って聞かないものでね」
ご主人、とは目の前の虎柄模様の服を着た彼女のことだろう。
寅丸星。ついこの間文がこてんぱんにのしたという彼女だが、こうして相対してみるとそれが本当なのかどうか疑わしくさえ思えてしまう。
彼女から発せられているオーラ―――と言うよりは怒気の前に僕は圧倒させられるばかりだった。半分眠っていた意識も慌てて布団を片付け始めた。
二人は随分と怒っているようだが、文のことは文に言ってほしいものだ。あの軍配は確かにうちのアイテムだが、手に取ったのは文で目の前の二人を屠ったのも文なのだ。
「あなたの事はよく聞かせていただいたわ、あの天狗に」
「なら話は早いな。僕のせいではないということも聞いているだろう?」
「自分のせいではない、ですか。そうですか、そう来ましたか……」
……なんだか不穏な方向へ向かっている気がする。と言うより絶対に向かっている。
文が僕のことをどう評したのか。彼女達が文からどんな話を聞いたのか確かめる必要がありそうだ。
「ま、まぁ待ってくれ。文に一体どんな話を聞いたんだい?」
「君はあの呪われた軍配の持ち主で、たまたまそれを握ったあの天狗が武田信玄の魂に取り付かれた、と聞いているよ」
たまたま握った、と言う辺りはかなり事実と異なるが、それ以外は特に変なところはない。
むしろ至極まっとうじゃないか。てっきり文が僕に責任をなすりつけでもしたのかと思ったが。
「クソ信玄の魂なんぞ倉庫の片隅に放っておけばよかったものをこのスカタンが」
「……パードゥン?」
「なんでもありませんよ、どうかしましたか店主?」
「あ、あぁいや。なんでもない。それよりどうしてここに?何かご入用かな」
二人の様子に正直一杯一杯になりながらも、商品を勧めることは忘れない。
何せ久方ぶりの新規客の獲得になるかもしれないのだ。ここでの扱いは重要だ。
「ご主人、店主がかなり引いている。もう少し殺気は抑えたらどうだい」
「む、わかっているのですがこればかりはどうしても……これから信玄に加えてアイツまでもと思うと……」
アイツ、というのが誰のことかはわからないが、どうやら僕に対して向けられた敵意ではないようで僕は少しだけ安心した。
「店主、ご主人に代わって聞かせていただくが、例の軍配やらが入った呪いのアイテムの中に、古ぼけた頭蓋骨があったんじゃないかい?」
古ぼけた頭蓋骨、か。
あぁ、そういえばあった気もする。というかあった。
いかにもやばそうな呪いがかかっていそうだったから、かなり慎重に倉庫の棚に置いた覚えがある。
流石にあれを野ざらしにして天日干しするのもどうかと思い、倉庫にしまいっ放しにしていたはずだ。
「あの頭蓋骨か。なるほど、君達が毘沙門天の門下で、そして文が信玄の扇を持っている。とあればあれを使うのは道理だろうね」
「流石店主、聞いていた通り頭の回転は速いようだね。よければ是非お譲り願いたいんだけれど」
「あの仏敵の力を借りるなど、私としては非常に不本意なのですが」
「ご主人、いい加減諦めたほうがいい。気持ちはわからないでもないが」
「わかってます、わかってはいるんですが……」
何やら迷い始めている二人。これはいかん。このチャンスを棒に振るわけにはいかない。
せっかくの新規客なのだ。ここは恩を売って取り込んでおくに限る。
「ふむ、あの頭蓋骨だが良ければ持って行ってくれないか?こう言うからにはもちろんタダでいい」
こちらもあの呪いには困っているんだ、と付け加える。
お金を出して買いたくは無い物も、タダならいいか、と思うのはよくあることだ。
僕としては特に必要ともしていない呪いのアイテム一つで新規客の開拓ができるのなら安いものだ。
「ほら、彼もあぁ言っている。是非貰っていこうじゃないか」
「……まぁそうですね、タダだと言うなら……」
商談成立だ。清廉な人間ほど人から受けた恩を忘れないものだ。仏門に帰する彼女達であれば、これから先の来店を期待しても大丈夫だろう。
僕は直接手で触れないようにマジックハンドで頭蓋骨を木箱へと収めると、ナズーリンに手渡した。
「そういえばこれがどうして香霖堂にあると思ったんだい?」
「あぁ、探し物を見つけるのはちょっとばかり得意でね。まぁそこそこ程度には便利なものだよ」
「なるほどね、確かに便利そうではある」
「けれどもそうだね、どちらかと言ったらより便利なのは―――『探し者を見つける能力』、かな」
そう言って彼女は空を見上げる。いつの間にかそこにいたのは一人の天狗。射命丸文だった。
「やぁ天狗殿。今日は借りを返しに来たよ」
「こんなところまで無様な姿を晒しに来たんですか?わざわざご苦労様です」
「はは、中々言ってくれるね。ただ今日はこの間みたいにやられるわけにもいかなくてね。色々と策を弄させてもらうよ」
「なるほど、確かに戦の趨勢を決めるのは策であり計略です。ですが、それも彼我の戦力差が無ければこそ、でしょう」
文の言う通りだ。いくら優れた軍師でも、十倍の数を有する敵に勝つことはできない。
そして今、目の前にいる二人の毘沙門天門下に対して文は、いや文達の戦力は数十倍にも及ぶだろう。
「それじゃ今日もお願いしますよ。八坂様、洩矢様、早苗さん!」
「はいはい」
「あーい」
抜けるような蒼天のどこに隠れていたのか、文の影から現れた二柱の神に一人の巫女。
彼女達こそが、妖怪の山対命蓮寺の決着をもたらした最大の要因だった。
信玄は生前、自分が死んだら諏訪湖に遺骸を沈めるようにと遺書に遺していたそうだ。仏門への帰依とは違いこちらに関しては本気の信仰を捧げていたようである。
そんな信仰の対象を目の前にして、男一匹武田信玄の魂は奮い上がった。
二柱の方とてかつて自分に深く信仰を捧げた武将の魂とあっては協力しないわけがない。二柱が参加するとなればその巫女も参加する。
そうして生まれたのが、神二柱、半神一柱、天狗二人が率いる大連合であった。
流石の御仏たる毘沙門天の弟子とはいえ、神そのものが二柱もいる以上勝ちようが無いのは明白だ。
そしてその力関係は今日も変わってはいない。ただ、僕が今しがた手渡した頭蓋骨があるにはあるが、流石にこの力量差の前ではどうにもならないだろう。
「その顔はあれだね、君としては戦力差は歴然だと思っているわけだ」
話しかけてきたのはナズーリン。内に怒りを秘めたまま上空を睨みつける星に対して、彼女は余裕綽々と言った表情だ。
「こちらとしても、この髑髏だけに頼ってここまで来たわけではなくてね。例えばあの軍配」
軍配、と言って彼女が指したのは文の右手のそれだ。
この状況だ、信玄の魂が宿るそれが文に利することはあっても害することは無い。だがもし害することがあるとしたら。
「呪いかい?君はあの軍配の呪いの謎を解いたというわけか」
「そういうことかな。とは言っても毘沙門天門下の者なら誰もが皆気付くはずだよ。信玄に対して無用なイメージを持っていないからね」
無用なイメージ、か。
江戸時代に軍学書として流行した甲陽軍鑑のように、武田信玄を大げさに、そして誰よりも強く大きく記した書物は数多い。
そういったものが積み重なって、まさに当代一の武将、風林火山の武田信玄というイメージができている。僕の中にもそんなイメージは誰の心にも根付いている。
そのイメージ故に呪いの謎に気付かない、と彼女は言っている。
ならばそのイメージを取り払ってみればどうか。例えば風林火山は孫子の一説であり、北畠顕家の軍旗だ。
だったら、あの軍配はどうなるだろうか?
「……そういうことか。やっとわかったよ」
「流石だね」
武田信玄と言えば軍配。軍配と言えば武田信玄。
だが、そのイメージを取り払った時。その軍配を武田信玄の物でなく、一人の男の持ち物だと考えた時。
自分の父親が死んだ時、その遺品を受け継がぬ息子がいるだろうか?
信玄の呪いは毘沙門天の弟子を倒したことでとうに解けている。ならば今もなお残っている呪いは―――
「そう、軍配に残っているのは勝頼の呪いだよ」
武田家を、そして軍配を受け継いだ勝頼の呪いだ。
武田勝頼と言えば信玄亡き後の武田家を継いだ人物であり、同時に武田家の滅亡を招いた人物だ。
滅亡していく武田家、果たせなかった天下統一への思いが、信玄の呪いとともに軍配に刻まれたのだろう。
信玄亡き後、勝頼は織田・徳川の連合軍に破れ、衰退した国力のために上杉と同盟を結んだ。
しかしそれはかつての同盟、すなわち北条との同盟を破棄することとなり、武田は二方面作戦を余儀なくされる。
とは言っても、それだけで滅びたわけではない。武田家は元より二方面への備えなど信玄の時代は当たり前であったし、歴戦の家臣達は勝頼の時代も生き残っていた。
何より、勝頼自身も信玄の後を継いだだけのある猛者だった。信玄が陥とすことのできなかった高天神城を制圧するなど、戦働きは上々だった。
ならば何故武田家は滅びたのか。
それを考えた時、僕はようやく気付いたのだった。目の前で不敵に笑う子鼠のその策謀の程に。
「さて、それじゃそろそろ行ってくるよ。どうせすぐに終わるけれどね」
なるほど、確かにすぐ終わるだろう。いや、すぐ終わる言うよりももう終わっている、と言うほうが正しいか。
僕は上空の彼女達を見上げた。文の背中を守るように現れたはずの二柱は、いつの間にか文と向かい合うようにしていた。
これこそが武田家が滅亡した理由。そう、家臣の裏切りだった。
「いや、毘沙門天は中々いい奴でね。今度宝船世界一周ツアー連れてってくれるっていうからさ」
「実はゴルフの握りで結構借りがあってねー。神の世界も世知辛いんだよ。ごめんねー」
二柱は完全に文から離れた。
自身の立場に一気に気付かされたか、文の額を一筋の汗が流れていく。
「さ、早苗さん!」
「大丈夫ですよ、文さん。どうせ妖怪は全て滅しますから。早いか遅いかですよ。一度天狗の鼻ってリアルでへし折ってみたかったんですよねー」
相当物騒なことを言いながら巫女も離れていく。
後に残されたのは文一人。そう、これこそが勝頼の軍配に眠っていた呪いのデメリット。『身内の裏切りにあいやすくなる』と言ったところか。
勝頼が終生苦労したのは、信玄が残した家臣達の裏切りだった。
家臣達は誰よりも強く、誰よりも優れ、そして誰よりも信玄を愛していた。
そして信玄亡き後、勝頼にそれら家臣を率いていくだけのカリスマは無かった。
勝頼自身にも問題はあった。兵力が足りないとはいえ、陥落寸前の城を救出に行くことなく見殺しにしたことは一番大きな理由だっただろう。
裏切りの結果、勝頼は小山田信茂を頼りその居城へと向かう。だが最後にはその信茂にも裏切られ、腹を切ることになる。
「なるほど、そういうことですか……」
冷や汗を流しながらも眼前の敵を睨みつける文。対して星にナズーリンは今や勝者の余裕を持ってその視線を迎えていた。二柱に巫女は傍観者に徹するのか、既に地上に降りて様子を見守っている。巫女はなんだか拗ねている。自分で調伏したかったようだ。……こんな娘だっただろうか。
とにかく今や勝勢は決した。だが、今の文にできることが一つだけある。
勝頼を迎えようとした武将は二人いた。一人は最後に裏切った小山田信茂、もう一人は戦国の世をこれから生き抜いていく真田昌幸である。
信茂を頼ったがために勝頼は腹を切り、武田家は滅亡した。ならば真田のところへ逃げていたらどうなっただろうか?
昌幸は戦国の世が終わる頃まで生き続けた。勝頼もおそらくそうなっていたことだろう。
となれば文が取るべき戦法は一つ。そう、逃げるのだ。彼女にとっての真田昌幸―――あの白狼天狗のところにでも逃げればいいのだ。
文もそれを既に分かっているだろう。あとはそのタイミングだけだ。
だが、文が機を窺っている間にも情勢は変わり続けているのだった。
「白蓮!」
星が新たな名を呼ぶ。瞬き一つする間に気付けば星の背後には一人の女性が現れていた。
白蓮、と彼女は呼んだ。とすれば、命蓮寺の長にして、長らく魔界に封印されていたという彼女のことだろう。
僕は文が今や逃げることすら叶わなくなったのを知った。いや、逃げるのが叶わないのでなく、文はやがて逃げるなどと考えることすらできなくなるだろう。
他の誰でもない、僕自身がさきほど差し出したあの頭蓋骨によって。
「……一対三とは、中々に大げさですね」
「いくら毘沙門天の加護を受けているとはいえ、天狗の速度には追いつけませんからね。私はあくまで逃走を防ぐだけです。戦うのはこの二人」
「なるほど、私の逃走を防ぐ、と。速さには自信がおありということですね」
「いえいえ、そんなわけでは。ただ呪いの類には慣れてますからね、僧である以上は」
そう言って彼女は星から木箱を受け取った。
中から取り出したのは例の頭蓋骨。呪われていると知っているそれを白蓮はいとも簡単にわしづかみにした。
文はあれを僕が売ったものだとは知らない。これはあれだろうか。僕も内通、あるいは裏切りをしていた扱いになってしまうのだろうか。
なってしまうんだろうなぁ。なんせあの頭蓋骨といえば。
「……ッことごとく!焼き討ちにせいーーッ!」
浅井長政の頭蓋骨、通称織田信長の杯だ。
「信ッ!長ァァーーーッ!」
軍配に眠る勝頼の魂が吠える。
信玄が謙信に対する憎悪を眠らせていたように、長篠で苦渋を舐めさせられた信長に対する憎悪を勝頼は眠らせていた。
こうなっては文は逃げることすら適わない。殺意に狩られ突き進むだけだ。
目の前に生まれた対武田包囲網、信長と謙信がかつて結んだ濃越同盟はあの軍配を見事にへし折るだろう。
すまない文、今の僕にできることはただ香霖堂へ駆け込むことだけだ。
この戦いの後、君に香霖堂の倉庫に眠る明智光秀の兜を見つけられないように。
彼女が言った通り、好奇心は猫をも殺す、と同時に好奇心は妖怪を生かす。
生かしたり殺したり忙しいものだが、少なくとも文の好奇心がしばらく鳴りを潜めるであろうことは間違いないようだった。
そしてそれは僕にとってはしばらくの安息が訪れることを意味するのだった。
この作品は作品集87の拙作『好奇心は天狗を呪う』の続編的な扱いとなっておりますので、そちらとあわせて読むと歴史のテストでいつもより5点くらい多く取れるかもしれません。
戦国・三国時代以外がテスト範囲だったら諦めて部屋の片付けとか犬の散歩とかするといいと思います。
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時は戦国、十二代将軍足利義晴が即位した大永元年。甲斐国守護武田氏の元に一人の子が産まれた。
幼名勝千代。十五の時元服、将軍から「晴」の字を賜り武田晴信を名乗る。その後仏門へと出家した時の法名こそが、今も世に伝わる武田信玄である。
以前、諸葛亮孔明の一生を簡単に表すならば大国たる魏に対する反抗の一生だった、と語ったことがある。
同様に信玄の一生を語るとすれば、彼の一生は海への渇望だった、というところだろう。
信玄の生まれた甲斐、そして後に領土とした信濃は周囲を陸に囲まれた地である。北方には越後を領有する上杉、東には今で言う関東一円を我が物とする北条。信玄と同じ頃台頭を始めた斎藤道三が西の美濃を守り、南には将軍家の分家たる名門今川氏。
強国のひしめくこの内陸地で信玄はひたすらに海を目指した。時には南方面の北条や今川に攻め入り、またある時は日本海側へ向けて上杉へ兵を出した。
信玄が何故そこまでひたすらに海を目指したのか、それは僕にはわからない。
この幻想郷には海が無いからだ。それ故に、僕には信玄の海に対するその激情を理解することができない。僕にとっての海とは最初から存在しない物でしかないのだ。
僕のことはとにかく、生涯をかけて海を目指した彼の一生はただただ戦い尽くしだったと言っていい。
戦へ向かう彼の姿は今もなお語り継がれている。武田信玄と言って大抵の者がまず思いつくのが風林火山の軍旗だろう。風林火山と言えば本来は孫子の一説であり、また信玄より二百年も前の南北朝時代に北畠顕家も軍旗として使っていたのだが、今では風林火山イコール武田信玄、と強固なイメージが着いている。
そしてもう一つ、その軍旗以外で彼に付随するものと言ったら。それこそが信玄が指揮を奮う際いつも掲げていた軍配であり、今僕の前で射命丸文が気ままに振り回しているそれである。
「いやー、絶好調ですよ絶好調!」
彼女は香霖堂の上空を軽快に飛び回りながら、時折四方八方へと風を吹かせている。
絶好調だと彼女は言うが、それもそのはずだ。
疾き事風の如し、とはかの風林火山の一小節目だ。信玄の力が宿る軍配、風を操る彼女と相性のいいアイテムなのは間違いないだろう。
だが忘れて欲しくないのは、彼女が手にしているそれはあくまでも呪いのアイテムだと言うことだ。
長らく倉庫に眠っていた呪いのアイテムを順番に天日干ししていたところ、その中から彼女がこの軍配を手に取ったのが―――いや、彼女が勝手に手を出したのが十日ほど前。
これまで特に呪いの効果は現れていないようだが、呪われたアイテムにホイホイと手を出した結果死なれでもしたら僕としても目覚めが悪い。
日々戦に明け暮れた信玄が上洛の志半ばで散ったその無念、その悔恨、その激情が詰まった軍配なのだ。
調子に乗っていると思わぬ呪いの副作用でしっぺ返しを食らうことになるかもしれない。もうちょっと自重してほしいものだ。そうごちる僕の心配を庭に舞い降りた彼女は即座に笑い飛ばした。
「まぁいいじゃないですか、今のところは問題無いようですし」
「今のところは、ね。しかし何かあってからじゃ遅いだろう」
「その時は対応策をお願いしますよ、アイテムの持ち主さん」
「自分から勝手に呪われておきながらよく言うもんだ」
「そこはあれですよ、保護責任者としてのそちらの問題というヤツですよ」
あぁ確かに。彼女にはしっかりと目を光らせておく必要があると前回痛感した。
これ以上振り回されてはたまったもんじゃない。
「私じゃなくてアイテムの方なんですがね、保護しておくべきなのは」
「アイテムは勝手に動いて人を呪ったりしないからね。君は勝手に動くし勝手に触れるし勝手に呪われるだろう?」
「好奇心は猫をも殺す、とは言いますが、妖怪にとっては何よりも優先すべき事項ですから。それは仕方ないというものです」
その気持ちはわからないでもない。妖怪にとって、と言うよりもこれは長く生きる者にとっての共通項だろうから僕にもよくわかる。
代わり映えのしない時をひたすらに過ごしていれば、身も心も澱んでしまうというものだ。
それを解決するには自分から動いていくしかない。少しでも面白そうなことを、少しでも興味が持てそうなものを探していくしかないのだ。
そういう意味では天狗達の新聞作りは非常に妖怪の生態に合っているのかもしれない。
そのために振り回される方はたまったものではないが。
「仕方ない、で振り回されるこっちの身にもなってほしいものだがね」
「あ、そういえばちょっと気になることもあるんですが」
「全力でスルーかい……」
人の話を完全に無視しながらも、うーん、と首を傾げて彼女は言った。振り回していた軍配を肩に預けると、彼女は縁側に座る僕の隣に腰掛けた。
「いや、呪い解けないなぁと思いまして」
「……すまない、何を言っているのかわからないんだが」
うちに眠る呪いのアイテム達が、いとも簡単に勝手に解けるような類の呪いではないことは彼女も承知のはずだ。
それを承知で手に取るのだからたいした度胸だとは思うが。まさに体当たり取材と言ったところか。
「んー、この軍配を手にした時、すっごい敵意というか半ば殺意に近いようなのが湧いて来まして、それであちらに突撃していったわけなんですけれど」
二日前、彼女率いる妖怪の山の軍勢は命蓮寺に攻め入り、その住民を散々に打ち破った。
とは言ってももちろん本気の殺し合いなどではない。弾幕ごっこの団体戦のようなものだ。外の世界でサバイバルゲームなどと呼ばれるそれに酷似している。
彼女達が命蓮寺に攻め入ったのには、もちろん彼女が手にした軍配にその理由がある。
軍配の主、信玄はやがて南方面への進軍を諦め、北条・今川と同盟を結ぶことになる。この同盟をそれぞれが有していた領地の頭文字から甲相駿同盟と呼ぶことは有名だ。
同盟以後、信玄は北方方面への進軍を主とするようになる。相手は越後の龍、後に上杉家を継ぐ長尾景虎。法名を謙信。信玄の宿命のライバルと呼ばれる上杉謙信その人だ。
後世に残る資料を見る限り二人の生き様は非常に対照的だ。何をしようが勝てばいい信玄に対し、清廉を旨とした謙信。そんな二人の差異が一番大きく現れているのが宗教観だ。
信玄の出家はかなり政治的な意味合いを持っている。領主自らが信徒となることで領内の一揆を抑えたり、逆に他国の領地の一揆を扇動したりと、あくまで戦国の世にのし上がるための一手段として使っている。
対して謙信はと言うと全くの逆だ。領主という自らの立場も全く関係なく、あくまで一人の教徒として仏道に入っている。
大名上杉家の主たる者が自分の宗教は妻帯禁止だから、と跡継ぎを作らないのだ。彼の宗教への傾倒ぶりは凄まじかったことがよくわかる。
そんな傾倒が行き過ぎたのか、謙信はやがて自分が毘沙門天の転生だと吹聴するようになる。いや、最初から自分が毘沙門天の転生と信じていたからこそ傾倒していったのかもしれない。
自身の前に幾度となく立ちはだかる謙信の姿は、彼の妄言とあいまって信玄の胸にしかと刻まれただろう。毘沙門天の転生、上杉謙信。自分の宿願を阻み続ける男。
そんな謙信に対する敵意や憎悪が軍配には篭っていた。軍配を手にした文はその敵意に駆られ、一目散に山へ戻ると戦支度を始めたそうだ。
にっくき毘沙門天……の弟子、命蓮寺の寅丸星を打ち倒すために。
「ちょうど向こうの上役がいなかったようで、上手い具合に張り倒してきたんですけど」
「……あぁ、呪いの大元の宿願―――毘沙門天打倒を果たしたはずのに解けない、ということか。霊夢には解呪は?」
「頼んでみましたけど、やっぱり無理みたいですね。まだまだかなーり強く呪いが憑いてるそうで。ただその割にあれほどあった敵意は無くなってるんですよねぇ」
毘沙門天を打ち倒したのに呪いが解けないとすると、この軍配に宿る信玄の遺志は謙信打倒ではない、ということだろうか。
しかしそれだったら最初から毘沙門天に対する敵意が篭っているはずが無いし、その敵意が今では消えているのも妙だ。一体どういうことだろう。
「うーん、確かにこれは気になるね」
「でしょう?そこでですね!」
「だが断る」
「……せめて話を聞いてからにしません?」
「それすらも断る」
どうせ解呪法を見極めるために次の戦いに着いてきてください、とかそんなところだろう。
以前の呪いの時はこちらにも着いていくメリットがあったものの、今回は全く無い。こちらが付き合う道理は微塵たりとも無いのだ。
「だいたい、君は今その軍配のおかげでかなり調子もいいみたいじゃないか。前回と違って別に無理して呪いの謎を解かなくてもいいだろう」
「確かにそうでしょう。呪いによって何らかのデメリットが訪れる恐れはあるにしても、今の私は当社比ならぬ当者比120%出力。デメリット以上のメリットは充分にあります」
「だろう?だったら……」
「ですが、もし呪いを解くことによるメリットがそれより大きいとしたら?」
呪いを解くことによるメリット。そんなものあるわけがない。
何故なら呪いとは通常からマイナスへと働きかける効果だ。それがなくなったとしてもプラスマイナスゼロに戻るだけ。そこには利得など存在しない。
だが、彼女の言うようにもしあるとしたら……
「今回こそ呪いの秘密を新聞に載せてウハウハ、とかそんなところかな」
「さっすが店主さん、見事にビンゴです。『武田と上杉、決着を着けても呪いは消えず!呪いの秘密とは?両者の因縁に迫る!』んー、いい感じに湧き上がってくるじゃないですか!」
「案外大したことないかもしれないよ。送ってもらった塩を送り返してないから、とか」
「あぁ、あれですか。確かに信玄は悔しかったでしょうからね。ライバルに大儲けさせてしまったわけですから」
なんだ知っていたのか。
敵に塩を送る、という言葉は今では美談として伝わっている。
海が無いため自力で塩の生産ができない武田。それに対し今川は甲斐への塩商人の出入りを禁じた。
たかが塩を禁じても、と思うかもしれないが、当時は塩以外の調味料など殆ど無く、また食料の防腐用や保存用としても塩は使われていた。食料無くして戦争ができるわけがない。武田は一気に窮地に陥った。
しかしそんな中、宿命のライバルであるはずの上杉が武田に壷一杯の塩を送る。お前を倒すのはこんな姑息な手段でなく戦場でだ、と添えられたその壷。甘い野郎だ、と謙信に対し思いつつも、信玄は自分の頬を伝う塩よりしょっぱい液体を止められないのだった……というような話だ。
だが現実はと言うと。
「商売敵の今川が突如塩の販売をやめたんですから、そりゃ稼ぎ時ですよねぇ」
「まったくだね。ボロ儲けだ」
現実は別段大したことはない。今川が政治的な理由で塩の供給を止めたのに対し、上杉は経済的な理由を優先しただけだ。
さぞ儲かったことだろう。なんせほぼ独占供給だから価格競争も起こらない。信玄涙目。
今川は政治的に妙手を取ったと思ったろうが、実際には上杉の方が一枚上手だったということだ。なんせ武田から儲けた金を使って武田を攻めるのだから。泣きながら高い金を払って塩を買ったら敵が攻めてきた。信玄マジ涙目。
戦争は強いが内政ができない、などと謙信は言われることもあるが、その噂が事実と異なるということはこの逸話だけでもわかるというものだ。
「まぁ、そんなエセ美談は置いておきましょうか」
「そうだね。少しばかり話も外れてしまったようだ」
「店主さんの場合それはいつものことですけどね……」
む、そういえばそうかもしれない。
まぁ知識を披露できる相手も少ないからなぁ。これが魔理沙や霊夢相手だったら「ふーん」の一言で終わってしまう。
ある程度こうやって話し合える相手でないと脱線することすらできない。そういう意味では文は貴重な相手なのかもしれない。
「とにかく、今回の件について協力する気はないよ」
「むぅ……仕方ありませんね」
「やけに聞き分けがいいじゃないか」
珍しいこともあるもんだ。逆に何かあるんじゃないかと疑ってしまうくらいだ。
「たまにはそういうこともありますよ」
「たまには、じゃなくていつもだと嬉しいんだが」
「前向きに検討いたしますよ。それでは今日はこの辺りで。ではっ!」
最初から検討する気もない政治家のような台詞を吐いて文は帰って行った。
絶対僕を巻き込む気だ、あれは。聞き分けのいい文、なんてありえるわけがない。完全に矛盾している。
とは言ってもまぁ、こちらから応じなければいい話だ。彼女がどんないい条件を出しても無視しておけばいい。
文も帰った。辺りも暗くなってきたし、そろそろ夕餉の準備でもするとしよう。
ぐっと一つ伸びをして、まずは干しておいた布団を取り込んだ。どんよりした今日の天気と、外に出しておいた時間の割りにはしっかりと乾いていた。
「……あぁ、なるほど」
道理であんなに無駄に風を吹かせていたわけだ。
たまにこういう殊勝なところがあるから憎めないというかなんというか。いや、どうせ僕との交渉のために好印象を与えておこうとかそんなところだろうから殊勝とも言い難いか。
だがまぁ、明日もう一度頼みにくるようなら受けてやってもいいか。今は彼女が持っているとはいえあの軍配も香霖堂のアイテムだし、僕としてもあの呪いには興味がある。
もっとも彼女が明日また来れば、の話だ。彼女はここにそう頻繁に来るわけではないし、どうせ来ないだろう。
味噌汁用の大根を切りながらの僕のそんな予想だが、残念なことにそれはすぐ明朝に儚くも裏切られるのであった。斜め右上の方向に。
翌日。早朝の香霖堂で、僕を心地よいまどろみから引き戻したのは大きな大きなノックの音だった。
ドンドンコンコン、ドンコンコン。ドンドドドンドン、コンコン。
大きな音と小さな音が交互に僕の鼓膜を揺り動かす。覚醒し切っていない意識の中でたまらず僕は玄関へと向かった。
「文、いくらなんでもうるさ……どちらさまで?」
そこにいるのは一匹の虎とネズミ―――いや寅と子であった。
「香霖堂店主とお見受けいたしますが」
「その通りだが、人に名を尋ねる時は先に己から名乗るものだよ。特にこんな早朝の闖入者はね」
「これは失礼。私は命蓮寺毘沙門天代理、寅丸星と申します」
「同じく毘沙門天門下のナズーリン。安眠を妨害してすまないが、ご主人がどうしてもと言って聞かないものでね」
ご主人、とは目の前の虎柄模様の服を着た彼女のことだろう。
寅丸星。ついこの間文がこてんぱんにのしたという彼女だが、こうして相対してみるとそれが本当なのかどうか疑わしくさえ思えてしまう。
彼女から発せられているオーラ―――と言うよりは怒気の前に僕は圧倒させられるばかりだった。半分眠っていた意識も慌てて布団を片付け始めた。
二人は随分と怒っているようだが、文のことは文に言ってほしいものだ。あの軍配は確かにうちのアイテムだが、手に取ったのは文で目の前の二人を屠ったのも文なのだ。
「あなたの事はよく聞かせていただいたわ、あの天狗に」
「なら話は早いな。僕のせいではないということも聞いているだろう?」
「自分のせいではない、ですか。そうですか、そう来ましたか……」
……なんだか不穏な方向へ向かっている気がする。と言うより絶対に向かっている。
文が僕のことをどう評したのか。彼女達が文からどんな話を聞いたのか確かめる必要がありそうだ。
「ま、まぁ待ってくれ。文に一体どんな話を聞いたんだい?」
「君はあの呪われた軍配の持ち主で、たまたまそれを握ったあの天狗が武田信玄の魂に取り付かれた、と聞いているよ」
たまたま握った、と言う辺りはかなり事実と異なるが、それ以外は特に変なところはない。
むしろ至極まっとうじゃないか。てっきり文が僕に責任をなすりつけでもしたのかと思ったが。
「クソ信玄の魂なんぞ倉庫の片隅に放っておけばよかったものをこのスカタンが」
「……パードゥン?」
「なんでもありませんよ、どうかしましたか店主?」
「あ、あぁいや。なんでもない。それよりどうしてここに?何かご入用かな」
二人の様子に正直一杯一杯になりながらも、商品を勧めることは忘れない。
何せ久方ぶりの新規客の獲得になるかもしれないのだ。ここでの扱いは重要だ。
「ご主人、店主がかなり引いている。もう少し殺気は抑えたらどうだい」
「む、わかっているのですがこればかりはどうしても……これから信玄に加えてアイツまでもと思うと……」
アイツ、というのが誰のことかはわからないが、どうやら僕に対して向けられた敵意ではないようで僕は少しだけ安心した。
「店主、ご主人に代わって聞かせていただくが、例の軍配やらが入った呪いのアイテムの中に、古ぼけた頭蓋骨があったんじゃないかい?」
古ぼけた頭蓋骨、か。
あぁ、そういえばあった気もする。というかあった。
いかにもやばそうな呪いがかかっていそうだったから、かなり慎重に倉庫の棚に置いた覚えがある。
流石にあれを野ざらしにして天日干しするのもどうかと思い、倉庫にしまいっ放しにしていたはずだ。
「あの頭蓋骨か。なるほど、君達が毘沙門天の門下で、そして文が信玄の扇を持っている。とあればあれを使うのは道理だろうね」
「流石店主、聞いていた通り頭の回転は速いようだね。よければ是非お譲り願いたいんだけれど」
「あの仏敵の力を借りるなど、私としては非常に不本意なのですが」
「ご主人、いい加減諦めたほうがいい。気持ちはわからないでもないが」
「わかってます、わかってはいるんですが……」
何やら迷い始めている二人。これはいかん。このチャンスを棒に振るわけにはいかない。
せっかくの新規客なのだ。ここは恩を売って取り込んでおくに限る。
「ふむ、あの頭蓋骨だが良ければ持って行ってくれないか?こう言うからにはもちろんタダでいい」
こちらもあの呪いには困っているんだ、と付け加える。
お金を出して買いたくは無い物も、タダならいいか、と思うのはよくあることだ。
僕としては特に必要ともしていない呪いのアイテム一つで新規客の開拓ができるのなら安いものだ。
「ほら、彼もあぁ言っている。是非貰っていこうじゃないか」
「……まぁそうですね、タダだと言うなら……」
商談成立だ。清廉な人間ほど人から受けた恩を忘れないものだ。仏門に帰する彼女達であれば、これから先の来店を期待しても大丈夫だろう。
僕は直接手で触れないようにマジックハンドで頭蓋骨を木箱へと収めると、ナズーリンに手渡した。
「そういえばこれがどうして香霖堂にあると思ったんだい?」
「あぁ、探し物を見つけるのはちょっとばかり得意でね。まぁそこそこ程度には便利なものだよ」
「なるほどね、確かに便利そうではある」
「けれどもそうだね、どちらかと言ったらより便利なのは―――『探し者を見つける能力』、かな」
そう言って彼女は空を見上げる。いつの間にかそこにいたのは一人の天狗。射命丸文だった。
「やぁ天狗殿。今日は借りを返しに来たよ」
「こんなところまで無様な姿を晒しに来たんですか?わざわざご苦労様です」
「はは、中々言ってくれるね。ただ今日はこの間みたいにやられるわけにもいかなくてね。色々と策を弄させてもらうよ」
「なるほど、確かに戦の趨勢を決めるのは策であり計略です。ですが、それも彼我の戦力差が無ければこそ、でしょう」
文の言う通りだ。いくら優れた軍師でも、十倍の数を有する敵に勝つことはできない。
そして今、目の前にいる二人の毘沙門天門下に対して文は、いや文達の戦力は数十倍にも及ぶだろう。
「それじゃ今日もお願いしますよ。八坂様、洩矢様、早苗さん!」
「はいはい」
「あーい」
抜けるような蒼天のどこに隠れていたのか、文の影から現れた二柱の神に一人の巫女。
彼女達こそが、妖怪の山対命蓮寺の決着をもたらした最大の要因だった。
信玄は生前、自分が死んだら諏訪湖に遺骸を沈めるようにと遺書に遺していたそうだ。仏門への帰依とは違いこちらに関しては本気の信仰を捧げていたようである。
そんな信仰の対象を目の前にして、男一匹武田信玄の魂は奮い上がった。
二柱の方とてかつて自分に深く信仰を捧げた武将の魂とあっては協力しないわけがない。二柱が参加するとなればその巫女も参加する。
そうして生まれたのが、神二柱、半神一柱、天狗二人が率いる大連合であった。
流石の御仏たる毘沙門天の弟子とはいえ、神そのものが二柱もいる以上勝ちようが無いのは明白だ。
そしてその力関係は今日も変わってはいない。ただ、僕が今しがた手渡した頭蓋骨があるにはあるが、流石にこの力量差の前ではどうにもならないだろう。
「その顔はあれだね、君としては戦力差は歴然だと思っているわけだ」
話しかけてきたのはナズーリン。内に怒りを秘めたまま上空を睨みつける星に対して、彼女は余裕綽々と言った表情だ。
「こちらとしても、この髑髏だけに頼ってここまで来たわけではなくてね。例えばあの軍配」
軍配、と言って彼女が指したのは文の右手のそれだ。
この状況だ、信玄の魂が宿るそれが文に利することはあっても害することは無い。だがもし害することがあるとしたら。
「呪いかい?君はあの軍配の呪いの謎を解いたというわけか」
「そういうことかな。とは言っても毘沙門天門下の者なら誰もが皆気付くはずだよ。信玄に対して無用なイメージを持っていないからね」
無用なイメージ、か。
江戸時代に軍学書として流行した甲陽軍鑑のように、武田信玄を大げさに、そして誰よりも強く大きく記した書物は数多い。
そういったものが積み重なって、まさに当代一の武将、風林火山の武田信玄というイメージができている。僕の中にもそんなイメージは誰の心にも根付いている。
そのイメージ故に呪いの謎に気付かない、と彼女は言っている。
ならばそのイメージを取り払ってみればどうか。例えば風林火山は孫子の一説であり、北畠顕家の軍旗だ。
だったら、あの軍配はどうなるだろうか?
「……そういうことか。やっとわかったよ」
「流石だね」
武田信玄と言えば軍配。軍配と言えば武田信玄。
だが、そのイメージを取り払った時。その軍配を武田信玄の物でなく、一人の男の持ち物だと考えた時。
自分の父親が死んだ時、その遺品を受け継がぬ息子がいるだろうか?
信玄の呪いは毘沙門天の弟子を倒したことでとうに解けている。ならば今もなお残っている呪いは―――
「そう、軍配に残っているのは勝頼の呪いだよ」
武田家を、そして軍配を受け継いだ勝頼の呪いだ。
武田勝頼と言えば信玄亡き後の武田家を継いだ人物であり、同時に武田家の滅亡を招いた人物だ。
滅亡していく武田家、果たせなかった天下統一への思いが、信玄の呪いとともに軍配に刻まれたのだろう。
信玄亡き後、勝頼は織田・徳川の連合軍に破れ、衰退した国力のために上杉と同盟を結んだ。
しかしそれはかつての同盟、すなわち北条との同盟を破棄することとなり、武田は二方面作戦を余儀なくされる。
とは言っても、それだけで滅びたわけではない。武田家は元より二方面への備えなど信玄の時代は当たり前であったし、歴戦の家臣達は勝頼の時代も生き残っていた。
何より、勝頼自身も信玄の後を継いだだけのある猛者だった。信玄が陥とすことのできなかった高天神城を制圧するなど、戦働きは上々だった。
ならば何故武田家は滅びたのか。
それを考えた時、僕はようやく気付いたのだった。目の前で不敵に笑う子鼠のその策謀の程に。
「さて、それじゃそろそろ行ってくるよ。どうせすぐに終わるけれどね」
なるほど、確かにすぐ終わるだろう。いや、すぐ終わる言うよりももう終わっている、と言うほうが正しいか。
僕は上空の彼女達を見上げた。文の背中を守るように現れたはずの二柱は、いつの間にか文と向かい合うようにしていた。
これこそが武田家が滅亡した理由。そう、家臣の裏切りだった。
「いや、毘沙門天は中々いい奴でね。今度宝船世界一周ツアー連れてってくれるっていうからさ」
「実はゴルフの握りで結構借りがあってねー。神の世界も世知辛いんだよ。ごめんねー」
二柱は完全に文から離れた。
自身の立場に一気に気付かされたか、文の額を一筋の汗が流れていく。
「さ、早苗さん!」
「大丈夫ですよ、文さん。どうせ妖怪は全て滅しますから。早いか遅いかですよ。一度天狗の鼻ってリアルでへし折ってみたかったんですよねー」
相当物騒なことを言いながら巫女も離れていく。
後に残されたのは文一人。そう、これこそが勝頼の軍配に眠っていた呪いのデメリット。『身内の裏切りにあいやすくなる』と言ったところか。
勝頼が終生苦労したのは、信玄が残した家臣達の裏切りだった。
家臣達は誰よりも強く、誰よりも優れ、そして誰よりも信玄を愛していた。
そして信玄亡き後、勝頼にそれら家臣を率いていくだけのカリスマは無かった。
勝頼自身にも問題はあった。兵力が足りないとはいえ、陥落寸前の城を救出に行くことなく見殺しにしたことは一番大きな理由だっただろう。
裏切りの結果、勝頼は小山田信茂を頼りその居城へと向かう。だが最後にはその信茂にも裏切られ、腹を切ることになる。
「なるほど、そういうことですか……」
冷や汗を流しながらも眼前の敵を睨みつける文。対して星にナズーリンは今や勝者の余裕を持ってその視線を迎えていた。二柱に巫女は傍観者に徹するのか、既に地上に降りて様子を見守っている。巫女はなんだか拗ねている。自分で調伏したかったようだ。……こんな娘だっただろうか。
とにかく今や勝勢は決した。だが、今の文にできることが一つだけある。
勝頼を迎えようとした武将は二人いた。一人は最後に裏切った小山田信茂、もう一人は戦国の世をこれから生き抜いていく真田昌幸である。
信茂を頼ったがために勝頼は腹を切り、武田家は滅亡した。ならば真田のところへ逃げていたらどうなっただろうか?
昌幸は戦国の世が終わる頃まで生き続けた。勝頼もおそらくそうなっていたことだろう。
となれば文が取るべき戦法は一つ。そう、逃げるのだ。彼女にとっての真田昌幸―――あの白狼天狗のところにでも逃げればいいのだ。
文もそれを既に分かっているだろう。あとはそのタイミングだけだ。
だが、文が機を窺っている間にも情勢は変わり続けているのだった。
「白蓮!」
星が新たな名を呼ぶ。瞬き一つする間に気付けば星の背後には一人の女性が現れていた。
白蓮、と彼女は呼んだ。とすれば、命蓮寺の長にして、長らく魔界に封印されていたという彼女のことだろう。
僕は文が今や逃げることすら叶わなくなったのを知った。いや、逃げるのが叶わないのでなく、文はやがて逃げるなどと考えることすらできなくなるだろう。
他の誰でもない、僕自身がさきほど差し出したあの頭蓋骨によって。
「……一対三とは、中々に大げさですね」
「いくら毘沙門天の加護を受けているとはいえ、天狗の速度には追いつけませんからね。私はあくまで逃走を防ぐだけです。戦うのはこの二人」
「なるほど、私の逃走を防ぐ、と。速さには自信がおありということですね」
「いえいえ、そんなわけでは。ただ呪いの類には慣れてますからね、僧である以上は」
そう言って彼女は星から木箱を受け取った。
中から取り出したのは例の頭蓋骨。呪われていると知っているそれを白蓮はいとも簡単にわしづかみにした。
文はあれを僕が売ったものだとは知らない。これはあれだろうか。僕も内通、あるいは裏切りをしていた扱いになってしまうのだろうか。
なってしまうんだろうなぁ。なんせあの頭蓋骨といえば。
「……ッことごとく!焼き討ちにせいーーッ!」
浅井長政の頭蓋骨、通称織田信長の杯だ。
「信ッ!長ァァーーーッ!」
軍配に眠る勝頼の魂が吠える。
信玄が謙信に対する憎悪を眠らせていたように、長篠で苦渋を舐めさせられた信長に対する憎悪を勝頼は眠らせていた。
こうなっては文は逃げることすら適わない。殺意に狩られ突き進むだけだ。
目の前に生まれた対武田包囲網、信長と謙信がかつて結んだ濃越同盟はあの軍配を見事にへし折るだろう。
すまない文、今の僕にできることはただ香霖堂へ駆け込むことだけだ。
この戦いの後、君に香霖堂の倉庫に眠る明智光秀の兜を見つけられないように。
彼女が言った通り、好奇心は猫をも殺す、と同時に好奇心は妖怪を生かす。
生かしたり殺したり忙しいものだが、少なくとも文の好奇心がしばらく鳴りを潜めるであろうことは間違いないようだった。
そしてそれは僕にとってはしばらくの安息が訪れることを意味するのだった。
丁度小山田信茂ら武田末期の武将を再評価したくて色々調べていただけにタイムリーでした
ナズの賢将ぶりに惚れ惚れしながら星さんがいつやらかすかという期待をしてしまったり、
そして嬉嬉として比叡山焼き討ちしそうな早苗さんはもう駄目だ
命蓮寺と関係が深い武将と言えば他に信貴山の松永弾正がいますねw
魔界神様にその役も厳しいと思いますがwww
初めて聞いたときには「上杉何余計なことを…」と思ったものですが、
実は真っ当な賢将だったんだなあと思います。
話も面白かったです。
>一度天狗の鼻ってリアルでへし折ってみたかったんですよねー
なにこれこわい
つ、つまり信玄のあまりの迫力にアリスが漏らしてしまうということか……!しかも史実通りなら大きいほうを……
なんというご褒美
あややは調子に乗って痛い目見るのコンボで光る子だと思います!
だが早苗さんマジ自重www
前作共々楽しく読ませて頂きました。
最終的な文と霖之助の関係に期待w
文ちゃんは落ち着きを取り戻せそうで良かったじゃないかw
今度はどんなものが店から出てくるか楽しみで仕方が無い。
武田といえば諏訪ですよねー
本多忠勝役が誰になるかが気になる所。
そして早苗さん自重w
そーいや此処のとある作品で死因がエr…じゃなくてエライことになってたなw
忠勝はやっぱ上海か蓬莱じゃないかなあ
あややは好きだけど、SSにおいては
大新聞社社主(天魔)の秘蔵っ子で頭も切れる性悪特命秘書で、その頭脳や後ろ盾を
最大限に利用して自らの歪んだ社会正義と行使とカタルシスを満たしてるような所があ
るから「こんなはずじゃ…いやあぁぁぁぁ、ひいぃぃぃぃ」ってなると…
…私が、嬉しいんです…