Coolier - 新生・東方創想話

平成十三年の夢綺譚

2009/11/03 22:04:41
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作品集88『明治十七年の夢綺譚』の続きになっています。
あれを読んで続きが読みたいと思った方は、スクロールバーを下の方へお願いします。


















     ***



 ―――世界を闇が覆い尽くした。

 そう、あれは後に博麗大結界と呼ばれる巨大な結界を張ったときのことだった。
 耳をつんざくほどの雷鳴と、まるで箱舟伝説の洪水のような豪雨に包まれ、結界の内側は、永遠の闇に閉ざされたかに見えた。
 原因は、龍。
 すなわち、妖怪という妖怪すべてが崇拝していた、最高神ともいうべき存在の逆鱗に触れてしまったのだ。
 正当性のない理由で、世界を一つ創ってしまうなど、本来ならあってはならないことだ。浅はかだった私はそれに気付くことが出来ずに、己の信じるままに動いてきた。

「これは、貴女の意思ですか?」

 龍宮の使いを通して、私は龍と会話をする。
 答えはイエス。私は首を縦に振った。
「発案したのは貴女ですね?」イエス。「ことの重大さは理解できていますか?」イエス。「貴女は何のためにこのようなことをしたのですか?」イエ―――

 ……それは。
 独りの、少女の為だった。
 結果として、妖怪たちにも得しかない内容の結界と結論づけることが出来たが、私は、ただ―――彼女の為に。

 夢を見て、深きに溺れた少女の為。
 他人の為の、エゴイズム。


 忘れもしない、明治十八年のことだった。















 月日は流れ、現在に至る。

 未だに、彼女は目覚めない。






















     ***


◇月◇日

 久々に、あのときの夢を見た。

 蓮子が眠り、一年がたったあの日。私は彼女の夢に干渉し、そして真実を見た。
 私の生き写しのような、『秘封倶楽部』の相棒―――マエリベリー・ハーン。通称メリー。境界を見る目を持つという、非常に私と似た能力を持ち、蓮子の夢に登場していた。
 マエリベリー・ハーンとの会話。私への罵倒の言葉。

 はいそうですかと、終わらせる気など毛頭なかった。

 だから、博麗に協力を求めた。
 一月の話し合いの結果、それは承諾され、そして、今日の夢。

 ―――龍が現れたのだ。


 だから久々に、蓮子のことが気になった。
 明日辺りにでも、もう一度干渉してみようかしら。


◇月○日

 宣言通りに、私は夢の中へと這入っていった。
 そう、そこまでは何ということはない。単に境界を操っただけのこと。
 しかし、現実は少しばかりおかしかった。私の意識は気付いたら元の場所―――蓮子の寝ている脇に戻って来てしまっていたのだ。すぐにもう一度這入ろうとしたが、今度は境界線を越える間もなく弾き出されてしまった。

「おかしいわね……」

 初めは、蓮子に異常が起きているのではないか―――そう思った。

 事実、それは間違いではなかったのだ。

「ん……」

 幽かな、声。
116年間のブランクを空けていても、それは鮮明に記憶に残っている声だった。ずっと待ち続けた、彼女のそれ―――

 やがて、蓮子は薄く、眼を開く。
 早くもぼやけ始めた視界の中で、彼女は優しく微笑んだ。

「……ぁ、おはよう、紫」
「蓮子―――っ!」

 私はなりふり構わず蓮子に飛びついて、その首にしがみつく。むぎゅ、とくぐもった声が、身体の下から聞こえた。

 混乱、混乱、混乱……。
 その時の私は、妖怪の賢者として博麗に協力を求めに行ったときとは、まるで比べ物にならないようなひどい顔をしていただろう。涙と鼻水と、普段からは想像も出来ないであろう喜びの表情。冷静になった今、鏡がなかったことにひたすら感謝するほかない。
 私の本当の顔を見ることが出来たのは、蓮子だけだ。

「おそよう、蓮子。116年間の寝坊よ?」
「はは……」

 彼女が浮かべた表情は、苦笑。しかし、それもいつか見た疲れたような笑いと、ほとんど変わっていなかった。それからどこか悲しそうな瞳で私を見据え、口元を「ごめんなさい」の形にゆっくりと動かす。

「私が……臆病だったのかな」
「どうして? そんなことないわ。うぅん……そりゃ貴女は少し考え過ぎな面があるけれど、今の時代には必要な特徴だと私は」
「そうじゃなくて、ね」身体を起こし、顔をしかめながら蓮子は呟く。「メリーに……帰れって言われたのよ」
「メリー……ね」

 マエリベリー・ハーン。彼女が―――私に散々、「蓮子には起きる意思がない」と告げた彼女が? 本当に蓮子を起こしたというのだろうか?
 蓮子が再び口を開いたのを見て、私は黙って彼女の言葉を待った。

「正確には、彼女に『ここは夢の中だ』って告げられたのよ。夢だと気付いてしまった夢は崩壊を始める……。だってそうでしょ? 私は目的を持って現実を忘れて逃げたというのに、それを思い出したら逃げる先は現実なんだから、確実にね。非常に小規模だけど、あれは、世界の崩壊よ」

 眩しそうに外を見つめながら、愛おしそうに、きっと消えた幻想を想いながら、蓮子は優しく微笑んだ。夕日が彼女を照らしだして、私はただ一言こう囁く、

「綺麗ね」
「何が?」
「貴女よ、蓮子」
「…………ばぁか」

 蓮子は顔を赤くして俯いた。その横顔が、私にはたまらなく愛おしい。
 だって―――、と私は心の中で呟く。
 未来を読んで絶望し、世界の終わりを一足先に目にして戻ってくる。余りにも運命とエゴに翻弄された生……。この結末が彼女にとってプラスなのかマイナスなのかどうかはわからないけれど、これを作り上げたのは蓮子自身だ。
 ほら、綺麗だ。

「わかった。わかったから―――」

 もう一回寝なさい、と。
 幻想から逃げる為に力を相当使ったのだろう、憔悴しきった顔の蓮子を再び布団の上に押し倒し、その意識を失わせた。
 妖怪は、こんなことでは死なないのが特徴の一つだ。

 おやすみなさい。


 ◇月□日

「あぁ、素敵」

 私が創り上げた世界―――幻想郷を歩きながら、蓮子は大きく伸びをしながらそう呟いた。自然の川、自然の風、自然の森……。彼女の夢の中には存在しなかっただろうそれらを全身で感じることが出来て、本当に気持ち良さそうで、私まで笑顔になってしまう。

 116年間、ずっとこうしたいと思って過ごしてきた。
 それが叶ったのだから何も言うことはないのだけれど、私が幻想郷を創った過程……つまり博麗との交渉云々を語ってから、蓮子は時折浮かない表情を見せるようになってしまった。特に「恥ずかしいけど、貴女の為に創ったんだから」と言ってしまってからは、深刻な表情を解くことがほとんどなくなってしまった。
 単に恥ずかしかったが故の照れ隠しとも考えられるけれど、また何か難しいことを考えているのかもしれない。彼女のことだからどうせそうなのだろうけど、もう少し他のことを考えてはくれないのだろうか?

 例えば、私のこととか……。
 いや、それは似合わないか。

「まるで時間が止まった世界ね」

 人里を歩いているとき、蓮子はそう言った。
 外の世界は、異常なまでに進歩している。幻想郷は、そうではない。結界の引かれた明治十八年―――何故かそれ以前の状態で時を止めたようにして動かない。
 進歩は必ず破壊を生む。盛者必衰の理……、だから止まっていた方が都合が良いのよ。そう彼女に説明すると、それに対しては一寸の曇りもない笑顔で、

「紫、貴女は天才ね」

 そう言って微笑んだ。
 幻想郷は箱庭なのかもしれない。
 あるいは、箱舟なのだろうか?


 ◇月×日

「紫様、宇佐見様、起きて下さい!」

 式のその声で、今日の私は目を覚ました。まだ昼の十二時、こんな時間に主を起こすとは、どれだけ重要な要件なのだろう? そう暢気に考えていたのもつかの間、玄関に歩いていった先に、博麗の巫女がいたのを視認したときには、さすがの私もひっくり返ってしまうかと思ったものだ。
 すでに代替わりして、あの荒んだ時期に私と散々やらかした巫女ではない。亀を手なずけたことで何故か有名になった、年若い巫女だ。まだあどけない顔が私を睨んでいる―――ようで、その眼は私を捉えてはいなかった。

「私に、何か用?」

 その視線を浴びていたのは、私の後ろから現れた蓮子だった。起きたてのぼんやりとした表情のまま、彼女は恐れていたはずの博麗の巫女に平然と言葉を放った。

「幻想郷が危ない、ってとこかしら? 大体予想はつくわね」
「あんたが原因なのよ、多分」博麗の表情は硬い。
「それは、正解。巫女の勘ってやつかしら」
「ふざけないで。すぐにどうにかしないと……退治するわ」
「ちょ、ちょっと……むぐ」

 口を挟もうとしたが蓮子に塞がれ、私は目を白黒させながら彼女を睨んだ。
 まったく話についていけないので、何をしているのかさっぱり分からなかった。

 幻想郷が危ないですって? と私は今の会話を反芻する。
 せっかく蓮子を起こすために創り上げて、そしてその願いが叶った瞬間に危ないと言われてしまっては、さすがの私も混乱してしまう。
 巫女の台詞も、蓮子の返答も……私に理解できるものではなかった。

「とりあえず!」博麗は声を荒げて大量の御札を蓮子に向けた。「玄爺もこれは大きすぎる異変だって言ってるし……うん、期限は明日までね! これだけ待ってやることなんてないんだから、感謝しなさいよ!」
「はいはい……」

 やれやれ、と首を振りながら巫女を見送る蓮子は、またどこか悲しそうな表情で……私はどうすればいいのか分からなくなってしまった。
 巫女は最後まで私のほうを見ることなく去っていった。
 もちろん私は、何もなかったような顔をしている彼女に、このことについて訊ねることにした。

「で、蓮子。いい加減説明してくれないと困るんだけど」
「貴女は“私を起こすために”幻想郷を創ったのが本音だって言ったでしょう?」私を諭すように、蓮子は言った。「つまりそういうことなのよ」
「いやいや、どういうことなのかさっぱり分からないわ。私にはせいぜい音速程度の理解力しかないのよ」
「音速ですって? よっぽど遅いのね」
「ただの例えだってば」
「うん…………どうやって説明しようかしら」

 額に手を当てて蓮子は考え込んだ。顔をしかめて、様々な思考をめぐらせているのだろうが、そもそも何の話か分かっていない私にとってはじれったい時間に過ぎなかった。
 しばらく、そのままの状態で時間が流れた。
 すっかり高く昇った太陽が、妖怪としての私の力を根こそぎ奪っていく。かったるさと眠さを感じながら、私は畳の上に寝転がって蓮子の話を待った。話を聞く態度ではないが、私は太陽が得意ではないのだ。

「人間にせよ妖怪にせよ、何かしら目的を持って生きているでしょう?」蓮子はようやく口を開いてそう言った。
「えぇ。それは子孫云々でいいのかしら?」
「それもあるし、大抵の人は何かをしたいと思って生きているはずよ。だから、何の目的もない生というものは存在し得ないの。目的は常にあり続けなくてはならない。ここまではオーケー?」
「オーケーオーケー。私にも目的はあるわ。妖怪にとっては子孫云々よりもむしろ後者ね。精神的な目的の方が重要なのかも」
「まぁそうねぇ。それで目的が失われた瞬間、その固体は破滅する。形としてはいろいろなものがあるけど、組織なら内部崩壊、人間なら自殺やら何やら、ね」

 そういえば、と。私は外の世界のことを考えた。昔に比べて自殺者数が確実に増えてきているらしい。原因なんてどうでもいいけれど、目的というものがなくなってきたというのは確かなのだろう。あるいはその目的をも上回ってしまう程の絶望か。

「それで、その目的がどう関係してくるのよ?」話は終わったとばかりに背を向けた蓮子に、私は呆れた声で呼びかけた。
「はい?」彼女は意外そうな顔で振り向いた。「もはや、今のが答えなんだけど……。うぅん、つまりね……幻想郷の目的が失われた、と。まぁそういうことなのよ」

 蓮子は、そう私に告げる。
 破壊宣言とでも言うべきだろうか、それは私の左の胸を確実に貫いた。


 ―――蓮子を起こすために。一緒に生きていくために。

 そう想った、遠いあの夜を思い出した。

 つまり、それが幻想郷の目的。
 蓮子が目覚めた今、その目的は存在し得ないものになってしまった。強いていうならば、後者である“一緒に生きていくために”というもう半分のそれしか残ってはいないのだ。

 私のエゴで世界が創られ、それを原因として崩壊してしまう。なんとも、自分勝手なことをしたものだ。今ならそう考えることが出来る。
 冷静じゃなかった。そう言えば説明としては事足りるが、納得できるも者など何処にもいない。
 亡霊も、
巫女も、
 他の妖怪も、
 里の人間も、
 崩壊を始めつつある世界を目の当たりにして、一体誰を恨むだろう?
 簡単すぎる疑問だった。

「それでね、紫」蓮子は続けた。「今の幻想郷はとても不安定。多分貴女が他にも目的を持って創りだしたのだろうからまだ維持はされているけれど、不安定すぎていつ崩壊してもおかしくはない状況なのよ。だから博麗の巫女が気づいた。あそこは境にあって、中心にあるから。彼女が異変を解決するのは立地的問題も大きく作用しているんじゃないかしら」
「じゃあ、どうすれば良いのよ?」もはや、私の問いは懇願に等しかった。
「まだ考え中よ。明日までには多分思いつく。思いつかなかったら巫女に退治されるし、彼女は原因が分かってないから、私を退治することのリスクを知らない。私が退治されたら“宇佐見蓮子を目覚めさせる”という目的は永遠に失われて、……まぁせいぜい反魂の儀式がそれに当たるのことになるかしら?」
「冗談はよして頂戴。巫女にきちんと説明すればいいじゃないのよ」
「ま、思いつかなかったらそれも有りだけど。何か癪じゃない?」
「一大事なんでしょ!?」いつまでも暢気に苦笑している蓮子に私は叫んだ。「手段を選んでいる暇はないでしょう! 一刻も早くどうにかする手を考えないと……」

 だからそれも考えるから。そう言って蓮子は私の口を人差し指で塞いだ。妖艶な笑みを浮かべて、「焦らない焦らない」と言う。その余裕が、あの頃の彼女とは違う。どこまでも人間に近かった彼女は、どれだけ妖怪らしさを身に纏っていても、人間に見えてしまう。

 宇佐見蓮子は、もう私の理解出来る範囲の妖怪ではない。
 もっとも目的のない妖怪、と言っても良いのかもしれない。
 彼女自身、どう考えているのだろうか?


 ◇月◎日

 夜起きると、蓮子は縁側で空を見上げていた。私はその姿を見て、今更ながらに彼女の能力を思い出した。
 月と星に、時空を見る。いつだったか、その能力がすべてを説明できるものだと思っていた頃があった。丁度、蓮子が眠ってしまった時期だったか。今の私には、その能力が本当にそれだけのものだということが分かってしまった。
 なんて弱い力なのだろう?
 なんて美しい力なのだろう?

「今日の空は綺麗よ、紫」

 起きた私に気付き、空を見上げたまま蓮子は言った。
 少しだけ肌寒いこの時間。私は布団を被ったまま彼女に近づく。そして、その華奢な背中に問いかけた。

「どうするのかは、考え付いたの? 朝になったら巫女が来るわ」
「午前二時十二分。朝にはまだ早いわ。……それに、もう決めたからどっかり構えていて良いわよ」
「じゃあ、どうするのか説明してよ。でないと貴女、また無茶しそうだから。例えば……また眠る、とか言い出すんじゃないか、とかね」
「さすが紫ね。頭の回転が速い」蓮子は目を丸くして驚いた表情を見せた。「眠るっていうのとは、ちょっと違うんだけどね……。つまりね、幻想郷から私がいなくなれば良いのよ」
「……どういう意味よ?」

 そう訊いておいて、私は既に理解していた。昨日されたややこしい説明よりかは理解しやすい。
 彼女が言いたいのは、“目的”を少しだけずらしてやろうということなのだろう。眠るように幻想郷から消えてしまえば、辛うじてそれが再び生まれる。目覚めさせるという意味が、あの時は幻想郷に来させるということと同義だったのだから。
 でも、それでは―――

「―――とても残酷よね、貴女は」

 私は思わずそう口に出していた。
 また、願い続けなければならない。蓮子が幻想郷に来れますように、と。しかもそれは叶ってはいけない願いで、同時に敵うことは永遠に来ない願いなのだから。幻想郷の為に、私は蓮子を―――蓮子は幻想を諦めなくてはならない。

「そう悲観することはないわ」しかし彼女は首を横に振った。「貴女は境界を越えられるもの。外にも内にも自由に移動できる」
「じゃあ蓮子は!? 貴女は、またすべて諦めてしまうの?」
「諦めじゃないわよ。これは一つの選択。確かに自分の思い通りに事が進まないのは辛いし、こんな素晴らしい世界に住めないなんて、そうそうあるもんじゃないわ。だけど、だからこそ……私は好きなのよ。思い通りにいかない、現実が」

 ―――夢の中で、私はようやくそれに気づけたのよ。

 と、蓮子は笑って。

 私の中で、何かが崩れ落ちた。
 常に自分のことを考え、狭い視界のみで強大な力を奮っていた私。
 幻想と現実の狭間に立って、小さな力で世界を見渡していた蓮子。
 その間に、決定的な境界線がある。

 彼女は、もう―――


「宇佐見蓮子っ! 時間よ!」


 思考を遮るように現れたのは、博麗の巫女。額に汗を浮かべながら、玉串と御札を握りしめていた。今にも妖怪退治を始めそうな勢いで、私は思わず身構えてしまう。

「博麗―――霊夢、と言ったかしら。幻想郷は、多分大丈夫よ。私が何とかする方法を見つけたから」
「じゃあ、今すぐに実行しなさい」博麗は有無を言わせぬ口調だった。「結界がどんどん緩くなってきているの。このままじゃ、絶対に溶けちゃうわ」

 玉串を突き付けられた蓮子は、博麗を無視して私の方を見た。月と星を見るように、私を見つめる。

「紫、頼んで良いかしら?」

 それは、彼女を外に送り出せ、ということ。
 儚く脆い幻想郷の為に、外で幻想を夢見続けるという、蓮子の意思だ。
 だから私は、

「残酷だわ、本当に」

 そう言って睨みつけるしか出来ないのだった。
 どうせ、叶えてしまうだろうから。
 私にしか出来ないことなのだから。

「いいから早くしなさい!」
 巫女が叫ぶ。

「儚い夢だったわ」
 蓮子が笑う。

「おやすみなさい」
 私が囁く。


 そうして。

 ―――そうして、私がこれを書いている今も、幻想郷はあり続けているのだ。


 きっと、宇佐見蓮子は、もう










     ***


「あ、私、そろそろ帰るわ」

 ふいに横を歩いていたメリーがそう呟いた。
 私は驚いて彼女の顔を見て訊ねる。

「もう帰るの? 今日はやけに短かったわね。……まぁ、まだ三日目だけど」
「うぅん……まぁ、いろいろあるのよ」

 ゆるゆると首を振ってから、メリーは私より三歩前に出た。それからこっちを振り返って、私の目を覗きこんだ。境界を見る目が、じっとこちらを見つめている。

 私と彼女の二人だけで結成された秘封倶楽部は、この世界で幻想郷という世界を探して日々活動している。……といっても、まだ結成してから三日しか経っていないので、大した活動は出来ていないのだが。

「幻想郷に、行ってみたいわね」
「蓮子……」

 思わず口から漏れた言葉に、メリーが心配そうな表情を見せる。私はハッと気づいて、慌てて顔の前で手を振った。

「あ、違うのよ、紫じゃなかったメリー。その……願い続けなくちゃいけないから、ちょっと言ってみただけで」
「……もぅ、名前間違えるのやめてよね」

 頬を膨らましてメリーが抗議をする。
 まだ三日だ。慣れるのには時間がかかる。
 大体、「夢の中の私はメリーだったんだから、外でもそれでいきましょう」と言いだしたのは彼女の方なのだから、少しくらい間違えるのは許容して欲しいものだ。

 所詮は、秘封倶楽部という名前の“ごっこ遊び”だ。しかしそれでもやる意味がある。儚い夢の為に願い続ける生というのは、もしかしたら有意義なのかもしれないと思えるようになってきた。

「今日は、流星群らしいわ。みんなそれを見る気満々よ。一部の妖怪は、力をあやかろうとか考えてるみたい」

 急に、妖怪“八雲紫”の顔になってメリーが言う。
 昨日見たニュースの通り、今日は流星群だ。幻想郷の妖怪は紫以外まったくと言っていいほど知らないが、人間にはいくらか心当たりがある。

 巫女―――博麗霊夢。妖怪退治を生業としている彼女は、幻想郷を守るために必死になっていた。創造も破壊も紫を中心として発生したが、霊夢はまるでそれと対になるような存在だった。内側から結界を守るという仕事が、創造と破壊の中心に位置する行動なのだから。

 そして、巫女が内側にいるように、境界線を維持するには、願い続ける外側が必要だった。私、宇佐見蓮子はその役目を負って、ここで人間をやっている。大学生として生き、秘封倶楽部というサークルで幻想を願う。

「流星群、ね……」

 ぼんやりと返事をして、私はメリーもとい八雲紫の顔を眺めた。端正な顔が夕日に照らされて、綺麗に輝いて見える。対になる者で、かつ中心にいる存在がそこにもう一人いる。
 創造と破壊の中心にいる私たち二人という対の中心に、今度は端にいたはずの紫が立っているのだ。内側と外側の境界を越えて、私たち二人を見届ける、唯一の存在。メッセンジャーのように移動して、ある時は幻想郷で―――ある時は外の世界で。彼女は名前を変えて、生きている。

 この三角形は、とても美しい。
 メビウスの輪のように、裏も表も存在しない関係だ。
 そう、紫が境界線を弄っても、これは崩すことの出来ないものなのかもしれない。

「じゃあ、私は戻るわよ?」
「あ、うん。またね、メリー」
「えぇ……蓮子」

 きっと、メリーは不満に思っているだろう。もう一人の結界守としてこの世界にいるのは良いとしても、私は不老不死ではないからだ。
 博麗の巫女は代々いろいろな形で受け継がれていくものだけれど、“宇佐見蓮子”という存在はそうはいかない。私が死んだら、それで終わりなのだから。

 月には、不老不死の薬があると聞いたことがある。いつも見ているあの月に、手が届けば良い、と。最近の私はそればかり考えていたけれど……。
 私がいつ死んでも良いように、幻想郷が本当の目的を見つけてくれれば良い―――そっちの方が、遥かに意味のあることだと思えるようになった。
 私も、いろいろなことを考えられる程度には成長したのだろう。

「目的の生まれた幻想は、現実になって生き続ける。例えば、生のように。あるいは……」

 一つの、愛のように。

 臭い台詞だわ、と自分の頭を叩きながら、私は境界の中へ去っていく紫の姿を見つめた。幻想郷の賢者としての彼女は、しっかりやっているだろうか? そう、親のように心配している自分がいることに私はようやく気付いた。

 ―――何で、紫は私のようなただの妖怪に執着したのだろう?

 遥か昔。私が現実から逃げる前にも考えていた事柄だ。
 今、その答えが私には分かったような気がした。


「……ぁ」

 ひゅん。

 そんな擬態語で表すことしかできないような、星が。
 流れ星が、空に輝いている。
 思わず祈りを捧げてしまいたくなる、一瞬の光。
 これを見ている人すべてが祈りを―――
 全世界が祈願会を開いているような感覚に、私は軽い眩暈を覚えた。

 雨のように、
 涙のように、
 尾を引きながら燃え尽きて、あれらはこの星へと降り立つ。

 願いは果てへ。
 祈りは虚空へ。
 やがて飽和して、一瞬の塵となる。
 それでも、その塵こそが命なのだ。


 神社にいても、
 境界線の上にいても、
 今、ここにいても―――





 ―――私たちは、同じ空を見ている。










     ***


「まったく、紫様は……」

 藍は呆れたように溜息をついて、机に向かったまま眠ってしまった主に優しく毛布をかけた。それに反応したのか、彼女はもぞもぞと動いたが、再び動かなくなってしまった。
 少し身体をずらしたからだろうか、寝る前に書いていたと思われる日記が腕の横から覗いている。藍は興味本位でそれを覗き見た。
 少し見て、これは自分が見て良いものではないと藍は判断したが、最後に書かれた一文だけが、妙に彼女の目を引いた。
 あり得ないけれど、綺麗な言葉かもしれない……。そう思って、藍はようやく日記から目を離した。



『―――きっと、宇佐見蓮子は、もう人間なのだろう』



 主のかけがえのない友人の姿を思い出しながら、藍は部屋を後にした。




















     ***


 この巫女、私のこと忘れてる!?
 いや、そもそも本当に視界に入ってなかったのかしら?

     ―――東方妖々夢 ~Phantasmにて。




後書き
     ***

どうも、ぜろしきです。
明治十七年の方で続きを書くと言ったので作ってみました。非常に難産でした……一回没になっただけに。
あれから時間が経っているので、前作と比べていろいろカオスなところがあるかもしれませんが……いや、多分ないことを祈りますw

でもまぁすっきりしました。楽しんでいただけたら幸いです。

読んで下さってありがとうございました。
ぜろしき
[email protected]
http://ergoregion.web.fc2.com/
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コメント



0.870簡易評価
5.90名前が無い程度の能力削除
素敵です。
8.100名前が無い程度の能力削除
なんて素敵な話。
11.100名前が無い程度の能力削除
はふぅ~~
12.無評価名前が無い程度の能力削除
どれだけ妖怪らしさを見に纏っていても→どれだけ妖怪らしさを身に纏っていても
点はもう入れたのでフリーレスにて
13.無評価ぜろしき削除
どうコメント返しすればいいのやら……w
はふぅ~~、って一体……?

ひとまず。
>>13さん
申し訳ありませんでした。修正しておきます。
報告ありがとうございました。
14.70名前が無い程度の能力削除
諸々の設定をぶっちぎっちゃってる面はありますが、秘封倶楽部の一つのかたちとして、面白い考え方だったと思います。
素晴らしいお話を、ありがとうございました。
16.100名前が無い程度の能力削除
きっと満足のため息でしょう
私もついた
17.100名前が無い程度の能力削除
超設定、だがそれがいい
素敵なお話だからそれでいい
色々と言いたい事はあるけど、「素敵」という言葉しかでてこない
だからこれだけ言います

素敵なお話をどうもありがとうございます
21.80名前が無い程度の能力削除
ぶっ飛んでいるというか、取りとめがない話で、なかなか理解が追いつかないなあ。
全体的な雰囲気は好きですし、話の方向性に新たな可能性みたいなものは感じるんですが……もう少し設定を練り上げて欲しかった。
いや、私の理解が追いついていないだけなんですが、もう少し文量を割いて丁寧に書いてくれても良かったような。
もちろん、そんな取りとめもないような言葉達が魅力的な話でもあるのですが。