耳を針で刺すような、騒がしい蝉の声。
大地を焦がす、炎天下の夏の暑さ。
日傘を差してもなお鬱陶しい、太陽の光が降り注ぐ太陽の畑。
それらすらも、今の私の思考を遮るには不十分。みんみんと騒がしい合唱団の雑音も、この目の前の光景には微々たる物。
心が空洞になってしまったかのような虚無感、とでも言えばいいのだろうか。喘ぐように肺に空気を取り込んで、私はようやく、今まで自分が息をしていなかったことに行き当たった。
「やっぱり、あなたは妖怪に比べたら脆いのね」
搾り出すような言葉は、果たして誰に向けたものなのか。
目の前に転がる見知った骸か。それとも、いまだに彼女の死を受け入れようとしない自分自身にか。
何を馬鹿なと、内心で頭を振る。風見幽香ともあろう大妖怪が、たかだか目の前のか弱き命の死に動揺するなど、ありえないこと。
「本当に、あなたとの出会いは唐突で、別れまであっという間だったわ」
さらりと、物言わぬ屍の頭をなでて、冷たくなった肌の体温を確かめる。
あぁ、死んでいる。間違いない、自分のよく知るそれは、間違いなく息絶えて、この太陽の畑で横たわっている。
認めなさい風見幽香。私は、彼女の死を嘆いているのだと。
「どうして、こんなことになってしまったのかしらね」
ぼんやりとつぶやきながら屍を見下ろす私は、いったいどんな表情をしていたのだろう。
あぁ、久しく悲しいという感情に触れていなかったせいか、それがどのように胸を苦しめるものかわからなくなってしまっていたのか。
心が鷲づかみにされているかのような錯覚。まるで陸で溺死する魚のよう。
みんみんと、夏の合唱団の声が木霊する。そんな中で私は、ポツリと、ただ一言。
「ねぇ、霊夢」
物言わぬ骸の、彼女の名を口にした。
▼
思えば最後に出会ったのはいつだったか。
私はまどろむような意識の中を模索する。
自宅の調理場に漂う、鼻腔をくすぐる香辛料の香り。
あぁ、そうそう。最後にあなたに会ったのは、きっとこのときであったのでしょうね。
ふと、物音がしたほうに振り向けば、濡れ鼠になったあなたの姿。
外は豪雨。いったいどんな用事で飛び出したのか知らないけれど、こんな日に外に飛び出すのならそれだけ重要な用事でもあったのか。
私は興味がなかったから、そっけなく、手元にあったタオルを投げ渡して調理を再開した。
ごそごそという音を背後から聞きながら、肩越しに彼女に「牛乳でも飲む?」と意味ありげに問いかける。
色々と成長が貧困な彼女だから、これはちょっとした嫌がらせ。
案の定、彼女は器用に体を拭きながらむっとした様子で私をにらみつけたのだ。
その様子がかわいらしくて、くすくすと苦笑する。
「何か食べる?」と問いかければ、ツンッとそっぽを向きながらも席に着いた彼女があまりにもらしくて、私はついつい我慢しきれずに笑ってしまったのだったっけ。
もちろん、しっかりと反撃を食らったわけなのだけれど、妖怪の私にはただのパンチなんて痛くもかゆくもないわけで。
なんでもない、ただの日常の一コマ。まだまだ続くのだと思っていた何気ない生活。
あぁ、今にして思えばそのなんでもない日常こそが、こんなにも尊いものだったのだと、いまさらのように気づかされたのだ。
▼
ざりざりと地面を掘っていく。爪を柔らかな地面に突き刺して、掻き出すように土を掘り進めた。
冷酷な妖怪で知られる私と、物言わぬ骸がひとつ。
人間も、妖怪も、私が彼女を殺してそれを埋めて肥料にしようとしているのだと誰もが思うのだろう。
きっとそうだ。私が彼女のために、土を掘っているのだと気づくはずもない。だって、私は今までそういう妖怪なのだと振舞っていたのだから。
その私が、か弱い生き物の墓を作ろうだなんて、なんと滑稽なことか。
「何やってるのかしらね、私は」
ポツリとつぶやいた言葉に返ってくる言葉は、何もない。
声に出して誰かに答えてもらいたかったのか、それとも、彼女がまだ死んでいないと思っていたいだけなのか。
もしかしたら、今もふと何気なく起き上がって、いつものような小憎たらしい表情を見せてくれるんじゃないかと、そんな馬鹿なことを考える。
じわりと、降り注ぐ太陽光が身を焼いて汗がにじみ出る。愛用の日傘は、今は彼女が暑くないようにと物言わぬ骸を太陽の光から守っている。
あぁ、本当に馬鹿みたいだ。
死した者ががよみがえるなんてあるはずがない。彼女が死んでしまっているのは、私自身が確認したことだというのに。
それなのに、こんなことをしてまで彼女の身を案じる自分自身がまるで道化のように思えた。
爪の間に土が深く入り込んで、少し痛い。爪がめくれてしまいそうな痛みに顔をしかめながら、それでも私の腕は土を掘り返し続けている。
こんなこと、今すぐやめてしまえばよかったのに、何かに取り憑かれたように私は掘り進めた。
▼
あぁ、そうか。今思えば、ここはあなたとの思い出が詰まっているのか。
今でも思い出せる何気ないひと時。私はただその記憶に埋没していく。
うっすらと、私は目を開けた。
降り注ぐ太陽の光が眩しくて目を細めて、こんなところで眠ってしまうなんてと自身の陽気さにため息をついたのを覚えている。
思い出すのは私を囲む向日葵たちの群れ。そして、私を見下ろす一対の眼。
彼女は、ただジーッと寝ぼけた私の顔を覗き込んでいる。
人々から恐れられる私の間抜けた顔をいつまでも見つめていたというのか、それはさぞ、彼女にとってはいい気分だっただろう。
もちろん、私にとっては面白い話なわけがない。ムッとにらみつけてやっても、まるで柳を相手にしているかのようにそっぽを向いただけ。
暖簾に腕押し。その胆力はたいしたもので、本当、その気概は実に彼女らしくて小さくため息をついた。
そんな私を、向日葵たちが囲んでクスクスと笑っているような気がして、なんだか少し恥ずかしい。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、彼女は私の隣でごろんと横になった。
ぱちくりと目をしばたかせる私を一瞥すると、彼女はくぁっと短い欠伸をひとつしてうとうとと眠り始めたではないか。
呆れた奴だ。私に気を使ったのかどうか定かじゃないが、私にそんな無防備な晒すのはきっとコイツぐらいのものだろう。
なんだか、恥ずかしくなったのもコイツのせいだと思うのも馬鹿らしくなってしまった私は、ため息をひとつこぼして、日傘を立てるとその影で再び横になった。
あぁ、思えば私はその彼女のあり方こそを認めていたのではなかったのか。
誰に対しても不遜でツンケンして、その上に気まぐれで私以上に暢気な奴。そのくせ彼女は好かれやすいのか、霊夢の傍には多くの者が集まった。
その中には無論、私も。
穏やかな午後の昼下がり、私たち二人は無防備な寝顔をさらしながら隣あう。
まどろみの中に意識を落としたのは、その後すぐのことだった。
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「本当、あなたとの思い出はあっという間だったわ」
小さな墓標を見下ろしながら、ただぼんやりと言葉にする。
小さな小さな墓の下には彼女が眠り、墓標の代わりに向日葵が一本、力強くそびえ立っていた。
もしかしたら、この向日葵に魂が宿るのではないかと、そんな淡い馬鹿な願望を思い描く。
ため息をひとつついて、ゆっくりと座り込む。
そんなことはないと、わかっていた。それに何より、縛られることを嫌う彼女が、この向日葵に宿ることなんて絶対にありえない。
彼女は自由だからこそ、何者にも縛られないからこそ、何物にも変えがたい魅力があったのだ。
そんなこと、彼女に対する冒涜だとわかっていたのに。
「もっと、あなたと話したかったわ。ねぇ、霊夢、あなたは信じないかもしれないけれど、私はあなたが死んでしまってすごく悲しいわ」
聞こえないとわかっている。だから、これはただの独白に過ぎない。
自分の心を整理するために。彼女の死を受け入れるための、一種の儀式。
「覚えているかしら霊夢、あなたと私が初めて出会ったあの日のことを」
▼
あの日も、今日のように暑い日だったと思う。
あなたは無遠慮に私のテリトリーに上がりこんで、好き放題してくれたのだったわね。
えぇ、もちろん怒ったわよ。それはもう、はらわたが煮えくり返るっていうのはああいう時のことを言うのだと身をもって体感したわ。
当然、私はあなたを排除しようとした。私のことを侮辱したも同然だったもの。当然の報いだと思わない?
けれど、あなたは違った。私の目を見ても、殺意を前にしても、まるで動じないその気概と胆力。
えぇ、驚いたわ。大抵の人間や妖怪は私のことを見ただけで怯え、逃げ去っていくというのに、あなたのような矮小な生き物が堂々としたものじゃない。
「怖くないのね、あなたは私が」
答えはない。それでも、その目が私を捉えて離さず、ともすればにぃっと笑っているような気さえした。
怒る気も、殺意も、きれいさっぱりと霧散してしまった。
私は、気にいってしまったのだ。今この瞬間から、あなたという存在を。
クックッと、喉の奥で笑いをかみ殺す私を、あなたは不思議そうに首を傾げて見上げている。
そうだ、せっかく私のお気に入りになったのだ。脆弱な生き物が私の興味の対象になるなんて、それはとても稀なこと。
「それなら、私はあなたに褒美を上げましょう。そうね、それじゃあ」
にっこりと、私は笑みを浮かべる。心の底から笑えていたと、今でも思い出せる満面の笑顔で。
「あなたの名前は、今日から霊夢よ。いいわね」
「にゃあ~」
▼
「なのに、なんで死んでしまったのよ霊夢ぅ!!」
とうとう涙腺が耐えられなくなってしまったか、私は涙をこぼしながら大声でわめき散らしてしまった。
だって、彼女はお気に入りだったのだ。霊夢(三毛猫♀)は、もう物言わぬ骸になって何も語ってくれない。
こんなにも、私は彼女のことを愛しいと思っていたのか。こんなにも悲しくて、こんなにも苦しい。
「霊夢、霊夢ぅ!!」
「……何を泣いてんのアンタ」
「放っておいて頂戴! 今の私は猫の霊夢が死んで―――」
……あれ、今なんか、この場にいたら非常にまずい人物の声が聞こえなかっただろうか?
ギギギィと錆びた扉が軋むような音を立てて後ろを振り返る。
そこに巫女、博麗霊夢がいた。いや、むしろ般若がいた。
「……えっと、霊夢?」
「何かしら、幽香。せっかく忘れ物を届けてやったというのに、そう、あなた人の名前を猫につけてたのね」
すさまじいバッドタイミング。考えうるべき最悪の状況で巫女が到来。
心なしか、額の青筋が顔全身にいきわたっているような気がしないでもない。その迸る霊力たるや、最強を自称する私が思わず後ずさるぐらい。
「おい、遺言は?」
あっはっは、やばい。私死んだかも、これ。
「うん、猫の行動を霊夢と思ってみると結構萌えた」
そして馬鹿か私。せめて言い訳しなさいよ。
思ったときにはもう遅い。今このときほど時間を巻き戻したいと思ったこともちょっとない。
そして、私のアレな発言を聞いた霊夢は、満面の笑顔を浮かべ、そして。
「夢想天生ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
「ぐぼぅっ!!?」
乱れ飛ぶ破魔の札。怒り狂うの巫女。
何処で選択を間違えたのだろうと思考して、それはどう考えてもお気に入りになった猫にお気に入りの人間の名前をつけたことだろうことに行き着いて自己嫌悪。
薄れ行く意識の中、私はどこかでテーレッテーという奇妙な音楽を聞いたような気がした。
霊夢(三毛猫♀)、享年3歳。
風見幽香、享年千ほにゃらら歳。
▼
後日、ゆうかりんは珍しく仕事をしていた死神をぶん殴って無事に生還しました。
どうしてこうなった
どこで幽香が霊夢を殺したか説明入ると思ったらそういうオチかw
三年ちょいでこの世を去ってしまうとは……
それはともかく、霊夢のリボンをつけた猫と猫コスの霊夢登場マダー
見事に騙された……ネタが解って読むと二度おいしいwww
シリアスな場面や、それが一転してニヤッとする場面など面白いお話でした。
まあ猫なんだけど、ゆうかりんの気持ちがよくわかる
地震→自信
どうしてこうなった・・・。
見事に引っ掛かりました、ハイ。
ところでねこ巫女れいむの出番マダー?(AAry
引っかかっりましたwでも後悔はしてない
途中からの崩壊がwww
しかし普通に猫で一本書けそう。
こういうのは大好きです。
ゆうかりんは北斗のキャラで言うとなんですかねえ?
これが切欠で霊夢の事が好きになったりしたら面白いですねww
ミスリードを狙うなら、霊夢の名前を出してはいけなかった。
でも、爆笑したからこの点数。
畜生!騙された!孔明め!
そそわで「死にネタに見せかけた何か」というネタもそろそろ尽きてきたような気がするなぁ。
俺らを引っ掛ける新しいネタを待ってるよw
シリアスでも読んでみたかったなあ。
ただ、ミスリード系としては反則かな。
名前を出した時点で。
極端に言えば、霊夢って名前の別人でしたって話だから。