Coolier - 新生・東方創想話

秋香

2009/10/30 17:49:58
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 ※作品集85「晩夏」以降のおはなしであることをここに記させていただきます。


 ●雨模様
  
 私は雨が嫌い。でもすっごく嫌いというわけでもない。こんなふうにいつまでも降り続けられたら、飽きてくる。だから今の私は雨が好きじゃない。きっと鬱陶しくなるくらいの日差しを浴びたら逆のことを考えるだろう。
 晴れの日には雨が良いって思って、雨の日には晴れが良いって思うのは、贅沢でも当たり前だと思うから。
 縁側には雨が吹き込んで、廊下の雑巾がけが面倒になる。でも今はまだ雨が降り続いているから、部屋の奥からそれをぼうっと眺めるだけ。庭の隅、いつか花火をした時に使った空き缶が風に身体を倒されて、濁った水としおれた線香花火を吐き出していた。
 それを見たら胸がきゅってなって、思わず体が動いた。縁側に出る。ひたと、水溜まりを踏むと冷たくて吃驚した。支えがほしくて柱に左手を伸ばす。ひさしはその役目を十分に果たせなくて、私を柱を雨水にさらした。前髪が濡れて額に張り付く。視界が雨粒に邪魔されたけど、空き缶が転がっていってしまうのはしっかり見えた。
 どうしよう。あのままがいいのかな。このままがいいのかな。あれも、これも――――。
 夏が終わったから当然秋がきた。だから、夏の終わりをそのままにしたくても、できるわけないって分かってた。だからあそこに私の晩夏をそのままにしておいた。
 でも、
「ゴミの転がった境内は、みっともないもの」
 だから傘をとって草履をつっかけて、追いかけた。あの日をね。
 風の音ばかりが鼓膜を叩いて、空き缶が転がるからんからんという音はまるで聞こえなかった。切り取られてしまったみたいに。私から逃げるようにそれは転がって行く。石段から身投げして、とうとう私の視界から消えてしまった。私が石段のところまできて下を見下ろすと、幾らか下のほうで隅に引っかかって身を落ちつけていた。
 風に逆らうように傘を傾けて、私は石段を下る。雨粒が鬱陶しいくらいに私を濡らす。紅葉は色づいたはなから身を攫われていた。
 しゃがんで、空き缶を手に取る。中身は空っぽで、文字どおりに空き缶だった。両手で触りたくなって傘を首と肩で挟もうとするけど、風が邪魔して、傘を飛ばしてしまった。がさつな音を立てて傘が石段を昇っていった。どうせそんなに高いものでもないしと傘のことは割り切って、私は手の中の空き缶を覗いてみた。
 錆びを眺めて、顔を近づけてみる。ほんの少しだけ火薬のにおいがした。気がする。なにもかも風に飛んで行ってしまったわけじゃないって分かって、ほっとした。胸元に抱き締める。
 それでもほろほろと落ちてゆく紅葉をみたら、安堵とは裏腹に、やっぱり思い出は離れて行く気がした。
 切なかったはずの晩夏が離れていくと寂しくなる。なんでだろう。代わりが、ないからかな。事実、彼女とも離れてしまうようで、といってもこれは贅沢な話。ちょっと会えないくらいでなに考えてるのかしら。馬鹿みたい。
 私は紅葉ほど艶やかではないし、落ち葉ほど潔くない。晴れの日には雨が良いって思って、雨の日には晴れが良いって思う、我儘な人間なんだ。
 博麗神社はまだ未練がましく夏を思い描いている。


 
 ●曇り空
 
 曇り空って、なんなのかしら。ずっと止まないような気がした雨もようやく止んだ。空は落ち着いたけれど、どんよりと。分厚い雲は太陽を隠して、それを見上げる私は窮屈な気持ちになりながら箒を動かす。
 曇り空は未完成。そんなことを思った。雨になろうとしているのか、晴れになろうとしているのか。きっと晴れになるんだろうけれど本心はどうなのかしら。思ってることと、やることを一緒にするというのは実は大変。でも、無理なことじゃない…………のかなぁ。
 本当にどうしても会いたいのなら、こんなことしてないで駆け出せばいい。なのに私は落ち葉掃き。だって走り出しちゃったら止まれなくなるんじゃないかって思ってしまって、引き返せなくなっちゃうんじゃないかって。一緒にいたいけど、それが怖かった。だってこんなの、初めてで……。しかもそれが、女の子だなんて、どうしたらいいか、分かるわけないじゃない――――
「貴方もよくやりますわね」縁側から、思考をぶつ切る声がした。
「仕事なんだから、当然じゃない」嘘、ただの手慰みなのに。
「それはそれは。それならついでに、お茶を頂きたいところ」
「しおれて朽ちた紅葉を茶葉にどうぞ召し上がれ」
 ちりとりを差し出す。八雲紫に。
「ケチ、ね」
「なによ図々しい。あんたにお茶を汲むのが仕事なわけないでしょう」
「あんたに、ね。ふふふ。まるで他の誰かになら、仕事になりそうな言い方」
 ドキリとした内心は胸に閉じ込めて、「なに馬鹿なこといってるのよ」言ってみたけど、紫は相変わらず嫌味に笑っていた。
 風が吹いて、雫がぽたぽた落ちてきた。また雨が降りだしたかと思って空を見上げる。一面の雲がのっそりと動いていたが、雨粒はない。風に吹かれて木の葉が滴を落としたのだろう。曇り空は次第に明るくなってきたが、いくらか寒い。
「仕方がないから、私のついでに淹れてやるわよ」
「温かいのがいいわねぇ。秋口、しっかり冷えてしまっているから」
「んな言われなくても」
 落ち葉やゴミをまとめて箒を納屋にしまって、「あら、これは一緒じゃないのかしら」声に振り向く。紫があの日の空き缶をいじり回していた。縁側の、隅のほうに置いておいたんだ。
「一緒ってなにと」
「一緒って、ゴミと」
「そう見える?」
「残念ながら、見えちゃいますわ」
 悪戯っぽく笑う。むしろ悪戯にほかならない。だから腹も立たなかった。
「いいから置いときなさい」
「ふふっ、そう」
「そうなのよ」
 紫はねっとりと空き缶に視線を這わせていた。細かな錆や、あの一夜まで見られてしまうと思って、「あら、手荒ね。そんな風に引ったくらなくったっていのに」
「この空き缶にお茶を淹れてやろうかしら」
「汚いわね。病気になってしまいますわ」
「すでになってるんじゃないの」
 紫はクククと声をもらして、
「あら、それじゃあ、お願いするわ。その空き缶に」
そんなの言うまでもなく、
「嫌よ」
 当たり前よね。こんな化け物じみた奴に口をつけられるだなんて、想像したくもない。
「もう、そんな怖い顔しなくっても」
 目を細めて紫が言う。
「……知らないわ」
 別に怖い顔をしたつもりなんてなかったんだもの。再び風が吹いて、寒かったことを思い出す。お茶を淹れに部屋に入った。お湯は昼食の時に沸かしたばかり。棚から私の湯呑みを取って、もう一つを手に、取ろうとして動きを止める。
 これは、早苗が使ったやつ。来客用にまとめて置いてあるけれど、あの日からずっと手前に置いてあっって、けれども一度も動かしてなかったからすぐ分かる。少し躊躇ってから、それを手に取った。薄く緑の色をした湯呑みはどこか早苗らしかった。縁を指でそっとなぞる。その感触は陶器らしく堅くて、冷たい。触れていたはずの唇は柔らかくて、暖かいのかなって考えたら、顔が熱くなった。なぞった指先を、自分の唇に這わせてみた。指先の感じる唇は柔らかくて暖かく、唇の感じる指先は柔らかかったけど、冷たかった。やっぱり足りてない、のよね。
 私は早苗の湯呑みは置いて、棚の奥で埃を被った一つを手に取り、急須と茶葉を用意した。
「随分時間がかかったのね」
「待ち遠しかったの?」
「えぇ、霊夢が離れちゃうのがとってもとっても寂しかったの」
 おふざけで紫が言う。
「……やめてよ、そういうの」
 私はそれを笑えなかったし、憤ることもできなかった。
「暖かいのね」紫がお盆から湯呑みを一つ手にとって、ぽつりと呟いた。
「ぬるいお茶なんて、飲みたくないでしょう」
「それもそうね」
 私も自分の湯呑みを取る。熱い陶器が、秋の肌寒さを演出していた。
「もうすぐ、晴れるかな」
「晴れないかもしれないわ」
「雨が止んだもの」
「風は強いわ」
「なによ紫、貴女は晴れが嫌いなのかしら」
「日焼けはしたくないですもの」
「なによそれ」
 紫がくくっと、口の端を釣り上げる。
「別に、好きでもなければ嫌いでもないわ。雨が降ろうが晴れようが、好きでも嫌いでもないものは、好きでも嫌いでもない。だから私は、ただ感じたままを言ったのよ」
「……ふぅん」
 だからこいつは妖怪なんだと、改めて感心してしまった。再び風が私たちを煽りつける。乾く気配のない水たまりはその姿をひしゃげて、私たちの髪の毛もひどく乱れた。髪の毛を押さえながら、風が通りすぎるのを待つ。木の葉は舞い、砂が踊った。そうして雲の隙間から、太陽が顔をのぞかせた。
「雨が止んで、風が治まり、雲が捌けたら、いくのでしょう?」
「なんのこと?」
「人間のこと」
「どうかな」
「それじゃ、私はお暇しますわ。おいしいお茶をありがとう」
 お盆に返された湯呑みは、半分ほど中身が残っていた。私の視線を追って、「勘違いしないでね。別に私、猫舌じゃないから」紫が付け加えた。
「いいわよ。別にそんなこと気にしないから」
「ふふ、それはよかった」そう言うとサッと扇子を振って、姿を――「留守番、してあげましょうか?」「なによ」「念のため、よ」にたりと笑って、今度こそ姿を消した。
 空には、晴れの兆しが現れている。ちらりと姿を現した太陽は、流れる雲に時折覆われながらも、しっかり私を見下ろしていた。
「もう一度、雲が通り過ぎたら」
 行こうかな。
 彼女に逢いに。



 ●晴れ
 
 山を歩くのは久しぶりだった。
 どう考えても、空を飛んでしまったほうが楽だし早い。けど、今日は歩いて行くことにした。いつか早苗が、博麗神社に来るときは歩いてくるって言っていた気がするから。
 山の勾配が思いのほか険しい。木の隙間から陽が差し込んで、じわりと汗が滲む。そしてその熱さに燻しだされたような、周囲の匂いが気になった。
「……金木犀」
 太陽が天然の香を焚く。
 不快な匂いではない。しかしここまで強烈であると、むせ返りそうになる。甘い香りが頭に響いてくらくらする。
 低廉な媚薬にでもなりそうなある種の魅力。
 思わず口元に手をやって、匂いを退ける。足元に目をやると、先程までの雨のせいなのか、金色の雪が広がっていた。そこからも匂いが立ちこめてくるようで、それだけで胸が、お腹が一杯になってしまう。不快な匂いではなくて、むしろ良質な香りのはずなのに、好んで嗅ぎたいとは思えなかった。ちょっとだけ、嫌になる匂い。
 その香りを体中に浴びながら歩いてゆくと、湖の畔に着いて、守矢の神社が見えてきた。
 雨が降っていたことが嘘のように湖は澄み渡っていて、そこに浮かぶ落ち葉もみすぼらしさを持ち寄るのではなくて装飾品としての役割を担っていた。湖の水面にも金木犀の花が散りばめられている。 ふと、この澄んだ水は甘い味がするのだろうか、などと思ってしまった。さすがに試すつもりはない。
 遠目に守矢神社の境内を覗く。どこかに天狗や鬼の酒瓶でも転がってるんじゃないかとも思ったけれど、なにもなくて、誰もいなかった。自分がいつも眺めるのとそう変わりのない景色のはずなのに、どうしてだか神秘性を、厳かさを感じてしまった。それは金木犀の香りのせいなのか、見事な紅葉のせいなのか、それとも――――
「おー、麓の巫女がなにか用事かい? 勧請したいとか?」 
 神様のせいっていうのだけは、なさそうだ。
「まさか。神奈子こそ、なにしてるの」
「銀杏と栗をだね、拾っているわけよ」
「見たところ、かごには銀杏しか入っていないけど」
 というか、金木犀の香りで気がつかなかったけれど、気を付けてみると銀杏くさい……。
「私は銀杏なんて拾いたくなかったんだ。食べたいけど」
「そう」
「だから私は諏訪子に銀杏を拾うように言って、私は栗を拾おうと思っていたのよ」
「ふぅん」
「そしたら諏訪子も銀杏は拾いたくないって。食べたいとは言っていたけど」
「へぇ」
「だから、結局じゃんけんで」
「要するに栗は諏訪子が拾っているのね」
 相槌を打つのも面倒になってきたので適当に話の腰を折る。神奈子は少し不服そうな顔をしながら、銀杏を見つめていた。
「そんなところ」
 金木犀、銀杏に栗。山の中は、秋に染まっていた。
 ふと見上げた栴檀の木はまばらに黄色い葉をつけて、ほとんどの葉を散らしている。儚いなぁとぼんやり思いつつ、本殿の奥に見える家屋に視線をずらした。
「それで、なにをしにきたの?」
 私が視線をずらすのを待ち構えていたように、神奈子が口を開いた。
「ち、ちょっと様子を見に来ただけ」
 なにの、とか、誰の、というのは省いておいた。のに、 
「ふふっ、早苗なら、出かけてるよ」
「え?」
 筒抜けだったからビクリとする。
「ちょっと前に、ね」
「そ、そう」
「うん」
 簡潔に返された頷きから会話は続かなかった。私からなにかを言わなきゃいけないようで、意地悪をされている気がしてしまう。
「……どこに行ったのかとか、知りたくないの?」
 見かねた様子で神奈子が言う。ニヤリ笑っていて、これだから嫌になる。
「い、今聞こうとしていたのよ」
「そうだったの? ふふ、まぁいいか」
 神奈子はそう言ったきり、かごを動かして、銀杏をごろごろと転がしていた。目を伏せて、リズムよくかごを動かす。ただの実が転がる音が、ただの葉が風に吹かれる音と混ざって、音楽を作り上げているみたいだった。なんて感慨深い思いをしているうちにはぐらかされてしまわぬように、仕方なしに神奈子に問う。
「それで…………早苗はどこにいったの」
 神奈子がかごを動かすのをやめて、ちらりと私を見つめる。
「どこだったかなぁ」
「帰るわね」
「うん。それで良い」
「なによそれ」
 まるで追い出したいみたいな言い方。早苗と私を合わせたくないみたいな言い様――。
「あー、ちょっと待って。折角だから、これ持って行きな」
 そう言って、神奈子はかごから幾つかの銀杏をすくうと、それを同じくかごに入っていた新聞紙に包んで私に差し出してきた。文々。新聞、という文字が目に入る。
「なんで?」
「なんでって、ねぇ」
 とはいえ、食料であるし受け取っておいて損はない。色々と納得いかない心中だったけれど、一応包みは頂くことにした。
「じゃ……………………早苗によろしく」
 言おうか迷ったけれど、むしゃくしゃしたついでに吐露しておいた。
「それはこっちの台詞……」神奈子はボソリと言ってから、「っと早くした方が、いいかもね」と付け足した。
「なにそれ。そんなに私に山から出ていって欲しいって?」
「こんな言い方しなくちゃいけないのは早苗のためだけど、まぁひょっとしたらお前さんのためかもしれないよ」
 謎かけのような問答にうんざりして、同時に下り道に辟易する。
「あっそ。ご忠告痛み入ります」
 そう言って地面を蹴る。重力に逆らって宙に浮くと、一面に紅葉が広がった。
 はぁ、早苗はどうしてこんなに意地の悪い神様のことが好きなんだろう。下を見ると、神奈子が私を見上げている。その表情がいつか見た母親の穏やかな笑顔に重なった。嫌気が差して、子供っぽいとは思いながらも舌べろをだして悪態を吐く。神奈子の苦笑の表情が、これまたいつかの母親の表情と重なるようで――。
 乙女心と秋の空、っていうけれど、この青空がすぐにでも崩れる気はしなかった。
 それでも私の心は簡単に変わってしまいそう。
 それがどこまでも不安だった。
 だから神奈子の言うように、早く帰ったほうがいいのかもしれない。
 理由はよく分かんないけど、そんな気がした。


 
 ☆のち――
  
 そもそも台風が来て、雨の日が続いて、それで会うことが出来なかった数日間というのが、私たちにとってそれほど重大なものだったとは思えない。
 その間、色々と大変だったことも事実で、諏訪子様と神奈子様のお手伝いで霊夢さんの元へ行くような暇はなかった。
 天災と割り切ってしまえば、特に苦しくもなかった。
 でも、いざ会おうとして、それで会えないとなると、とても悲しくなる。
 諏訪子様が半ば押しつけるようにして渡してきた拾いたての栗を手土産に、博麗神社を訪れた。
 きっと霊夢さんはいつものように箒を片手に境内にいるものだと思っていた。けれども、そこには誰もいなくて。
 そしたらきっと、縁側でお茶を飲んでるに違いないと思って縁側に行っても、誰もいなくて――じゃなくて違う人がいた。
「あら、神様のお世話はいいの?」
「え、えぇ」
 八雲紫、だっただろうか。神社には大よそ似合わない派手な衣装をまとって、上品に扇子を動かしていた。
 それが当然であるかのように縁側に腰掛けて、私を見つめている。その瞳が、ここにいるのが霊夢さんでなくて残念だっただろうと、そんなことを言っているような気がしてしまう。
 ただ、私は他の感情が湧き出てくる以前に、呆気にとられてしまって、
「紫さんは……なにをしているんですか」
 そう尋ねるのが精一杯だった。
「留守番、かしら?」
「留守番、ですか。……それじゃ霊夢さんは今いないんですね」 
 そう言ってきびすを返す。
 彼女の前から、すぐにでも立ち去りたいと思った。なんというか、明らかに博麗神社には不釣り合いな格好のくせに、私よりもそこに座っている様が板についているようだったから。
「ふふ、ちょっと待ってよ。わざわざここまで来たんでしょう。私の代わりに留守番をして頂戴」
 ここで待っていれば、確かに霊夢さんとは出会える、はず。
 返事に窮していると彼女は、
「それではよろしくお願いしますわ。私は私で、貴方ほど暇じゃないの」
 ふふふ、と笑って、時空の隙間に消えていった。
 今になって、わけが分からない腹立たしさがこみあげてきた。貴方は霊夢さんのなんなんですか、とか、簡潔に表すとそんな感じのものだろう。しょうもない独占欲。苦笑してしまう。
 …………まぁ、いいか。
 紫さんがいなくって、本当にここに誰もいなかったら私は真っすぐ家へ帰っていただろう。そう考えると、ある意味でお膳立てをしてくれたようにも思える。私がここで待つという選択肢を選べるように。
 陽が傾くのが早くなったなぁ、と空を見上げながら、さっきまで紫さんが腰掛けていた位置に私が座る。思いのほか、お尻の所が冷えていた。ずっとここにいたわけじゃないのかな。すると彼女は、なにをしに来たんだろう。
 さっきまで紫さんが眺めていただろう景色を私も眺める。
 でもきっと、彼女が見ていた景色よりも、私の見つめる景色の方が素晴らしいものだと思う。そんなことを考えて、僅かな優越感に浸る。
 確かあの木の下で線香花火をしたんだよなぁと、晩夏に想いを馳せてみた。
 またいつか、私がこの縁側を眺める時に、今日という日を似たような想いで見つめられたら、素敵かな。



 ●貴方

 それになにか意味があるかのように、わざとらしく音を立てて石段に降り立ってみた。
 地面は僅かに湿り気を帯びていたけれど、水たまりは見当たらない。
 午前中、あれほど雨が降っていたことが嘘のようだ。
 数時間でまるで変わってしまった空模様の下、私の外出中に特に変わったことはないだろう。
 社の脇を行って、自宅を目指す。
「この匂い……」
 その途中、金木犀の香りが漂っていた。この辺りに、金木犀の木はないはずだ。すると、自分がその香りを纏っているのかとも思ったが、よく分からない。
 香りを追いかけるように、歩いて行く。縁側にたどり着いて、
「早苗」
 彼女がいた。一点を、穏やかな笑みで見つめていた。
「……あら、こんにちは、霊夢さん」 
 ゆったりとこちらに顔を向けて、にっこりと微笑む。 
 そんなちょっとした動作で、金木犀の香りも揺れた。
 早苗の匂い……でも、いくらなんでもこんなに香るわけはないから多分違うんだけど、私が頭のなかで、この匂いが早苗の匂いだと思い込めば、早苗がいなくなってしまっても早苗と離れないでいいと思えるとか、そんなことを考えてしまっているみたいで、金木犀の香りが、早苗の姿に結び付けられてしまった。
「どうしたんですか?」
 立ち上がって、私の顔を覗きこむ。緑色の髪の毛が揺らめいた。
 知らないうちに真っ赤になった空が私たちを見下ろしている。
 赤とんぼが、飛び回っていた。
「……なんでもない。そういえばこれ、もらった」
 早苗に銀杏の包みを差し出す。
「これは……銀杏でしょうか。もしかして」
「うん。神奈子が」
「すると霊夢さんは、私の――じ、じゃなくて、守矢神社に?」 
 そう。早苗のところ、に。
「まぁね。これを渡されて、すぐに追い返されちゃった」
「追い返された? そんな」
「いや、いいのよ。それが正解だったみたいだから」
 なんであんな回りくどい言い方なんてするのかしら。
 ――早苗は麓の神社に行ったよとか、そんな言い方をすれば済むのに。
「そういえば、早苗もずっとここにいたの?」
「そうですね。留守番を任されてしまって」
 ふふっ、と口元を押さえて笑う。
「留守番……?」
「いいえ、こっちの話です。それに、これで正解だったんですから」
 もう一度、微笑みながら私を見つめる。
「早苗の、それは」
「これは栗ですよ。諏訪子様が持たせてくださって」
「ふぅん。炊き込みご飯でも作ればいいのかしら」
「あ、良いですね。私もお手伝い、させてください」
 そう言って、腕を掴んできた。
 一瞬頭が真っ白になる。
 どこかで期待していたことなのに、直面すると身体も心も言うことを聞かない。
「そ、そうね。お願い、するわ」
「任せてください」
 早苗が空いているほうの腕で胸元をぽんと叩く。金木犀の香りが、やっぱり舞った。
「そうだ。早苗」
 ふと思いついて、足を止める。
「なんですか?」
「早苗は雨と晴れ、どっちが好き?」
「私は、晴れが好きですよ」
「ふぅん。絶対に?」
「それは……ずっと晴れなら雨が恋しくなってしまうかもしれませんが、今の私は、他の選択肢を選べる気がしないです。だって――」
 言葉はそこで止まったけれど、
「そっか。私も、おんなじ」
 だって、の後もきっとおんなじ。
 ちらりと見た早苗の横顔。今日どこかで見かけた曼珠沙華の赤色を思い出させるほどに頬が染まっていた。夕陽のせい?
「そういえば霊夢さん、金木犀の良い香りがしますね」
「……早苗はこのにおい、好きなの?」
「はい、大好きです。霊夢さんは?」
「私は…………好き、かも」
 それは嘘じゃなくて、本当のこと。今は、ね。
「ふふっ、一緒ですね」
「……だから、早苗も、良いにおい、するよ」
 早苗が目を丸くする。そんなに見つめられると、目のやり場に困る。
 どうすればいいのか分からなくなって、のぼせた頭のまま、握られていた腕を解いて、そのまま早苗の腕を握り返した。
 沈黙の後にクスっと小さな笑い声が聞こえて、頭に早苗の掌が伸びてきた。そっと撫でられる。気持ちよかった。もし他の人にやられたら、馬鹿にしないでってなったかもしれないけれど。
「ありがとうございます。霊夢さん」 
「うん」
「霊夢さん、これからも」
 二人向き合う。自然と距離が縮まっていた。目の前に早苗の瞳があって、鼻と鼻がぶつかりそうなくらいに近かった。相変わらず辺りに充満する金木犀の香りは、間違いなく早苗と、私の香りだった。
「これからも?」
 秋。
 秋の香り。
 金木犀の香り。
 ――貴方の香り。
「そばに、いてくださいね」
 早苗の吐息が、顔を撫でていった。その感触に背筋がぞくっとする。それと同時に胸が熱くなった。
 気の利いた言葉は出てこないけれど、
「…………うん」 
 頷くだけで十分だと思う。
 私は紅葉ほど艶やかではないし、落ち葉ほど潔くない。
 晴れの日には雨が良いって思って、雨の日には晴れが良いって思う。
 さっきまで嫌だって思っていた香りを、今はいつまでも嗅いでいたい。
 少し会えないくらいでやきもきして、会えたら会えたでずっと一緒にいたいって考える。
 目と鼻の先まで近づいても、もっと近づきたいと思ってしまう――私は我儘な人間なんだから。
 秋が深まる。
 台風はいろんなものを持って行って、いろんなものを落として行った。
 そんなこともきっと、すぐに忘れちゃうけど。
 冬になるまで、どれくらいかな?

 
 ここまで読んでいただきありがとうございます。
 季節ものなだけに、本当はもうちょっとだけ早い時期に投稿できればよかったのですががが(´・ω:;.:...
 今回は一応ながら続きもの、ということでしたが、いくらか分かりにくい部分もあったかもしれません。
 なにかご指摘がありましたら気兼ねなくどうぞ…っ。

 ☆追記・10/31 23:43
  誤字のご指摘ありがとうございます。二つともおっしゃる通りです。修正しましたっ!
実里川果実
http://vivaemptiness.blog97.fc2.com/blog-entry-87.html
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コメント



0.1470簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
自分のも秋を堪能してみたい。北は短くて…

素敵な巫女たちの素敵なお話有難うございました!
4.100名前が無い程度の能力削除
可愛いね。
飾り装わずとも彼女らは魅力的だな。
純真とか純情もすでに幻想なのかしら?

というか、こんなナイーブなのが霊夢であるはずがない!
19.100名前が無い程度の能力削除
すばらしい
22.100名前が無い程度の能力削除
巫女二人が初々しくて素晴らしい
できればさらに続いてほしいですね
文章も流麗で美しいです

誤字?
>苗の匂い……
正しくは「早苗の匂い」でしょうか?
一瞬「苗」でも意味が取れるのかとちょっと考えましたがよく分からなかったので。。。

あとついでに、あとがきにて
>というということでしたが、 
正しくは「ということ」でしょうか。
25.100名前が無い程度の能力削除
とてもよい二人でございました。
28.100名前が無い程度の能力削除
銀杏 栗 金木犀
秋の夕暮れの寂しさは昨日の雨のせいだったのでしょうか

まるで甘い秋の見収めでした
ごちそうさまです
33.90ずわいがに削除
んもう、んもう、神奈子様もゆかりんもイジワルなんだからぁ
ニヤニヤしちゃうじゃないですか!