秋――
山が色鮮やかなドレスを纏い始めるこの季節。
こんな鮮やかな風景に覆われて、天狗や山の妖怪たちが風流な毎日を過ごしていることだろう。そう思い込んでいる人もいるかもしれない。だが実はこの時期、妖怪の山が一番忙しいというのは意外と知られてはいない。なにせ忙しくなり始めたのは最近で、その事実を把握しているのは実際に被害をこうむっている山の妖怪くらい。
何が原因で、どう忙しくなったか。
それを一言で言い表すなら、皆、口を揃えてこういうだろう。
「守矢神社のせい」と
信仰を得るためにこの世界にやってきて……
信仰を得るために力を与えてはいけない部類の妖怪を強化したり……
信仰を得るために異変の原因をばら撒く者たち。
保守的な天狗の一部では、そうやって神社を堂々と貶す者もいる。
いや、貶す者が、いたの間違いか。
そうやって妖怪たちに言いふらしていた大天狗の一人が、『不慮の事故』で大怪我をしてから、表立って神社を非難する妖怪はいなくなった。むしろその強大な力を信仰するものが段々と増えているのが現状である。
それで気を良くしたのか、その神社に奉られている神様の一人が妙なことを言い出したのだ。
「人里の人間が安全に神社にこれるようにしろ、と」
これには、大多数の天狗が反対したが、天狗とその神が正面切って争い事を起こせばどうなるか。ある意味山を人質(?)に取られる形でしぶしぶその条件を飲むこととなってしまった。その代わり開放するのは一本の道だけ。そして、その神様がこれ以上妖怪の山を騒がせるようなことはしない、と二つの約束事を書面に書かせたのだったが……
その神様がそれで本当におとなしくなる確証もないので、天狗の中間管理職は胃の痛い毎日を送っていた。
そんな妖怪の苦労など知らず。
天狗に安全を約束された道を人間たちは楽しんでいるそうだ。いままでは縄張りに少し入るだけで追い払われてきたのに、今では視界を覆う赤や黄色の圧倒的な風景を気が済むまで堪能する事ができるのだから。燃えるような赤いトンネルを手をつないで歩く恋人の姿を見ていると、微笑ましさもさることながら少しだけ妬ましい気分になってしまうかもしれない。
そんな美しい散歩道の中、また一人手を繋ぐ一組がやってくる。
ぎゅっとその両手を握り締め合うその姿は、繋がっている手の部分だけを見るのなら仲の良い二人組に見えたかもしれない。なぜ見えると言い切れないか。それは二人の外見があまりに違いすぎるから。
一人は灰色の髪とネズミのような耳と尻尾が特徴的な小さな少女で、その可愛らしい外見に似合わずどこか大人びた目つきをしていた。そしてもう一方、そのネズミの少女の後ろに付いて行くように歩くのは、活発そうな短い髪をした左右の目の色が異なる少女。それだけを見ると人間のようにも見えるのだが、握っていないほうの空いた手。そこに握られた紫色の動く傘が、少女が異質な存在だということを告げてくる。
それでも、幻想郷であればその光景は日常茶飯事。妖怪が人間の生活に溶け込んでいてもなんら不自然はない。
まあ、普通に歩いているだけなら、だが。
「い、いやぁぁぁぁああああ!!」
こんな叫び声を上げられては、気にしないでいるほうが無理な話である。
叫び声を上げているのは、引っ張られながら歩いている傘の妖怪で、閉じた傘を地面に突き立てたり足を突っ張ったりしてかなり本気で嫌がっているのがわかる。それでも小さなネズミの妖獣はその重心を巧みに操り、いとも簡単に引きずっていく。
その手際を順序良く説明するならば、こうだ。
ネズミの妖獣がその手を引っ張ると、傘の妖怪が両足を地面に突っ張って抵抗する。
その瞬間に、小さな妖獣は手の力を軽く抜く。
この力加減が大事なのだ。転びそうになるまで抜くでもなく。
ましてや力を残しすぎて耐えられても意味がない。
軽くたたらを踏ませる程度で済ませるのが、この行動の大きなポイントの一つ。
抵抗するべき力が抜かれたせいで、当然その妖怪はバランスを崩し、狙ったとおり一歩二歩後退。
このままでは後ろに倒れてしまう、だから自然に倒れそうになる体を支えようと、突っ張っていた足の力を緩め、後ろへ向けていた力を前へと向けて自然と重心を前へ……
そのほんのわずかな時を見逃さず、ネズミの妖獣はおもいっきり彼女の手を引っ張った。
すると、今度は前につんのめって転びそうになるから、転ばないように自分から歩みを早めてバランスを保ち……
また慌てて足を突っ張って耐えようとする。そのくり返し。
そうなればもう、その小さな妖獣の思うまま。
おもいっきり引かれているわけでもないのに、体の主導権を奪われ……
進みたくもない道を進めさせられ続ける。
残る逃げ道は空しかない。
そう思った傘の妖怪は浮かび上がろうと妖力を集中させるが、足が地面から離れる瞬間に腕を捻って180度回転させられ……
「ぎゃぅ!」
地面に背中からぶつけられてしまうわけだ。
柔よく剛を制す、それをここまではっきり体現し、仁王立ちしたまま傘の妖怪を見下ろす。 その冷たい視線には早く立ち上がれ、という意思がありありと浮かんでいる。
それでも傘の妖怪は、絶対にもう動くまいと地面にしがみつくが、それをあざ笑うかのように。
ぎゅっ
傘をおもいっきり握って、またずりずりと引っ張っていく。
「いたっ! いたたたたっ!! 小石が、地面の小石がっ!
だ、だれか、たすけてぇぇぇぇええ!」
そんな悲鳴が悲しく響く中、その妖怪の少女は無慈悲に上り坂を進んでいくのであった。
「……というわけなのだよ」
「あー、なるほど……
とりあえず、さっぱり意図がわかりません」
「ん? そうか、わからないか。
君ならあるいは、私の意を汲み取ってくれると思ったのだが……」
「いや、わかって欲しいと言われても……
この状況では理解しろというほうが無茶がある気がしますよ、ナズーリンさん」
まあ、これでわかったらある意味天才かもしれない。
ここがどこかと言えば、言わずと知れた守矢神社。
そこで東風谷 早苗がいつものように落ち葉の掃き掃除をしていると、急に見覚えのあるネズミの妖獣ナズーリンが声をかけてきたのだ。最近人里の近くに寺で生活しているため、あまり妖怪の山付近では活動していないはす。もしかしたら、あの二人の神様に会いに来たのかと思い、話を通そうかと提案すると。
「いや、こういうことはあまり神頼みしない方がいいのでね。
できる限り努力して解決するのが一番さ」
そんなよくわからないことを言いながら、鳥居のところを指差したのである。
ナズーリンが無造作に指した、早苗から見て右側の鳥居の柱。
言われるがままに、早苗がそこへ視線を移すと……
「え、ええっ!? な、なにごとですか!」
早苗が悲鳴を上げたくなるのはわかる。
何故かその柱に、おもいっきり荒縄でぐるぐる巻きにされている少女が一人……
ぐったりと、力なく傘ごと鳥居に固定されているのは、小傘というこれまた見たことのある唐傘おばけの妖怪で……
「……えーっと、何か目が死んでるような気がするんですが」
「生きているのに、死んだように見える。とても文学的な表現だ。
まあ、見てのとおり、というわけなのだよ」
何かもう、生きることに疲れてしまったかのように光を失ったような目と、ぼさぼさになった頭、そして土埃でくすんでしまっている少し乱れた服や傘。さらには縄で拘束されているという、見方によってはいろんな意味で危ない状況の彼女。
それを指差して理解しろと言われても、想像したくない種類の妄想しか浮かんでこないわけで……
「ふむ、ここまで見せてもわからないか、仕方ない。
実は人里で、ここの神社の巫女。つまり君がいろいろな悩み相談を受ける仕事もしていると聞いてね。妖怪の悩みも聞いてもらえるかと思って来てみたわけだよ」
「相談、ですか……」
そういえば、最近。少々派手に暴れている妖怪についてどうすればいいか、などという相談が人里の方からあったし、少し前は博麗神社の巫女と一緒に収穫祭で何かしてくれないか、という相談事もあった気はするが……
おそらくそれをどこかで聞き間違えて、悩み相談をしにきたのだろう。しかしここまで来てくれたのに、それは聞き間違いだと告げるのも何か失礼な気がした早苗は、話だけでも聞いてみようと小さな賢将に問い掛けてみた。小傘の様子を見つめて、少し頬を赤く染めながら。
「……えーっと、もしかしてその相談は性とかそういう類の……?」
「せい? ああ、確かに、『せい』ではある」
「……えっと、そういう話でしたら……私より諏訪子様の方が……一度結婚もされているようですしそういう経験は豊富なのではないかと……
でも、無理やりとかそういう経験は、ないかもしれませんが……」
「……? 結婚? 無理やり?
いや、生命という意味の『生(せい)』の相談をしたかっただけなのだが?」
「え、あ、ああ、や、やっぱりそうでしたか!
そうじゃないかなぁって、思ってたんですよ。ずいぶん深刻な状態のようですし」
妙な勘違いを相手に気付かれないように、早苗は両手を胸の前でパタパタ振りながら。今の状況を少し冷静に考えてみることにした。まず人の神社の鳥居に勝手に妖怪を縛り付ける行動事体を注意するべきかもしれないが、終わったことは仕方ない。
今問題なのは、ナズーリン言う悩みとはいったい何なのか、ということと。
その悩みと小傘がどんな関係にあるかということ。
それを尋ねる前に、ナズーリンが仕方ないと言うように肩を竦めふぅっと小さく息を吐いた。
「私の主といい君といい、もう少し思慮深くならないといけない。
このままでは話が進まないからこちらから話を進めさせてもらうよ」
初めからそうして、という言葉が喉からでかかったが早苗はなんとか口の中で抑え、彼女の言葉の続きを待った。
「あの小傘とは別に親しい間柄ではないのだが、何やら最近元気がなくてね。
話を聞いてみると、なんと最近人前に出るのが怖いと言い出したのさ」
「えーっと、それと服がボロボロなのは何か関係が?」
「いや、ないが?」
「ねずみこわいねずみこわいねずみこわいねずみこわい……」
「なにやらつぶやき始めてますけど……
対人恐怖症ではなく、ネズミ恐怖症の間違いでは?」
「一時的なものだ、気にする必要はない。
まったく、少々手荒な運び方をしただけだというのに、なんとだらしないことか」
少々手荒な運び方で、どうやったらあそこまで死人のような表情を生み出すことができるのか。
それを聞くのが少々怖かったので、軽く聞き流し。早苗は引きつった笑みを作りながら妙な来客者をじっと見つめる。
「それで、何故人間が怖いのに、わたしのところへ?
それって逆効果というやつではないでしょうか」
ショック療法というのは聞いたことがあるけれど、今のボロボロの状態の小傘をみているとどうしても不可能な気がしてならない。どちらかと言えば、仲のいい妖怪の間で相談するのが良いと思う早苗だったが、ナズーリンにはナズーリンなりの事情があるわけで。
「まあ、あれだよ。
聖に相談しても解決するかもしれないが、あの人の性格上。優しく接しすぎて、唐傘おばけの本分である『人を驚かせる』ことがなくなる気がしてね」
「……あー、わかる気がしますね。あの人は妖怪をはっきりと叱るようには思えませんし……」
早苗の頭の中に、甘える小傘が聖という妖怪好きの人間にしなだれかかっている映像が浮かんできた。甘えるように、上目遣いで大人びた女性を見上げる小傘と、子供のように肌の触れ合いを求める彼女を母性溢れる笑顔で見下ろす聖。
そんな二人の顔が、想像の中とはいえ段々と距離を詰めていき……
「い、いけません! いくらなんでもその展開はいけません!」
「そうなんだよ。そうやって人間に甘えてはなると唐傘おばけという意義を失った小傘の妖怪生命が危うくなるだろう?
ただ私の近隣にいる妖怪だと、人間を怖がるということに対して『がんばれ』程度の励まししか言えない者がほとんど。かくいう私も、どう対処していいかわからない一人というわけさ」
会話だけを見ると、噛み合っているようにも見えるのだが……
どうやら思春期の女性と、妖怪では思考に違いがあるらしい。実は頭の中では全然違うことがイメージされていることに、小さな賢者は気がついていないようである。早苗が頬を染めているのも真剣に考えてくれているから頭に血が上ったと受け取っているのかもしれない。
そんな好意的な視線を受けたせいか、彼女のいけない熱も少し収まってきた。
「というわけで、だ。
身の周りの者が駄目なら、手当たり次第あたるしかないだろう?
それで人里で情報収集をした結果ここに行きついた。それで小傘を連れて来ようとしたんだが、何故か妖怪の山という言葉に酷く怯えてしまってね。もしかしたら、人間に恐怖を持つようになった原因がここにあるのかもしれない。そう考えて行動はもう少し調べてからでもよかったのだが……
妖怪生命に関わることを先延ばしにしてもまずいと思ってね」
横目でちらりと小傘を見ると、すでに命の危機なのではないかとも不安にもなるのだが……
妖怪を驚かせるのが生き甲斐だった妖怪が、人間に怯えるようになるのは確かに可愛そう。そもそも何故こういうことになってしまったのか。
もしそれがこの妖怪の山にあるとすれば、無関係というわけにもいかないだろう。何せ神社をここに移してから山の妖怪にはよくしてもらっているのだから。
「そうですか、妖怪の山は縄張りを荒らさない限り比較的温厚な妖怪が多いですけどね。
だから山に住む妖怪が小傘さんにあって悪さをしたとも考えられませんし、それにここに住む人間は私くらいなもので……ん~~」
早苗は小傘がこうなってしまった原因に皆目見当がつかなかった。
彼女に初めてであった時、ほんのちょっと、少しだけ、微々たる量の弾幕を浴びせ掛けた気はするが、それがトラウマになったなんてありえるはずがない。まあ、確かにあのとき早苗は初めての妖怪退治でとても気持ちが高ぶっていたのは確かだが、ちゃんと手加減はしたはずだ。
丁寧に、お札をペタペタ貼り付け、ちゃんと死なない程度に計算し尽くされた手加減を。
そういえば少し悲鳴をあげていた気がするが、そんな気にするほど大きな声も上げていなかったし問題ない。うん、きっとそう。
ということは人間の姿に似た妖怪が悪さをしたということだろうか、まったく困ったものもいたものである。
「どなたがいたずらをして、小傘さんをここまで追い詰めたのかはしりませんが……
しかたがありません。この山の住人として小傘さんが恐怖を克服し、妖怪として復帰できるよう努力してみましょう! それが、どうしようもない小物の妖怪でも!」
「ん? そうか、何か気になるがそう言ってくれるとありがたい。なら私もできる限り協力しようではないか」
どこか早苗に危険な気配を感じながら……
気合を入れ、握り拳を振り上げる早苗につられ、ナズーリンも控えめに手を肩の上に掲げた。
しかしながら――
鳥居の柱に括りつけられたままの哀れな被害者は、無自覚な二人に向けておもいっきり首を左右に振っていた。
ただ、この二人組みが今更そんなことを気にすることもなく……
無常にも、本人の望まぬ『小傘お助け大作戦』が始まったのだった。
パシャッ
上空で何かの機械音が響くのに気づかぬままで。
前篇を読んだ時点ではほのぼのって感じはしませんでした。
守矢神社は黒いし、ナズーリンは無茶苦茶だし、ただただ小傘が可哀そうでした。
不条理ギャグにするのなら今度は逆に突き抜けていないので中途半端ですし、後篇以降に期待します。
妖怪退治が、妖怪「胎児」
になってました。
後編にも期待します。
ヤバいwwwなんかツボに入ったwww
「ねずみこわい」と呟く小傘とか、早苗とナズーリンの会話も面白かったです。
遅くなりましたが返答の方を
>2さん
そうですね、前後編を通して ほのぼのにみせかけたなにか というのものを表現したかったので前編だけを書いたときにつけるべきではなかったかもしれません。一応後編が書きあがりましたのでこのタグは残させてください。
不条理ギャグですか、ドタバタとか急展開のもののことでしょうかね。
そっちの方が確かにこういうボケは似合いそうですので、今後使い方を検討させていただきたいと思います。また守矢神社の方は、もともと安定した状態の山に、いきなり神社が入ってきたら、天狗が歓迎する分けないよね。というコンセプトで書いたもので、多少歓迎してない雰囲気を出すためにああいう文体になりました。
>霧耶さん
誤字報告ありがとうございます。
そうですね、物語に入り込むためにはやはりこういうところを注意しないといけないのですよね、、、
>8さん
意識してやったわけではないのですが、いつのまにかこんなことに
別に作者はダジャレ好きではないと思います、うん、きっと
>煉獄さん
静かなボケというのをイメージして書いて見ました。
優しそうだけど、どこか黒い部分がある早苗さんもいいかなと思いまして。