しとしとと霖が降り続く日の午後、こんな時分は絶好の読書日和だ。最も外が晴れ渡っていたとしても構わず屋内で本を読むのが僕の性分なのだが。それはともかくとして僕が本と向かい合うことで自らの内面世界に没頭していた時それはやって来た。
――カランカラン。
「邪魔するぜ!」
店先に来客を知らせる用途で吊してあるベル。その音さえ掻き消さんばかりの生新な声を張り上げながら店に飛び込んで来たのは、今や香霖堂の売り上げにおける最重要人物に成り上がった霧雨魔理沙だ。この場合の最重要人物というのはお得意様という意味では無く、正反対の意味でだ。何しろ最近の魔理沙は店に乗り込んでくるやいなや長々と世間話を続けて店内に居座る事で客が店に入ってくる機会を奪うし、客が店に入って来たら入って来たで僕が接客を行っているその隙を突いて店の商品を勝手に持ち出すわで全く目が離せない。
「邪魔をしているという自覚があったのかい、それは殊勝な心がけだね」
「何言ってるんだ、お前なんて放っておけば何時までも本読んでるんだから私が邪魔してやらないとその内木乃伊になっちまうだろ。寧ろ感謝して貰いたいぜ」
彼女はそう言うと自らの行動に疚しい事など何もないと言わんばかりに胸を反らした。全くその自慢はどこからやってくるんだか。差し支えなければ教えて欲しいほどだ。大体幾ら肉体的な充足を余り必要としない半妖の身とは言え、干涸らびる程読書に没頭する事は無いだろう……恐らく。
「まぁそれはそれとして今日は何用だい? 今日こそ何か買っていくんだろうね?」
「用がなければ来ちゃいけない決まりはないだろう?」
「店というものは何か用があるからこそ赴く場所だと思うが……まぁ良い。君はここの所僕の店に入り浸っているが他に行く所は無いのかい?」
「別に行く所なんてのは幾らでもあるぜ。知っての通りこの魔理沙様は押しも押されぬ幻想郷の一等星だからな! 皆の方からこの私に会いたがるってやつだ。その大きな一等星が誰にも見向きもされない寂しい六等星に会いに来てるってんだから喜ばれる事こそ有れど煙たがられる謂われは無いぜ」
それはそれは、世間ではそれを大きなお世話と呼ぶんでは無かろうか。大体その六等星というのは僕の事を指しているんだろうが、かろうじて肉眼で見えるほどの段階までに存在が希薄化した覚えは無いんだが。こんな事を考えている間にも魔理沙は既に腰を落ち着けてしまっていた。こうなれば最早魔理沙は根が生えた様に動かない。日が落ちて夜空に星が瞬くまで目の前の冴えない六等星との他愛ない四方山話に興じるのだろう。取り敢えず僕はこれから続くであろう長丁場に向けてお茶を煎れてくる事にした。
◆ ◆ ◆
「…以上が妖怪の山で起こった騒動の顛末だぜ」
私はついこの間妖怪の山にて巻き込まれた一騒動、延いては私の八面六臂の大活躍について存分に香霖へと語り尽くした。因みに話の内脚色は一割ぐらいといった所だ。これも話を面白くする為のスパイスって奴だぜ。
「フムン、まさか彼女がそこまで切羽詰まっていたとはね……ところでお茶のお代わりは要るかい?」
なんだ? 香霖が自分からお茶を勧めてくるなんて珍しい事も有るもんだ。こりゃ明日は大雨かな。いや、雨なら此処の所降り続けてるからこの場合は晴れるのか?
「何か言いたそうな目をしてるね。なあに、面白い話を聞かせて貰った礼さ。僕だってこの位の礼節は身に付けている」
「私が死ぬ様な目にまで遭った大活躍の代償は一杯のお茶、か」
本当に欲しいのはお茶なんかでは無いんだが香霖にそれを求めるのは野暮ってもんか。大体香霖が其処まで気を回せる奴だったらこの店はこんな寂れた調子なんぞになってないだろうし。
「君の場合厄介事に進んで首を突っ込むから死ぬ様な目に遭うんだろうに。それに代償が出るだけありがたいと思って貰いたいね。今まで君が黙って持って行った品代を考えれば……」
「わかったから! 早く茶を持ってきてくれ、話詰めで喉がカラカラだ」
そう香霖に告げると私はいかにも疲れたと言わんばかりの態度を装って机に突っ伏した。良し、此処までは筋書き通り。十分私の良い所を印象付けたはずだ。次は如何に自然にあいつに聞くか、だな。
「魔理沙? 寝てしまったのか?」
私が机に突っ伏している姿が船を漕ぎ出した様に見えたのか香霖がそう問いかけてきた。
「そんな訳無いだろ。香霖があんまりのんびり茶を煎れてるもんだから一寸休んでただけだぜ」
「そうか、それはお待たせしたね。ほら、お望みの茶だよ」
香霖が差し出す茶を啜り心を落ち着けながら、私は何度も練習してきた質問を投げ掛ける覚悟を固める。よし、あくまで自然な調子を装って……
「聞きたい事があるんだが……こ、香霖は今まで異性と付き合った事は有るのか?」
うん! これはかなり自然に言えたんではないか? 一寸声が上擦ったのはまぁ……ご愛敬って奴だ。
「突然何を言い出すと思えば……何だって急にそんな事を聞くんだい?」
うおッ! こいつ質問を質問で返して来やがった! 落ち着け……こんな場合の対処法もばっちり練ってきたはずだ!
「いや何、私も一応『恋符』を使う以上人様の恋愛事情というものが気になってな? 周りでそんな話が聞けそうな奴と言えば香霖しか居なかった訳だ」
「なるほど……確かに君の周りの少女達は人恋沙汰に関しては些かも興味が無さそうだからね。それで僕にお鉢が回って来た、と。だが生憎僕はその問いに対して答える気は無いな」
香霖の予想外の返答に私の体が強張る。まさかこんな展開になるとは全く予期していないぞ!? どうする私!? そうして私が狼狽えている間に香霖が二の句を告ごうと口を開いた。
「僕は自分の過去を話すのは余り好きではないし……それに一番の理由は僕は君の親代わりでも何でもないからだ。君はいいかげん僕に聞けば押し並べて親切丁寧に答えてくれるという幻想は捨てるべきだね。道具に関する事ならばまだしも僕個人に関する事まで明け透けにするのは御免被りたい」
しまった……思わぬ所で香霖の逆鱗を踏む事になってしまうなんて。顔を俯け明らかに意気消沈している私を見かねたのか香霖が声を掛けて来た。
「言い方が多少きつくなってしまった事は謝ろう。お詫びと言って良いのか分からないが先程の質問だけには答えようか」
その言葉に私は思わず顔を見上げてしまう。我が事ながら本当に現金な奴だ。いやいや、そんな事より香霖の返答は……?
「僕は今まで誰か特定の相手に思慕の情を抱いた事は無いし、これからもそんな事があるとは到底思えないな」
なんてこった。聞きたかった事は確かに引き出せたのだがそれ以上に知りたくなかった事まで付いてくるとは。『これからもそんな事があるとは到底思えない』だと!? その考えが余りにも受け入れ難くてつい声を大にして聞き返してしまう。
「じゃ、じゃあ香霖は一生涯独り身のままで居るつもりなのか!」
「それに関しては僕の勝手だろう。幾ら君とは言え僕の心情面にまで押し入って欲しくは無いな」
余りにも強い拒絶の言葉に思わず体が震える。言い様のない感情に包まれ蒼白に染まりそうになる表情を必死に押さえながら私は頭を全力で回転させる。だがしかし頭の方は一向に言葉を紡いでくれる気配は無い、只空回りを続けるだけだ。どうしたら……私はどうしたら……
「そうか……なら一人で勝手に干涸らびるまで生きてろ!」
結局何も思い浮かばない頭で出来たのは悪態を吐く事だけだった。そして私はそのまま激情に任せ箒を掴み取り、何処へ行くともわからず暮れなずむ曇天に向かって飛び出していた。いつの間にか心から溢れて出してくるものを私は止める術を持たず、唯々今はその溢れ出すものの赴くままに飛び回りたかった。
◆ ◆ ◆
「僕の見間違いでなければ今確かに泣いていたな……まさか久方ぶりに見る魔理沙の涙がこんな形になるとは」
昔霧雨店で世話になっていた際、未だ歩くのも覚束無い幼い魔理沙の世話をするのは専ら僕の担当だった。あの頃の魔理沙は僕の目を盗んでは一人で何処かへ歩き出そうとし、結果転んでは僕の手で引き起こされるまで泣きじゃくっていたものだった。そんな追憶に浸っていると、卒然として脳裏に閃くがあった。魔理沙がここ数日僕の店に入り浸っていたのは何の為だ!? そして訪れるたびに武勇伝を喜々として語っていたのは何の為だ!? そう、全ては僕に認めて貰う為だったのではないのか!? 『私はもう香霖に立ち上がらせて貰わなくても一人で立てるのだ』と! なるほど……何時までも昔と同じ子供だと思い込んでいたのは僕の方だけだった訳だ。もう魔理沙は小さくか弱い、守られるべき子供では無い。僕が手を引かなくても自らの力で立ち上がり、何処までも飛んでいってしまうのだろう。
「それにしても恋愛事情か……『恋符』の事はきっと建前だろうな」
『言の葉はその裏側にこそ真に伝えたい事柄が記してある』とは誰の言葉だったか。冷静になり先程のやり取りを思い直してみれば、魔理沙が僕に対して本当に伝えたかった事柄は恐らく僕への思慕の情だったのでは無かろうか。しかし『魔理沙は未だ子供なのだ』という意識が僕の目を閉ざしていた。その為魔理沙が僕に向ける好意の正体にも一向に気が付かなかった。親兄弟に向けるものと同質だろうと信じて疑わなかったのだ。だから冷たく突き放してしまった、『いい加減僕を親代わりとして縋り付くのは止めて巣立ちするべきだ』という勝手な理屈を持って。彼女はとっくに僕が庇護する必要がある程の小さな子供ではなくなっていたというのに。仮にも人と相対する道具屋を長年営んでおきながらこの体たらく、これでは人を見る目は無いと言われても仕方が無いな。全くまだまだ修行が足りないと言う訳だ。
さて、魔理沙の想いは朧気ながら理解出来た。僕は自分に対して好意を向けてくれた魔理沙をあろう事か傷付けてしまった訳だ。ならばその責任を取るのが僕に課せられた使命というものだろう。その使命を果たす為にも見極めねばなるまい、僕が抱く感情の正体を。
かつて僕が幼い魔理沙に対して抱いていた感情は『か弱い存在を守ってやらねばならぬ』という仁慈の心に基づくものだった。その心が今まで僕の眼鏡を曇らせていたのだ。それならば纏わり付く曇りが晴れた今、何にも守られることなく己の力で生きている彼女に向けているこの感情は……?
「僕は彼女の事を……」
うん、そういうことってあるかも。
短い為かアッサリしてると思いましたが、楽しんで読めました。
そして初ssですか。次回に期待してます。
確かにあるのかもしれませんね。
恋愛事情のことを聞いている時の魔理沙や、霖之助の心情など面白かったです。
感嘆符(!)は付けないと思うんだ。
あくまでも、あくまでも私見ですが霖之助は、魔理沙の気持ちを親愛の情などの勘違いではないのか? と思う方が自然です。あくまでも、私見ですがね!
ですが魔理沙の心境が可愛かったり、地の文の丁寧さ、「…」の使い方などキチンと出来ていて読みやすい文章でしたので、今後に期待しています。
しかも処女作で、このクオリティは素晴らしいかと思います。これからも頑張ってくださいね!