フラフラとした足取りで彼は歩いていた。動いていれば何も考えずに済むから、歩いていれば、その間だけは苦しみから逃げることが出来たから。
立ち止まって辺りを見回す。いつの間にか再恩の道を通り過ぎて無縁塚に着いていたようだ。日課のように店からここまで歩いていた為に身体が覚えてしまっていたのかもしれない。ただ一ついつもと違ったのは彼が道具を拾いに来たわけではない、という事だ。そして、また再び歩き出そうとしたその時だった。
「・・・!」
ドサッ という音と共に彼の膝が折れる。普段は休憩しながら来ていたため、今日何も持たず何も食べず休憩しないで歩きつづけた彼の身体の方が限界だったのだ。
そのままズルズルと地面を這いずりながら近くに立っていた木に背中を預ける。動く事をやめ、何もできない為に彼女の事を思い出してしまう。
『香霖!遊びに来てやったぜ!!』その少女の笑顔を思い出す。『してやってるぜ。酷いヤツだろ?』その少女の声を思い出す。彼女の声を笑顔を思い出す度に、心をゴッソリ持っていかれたような喪失感と悲しみが襲ってくる。小さな世界で生きる彼等にとって身内一人死ぬという事は途轍もなく大きいのだ。喪失感が悲しみを凌駕しているからか、彼の目からは涙も出てこない。
「アンタがいくら逃げても悲しみは消えない」
絶望に苛まれていた彼に不意に、背中が張り付いている木から女性の声が聞えた。否、正確には木の裏側だった。霖之助はその声の主をよく知っている為に驚くことはなかった。そもそもそんな余裕すらなかった。
「・・・分かってる」
だから静かにその声に答える。
「アンタがいくら探した所で見つからない」
「・・・分かってる」
戻ってこないのは分かっている。どれだけ探しても見つからないのは理解している。
「どれだけの代償を支払っても・・・失ったものは取り戻せない」
「分かっているさ・・・」
---それでも、何かに縋っていたかった。
自分の命と引替えに失った命を取り戻せるのならどれだけ良かったか。どんな無理な事でもなんでもいい、ありえない奇跡を祈らなければ心が完膚なきまでに折れそうだった。・・・しかし、今その現実を突きつけられても特に何かが心の中で変わることはなかった。ただ虚脱感と喪失感、そして深い悲しみが残っているだけ。それを少しでも紛らわす為に、木を挟んで自分の背中にいる死神に今度は自分から声を掛ける。
「長い階段を登っている最中に足を踏み外してそのまま下まで落ちて転落死・・・おかしな話だと思わないか?」
「どうして?」
「森一つ簡単に吹き飛ばせるような妖怪達を相手に今まで勝ってきたのに・・・動く事も戦う事もできない只の階段に負けんだよ?」
彼女の最後を聞いた時に唖然とした。妖怪と戦って最後を遂げたり、実験中にうっかり失敗して爆死したのなら苦しくても現実として受け止められたかもしれない。それがどうだ、4,5歳の子供がよく起こすようなあっけない事故で死んでしまったのだ。受け入れようとしても、彼女があんな事でホントに死んでしまったのが受け入れられない。それでも自分の今の感情に気付き、受け入らざるを得ない。その矛盾の果てで見つからない彼女の影を追い求めた。
「そう珍しいことでもないだろ?」
彼女はしかし、あっさりとその事実を受け止めていた。死神として多くの死を見てきたからこその言葉だろう。その意味を理解した彼は反論も出来なかった。続けてその死神が言う。
「例えば、そうだな・・・今この瞬間にこうして話している間に、あたいに雷が落ちて死ぬかもしれない。旦那に木が倒れてきてそれで死ぬかもしれない。死、なんてのは千差万別なんだ。つまりさ、どうして死んだのかなんて考えるだけ無駄なんだよ。どんな末路でも死んでしまった事は変わらないんだからさ。そう思えば・・・受け入れることも出来るんじゃないか」
その言葉にどれだけの意味があるのか・・・今の彼に考える頭など残っていない。
それでも、彼女が自分の事を不器用ながら励ましてくれているのは分かった。喋りたがり屋で、実際幽霊にも一方的に話し続ける彼女だが、こういう事はあまり言ったことが無いのだろう・・・そのまま黙り込んでしまった。
「くくっ・・・」
思わず彼は苦笑する。命を狩る死神が赤の他人の一人励ますのに必死な姿に。
そして同時に自分自身に驚く。こんなボロボロの心でもまだ、笑える事が出来るのだと。
「なんで笑ってんだい?さっきまであんなに落ち込んでた癖に・・・」
さぁな、と彼は素っ気なく、だがハッキリと返した。
深呼吸し目を閉じる。先程の彼女の言葉を思い出す。どうしてあの少女が死んだのか考えない。ただあの子が死んだという事実だけを頭に思い浮かべる。もう逃げることはしなかった。ありのままの事実を、もう戻らない時間を、素直に受け入れる。
思えば、とても優しい子だった。不器用だったけれど誰かのために行動し自分の為にも尽くしてくれた。悲しみだけが彼の心の全てを埋め尽くす。無意識に、これが誰かの死を受け入れる事だと理解した。
彼の頬を大粒の涙が止め処なく伝う。
彼岸花の咲き乱れる無縁塚で、どれだけ静寂が続いていただろうか・・・普段は10秒に1回は話さないと発作でも起きそうな彼女が静かに彼が死を受け入れるのを待っていた。一部の者達の間でも有名なサボり魔な彼女もこんな面を持っているから・・きっとあの厳しい閻魔に見放されないのだろう。
彼は静かに目を開ける。もう涙は止まっていた。悲しみが消えたわけではないが、言葉で表現出来ないほどの喪失感と虚脱感は薄れた。此処に来なければ・・・彼女が話しかけてくれなければ・・・自分はまだ少女の死を受け入れられなかったと理解し、彼女に素直に礼をする。
「ありがとう、小町。」
今日初めて彼が彼女の名を呼び、そして知り合って初めて彼女に感謝した。
彼女は少し照れたように「別に・・・」と言いそれを隠すように言葉を続けた。
「・・・旦那の運が良かったんだよ。そこら辺の木、見てみな」
彼女の言う通りに顔を上げ、辺りの一面の桜の木を見回す。
満開だった。
見たこともないような紫の桜が視界の全てを包み込むように咲き乱れていた。その余りにも美しい光景に思わず全てを忘れ見惚れてしまう。
「それらは『紫の桜』って言ってね・・・一応は妖怪桜の一種なんだが、一年に一度だけ桜を咲かせて、その時に迷いを断ち切り無縁の塚を浄化する力があるんだ。生者に効くかどうかなんて試した事ないが・・・その満開の桜が手助けしてくれたんじゃないか」
今回、たまたま桜が満開になる時間と彼が来た時間が重なったのだ。そう考えれば確かに運が良かったと思えるかもしれないが、彼はもっと別のところで運が良かったと思っていた。それを目には見えない、だがすぐ側にいる彼女に向かって言う。
「妖怪桜の能力なんか関係ないさ。魔理沙の死を受け入れることが出来たのは・・・間違いなく君のおかげだ」
迷い無くハッキリと言い放つ。言葉にした彼よりも聞いた彼女の方が顔を赤らめる。
「よくそんな台詞サラッと言えるな・・・まあ、嫌な気はしないけど・・・」
照れ隠しもロクに出来ないのが声を聞いているだけでも分かった。彼はまた、「くくっ・・」と声を潜めて笑う。再び生きる気力が湧いてきた。
---彼は立ち上がる。
「おや?もう行くのかい?」
「ああ・・・もう大丈夫だから」
そうかい・・・と彼女は静かに返した。
身を預けていた大樹から身体を離し反対側へと回り、再び来た道を戻りはじめる。
木にもたれながら座っている彼女の隣を横切りほんの一瞬だけ彼女の姿を見た。身の丈程もある大鎌が顔の上部分を隠していたが、その口元は確かに・・・・笑っていた。
ザッ、ザッと視界のほぼ全てに映る彼岸花を踏みしめ、再恩の道を歩く。ここに来ると、『何故か生きる気力が蘇る』という風の噂がかつてあった。ソレを初めて聞いた時、「そんな馬鹿な話があるものか」と思っていたが、起こった事は違っても結果的に生きる気力を失くした自分が再びソレを取り戻し、またこの道を歩いている事実を受け止める。
「風の噂というのも・・・存外、馬鹿には出来ないな・・・」
振り返りもせず彼は呟くと、その姿は段々と闇に消えていった。
日光が気持ちよくて、つい寝てしまったようだ。
「・・・まぶし」
正午の眩しすぎる太陽の光に意識が覚醒する。
呟くその死神の前には無数の幽霊の姿があった。こういうものに耐性の無い者なら即気絶してしまいそうな光景だったが、それでも彼女は特に気にすることもなく寝起きの頭を掻く。
「・・・ん?」
後頭部を掻いていた手を止め、空に浮かぶ一つの幽霊に視線を集中する。
すると、その幽霊が彼女の目の前に舞い降りてきた。彼女は無表情の幽霊を見つめ笑う。
「どうだい?実際に幽霊になった気分は?」
何かの感情を隠すように・・・ケラケラと笑いながら、決して返ってこない言葉を問いかける。
「相変わらず運がいいな・・・今夜は丁度、桜が満開だよ」
了
立ち止まって辺りを見回す。いつの間にか再恩の道を通り過ぎて無縁塚に着いていたようだ。日課のように店からここまで歩いていた為に身体が覚えてしまっていたのかもしれない。ただ一ついつもと違ったのは彼が道具を拾いに来たわけではない、という事だ。そして、また再び歩き出そうとしたその時だった。
「・・・!」
ドサッ という音と共に彼の膝が折れる。普段は休憩しながら来ていたため、今日何も持たず何も食べず休憩しないで歩きつづけた彼の身体の方が限界だったのだ。
そのままズルズルと地面を這いずりながら近くに立っていた木に背中を預ける。動く事をやめ、何もできない為に彼女の事を思い出してしまう。
『香霖!遊びに来てやったぜ!!』その少女の笑顔を思い出す。『してやってるぜ。酷いヤツだろ?』その少女の声を思い出す。彼女の声を笑顔を思い出す度に、心をゴッソリ持っていかれたような喪失感と悲しみが襲ってくる。小さな世界で生きる彼等にとって身内一人死ぬという事は途轍もなく大きいのだ。喪失感が悲しみを凌駕しているからか、彼の目からは涙も出てこない。
「アンタがいくら逃げても悲しみは消えない」
絶望に苛まれていた彼に不意に、背中が張り付いている木から女性の声が聞えた。否、正確には木の裏側だった。霖之助はその声の主をよく知っている為に驚くことはなかった。そもそもそんな余裕すらなかった。
「・・・分かってる」
だから静かにその声に答える。
「アンタがいくら探した所で見つからない」
「・・・分かってる」
戻ってこないのは分かっている。どれだけ探しても見つからないのは理解している。
「どれだけの代償を支払っても・・・失ったものは取り戻せない」
「分かっているさ・・・」
---それでも、何かに縋っていたかった。
自分の命と引替えに失った命を取り戻せるのならどれだけ良かったか。どんな無理な事でもなんでもいい、ありえない奇跡を祈らなければ心が完膚なきまでに折れそうだった。・・・しかし、今その現実を突きつけられても特に何かが心の中で変わることはなかった。ただ虚脱感と喪失感、そして深い悲しみが残っているだけ。それを少しでも紛らわす為に、木を挟んで自分の背中にいる死神に今度は自分から声を掛ける。
「長い階段を登っている最中に足を踏み外してそのまま下まで落ちて転落死・・・おかしな話だと思わないか?」
「どうして?」
「森一つ簡単に吹き飛ばせるような妖怪達を相手に今まで勝ってきたのに・・・動く事も戦う事もできない只の階段に負けんだよ?」
彼女の最後を聞いた時に唖然とした。妖怪と戦って最後を遂げたり、実験中にうっかり失敗して爆死したのなら苦しくても現実として受け止められたかもしれない。それがどうだ、4,5歳の子供がよく起こすようなあっけない事故で死んでしまったのだ。受け入れようとしても、彼女があんな事でホントに死んでしまったのが受け入れられない。それでも自分の今の感情に気付き、受け入らざるを得ない。その矛盾の果てで見つからない彼女の影を追い求めた。
「そう珍しいことでもないだろ?」
彼女はしかし、あっさりとその事実を受け止めていた。死神として多くの死を見てきたからこその言葉だろう。その意味を理解した彼は反論も出来なかった。続けてその死神が言う。
「例えば、そうだな・・・今この瞬間にこうして話している間に、あたいに雷が落ちて死ぬかもしれない。旦那に木が倒れてきてそれで死ぬかもしれない。死、なんてのは千差万別なんだ。つまりさ、どうして死んだのかなんて考えるだけ無駄なんだよ。どんな末路でも死んでしまった事は変わらないんだからさ。そう思えば・・・受け入れることも出来るんじゃないか」
その言葉にどれだけの意味があるのか・・・今の彼に考える頭など残っていない。
それでも、彼女が自分の事を不器用ながら励ましてくれているのは分かった。喋りたがり屋で、実際幽霊にも一方的に話し続ける彼女だが、こういう事はあまり言ったことが無いのだろう・・・そのまま黙り込んでしまった。
「くくっ・・・」
思わず彼は苦笑する。命を狩る死神が赤の他人の一人励ますのに必死な姿に。
そして同時に自分自身に驚く。こんなボロボロの心でもまだ、笑える事が出来るのだと。
「なんで笑ってんだい?さっきまであんなに落ち込んでた癖に・・・」
さぁな、と彼は素っ気なく、だがハッキリと返した。
深呼吸し目を閉じる。先程の彼女の言葉を思い出す。どうしてあの少女が死んだのか考えない。ただあの子が死んだという事実だけを頭に思い浮かべる。もう逃げることはしなかった。ありのままの事実を、もう戻らない時間を、素直に受け入れる。
思えば、とても優しい子だった。不器用だったけれど誰かのために行動し自分の為にも尽くしてくれた。悲しみだけが彼の心の全てを埋め尽くす。無意識に、これが誰かの死を受け入れる事だと理解した。
彼の頬を大粒の涙が止め処なく伝う。
彼岸花の咲き乱れる無縁塚で、どれだけ静寂が続いていただろうか・・・普段は10秒に1回は話さないと発作でも起きそうな彼女が静かに彼が死を受け入れるのを待っていた。一部の者達の間でも有名なサボり魔な彼女もこんな面を持っているから・・きっとあの厳しい閻魔に見放されないのだろう。
彼は静かに目を開ける。もう涙は止まっていた。悲しみが消えたわけではないが、言葉で表現出来ないほどの喪失感と虚脱感は薄れた。此処に来なければ・・・彼女が話しかけてくれなければ・・・自分はまだ少女の死を受け入れられなかったと理解し、彼女に素直に礼をする。
「ありがとう、小町。」
今日初めて彼が彼女の名を呼び、そして知り合って初めて彼女に感謝した。
彼女は少し照れたように「別に・・・」と言いそれを隠すように言葉を続けた。
「・・・旦那の運が良かったんだよ。そこら辺の木、見てみな」
彼女の言う通りに顔を上げ、辺りの一面の桜の木を見回す。
満開だった。
見たこともないような紫の桜が視界の全てを包み込むように咲き乱れていた。その余りにも美しい光景に思わず全てを忘れ見惚れてしまう。
「それらは『紫の桜』って言ってね・・・一応は妖怪桜の一種なんだが、一年に一度だけ桜を咲かせて、その時に迷いを断ち切り無縁の塚を浄化する力があるんだ。生者に効くかどうかなんて試した事ないが・・・その満開の桜が手助けしてくれたんじゃないか」
今回、たまたま桜が満開になる時間と彼が来た時間が重なったのだ。そう考えれば確かに運が良かったと思えるかもしれないが、彼はもっと別のところで運が良かったと思っていた。それを目には見えない、だがすぐ側にいる彼女に向かって言う。
「妖怪桜の能力なんか関係ないさ。魔理沙の死を受け入れることが出来たのは・・・間違いなく君のおかげだ」
迷い無くハッキリと言い放つ。言葉にした彼よりも聞いた彼女の方が顔を赤らめる。
「よくそんな台詞サラッと言えるな・・・まあ、嫌な気はしないけど・・・」
照れ隠しもロクに出来ないのが声を聞いているだけでも分かった。彼はまた、「くくっ・・」と声を潜めて笑う。再び生きる気力が湧いてきた。
---彼は立ち上がる。
「おや?もう行くのかい?」
「ああ・・・もう大丈夫だから」
そうかい・・・と彼女は静かに返した。
身を預けていた大樹から身体を離し反対側へと回り、再び来た道を戻りはじめる。
木にもたれながら座っている彼女の隣を横切りほんの一瞬だけ彼女の姿を見た。身の丈程もある大鎌が顔の上部分を隠していたが、その口元は確かに・・・・笑っていた。
ザッ、ザッと視界のほぼ全てに映る彼岸花を踏みしめ、再恩の道を歩く。ここに来ると、『何故か生きる気力が蘇る』という風の噂がかつてあった。ソレを初めて聞いた時、「そんな馬鹿な話があるものか」と思っていたが、起こった事は違っても結果的に生きる気力を失くした自分が再びソレを取り戻し、またこの道を歩いている事実を受け止める。
「風の噂というのも・・・存外、馬鹿には出来ないな・・・」
振り返りもせず彼は呟くと、その姿は段々と闇に消えていった。
日光が気持ちよくて、つい寝てしまったようだ。
「・・・まぶし」
正午の眩しすぎる太陽の光に意識が覚醒する。
呟くその死神の前には無数の幽霊の姿があった。こういうものに耐性の無い者なら即気絶してしまいそうな光景だったが、それでも彼女は特に気にすることもなく寝起きの頭を掻く。
「・・・ん?」
後頭部を掻いていた手を止め、空に浮かぶ一つの幽霊に視線を集中する。
すると、その幽霊が彼女の目の前に舞い降りてきた。彼女は無表情の幽霊を見つめ笑う。
「どうだい?実際に幽霊になった気分は?」
何かの感情を隠すように・・・ケラケラと笑いながら、決して返ってこない言葉を問いかける。
「相変わらず運がいいな・・・今夜は丁度、桜が満開だよ」
了
なんにしても霖之助、強く生きろ!!!!
ひとつだけ
「再恩の道」ではなく「再思の道」ですよ。