紅き満月の晩。
レミリア・スカーレットがやられた。
この有事に緊急対策本部が設立され、翌日から会議が始まった。
「紅魔館史上、この手の問題をいくつか抱えていたけど、近頃は無かったから油断したわね」
パチュリー・ノーレッジをリーダーとする会議に出席するのは限られた者のみ。
情報攪乱、誤報などをなるべく起こさないようにと彼女が提案した。
雨音が強く窓に叩きつけるこんな日に、まったく縁起が悪い。
こんな日だからこその事件とでも言えば、あるいは納得してしまえるかもしれない。
それほどまでに奇妙な感覚がした。
「現状報告。門番部隊」
「はっ」
紅美鈴以下、門番担当のメイド六名が一斉に起立、敬礼する。
「紅魔館の状況は如何に?」
「流布はありません。特に目立った痕跡もなし」
「連日の不審行動については?」
「裏を取るための確認作業中につき、今は何とも言えません」
「分かった。着席しなさい」
「はっ!」
門番部隊の着席と同時に続いて司書の小悪魔、並びに地下書斎の部署のメイドが整列する。
彼女たちは先ほどまで地下書斎での作業に追われていて、非常招集をかけられたのだ。
迅速に対応したので各々息が上がっている。
「『ヴワル魔法図書館』における諸処への警戒レベルが下がっていたのかしら」
メイドの一人が頭を垂れた。年若くして部署長の地位を獲得した彼女の初めての大失態がこれである。
「申し訳ございません。目立った動きが各所よりないとの報告に基づき、通常レベルの見直しを行いました」
「平生よりは下回る?」
「はい。主に結界関係を修復も兼ねて弱化、門番による警戒を重くしております」
平和だったのでボケていました。
そうパチュリーは解釈した。
館の守衛を預かる身としては、あまりにも粗末な体たらく。
平和が悪いのではないが、平和であることに甘んじていてはいざという時に無力なのだ。
それを口頭では教えず、ただ紅茶を飲んで流す。
「よろしい。そのまま維持しなさい」
最後に立ち上がったのは全館清掃を一任されているメイド達とそれら統べるメイド長である。
ニヤけきった顔つきのメイドは誰一人としておらず、凛々しい印象を与えた。
彼女たちを教育するのは規律にうるさいメイド長直々だから、当然誰しも影響を受ける。
キッチリ仕事をする点においてまさに信頼できそうだった。
「さて、こうなっては貴女たちハウスメイドに責任が課せられてしまうのは理解できるかしら」
だったが、どうやら期待は見事に外れてしまったようだ。
「申し訳ございません」
十六夜咲夜が代表して謝した。
「館を守り預かる身の上のあなたたちがいち早く察知できなかった理由を訊きたい」
「事件の前後ともに清掃、防衛その他の仕事の差異はありません」
「なおさらどうして察知出来なかった」
「返す言葉もございません」
控えるメイドたちはパチュリーを見ておびえている。
ハウスメイドたちは顔色ひとつ変えていないものの、裾を強く握りしめていたり、冷や汗や全身が硬直したりしている。
原因は自分たちを見上げているはずのパチュリー。
物静かで比較的横着したがる性分の彼女でも、友人が絡む危機には黙っていない。
今のところ目立った処分を受けたメイドは存在しない。噂では夜な夜な研究の道具にされることがあるとか。
ある点において非常に厳格な一面を擁する紅魔館、説教で済むのなら安いもの。むしろ説教だけで済んでほしかった。
パチュリーはそんな雰囲気を敏感に察知して、ほんの少し笑みを浮かべてみる。
「安心なさい。これだけ手落ちがひどいと誰を裁くかすら分からないから」
逆にいえば、その気であるなら全員まとめて処分となる。
紅魔館から追い出されるか、それとも機嫌が悪い時の姉妹の相手をさせられるか。
メイドたちのプライドが悲鳴を上げることを必死に拒んでいる。額と背中に冷えた嫌な汗をかきながら。
「処分より、善処しましょう。レミィをいかにして守るか」
おずおずと手を挙げてひとりのメイドが発言の許可を求めた。
頷きで肯定の意を返すと、不安そうに話しはじめる。
「パチュリー様、お嬢様はプライドが人一倍高く、容易に守られるのを良しとしないと思いますが……」
メイドの発言ももっともなのだが、しかしパチュリーは首を振った。
「このまま手をこまねいて事態が悪化したら、破滅よ」
館の中で事件を知る人物は半分もいない。
動揺を誘わないようにしているものの、時間の問題だろう。秘密にすればするほど呆気無く露呈する。
室内に重い沈黙がのしかかった頃、凶報が届いた。
一人のメイドが扉を開けたまま勢い余って机に飛び込んで行った。
辺りが騒然とする中、机ともつれるように倒れたまま全員に内容を告げた。
「報告します! フラン様もやられていました!」
「何ですって!?」
パチュリーが思わず立ち上がった。大きく開かれた瞳がぐるぐる回りだす。
「妹様まで……ああ、何て様なの!」
パチュリーは爪を噛んだ。爪を噛んで頭をかきむしり、部屋中を世話しなく歩きまわって頭を抱え込む。
どうにか冷静を装おうとパチュリーは深く腰かけなおすも指先の震えを止められない。
いつもならしない椅子がきしんだ。
指先を口元に寄せてブツブツ独り言を発せる魔女の姿は不気味だ。
長く感じた、時間にして僅か十数秒の後、彼女はひとつの結論にたどり着き、引っ張り出した。
それはつまり、練りに練って回りくどい手段を講じている暇は無くなったといわんばかりの強硬策だったかもしれない。
「パチュリー様、私がこれを打破する方法を知っています」
鋭敏に感じ取った咲夜が歩み寄ってきた。咲夜の目はいかなる犠牲をもいとわない目をしている。
「確信はあるのね?」
力強く肯定する咲夜にやや不安を覚えてしまう。
それはこの娘の性格と職業に起因する。
メイドとして主の危機を救う、彼女にとって名誉ある行為に相違なかった。
良くも悪くも咲夜は主一筋なのだから。
「準備にのため一度里へ向かいます。後のことをお頼みします」
「待ちなさい! 外は大雨なのよ!」
咲夜は一度だけ廊下で振りかえった。
右手の親指はぐっと天を突き上げて、顔はすがすがしいくらいに晴れ渡っていて。
「私は生きて帰ってきます。ですから待っていてください」
パチュリーの想像を裏切らずに、警告を無視して咲夜は走りだした。間もなく大戸が開かれ風雨が入り込む音が聞こえる。
直後に落雷が絶え間なく紅魔館の付近で落ちた。すさまじい閃光と爆音が目を焼き耳をつんざく。
膨らんだ光は窓に背にしていた者以外から視覚を根こそぎ奪い取って、一同は苦悶した。
視界を一時的に奪われたパチュリーは目の痛みでバタバタ手を中空にさまよわせる。
その白く冷たい手をゴツゴツした温かい手が包み込んだ。
表面は荒っぽいくせにじんわりと温かみのある手。
これを持っているのは彼女くらいだ。
「……美鈴」
「はい」
呼びかけに彼女は応じた。
真っ暗で何も見えない。彼女の姿だけはどうしてか分からないがハッキリとらえた。
目を閉じているはず。それとも、光を感受していないだけ?
耳鳴りが激しいパチュリーの耳に美鈴の言葉が響く。
優しい陽だまりのような声が沁み入った。
「パチュリー様、応急処置ですが、私の気でお嬢様をお守りします」
衣擦れの音が間近でした。
包む手が下方へ移ったから、おそらく美鈴が膝を折ったのだろう。
そして彼女は黙し、ひざまずいて待っている。
魔女が門番に命令を与えないか、今か今かと待っている。
改まってそうされるものだから、パチュリーは躊躇ってしまう。
それでも応えるために命じた。
「よし、今すぐレミィと妹様のところへ行き、処置後、こちらへ連れてきなさい」
するりと手が離れていき、再びパチュリーは暗闇に置き去りとなる。
ただ不思議と不安はなかった。
「了解いたしました。門番部隊、私に続け」
主と主の妹の部屋へ二人を迎えるために行進する美鈴を後ろ目に、小悪魔も地下書斎へ戻ると告げた。
小悪魔に任せておいて問題はない、そうパチュリーは結論した。
ひとり取り残された少女は、視界を再び得るまで椅子に深く腰かける。
誰に聞こえるわけがない溜息をつきながら。
指はもう震えていなかった。
ようやく目が慣れてきた折に、レミリアとフランは門番隊と入室した。
「パチェ……言葉もないわ」
苦々しく顔をゆがめる。よほど屈辱的だったのだろう。
フランは言を発しないもスカートの裾を握っている。
「咲夜が来たらもう大丈夫よ。それより、気分はどう?」
「最悪。美鈴の気で誤魔化してるけど」
二人の手を握っている美鈴は反応を示さない。
反応自体が、集中して気を練りそれらを送り続けていることへの阻害となりうる。
「本当に逆転可能かしら」
疑うレミリアに肯定も否定もしない。パチュリーですら咲夜を完全に信頼できない節がある。
都合よくこの状況をひっくりかえせる方法があるのか、誰も知らないのだから尚更だ。
「咲夜を信じるしか道はない。だから私は信じる」
紅茶が消え、カップが冷め、窓に叩きつける雨音がやかましくなりだした頃、大戸が開いた。
行き場のない風が廊下を駆け抜け、ジメジメと湿った風がじっとり彼女たちの体を蒸す。
「パチュリー様、ただいま帰りました」
視線を一身に浴びて咲夜が部屋へ飛び込んだ。全身ずぶ濡れの彼女が抱えているのは、これまたびしょびしょの紙袋。
濡れた紙袋を破り捨てると、さらに包装された物体が現れた。こちらは軽く湿っているだけで済んでいた。
「お嬢様。妹様。どうぞこれを」
恭しく差し出されたものを見て、二人は首をかしげた。
まったく見たことがない奇妙な形をした何か。使い方も利用目的もわからなかった。
「これがそれなのね?」
「はい」
手早く咲夜に説明されて、使い方を知った二人は、それを使う準備として別室へ向かう。
見えなくなった彼女たちを見てパチュリーは咲夜にそっと耳打ちする。
「あれで大丈夫なの?」
「ええ、きっと」
「そう……安心したわ」
大きなため息が立ち上る。
パチュリーは、さきほどよりもっと深く腰かけた。
達成感や安堵に包まれた室内で、ただ美鈴と小悪魔だけが失笑していた。
大雨の日からまる一週間後、咲夜は自室で各メイド達の報告書をまとめていた。
あの日よりレミリアとフランがやられたとの報告は、一切届いていない。
咲夜の策は、見事成功したのであった。
騒動は外部に漏れる前に沈静化したおかげで、紅魔館は以前と変わらない威厳を保ち続けている。
例えそれが多大なる犠牲を払っても、外部における評判は何としても死守しなくてはならない。
地下室の壁と床の補修、図書室の通気性の改善案、正面門の修復作業の中途報告など、ありとあらゆる方面からの声は上がる。
それをまとめて、明日までに答えを出すのもメイド長の仕事なのだ。
「これでここは美鈴にまわして、今日はこれでお終いっと」
一気呵成に書類の束を片付け、時計を見れば零時を過ぎるくらい。
「今日は早く寝られる……あら」
ベッドへ体を回そうとして気付いた、机の端で倒れていた写真立て。
そっと立ち直らせば、写真立ての中にある一枚の写真が見えてくる。
そこには紅魔館、各リーダーたちの集合写真が映っていた。
右端に美鈴、左端に小悪魔。
咲夜は美鈴の左に、パチュリーは小悪魔の右に立っている。
そして中央にレミリアとフランが仲睦まじく寄り添い、立っていた。
咲夜が差し出した物を身につけて。
意識しなくても優しい笑みがこぼれた。
「可愛らしいです。おふたりとも」
咲夜は静かに灯りを消して、ベッドにもぐりこんだ。
薄れゆく意識の中、彼女は昨日のあるやりとりを思い出す。
その光景を思いだして、言わずにはいられなかった。
ああ、四百九十五歳と五百歳になっても、あのお二人は本当に子供だ、と。
何だいつもの紅魔館か。
思ってたけどさぁwww