Coolier - 新生・東方創想話

スカーレット家の運命 【前編】

2009/10/25 00:38:33
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「まったく、あの子ったら人の気も知らないで」
 
 
 
 
 
 
 
 紅魔館の掃除を朝早くに終えて、次の仕事のために一息つく。
 火照った体を冷やすため、風の心地良い窓際へと移るといつもの光景が垣間見えた。


 朝から昼にかけて忙しくしている私を尻目に、廊下の窓から見え隠れする門番はいつも変わることがない。
 目を凝らして、今日も紅魔館最上階の窓から正面の門を確認する。
 門番が背をまっすぐにして立っているにも関わらず、頭だけが斜め45度に傾いているのが見えた。

 何度注意した所で直る様子がない。むしろ、直そうとする姿勢が見えないのがカンに障る。
 いつものことだが、私が玄関まで降りていって扉を開けると、ついさっきまで傾いていた頭がまっすぐに戻っていて「今日も何事もなく平和ですね」と照り付ける日差しの中で太陽のような顔で応えてくる。
 証拠もないし、反省も色も見えないので叱ろうとしても叱れない。
 いい加減、そのやり取りにも疲れたので今日は趣向を変えてみることにした。




 ここの窓から正面の門まで、直線にして約50m離れている。
 障害物はなく、風も静かなもので目の眩むような太陽だけが照り続ける。
 懐からナイフを一本取り出し、数秒間風の強さと方向を確認してから太陽に向かって思いきり投げつける。
 狙われれば鳥でも避けられないであろう速度で遥か上空まで登ったかに見えたナイフは、空中で一瞬止まったかと思った途端に弧を描きながら斜めに落下する。その先は門番の方角を捉えており、予想通り目標地点まで急降下していった。
 直刃のスローイングナイフが、門の鉄格子へと金属音を鳴らして命中した。
 銀と鉄の激突する音に驚き起きた門番は、左右を見渡して何かを探しているような素振りを見せる。
 勢いよく跳ね返ったナイフが、再び太陽に向かって小さく飛びあがる。
 オレンジ色に輝く眩い光を受けて、銀のナイフがキラキラと煌く。
 反射光を四方八方に乱射させながら三回転し、ちょうど門番の足元へと音も立てずに突き刺さった。
 それを見た門番は座っていた椅子から転げ落ちた。





「これだけ遠くても届くものなのね」


 毎日のように、門の近くまでいって起こすのもそろそろ面倒になってきたので、思いつきで一本投擲してみたら見事に成功してしまった。
 自分のナイフの腕には自信はあったものの、なかなかの出来に少々驚いた。
 尻餅をついた門番がおしりをさすりながら椅子を戻して座りなおす。そして今度は別の意味で頭を垂れて、何か考え事をしている素振りを見せる。
 これで彼女も少しは懲りてくれるだろうか。


「そうだ。庭の洗濯物を畳んでしまわないと」

 大して重要でもない道草に気を取られているわけにもいかず、やらなければいけない仕事は午前中いっぱい残っていた。
 門番へと向けていた意識を山のように積まれた仕事へと戻すと、踵を返して庭の方へと駆け出した。









 紅魔館での仕事というのは、たぶん他の大きな館と比べても内容は大差ないだろうと考えている。ただ、主人が人間ではなく吸血鬼であることだけは異質な主従関係であるといえるかもしれない。
 本来なら食物連鎖の捕食関係に該当する吸血鬼と人間が信頼ある主従関係を築いて、挙句の果てには魔法使いや妖怪も気兼ねなく平穏に存在するなど、私の経験からするとありえない暮らしぶりである。
 ここ幻想郷おいては、種族なんていう次元を超えて百鬼夜行が入り混り、消滅寸前まで遊べる弾幕ごっこもあるから異種族の衝突があっても対等なルールの下でシンプルに問題解決ができるのが、今でも共生共存できている理由だ。

 このルールを最初に創った神主は、相当な人物であると推察する。

 まさに、危ういバランスながらも人間も含めた化物が共存していける摩訶不思議な世界だから、紅魔館だけが異常というわけでもないのだろう。
 幻想郷の人間全員が持っている【どんな環境でも適応できる程度の能力】の前には、全ての異常はいつもの日常になってしまうのでまったく問題はない。
 この能力は後天的に備わるもので、幻想郷に来ればどんな人間でも持つことができる。
 私もその一人だ。
 ただし、この能力が備わらないと妖怪に食べられて即退場となるので頑張って身につけてほしい。




 そんなわけで、メイド長である私は吸血鬼である主人に気を使わなければいけないことが多くあった。
 吸血鬼という種族は弱点が多くあり、日光に当たると体が弱ってしまうという体質で、今日のような強い日差しの下では影響を強く受けてしまう。それにも関わらず、日中に出歩くこともたまにあって私は付き添いとして一緒に出かけることが常だった。
 だから、日光を遮る日傘はオーダーメイドでなければならず、紫外線カット率99.9%の性能に加えて色や形、模様に関しても主人の意向にそった物を用意しなければいけなかった。
 もし、何かのはずみで傘が飛んでいこうものなら、瞬間で時を止めて傘を手にして主人の頭上へと戻す必要があった。
 特に風の強い日は要注意だ。
 先日、嵐が近づいているにも関わらず、用事があるから付いて来てちょうだいと言われたときは胃のあたりがキリキリした。
 無用心というか、危機感が薄いというか、今まで抱いていた吸血鬼のイメージから少しかけ離れている方だ。
 基本的には夜型なので、今日のような雲一つない散歩日和は自室でお休みになられていることがほとんどである。
 それでも、いきなり起き出して買い物に出かけましょうと言い出すこともあり、本当に自由気まま過ぎる。
 昼だろうが夜だろうが気分次第で好き勝手やる主人なのだ。
 外出理由の半分が気まぐれなのは本当にやめてほしい。
 そのくせ、日光が天敵の割には着る服は太陽の温かい光でカラッと乾いた良い香りのするものしか好まず、雨続きで仕方なく部屋干しした服などは、頬を膨らませて文句を言いながら渋々着る始末である。
 お嬢様の世話が、幻想郷に来てから一番のカルチャーショックであったことは言うまでもない。




 日光の他にも食べ物に対しても注意する必要があり、炒った豆やイワシの頭なども苦手としている。
 一応、苦手な食べ物は頭に叩き込んで料理を作っているのだが、たまに残していることがあったりする。
 本人曰く「吸血鬼はこれもダメなのよ」と言うものだから、仕方なく納得して片付けていたのだが、この前不可思議なことがあった。
 その日は、海老グラタン・ガボチャスープ・山菜の赤ワイン煮・二つのパンを食卓に並ばせた。
 しかし、山菜の赤ワイン煮だけは一度も口をつけずに残していた。
 山菜もダメなのかなと、片付け終わった後あることに気が付いた。
 二ヶ月ほど前に、山菜の天ぷらを出したときは美味しそうに平らげていたのである。
 フキノトウやヨモギの天ぷらは美味しそうに食べていたのに、今回残したのはゼンマイやワラビが入っていたせいなのだろうか?
 でも、よくよく考えてみると、あれはただの好き嫌いではなかったのかと思う節がある。
 もし、そうだとしたら注意せねばならないだろう。
 紅魔館の主人たる者が、好き嫌い程度で食べ物を残しているなんてあってはならないのだから。
 ただし、食べられない物と嫌いな物を簡単に判断できないのが、性質上難しいところではあったりする。
 そういえば、パチュリー様も同じ物を残していたけれど、あれはなぜなのだろう?




 まあ、とにかく吸血鬼という種族がどういった特性があるのか全てを理解しているわけではない。それでも、お嬢様は他の吸血鬼と比べて少し変わっておられるのだろう考えている。
 だから、今はもう吸血鬼のイメージからあれこれ考察するのはやめた。

 我ながら困った主人に仕えているとつくづく思う。
 気まぐれの我侭ばかりで、溜息をつきながらお世話をすることなど日常茶飯事。
 言うことやることが子供っぽく、知人の家へ連れ添いで行くと、こちらが恥ずかしく思ってしまうようなことは多々あった。
 ただ、そんなお嬢様に私は心から感謝していた。

 ここに来る前の私の日常は血潮の迸る荒行事の日々で、生きているのか死んでいるのか感覚が麻痺してしまう世界であった。
 死んだ目をしていた私をお嬢様は見つけてくれて、この紅魔館へと連れてきてくれた。
 メイドという雑用ばかりが仕事で、以前の私からは想像のつかないくらい平凡な毎日に最初はとても戸惑った。
 失敗ばかりしながら、一生懸命に仕事をこなしてなんとかここまでやってくることができた。
 忙しいながら、人間らしく生きられる日常がここにはあった。
 笑ったり怒られたりしながら、沢山の喜びと気苦労をこの身に受けてきた。
 これが、幸せなのだなと感じることができた。

 昔のように殺伐とした日々ではなく、小さい事件に翻弄されながらも普通の人間らしい生活を送っている。
 周りが吸血鬼や妖怪ばかりで変な世界ではあるけれど、暗い過去から私を救援してくれた主人であるお嬢様にはとても感謝していた。
 今日も明日もこの先ずっと幸せな世界であってほしいと思った。
 本当にそう思う。
 私の人生に光を灯してくれた世界がここにはあるのだから……







◇ ◇ ◇ ◇







 午前中の仕事が片付き、いつもより少し早いお茶の準備をする。
 今日もお嬢様は食堂においでになることができなかったから、湖の近くに実っていたリンゴを持っていくことにする。ついでにブラッドキャンディーも。
 お嬢様の部屋へと歩いていく途中、廊下の窓から門の方角を横目で確認する。
 午前中とはうって変わって、直立不動のまましっかりと周りを警戒している門番の姿が見えた。
 あの子もやればできるじゃないと心の中で微笑んだ。



 廊下の角を曲がり奥から3番目に位置するドアの前に面する。この部屋は昼間だと直射日光があたらず、夜になると月がはっきり見えるので、お嬢様にとって最も適した部屋となっている。
 今日も、ドアの前でお嬢様がベッドでお休みになっている姿を思い浮かべながらノックをした。

「お嬢様、紅茶をお持ちしました」
 数秒ほど過ぎても、部屋の奥から返事はなかったのでドアノブに右手を添えて扉を少し開ける。
「失礼します」
 扉を開けて入ると、視界にピンク色の色彩が目立つカーペット、窓からの間接光を避けるかのように置かれた天蓋付きのベッドが見えた。そして、ベッドに身体を預けた優雅さを漂わせるお嬢様が心地良さそうにお休みになっていた。

「咲夜、今日は早いのね?」
 私が部屋に入るなり、少し眠たそうに目をパチクリさせてお嬢様が話しかけてきた。
「はい、朝はほんの少ししか召し上がりませんでしたから、フルーツと紅茶を早めにお持ちしました」
「ああ、そうだったの」
 お嬢様が小さくあくびをして、体を少しくねらせ首元までかかっていた毛布を胸元まで押し出す。



 私はベッドの側まで歩いていき、テーブルの上にティーセットを置くと、その下から小さな椅子を取り出す。
 椅子をお嬢様に紅茶を手渡せるくらいの距離へと置くと、背をまっすぐにして座る。
「本日はアイスティーをお持ちしました。あまり冷えてはいませんが、飲みやすくしておきましたのでどうぞ召し上がって下さい」
「それは良いわね。頂くわ」
 今日はお茶といっても、お嬢様は起き上がれないような状況なので、ストロー付のアイスティーにした。
 2時間ほど前に熱湯で煎れてから、庭にある井戸から汲んだ水へと漬けて冷やしたものだ。
 気温が高かったせいか冷え冷えになったとはいえないにせよ、なんとかアイスティーと呼べるくらいにまではなったと思う。
 血を数滴垂らしてグラスを手に持ち、ストローの先をお嬢様の口元へと寄せる。
 人から飲ませてもらうことはあまりなかったせいか、一瞬飲むのを躊躇するように怪訝な顔をする。しかし、数秒も経たずに観念してストローへと口をつけてチューチューと音を出しながら懸命に飲みだした。


(ああ……こういうのもいいものね)
 普段は主人とメイドという関係なので、側で仕えていてもこういう風に接する機会はほとんどなかった。
 なんだか、私が母親で風邪を引いてしまった子供にジュースを飲ませるような幸福感に浸ってしまう。
 お嬢様の従者としてのお世話だというのに、喜びのあまり身体中がポカポカしてきてしまうのを肌に感じる。

 グラスの半分くらいまでティーが減ったあたりでお嬢様がストローを口から離した。
 よほど喉が渇いていたのか、飲んだ後は安心した表情で一ホッと胸を撫で下ろす。
「少しぬるかったけど美味しかったわ。たまにはアイスティーも良いものね」
 紅魔館の当主たる者、飲むのは常に熱い紅茶だと変な信条をずっと掲げていて、真夏日であってもけっしてアイスティーを召し上がることがなかったのに、飲み干した途端あっさりと前言撤回してしまった。
 お嬢様らしいなと思った。



「お嬢様、本日は紅くて美味しいリンゴもお持ちしたのですよ」
「それ本当? 美味しそうね。早く食べさせて」
「はい、少々お待ちを」
 お嬢様が先程まで美味しそうに飲んでいたティーグラスをテーブルへと戻し、フルーツバスケットから紅々としたリンゴを取り出して、果物ナイフで皮を剥き始める。
 自分の名前のせいなのかお嬢様はよく「紅」とつくものを好んでいた。この紅魔館の色彩にしても部屋の装飾にしても「紅」にこだわるところが多くあった。


「それしても驚きましたわ。いきなりお嬢様がお倒れになったのですもの。心臓がはち切れるかと思いました」
「ええ、私も驚いたわ。霊夢の所でお茶をしている時にやってしまったのだから。紅魔館の当主としてはしたない所を見せてしまった」
 常に威厳と体面にはこだわるお嬢様ならではの言い分だけれど、私から言わせてもらえば普段の言動からして既にその両方は崩れてしまっていると考えている。
 貧乏巫女の神社で「なんで紅茶がないの?」とか「霊夢もこんなボロい神社に住んでいないでもっと大きくて綺麗な家に住めばいいのに」的な発言。
 たまに美味しそうなお菓子を発見すると、子供のように喜んで巫女があげる気がないのを知っていて勝手に食べてしまうあたり、どう見てもそこには威厳の欠片ほどもなかった。
そこが良いのだけれど。


「お嬢様、しばらく外出は控えましょう。最近は暑い中出掛けるが多かったので、気疲れが溜まっていたのですわ。永琳さんも『安静にして休養を十分とれば、また直ぐに外を出歩けるようになりますよ』と言っていましたし」
「……そうね。しばらく外出するのは控えるわ」
 それを聞いて安心した。最近はほとんど毎日のように博麗神社や香霖堂など幻想郷各地へと出掛けていて、私も紅魔館内の仕事が追いついていなかったのも一つの理由だったが、何よりもお嬢様の身体が心配だった。
 今まで身体を壊したことなんてほとんど無く、たとえあったとしても次の日には元気な姿を見せていたのだから。
 今回は三日間も外出せずに自室でお休みになっているのでかなり心配だった。


「さあ、お嬢様。口をお開けになって下さい」
先程のアイスティーのときと同様、八等分されたリンゴの一つをお嬢様へと口元へと寄せる。
またするのかと、私に視線を送りながらも渋々とフォークに刺さったリンゴを小さな口でかじった。
「どうですか?」
「うん、良いわね。甘みと酸味がほどよく調和していて美味よ。これはアップルティーにして飲んでもいいくらい」
「それは良かったです。では明日のティータイムにでも御用意させていただきますわ」
「宜しく頼むわね」







 30分ほど談笑しながら束の間のティータイムを堪能して、頃合いを見計らって部屋を出る準備を始めた。
 飲み干された二つのカップを片付けてから腰を上げる。
 結局、お嬢様はリンゴを3個までしか食べなかった。
 少食なのはいつものことではあるのだが、朝食もろくに食べずに大丈夫だろうか。


「それでは、また夕飯時に伺いますので十分お休みになっていて下さいね」
 夕食もおそらくあまり食べないだろうから、いつもより栄養のある料理を作ろうと考える。そんなふうに考えながら、ティーセットをすべて片付けてベッドの側を離れようとしたときだった。
「咲夜、待って」
 お嬢様の少し強い口調が私を引き留めた。
「はい、なんでしょうか?」
「あなたに話さなくてはいけないことがあるの」
 お嬢様がベッドから体を起こそうとする。
 顔に少しばかりの苦痛を浮かばせた。
「あ、お嬢様! あまり無理をなさらないで下さい。私は寝たままでも大丈夫ですから」
「いいえ、これは大切なことよ。少し体が弱っているくらいなのを理由にはしたくない」
 そこには先程の病弱な様子は微塵もなく、紅魔館の当主としての凛としたお嬢様の姿があった。
「……かしこまりました。それではせめて楽な姿勢でお話下さい」
 私は両手を使って、ゆっくりとお嬢様の身体を起き上がらせて、片方の手で枕をお嬢様の背中へと立て、そこへ身体を沈ませるようにさせた。
 こんなにも小さな体であったであろうか。


「ありがとう。では話を始めましょうか」
「はい、私へのお話とは一体どのようなことでしょうか?」
 お嬢様から私個人へ話があるときはいつだって主人として命令をするときか、計画や発言に対して意見を求める時だった。
 それが、急に真剣な顔つきで無理をしてまで話とは何なのだろうか?
 お嬢様の側で従者として仕えてきたけれど、こんなことは今まで一度もなかったのだ。
 だから、とても重要な内容になるだろう言葉に私はすべてを受け入れる覚悟をもって全身全霊を傾けた。

「咲夜、私は貴女にスカーレット家がどんな家系であったか話したことはなかったはずよね」
「はい、ございませんでした」
「そうよね。知る必要がなかったからね。咲夜はそのことについて知りたいと考えたことはあったかしら?」
 魂を射るような眼差しで、私の本心を見定めようとしているような言葉を投げかけられた。





 スカーレット家。
 目の前にいるレミリアお嬢様と妹であるフランドール様が産まれ育った家系であり、誇り高き始祖ドラキュラの血を引いたツェペシュの末裔として幻想郷でも名を轟かせている吸血鬼の一族。
 表面的には知っているものの、その全容は今まで語られることなどなく、私自身も従者としての立場であるから色々と詮索をすることはしなかった。しかし、知りたいという衝動に駆られたことはあった。
 十六夜咲夜という名を頂き、人生のすべてをこの方へ捧げると誓った主人のことを私はほとんど知り得ていなかった。
 日々、生活の中で側に仕えながらお嬢様の性格や好き嫌い、その行動パターンを少しは把握している。
 でも一番、私がここに来るまでお嬢様が何を見て何を感じてきたのか、最も謎であったレミリア・スカーレットその方の人生を知る機会はなかった。
 それを今、やっと知ることができるかもしれない。

「はい、お嬢様の生まれ育ったスカーレット家のこと。確かに知りたいと考えたことは御座いました。しかし私は貴女様の従者です。考えはしましたが詮索をしたことなどは今まで一度も御座いません。それがお嬢様に身も心も一生捧げると誓った十六夜咲夜の忠誠であると考えに及んだ次第で御座います」
「貴女ならそう言うと思ったわ。でもそんなに畏まらなくていいのよ。別に何か気に障るようなことを言ったからといって、取って食うような真似をするわけではないのだし」

「……これは失礼いたしました。私としたことがお嬢様よりこのような話を伺うことなど初めてだったもので。変に気を使わせてしまい、申し訳御座いません」
 お嬢様に頭を垂れる。
 私としたことが、あまりにも緊張していたものだからお嬢様に気を使わせてしまった。
 やはり、好奇心が前に出すぎるのはよくない。
 これは従者としての失態として心に留めておくことにしよう。




「ほらまた。まったく貴女のそういう真面目な姿勢は評価しているけど、それだと肩の力ばかり入って疲れちゃうわよ。咲夜には美鈴のようなマイペースさが少し必要かもね」
 お嬢様が私の頬に手の平を触れさせてそう言った。
 やさしい手遣いで耳や首筋をゆっくりと撫でられて、とろけてしまうような感覚が何度も体中を駆け巡る。
 私はお嬢様のこういった気遣いが大好きだった。
 お嬢様はいつでも私に従者として完璧さを求めていて、私もそれに答えようとしてき努力してきた。
 しかし、時折お嬢様に対する畏怖というのか。絶対的な強者としての雰囲気を漂わせるときがあり、それを感じ取ると私は変に緊張してしまうことが度々あった。
 そんな時は、お嬢様はいつもその様子を察知して、落ち着かせるかのようにこうした気遣いをしてくれた。
 お嬢様から私に触れてくれることなど今まで数えるほどしかなく、何度されても幸福の世界に浸ってしまう。
 体が沸騰するほどに芯から熱くなっていくのを感じる。


「落ち着いたかしら」
 囁かれると同時に、お嬢様の愛らしい手が私の頬から離れていく。
 もう少し間だけ撫でて欲しかったのに。

「……はい、大分落ち着きましたわ。いつもの咲夜でございます」
 笑顔を作って微笑むとお嬢様も微笑み返してくれた。
「それじゃあ話すわね。少し長くなるからあまり気を張り過ぎないでちょうだい」
「はい、わかりましたわ」
 自然な笑顔が綻んだ。









「本当なら、この話はもっと早く伝えるべきだった。咲夜が紅魔館へ来たときに話すべきだったのよ」
 癒されるような心地よい雰囲気は、お嬢様の鋭く重い言葉で去っていってしまった。

「ねえ咲夜、貴女は私の生まれたスカーレット家に対してどんなイメージを持っているの?」
「……そうですね。一言で現すとお嬢様自身がそのままのイメージですわ。その偉大さは言葉だけでは例えようがなく、他の妖怪や人間、神や仏であったとしても追従を許さない誇り高い一族。ツェペシュの末裔の名に恥じない吸血鬼の中の吸血鬼。といった所でしょうか」
「あなたそれ、心から思ってるの?」
「すみません、少し誇張してしまいました」
 舌をちょぴっとだして、上目遣いでお嬢様の表情を伺う。
 それを見て、やれやれと肩をすくませてお嬢様は溜息をついた。


「吸血鬼。魔界に生まれてから現在に至るまで、絶大な力と生命力を持つ三大種族の一角として悪魔や鬼と並ぶ高位の存在。その力は魔界だけに留まらず、人間界や妖怪の領土にまで版図を拡げて、その者達を支配下に置くことで名実共に生き物の頂点となった絶対権力者。私自身もスカーレット・デビルとかいう呼称が付けられているけど、まあ確かに貴女がそういうふうに思うのも無理はないわね」
 説明口調で吸血鬼の凄さを簡単に話して、人差し指を左右に揺らす。
 スカーレット・デビル(紅い悪魔)とは、お嬢様が血を吸おうとしても少量しか吸い切れず、こぼして服を真っ赤に染めたことが由来となっている皮肉であった。
 本人は気に入っているようだが、幻想郷の住人は皮肉を込めたあだ名を付けるのが好きらしく、お嬢様はそのことに気づいていない。
 私も紅魔の犬呼ばわりなどされて、あまりいい気分はしないのだがお嬢様の名誉のためにもその話は黙っておくことにした。




「実を言うとスカーレット家は咲夜が思っているほど誇り高き一族なんかじゃないのよ」
「えっ?」
 突然な物言いに驚いてしまった。
 お嬢様はやっぱりなという顔つきをしながら、軽く嘆息して淡々と唇を動かした。


「スカーレット家は吸血鬼社会の底辺から生まれた申し子だったの。何万年という歴史を積み重ねてきた吸血鬼達は、確かに魔界の中では種族として頂点に立っているわ。でも、結果としてどうしても絶対者の下で構造化された大衆社会を作らざる負えなくなってしまってね。出来立ての数千年間は良かったけど、肥大化した吸血鬼社会は政治が腐敗してしまって、自然環境の悪化や経済の一点集中化が起こってしまった。今は多少改善されたらしいけど、スカーレット家が生まれたのはそんな時代だったの。生きていくだけで精一杯で、誇りだの体面だのと言っていられない状態で血筋を残していくだけで精一杯だったわ」


 私は、明かされた事実に目を丸くした。
 吸血鬼が人間の歴史よりも長くあり、食物連鎖でも頂点に立っていることは知っていた。
 しかし、吸血鬼が集団で社会を形成したり、政治や経済を営んでいるとは聞いたことがなかった
 まるで人間社会のようだった。
 
「ですが、ドラキュラの直系であるツェペシュの末裔なのですよね?」
「ああーそれね。あれはでまかせ。まったく血縁関係はないわ」
「本当ですか?」
「ホントの本当。マジよマジ」
 思わず聞き返してしまった私に、お嬢様はムキになって断言した。
 普段からツェペシュの末裔であることを名乗り、その誇り高さを豪語していたお嬢様自身から自らを否定するような発言が出てくるとは思いもよらなかった。
 見た目はこんなのだが、幻想郷でも屈指の実力者として名を轟かせているわけで、ツェペシュの末裔として誇っても不思議はない方である。
 お嬢様のいつもの冗談半分かと一瞬疑ってしまったが本当のマジらしい。



「吸血鬼という種族は変な奴らでね。今でもそうだけど、いつの時代も貴族ばかりがもてはやされるの。能力が優れていても貴族でなければ表舞台に立てずに、能無し貴族の役に立たない妙な発明が褒め称えられる世界。実績を横取りされることなんてしょっちゅうで、無名の血筋はいくら頑張っても報われることがなかったわ」

 人間が歩んできた中世の歴史を語るかのように、お嬢様から吸血鬼の歴史が語られる。
 昔から貴族は吸血鬼にかぎらずどこの種族も腐った奴等ばかりだとか、乞食は貴族の配下の狼からもバカにされたとか、階級制度や別種族の関係性まで独り言のように話し続ける。
 言葉は止まることを知らず、あっという間に小一時間が経過した。






「……ようは、世間に名の通った貴族であることがすべての世界だったってわけ。底辺の家系でも最低限の社会保障制度はあったから飢え死にすることはなかったけど、下賎の者は生活が酷くてね。新鮮な人間の血なんて手に入ることはまずなかったし、時には動物の血を吸って飢えを凌いだこともあったみたいなの。なかなか苦労していたみたいよ、私の御先祖様」
 最期に、あんな時代に生まれなくて良かった、と一言付け加えた。
 私の持っている吸血鬼に対するイメージは、あらゆる種族の頂点として君臨して人間のみならず妖怪や神までも恐怖させるという圧倒的な存在であった。
 図書館の本にも大きな屋敷に住んで、富を独占し、家来に狼や妖怪を従えている描写がある。それが吸血鬼社会の底辺では、まるで人間界の絶対王政の中で苦しむ農奴ではないか。

 でも、なぜかスカーレット家に対して妙な親近感が湧いてくる。
 職業柄かもしれないが、私も紅魔館ではメイドという立場だ。
 さすがに底辺の生活まではいかないにせよ、あくせく働いてゆっくり休んでいられる身ではないのは似ていると思った。

 最近も外が暑くなってきたせいか、朝早くに窓を開けないと昼頃には紅魔館が灼熱地獄になってしまう。
 館中から同じような喚き声が聞こえきて、その後だいたいお嬢様からこっぴどく叱られる。
 怒られるのは仕方ないとして、自室の窓くらい自分で開けてほしいと思うのだがやってくれない。

 今朝方、私の開けた窓から心地よい風が吹いてきた。
 涼しそうに髪をなびかせたお嬢様が、小さなあくびをした。





「ねえ咲夜、さっきのリンゴまだある?」
「はい、ございますけど……」
「また、のどが渇いてきちゃった。食べさせて」
 フルーツバスケットの上に乗っかっていたティーセットをテーブルの上に置いて、中から切り取られたリンゴを取り出す。
 少し酸化しているようで、剥いたときは白かった表面が変色して茶色くなっていた。
 私がリンゴを取り出すまで、お嬢様は首をコキコキならして大きく背伸びをしていた。
 背中から飛び出た可愛らしい羽がピクピクと微動しながら大きく拡がる。

「はい、どうぞ」
「……ん? 何これ? さっきと色が違うじゃない」
「皮を剥いてからしばらく経ったので、酸化してしまったのですわ」
「酸化? ああ、血が不味くなる現象のことね。リンゴにもあるんだ」
 まあいいやと呟いて、爪を伸ばしてからリンゴを刺し、口の中へと放り込む。
 こういう言動を見ると、親近感は湧くにせよ、やっぱりお嬢様は吸血鬼なのだなと思ってしまう。
 過去に同じような境遇をしていたとしても、吸血鬼と人間の関係は変わらない。
 血を吸う者と吸われる者。食物連鎖の上下関係は崩れることがなく、天変地異が起きてどちらかが滅びるまでずっと続くだろう。
 口いっぱいに頬張ったモゴモゴさせて、リンゴを美味しそうに食べる小さな少女を見ながら、複雑な感情が呼び起こされる。
 それでも私は、先程思いついたある一つの希望を言わずにはおえなかった。


「でもお嬢様、元を辿れば全ての吸血鬼はドラキュラに通じるわけですから、貴族の吸血鬼も底辺の吸血鬼も同じ血筋ではないですか? 私は人間ですから、吸血鬼の深い事情はわかりませんけれど、いずれは解り合って平等な社会になれると思いますよ」
 リンゴを食べるのに集中していた少女の目が大きく開き、シャキシャキ鳴っていた音が止まる。
 お嬢様が口いっぱいのリンゴを一気に飲み込んだ。

「面白いことを言うのね? 確かに私達はドラキュラ公を始祖として、長い年月をかけて数多の吸血鬼を生み出してきたわ。その理論からすると全ての吸血鬼はツェペシュの末裔と言ってもおかしくはない。とすると、私やフランが生まれたスカーレット家もツェペシュの末裔になっちゃうわ。よくそんな発想ができるわね、咲夜?」
「人間である私の始祖も二人の男女から始まりましたから。単に、それを当てはめただけですわ」
「ふーん、人間は二人からなのね。吸血鬼は最初の頃は体の一部を切り離して、新しい吸血鬼として創り変えていたらしいから出発点からして別物なのね。そりゃ、初めて知ったわ」
「もし、この世界のすべてが独りの神から生まれたという話が本当でしたら、どの種族もどの土地も同じ所から生まれたことになりますから、私達もこの幻想郷もルーツは一緒になるのかもしれないですね」
「まあね。幻想郷にいる神も、どっかの神が創造したものだろうからありえるかも。そこらへんは考えても答えなんて出ないだろうからここまでにしよう。まっ、面白そうだから後でパチェにでも聞いてみるか」
「そうですね、話が脱線してしまいましたし」

 思いつきの希望はお蔵入りしてしまった。
 吸血鬼も人間も、独りの神から創られたならば私達は出発点だけは一緒なのではないかという希望。
 答えのでない、証拠も実証もできない希望ではあるが、私はこの説は悪くないと考えている。
 もし、夢のようなこの話が本当であったとしたらどうなるだろう。
 それは私とお嬢様が……






「えーと、なんだっけ? 私の先祖がひもじい思いで肩を寄せ合いながら暮らしていた話だったかしら?」
「はい、そんな感じですわ」
 お嬢様が溜息をついて、体を枕へと勢いよく沈める。

「情勢の厳しい中で分家した、貧乏で名無しでバカなスカーレット家は地位と生活の向上のためにある手段を取ったわ」
 話しぶりがテキトー具合になって、表情が少し疲れ気味になっている。
 しばらく外に出ないで体を動かしていないからかもしれない。
 なんだか、外に遊びに行けないで物足りなさそうにしている子供のように見えてしまう。
 真面目な話をしていても、ついこうなってしまうのはお嬢様の特徴だ。

「……ツェペシュの末裔であると名乗った?」
 こういう時は一方的に話させるのではなく、相槌を打ちながらも質問するのが有効だ。
 話をただ聞いてあげるだけでは、相手もこちらも面白みがない。
 次に予想される言葉を紡いだ。
「察しが良いわね。流石は私の従者。今度、博麗神社でジュースをおごってやろう」
「ありがとうございます」

 でも、それはお嬢様がおごるのではなく、巫女がおごることになりますよね? とツッコミを入れたかったがやめた。
 冗談に対してマジメに突っ込むことほど寒いものはない。
 話そうとしたことを当てられて、新鮮だったのか喜んでくれた。
 私も少し嬉しい。




「生き残りをかけた方法を社会から抜け出すのではなく、溶け込んで内から大きくなることを選んだわけ。吸血鬼の中でも名声と賞賛を一挙に引き受けるツェペシュの末裔であると名乗るのは、古参の吸血鬼にしか許されなかった。それを嘘で塗り固めて押し通そうなんて、まさに発展か滅びかの二者択一を迫られる賭けだったわけね」
「バレなかったのですか?
「普通に考えて、そんなのは誰も信じないし、古参の吸血鬼にはすぐにバレるだろうから用意周到にやったわよ」
 楽勝よ、と言わんばかりに手の平をパッと拡げてウインクをする。
 やはり、別にお嬢様がやったわけではないでしょう? と突っ込むのは控える。


「吸血鬼だろうが妖怪だろうが同じことだけど、どんな種族であろうと必ずアウトローな輩がいる。社会の秩序やルールから外れて好き勝手に生きている外道がね。古参の吸血鬼にも多分いるだろうと目星をつけて探し回ったわけ」
「そして、遂に見つけ出した」
 吸血鬼達が命がけで探し回っている姿が浮かんだ。
 それが全部お嬢様なのは不思議で可笑しかった。


「そのとおり。社会のはずれ者に相応しく、広大な土地の最果てにね。すぐさま、ツェペシュの末裔である虚偽を真実に書き換えるための協力を仰いだ。そいつは訝しげにこちらを見た後、大笑いをして二つ返事でOKを出したわ」
 小さな口を大きく開けて、ケラケラと笑うような仕草する。
 ついさっきのダルそうな様子とは違い、まるで冒険に出かけて宝物を見つけた子供のように喜んでいるような姿であった。

「でも、それには条件があった」
「そう、基地外のような条件があった!」
「どんなもので?」







「『おまえの家族を生贄として捧げよ』」







 目を細めて襲いかかる獣のようなポーズをとった低い声が、盛り上がった空気を瞬間冷凍されたかのように一気に冷えさせた。
 普段は気にも留めない、部屋にある掛け時計が一秒毎に音を大きくしていくかのように聞こえてきた。
 無音に近い、機械仕掛けの堅い金属音が一定したリズムを醸し出し、壁に反響しながら部屋の空間を支配していく。
 お嬢様は私の反応を見て、口を少しむくれさせてから声の調子を元に戻した。


「ツェペシュの称号を得るための代償は大きかった。ただでさえ、調査のために幾人かの同士を失って、やっと見つけた希望の交換条件がもっと多くの犠牲を必要としたのだからね。減ってしまった一族から、さらに犠牲を出す行為はスカーレット家に酷過ぎた」
 ふん、と鼻を鳴らして枕へとまた体を沈ませる。
 私は無言で、少し言葉にする言葉が見つからなかった。
 何も返してこなくなった私を見て、お嬢様の顔が少しだけ不安げになる。


「生贄にされたのは、まだ物心の付かない子供ばかりだった。一族をこれから繁栄させることを考えた場合、成人した大人を犠牲にすることはできなかったのね。各家庭から一人ないし二人、生贄として差し出した。」
 お嬢様の表情が急に傾いたように感じた。
 私の反応だけでなく、子供を犠牲にしたという所に心痛めている様子であった。


「そうして、なんとか家名を名乗れる程度の数だけ残して、スカーレット家は晴れてドラキュラの血を引くツェペシュの末裔として新しく誕生した」
 少しの間、無言の重苦しい空気が流れる。
 時計の音は止まることを知らず、流れていく時間の感覚よりも早く秒針を進ませているようだった。
 私の心臓も同時に早さを増していくように高鳴っていった。



「ツェペシュの名を手に入れてから、スカーレット家は今までにないくらい早く大きく勢力を拡大していった。最初は戯言と嘲笑っていた周りの吸血鬼も、協力を仰いだ吸血鬼が造り出したツェペシュの血縁だけが耐性を持つ、白銀に輝く釘を胸に打ち込む姿を見て認めざるを得なかった。もちろん贋物よ。他の吸血鬼は胸に刺したら一発で浄化されてしまう恐れから試す者はいなかったのが救いだったわ。他の古参の吸血鬼には、協力者が裏で根回ししていたこともあって表立った批判はなかったし。今じゃ、古参の吸血鬼たちと並ぶくらい大きくなって、一大勢力としての脅威とまで見られている。まあ、いつかバレるだろうけどね」

 無感動に無関心に、最期の一言は語られた。
 お嬢様は視線を正面に向けて、ぼんやりと何もない壁を見つめていた。
 おおよそ、見ても何かがあるわけでもない白く平らな無機質な壁。
 その視線の向こうに何を見ているのだろうか。





「咲夜、自分の家族を犠牲にしてまで得た地位と名誉って何なのかしらね?」

 お嬢様がこちらに顔を向けて、自嘲するかのように私へ問いかけた。
 それはどんな気分なのだろう。
 今の自分や裕福な暮らしが、過去の多くの犠牲によって成り立っていること。それが戦争や災害がもたらしたものではなく、故意的に模造された虚実で塗り固められたものだと理解している心情は簡単に推し量れるものではない。
 お嬢様の生きた500年間は、人間の私にとってあまりにも長い。
 理解すること自体が無理な話なのである。

「……私には分かりません。ただ、外側の立場から意見を述べさせてもらうならば、少なくともそれは手放しに喜んで受け入れ得る事実ではないと思います。過去を変えることはできませんし、いつまでも過去に囚われるわけにもいきません。過去を受け入れ、事実を理解して前へと踏み出すための糧とするしか自分の存在を肯定することはできないと思います。犠牲にしたものは、それを補い余るくらいの恩恵と償いを残すことで報われると私は信じたいです」
 お嬢様の目が丸々と見開き、それに伴って萎れていた羽が飛び上がって一瞬緊張する。

「咲夜、あなたって本当に不思議? 会ったときからそうだったけど、いつも返ってくる意見が他の奴等と違う。ホント驚かされるわ。なんでそんなこと思いつけるの?」
「さあ? 私にもよく分かりません。別に何かやっているわけではないのですけど、不思議とそういったことが思いつくのですわ。お嬢様が吸血鬼で私が人間だからかもしれませんわね」
「あー確かにね。霊夢や魔理沙もなんかそんな感じするし。種族が違えば発想も違うわな」
 清々と納得したように二回ほど深く頷いた。









「……あれだな。咲夜にはまだ黙っておこうと思ったけど、この話もすることにしようか。別に今日じゃなくても良かったんだけど気が変わった。咲夜に頼みたいことがあるのよ」
「はぁ? どういった御用件でしょうか?」
 独り言のように呟いて、こちらを真剣に見つめる。その眼差しから、重要な仕事を頼まれることは確かだった。

 お嬢様の唇が言葉を紡ぐ。
 私は語られた言葉の意味が理解できず、数秒の間その場に硬直した。
「えっ? それはいったい……どういう意味なのでしょうか?」
「言葉の通りよ。別に難しいことじゃない。ただその立場を請け負ってくれれば良いだけの話よ。やってくれるでしょう?」
「しかし、それは……」







『十六夜咲夜を紅魔館の次期当主に任命する』







 単刀直入に提示された頼みごとは、明晰で分かりやすいものであった。
 ただ、なぜそんな言葉がお嬢様から出てくるのか?
 なぜそれが他の誰でもない私に向けて発せられたのか?
 微々たる時間で理解しようとしても、従者として主人の願いに答えようとする忠誠心と不安から生じる疑惑が頭の中で堂々巡りをする。


「流石の貴女も躊躇するのね。判ったわ、理由を説明しましょう」
「……はい、是非ともお願いします」

 意図がわからないと、その願いに完璧を持って答えることはできない。
 お嬢様の従者となって、多くの願いを聞いてきたが今回ばかりは理由がわからなかった。
 予想さえもできなかった。





「今は私がこの紅魔館の当主だけど、別に当主であるのが飽きて譲るのでも幻想郷を出て行くからでもない。咲夜に対する他意でもないわ。これは未来に見る私の運命からのお願いなの」
「お嬢様の運命……何が見えたのですか?」

 お嬢様は"運命を操る程度の能力"を持っている。
 目には見えない、一人一人の辿ってきた過去から、これから先行く未来に続いていく路程。
 不安定で不明確な運命をお嬢様は自身の能力で見たり、操ったりすることができた。
 具体的には、お嬢様の側にいる者が数奇な運命を辿ってしまう能力で完全に操ることはできなく、目で見て効果が分かるようなものではないという。また、将来の出来事も多少なりとも分かるというものらしいが、見たことが必ずしもそうなるとは限らない。
 とても不明瞭な能力なのだ。






「別に私の運命が見えたわけではないわ。自分自身の運命は見れないもの。これはその結果。運命を操ることで生じた副作用と言ってもいいわ。私は近い将来、寿命が尽きるのよ」
「えっ!?」
 その言葉の意味こそが私には理解し難く、最も受け入れたくない理由であった。


「実を言うと、私はこの能力を約500年にわたって使い続けていたの。一瞬の気を緩ますこともできずに、毎晩休むことなく行使してきた。最近の体の不調はそのせいね。弾幕ごっこで傷を負っても治りが遅いし、少しでも太陽の光に触れると眩暈と吐き気がする。あげくの果てはベッドで寝たきり。体にガタがきてしまって、もう限界みたい。あと何年……いえ何ヶ月生きられるか分からないわ」
 私は絶句した。
 いきなり何を言っているのだろう?
 お嬢様の寿命が尽きるとはどういうことなのか?
 永遠に近い命と老いることのない体を持ち、人間の何十何百倍の生命力を持つ吸血鬼のお嬢様に終わりの日が来るなんて、私は考えたことがなかった。
 軽く溜息混じりに話しをするお嬢様を尻目に、私の心臓は勢いを増して鼓動していく。


「待って下さい……それは、本当に真実なのですか?」
「いつものような馬鹿話はしていないわ。本当のことよ」

 嘘だと言ってほしかった。
 全身から血の気が引くような感覚に襲われる。
 吸血鬼であるお嬢様の運命は、人間である私のちっぽけな運命とは別の次元にあると思っていた。
 それが神のいたずらなのか、悪魔の所為なのか、理解なんてできなかった。




「理由を! わけをお聞かせ下さい! 私にはお嬢様が……運命を操る能力を使っただけで寿命が縮んでしまうなんてこと信じられません!!」
 部屋に響きわたるような声で張り裂けながら叫んでしまう。
 普段なら有得ない光景だった。
 従者が主人に対して言葉を喚くようなことは主従関係にあってはならないのに金切り声をあげてしまっている。
 メイドとしての本分をはみ出して、主人を困らせる行為だ。




「何をそんなに慌てているの? 理由なら今言ったじゃない。運命を操る能力の使いすぎで寿命が縮んだって。信じるも何も事実なのよ。これでも自分の体のことは自分がよく分かっているし、パチェにでも診てもらえばあとどれ……」
「違います! そんなことではありません! 私が知りたいのは、どうしてお嬢様が私よりも先に逝ってしまうのかということです! お嬢様……貴女が好きです…………咲夜を置いて逝かないで下さい!!」

 両の目からポロポロと涙が零れ落ちていくのを感じる。
 私の言葉と姿を見て、お嬢様は硬直した。
 大きな目が見開いたままで止まり、背中の羽も石のように固まっていた。
 紅の瞳に私の泣いている姿が写し出される。

 分かってはいても、抑えることなどできなかった。
 それだけ私はお嬢様のことを慕っていたのだから。
 暗くて寒い世界から、私を見つけ出してくれて何の不自由のない生活と温かいパンを与えてくれた。それだけに留まらず、私が過去に囚われずに生きる勇気と希望を示してくれて、人間として真っ当に生きる道を見出してくれた。
 何より、お嬢様が私に微笑みかけてくれる眼差しは、私の冷め切った心に熱い生命の息吹を注いでくれた。
 私に触れて、私を愛でるかのように撫でてくれた方は他にいなかった。
 私が確かな幸せを感じられたのはお嬢様だけだった。
 他の誰でもない、大好きなお嬢様だけ。



 硬直が解けて、お嬢様が目を何度か瞬きさせて、呆然としながら頬を紅く染めていく。
 私を見つめていた視線を下ろし、また見つめては下ろすを繰り返す。
 どんどん紅くなっていく頬を抑えるように両手で覆って、横を向いて完全に視線を逸らしてしまう。



 時が止まった。
 何もしていないのに、本当に時間が止まっていた。
 お嬢様も私も、部屋にあるものすべてが静止していた。
 ただ一つ、時計の音だけがチクタク、チクタクと部屋を包み込んでしまうかのよう鳴り響いている。

 お嬢様は顔を逸らせたまま、耳まで紅の色を染め上げていって微動だにしなかった。
 私は目に涙を浮かべたまま、お嬢様の横顔をじっと見つめている。

 窓から流れてくる風が、私とお嬢様の髪の毛を揺らしていく。
 吹き抜けた風がちょっとだけくすぐったかった。






 そうして、止まっていた時間を動かすかのように、お嬢様は深く長い溜息をする。
 頬に当てていた両手を下ろして、顔をこちらへと向けた。
 まだ少し頬を紅潮させながら、はにかみながら言葉を紡ぐ。

「……私は、吸血鬼と人間は相容れない生き物であると考えていたわ。普段、どんなに良好な関係を築けていたとしても所詮は生きる世界が違うもの。なのにね、貴女はこんな話をしただけでこうなってしまった」
 目と目が合う。
 お嬢様の瞳に粒のように小さな涙が浮かぶ。

「初めてよ。他人から好きだと言われたの。500年も生きてきたけど、そんなことを言ってくれる奴なんていなかった。しかも同じ吸血鬼じゃなくて、人間の咲夜からだなんて笑っちゃうわ。でも嬉しかった」
 口元を緩ませて微笑んでくれるお嬢様がいた。
 私もつられて微笑みかける。


 ずっと心に抱いていながら、表に出さずに閉まっていた言葉を伝えられたこと。
 お嬢様が私に笑顔を向けてくれていること。
 嬉しいと言ってもらえた。

 今までにない喜びが心の淵から全身まで溢れていくような感覚が私を包んでいく。
 一人だけでは味わうことのできない、二人でしか知ることのできない幸福の花園。
 感謝と愛情を伝え合い、心と心が通じ合った瞬間であった。


 それはまるで、幻想のように……


















 悠久のような時間が流れていく感覚の中で、それを打ち破るかのようにお嬢様の言葉が語られる。

「もう少しだけ、この気持ちに浸っていたいけど話がまだ途中だったわね。最後まで聞いてくれるかしら?」
「……そうでした。はい、聞かせて下さい」

 幸せな気分は終わりを告げようとしていた。





「500年近くも運命を操作していた相手はフランなの」

 その一言が語られると、お嬢様の顔は曇りを見せた。
 私も同時に気持ちが曇っていくようだった。

「今でもそうだけど、あの子は産まれた時から他の吸血鬼と比べて強い力を持ってきてしまった。"ありとあらゆるものを破壊する能力"という前代未聞の能力は他のスカーレット家から歓喜と畏怖の念を同時に集めてしまったの」
 妹様のことを思い浮かべているのか、目を細めて表情を和らげる。

「フランが生まれたとき、私は心から喜んだわ。小さくて可愛らしく赤ちゃんが私に笑いかけてくれる。お姉ちゃんになれた。可愛い妹ができたんだと、フランを優しく大切に抱き締めた」
 まるで赤ちゃんがいるかのように、自分の手の平を見つめる。
 昔の思い出に浸りながら、抱き上げるように両手を左右の肩に置く。
 抱きしめていた。
 優しく優しく抱きしめていた。
 でも、その印象はとても悲しげだった。



「そして、次の瞬間に絶望を見た」
 お嬢様の顔が急激に曇る。

「いきなり部屋にある置物が前触れもなく壊れていった。何事かと周りを見回しても、目に映るのは次々と砕けていく物ばかり。私はフランを守るかのように強く抱きしめた」
 赤ちゃんを抱きしめながら、お嬢様が言葉を紡ぐ。
 強く懸命に腕に抱いて、離さないようにしている。

「そして、その瞬間に私の片翼が砕け散った」
 目に小さな涙が浮かぶ。
 抱きしめた腕は離すことなく、さらに強く抱きしめる。
 まるで自分自身を抱きしめるようだった。



「フランの手に紅い光が灯るのを見て、私はフランをベッドに放り投げてしまった。泣き声をあげてどんどん壊れていく世界から私は逃げ出した……自分の妹が怖くて逃げ出したの……」
 お嬢様の目から涙が流れ落ちる。
 両目から流れた涙は頬を伝い、肌から離れて落下し毛布を濡らす。
 それは、出ない言葉を無理して語ろうとする悲痛な声だった。

「その後も、分別のつかないままフランはありとあらゆる破壊を繰り出した。一族の話し合いで光のまったくない地下牢へ閉じ込めることが決定された。私は反対したの。フランはまだ生まれたばかりの赤ん坊で、一人では生きることもできないのだと。逃げ出した姉のくせに笑っちゃうけどね。でも結局、決定が変わることはなかった」
 肩に抱いた手を離して、膝にかけてあった毛布を抱き寄せる。
 毛布を掴んだ手は強く握られて、指元に深い闇のシワが見える。



「しばらくして、お父様とお母様は私に慰めの言葉をかけながらフランと一緒に幻想郷へ行くよう促したわ。魔界と切り離された場所にあって、フランがどんなに破壊をしようとスカーレット家に影響を及ぼさないこの紅魔館に。私はフランが生まれて間もない頃から、この運命を操る能力を使い続けて、フランが暴走しないように運命を操っていた。495年間も暗い世界へ閉じ込めながら……」
 最後の言葉は痛切に消えていく叫び声のようだった。
 抱き寄せた毛布がカタカタと音を立てるかのように身もだえする。
 さらに、深く毛布へとシワが寄っていき、落ちてくる水滴が染みを増やしていく。

「……それでも、運命を操るといっても絶対ではないから、知り合いのつてでパチェを紅魔館に迎え入れたわ。私が紅魔館を離れているときや、フランの自我が私の操る運命から離れようとしたときのためにね。紅魔館周辺に雨を降らせたり、地下牢に流水の音を響かせりした。パチェは同情してくれたわ。運命を操る能力を持ちながら、その運命に縛られている私達姉妹にね」
 握った手が力を失くすかのように下ろされる。
 涙に濡れた毛布が、お嬢様の過ごしてきた人生を物語るかのように軌跡を辿っている。



「最近はフランも少し成長して地下牢に閉じ込めなくて済むくらいになって、本当に良かったと思っている」
 お嬢様は私を正面に見据えて、目を潤ませながら苦笑した。



「でも、やっぱり私のことを怨んでいるのでしょうね」
「お嬢様! そんなことはありません。貴女は姉としてフランドール様をずっと守ってきたではありませんか! いつも気にかけて、私にも度々様子を尋ねておられました。怨んでいるなんてそんな……」
「そうだとしても彼女は私を慕わしい姉としては見てくれていないわ」
「……っ!」
 冷たく重くのしかかる言葉に返せる言葉が出てこない。
 お嬢様は十秒ほど私を見つめながら黙っていた。なにか、私に期待していることがあるかのように。
 そして、何も返ってくるものがないと雰囲気から悟り、残念そうに笑いかけると私が目に浮かべた涙を人差し指で拭った。


「貴女を紅魔館に連れてきたのもそのためだったの。もし、フランが私の力でもパチェの力でも止められなくなったら強制的にでもあの子の時間を永遠に止めてもらうためにね。今思えば、あなたを従者にする前に喋っておけば良かった。こんな辛い運命を背負わせてしまうには距離があまりにも近づきすぎてしまった」
申し訳なさそうに、悲しみとほんの少しの幸福を顔に浮かべて、お嬢様は私の体を抱き寄せた。









「咲夜、あなたに最後の命令を授けるわ」
 耳元でお嬢様の吐息と、強く切迫した声が語りかけられる。
 抱きしめた腕は、私の体を包みこめられないほどに小さかった。それでも、強く締め付けられる力は、骨を軋ませてしまうくらいに痛かった。
 小さい体からトクントクンと心臓が脈打つ音が聞こえてくる。
「……はい」

「あなたは今まで私の我侭を何度となく聞いてくれた。嫌な顔一つせず、小さなことであっても懸命にこなして、信頼と従順をもって応えてくれたわ」
「……はい」

「ただ、まだ休んでもらうわけにはいかないの。私がこうなった以上、フランを……」
 これ以上は言葉にしたくないというほどお嬢様の声が強張る。
「……あの子を守ることができなくなってしまう」
「…………はい」

「だからこれが本当に最後」
 私の背中に回された腕により一層力が入る。
 それは命令であった。
 お願いや頼みごとなどではなく、主人から従者へと一方的に下される、死んでも完遂しなければならない絶対的な号令。
 溢れ出そうになる感情を見えないナイフで突き刺して、全身神経をこれから下される言葉へと集中させる。
 私は、十六夜咲夜としての本分を取り戻す。


「紅魔館現当主であるレミリア・スカーレットが命じる。十六夜咲夜、私が近い将来命絶える日がきたとき、私の跡を継いで紅魔館の当主となりなさい」
 一呼吸置いて、ごく自然に当然のように応えた。
「その命、十六夜咲夜が謹んでお受けいたします」
 きつく締め付けられた両腕が力を無くして緩くなり、早く鼓動していた音が静かなテンポを取り戻していく。



「ありがとう」
 優しい声だった。
 最後の命令と最後の一言を残して、二人の主人と従者は来るべく未来に軌跡を残すために体を離す。
 目の前を覆っていた暗闇から解放されて、眼前にお嬢様の天使のような微笑みが映し出される。

 もう、時計の音は聞こえなかった。









◇ ◇ ◇ ◇









 私は自分の部屋に戻るまで、お嬢様の十六夜咲夜のままでいられた。



 ドアノブを力の入らない手で回して、部屋に入って扉に背中を預けて閉める。そのまま床に座り込んだ。
 私は誰もいない部屋の中で、お嬢様が話されたことを振り返っていた。
 沢山のことを話したが、その中でも印象深く残った内容が思い出される。


「お嬢様が……死ぬ?」
 妹様を抑えるために、ずっと運命を操り続けて500年間。
 能力を使い続けた結果、寿命があと少ししか残されていないということ。
 そして、私に"最後の命令"とまで言わせてしまったお嬢様の顔……


 胸が苦しくて呼吸が整わない。
 死ぬとはどういうことなのか?
 あの日、お嬢様からこの命を救われて殺伐とした過去から解き放たれた私は、あの方の下で一生を終えることを決めていた。
 お嬢様から見れば一瞬にも満たない時間を共にして、ずっと側で好き勝手なわがままに振り回されながら過ごしていく人生のはずだった。
 歳をとって働くことができなくなくなれば、迷惑をかけないよう独りで死ぬつもりだった。


「なのに……どうして……」

 吸血鬼であるお嬢様が人間の私より先に死ぬ可能性などありはしなかった。
 運命とは、ここまで変わりやすいものなのだろうか。

 スカーレット家でお嬢様が生まれたこと。
 フランドール様が生まれたこと。
 私が紅魔館に来たこと。
 お嬢様の寿命が尽きようとしていること……

 何がお嬢様をそんな運命へと導いてしまったのか?
 スカーレット家のせいなのか。フランドール様のせいなのか。それとも私?
 わからない。
 受け入れたくない。
 お嬢様が私より先に死ぬ運命なんて認めない!






 立ち上がって、太もものスリットからナイフを取り出す。そして、そのまま逆手に持ったナイフを背後の扉に力いっぱい突き刺す。
 
 死なせなんてしない。
 お嬢様が死ぬなんてことがあってはいけない。

 血塗られたスカーレット家に生まれて、その運命を妹であるフランドール様を抑えるためだけに費やした一生。
 ずっと命を削りながらこの幻想郷に縛られ続けて寿命がきたからあとは任せただなんて、まるで死ぬためだけに生まれてきたようなものじゃないの。
 そんなのはあまりにも悲しすぎる。
 生きて……生きて……何にも縛られずに自由に生きていける運命があったっていいじゃない。
 知らなかった。
 何年も側に仕えて、何者にも囚われずに好き勝手に生きているものだと思い込んでいた。
 私をここに連れてきたのもただの気まぐれで、人間にしては使えそうだったから置いてくれているものだと思っていた。
 それなのに、フランドール様を守るために私を次期当主として選ぶまでに深刻な状況になっているのだなんて。



 そんな運命は変えてやる。



 私がお嬢様に一生を捧げるのは後継者になるためであってはいけない。
 お嬢様がお嬢様らしく生きて、面倒な頼みごとは私がすべて聞き届けて、お嬢様が幸せそうに笑っていられるような世界でなければいけない。
 命を捧げようが、肢体が裂けようが、閻魔に地獄の最下層行きだと告げられよいがどうなってもよい。
 お嬢様より頂いた名と命、十六夜咲夜が必ず生きる道を探しだしてやる。
 自分の心に刻むかのごとく、木製の扉に刺したナイフにさらに力を込めて痛々しいほど深く抉って、私はそう決意した。


 先程まで辛くて息をするのもきつかった胸が、復讐に燃えるがごとくに心臓は熱く唸っていく。
 扉を抉ったナイフをスカートの中へと戻し、ドアノブを回し開けて自分の部屋をあとにする。




 まずは一番の理解者であるパチュリー様に会うべきだ。
 魔法使いとして私よりも長く生きて、成長を止めることによって寿命を延ばす捨虫の魔法を習得している。
 東西南北のさまざまな世界の本から知識を得て、おそらく延命に限らず禁断の魔法と呼ばれる類まで及んでいるはず。
 先程のお嬢様の話を最初から知っていて紅魔館へ来た彼女なら必ず何か策を立てているはずだ。
 そして何より、万能の魔法石とも呼ばれる賢者の石を創出した偉人でもある。
 走りたい気持ちを抑え気味にして、早歩きでパチュリー様のいる大図書館へと向かう。


 この問題は、もうお嬢様や妹様の生まれたスカーレット家だけで解決できるものではないと思う。
 不幸に絡み合った抜け出せない連鎖を紐解くには、当事者だけでは解決できないことが多い。
 私が過去に体験し、日々の生活の中でも感じている経験論だ。

 だから、これは異変なのだ。
 何気ない、普段の変わらない日常から生まれてくる突然の異常現象。
 原因は不明であったり、はっきり分かっていたりするが、どんな異変であっても私は解決してきた。
 私はこのスカーレット家から巻き起きた異変を解決する、瀟洒なメイド。
 だから、この問題も必ず解決できる。
 私は心の中でそう断言した。



 何時の間にか駆け出していた足が、大図書館の扉の前へと辿り着く。
 呼吸を整えた後、扉を三度ノックする。

「パチュリー様、いらっしゃいますか?」
 返事は返ってこなかった。
 いつもどおり、本を読むのに集中しすぎて気づいていないのだろう。
 少し失礼だが勝手に入らせてもらうことにする。
 ドアノブへと手をかけようとしたときだった。

「あら、咲夜さんどうしたんですか?」
 声がする方向へ素早く振り向くと、黒服と蝙蝠羽を身にまとった紅くて艶の良い髪を伸ばした小悪魔がいた。
「あら、こんにちわ。パチュリー様に用事があってね。ノックしても返事がなかったからちょっとお邪魔しようと思っていたの」
「そうでしたか。でも残念です。パチュリー様でしたら昨夜からお出かけになられて、本日は夜中にならないと帰ってこないそうです」
「えっ? それ本当!?」
「は、はい。パチュリー様ご本人から聞きましたので」
 それは困った。一刻も早く相談したかったのに不在では話すことも話せない。

「どこへ行ったか聞かなかったかしら?」
「いえ、行き先までは……急いでいた様子でお出かけになられたので」
「そう、分かったわ。また後で伺うことにするわ」
「あの、咲夜さん……」
 小悪魔に向けていた体を反転させて、歩き出そうとしたら呼び止められてしまった。

「何? 私急いでいるのだけど」
「いえ、余計なお世話かとは思ったのですけど、少しお顔が青ざめているように見えたものですから大丈夫かなと」
「大丈夫よ。それよりも、パチュリー様が早めに帰ってきたらすぐに私に教えてちょうだい。お願いね」
「はい、わかりました……」
 振り向き直して、そのままゆっくりと歩き出す。
 小悪魔の言葉には少しばかり気を取られたが、歩き出した瞬間にそのことは何処かへと飛んでいってしまった。


 パチュリー様が不在ならその間を無駄にすることはない。
 帰ってくるまでに別の手段をあたるまでのこと。
 いきなり出鼻を挫かれてしまったけれど、他に思い当たる方法はあった。
 幻想郷は名前のとおり、住む者も存在するアイテムも幻想を秘めるものであることが多い。
 特に一番魅力的なものとしては、永遠亭の者が所有している蓬莱の薬だろう。
 飲めば不老不死になれる妙薬。焼かれても殺されても、次の瞬間には失ったはずの命が不死鳥のごとくに蘇ってしまう奇跡の賜物。
 少し前まで、不老不死だなんて下らないと思っていたのだが、今になってその存在に心からの感謝してしまう。
 しかし、あの八意永琳のことだ。
 分けてくれることなんてまずあり得ないから、その時は殺してでも奪い取る。

 他にも、幻想郷の賢者である八雲紫。
 死んでなお幻想郷に存在し続ける冥界の死霊を司る西行寺幽々子。
 奇跡を起こす力をもった巫女である東風谷早苗。
 そして、幻想郷の死者が必ず赴くことになる地獄の番人である四季映姫……

 大図書館から一番近い窓へと行き着くと、全開にされた窓へ足を踏み出し紅魔館の外へと飛び出す。
 紅魔館を見下ろすように浮遊した体を永遠亭の方角へと出発させる。

 飛び出し際に、出入り口の門が垣間見えた。
 日中と変わらず仁王立ちしている門番が、顔を正面に向けながら佇んでいる。
 そして、目だけが線になって開いているのが確認できないほどに、しっかりと閉じられていた。








◇ ◇ ◇ ◇








「駄目よ」



 永遠亭について、早速事の端末を永琳へと説明した。
 スカーレット家のことはともかくとして、お嬢様の状況と私の意向を簡潔に伝えて返ってきた答えがそれだった。



「この薬は業が深くて飲む者を選ぶわ。月人以外の者が飲むことは許されない。あなた達がいくら欲しがろうと一口たりともあげるつもりはないわ」
 予想していたことと、ほぼ変わらない台詞が帰ってきた。
 以前の異変のときからそうであったが、紅魔館の住人と永遠亭の面々は仲がそんなによくなかった。
 元より、簡単に分けてもらうなどという期待はしていなかったので当然といえば当然である。

 最近のお嬢様が体調不良で、私が頼みに行ったときは快く引き受けてくれた。
 それでも、蓬莱の薬のこととなるとやはり厳しいようだ。
 しかし……


「そうですか。どうしても譲る気はないのですね」
 背後に回した、ナイフを持つ右手に力が入る。

「二度も同じことを言わせないでちょうだい。貴女のお嬢様が病気であれば、この前のように慈悲の一つでもくれてやってもいいけど、これだけは駄目なのよ。諦めて他を当たりなさい」
 そのまま殺ってしまおうかと思ってしまうが、感情的になって蓬莱の薬を手に入れても、その後の対応が面倒であった。
 不老不死であるから殺した所で蘇ってしまい、そうすれば殺されたことに対する報復、もしくは蓬莱の薬を取り戻すために紅魔館へと乗り込まれるのは必須。

 お嬢様の迷惑になることは分かりきっていた。
 弾幕ごっこなどという遊びではなく、血を血で洗う本気の殺し合いになればどうなるのだろう。
 特に今のお嬢様の状態では、返り討ちにされる可能性が高い。
 私には、自分勝手な行動は許されなかった。



「医務室で殺気立つのはやめてもらえるかしら? あなたがここで私を殺して薬を奪ったとしても、実際レミリアが不老不死になれるとは限らないわよ。吸血鬼に効くとも限らないし、弱点に当たって激痛と高熱にうなされながら死期を早めるだけかもしれない。それでもあなたはこれを飲ませるつもり? 貴女もこれを飲んだ人間を知っているでしょう。レミリアにあんな運命を辿らせて貴女は満足するのかしら?」
 勝手な行動のみならず、副作用による可能性も微かに考えていた。
 蓬莱の薬がお嬢様の身体に合わなく、お嬢様が苦しむことになったとしたらそれは私には耐えられないと思う。
 それで不老不死になっても後遺症が残ってしまったとしたら、どうすれば良いのだろう。
 いやしかし、それでも亡くなるよりはまだ……

 何を考えているのだ。
 私はお嬢様を苦しめるために延命の方法を探しているわけではない。
 方法はいくらでもある。
 私は最善最良の手段を選ぶ。
 それが今一番に必要とされていることなのだ。
 だから、別に蓬莱の薬である必要はない。
 ここは最後の手段として残しておくことにする。
 手に入れるとしたら殺し合いではなく、時間を止めて壷から微量にかすめとることにするのが妥当だろう。



「私の言っていることが理解できているかしら? 顔色があまり優れないけど」
「心配には及びません、永琳。あなたの言っていることは尤もな話です。他を当たることにしますわ」
 踵を返して永遠亭の出口へと向かう。

「同じことを言うけど、病気であればいつ来ても構わないからね。特に今のあなたはかなり消耗しているようだし」
 一瞬、足が止まりかけたが、何事もなく次の足が前に出る。
 小悪魔と同じような言葉を投げかけた永琳の親切に耳を傾けることなく、速足で出口付近へと歩いていく。

 後ろから、永琳が椅子に座ったような鈍い音が聞こえた。
 誰から何を言われようとも、今はそんな些細なことにかまけている暇はない。
 私の状態がどうなっていようとも、異変を解決せずして倒れるわけにはいかないのだ。
 お嬢様を助ける方法を探し出すまでは。
 絶対に……








◇ ◇ ◇ ◇








 永遠亭を出た後、紫や幽々子、守矢にも直接会って話してはみたものの、返ってきた答えは私が欲しているものとは違っていた。
 紫は、説明した内容を深く吟味するかのように暫く考えている素振りを見せると「それがレミリアの運命なのね」とだけ言って、私との話をそれ以上続けない様子を見せて、布団のスキマへと消えていった。
 幽々子は、聞くや否や「死んだら私がお世話してあげる」とふざけたことを言ってきたので、こちらから願い下げた。
 守矢の巫女については、奇跡といっても生命の神秘まで影響を及ぼすほどのものではなかったので、丁重に詫びを言ってから神社を後にした。






 最後に、閻魔である四季映姫の元へと向かう。

 幻想郷の帰り道なき死者の入り口。
 死を迎えた者は必ず通らなくてはならない鬼門。
 今一番行きたくない場所であり、一番耳を傾けたくない存在。

 地獄までは行けないので、三途の川の死神に事情を話して連れてきてもらった。
 仕事中に呼び出さないで下さいと言いながら、三途の川の事務所の長机のある薄暗い部屋で話を聞いてくれた。
 私の説明を、もう知っているかのように目を瞑って頷きながら一通り聞き、口を開くといきなり聞き捨てならない発言をした。



「はっきり言いましょう。それはもう黒です」
「なんで簡単にそんなふうに言えるのよ! ふざけないで!!」
 わざわざ仕事中に呼んだのは済まなかったと思っている。しかし、開口早々に当たり前のように「諦めろ」と断言されたのには流石に耐えることができなかった。
 ここに来るまでにお嬢様を救う手掛かりを探し回って、全ての結果が駄目であった。
 やっと最後に辿りついたというのに、閻魔にまで否定されるなんて、お嬢様を救う望みはないとでもいうのか!?



「死にゆく者の一生分の命というのは、生まれる前から既に決まっています。与えられた寿命を長引かせるのか、削ってしまうかはそれぞれの自由で他人がどうこうできるものではありません。吸血鬼であるレミリア・スカーレットは自分の生命を削ってでも、一族の意思を受け継ぐことを選んだだけのこと。今更、人間の貴女がどうこうして変わる運命ではないのですよ」
 前々から気に障る奴であることは分かっていた。
 その一言一句がすべて上から目線で、自分の言いたいことだけを一から十まで並べ立ててくどくどと説教を垂らす。
 他人がどう思うのかを考えることはなく、欠点や罪ばかりを指摘する嫌な奴である。
 私の主人であり恩人でもあるお嬢様を助けたいと思う一心ではるばる来たというのに、頭ごなしに全否定するこの態度は何様のつもりだろうか?
 この閻魔には人を気遣う心が存在しないのだろう。
 正直、今回のことと閻魔という肩書きがなければ、今すぐここで切り刻んでいるところだ。



「いつもの御託はもうたくさん! 私はその運命を変えるために来たの! 閻魔なら知っているはずよね。まだ死んではいけない者を延命したり、裏で支援して助ける方法を。それを教えなさい!」
 私はお嬢様の従者となってからどんなことがあろうとも完全で瀟洒の仮面を外すことはなかった。
 お嬢様に対してはもちろん、幻想郷の妖怪や紅魔館へ襲撃する敵でさえも、その姿勢を守り通してきたつもりだ。
 それが出来たのは、私自身が常に余裕を持てるよう努めていたため。
 どんな状態、どんな戦況であってもレミリア・スカーレットの従者は優雅さと冷静さを失わない。
 お嬢様に一生を捧げると誓った私のアイデンティティがそうさせた。
 そうでなければならなかった。

 だが、今はどうだろう。
 優雅でもなければ余裕もない。
 形振りなど関係なく、閻魔の机に両手を平打って怒りを顕わにさせている。
 お嬢様が見たらどう思うのだろうか。



「……貴女はもっと頭を冷やすべきだ。閻魔である私に延命だの助けてくれなどと言うだけならいざ知らず、人にものを頼む態度まで屈折させてしまうなんて本当に貴女らしくない。別に私に突っ掛かっても、都合の良い方法なんて出てはきませんよ。咲夜、貴女のやろうとしていることは死にゆく者に対する冒涜でしかない。大切な者が死んでしまうことを拒絶するがために、我侭を言っているだけです。死を受け入れて準備している者に、お願いだから私を残して死なないでと子供のように駄々をこねているだけなのですよ。命の理を理解しなさい」
「なっ!?」
 心の中でモヤモヤと渦巻いていたわだかまりを、ナイフで突き通された気分だった。
 それは、私が理解すること避けていた事柄だった。
 お嬢様の命を救うこと。それはただの表面的なもので、裏に見え隠れしていた感情はお嬢様を失うことに対する恐怖心だった。
 主人が私に望んだことは、命を長らえさせる方法を見つけ出すことではなく、私に紅魔館の後継者としてお嬢様の代わりに妹様を守ることである。
 私がやろうとしていることは、お嬢様の願いとは別物。
 従者としての務めでも、暗黙に言い渡された命令でもなく、すべては忠義というベールを被せた自分勝手な我侭であった。



「いずれにせよ、彼女に白黒つけるのは私でしょうからこれだけは言っておきます。レミリアは今のままでは、どう私が肯定的に判定しようとも結果は黒にしかなりません。彼女の罪は少々異質だ」
「……っ! どういうことよ!?」
 自己嫌悪に陥って別方向へ意識が飛ぼうとしていたとき、四季映姫の一言には聞き零すことができないものがあった。
 幻想郷にいるものは、外界の者達と比べれば罪は軽いと言われている。
 お嬢様は吸血鬼として人間の生命を糧にしていたことは事実として揺るがないが、それでも十割の確率で黒とはどういうことか。
 共にいた時間は短かったとはいえ、お嬢様は残虐非道な方ではない。
 確かに多少おいたが過ぎることもありはしたけれど、地獄に行くようなことはしていないはずだ。



「まだ態度が気に入りませんがいいでしょう。教えてあげます。おそらく、貴女が察しているであろうことはレミリアが吸血鬼で人間を食料にしていることか、昨今の異変を起こしたことだと思いますけど、あんなものは大した罪にはなりません。自分の命を維持するために、他者の命を奪わざるを得ないのは自然の摂理で致し方ないことです。それは吸血鬼だろうと妖怪だろうと貴女のような人間でも同じです。個体の生命は他の多くの生命によって成り立つのが私達の住む世界です。虫一匹、草一本でも一つの生命体であることは変わりありません。いくらレミリアが長年人間を殺して血を吸っていたとしても、それは生きるための自然な行為です。度が過ぎる殺生は問題がありますが、彼女は他の吸血鬼と比べても未熟ですから、むしろ罪は軽いと言っても良いでしょう。他にも、幻想郷を揺るがす異変も起こしましたが博麗の巫女によって頓挫されていますから、これも大きな罪としては扱いません」
 それは私を安堵させた。
 吸血鬼であるお嬢様が人間の血を口にするのは気にはなっていた。
 別にそれが私と同じ人間だからというわけではなく、引っ掛かっていたのはその数であった。
 お嬢様は吸血鬼としては若い方なのかもしれないが、それでも500年間も生きている。
 一度に少ない血しか摂取できないのは分かってはいても、私と出会う前からそうであったとは限らなかった。
 お嬢様からスカーレット家の過去は教えてもらったが、御自身のことはあまり語られなかったのである。
 だから、いまだにレミリア・スカーレット様御自身の生き様は、私にとって謎に包まれている。
 疑うわけではないけれど、たとえ血を少量しか必要としなくても吸血鬼としての能力は絶大だ。それこそ瞬き一つで何十・何百という生命を滅ぼすことなど造作もないはずで、スペルカードルールのある幻想郷へ来る前もあのような穏やかな暮らしをしていたかは正直なところ分からなかった。

 他を圧倒してしまう特異な能力を持って生まれてきた者は、時として何かのはずみで過ちを犯してしまうことがよくある。
 この私がそうであったように。
 しかし、閻魔の言葉でその不安は去ってしまった。
 お嬢様は吸血鬼として真っ当な生き方をしてきた。
 その事実が少し嬉しかった。




「そして問題は別のところにあります」
 私の感慨とは裏腹に、四季映姫の言葉はその一瞬の安らぎさえも打ち壊すかのように続いていく。
「これはレミリア自身というより、彼女がスカーレット家の血筋であることが原因となっています。そういえば貴女、本人から聞いたのですよね?」
「……ええ、本当に何でもお見通しなのね」
「職業柄、致し方ないのですよ。好きで何でも知っているわけではありません」
 この閻魔の本当の恐ろしさというのは、幻想郷各地にいる化物共のような力比べとは違っていた。
 彼女本来の力は"白黒はっきりつける程度の能力"で閻魔らしく楽園・地獄・冥界のどれかに被告人の行き先を決めるものだが、それ自体は成り行き上仕方ないので諦めるしかない。
 
 問題は彼女の持っている浄玻璃の鏡。
 話に聞くところによると、手鏡らしいのだがかざした者の全ての罪を映し出す極悪の性能を持っているらしく、幻想郷の大御所である八雲紫さえもコソコソと隠れてしまうとのことだ。
 おそらく、私にも使ったのだろうが何時の間に出したのかを見定めることはできなかった。
 悪戯心で時間を止めて、鏡を探そうものならそれも恐らくバレる。
 幻想郷の暗黙の了解で「閻魔にだけは逆らうな」がまかり通っているのはこのためだ。




「話が早くて良い。レミリアとその一族の地位というのは、多くの同胞の犠牲で成り立っています。それが偶発的な不運によってもたらされたなら話は別ですが、犠牲を承知しての故意的な決断であったのがかなり問題でした。自分の一族が発展するための大儀名分を掲げるのは良いですが手段が悪かった。少数が多数を犠牲にして幸福を得るなどというのは悪ですからね。私がその犠牲になった者達を担当したわけではありませんが、スカーレット家の生き残りは相当怨まれていますよ。一族を助けるために身を削って生贄になったのに幸せを手にしたのは死んだ自分達ではなく生き残った者達だった。生体実験までされて、ゴミのような扱いを受けて捨てられたと嘆いていたそうです」
「待って。今なんて言ったの?」
「彼らは冥界で……何ですか?」
「生贄になったスカーレット家の方々の行く末がどうなったのかということよ」
 四季映姫の長々と続く説明の腰を折った。
 あのまましゃべり続けて終わるのを待っても良かったのだが、どうしても聞き返さなければいけないことがあったのだ。
 

「……なるほど。そういえば、貴女もレミリアもそれは知らなかったのでしたね。生き残って繁栄したスカーレット家の裏側で、協力者に捧げられた吸血鬼はその命を吸い取られて死んだわけではありません。吸血鬼の遺伝子操作の実験体として使われたのです」
「そんな、お嬢様はそれを知らないでいるというの?」
「ええ、知りません。彼女の両親も知りません。その全容を知っているのはスカーレット家を発展させようとしたごく一部の吸血鬼だけです。事実は暗闇の中に葬られて、現在生きているスカーレット家で知っている者は誰もいませんよ」
 なんということだ。それはある一つの可能性を示していた。
 生体実験に成功してしまった生贄になったはずの元スカーレット家の吸血鬼がいる可能性。それがもし存在するとしたら、可能性としては小さいが確実にまずいことになる。
 私が昔いた組織でも、科学者による人体実験が行われて犠牲になった者が多くいた。
 多くの失敗の上で生まれた、見る物すべてを破壊し尽くす人間ではなくなった生命体。
 あれを滅ぼすのには相当な苦戦を強いられたが、今回はそれが人間ではなく強大な力を持った吸血鬼。
 そんなのが生き残りのスカーレット家に憎しみの目を向けていたとしたら、それは……


「……その研究で成功した吸血鬼はいたの?」
「貴女も類稀なる経歴の持ち主でしたね。幸か不幸かその推測は外れです。現段階で成功した吸血鬼はいません」
 体中の尖っていた神経が解けていく。
 危惧で終わって良かった。
 あんなものが幻想郷に来てみろ。それこそスペルカードルール無視の戦争になる。
 本当に良かった。


「ただしです」
 こういう場合、安心した途端に不意打ちをするのは通例行事なのだろうか。
「生贄にされた吸血鬼とレミリアの家庭は、まったく関係ないというわけではないのですよ」
「どういうこと?」
「いえね。直接的にではなく、間接的になんですけど。フランドール・スカーレットのことです」
「フランドール……様?」
「遺伝子操作が暗闇のなかに埋葬されてからも、スカーレット家には稀に肉体や精神に異常をもって産まれてきた子供達が絶えなかったそうです。フランドールのようにね」
 嫌な予感がする。


「フランドールは産まれて間もない頃から、不幸にも隔離された場所での生活を余儀なくされました。"ありとあらゆるものを壊す程度の能力"を暴発させたことが要因となってはいますけど、これはフランドールだけが問題だったのではありません。生き物は産まれてくる直前、つまり新しい生命として誕生するときにその家系の影響を受けます。フランドールという吸血鬼が誕生したのは、スカーレット家という裕福な家系。そして、その裕福さを過去の先祖が我欲のために多くの命を生贄にした家系。どういうことがわかりますか?」
「………」
 予感を通り越して悪寒が走る。





「先程言いかけましたが、生贄になった吸血鬼達は現在もういませんけれど、最近まで冥界にいました。大人もいましたがほとんどが子供で怨みの念をスカーレット家全体に送っていたのです。なぜ、この世には生まれた時から不幸な道を辿る者がいるか知っていますか? 生まれる前から不幸になるための原因があったからです。因果応報ですね。スカーレット家も他の吸血鬼や妖怪から怨まれることはしていましたが、一番は過去に生贄にされた同族。フランドールの幼児期からの暴走は"ありとあらゆるものを壊す程度の能力"を持っていたことが問題ではありません。過去の亡霊から、不幸になれと送られた怨念の影響を受けたせいです。子供の霊は子供に影響を与えることがほとんどですからね。その点はレミリアも同じです。結果として彼女達は、生まれてからの一生のほとんどをスカーレット家の運命に縛られています。姉妹揃って不幸なんですよ」
 この異変は、私には解決不可能に思えてきた。
 お嬢様の命を救うと粋がっていた所までは良かった。それがただの我侭だったとしても。
 しかし、今のこの閻魔の話を信用するのならば、現在の問題のみならず、過去の問題も紐解かなければいけない。
 異変の原因が目に見えない、手の届かない彼方にあるとは私の経験上は存在しない。
 ショック云々の問題ではなく、事態は想像を超えて深刻さを持っていた。






「さて、前置きはここまでにしましょう。本題に入ります」
「ほん……だい……?」
「レミリアの罪状についてです。今話したことは、レミリア・スカーレットの罪状を洗い出すための前提知識みたいなものですよ。私にとってはどうでもいいことですけど、レミリアが生きている内に少しでも罪を減らしてやる必要がありますから。よく聞いて下さいね」
 コホンッと一息ついて、やっと話せるなという顔つきをすると、また長い言葉を連ねていく。
 横長に広い机の下から紙の束、もとい罪状書のようなものを取り出した。


「スカーレット家のレミリアは……この場合、レミリアの家庭と言った方が良いでしょう。この家庭は自分の娘であるフランドールを495年間にわたって、本人の意思に関係なく幽閉しました。この決定はスカーレット家全体の意思で決定されたものですけれど、実行したのはこの家庭です。一人では生きることもままならない赤ん坊を、何度も死にかけさせながらも隔離し続けていた。フランドールが住居を幻想郷に移してからも、同じような環境に置き続けて一個人の吸血鬼の人生を暗い闇の中へ閉じ込めました。この場合の罪の重さは、幽閉した期間とフランドールに対する処遇によります。495年という月日は貴女のような人間であれば殺人と同様に扱いますが、吸血鬼からすれば時間としては小さいものです。他の閻魔はわかりませんが、私の見解では軽いと見なします。問題は幽閉したのが赤ん坊のときからであることと、本人に生きる力ない状態で何度も衰弱死させるような状況に置いたことです。普通に考えれば酷い仕打ちですよ。生まれたばかりの自分の娘を、周りの世話をする者を付けずに食事も満足に与えず牢屋に放り投げるのですからね。私から言わせれば正気の沙汰ではありません。私がフランドールだったら、一族全てを皆殺しにしてしまうくらい憎みますね」

 絶望を誘うような言葉に目が眩んだ。
 妹様は495年間も地下牢での生活を強いられた。

 赤ん坊の時から閉じ込められていた。
 食事も与えられなかった。
 何度も死にかけた。

 その生活がどんなに過酷で、辛くて、助けてほしくても手を差し伸べられることがなかったものだとしたら……


 どうして、私は理解してあげようとしなかったのだろうか?
 まともに考えれば、姉のレミリアお嬢様よりも不遇の人生を送っており、暗い場所に独りぼっちで暮らしていた心情がどれほどのものであったのか。
 私はお嬢様のことばかりを気にして、妹様に対してはその環境を省みることさえしなかった。
 なんて私は残酷な女なのだろう。
 自分の好きなお嬢様のことばかり、自分の好きな生活、自分がやりたいことだけをやってきて今まで満足していた。
 こんなに近くにどこの誰よりも可哀想な方がいるのに、どうして自分ばかりの幸せを考えて良いものか。
 これでは、スカーレット家の発展のために、生贄を差し出した奴等と一緒ではないか。





「ちょっと貴女? もしもし、大丈夫ですか?」
 前に誰かが「お前は冷たい女だ」と言っていたのが思い出される。
 ついさっきまで、お嬢様を救いたい心情で動いていたのに、妹様のことが思慮から抜け落ちて、私はなんて冷酷で小さい人間なのだろう。
 救うべきはお嬢様だけではなく、妹のフランドール様も一緒でなければいけないはずだった。
 いくらお嬢様の命が助かっても妹様は不幸のままなのだ。その姉妹の軋轢が解消されない限り彼女達はずっと不幸であり続けなければならない。
 でも……でも……私に何ができるっていうんだ!!



 視界の焦点が合わずに、今いる世界が絶望の雄たけびをあげながら崩れてしまうような感覚に襲われる。
 絶望感と自己嫌悪が同時に込み上げてきて、まっすぐに立つことができなくなってくる。
 気力で支えられていた足が崩れて倒れてしまいそうになったとき、いきなり体が宙に留まった。
 私が崩れようとしていた場所に石の椅子が突如として現れていた。





「さすがに、その様子だと少々辛いようだ。もう少し続きますが、これからその解決策も含めて教えます」
 私は魂の抜けた亡骸のようになりながら、意識だけは閻魔の方へと向けさせていた。


「今回の件では、罪は幽閉する決議を出した者、フランドールの父親・母親・長女のレミリアが受けることになりますが、罪の分散なんてものはありません。すべて同罪です。下手をすれば、他の罪も合わせて地獄行きの可能性があります。ただし、レミリア個人においては減罪の余地が残されているのが救いですね」
冷たく硬い椅子に座って止まらない自己嫌悪に浸りながらも、減罪の一言には少しだけ灯火程度の感情が湧き上がった。
「495年間分の罪を無かったことにすることは出来ません。しかし、減らすことは可能です。レミリアとフランドールが幻想郷で共に住んでいるのは都合が良かった。私から助言できることは二つあります。」
 地獄行き……


 罪状書を閉じて机の端に置き、両の手の平を組んで肘で支えると顔を正面に向けて再び話し始める。
「一つ目は、フランドールがレミリアを許すことです。レミリアとフランドールの関係はいわば加害者と被害者のようなもので、対人関係の罪を償う一つの方法として【謝罪】と【赦し】によって和解することが望まれます。レミリアが自分から反省して、誠意を持って謝ることが最初に必要となります」
 朦朧とする意識で記憶に留める。


「二つ目は、レミリアが妹のフランドールに対して、姉としての責任を果たすことです。フランドールの"ありとあらゆるものを破壊する程度の能力"は今の彼女の状態では、それこそ危険極まりないものです。もしもレミリアが亡くなってしまえば、495年間の溜め込んできたフラストレーションを爆発させてしまうでしょう。大規模かつ悲惨な破壊活動を繰り出して、幻想郷の異変として認識されてしまう可能性が大です。これを未然に防ぐことができれば大きな善行となります。フランドールは子供ですけど、理知的な思考と他者とのコミュニケーションは普通にできます。レミリアが真摯に向き合って、力の制御と能力の特性を理解させてあげられれば早くて数年で自立させることができると私は考えます。両方とも簡単ではありませんが不可能ではありません」

 不可能ではない。しかし、どちらも今のお嬢様には難しいと思った。
 気づいているはずなのだ。
 フランドール様に素直に謝らなければいけないということも、真剣に姉として接するべきだということも。
 でも、お嬢様は私に紅魔館の当主の座を継げと命令した。それは現在抱えている問題を諦めたという意思表明だ。
 そんなお嬢様に妹様との関係を修復して下さいと告げるのは、私にとって酷なことであった。
 ただでさえ体調もすぐれないというのに……



「そういうわけで、私からは以上です。貴女にも説教したいことは山ほどありますけど、また今度にしましょう。こちらも仕事が次から次へと来るもので片付きませんからね。出口まで小町に送らせますから、早く帰って主人に伝えなさい」








◇ ◇ ◇ ◇








 死神に連れられて外に出たまでは覚えていたが、その先どうやって帰ったのかは覚えていなかった。
 気づけば、十六夜咲夜の体は紅魔館の上空へと存在していた。
 永遠亭に行く際に飛び出した窓から中に入り、おぼろげな足取りで自分の部屋へ方角へと歩いていく。
 今日は沢山のことがあった。
 
 お嬢様からスカーレット家の過去を聞いたこと。
 私が次期当主になることが決定されたこと。
 お嬢様の寿命が残り僅かで、それを助けるべく永遠亭や白玉楼、守矢や閻魔の所にまで行ったこと。
 妹様が今まで送ってきた人生が、どれだけ残酷なものであったかということ。
 私が酷い女であると気づいたこと……
 四季映姫から今のままではお嬢様は地獄行きだということ……



 一つの問題を解決しようとすると、どこからか他の問題が出てきて、対処しようにも連鎖的に重なってどれも解決できない大きな問題へと発展していく。
 出口のない迷路に迷いこんで、答えのない問題を一生懸命解こうとしている無様な私がそこにいる。
 もう精神的にも肉体的にも疲れきっていて、何を考えるべきかもわからなかった。
 目の前には真っ暗な世界だけが広がっていて、歩いても歩いてもその先には自分の部屋も希望もなく、絶望の囁きだけが誘っているような気がした。
 あの世から帰ってきたばかりなのに、別物の死の世界へと行ってしまいそうな感覚に襲われる。


 暗闇に包まれる廊下の角から、小さいながら一点の灯火が出現した。
 灯りは歩いている私の方へと迫ってきて、その姿を眼前に顕わにする。






「あら、咲夜じゃない? こんな夜中に出歩いてどうしたの? まぁ、私もついさっき帰ってきたばかりだから、人のことは言えないのだけどね……って、うわっ! どうしちゃったのよ、その顔! 死人のような顔しちゃってるわよ!?」
地面から2mほど上空に火の玉を浮かばせて、パチュリー様が紅の灯火を浴びながら目の前に現れた。
 服装は普段と変わらないながら、背中にはリュックサックを背負っていて本当にどこからか帰ってきたばかりの様子だった。

「……パチュリー……様?」
「ねえ、ちょっと何かあったの? 私が留守にしている間に図書館の本がごっそり盗まれていたとか!?」
 いつもと変わらない、少し感覚が外れている話しぶりと能天気な雰囲気を漂わせているパチュリー様に、気を張り詰めていた神経がほぐされていくのを感じる。

「パチュリー様…………うっ……ひっく…………うわあぁぁぁーーーん!」
 私のなかで何かがはち切れてしまったのか、思わず勢い余ってパチュリー様に抱きついてしまっていた。
 
「がはぁ! ちょっ、ちょっと咲夜! いきなり何!? えっ? えっ? 待って! 体の、バランスがっ!!」
 そのまま二人とも地面へと倒れこむ。
 ゴツッ!
 パチュリー様の体が背中から落ちて、頭を強打するような形になってしまった。

「むっきゅうーーー!!! イタイ……」







◇ ◇ ◇ ◇








「なるほどね……だいたいの話は把握したわ」

 泣き崩れた私を介抱しながら、パチュリー様は地下にある大図書館まで連れていってくれた。
 外から帰ってきて身体が冷えただろうと紅茶を煎れてくれながら、私が泣き止んで話ができるまでずっと待っていてくれた。


「私は……お嬢様を……助けたいのに。何もでなくて……どうしようもなくて…………ひっく……ひっく」
 やっと話せるようになって、今日あったことを途中で何度か泣き出しそうになりながらも順序立てて全て話した。
 伝えたいことはいっぱいあるのに、言葉が詰まってしどろもどろになってしまう。
 そんな私を、パチュリー様は何度もなだめながら、一つ一つの内容を質問しながら聞き出してくれた。
 今まで本ばかり読んでいて、そっけない素振りで何を考えているのかわからないような方だったけど、こんなふうに親身に接してくれる方だとは、今初めて知った。
 今まで多くの誤解をしていたことを悔い改めさせられる。


「うーん、そうねー。私の方でもいくつか可能性として考えていたところがあったのだけど、なんだか凄く厄介な展開になってきているみたいね」
「このままでは、お嬢様が……うっうう……」
 お嬢様が私へ微笑みかけてくれた顔を思い浮かべる、抑えようとしても涙が溢れてきてしまう。
 そして、フランドール様の孤独に寂しそうにしている姿を想像すると、罪悪感で胸が締め付けられる。


「能力を長い期間使い続けると、精神や身体に影響が出てくるのが普通なの。レミィにもそのうち何か起こるだろうなとは思っていたけど、まさか先が見えてしまうくらい寿命が縮まっていたとはね。気づかなかったわ」
「あと数年……数ヶ月生きられるかわからないと言っていました。もうたったそれだけしか……」
 溢れそうになる涙を抑えながら会話を途切れさせないように懸命に努める。

「しかも、妹様を495年間幽閉した罪で寿命が切れたら即地獄行きだなんて、どんだけ不幸の箱入り娘なのかしら。はぁー先が思いやられる。少し考えなきゃいけないわね」
 パチュリー様が溜め息をつきながら両腕を組んで、眉間にしわを寄せて困っている表情を浮かべる。





「レミィと妹様の仲良し大作戦は少し置いておくとして、今はレミィが長く生きられる方法について考えましょう。全部解決するには時間と段階が必要だからね」
「……そうですね。私もそれが良いと思います」

 問題が山積みだ。
 パチュリー様の言うとおり、同時に全てを解決するのは不可能で、一つの事柄を集中的にこなして積み上げていくしかない。
 階段を一段一段上らずに、二段三段飛ばしをして足を挫けば背後にある暗闇へと真っ逆さまだ。
 体中を打撲しながら、再び起き上がって足を踏み出すのは今の私にはできない。
 いや、もう踏み外してしまったのか?
 
 もしそうだとしても、パチュリー様が私の体をおぶって上ってくれているのだと思う。
 一人では起き上がることのできなかった私を、こうしてまた上れるようにしてくれている。
 この方のおかげで、着実に階段を上れるような気がしていた。
 心から感謝する。



「私も寿命の短縮については、幾つかの可能性の一つとして考えていたから調べられる限り調べていたの。主に吸血鬼についての文献と生命の源である人間の血液についてだけど、基本的に彼らは不老不死の存在で老衰による寿命はないみたいなのよ。人間の血を吸い続けて普通に生活しているかぎりは全然問題なくて、弱点である直射日光に長い時間当てられたり、流水で溺れてしまうこと。あとは吸血鬼ハンターのような外敵に退治されない限り死ぬことはない。それが本来のレミィの姿なの」
「……それは、お嬢様のように摂取する血の量が少なくてもなのですか?」
 少し落ち着いてきて、言葉がまともに出るようになった。


「ええそうよ。レミィは血を多量に必要とするような魔力の使い方はしていないし、元々体も小さいからあれでも大丈夫なの。たとえ必要以上に摂ったとしても、その分は魔力として蓄積されるだけだから飲みすぎて悪いということもないわ」
「では……お嬢様は純粋に運命を操る力を使い続けたことで、寿命が縮んでしまったということなのですね……」
「そうそう。つまりは495年間365日を毎晩のように解消不能のストレスを蓄積してきたようなもの。ほんと、普段からバカみたいなことやってるけど、自分の体の状態も無視するくらい能力を使い続けるなんて真性のバカよ。心配するこっちの身にもなれってーの」
「……縮まってしまった寿命を元に戻すことはできないのですか?」
 俯きながらまた涙が滲み出てきた。


「えーとね、それなんだけど延命の方法はカテゴリーに分類すると二種類あって、一つは何かを取り入れ続けることによって持続的に維持すること。妖怪であれば人間から栄養を摂取し続ける限り死ぬことはないのが一般的か。もう一つは、身体の成長を止めること。私の捨虫の魔法がそれね。魔法使い限定のものだからレミィには使えないわ。退治されたり病にかかったりすれば、その限りではなくなるけど」
「賢者の石はどれほど使えるのですか?」
「あれは……その。確かに万能の用途に使えるっちゃ使えるのだけど……そう! 生産量に限りがあるの。あれだけの物を生成するには希少な材料や時間が多くいるわ。簡単には作れなくてね」
 パチュリー様が、挙動不審にあたふためく。
 何か、この。少しばかりの不安感が生まれてきてしまう。


「あ、あのね咲夜! ……いや、ごめん。悪かったわ。ちょっと、賢者の石はね。正直な所、割に合わなくて。確かに寿命を延ばすことはできるのだけど、それは失った寿命を元に戻すことではなくて、仮初の寿命を新しく作り出すということなの。本来、種族によって延命の方法はその身体に合わせたものにしなくてはいけないのだけど、この方法は外部から強制的に細胞を増殖させるようなもので、他よりも多くのエネルギーがいる。まあ、確かに使っても差し支えないのだけど……今の状況だと効果があまりにも少なくて気休めにしかならないのよ」
 賢者の石にも限界がある。
 ありとあらゆる知識を持ったパチュリー様でもこの問題は難しいのか。


「えーと、そのー。そういえば、蓬莱の薬は貰えなかったのよね? 個人的にあれはけっこう興味があって、賢者の石と混ぜればグイーンとパワーアップみたいな……」
 笑顔で両腕を大きく広げる。少し冷や汗をかいているようにも見える。


「……はい、蓬莱の薬は可能性としてはゼロではないと思います。ですが、使うとすれば最後の手段になると思います。もしかしたら副作用があるかもしれないので」
「あっ……そうね。確かにそうなのよね。そうしましょう」
 広げていた腕を下ろして、片手で頭の帽子を掻く。

「あんな材料もわからない劇薬を使ってもろくなことは起こらないわ。現にその事例が幻想郷にいるし。永琳が言っていたように業が深いという理由もわかるわ。意外と、不老不死って幸せになれないのよね」
「お嬢様をこれ以上不幸になるようなことはしたくありません」
 まだ、自分の心情と手段が噛み合っていないのを感じる。
 こうしたいと思っても、すぐ側にあるてっとり早い手段へと目が行ってしまう矛盾。
 お嬢様を救いたい。でも、それは不老不死であってはいけない。
 延命の手段と不幸から抜け出すための方法、この二つが合致して初めて道が開ける。
 なんとも難しい問題である。



「パチュリー様の見解で、他に可能性のある方法はありますか?」
「いくつかはね。吸血鬼以外にも、生物の寿命に関する文献は一通り読んでいたのだけど、可能とするのは幻想の中でも幻想と呼ばれる品物ばかり。私達が手にするには大きな対価を払わなければいけない。紅魔館にいる全員の命を差し出しても足りないくらいにね。蓬莱の薬のような品物は、本来ならありえないのだけど多分、あれが創られた歴史は凄惨だったはずよ。神懸かったアイテムが創られるときは、必ず大事の上に成り立っている。私の賢者の石も、造るのに相当苦労したんだから」
 自慢げに一瞬ウインクする。そして直後に、また腕を組みなおして悩む表情を見せる。

「他の手段はそれこそ外道と呼べるものがほとんどよ。高位の悪魔に延命を約束する代わりに一生仕えるとか、死なない呪いをかけて、その状態を保持するために大量の血肉を吸わせ続けるとか、そんなものばっかり。血縁である妹様の細胞を移植するとか、人形にでも魂を定着させるとかも一応考えてみたけどダメね。レミィが嫌がるわ。閻魔じゃないけど自然の摂理から外れたしまった分だけ、不自然な対価が必要となるから結局は共倒れなの。悲惨な運命を呼び寄せてしまうことになるわ」
「私はお嬢様にそうはなってほしくありません。私はそういう世界がどんなものか少しは知っているつもりです。アレは踏み行ってはならないものです」
 お嬢様と出会う前の世界。それは今では過去の遺物となってしまったけれど、思い出すだけで身の毛がよだつ感覚に襲われる。
 けっして踏み入ってはいけない、表の世界が平穏であるために血を撒き散らす裏の世界。
 神も仏も救いもない、闇の中に巣食うしか生きる道は残されない世界には、絶対に行かせてはならない。





「……咲夜、今度あなたの昔話を聞かせて。レミィや妹様だけじゃなくて貴女のことまで心配になっちゃうわ」
 パチュリー様が心底心配しているといった表情を見せる。
 今はお嬢様と妹様のことが率先して心配するべき所なのに、こんな私にまで気を使ってくれるなんて本当に素晴らしい方だ。
 私に慈愛の心情を注いでくれるパチュリー様は、まるで天使のように見えてしまう。
 こんなにも頼りがいがあって、おおらかな器の方に私は出会ったことがなかった。 

「……はい。いずれお話します」
 本当に、パチュリー様がいてくれて良かった。
 私一人だけでは何も出来ずに闇に呑まれるしかなかった所をこうして助けてもらっている。
 今までお嬢様以外は信用するに値しないと考えていたのに、そんなことはなかった。
 すぐ近くに心から信頼できる方がいることを感謝した。
 今までお嬢様だけが全てであった世界から、新しい道が開けてくるような感覚があった。


「約束よ。それでね、そういうわけだから今はちょっと手の打ちようがないのよ。縮まった寿命を元に戻すには規格外の糧が必要で、手に入れたとしても業が深くて扱いきれないものがほとんど。吸血鬼用の延命の魔法は今のところ存在しない。賢者の石は絶対量が足りない。外道な手段は論外」
 最善となり得る手段が存在しない。

「そして、何よりもレミィ自身の問題。咲夜の言っていた通り、本人に生きようとする意志がなければ外から何をしても無駄なのよ。そっちはまた別問題だけど、同時になんとかしないといけないわ」
 お嬢様の生きたいと願う意志。
 私を紅魔館に連れてきたのは、最初から後継者にするつもりであったということ。
 いざという時はフランドール様の時間を永遠に止めてほしいという覚悟。
 すべて自分が死ぬことを前提として決意したこと……
 


「……お嬢様の寿命を元に戻すのは諦めるしかないのですね」
 膝に置いた手に力が入り過ぎて、素肌に爪が食い込んだ。指先から紅い色が滲んでいる。
 涙が頬を伝わらずに掌にポタポタと落ちていく。
 止まっていたはずの体の震えが、不規則にどんどん大きくなっていくのを感じる。
 あまりにも酷いので自分で自分を抱きしめてしまう。


「……ねえ咲夜。あまり思い詰め過ぎてはダメよ。私も他に手がないか考えてみるから」
 パチュリー様が席を立って私の側まできてくれ、背中を擦りながらそういってくれた。
 その行動があまりにも嬉しくて、今まで堪えていた大粒の涙が一気に溢れてきてしまった。


「明日また考えましょう。美鈴や小悪魔も呼んでみんなで考えるの。だから諦めないで。ねっ?」
 やさしい声と背中を擦る手が、冷たくて悲しい絶望の世界に行こうとする私を癒してくれるようにあたたかく包んでいた。
 小さく縮こまった身体がガタガタと震えて、嗚咽しながら子供のように泣きじゃくる私を、パチュリー様はいつまでも側にいて背中を擦り続けてくれた。




 私はその夜、泣き止むことがなく涙が出なくなってからも、ずっと泣き続けた。




 母のような温もりをずっと側で感じながら……








>>>後編へ続く
吸血鬼と人間の本来辿るべき運命を反転させたストーリーです。
パチュリーさんがお母さんをしているのは不思議な感じですね。
フランちゃんの姿が見えませんが、後編でちゃんと出てくるので御心配なくお待ち下さい。
それでは、咲夜さんが泣き止む頃にまたお会いしましょう。
シラタキ
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コメント



0.920簡易評価
1.80名前が無い程度の能力削除
美鈴が紅魔館の一員だということを忘れないで下さい・・・。
面白かったです。
次期待します。
11.無評価名前が無い程度の能力削除
もっと短くまとめてくれ
19.90名前が無い程度の能力削除
これはなかなかいい作品だと思うよ。
ただ途中からめーりんが空気www