日が落ちて暗くなってきた頃、魔理沙がさっきから読んでいた本を閉じてひょいと座っていた壷の上から降りた。
「じゃあそろそろ帰るぜ」
「ああ、うん」
今日はその本に熱中していたのか、ずっと静かだった。
いつもこうだったら助かるのだが。
ついでに何か買ってくれればもっといい。
ほとんど毎日来ているんだから、場所代として何かしら支払って貰ってもいいくらいだ。
「そういえば言い忘れてたんだけどさ」
「うん?」
声に反応してそちらを見ると、魔理沙はまだ店の入り口に立っていた。
「何か私の偽者がいるらしいんだよ」
「偽者だって?」
「そう。偽者。まあ害は無いらしいんだけどさ」
「ふーん。妙な事をする奴もいるもんだな」
魔理沙のファンか何かなんだろうか。
確かそういう自分と同じ姿が現れる現象の呼び方があった気がするけれど、思い出せなかった。
「そいつに遭ったら調子に乗せてからかってやってくれよ」
「退治しろとは言わないんだね」
「香霖にはそういうの向いてないだろう?」
「確かに」
そういうのは霊夢や魔理沙の専門分野だ。僕は乱暴ごとは得意ではない。
「ま、そういう事でよろしく頼むぜ」
「意識はしておくよ」
魔理沙は去っていった。
「しまった」
その偽者の見分け方くらい聞いておくんだったなと思ったのは暫く経ってからだった。
まあ、害は無いとも言っていたしさほど気にすることもないのかもしれない。
僕はさほど深く考えずに店の品の手入れに没頭するのであった。
******
翌日、その偽者が現れた。
偽者だとすぐにわかったのは店に入ってきた時の言葉である。
見た目はそっくりでもそれだけで違うとわかった。
「霖之助ー、邪魔するぜー」
魔理沙は僕の事を香霖と呼ぶ。この店を構えるようになってからずっとそう呼ばれてきたから僕を名前で呼ぶなんて事はあり得ない。
少し警戒しつつ僕は偽魔理沙の応対をする事にした。
「やあ魔理沙。今日は早いね」
「ああ。香霖の顔が見たくて急いで来たんだ」
「うん?」
「どうした?」
「いやなんでもない」
もう香霖に戻っている。どういう事なんだろう。
「……」
さてどうしたものか。偽者か本物なのか、見極める必要がありそうだ。
「昨日、本を読んでいたけどあれは何の本だったんだい?」
まずは昨日の話を尋ねてみる。本物でなければ知りえない情報のはずだ。
「ん? ありゃあんまり面白くなかったからパチュリーに返しちまったぜ」
「返しただって?」
思わず聞き返してしまった。
「ああ。何かおかしいか?」
「いや……」
借りたものは返す。人としては正しい行動である。
しかし本物の魔理沙がそんな事をするだろうか?
僕はしないと思う。
「昨日夢中で読んでたように見えたからさ」
「本は開いてただけで、別の考え事をしてたんだよ」
「へえ、そうなのか」
頭の中で疑惑が広がっていく。もう少し攻めてみるか。
「そんな事よりさ、どっかに出かけないか?」
そう考えた矢先に偽魔理沙のほうから誘いをかけてきた。
「ふむ」
僕は考える仕草をする。
いつもの僕ならすぐに断るだろう。今は店の営業中なのだ。
しかしこの偽魔理沙の事を探るにはチャンスなのではないか。
「出かけるってどこにだい?」
「ま、適当に魔法の森をぶらつく程度でいいんだけど」
それだったら目と鼻の先である。
そして魔法の森は魔理沙のホームグラウンドだ。
あの森の茸の事で魔理沙の知らない事はないのではないかというくらいに。
「それくらいなら構わないよ」
僕は彼女の誘いに乗る事にした。
「香霖が誘いに乗るなんて珍しいな。雨が降りそうだぜ」
「自分で誘っておいてそんな言い方は無いな」
この辺りのやり取りは本物の魔理沙と話しているかのようであった。
「じゃあな、香霖。また明日」
「ああ、うん」
偽魔理沙と別れ、店へと足を進める。
結局日が暮れるまで偽魔理沙に付き合ってしまった。
「……」
一人になって考える。
森を歩きながら僕はそのへんに生えていた茸の事を聞いたのだが、普段の僕の薀蓄のような具合で偽魔理沙が詳しく語ってくれた。
問題なのはその話が果たして本当なのか僕に確認のしようが無かった事である。
これは完全に手落ちだった。偽者がそこまで深く語りだすとは思っていなかったからだ。
「いや、後で本物の魔理沙に同じ事を聞けばいいんだ」
それで辻褄が合わなければやはり偽魔理沙だったと判断できる。
しかし全く同じだったらどうしよう。
その時は別の判断をするしかないか。
「……他に違うところは無かったかな」
もっと、本物の魔理沙と明確な違いがあればわかりやすいのだが。
「ん」
ふと気付くと香霖堂の前である。
そして店の前には見知った姿が立っていた。
「咲夜。どうしたんだい?」
十六夜咲夜。紅魔館のメイド長である。
「どうしたもこうしたも。買い物に来たら店が閉まっていて困っていたところですわ」
「それはすまなかった。ちょっと急用があって。すぐに店を開けるよ」
「ええ、お願いします」
「今日の探し物は?」
「パチュリー様から頼まれているのですが、メモを見ればわかるかしら?」
紅魔館の魔女からの依頼ということは、マジックアイテムの類だろう。
目を通すとその通りだった。僕はマジックアイテムの作成にはちょっと自信がある。
パチュリーはそれを知って贔屓にしてくれている非常にありがたいお客なのだ。
「これならすぐに用意できるよ」
いつから待たせていたのかわからないが、急いだほうがいいだろう。
僕は早足で品物をかき集めた。
「これで全部だ。値段は……こんなものかな」
待たせていた負い目もあって、値段は少しおまけしておいた。
「助かりますわ」
お代を受け取って、商品を手渡す。
「それでは」
「ん。ああ、ちょっと待って欲しい」
僕はふと思いついて駆け足で帰ろうとする咲夜を呼び止めた。
「何か?」
「パチュリーは図書館に住んでいるんだったね」
「ええ。本と共にあるのが自分のあり方だと言って」
「それなら聞けばわかるかな。もしこういう書物があったら見せて欲しいんだけど……」
僕が咲夜に頼んだのは、自分と同じ姿のもう一人の自分がいる現象についての書物は無いかということである。
「ああ、ドッペルゲンガーね」
「ドッペルゲンガー?」
「そういう現象のことです。私も詳しくは知らないので、パチュリー様に聞いておきましょう」
「お願いするよ」
取りあえず現象の名前がわかったのは収穫である。
これから偽魔理沙の事はドッペル魔理沙とでも呼ぼうか。
長くなってしまったじゃないか。
とにかく、しばらくはドッペル魔理沙と魔理沙の区別をつけるのが面倒そうである。
******
「しんぶーん。新聞だよー。それとお荷物が届いてますよー」
「ありがとう」
翌朝、幻想郷最速の烏天狗が新聞と荷物を届けてくれた。
荷物の送り主はパチュリー・ノーレッジ。つまり昨日僕が頼んだ本だ。
「それでは今後ともご贔屓に!」
烏天狗の姿はあっという間に見えなくなってしまった。
「さてと」
取りあえず開店の準備が終わったら本を読んでみるとしよう。
「……」
パチュリーから届けられた何冊かの本は、実際にあった話というよりは、物語的なものであった。
つまりこれらの現象は実際には起こりえないということである。
が、それはあくまで外の世界の話だ。この幻想郷では何があったとて不思議ではない。
さて、そのドッペルゲンガーだが簡単に特徴をまとめるとこのような感じである。
ドッペルゲンガーは本人と同じ姿をしている。
ドッペルゲンガーを見た本人は、大概不幸な目に遭うという。
「こんなところか」
細部は色々違うが、共通しているのはこれだ。物語によって名前が同じでもドッペルゲンガーの扱い方は大きく異なっている。
例えばある物語ではドッペルゲンガーは本人にしか見えないものだし、言葉をしゃべる事もない。
ある物語では、最初はぼやけていたがだんだんと実体化してきて、最後には本人を乗っ取ろうとする。
そして大概最後には不幸な目に遭ってしまう。もちろん例外もある事にはあるのだが。
ドッペル魔理沙の場合はどうだったろうか。
容姿は本人とまるで同じだった。これは合っている。
だが他に関してはいまいち一致しないようだった。
僕と普通と話していたし、姿がぼやけていたという事もない。
「うーん」
「何考え込んでるんだ?」
「うわっ」
気付くと魔理沙が目の前に立っていた。
「私がいる事に気付かなかったのか?」
「いつからいたんだい?」
果たしてこの魔理沙は本物なんだろうか。この問題が解決しない限り僕は毎度それを考えなくてはいけなくなってしまう。
「ついさっきだよ。入ってきたら香霖が何か考え込んでたんだ」
「そうかい、いやちょっと一昨日の事を考えてたんだよ」
「一昨日? ああ、例の偽者の?」
この話を切り出すという事は、この魔理沙は本物なのか。
「昨日、その偽者に会った」
「そうなのか? よく偽者ってわかったな」
「大した違いは無かったんだけどね」
僕はドッペル魔理沙が一度だけ僕を霖之助と呼んだ事や、茸の知識の事、パチュリーにあっさり本を返した話などをした。
「それじゃまるで普段の私が借りたものを返さない奴みたいじゃないか」
魔理沙が反応したのは最後の話である。
「どの口がそれを言うのか知りたいな」
「この口だぜ」
いーと手で口を広げて見せる魔理沙。
「でもまあ、被害は無かったんだろ?」
「被害は無かったけど、この本を読んでいたらあんまりいい事が書いてなくてね」
ドッペルゲンガー現象が起こった当人は大抵不幸な目にあっているという事を説明する。
「今後魔理沙にどんな危害が起こるかわからない」
「そうなのか。でもわたしはその偽者にまだ遭った事が無いんだよな」
「……じゃあ何で偽者がいるって気付いたんだい?」
「私がしてもいない事に疑いをかけられたりしたからだよ。いつの間にか本が無いとか」
それは日ごろの行いが悪いせいだと思う。
「で、どうして私なんだって聞くと私の姿を見たからだって」
「なるほど。うん、魔理沙。君は被害が無い奴って言ってたけれど、君自身にとっては被害なんじゃないのかい?」
「何でだ?」
「やってもいないのに盗んだとか、評判が悪くなるじゃないか」
「私は断固やってないんだから、そんな事は気にしないぜ」
そういう姿勢はある意味尊敬したいが、そんな事だから普段の僕の説教も耳に届かないんだろう。
「僕としては魔理沙が二人いるなんていうのは面倒だから、早く解決して欲しいよ」
「私の目の前に出てきたら消し炭にしてやるんだけどな」
「店の中では勘弁してくれ」
しかしこの後も魔理沙と話している間は、ドッペル魔理沙は現れる様子は無かった。
「霖之助さん、このお煎餅美味しいわね」
「……そりゃあ本来上客に出すべきものだからね」
霊夢がやって来ていつも通り勝手に煎餅を食べていったりはしたけれど。
「それじゃあな、香霖」
「じゃあね、霖之助さん」
やがて日も暮れて、霊夢も魔理沙も帰っていった。
「……ふう」
一人になる。
まだパチュリーに借りた本は読みきっていない。
もう少し読み進めてみる事にしよう。
僕はひたすらにページをめくっていった。
「なあ香霖」
「……」
「香霖ってば」
「うん?」
顔を上げると帰ったはずの魔理沙の姿が。
「どうしたんだい、一体」
「忘れてた。欲しいものがあったんだよ」
「何をだい?」
「あれなんだけどさ」
魔理沙は天井の傍に飾ってあった品を指差した。
三匹の猿の置物である。
「あれを? どうして」
何年も前から店に置いてあったが魔理沙が興味を持った事なんか無かったはずだ。
「色々理由があるんだよ」
「まあ、構わないけど」
僕は置物に向かって手を伸ばした。
微妙に届かない。
はて、どうやってあそこに置いたんだったか。椅子にでも昇ったんだったかな。
「届かないのか?」
「ちょっとね。今椅子を持ってくるよ」
「そんな事しなくても私がいるじゃないか。ほら」
そう言って僕を指差し、その指先を下に向ける。
「ああ、なるほど」
僕はしゃがんで背中を魔理沙へ向けた。
「どうぞ」
「了解。よっと」
魔理沙が背中に飛び乗ってくる。両足が僕の耳元を通り過ぎて腹の辺りへ。
しっかりと魔理沙の足首を掴む。魔理沙も僕の肩をぐっと強く掴んだ。
「じゃあ立つよ。……それっ」
つまりこれは肩車だ。これならさっき届かなかった位置でも届く。
「よし、取れたぜ」
「そうか。気をつけてくれよ」
僕はゆっくりとかがみこんだ。
床に近くなったところで手を離し、頭を下に向ける。
魔理沙が前に軽く飛んだ。
「助かったぜ香霖」
こちらに向かってにこりと笑う。
「感謝の言葉もいいけど、代金をね」
「ほら、これでいいか?」
「……?」
魔理沙が僕の手に置いたのは、間違いなく硬貨である。
実は金額が全然足りないとかそんな事はどうでもいい。
あの魔理沙が代金を支払うだって?
「魔理沙、熱でもあるのかい?」
「何言ってるんだよ香霖。物を買うんだから当たり前だろ?」
「いや、それはそうなんだけど……」
いつもならと言いかけて頭の中にある予感がよぎった。
この魔理沙はドッペルゲンガーなのではないか?
「いつも助かる。じゃあな。愛してるぜ香霖」
「あ、ちょっと」
魔理沙はとっとと店の外まで走っていってしまった。
「……」
僕は頭を抱えてしまう。
もしかしたら、ドッペルゲンガーのほうが性格がまともなんじゃないだろうか。
どうしてこんな事に?
普通、ドッペルゲンガーは悪さをするものとして描かれている。
なのにドッペル魔理沙はその逆だ。
「……何か理由がありそうだ」
もう少し本を読み進めれば何か掴めそうな気がする。
「よし」
僕はその日、日が開けるまでずっと本を読み続けた。
******
「おーっす香霖」
今日も今日とて魔理沙がやってきた。
本を読み終えてはいたものの、僕の考えはまだまとまっていなかった。
これまでのドッペルゲンガー現象についての考察である。
何故このような事が起こったのか。
今日来た魔理沙が本物か偽者なのか、考えるのも面倒だ。
本を読み終えて得た新たな情報がある。
それはドッペルゲンガーの退治方法だ。
いくつかあるのだが、僕はそれを試してみようと思った。
そのひとつは、ドッペルゲンガーを罵倒する事である。
何故かはわからないが、罵倒される事によってドッペルゲンガーは消えるらしい。
本物なら本物で予行演習になるし、偽者ならそれで消えてくれるかもしれない。
少し心が痛むが仕方ない。事情を説明すればわかってくれるだろう。
「なあ魔理沙」
「何だ?」
「僕の話を聞いて欲しいんだ」
「なんだ、またいつもの薀蓄か」
魔理沙は笑いながら壷の上に腰掛けた。
「今日は何の話なんだよ」
「……」
僕は魔理沙の瞳を見つめ、極めて冷たく言い放った。
「今まで溜めてきたツケを全て支払って欲しいんだ」
「はぁ? なんだよ急に」
魔理沙はいかにもつまらないという顔をした。
「ずっと我慢してきたけれど、もう勘弁ならない」
「はいはい、何度聞いたかわからないセリフだな」
確かに僕は何度も魔理沙にツケの返済を催促した事がある。
しかし結局途中で諦めてしまうのだ。
だが今日は違う。徹底してやる。
「僕は君のそういうところが嫌いだ」
「え」
魔理沙の表情が少し強張った。
「人のものを勝手に盗む。その上悪びれもしない。最悪だよ」
「な、なんだよ香霖。ヘンだぞ」
さすがに普段と違う事に気付いたのか、慌てた様子の魔理沙。
けれど僕は容赦をしない。
「君は本当に最低だ。救いようの無い駄目な奴だよ」
「……香霖」
「君の父親に世話になった手前、我慢していたけれど、僕は」
だんと机を叩く。
びくりと魔理沙が震えた。
「ずっと君が嫌いだった」
「う……あ……」
目線の定まらない魔理沙。
口をぱくぱくと動かし、何か言おうとしているのだが言葉にはならないようだった。
「……」
やがて俯き、拳をぎゅっと握り締めている。
「言い訳は聞かない。早くお金を支払ってもらおう」
僕は魔理沙の肩を掴んだ。
びくりと魔理沙が震える。そしてようやく僕は異変に気付いた。
「……魔理沙?」
「ぐす……ひっく……」
あの魔理沙が、泣いていた。
「ごめ……ごめんな……さい……」
僕の顔を見て、ぼろぼろと大粒の涙を零しながら、謝罪の言葉を紡ぐ。
僕は後悔した。
なんという事を、してしまったんだろう。
「……そんな……香霖が……怒って……きら、嫌われてるだなんて……思ってなくて……ごめんなさい……ごめんなさい……」
泣きじゃくりながら魔理沙は壊れたようにごめんなさいを繰り返し続けた。
「魔理沙……」
僕は思わず魔理沙をぎゅっと強く抱きしめた。
「……香霖?」
「魔理沙、聞いてくれ」
顔を上げさせ、魔理沙に目線を合わせる。しかし魔理沙はすぐに俯いてしまった。
「……もうしません……だから……許して……嫌わないで……」
「今のは演技だったんだ。全く心にもない、嘘を言った。すまない」
「……?」
上目遣いで僕を不安げに見る瞳。まるで子供のようだった。
事実、僕の生きてきた年数から考えたら魔理沙は子供だろう。
僕は本当に大人気なかった。
「今のは、全部、嘘だ」
「……本当に?」
「ああ」
魔理沙の頬を伝う涙を拭い、撫でてやる。
「本当に本当?」
「嘘だよ。魔理沙を嫌いだなんて思った事は一度も無い」
僕が魔理沙の事を嫌いになるなんて、あるわけがない。
そりゃあツケを支払わない事に腹を立てたことはあるが。
魔理沙は幻想郷の異変を解決し、僕にとっての平穏な時間を守ってくれているのだ。
それを考えれば少しくらい僕のほうが我慢するべきだろう。
「……香霖」
長い長い間の後、魔理沙が僕のことを呼んだ。
「なんだい?」
「……香霖のバッカ野郎ーーーーーーーーーーー!」
次の瞬間思いっきり右ストレートでぶん殴られた。
「ぐふっ!」
地面にぶっ倒れる僕。
「な、な、なんだよ驚かせて! 一体どういうつもりだ!」
瞳と顔は真っ赤に染まっていたが、魔理沙はいつもの調子に戻っていた。
「い、いや、これはその、例のドッペルゲンガーを解決しようとだね」
僕はパチュリーに借りた本を魔理沙に見せた。
ドッペルゲンガーを罵倒することで消えるという物語だ。
「こんな不確かな情報で乙女のハートを傷つけるだなんてもっての他だ!」
「いや、本当に悪かったよ」
僕は深々と頭を下げた。
「……まあ、私も普段の行いが悪かったってのは認めるよ」
ばつが悪そうにつぶやく魔理沙の声が聞こえる。
「じゃあこれからは代金を支払ってくれるのかい?」
僕は顔を上げた。
「それはどうだかわからないけど」
「……まあ、善処してくれると嬉しい」
取りあえず魔理沙が調子を戻してくれて本当によかった。
「しかしドッペルゲンガー現象は早く解決させたいものだな」
「私も今のでそんな気分になってきたぜ」
「ああ」
偽者相手だとしてもまた魔理沙にあんな事を言うのは真っ平ごめんである。
「他の解決方法を考えようか」
「何かあるのか?」
「一応ね」
ドッペルゲンガーは自身が登場した経由を説明されると消えるという。
あくまでそういう話もある、というだけだが。
「だから原因を考えようと思うんだ」
「原因ねえ」
僕の話を聞いた魔理沙は腕組みをしながら机の上に腰掛けた。
「一応そうなんじゃないかってものはあるんだよ」
「へえ?」
魔理沙の隣にさっきとは別の本を置く。
この物語の内容が、今回の現象に少し似ていたのだ。
「この物語では、主人公が自分を取り巻く環境について深く不満を持っていた。そして考えるんだ。こんな環境になればという理想を」
物語が進むと主人公はある異変に気付く。
自分がした事もない事に、感謝をされるのだ。
「それがきっかけで主人公は新たな職や友人を得る」
それからも自分がしていないのに自分が何々をやっていたという話を聞く。
不思議に思うが主人公は自分のプラスになるのであれば、それでいいという気分になっていた。
「ところが時間が進むにつれておかしくなっていく。自分の知らないことのほうが多くなってしまうんだ」
自分は知らないのだから聞かれてもわからない。そんなことが大半を占めていく。
「ははあ、つまり本物がドッペルゲンガーに乗っ取られたわけだな」
「そういう事になるね。やがていたたまれなくなった主人公が去り際に初めて自分の姿を見る」
「理想の自分に追い出されるなんて嫌な話だぜ」
「そうだね。自分の理想なんだから、それは今の自分よりも優れているに決まっている」
この話は理想ばかり求めていないで、今の自分を改善しようという努力をしようという教訓を伝えたかったのだろう。
「今回の現象はそれなんじゃないかと思う」
「今回の?」
「ああ。僕は何度か偽者……ドッペル魔理沙に会って思ったんだけど。その魔理沙は普段の魔理沙とは違っていたんだ」
人に借りたものを返す。代金も支払う。
「それは魔理沙の願望が作り出したものじゃないかと思うんだよ」
「私が?」
「そう。魔理沙は口では言うだろう。そんな細かい事気にしてないぜと」
「ああ、言うな」
「しかし何度も言われればそれは心の奥底に浸透していく」
実際僕はしつこいくらい魔理沙に言っている。
昔の話で最近は諦めかけてはいたが。
さっき演技であるが僕が怒鳴りつけた時の反応を見ても、悪いという気持ちはどこかにあるようだった。
「ちょっと待てよ。じゃあ私がドッペル魔理沙を作り出したっていうのか?」
「ああ。深層心理がそれをさせたんじゃないかと思う」
もっと素直になりたい。
正しい自分になりたい。
「ドッペル魔理沙は猿の置物を買っていったんだ。見猿、聞か猿、言わ猿の置物を」
これは何を意味するのか。
今まで見ようとしなかった自分、聞こうとしなかった自分への言葉、言わなかった自分の言葉を置物に押し付けようとしたのではないか。
「しかし香霖。見た目同じなんだろ? よく私の偽者だなんてわかったな?」
「間違いないよ。ドッペル魔理沙は魔理沙とほとんど同じなんだけど全然魔理沙と違う事を言うんだ」
普段の魔理沙からは絶対聞かない言葉を。
「へえ、なんて?」
「つまり……」
ドッペル魔理沙は僕に言ったのだ。
愛してるぜ、香霖と。
「……ちょっと待ってくれ」
「何だよ?」
僕の仮説では、ドッペル魔理沙は普段心の奥底に秘めた理想の自分を投影したものである。
すると何か。
魔理沙が僕を?
「いやいやいやいやいや」
仮説が間違っていたのかもしれない。
「そうだ、僕が作り出したのかもしれないな」
「何をだよ」
「だから、ドッペル魔理沙を……」
普段の魔理沙の素行があまりにも悪いから、こうあって欲しいという魔理沙を。
「いやいやいやいやいやいやいやいや」
それもおかしい。
それだと僕が魔理沙の事を……?
「ちょっと考えを整理させて欲しい」
「何なんだよさっきから一人で」
「いや……」
考えた事もなかった。
魔理沙が僕を?
僕が魔理沙の事を?
ドッペル魔理沙の行動を思い出す。
まず霖之助と一度だけ呼んだ。
仮に恋人同士ともなれば名前で呼び合う関係も大いにありうる。
僕が早いねと聞くと彼女は答えた。
香霖の顔が見たくて急いで来たんだと。
僕に早く会いたかったということだ。
その後出かけようと誘われた。
恋人同士で外出。つまりデートだ。
別の日は欲しいものがあると言ってわざわざ高い場所にあるものを指定した。
さらに、僕に肩車を指示したのも彼女だ。
何の疑問も抱かなかったが、僕に密着したかったのではとも考えられる。
そしてトドメに最後の言葉。
愛してるぜ、香霖。
さらに本物の魔理沙のさっきの反応。
僕が怒鳴りつけて泣いてしまった魔理沙の言葉。
嫌わないで。
魔理沙は僕に好きでいて欲しいのだ。
「……」
「おーい、どうした香霖。ぶっ壊れたか」
「あ、ああ、うん」
気付くと魔理沙が僕の顔を覗き込んでいた。
慌てて距離を取る僕。
「なんだよ、今日の香霖は変だぜ」
「いや、そのなんていうか、だな」
意識するという事は恐ろしい。
普段、全く気にも留めていなかったものの重みが急に変わってしまうのだから。
「……こほん」
一度考えを消去しよう。
物語の話なんか当てにならないだろう。
これはそう、もっと例外的な話に違いない。
その為には確信を得る必要がある。
「あー、なんだ。魔理沙。凄く変な事を聞くんだけど」
「何だよ?」
「僕の事、好きかい?」
「……はぁ?」
魔理沙はあっけに取られた顔をしていた。
そりゃあそうだ。話に脈絡がなさ過ぎる。
「まあそりゃ好きだよ。じゃなきゃこんな遊びに来ないって」
その好きではなく、もっと深くだ。
「そうじゃなくて、愛してるかって事なんだけど」
言い終えて気付いた。
何を口走ってるんだろう僕は。
「……」
魔理沙は絶句していた。
僕のあまりに突拍子も無い言葉にあきれ返っているんだろうか。
「……それは本気で聞いているんだな?」
口を開いた魔理沙は顔を真っ赤にしていた。
「魔理沙……?」
いつもとは違う。
そして僕は気付いた。
この表情はドッペル魔理沙がしていた表情だ。
言葉にするなら、こうだろう。
恋する乙女の表情―――
「ああ、いや、その、魔理沙。今のは冗談。冗談」
二度目のストレートが僕の顔面に直撃していた。
「全くふざけてるぜ」
「ごめんごめん」
僕はこうすればドッペルゲンガーが消えるんだよという事を説明した。
……間違ってはいないはずである。原因があってさえすれば。
「まあ朴念仁の香霖があんな事聞いてくるはずないと思ったけどさ」
「僕だってやる時はやるつもりだよ」
「どうだか」
ぺしぺしと頭を叩かれる。
僕はため息をついた。
さっきので確信してしまったのだ。
僕の気持ちと、彼女の気持ちを。
僕はドッペル魔理沙に違和感しか感じなかった。
共にいて心地よいと思うのは、今の魔理沙だ。
「言う時は、僕のほうから言うさ」
「へえ。なんて?」
「そりゃあ」
きっと魔理沙の目を見て言う。
「今のままの魔理沙を愛しているよ」
「なっ……」
かぁっと魔理沙の顔が真っ赤に染まる。
「まあ冗談だけど」
「てめ」
またストレートが飛んできそうなので僕は急いで言葉を続けた。
「もっとちゃんとした状態で、言わせて貰うさ」
「……今度こそ本気にしちまうぞ?」
「これは流石に嘘でも冗談でもないよ」
いい加減認めるべきだろう。
僕も魔理沙に嫌われたら悲しい。
そして大切に思っている。
僕を好きであって欲しい。
けれどこの気持ちをもう少し整理する時間が欲しかった。
そしてもっと最高のシチュエーションで伝えたい。
男はいつだって格好をつけたいものなのである。
「そっか」
魔理沙はひょいと机から飛び降りた。
「それじゃ、いつまでも期待してるぜ」
そう言ってにこりと笑う。
「まあ、頑張るよ」
何をどう頑張るのかはよくわからないけれど。
******
それからドッペルゲンガー現象はぱたりと止んだ。
僕のやった対処法がよかったのかもしれない。
あるいは魔理沙が自分自身に満足したのかもしれない。
いずれかはわからないけれど、僕と魔理沙に少し変化があった事は事実だ。
「おーっす香霖」
今日も今日とて魔理沙は香霖堂へやってくる。
「何だ魔理沙か」
「何だとは失礼だな」
魔理沙は僕の前まで駆け足気味にやってきて、ひょいと僕の膝の上に腰掛けた。
「どうせ今日も暇だろうから香霖のつまらない話を聞きにきたんだ」
「そりゃあどうも」
今にして思えば、あの現象はドッペルゲンガーに近いが全く別のものだったのではないかと思う。
結局僕も魔理沙も不幸にはなっていないし、物語との食い違いもかなり多かった。
するとどうしてあの現象が起こったのかというと、彼女の使う魔法がそれを示している。
霧雨魔理沙。
使う魔法は星や光、そして恋。
そう、彼女は恋を求めていたのだ。
「じゃあ、何を話そうか……」
僕は魔理沙に色々な事を話し始めた。
「お邪魔するわねー」
やがてもう一人の常連霊夢がやってくる。
「あら、魔理沙も来てたの」
「おう。来てたぜ」
魔理沙が霊夢に向けて軽く手を振った。
「そうしてると親子みたいね、二人とも」
僕らの状態を見てそんな事を言う。
確かに魔理沙は小さいほうだしそう見えてもおかしくはない。
「失礼だな」
魔理沙は頬を膨らませていた。
「そうだね。言うなら恋人同士だくらい言って欲しいもんだ」
「はぁ?」
何を言っているんだこいつという顔の霊夢。
「へへへ」
魔理沙は大変満足そうだった。
「まあ、軽い冗談だよ……うぐっ」
魔理沙の握り拳が顎に軽く当たる。
「……変なの」
霊夢はいぶかしげな顔をしていた。
勘の鋭い彼女の事だから、そのうち気付かれるかもしれない。
「気にしたら負けだぜ」
気付かれる前に早くその品を探さないといけないようだ。
「さて、仕事をしようかな」
魔理沙を膝から下ろしてそれを探す事にする。
何せ小さい上にどこに仕舞ったのか忘れたので大変だ。
箪笥を開き、棚を漁り、それでもまだまだ探す。
「こないだから何か探してるよな、香霖」
「適当なところに物を置くからでしょ」
「なんなら手伝うか?」
「ありがたいけど大丈夫だよ」
奥の棚をひっくり返し、ようやく僕はそれを見つけ出した。
「さて、どうしたものだかな」
あとはカッコよくそれを渡すだけである。
僕のことだから、あまり上手くは出来ないかもしれないけれど。
彼女に渡した時の事を想像すると、なんともいえない笑みがこぼれた。
「ほんとだらしないよな香霖は」
散らかった周囲を見ながら魔理沙がそんな事を言った。
魔理沙も片づけが下手という点では同じだと思うのだが。
「私がついてやってやらないと、心配で仕方が無いぜ」
「そうかもしれないね」
きっとお互いに同じ事を考えているだろう。
僕も魔理沙と一緒にいてやらないと心配で仕方が無い。
「へへへ」
「ははは」
後は準備を整えるだけだ。
僕は気付かれないように見つけたそれを懐へと仕舞った。
告白と同時に彼女に渡すつもりの光り輝く指輪を。
魔理沙を罵倒するところで不覚にもみょふんときてしまった。
泣いてる魔理沙マジかわいい。
ご馳走様です。
霖之助に怒られた時、霖之助に冷たくされた時とか。
泣き魔理沙はジャスティスですね
でも確かに「屑」はちょっと酷いような
魔理沙が本物の可能性もあったのなら尚更
気づいていなかったとはいえ深層意識でまりさのことを好きだと思ってるのならそんな言葉は口から出ないはずじゃないか?
魔理沙が好き過ぎて一気に書き上げてしまいました
頭を撫でてあげたい。
>罵倒のところ
これくらいじゃないと魔理沙は泣かないかなあと思ったのですが
確かにその後の展開からするとやりすぎ感もありましたね。
ちょいと修正しました。
わかるよ、うん
ありがとうございました。
そんなことはなかったぜ
もうね、魔理霖派のオレ暴走モノだよwww
香霖が相手だと魔理沙のかわいさが際立つね
抑えようとしても無理だったよ!
悶えた。