◇
無縁塚。
外の世界の人間の死体――無縁仏が広がる土地。
僕はいつもどおりその無縁仏を埋葬し、彼らからその報酬をもらっていた。
それは外の世界の道具。
それは僕らが平然と使っているものから、幻想郷の人間にはわかりえない不思議な形をしたものも多数存在する。
事実コンピュータという式神といいプリズムといい、僕には想像もできない造形だった。
そして今日も僕は予想もしなかった造形・・・いや予想もしなかったものを拾うことになった。このことを僕はこの日記に記そうと思う。
それは今までではあり得なかった、いや理論上あり得なかったもの。
それは・・・人だった。
◆
僕は変だ。
そのことに気付いたのはいつだったか?
自分と同じくらいの子供が走り回って遊んでいるとき、僕は壷に笑いかけていた。
ゲームをやっている子供を見たとき、僕の手には古く黄ばんだ本があった。
気がつけば変だった。
でもただそれだけだった。
「ありがとうございました~」
パン屋の店員に頭を下げられて店を出た。
手にはパンの耳(砂糖とゴマまぶし揚げ)2袋220円なり。
ひとつ咥えながら我が家に向かう。
「さて・・・どうしようかな」
綺麗な秋晴れの夕暮れだった。何か無性に考えさせるような。
リュックを背負いなおして財布を開く。
1250円。
これが僕の全財産だった。それ以外は全くない。
「仕事を探さないと・・・」
夕暮れの中決して大きくない商店街を抜けて大きな公園にたどり着く。
夕飯時だからかもう子供はほとんどおらず公園は閑散としていた。
これでカラスでも鳴いていれば泣いて帰りたくもなるところだったけど。
「まぁ帰るって行ってもここだからなぁ」
は公園の端に腰掛けた。
子供用の球体ジャングルジム。滑り台。ブランコの柵。
これが僕の『家』だった。
まぁいわばホームレスだ。正直自分でも言いたくないけど。
まぁ至極わかりやすい理由で僕はホームレスになった。
現在ホームレス生活は1週間目。まだまだ序の口(?)だ。
ブランコの柵に腰掛けながらパンの耳を齧る。
そしてもう何度目だろうか、何でこうなったのかを考え直してみた。
結論から言えば身寄りがなくなったのが理由だ。
自分の記憶が曖昧なうちに両親は亡くなったらしい。
事故だと聞いたが一時期の噂では僕を捨てたのではないかとも聞いた。
なんせ墓参りを一度もしなかったからだ。幼い自分はよく質問していたという。
僕は父方の(とはいっても不明だが)祖父に引き取られた。
祖父は妻を病気で亡くして一人身だった。僕を引き取ったのはそれが理由だろう。
骨董品店を経営していた祖父は僕に店の手伝いをさせた。
今にして思えば祖父は跡継ぎのために僕を引き取ったのかもしれない。
まぁ幼かった僕にとってそんなことはどうでもよかった。
ただ単純に楽しかったから。祖父との時間がたまらなく好きだったから。
僕にとってはそれだけで十分だった。
そのまま小学を卒業し中学に入ったのはよかったけども。
入ってすぐ、そろそろ梅雨時かという時に。
祖父が倒れた。
老衰と言えば終わりだが(病名はよくわからなかった)長くは持たないと言われた。
すると祖父は入院を選ばず家に戻ることにした。祖父はその時死に場所を選んだ。
僕は実質骨董品店を経営することになり学校を辞めた。
正直友達もほとんどいなかったため名残惜しくはなかった。
むしろ店を手伝い続けられることに歓喜すらしていた。
その祖父も数ヶ月前に亡くなり今に至る。
骨董品店は常に閑古鳥が鳴いている状態だったため親族に引き取られた。
何になるかはわからないがあの骨董品店のままのはずがないと思う。
ある程度大人になっていた僕に身寄りは無く、祖父の親族に僕を知る人はいなかった。
アルバイト、くらいの認識だったそうだ。祖父自体も他人との関係が薄かった。
まぁそんなこんなでこの公園に居座っている。
「もう1袋は明日食べるかな」
◇
冒頭より数時間前。
僕はいつも通りの日課として無縁塚に向かっていた。
埋葬のために向かうようになってどれくらい経つだろうかとおぼろげに考えながら森の中を歩く。まぁ慣習というのはいつから始めたということはあまり意味を成さないわけだけど。問題はそれを続けることができるかによる。
どんなに長く続けていても数日それをやめてしまえばその効力は水泡と化す。
必ずしもそうとは言えないがそれはその者に大きな影響をもたらすだろう。
まぁとりあえず一度思索を中断し、今はこれについて考えよう。
これは前回無縁塚に行ったときに見つけたものだ。
薄く、平べったい。手のひらより少し大きくて四角い。
金属ほどではないがとても硬く大きさは4寸ほど。真ん中に円形の円盤のようなものが埋め込んであった。
名前は「フロッピー」というらしいが・・・。これの用途もまたわかりづらい。
「物を記録する」というのが用途らしいのだがどうみても書き込む場所は無い。
だからと言って何かとくっつくわけでもなかった。一度あの「コンピュータ」とかという式神に入れられないか試してみたが入りそうな穴のサイズが合わなかった。
中に何かがあるのではと言って魔理沙が無理やりこじ開けようとしたときは肝を冷やしたが壊れたわけではないようだ。まぁわからないけども。
霊夢は円盤に空いた穴に何かを挿すのではと言っていたがあいにくそのようなものはなかった。
そう考えると外の世界の物は1つでは何もできないものが多い気がする。
このフロッピーにしろコンピュータにしろ用途はわかってもそれを動かすことに決定的な何かが足りないのである。それは必要不可欠な何かなのだろうがそれは残念なことにこちらの世界には流れ着いてはいない。
これを考えると外の世界は物に人間関係を反映することを始めたのかも知れない。
筆には墨が必要なように、物になければならない何かを作ることによって作り出した物に夫婦や相方のような密接な関係を表したのかも知れない。
そしてまだ見ぬ必要なそれはきっと一部の生き物のオスメスのように割合が違うのだろう。だから必要なものが足りないものが流れてくる。
つまりこのフロッピーはいわば生存競争に負けたものなのだろう。それながら納得がいくというものだ。
そうこう考えているうちに僕の目の前に無縁塚が見えてきた。
広がる平野に点々と死体が転がっている。
正直これは何度見ても慣れるものではないがこれを埋葬するのが僕の役目だ。
「これは・・・鋏か。妙な突起がついているが何に使うんだ?」
『万能鋏』という鋏を袋に入れる。どこが万能なのだろうか?この突起は邪魔だろうに。
数刻たったろうか。ある程度を埋葬し終えたところで額の汗をぬぐうと、奥に影が見えた。そろそろ日が暮れて妖怪が活発化するため本来なら帰るところだったが僕は無意識にその影に近づいていった。それは無縁塚の奥の奥。
博麗大結界のすぐそばだった。
その影はどう見ても人だったが他の死体とは明らかに違うところがあった。
まず綺麗であること。基本こちらに来た人間は白骨化していたり腐っていたり、生きていても妖怪に襲われてボロボロで死んでいる。だがその影の服は襲われた様子もなく綺麗なままだ。
次に結界にあまりに近すぎること。博麗大結界のそばというのは外と幻想郷の間、つまり博麗神社と同じ状況にある。こちらの世界に流れて来たというのにその間にい続けるということは普通はあり得ないことだ。
そして最大の違い。
生きていた。呼吸をしているのがわかる。
「・・・・ん?」
もぞもぞとその人間は動くと周りを見渡して
「ここはどこです?ドッキリとかじゃなさそうですけど・・・」
僕の方を向き質問を投げかけてきた。
ドッキリ、という言葉のこのときの意味はわからなかったがとりあえず僕は彼の質問に答えることにする。
「ここは幻想郷の無縁塚の一番奥。博麗大結界の目の前だよ」
わざとわかりづらく説明をしてみる。
「幻想郷・・・?えっとここは○○町じゃないんですか?」
彼はキョトンとした顔で聞き返してきた。
この答えで僕は確信した。
つまりこれはあの守矢神社の現人神のような。
生きた人間の世界移動だった。
この後どう話が進むのかが非常に楽しみです。
個人的に幻想入りって言う設定が大好きなので面白く読めました。
中学校は義務教育です。
>骨董品店は常に閑古鳥が鳴いている状態だったため親族に引き取られた。
主人公の祖父は余命いくばくも無いことを自覚していながら遺書で遺産の受け取り手として主人公を指定していなかったのですか。
仮に無かったとしても(孫である主人公の存在すら知らなかったのというので近縁ではないと思われる)遠い親族より孫である主人公に遺産がわたるはずです。
仮に親族によって不法に遺産を奪われたとしても何故児童養護施設ではなく、ホームレスになっているのでしょうか。
読者に主人公が不幸であること、孤独であること、かわいそうな同情されるべき存在であると思わせるために無理をやっているように感じました。
しかし※12が言うようなことや
>>それは今までではあり得なかった、いや理論上あり得なかったもの。
結界を生きてる人間が通ることができないと思わせるような文。
こーりんがわざとわかりにくく言った理由など
納得できないところが多々あったのが残念
読者の視点を考えてそういう所の理由を自然な流れで書いてほしい
結界の外に送り返して貰う人もいれば、そのまま幻想郷に住む人もいる。あと、人里にたどり着く前に妖怪に食われる奴も。
設定をちゃんと調べてから書きましょう。
まぁ、※16の言うとおり、紛れ込む外来人は珍しいとは言え、ある程度はいるそうですが。
ただ、1つ言えることは幻想郷(ZUN氏)は全て(の二次設定)を受け入れます。願わくば、それが残酷な結果にならないことを祈るばかりです。
ではなく
親などが教育を受けたい子供に教育を受けさせなければいけない義務のことです
子供ではなく親の義務
つまり子供が嫌と言ったらいく必要はない