Coolier - 新生・東方創想話

夕闇通りの幻想郷

2004/12/27 06:02:15
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・注 このSSは、PSゲーム『夕闇通り探検隊』とのクロスオーバーです。
そして、猛烈なネタバレを含んでいます。
これからこのゲームをしようと考えている方、もしくはゲーム中である方は決して読まないでください。
面白さが確実に半減します。
人生にとっての損失です。引き返しましょう。


…………えーと、でも、知らない人には、普通にオリキャラ登場のSSとしても読めます、たぶん。













++++++++++++++++++++++++++++++



とぼとぼと、歩いていた。
行く当てはなく、目的地もまたない。
思考はまっさらで、歩行という動作以外に脳みそをまるで使っていない状態。
一種、無我の境地だ。
『考えないということすら考えない』、赤子にすら似た意識の空白。
まあ、霊夢にとってはこれが常態だ。
小難しいことを考えるよりも、このような茫漠とした感覚こそが巫女たる博麗霊夢にふさわしい。
とはいえ、今だけはそれを完全には成し得なかった。

「――――」

今朝方、赤い吸血姫が尋ねてきた。
日傘を差し、悪戯っぽい笑みと共に。
いつものようにお茶を一緒に飲み、のんべんだらりと過ごしていた。
「貴女の血でこの神社を染め上げれば、さぞ綺麗なんでしょうね。紅葉の赤とも相まって、きっと見たことも無い美しさになるわ……」などと、『こちらを怖がらせようとする台詞』を言うのもいつものことだ。
牙を覗かせながら微笑み、うっとりと幻視する吸血姫こそ、神社の軒先にふさわしくないほど禍々しい。
霊夢が毛先ほどでも怖がれば、その瞬間に雰囲気と目の色を豹変させ、抵抗する暇もなく吸血してくるのは分かっているので、「そんなの、掃除が大変だから止めてよね」とだけ言ってその話題を打ち切る。
この辺もいつものことだった。
違ったのは次からだ。

「もう、霊夢って冷たいんじゃない?」
「私は私よ。冷たいも熱いもないわ」
「それよそれ」
「ん?」

茶をすする手を止め横を見ると、不満顔のレミリアが人差し指を突きつけていた。

「どんなことも関係無いっていうその態度、それが冷たいって言うのよ」
「んー」

首を傾げる。あまり自覚のないことだった。
あるがまま、すべては自然に流れるがまま、それこそが霊夢の生き様だ。
冷たいも熱いも関係無い。
何をどう言おうとも、あるべきものをそのまま受け入れてるだけにすぎない。

「えーと、そうなのかしら?」
「知らないわよ、自分のことでしょうが」
「いや、まあ、そうなんだけど」

自分がどういう人間であるかなど、自分で把握するのは中々むずかしい。

「あ、それじゃあ、こんなのどうかしら?」

面白そうな輝きを目に浮かべていた。

「もし、私が殺されたら?」
「え?」
「だから、私が誰かに、何かの理由で殺されちゃったりしたら、霊夢は一体どうするの?」
「…………」

また妙なことを言う、と思った。
あんたが死ぬわけがないでしょうに、とも思った。
だが、一応、博麗霊夢は考えた。
この馴染みとなった茶飲み友達が誰かに殺されたらどうするのか、その時、その場に居合わせた状況を考える。
一番ありえそうな状況――――仮に吸血妹が、あの破壊を司るフランドール・スカーレットが、力の加減を誤ってレミリアを殺害した場合はどうなるだろうか。
瞳を閉じ、想定してみる。


……いちめんの闇。
……真っ黒な床と柱。
そこにころがる死骸。
もの言わぬむくろ。
流れ流れて消え去る血潮。
赤が毒々しく目に突き刺さる。
手足はバラバラに、在り得ぬ場所で在り得ぬ方向にある。
頭部は絶望を訴え、無造作に転がる。
夜の明主たる力により、肉片は不器用に脈打ち復活を望むが、端から灰となって空へとほどける。
レミリアの口からは音にならない苦痛が漏れている。しかし、5世紀を越える呪いは容赦なく破壊されており、もはや復元されることもない。
切断された痙攣する手足、血溜り、消滅する躰。
不可逆的な死が吸血姫を襲い、助けは如何なる方法を以っても成し得ない。
中央には致命的な過ちを犯した吸血妹が、意思と感情を極限まで凍りつかせ、震えながら立ち尽くしてる。
死と苦痛に満ち満ちたその光景を前に――


「なにもしないわ」

霊夢は言った。
可能な限り現実味のある想像をした上で言い切った。

「―――え……」

レミリアは虚をつかれたのか、それだけを言った。

「うん、私はなにもしない。もし、そうであったとしても、何の行動も起こさないわね」
「…………本気で、言ってる?」
「もちろんよ」

感情に聡い吸血姫は、霊夢の言葉に何ひとつ嘘が混じっていないことを把握した。
つまり、霊夢は本気で「レミリア・スカーレットが殺されても私は何もしない」と言っていた。

「…………」
「――――」

冷たい空漠が満ちる。
天使が通ったとでもいうような、思考の真空が出現する。
一転、殺意にも似た赤い目が霊夢を殴打した。
凄絶なまでの鬼気が吸血姫をいろどる。
かけねなしで本気の、怒りだった。
すうっと、肌にも分かる速度で温度が下がった。
レミリアの口の端は震えていた。

10秒か、1分か、それとも1時間か、ともかく心理的に長い時間の後、レミリアは立ち上がった。
霊夢を見おろし、ふいに興味を失ったように外へと歩いた。

「帰るの?」

いつものように尋ねる。

「…………」

その横顔は、もはや他人のものだった。
茶飲み友達はそこになく、吸血鬼の無機質さだけがそこにある。
レミリア・スカーレットは、他人の顔のまま、一言も言葉を発さず神社を後にした。



+++



「ふう」

重いため息を吐く。
まあ、誤解したんだろうなあ、とは思う。
だが反省はしてない、あの言葉もまた霊夢の本心であることには違いなかったからだ。
嘘は、その必要が無い限りつくようなものではない。レミリアは茶飲み友達とはいえ『友達』だ。霊夢自身の本質に関わるところで嘘は言いたくなかった。
けれど、心は重い。
誤解を解くのに上手い言葉が見つからない、というのもあるが、『レミリアを傷つけてしまった』ということが、予想以上に堪えているのだ。
甘いなあ、とは霊夢自身思う。
『レミリアが霊夢を気に入ってる』という事とは別に、『レミリアが隙あらば霊夢を殺そうとしてる』という事も、実は事実なのだった。
あの吸血姫にとって、二つは矛盾することではないらしい。
「復活させるから殺させて?」と本気で言われたことさえある。
「私、頑張って吸血するわ」などと両手を握りしめて断言されても、こちらとしては困るとしか言えない。
――そんな『霊夢自身を殺そうとしてる人物』に対して『酷い言葉を言ってしまった』と反省してる矛盾。甘さの捨てきれない、博麗霊夢らしい欠点であり美点であった。

「……お?」

立ち止まる。
気がつくと人の気配がすぐ傍らにあった。
ネクタイを締めたサラリーマンが忙しげに歩き去ってゆくのが見える。
おお、珍しい服装だ。などと思ったのは著しい勘違いであった。
サラリーマンは1人や2人などというケチな数ではなく、数えるのも馬鹿馬鹿しくなる程ひしめいていた。
コンクリートで固められた地面は生き物の気配がまるでせず、街路樹はお行儀良く立ち並び、車は排気ガスを生産しながら速力を得る。
看板が色あせながら固定され、道行く人は脇目も振らずに目的の場所へと歩くこの光景。

「あっちゃあ、いつの間にか『外』に出てきちゃったか」

そう、何もかも幻想郷にはありえないものだった。
道理で息苦しい筈だわ、と呟く。
霊夢の『フリルつき赤白服』、または『自称・巫女服』は周囲から激しく浮いていた。
ましてや、今いるのは田舎とすら言える地方都市、その駅前である。『コスプレ』という単語すら知らない人たちからの視線は、胡散臭い犯罪者を見るそれに近かった。

「あー、まいったな、これは」

霊夢は一顧だにしない。
ジロジロ見られるが気にしない。
自分は巫女である。厳然たるその事実がある以上、他人からどう見られようとも気にする必要がないのだ。
『好きな格好をして何が悪いか』ってなもんである。
いつものような自然体、肩の力が抜けまくった状態で立ち尽くす。
片手で、祓い串をブンブンと振り回してた。

「うーん……」

――まあ、とは言っても、ここで立ちつくしているわけにもいかない。
それでは事態は好転しない。
とにかく、移動することにした。
何となく「こちらの方が良さそうかな」という方向へ、疑いなく歩き出す。
いままでこれで事態が改善しなかった事は無い。信頼度99%の方法だった。
太陽が赤色を増し、夕闇が近づこうとする中、霊夢は鼻歌を歌いながら呑気に歩いた。
『帰れないのではないのか』『これからどうしようか』といった不安は彼女の中に存在しない。
いままでだって何とかなったのだ。
バケモノの棲む屋敷や脳天気な幽霊がたむろする庭や兎まみれの月家屋に比べれば、これぐらいどうって事は無い。
こう見えても盗みのテクニックはなかなかだし、後は雨風がしのげれば何とかなる。危険だと思えば飛んで逃げればいい。
モラルと法律を無視できれば、生きることに不自由はないものだ。
流動する霊気を心地好く感じながら気楽に歩く。
夕日が沈むのと、同じ速度で歩行した。

「んん……?」

脳天気に道行く途中、駅と駐輪場をしばらく過ぎた地点で、唐突に『異常なほど薄暗いガードレール下』が、その口蓋をぱっくりと開け現れた。
闇そのものが凝固しているかのような『黒』。
洞窟と同質の、陰湿で、底の知れない暗さだった。

「こりゃ、なかなかのものね」

少しばかり感心する。
滅多に無いほどの『ヨドミ』だった。
上を見ると、電車が喧しくがなり立てながら疾走してた。
断続的に鉄輪と鉄道の咀み合わさる音がする。
闇の気配がする中での疾走は、どこか異質な気配を鉄の塊に与えていた。

「ふーん、あれが『道』をつくってココに雑多な念を落としてるのね。ああ、また雑霊が棲みやすそうな作りね、これは」

霊夢は呆れた。
狙って作ったのではと思えるほど、このガード下は雑霊を集めやすい。
チリも積もれば山となり、そこに意味と構造を獲得する。
ここまでの規模では、霊感がない人間にさえ害が出るだろう。

「うっしゃ、いっちょ祓いますか」

巫女としての使命感に駆られ、霊夢は袖をまくりつつ除霊を行おうとした。
いつもの弾幕合戦ではなく、巫女として『鎮め』を行うのは相当に久しぶりだった。
危うくやり方すらも忘れてしまう程だ。
定期的に復習していなければ、いまごろ忘却の彼方であったことだろう。
なにせ幻想郷の面々で大人しく祓われてくれるようなモノはなく、結局は力押しが常だったのだ。
つまり、いままで『一般的な御祓い方法』は不要だったのである。
巫女なのに火力・弾丸で悪霊を殲滅する実力武闘派――ちょっとばかり自己の役職に疑問を覚えているところだったのだ。

少しウキウキしながら符と清めの塩、針を取り出し、博麗に伝わる数々の除霊方法を思い出そうとする。
あれがいいかな、これがいいかなと考えるが――――
――みるみる彼女の顔は険しくなった。

(め、めんどくさい)

いつものやり方に比べ、あまりに迂遠で退屈だった。
この程度のヨドミを相手に、何が悲しくてえっちらおっちら清めの儀式を行わなければならないのか。
霊力に任せて吹き飛ばすのに比べ、効果も低いし手間もかかる。

(やっぱやめた)

即断した。
なぜだか敗北感を覚えながらも、腰を降ろし手を上げ力を込める。
一撃で一切合財を吹き飛ばそうと、符に霊力を込めた。

「あー、だめー!」
「お?」

だが、突如、目の前に女の子が『出現』した。
手の先、ほんの数メートル先に立ちふさがる。
一見、普通の女の子である。
季節はずれの麦わら帽子を押さえ、全身を使って叫んでいた。

「あのね、ここはね、だめなのね!」

少女は手足を大きく振り回し、困るしダメだと繰り返している。
霊夢は少しばかり呆気に取られたが、ともあれ巫女として質問すべきことを質問した。

「…………あー、でも、これって祓わないとヤバイんじゃないの? ちょっと尋常じゃない瘴気よ」
「それでも、ダメなのよ。クルミがそうしてるんだもン」
「あんたがそうしてる? どうゆうこと?」
「あー、えーと…………」

目の前の季節はずれ少女は、半袖のまま何やら悩んでいたが、ぽん、と手を叩くと唐突に叫んだ。

「アリジゴクっ!」
「は?」
「アリジゴクはね、出口がないからアリジゴクなのよ」
「……まあ、そうね」
「だからクルミはね、アリジゴクに出口をつくってカンツーさせたのよ」
「…………」

――それ、なんやねん。
霊夢は思わず心中ツッコンだ。
目の前の美少女は、えっへんとばかりに胸を張り、その後、えへへ~、と自分で照れていた。
美少女、そう、その少女は見た目だけで言えば美少女だった。
黒い長髪は癖もなく艶やかで白磁の肌と対照をなし、文句のつけ所もない。
ただ、その行動や表情は、幼いとしか言い様が無かった。
中学生程度の容姿に5歳児の精神が入っているような奇妙な違和感。
外見の良さを台無しにするほど行動が子どもっぽい。

「――つまり、霊的に一方通行だったここに風穴を開けて、自然に浄化できるようにしたってこと?」

しばらくの思考の後、霊夢は言った。
パッと見には霊気の吹き溜まりのようになっている場所だが、『霊気が流動するように』作り直したのだろうと考えたのだ。
たしかに、その方が霊夢の『一切合財吹き飛ばす』という一時的な対処より効果的だ。

「ん? どゆこと?」
「いや、だから、ここに溜る一方だった雑念を、霊的な穴を開けることで対応しようとしたんじゃないの?」
「……う、うー」

眉をよせ困惑の表情をしていた。
目の前の少女――シイナクルミの理解力を超過していたらしい。頭上から黒煙が上がり、全身で「考えるの、ニガテ」と表現してる。
何故だか逃げ出したいような気配すら醸し出していた。

「…………クルミ、分かんない」
「お、おーい、自分で言ったことでしょうが、そんな捨てられた子犬みたいな顔しないでよ」
「クルミ、メロスじゃないもん」
「膨れっ面するな。子どもかあんたは。それと、メロスって誰よ」

問いに呼応し、パッと笑顔になった。
ひまわりのように開けっ広げで、邪気のない笑顔だった。

「メロスはね~、んっふっふっふ」
「なによ、気持ち悪いわね」
「あのね、メロスはね、とってもかしこくてユーカンなのよ」
「ふーん」
「あとあと、たまに助けてくれるけど、いつも首輪でつながれてカワイソなのね」
「首輪?」
「デンチューにオシッコもしたりするけど、ナオ君はそれでいいって言うのよ」

一瞬、首輪をつけた美丈夫が、カッコつけながら電柱で小便をする姿が思い浮かんだ。
無論、そんなわけはない。
ナオ君って誰なんだ、などと思いつつ言葉を続けた。

「――つまり、メロスって名前の犬なのね」
「んん? ううん、イヌとかじゃないのよ」
「え?」
「メロスはトモダチなのね」
「…………」

極限に近い頭痛が霊夢を襲った。
物理的なものではなく精神的な痛みだ。
額を指で押さえ、首を左右に振る。
なんだか関わってはいけない人間と接触してしまったらしい。

「うーんとね、えっとね、トニモカクニモ、ここはおっけーなのよ」
「は? ああ、そっか、もういいわ」

ヒラヒラと手を振る。

「よく分からないけど、このガード下はあんたが管理してるんでしょ。だったら任せるわ」
「ウッフン」
「はい?」
「ちがった、エッヘン。そうなのよ~」
「まあ、つまりは、あんたここの土地神か何かなのよね? ――――なんかもの凄い違和感あるけど……」

麦わら帽子、半そでという姿は、季節感こそ違うが一般人と変わらない。
だが、その存在感だけはまるで異なっていた。
どちらかと言えばその在り方は西行寺幽々子に近い。『もう既に生きていない』こともそうだが、『呪的に縛られて現世に在る』ことも共通してる。
目の前のこの少女は、この土地と『縁』を繋げられ、永久に離れることが出来ない存在だった。

「ん、んん?」

だが、本人は不思議そうに首を傾げてる。
どうにも分かっていない様子だった。
く、くく、っと段階的に首を傾げる角度を大きくし、身体全体で『?』の形になっていた。
霊夢は呆れたようにそれを見、言った。

「あのねえ、あんた、自分が死んでるのは分かってるのよね?」

今更のことを問う。
あまりに呑気な様子に、言わずにはいられなかったのだ。
まさかとは思うが『よく分からないうちに土地神になっていた』などという、恐ろしくも馬鹿らしい事態すら考えられた。

「あ……ああ、うん。そうなのね。クルミはオナクナリになったのよ」
「……なんだか他人事みたいな台詞だけどまあいいわ。じゃあ、こっから幻想郷への帰り道って分かる?」
「ゲンソーキョ―……? げそんきょう? げんそ今日? ゲソ、キョウト?」
「違う! イカは関係ないし、京都はもっと関係ない!」
「シューガクリョコーとかで行くのよ。知んない?」
「知ってるって、そこに用事はないわ」
「うーん、クルミ、分かんない」
「はあ、まあ、半ば以上、予想してたけどね……」

ここの土地神でも知らないとなると、少しばかり面倒だ。
本当に偶然、この土地についてしまったらしい。
きっと、結界の接続不良かなにかなのだろう。
帰ったら八雲紫を締め上げなければと心に誓いながらも、一挙に気分を変えた。

(ま、いっか)

霊夢は、この状態を楽しむことに決めた。
急いで帰らなければいけない用事があるわけでもない。ゆっくりのんびりするのが吉だろう。
地面のアリをつついてるクルミを無視し、霊夢はふたたび頭をからっぽにして歩き出した。



+++



――巨大な夕陽が赤を投げかけていた。
不可思議なほど巨大で、まるで太陽の死でも暗示しているかのような絢爛さ。
コンクリートの素っ気なさとは対照的な、生々しい、かみさまの心臓のような夕陽がそこにある。
霊夢は、土手沿いを歩いていた。
たまに犬の散歩をする人とすれ違うが基本的には人は少なく、なかなか良い場所だ。

「――で、なんであんたは私に憑いてるのよ」
「んむ?」
「あーあー、アリなんて食べてるんじゃないわよ。吐きなさい、それ」
「なんで?」
「身体に毒――って言っても身体が無いか……」
「レイムちゃんも食べる?」
「食べない。あとちゃん付けしないで」
「あ、ミジンコ!」
「聞いちゃいないわね……」

子犬のようにそこかしこを走り回るクルミを眺めながら、霊夢はその背景にある川の流れを見た。
夕陽で染められた水流は、どこにでもあるような地方都市の河川だ。
生き物は少なく、生活排水が多く流れる普通の川。だけれども、この夕陽を通して見ると、何だか懐かしいもののように思えた。

「…………」

ふと、目眩いに似たものが襲った。
記憶が甦えろうとする。

「くっ」

頭を振り、正気に戻そうとした。
だが、果たせず意識の中心から元風景が甦る。
霊夢を霊夢たらしめている、こびりついて離れない光景。
幼き日のこと、記憶も定かではない時、確かに見た。
先代に聞いても「そんな事は無かった」と言ったので、それは霊夢の中だけの、現実の光景ではないのかもしれない。
だが、『それ』は霊夢の奥底で、しっかりと根を張り離れない。
――目の前にあるささやかな川の流れは、それを連想させたのだ。



空か水かは分からない。
自分の立ち位置も分からない。
ただ、『流れ』が目の前にあった。
圧倒的な速度で過ぎ行く流れ、自分が留まるのが不自然とすら思える流れ、ちっぽけな人間の悲しみや叫びなど、一顧だにせず行く流れだった。
流れの端など見えない。視界の両端の、更に外にそれはある。
ざあ、ざあ、という水の音とも草の音ともつかない、幽かな囁きだけが聞こえていた。
幼い霊夢は、呆然とその流れを見ていた。
先ほどまで見ていた点はまばたきする間にも過ぎ去り、見えない場所まで流れてる。見えるすべてが上から下へ、狂った勢いで通り行く。
それは視界いっぱいに、無限の長さを持つ列車が並走している光景。とぎれることなく弛むことなく、流れ流れて行き過ぎて、留まることは永久にない。

「あ――――」

最初、その光景は霊夢に何の感情も想起させなかった、
凄まじい勢いで流れ去る目の前すべてを、ひたすらに、無心に眺めた。
それは圧倒的なものを前にした、普通の人間がする普通の対応だった。
芽生え始めたばかりの理性では、こんな巨大なものを掴みきれない。
なんか、スゴイ。
それが幼い霊夢の素直な感情だった。

流れを、ただ見続けた。
意識はもう空っぽだ。
くるくると、流れは細かな変化を反復したが、全体はまるで変わらない。
――宇宙みたい。
霊夢は思った。
人間なんか気にしない、それとは別個の、何か巨大な法則に従って在るあり方、それの前では余りに人間はちっぽけで、きっとケシ粒ひとつ分の価値もありはしない。
霊夢自身の悩みも悲しみも、どれだけの叫びも無いのと同じ。

――なにか、怖くなった。

水中に叩き込まれたような不安と恐怖。
手がかりが何もない。
この無限の流れは、いままで気づきもしなかったものを霊夢に気づかせた。

寒気が全身を襲う。
涙が数滴、ほほを伝った。うめき声が、ひっぱられるようにして引き出された。
いつの間にか、霊夢は泣いていた。
大声で身も世も無く、全身を振り絞って泣いた。
悲しかった、何故だかとても悲しかった。
何をしても、何をやっても無駄である。
誰も彼も、博麗霊夢もいつかは死ぬ。
そのことを、あまりにもリアルに感じていた。
悠々たる流れの中で、霊夢はただ泣いていた。

「あ……」

そして、そうしている内に、気がついた。
霊夢が立っている場所、住んでる博麗神社、近くの野良猫、仲のいい幽霊、そして霊夢自身、『それらもまた流れてる』ということを。

名も無い野草が芽を出し枯れるまでを『観た』。
神社が建てられ朽ちるまで、人が生まれてから死ぬまで、宇宙が誕生してから滅するまで。

「あ、ああ……」

そうしていながら草はまた芽を出し、神社は再び建て替えられ、人はまた産まれ、宇宙は生まれかわる。
その圧倒的な輪廻。
死と生の流転がくりかえされる様子。

悲しみも喜びも生も死も、聖者も犯罪者も普通の人も高貴さも卑近さも、犬も空もリンゴも緑も眼鏡も境界も公園も秋もフランス食堂も髭も電話もヘルメットも背嚢も歯もシャチも、なにもかも、なにもかもを溶かして流れ行くのが『観えた』。




そして、ぽっかりと、悟った。

――死ぬ事って、当たり前なんだ。

死に、滅び、誰からも忘れられてしまうことは普通のことだった。
この巨大な流れの前では当たり前すぎる出来事だ。
そう思ったのだ。





「ん? レイムちゃん? おーい、おーい」

ぺちぺちと額を叩かれる感覚で、霊夢は目覚めた。
仏頂面で見てみると、クルミが天真爛漫な笑みで楽しそうに霊夢を叩いていた。

「…………なによ」
「ナンカ、かなしー顔してたのね。そんなのヘン」
「悲しい?」

そうなのかな、と霊夢は思った。
思い出している時、そのような感情はまるでなかったのだが、傍目から見るとそうであるのかもしれない。

「……ねえ」

『それ』を尋ねてみようか、と考えてのは何故だか分からない。
このあまりに無邪気な様子に安心したのかもしれないし、霊夢の勘が囁いたのかもしれない。
ただ、兎にも角にもこの土地神に聞いてみたいと思ったのだ。

「今朝方、こんなことがあってね――」

説明した。
レミリアとの一件はもちろん、幼い頃の原体験まで。
ゆっくりと、自身の気持ちを確かめながら語り聞かせた。

「ふんふん」
「――――」

徐々に徐々に、少しずつ、説明するに順い、クルミから脳天気な要素が消えていった。
霊夢の真奥を、伺い見るような視線。
それに息苦しさを覚えることもなく、安心して霊夢は喋る。
心を覗かれてるような気もしたが、そんな程度では『博麗霊夢』は揺るがない。
むしろ、細かな説明をする無駄が省けて良いくらいだった。

「――って、あたりかしら。分かった?」
「うん」

長い説明を終えた後、クルミは、それだけを言って何かをじっと考え込んだ。
珍しいほど、真剣な表情だ。
黙って静止したまま動かない。

黒髪がさらさら流れ、夕陽が赤く彩った。
頬から顎にかけての優美なラインを照らしている。

(――綺麗だな)

霊夢は自然に思った。
子どもっぽさを抜けば、ひょっとすると絶世の美女と呼ばれるのかもしれない。

「あのね……」

何か言いにくそうにクルミは喋った。


「クルミね、実はイケニエなの――」


すっと、気温が下がった気がした。
表情は黒髪で隠され見えない。

「あー、うん。そうじゃないかと思ったわ」

少しばかりの躊躇の後、霊夢はどうにか言葉を返す。
この町は、異常とも言えるほど霊的に安定していた。
神社仏閣などの装置では不可能なほどだ。
悪意、ヨドミ、死霊は根こそぎ洗い流され、わずかにあのガード下が執念深くこびり付いている程度。他は異常なほど清浄な空気で満ちている。
これは、一般的ではない、『強引なまでに原始的な方法』だろうと当たりをつけていたのだ。

「あ、あー、でもでも色々なのよ? クルミもそうしたかったんだモン」
「うん?」
「え、えーと……」

そして、今度はクルミが説明をはじめた。
陽見七神のこと。
霊的な安定が崩され、様々なヨドミが噴出していた時期のこと。
ナオ、サンゴ、クルミ、メロスでそれらの『噂』を駆け巡った日々のこと。
――自分の死のこと。

霊夢は、なぜクルミが言い出しているのか分からなかったが、ただ黙って聞いていた。
それは多分、特別な日々だったのだ。
黄昏のようにうつろいやすくも短い時。
それは彼らにとって輝いた日々だった。

「ナオ君も、サンゴちゃんも、メロスも、もう死んじゃったの」
「え……?」
「みんなテンジュをマットウしたのね」
「……ああ」

つまり、この少女はそれだけの長い時を過ごしてきたのだ。
人ひとりが生き、死ぬまでの時間を見聞きしてきたのだろう。
――それは、どんな孤独と寂しさか。
霊夢は初めて、目の前の少女に共感を覚えた。
生きて死に、すべてが変化し流れてゆくのを見る感覚。
その感覚は、霊夢が常日頃から持っているものだった。
時間のスパンは違うが、ふたりは同じものを『観て』いた。

「たぶん、レイムちゃんはもう、分かっているのね」
「ん?」

唐突な断言に、顔を上げて不審を示した。
そこには、慈母の顔で霊夢を見ているクルミの顔があった。
瞳は、まっすぐ霊夢を映していた。

「うん、ダイジョウブ。きっと伝わるのよ」
「な、なんの話よ……」
「んん? んふふ~」
「なによ、ヘンな顔して」
「レイムちゃん、とってもテレやさんなのね~」
「踊るな! そして、歌うな!」


ぐるん、と、視界が唐突に歪んだ。


「へ」
「もうダイジョウブなのよ。うん、きっと!」
「え、ちょっと」
「レイムちゃん?」
「これって……」

揺れてざわめく風景の中で、クルミだけが奇妙にリアルだった。
周囲から浮き出るような色彩。
にこ、っと邪気のカケラもない、純度100%を誇る霊水のような笑顔。
麦わら帽子がヘンに現実味を加えている。


「スナオになるとイイのよ」







「お……」

音が弾けて視界が戻った。
平衡感覚が遅れて復帰する。
先ほどまでとはまるで違う、赤い部屋内に着地する。
土手も川もクルミもいない。それどころか、この慣れた空気は明らかに幻想郷のものである。いつの間にやら帰還していた。

「ああ、っと……?」

とりあえず、周囲を見渡す。
混乱する頭を宥めたかったのだ。
部屋中の様子は、無残の一言だった。
ものの価値など気にしない霊夢から見ても「良い品だなあ」と思える調度品の数々が破壊されていた。
無言で、残骸だけを晒している。
窓の外は夜。
昏い闇は室内にまで侵入しており、光源は夜闇にひっそりと浮かぶ月のみであった。

「――――」

中央に設置されている寝具では、レミリア・スカーレットがいた。
枕に顔を埋め、静かに、沈痛に眠っている。
きらきらと光る何かが、吸血姫の頬を今も流れる。
赤い室内は重く、狭く、まるで深海のように異質な空間だった。

「…………」

ふう、と、霊夢は音にならない溜め息をついた。場所と状況を理解する。
結局はクルミ、あんたの仕業じゃないのよ、とも思ったが、今は優先することがあった。
紅魔館城主は、涙を流しながら眠っていた。
きっと眠ったばかりなのだろう。
直前までどうしていたのか、周囲の様子だけで明らかだった。
泣き喚いていた様子が幻視可能であった。
ズキン、と胸が痛む。
ああ、まったくなんて自分は甘いんだ、こんなことじゃいつか殺される、と霊夢は自嘲しながら、レミリアの傍へと歩を進めた。
クルミの言っていた言葉を思い出す。

「素直に、か」

正直かつ自由に生きていたつもりではあるが、確かに素直になったことは少ない。
自分のこころを他人にさらけ出したとしても、それが伝わるなんて信じられないからだ。
いや、これもきっと言い訳なのだろう。
誰に対しての、何の釈明なのかは判然としないが、要するに、

「こっ恥ずかしいっての」

頬が熱くなるのを自覚した。
ゆっくりと巫女服は歩み、音を立てずに枕元へと座る。
上質のスプリングが、霊夢の体重を受けてかすかに沈んだ。
すう、と息を吸い込み、覚悟を決める。
そう、今朝方のやり取りの中で、言っていなかった言葉があった。
それを言わなければ、きっと台無しになってしまう何か。
言葉の意味を反転させる言葉。

「レミリア――」

――私は、あなたが殺されても復讐なんてしない。
弔うことも無いかもしれない。
ものの輪廻を『観』てしまう私には、死すら日常のことだから。
きっと、ただ見過ごすだけで終わるのかもしれない。
でも、それでも――

月の光が深海を照らし、ふたりの少女を染め上げる。
蒼く沈んだ空気の中で、霊夢はそっと気持ちを告げる。

花も風も人も命も、
――あなたの赤い運命も、
死んでしまう現実ですら、
みんなみんな――



「私―――大好きだよ」



――きっと、私は全てを肯定する。









風は静かに行き、声は沈鬱者の端境へ届き、シーツには小さな波紋が生じる。
長髪がささやかに揺れ、音は部屋に染み込み、穏やかに、ゆるやかに時間が流れ――

赤い瞳が、戸惑いながら現れた――――





















某宅急便と同時期に書きはじめたSSなんですが――
直し作業を続けていたら、いつのまにやら季節が冬になっていました。
不思議なこともあるものです。
たしか、「紅葉が綺麗だなあ」とか思って書きはじめたはずなんですが……

ちなみにこの『夕闇通り探検隊』、古いしマイナーではありますが、名作です。
操作性最悪ながら、引き込まれるストーリーが魅力の『ホラーゲーム』なのです。
私の心の中の『殿堂入りB級ゲーム』に鎮座してます。
nonokosu
[email protected]
http://nonokosu.nobody.jp/index.html
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コメント



0.1060簡易評価
2.50名前が無い程度の能力削除
夕闇なつかすぃ、これ読んであのエンディング思い出して軽く鬱った
クルミ…。・゚・(ノД`)・゚・。
7.無評価nanasi削除
夕闇よく知らないんだけど、バッドエンド系の結末なのかな? ちょっと興味が。
あと「何もしない」とすっぱり切り捨てられたレミリアに萌え。