かつて、誰もが夢見ていた時代があった。
幻想とともに暮らしていた時代はあった。
そして、今もなお残っている幻想がある。
これは、そんな話である。
「ところで霊夢、好奇心から一つ聞きたいんだが、今日は何の日か知ってるか?」
「なによ? そろそろ寝る時間だから帰って欲しい所なんだけど」
日付が変わる前の時刻、ずっと居座っていた魔理沙が、そんなことを聞いてきた。
「いいから答えろって」
「仏滅?」
真っ先に思いついてみたことを答えると、魔理沙は思いっきり頭を抱えていた。間違ったことを言っているつもりはなかったのだけど。
「違う。……ああ、お前巫女だから知らないよな。クリスマス・イヴだぜ、今日は」
「クリスマスって……基督教のお祭りでしょ? 私には関係ないなぁ」
「そうでもないぜ。実は、そのクリスマスの日には言い伝えがあってな」
「何よ」
焦らすように答えてくる魔理沙をひと睨みして先を促す。そろそろ眠くなる時刻なのだから早くして欲しい。帰るのか泊まるのかくらい決めてくれないと困るのだ。
「一年間いい子にしてた奴には、サンタクロースってお前みたいな赤白の服着たおっさんがプレゼント持ってきてくれるんだぜ」
……呆然とした。いや、確かにそんな感じの話は聞いたことはある。ただ、それがどうして基督教のお祭りと関係があって、どうして魔理沙がそんなことを言っているのかが良く解からない。
だって、サンタクロースとかいう人物は、本当は――
「えーと、魔理沙?」
「何だ?」
とりあえず、確認を取りたくて、聞いてみる。なぜだかお腹の底がむずむずしてたまらない。さらには口元が緩みそうになってきている。
「サンタクロース、本当にいるとか思ってる?」
「ああ、間違いないぜ」
……思考時間ゼロ秒。私は爆笑していた。
ごめん魔理沙、ある程度予想してたけど、その一言で壊れちゃった。
「お、おいどうした? 眠くて壊れたか?」
「……はー、もう。あのね、魔理沙。サンタクロースって言うのは、実は親が変装してたりするものなのよ?」
「……何いってるんだ、お前。普段は北国に住んでて、クリスマスの時期になるとトナカイにそりを引かせて空を飛んできて煙突から入ってくるんだろうが。親にそんな真似ができるか。だいいち、私は家出して来たんだぜ。だけど、ちゃんとプレゼントはあったんだぜ?」
はっきり否定したにも関わらず、魔理沙は真顔で反論してくる。それがどうにも面白くてたまらない。
「じゃあ、あんたの師匠あたりかしらね。……とにかく、私はプレゼントを貰ったこともないし、そのサンタさんを見たこともないの。幻想郷で見かけたって話も知らないし」
「そりゃそうだろ。みんな寝てる頃に来てるんだから。ついでに言えば、靴下を枕元においておかないとプレゼントを入れてくれないんだぜ?」
「……私、足袋しか持ってないんだけど」
「だったらそれでいいだろ。なんなら私のを貸すぜ」
……すごい、ここまで信じきっている人はそうそういないだろう。世界、もとい幻想郷は広い。いや、むしろ狭いのか。そんな珍しい人が身近にいるのだから。
ただ、このまま引き下がっても少々しゃくにさわるので、賭けをすることにした。勝率は九割ほど。残り一割は、魔理沙へのおまけだ。
「だったら、私の家に泊まってきなさい。あんたが言ってるようにサンタが来るかどうか確かめてあげる」
「ああいいとも。絶対に来る。賭けたっていい。……負けた方が一日言うことを聞くってのどうだ?」
「あら奇遇。私も同じこと考えてたのよ」
布団を敷いて、枕を置いて、さらにその横へ足袋を置く。
魔理沙もほぼ同じようにする。違いはせいぜい足袋が靴下になった程度だ。
「約束、忘れるなよ」
「そっちこそ」
挑戦的な笑みを向け合い、明かりを消して布団に潜り込む。
あとは、時がたつのを待つだけだった。
……魔理沙の寝息が聞こえる。すでに寝入ってしまったようだ。あの隙間妖怪といい勝負な寝つきの良さだ。少々羨ましくも思える。眠りたい時に眠れないのはどうにもすわりが悪くて嫌なのだ。
さて、件のサンタクロースが何かを考えることに気を向けよう。
一応、普段よりも結界を二倍に増やして並みの妖怪ごときでは近づけすらしないしている。さすがに、魔理沙がお風呂に入っている時間内に張りなおすのは大変だったけれど、それでもやはり知らぬ間に侵入されるのはいい気がしない。慣れてはいるけど。
……どれくらい経っただろうか。魔理沙の吐息は、まるで凪のように緩やかになっている。悪戯したくなるぐらいすやすやと寝付いている。ついでにいえば、案外寝相もいい。
月明かりの傾ぎ具合からして、大体一時間かそこらだろうか。相当眠いのを耐える。
「……勝った、かな」
そうして、誰かの来る気配が全くないのを鑑みて、小さく呟いた。まぶたを閉じる。
無理に起きていて疲れた頭に、安らかな眠りが――
音が、聞こえた。
「!?」
すぐに、目が覚めた。小さく、しかし確かに聞こえた。
鈴の音だ。
しゃんしゃんと鳴りながら、ゆっくりと近づいてくる。
「……うそ」
障子が、陰る。その形は、動物がそりを引いていて、誰かが乗っているように見えた。
音が、境内まで下りてきて、止まる。やや控えめな、優しい足音が近づいて、
ゆっくりと障子を開けた。
「……メリー、クリスマス」
恰幅のいい、鬚を生やしたおじさん。それが、本当に赤と白のいでたちをして、にこやかに挨拶をしてきた。
「……え、えーと、めりーくりすます」
あまりのことに、私は呆然としていてそんなことしか言えなかった。
そのことを気にした風でもなく、その不確定名:サンタクロースは担いでいた白い袋からなにやらリボンで結ばれた本を取り出して、魔理沙の枕もとの靴下に入れた。どう見ても本の方が大きいので、端の方だけを。
「さて、と。君の方のプレゼントは……」
それが相変わらず笑みを崩さずに、再び袋の中に手を突っ込んだ所で、我に返った。
「ちょ、ちょっと待った!!」
「ん?」
「あんた、一体何者? どうやって張ってあった結界を抜けてきたのよ」
「むう、何者といわれても、サンタクロースだしなあ。いやはや、長い間サンタをやってきたが、そんな風に聞かれたのは初めてだぞ。ああ、結界なら普通に入れたが」
「……え、うそ。普通の妖怪なら触っただけで吹っ飛ぶのに」
また呆然とした。何の手続きもなく普通に入るだなんて、たとえ知り合いのすきま妖怪でも無理だ。
「おやおや、そんな物騒なものを張ってはいけないよ。怖いじゃないか。主に私が」
そんな私の心中も知らず、サンタさん(仮称)は鷹揚に笑って見せた。
「んなこといわれても、ひとんちに押し入って不審物を置いてく奴がいるって言われたら誰だって警戒するでしょ」
「そんな言い方ならそうだろうがねぇ」
苦笑する。しかし、悪意の類は全く感じられない。それは、ある意味で底が知れない。
「とにかく、色々と聞きたいことがあるんだけどね」
「おお、それならどうぞ。ただ、手短にね。この後は外にも行かねばならんのでね」
「……とりあえず、こんなことをする目的は?」
外という単語に引っかかりを感じたが、あえて黙殺して聞いてみる。
正直言って、今まで見た妖怪や人間とは勝手が圧倒的に違う。それこそ一般人と魔理沙程度には。
サンタさん、とやらは困ったような表情をしている。何度か首を捻りまわして、ようやく納得の行く答えが出たのか、顔を上げた。
「うーん、そんなことを言われてもね。単純に好きだからじゃ駄目かねぇ」
「好き、だから?」
「ああ。子供の喜ぶ顔を見るのが大好きなんだ。そして、それが私を生かしているのさ」
「生かしている?」
「ああ。私は子供達の喜び、笑顔、そう言ったものから力を貰って生きているのだよ」
そこで、私は思い至った。ああ、こいつは――
「なるほど。あいつと同じ、人間大好き妖怪なのね」
「厳密には妖怪とも違うがね。まあ、そういうこと」
それで、色々と納得がいった。ただ、一つだけ気になることがある。
「じゃあ、どうして堂々と渡さないのよ。こそこそするなんて勿体無いわよ?」
そう、どうして人目に付かないようにプレゼントを配っているのか。感謝されこそすれ、恨まれることなどあるまい。
「いやいや。夢は、形が無いからこそ夢なのだよ。だから、私のようなものが姿を見せて形にしてしまったら、夢がなくなってしまうじゃないか」
「……それも、そうね。幻想は形が無いから幻想。迂闊に弄ってしまえば、現実に墜ちてしまうものね」
「その通り。その辺は、お嬢さんの方がよく解かっているようだねぇ。あ、ついでに言えば、外で配る時に姿が見えたら大騒ぎになってしまうからね」
なるほど、と納得する。たしかに、夜を追い立てて幻想といっしょに夢も捨てた外では、サンタが空を飛んできてプレゼントを配ってるなんてことがあったらとんでもないことになるだろう。ついでに、幻想郷の存在が公になってしまうのもあまり喜ばしくない、らしい。これは以前に紫から聞いたことだ。なんでも、幻想はあくまで幻想であることが一番いいらしく、迂闊に姿を見せたらそこから妄想や空想が生まれてしまうそうだ。
「さて、と。これでいいかな?」
「ええ、ありがと。色々と参考になったわ」
「うむ。それじゃ、プレゼントを……何が欲しいかね?」
「いや、特にないけど……あ、そうだ」
思いついて、物入れを漁った。確か、以前に譲り受けた、というか勝手に持っていったものが――
「お嬢さん、それは?」
「いいからいいから。確か――」
幸いにして霖之助さんが使い方を見つけていたらしく、持っていく際に教えてもらったのだ。
そう、私が欲しいと思ったのは――
気がついたら、朝が来ていた。あのサンタさんが帰ってすぐに眠ってしまったようだ。
「……夢、じゃないわね」
枕元にあったそれを見て、頷く。
そう、あれは本当だったのだ。
「……ん……あれ、もう起きてたのかお前」
目元を擦りつつ、魔理沙が起き上がった。当然、すぐさま枕もとのそれに気づく。
「おお、こりゃ……よっしゃー、今年も来てくれたぜー!!」
ものすごい喜びよう。ただ、私の視線に気づいて五秒ほどで元のありように戻った。顔が少々赤い。……見られたのが恥ずかしかったのか。
「ま、まあ、ともあれ。私の勝ちだぜ?」
「ええ、そうねー。……もう、本当に来るだなんて」
苦笑しながら、私が貰ったものを眺める。
まあ、これはこれで面白いことだったし。これなら賭けの負けもチャラだろう。
「あれ、霊夢、お前なにを貰ったん……あー!?」
「こら、人がもらったものを勝手に見ないの」
「ちょ、お前それどうやって……」
「ないしょ。教えて欲しければ、賭けの負けはチャラってことで」
「ずるいぜそれはー!!」
悔しがる魔理沙に勝ち誇る私。
その手には、私と並んで映る赤白の姿があった――
私が信じてたのはいつ頃までだったっかな。
こういう話を読むと、また信じてみたくなります。