賢者の石というのは幻想郷に於いても、絶大な効果と価値を秘めている。
だから幻想郷内でも人妖問わずして、これは垂涎の的として見られるし、また完成させようと日夜練磨する者もいる。
だからこそなのか。
当時、魔女といっても若輩者に過ぎなかった私が、賢者の石の練成に成功した時、憎悪と嫉妬が混合された感情を臆面も隠さず、血眼になってやってきた輩があれほど鬱陶しくなるほどいたのは。
おかげで数日は退屈しないですんだけれど、本が読めないのが嫌だった。
倒した連中の数が三桁を越えた辺りから、ちょっかいをかけてくる者は全くいなかったが、遠巻きから畏怖の念を抱かれてしまっていることには自覚できた。
それから数年。私が関わっていたのは本ぐらいなものだった。
だからなのだろう。
この紅い少女が、私に対してそういう念を抱かずに、接して来たのがひどく嬉しかったのは。
紫の気まぐれと紅の偶然が呼んだ邂逅
紅い月の下で行われている舞踊は、魔女の囁くような真言が鯉口だった。
『火精よ唄え』
火式の術を彼女めがけて放つが、紅い少女が弾丸のごとく飛来する火球を一瞬見据えると、火球はその視線を怖れてる様に震え、次の瞬間散り散りに吹き飛ばされる。
「この程度の児戯じゃ、小手調べにもならないわよ?」
確かにもっともだ。
彼女のようなのが相手では下級、中級全般はほぼ全滅といっていいだろう。
ならば弱点を突くか、彼女の対魔力を上回る魔力をぶつけていくしかない。
――ならば。
『水精よ咆えよ』
今度は流水を原理とした水術。吸血鬼の大半は流水を弱点としているので、この術をまともに浴びれば唯では済まない。
だが彼女は待っていたかのごとく水術の隙間に掻い潜り悉く避けていく。その動作は傍から見ると、踊っているかのように優雅なものだ。
「まったく、どういう体のつくりしているのかしら」
彼女の動きは魅入られそうなもので、まるで速いとは感じない。しかしそれでも出鱈目な身体能力を有しているのは確かだ。
「あら。それは貴女の術にも言えるのではないの?」
声は真後ろから聞こえた。
目の前で水術の雨を相対したにも関わらず、彼女はわずか数瞬で私の後ろまで移動していた。
だが、驚くには値しない。彼女の動きは私では捉えることは、元よりできないのだ。
――紅い華が煌く。
彼女が放った鮮やかな魔力光は、私に触れる前に靄のような障壁に阻まれ、電撃を撒き散らしながら霧散する。
「これでも結構な力を篭めて撃っているんだけどね。ホント、大層な障壁ね」
感嘆の息を吐きながらも、尚も容赦なく放つ。今度は立て続けに魔力球と閃光が襲い掛かる。
障壁を張っているとはいえ、流石に連続で浴びるわけには行かない。
間合いを取り、印を紡ぎ、韻を唄う。
『風よ、踊れ』
虚空より現れた翠緑の嵐が、紅い暴風と交わり弾け飛ぶ。大音量を喚き散らしながら、月の下で創られた災害が辺りに飛沫する。余波が私や彼女の元まで降り注ぐが、辿り着くまでに障壁と抗魔力によって何事もなかったように消え去っていく。
「お互いに小手調べは済んだかしらね?」
紅い少女が微笑む。
「ええ、そんな感じかしら」
口元だけ笑みの表情を作り、応える。
周りに視線を巡らせ、あらゆる限りをシミュレートする。
――やっぱり、これでいくしかないわね。
高速回転していた思考がカチリとパズルをはめるように収まった。
『来い』
呼びかけに応じて、持ってきた五冊の本が周囲に展開される。
「使い魔(ファミリア)? それにしては変わったモノを使っているのね」
今度は紅い少女の問いに応じず、無言で指示を送る。
黄と白の二冊の本が震え、閉じた状態で少女の下へ滑空する。
「呪も紡げず、印も結べない本がどうやって私の相手をするっていうのかしらね!?」
嘲りの満ちた表情で、両手に力を収束させ向かい撃とうとするが、その瞬間本が開き凄まじい勢いでページが捲くられていく。
「しかし理を導き出すことはできるわよ」
少女の下に辿り着いた二冊の本が発光する。
その色は黄色と白色に輝き、夜空の色まで変色する。そして二冊の本が導き出した理は緑柱石を生み出し、意志をもつかのように彼女に殺到する!
「クッ!?」
わずか数瞬で緑の宝石に埋められた彼女だが、私は構わず詠唱をはじめる。この程度でかの紅い月の王が終わるわけがないのだ。
『日輪の華よ咲け。して我が袂に集い、降り落ちよ』
夜空が傾き、陽光が射す。その光の基から幾条の火線が、緑に染まった宝石を中心に降り注ぐ。
轟音。
耳を劈くような音は収まって、再び夜の帳が深まる。
土煙が大量に吹き荒れ、覆われる視界。だが、逆にそれが仇となった。
濛々と立ち込める煙の中から紅の双眸が輝いた。
悪寒。
咄嗟に障壁の効力を高め、体を捻る。
直後、煙の中から噴出した赤光が障壁にぶつかる。障壁は赤の閃光を吹き飛ばそうとするが、威力に負けてか四散し、結果私の方が吹き飛ばされ余波が降りかかる。
「――ッ」
頬や足、手首に紅い筋が走る。幸い障壁のおかげか、威力はほぼ緩和できたようで痛みは殆ど感じなかった。
ただ痛みを感じるよりも体はあの障壁を撃ち破るだけの破壊力と、先の一撃を耐えた彼女の出鱈目な強さに戦慄と喜びに奮えていた。
「全く、たいした魔力よね。あれだけの魔力を魔道書に秘められるだけの維持力の高さに加えて、あの術をほんの一瞬で編みこむだけの精度の高さ。さらに今の一撃をほぼ緩和するだけの抗魔力と物理障壁。千年級の魔女(エルダー・ウィッチ)でも、今のを数瞬で展開できるのは数える程度しかいないはずよ? 本当に貴女20年程度しか生きていないの?」
赤光の正体は紛れもない彼女だった。
さすがに向こうも無傷とはいかなかったのだろう。服のあちこちが破れ焼け焦げており、頬にも若干煤がついている。
仄かに手が輝いてみるところを見ると、魔力を纏わせて殴り掛かってきたのだろう。
「ああ、もう。この服結構お気に入りなのよ」
口調は怒っているようにも聞こえるが、何処となく今の状況を愉しんでいるようにも聞こえた。
「愉しそうね」
「ええ。とっても愉しいわよ。貴女も満更でもないでしょう?」
彼女の言に私は笑みを浮かべる。
ああ、そうだ。私は今の状況を間違いなく愉しんでいる。先の術までが然程通用しないにも関わらず、私は胸の奥から喜びに満ちている。
かつて、私の下に『石』を求めてやって来た連中は総じて手応えのない連中だった。
殆どの連中が単一術で敗れ去り、生き残った面々も複合術の前に為す術もなく終わった。
それが今、単一術は通用せず、また複合術も痛痒に感じない彼女がいる。
――不安は? 問題ない。
――焦りは? 何処に焦る必要がある?
――恐怖は? 論外。
だって彼女は、
「さあ、貴女の最高の業で持て成しなさい。じゃないと、この幕は最高潮を迎えないわよ?」
私のトッテオキを使わせてくれるのだから!
体の内部から膨れ上がった魔力に、周囲を漂っていた三冊の魔道書が呼応するかのように輝き始める。
埋もれた二冊の魔道書が新たに送られた魔力受けて、爆ぜ起きる。
「今日はすごく調子がいいから手加減なんてできないわよ?」
先の比ではない魔力の渦に紅い少女は、唯唯狂気の笑みを満面に浮かべる。
「イイワ。イイワ。イイワ!
その貴女の魔力(チカラ)と私の能力(チカラ)。どちらがより狂っているか、愉しもうじゃないの!?」
紅が疾る。
『焔よ踊り狂え』
赤い本が応える。
地中から噴出したのは全ての原初。始まりの一である灼熱の火柱が紅を追う。
紅は灼熱の柱を見て爛と目を輝かせる。
爆音。
同時に爆炎が周りに迸る。散らばった炎はしかし彼女を焼き尽かさんと再び紅の元へと集束する。
再び双眸が輝く。
爆音。
今度は一度ではなく、小刻みに誘発していく。
紅の魔眼にて吹き飛ばされた火柱は、すでに面影なく飛沫となり小さくなってしまった。
『大地よ覆い尽くせ』
黄色の本が応じ、あらゆる生命の基盤である大地が割れる。
肩で息をする紅の足元で割れた地面の側面には無数の棘が生えており、紅を飲み込もうと再び閉じようとする。
大地の鋼鉄の処女(アイアンメイデン)。決して抱擁されたくない相手に、流石に紅も怒声を浴びせる。
「っふざけるな!」
一喝と共に赤い狂気が爆ぜ、土の棘を塵芥へと還す。
『珠よ斬り裂け』
白色の本が土塊と交わり、鋭利な刃物と化す。
色々な形と化した刃物は様々な金属となっている。無論、吸血鬼の天敵である銀製の刃物もいくつかある。
引き攣った表情を浮かべる紅に一斉に襲い掛かる。
鮮血が舞う。
先の水術を避けていたような動きではないが、それでも紅の優雅さは損なわれない。彼女は刃物の雨の中、要となる一つの刃物を掴み取り叩き潰す。
『瑞よ満ち浸せ』
黒色の本が中空を舞う。
夜空が黒雲で染まる。
瞬間、地面を穿たんばかりに豪雨が降り注ぐ。
潤い、癒し、恵みといった天からの恩恵。
されど吸血鬼には遮断の仕切り。
「アッグッッ!!」
紅が呻く。雨ですら厄介な吸血鬼に、地を穿つようなこの大雨は激痛を伴う地獄だ。
だがそれでも紅は屈しない。
「――――!!」
声にならない咆哮と共に放たれた深紅の光が、黒雲を散らせ再び夜空へと戻る。
『嵐よ唸り荒れろ』
青い本が空に弾ける。
竜巻が巻き起こる。
地にあるもの全てを飲み込み、吹き飛ばそうと風が荒れ狂う。
小柄な紅は飛ばされないようにと、足に力を篭めるがその分注意が怠っていたのか、頬等を鎌鼬が裂いていく。
竜巻が抜け、荒野となった大地に紅の少女と私が残る。
一拍おいて竜巻に巻き込まれた魔道書が、周囲に散らばって落ちてくる。
流石に今の連続攻撃には堪えたのか、彼女は肩で荒い息を繰り返している。
かくいう私も人のことは言えず、同じように体が酸素を求め細い器官が必死になって働いている。
「流石にこれほどの隠し玉だとは思わなかったわよ」
魔道書を一瞥し、呼吸が整ったのかふっと一息つく。
「賢者の石を媒介にして、単一極化魔術本を一冊作るだけでも魔女が生涯を費やすというのにそれを五冊。それも東洋の儀をもった五行の方での属性本。挙句に賢者の石の精製から数年でそれを完成。そしてあろうかと五連続召還するだけの魔力。いやいや、物騒な謂れ名は全く伊達じゃないって訳ね」
けれどねと彼女は言う。
「私には届かなかった」
寒気の走るような淫靡で妖艶で優雅な微笑み。
直視していたらそのまま魅了されそうな雰囲気がそこに立ち込めている。
「たしかにそうみたいね」
彼女はあちこち擦り傷などが目立つが、これといった致命傷はない。
対して私の方はというと怪我こそ全くないが、奥伝ともいえる【賢者の石】が通用しないということで、最早これ以上の攻め手はないだろう。
「舞台は最高潮を迎えたわ。それじゃあ、そろそろ幕としましょう」
自身の勝利を確信してか、彼女がゆったりと華麗に私の方へと歩み寄る。
「ええ、確かに舞台は整ったわ。――今ね」
タンと。
私は静かに掌を地面にかざした。
セカイが揺れる
「なっ!?」
空気の変わり様をすぐに察知してか、彼女は周囲を見渡しそして愕然とする。
散らばった魔道書は彼女を囲むように五芒星にて配置されているのだ。
『天に陰。地には陽光の洗礼。
周囲には火を生じ、土を生じ、金を生じ、水を生じ、木を生じたる五行の輝跡。
陰陽逆さとなりて、場の逆をもちいってみせよう』
朗々と告げる。
紅い世界が変質されていく。
静寂の夜が周りを包んでゆく。
紅い夜から昏い夜へと変わっていく視界の片隅で彼女が片膝をつく。
「まさか、あれから布石を散らばめていたなんてね」
紅い世界は、彼女の絶対領域だ。
この領域内でどれほどの魔力で抗おうと彼女に勝てるわけはない。
ならば場を変質させ、彼女の支配下から外せばいいだけの事。
さりとて正面からまともにやり合えば彼女に防がれ、間違いなくできない手法。
然らば、術を以って場を整えればいいだけの話という訳だ。
最早、紅の夜は宵闇によって半分以上が塗り潰されている。
唄う術式もあと一小節で事が為す。
最後の一区切りを告げようと、魔力を底から汲み上げるために軽く息を吸い込む。
――唐突に肺腑が痛み始めた。
「クッ!? ケホッ、ケホッ!!」
あぁ、やばい。よりによってこの状況で起こるとは。
長い術を唱えると決まって、弱い気管支が悲鳴をあげるが、今この状態でならなくてもいいのに。
胸が痛い。喉がヒューヒューと音を立てている。
あぁ、重症だ。この状態は非常にまずい。
周りを見ると宵闇が色を褪せて、変わりに再び紅い世界が降臨し始める。術が途中で途切れたから効果も失ったのだろうと客観的に分析する。
それよりも今は自分の症状のほうが問題だ。突発的に外に出ているものだから、発作を抑えるような薬は持ってきていない。このままだと、数分と経たずに意識を失うだろう。
紅い彼女が、蹲っている私の下までやってきた。先ほどまで追い詰めていたにも関わらず、最早その影は見ることもないだろう。
障壁もこの喘息じゃろくなものは張れない。
今なら赤子を殺すよりもあっさりと殺すことができるだろう。
そんな私を彼女は、唯見下ろすだけだった。
何も言わない。何も問いかけない。
ならば私から言うべきなのだろう。意識を失う前に言っておきたいこともあるし。
「最高の夜だったわ。舞台の幕引きは最低だったけどね。貴女の付き合いは悪くなかったわよ」
微笑みながら私は意識を失った。
目を覚ますと、全然知らないベッドだった。
「おはよう。気分はどう?」
さらにやり合った彼女が微笑みながら尋ねてきた。
「・・・・・・悪くないわね」
上半身を起こし、体調をチェックするが何処も悪いところは見当たらない。昨日の絶好調の時のままのような状態だ。
なるほど。そういうことか。
「あれだけ調子が良かったのは貴女のおかげなのね」
「何の事?」
ニコニコと笑いながらとぼける紅い悪魔。
「貴女、私の体調状況を弄ったでしょう? 恐らくあの領域にいる時はなにがあっても体調不良に至らないように」
複合魔術を打つ時ですら、咳き込むことがあるのに先の戦いの時は一切なかったのだ。
「けど悪くなかったでしょう?」
「確かにね」
そう。
喘息のせいで全魔力を出すことは叶わなかったのだ。
そして同時に全魔力をぶつけられるような相手もいなかった。
その願いを同時にかなえてくれた彼女には感謝する他ない。
「貴女、気に入ったわ。数百年生きていたけれど、私と対等にいられるのなんて殆どいなかったわ。貴女、ここに住まわない?」
紅い悪魔が私を見据えて微笑む。
「私は貴女が気に入った。私は貴女を手放したくない。貴女に傍にいて欲しい。自分の事を全く怖れずにいてくれる貴女と離れたくない。唯の私の我侭。貴女は私の願いをかなえてくれる?」
ああ、なんだ。彼女の願いは私が願ってもない事じゃないか。
「勿論よ。貴女は私の願いを叶えてくれた。そして私も貴女と同じ事を望んでいるわ。何処に拒む必要があるかしら?」
私もまた彼女を見据えて笑う。
「じゃぁ、これからも宜しくね。パチェ」
「パチェ?」
「貴女の愛称よ。悪くないんじゃない?」
「そうね、悪くないわ。レミィ」
「長い付き合いになりそうね」
「百年以上は続くんじゃない?」
「もっとじゃないの?」
「そうね。案外死ぬ間際までいっしょかもね」
FIN
パチェ*レミ十分に堪能しました。 次回を楽しみに待っております。
・・・ずっとゆかりんが乱入してくるのを待っていたのは秘密秘密(*ノノ)