「じんぐるべ~る、じんぐるべ~る、すずがなる~♪」
軽快なリズムで奏でられる橙の歌に、もうすぐクリスマスなのだと思い知らされる。
マヨヒガの家の庭。洗濯物を干しながらぼんやりと考える。
主が眠ってから、もう二ヶ月少し。主は冬の間はすきまに潜って冬眠するため、今は橙と二人でマヨヒガの家で暮らしている。
三人でほどよい広さの家は、二人だとやや広く感じてしまう。
橙が寂しがらないように、と今年こそは冬眠を阻止しようとしたのだが、やはり力及ばず今年も冬眠してしまった。
「……はぁ」
やはり素直に言えばよかったのだろうか。
橙だけではなく、私も寂しいのだ、と…。
そんな弱気なことを考えてしまう自分を頭を振って振り払う。
そんなことしてみろ。これから50年くらいずっとそれをネタにいぢめられるに決まっている。
飴と鞭は使い様、と笑いながら仰る紫様にそれはあまりにも危険すぎる。
そもそも紫様はいつもいつも――
「藍さま~。ねぇ、藍さま?聞いてますか?」
くいっと袖を引っ張られて我に返る。
どうやら少しぼぅっとしていたみたいだ。
「ん、どうしたんだ?」
「だから、今年のクリスマスはどうするんですかって聞いたんですっ!去年は二人でやりましたけど、今年は白玉楼に招待されたじゃないですか」
「ん…そうだったな」
白玉楼の幽々子嬢は紫様の友人。きっと毎年この日を二人で過ごす私たちを哀れんでくれているのだろう。
となればそれを無下に断るわけにもいかない。
「そうだな、それじゃあ今年は白玉楼に行こうか」
「でもそうすると紫さま一人置いていくことになるって、藍さま言ってました。どうするんですか?やっぱり、置いてっちゃうんですか?」
心配そうな顔で見上げる橙。
だから安心させようと微笑んでやる。
この家のどこかのすきまで冬眠している紫様。
自信はないが、そのすきまを探す方法ならあるのだ。
「大丈夫だ。何もない日に起こすと怒られるけど、その日だけはお祭りだからな。意地でも連れて行ってみせるさ」
問題は紫様が起きてくれるかどうか、だけど。
最後のほうは口には出さない。
せっかく橙が元気になったんだ。不安にさせる必要はどこにもない。
積もる雪に再び夢中になる橙を見ながら、少しだけ嫉妬を覚える。
私にもあのように素直な時期があったはずなのに、今ではそのときの私のことをまったく思い出せないことに。
子供のときに夢見たことは、大人になってしまうと霞んでしまうという。
以前読んだ本に書かれていたことを思い出す。
馬鹿な。式神に子供も大人もあるものか。
私は、今もあのときの光景を忘れなどしない。
そう…
今はただ、冬眠しているだけなのだ。
深い、深い記憶の底に――。
☆★☆★
白玉楼での宴は24日の夜に行われる。
時間はあまりなかったが、橙や私、紫様に着せる服を縫いながら家中のすきまに気配を潜らせる。
結界・境界の類は紫様の得意分野だとしても、もとよりここはマヨヒガ。幻想郷の中を曖昧に存在するこの場において絶対などという言葉はありえない。
だから私程度の力であっても、紫様が本気で隠れでもしないかぎりは見つけられるのだ。
――本気の紫様。
その姿を連想して、私は自分の背中に怖気が走るのに気が付いた。
どんな結界も境界で区切られているかぎり、それを打破するのは容易い、と笑った紫様。
本当の結界とはこうやるのよ、と嗤った紫様。
それは結界というにはおぞましい。結ばれた界隈の意味を為さないものだった。
結界の境界線を曖昧にしたのだ。
ありえない。
それは本当の意味で隔離と同義語だ。
境界線に触れられなければ…そこに境界線があることに気が付かなければ、誰もその結界を解くことなんて出来はしない。
人を閉じ込めて、結界を敷き、境界線を曖昧にしてしまえば…
人は、迷い込んだことにも、結界の中に侵入してしまったことにも、そして永遠に抜けられないということにさえ気が付かないで死んでいく。
永遠に結界の中を歩きつづけて、果てていく。終わりのない結界の中で。
思い出してしまったことに嫌悪しながら、私はすきまの探索を一時的に中断した。
二つのことを同時にやれば、その狭間に無駄な思考が入り込む。
今はただ、一つのことに集中すればいい。
無駄なことを考えず、ただひたすらに作業をしよう。
そうやって数日が過ぎ、あっという間に24日になる。
私は宴に持っていくものの準備を終わらせ、紫様の冬眠するすきまの中に侵入していた。
用意するものは松明や、ストーブと呼ばれるもの。
とにかく熱を発するものを全てこのすきまに突っ込んでやった。
あとはおいしそうな匂いを発する数点の料理。
動物は寒くなって食料がなくなるから冬眠をする。
だからその考えでいけばきっと紫様も起きてくれるだろうと思ったのだ。
「……それにしても、暑い………」
暑いというよりも、熱い。
サウナや蒸し風呂を彷彿とさせるその温度は、そろそろ私の限界に差し迫ろうとしている。
「ほら、紫様。起きてくださいよ」
さすがに心地よく眠れないのか、うなされている紫様の肩を揺する。
しかしそれでも汗をかかないのは…もはやすさまじいとしか言い様がない。
「今日は幽々子嬢のところで宴があります。行かないんですか?たしか前回の飲みくらべは引き分けだったから今回こそ…とか言ってたじゃないですか。いい機会ですし、起きてくださいよ」
それに、どうせ冬眠中も一回は起きないといけないのだから。
なにせ冬と一言に言っても三ヶ月…下手をすれば四ヶ月ほど続くものだ。それを一着の服で過ごすというのも衛生的によろしくない。
なによりも橙に毎日お風呂に入れと言っている手前、それくらいはしないと示しがつかない。
「ん~…何よ、藍~。やたら暑いんだけど、もう季節は夏かしら~?」
返事があった。
かるく紫様の頬をたたき、覚醒を促しながら事情を説明する。
「今日はまだクリスマスイブです。幽々子嬢から宴の誘いがあったので、そろそろ一度起きてもらおうと思って起こしてみたのですが…」
眠たそうに目を擦りながらも、宴という言葉に反応して起きてくれる。
「…………」
「……紫様?どうかしましたか?」
ぼんやりと開けられた目で、じっと見つめられてしまう。
なんともいえないその表情に、魅了されかける。
それは、誘われているような…狙われているような、そんな表情。
「――っ!?」
瞬間、紫様が私に飛び掛ってくる。
緩慢な動き。だけども極限までに無駄を省略したその動きに、私は対応しきれなかった。
背中に回される腕。
肩に乗っかる紫様の顔。
吐息を感じるほどに近づけられた唇が、私の耳元で呟く。
「……もう限界。暑くてこれ以上動けないわ。藍、あとはよろしく」
これ以上ないほど妖艶な響きでもってなにを言われるのかこの方は。
あまりにもらしすぎて、苦笑してしまう。
「はいはい。それじゃあまずはお風呂ですね。体をきれいにして、その寝癖も直して、私が用意した服を着てもらいますよ」
「サイズは合ってるんでしょうね?」
「紫様が冬眠中に太っていなければ、ですが」
「それじゃあ問題ないわね」
すきまというのは、よほど保存に最適なのだろう。
…少なくとも、紫様の髪のいい匂いがまだ残っているくらいには。
私は俗に言われるお姫様抱っこというもので紫様を抱き、すきまから抜け出す。
「……寒い。まだ冬じゃないの」
「だからそう言ってるじゃないですか」
暑いところから急に出てきたため余計にそう感じるのだろう。いつもよりも過剰に寒がる紫様が私の体をぎゅっと強く抱きしめる。
「……藍。笑ってないではやくお風呂場に連れて行きなさい。妖怪だって風邪のようなものをひくのよ」
「はいはい」
そんな会話を交わしながら、あらかじめ張っておいたお風呂場へと向かう。
普段紫様は一人で入られるが、冬眠から起きた日だけは私が入れてやる。
ともすれば湯船に浸かったまま窒息死しそうな紫様を放っておくのも忍びないし、なによりも私が紫様から主導権を奪える数少ないチャンスなのだ。
橙とは違い大人しいし、子供の肌とは違ったやわらかさがあるし、滅多に触れない髪だって触れることができるし、私的にはいいこと尽くめだし。
…こんな雑念ばかり抱いていても粗相なく作業できるんだな、とふと自分で自分を感心してしまう。
風呂から上がり、湯冷めしないようにとあたたかい服を着せる。
とうもろこしの毛のようにきめの細かい髪を丁寧に乾かして、整えていく。
そのうちに紫様もきちんと起きはじめて、私の準備した服を着始める。
手っ取り早く紫様の作るすきまで白玉楼へ向かおうかとも思ったが、紫様の「たまには冬の雪景色を楽しみましょう」の一言でのんびりと飛んでいくことが決定した。
外は相変わらず寒かったが、普段よりも少しだけ機嫌のいい紫様を見て、嬉しくなる。
やがて見えてくる冥界へと通じる門。
それをくぐり、白玉楼へと向かう。
広い広い二百由旬あると云われる白玉楼。広大な冥界においてなお一目置かれるこの場所へは多くの霊達が訪れる。
…が、今回に限っては宴のために集まったというわけでもなさそうだ。
「やけに殺気立ってますね」
ぽつりと呟くと、紫様もそれに同意するように頷く。
橙に至ってはその数えるのも馬鹿らしいほどいる悪霊を見て竦みあがってしまっていた。
「ざっと500。…ま、今日はイエス・キリストの生まれる前夜祭だしね。悪魔に取り憑かれた霊たちには最高の夜だもの、これくらいは大目に見ないと」
大仰にため息をつき、紫様が言う。
きっとここの庭師殿も頑張ってはいるのだろうが、量が量だ。下手したら宴の準備どころではないかもしれない。
「庭師の仕事を増やすような事をするなんて、幽々子も意地悪よね」
紫様の言葉に、推測はほぼ確信にかわる。
おそらく幽々子嬢はクリスマス・イブという日に宴を開いたことなど今までないのだろう。
主人の気まぐれには、お互いに苦労しているようだ。
「ま、いいわ。藍、あなたは一旦橙を連れて幽々子のところに向かいなさい。それから庭師のところへ向かって宴の準備をすること。ここは私に任せなさい」
すぅっと紫様の瞳から光が消える。
「え…し、しかしっ!」
照準が合わないその瞳には、紫様の妖怪としての残酷さが見え隠れする。
慌てて言葉を紡ぐが、それは紫様の微笑によって止められてしまう。
「あら、私がこの程度の量に遅れをとるとでも思って?」
「……いえ、怠け者の紫様が、とんだ気まぐれだなと」
「………殴るわよ。グーで思いっきり」
「さ、橙。今のうちに行くわよ」
怖かったので素直に従うことにした。
そもそも、よく考えれば幽々子嬢と紫様の宴。その準備のほうが大変な気がする。
「ら、藍さま?でも…」
橙の手を引っ張ると、橙は不安そうな表情で紫様を見た。
心配を、しているのだろう。
「あら。安心しなさい、橙」
そんな橙に振り向く紫様。
微笑むその後ろから、無数の悪霊が放った弾幕が見える。
紫様がゆったりと、手にした傘を折りたたみ――
「零というものは、いくらかけてみたとことで所詮は零なのよ」
そう言った瞬間、目に痛いほど放たれていた弾幕が――全て、消えた。
「庭師の手に余るような霊達だろうと、所詮はこんなもの。かかって来なさい。――全て、喰らってやるわ」
そう言って、瞬きの間のもなく紫様の姿が消える。
その刹那繰り広げられる惨殺劇に、戦慄が走るのを感じた。
忘れたわけではない。だけど、深い深い記憶の底に冬眠していたはずの紫様の姿が、そこにあった。
恐ろしいほど優雅に。決して速いとはいえない動作で。全ての事象を喰らっていく、その姿。
妖艶な瞳に何も映さず、不敵な笑みで霊を飲み込んでいくその姿は、当時の紫様そのものだった。
「……久しぶりに、私も初心に戻ってみようか」
橙の手を引き、その場を後にする。
「ゆ、紫さま…凄いですね」
橙のその言葉を、自分のことのように嬉しく感じられる。
「あぁ、そうだな」
初心に戻るためには、まず何をしなければならないか。
そんなもの簡単だ。
「とりあえず、庭師殿の手伝いをしないとな」
紫様の、喜ぶ姿を見ればいいのだ。
それだけで、私はあの時と同じ私に戻れるのだから――。
★☆★☆
「それにしても幽々子もひどいわねぇ。私が起きてこなかったらあの量の霊を藍に押し付けるつもりだったの?」
宴もたけなわ。私自身ほろ酔いしはじめた頃、紫様がそんなことを言って幽々子嬢に絡んでいた。
そういえば紫様が起きてこない可能性もあったな、とあらためて思ったりして少し酔いが醒める。
橙を庇いながらという場面を想定して、悪寒が走る。
「…ん~、とりあえず私は死を操れる程度の能力だし?人の気配には敏感なのよ」
そこで一旦言葉を区切り、杯に注がれた酒を一気に飲み干す。
「紫が来れば気配でわかるし、来なくても藍があれらと交戦してれば自然と私に伝わってくるわ。…まぁ、紫が来なければ、なんて質問自体愚問だけれど、もしそういう場面を想定するならば、あれらを多少は操って藍の手助けくらいはしたかもね」
人差し指をくるくると回しながらふふふと楽しそうに微笑む幽々子嬢。
ほのかに染まる頬は、とてもじゃないが私の三倍以上飲んだ者の頬とは思えない。
「…て、藍殿にも厳しい相手を私はさっきまで相手にさせられてたんですかっ!?」
「だってそろそろ私の力で抑えとくのも煩わしくなっちゃったんだもん~」
激昂しかける庭師殿に、幽々子嬢は許して?と可愛らしくしなを作る。
「うっ…そ、そりゃあの量を抑えておくのは大変でしょうけど……」
「いやいや妖夢。抑えておくのが大変だったんじゃなくて見た目が煩わしかったのよ」
「なんですとーっ!?」
がびーんとショックを受ける庭師殿。
普段はこのようなリアクションは取らないはずなのだが…どうやら幽々子嬢に勧められて相当な量の酒を呑まされたらしい。
プリズムリバーに演奏を頼みに行って、そのときに鉢合わせた紅魔館のメイド長にこてんぱんにされたのがよほどこたえているらしい。
「藍~。一人で澄ましてないであなたもこっちに来てお酌しなさい」
手招きする紫様に導かれてそちらへ寄る。
ちなみに橙はすでに紫様の手によって陥落して眠りこけている。
やはり式としての期間がまだ短いため、酒に対する抗体があまりできてないようだ。
紫様の杯になみなみと酒を注ぎ、自らの杯にも注がれる。
「…ねぇ、ところで紫?さっきの戦いを見ていて思ったのだけど…」
庭師殿をからかって遊んでいた幽々子嬢が、ふと紫様に話を振る。
「私の死を操る程度の能力は、あなたのすきまや結界すらも終焉に迎えさせることができると思わない?」
ぴくり。紫様が反応する。
「へぇ…それじゃあ幽々子は私に勝てるとでも思っているのかしら?」
「さぁ?でも、試してみてもいいと思わない?」
ふふふと薄笑いを浮かべる幽々子嬢に、紫様も笑みを返す。
「ふふ…いいわね。興が乗ってきたわ。表に出なさい、幽々子。勝負よ」
「ふっふっふ、今夜の私をただの幽々子と思わないことね」
「あら、何か違うのかしら?」
「いや、ただの幽々子よ」
そんな珍妙な会話をしながらいそいそと外へ向かう二人。
「あぁ、そうだ藍」
「そうそう、妖夢」
二人がくるりと振り向く。
「主人らしく、たまには格好いいところを見せてあげる。しかとその目に焼き付けなさい」
「これから繰り広げられる弾幕は、きっとあなた達にとっても為になると思うから、見ておいて損はないかもね」
私と庭師殿は顔を見合わせる。
まさか。まさかまさかまさか。
紫様と幽々子嬢は、私や庭師殿に自身のカリスマ性をアピールしようというのか。
あまりといえばあまりの結論に、苦笑が漏れる。
たしかに最近、二人ともあまり主人らしいことをしてはいなかったが…
それにしたってひどい話だ。
――私や庭師殿の心は、とうの昔に決まっているというのに。
「紫様」
でもまぁ、今日くらいは付き合ってあげよう。
「頑張ってくださいね」
私も、昔のことを忘れかけていたのだ。今日のところはおあいこということで。
それに、格好いい紫様も嫌いじゃない。
「ふふ、任せなさい。あなたは私を誰の主人だと思ってるのよ」
「はい。紫様は、私の主人ですものね」
「そのとおり」
そう笑って、紫様はふわりと浮かび上がる。
「あなたはいつものように、笑って私を迎え入れてくれればいいのよ」
幽々子嬢と対峙する紫様。
幽々子嬢は扇子を広げ、紫様は傘を開く。
「さぁ、始めましょうか。亡者の姫君?」
「ただの幽々子を舐めないことね。境界の支配者」
蟲惑的に、二人は舞を始めるように動き出す。
接近する二人。懐から取り出すスペルカードは――
「――夢と現の呪。あなたの在るべき世界を忘れさせてあげる」
「――亡我郷・自尽。我を忘れるほど我が舞に酔い痴れなさい」
激しく、そしてなにより美しいと感じられた。
「あぁ……」
ぽつりと呟いてしまう。
そして…おそらくこの場に語り手がいたならば後世に語り継がれるだろう光景を目の当たりにして、思う。
「綺麗だな……」
私は、今日という日を忘れないだろう――。
紫様と藍様のやりとりは萌えです。
機会があれば、二人の過去のお話も読んでみたいですね。
自然とそう思うくらい惹かれた話でした。