――あぁ、此の本を見つけてしまいましたか。
其れは、此処と同じ違う場所で起きた物語を記したモノです。
其処に記されているのは全て作者の勝手な思い込み、刷り込み、妄想、幻想、夢想、等々によって成った物語ばかり。
其れを本物と見るかどうかは貴方次第。
其れを良しとするかどうかは貴方次第。
若し、そのような物語がお嫌いでしたら、今すぐに此の本を閉じてください。
……宜しいですか?
若し宜しければそのままお読み下さい。
――――――――――――――――言想と言実の境界―――――――――――――――――
1.
後々聞いた話である。
その日―――。
森近霖之助は古道具を買い取る為に、幻想郷にある村の一つを訪れていた。
外から流れて来たと思われる奇妙な銀盤――蓄音機に使う黒盤に似ているようだが微妙に違うように霖之助には見えた――を数枚手に入れ、さてこれは何だろうかと考えながら村を後にしようとしていた霖之助は、村の広場に人だかりが出来ているのを見つけ、何気なく近寄ってみる事にした。
「何かあったんですか?」
急に現れた霖之助に村人は一瞬怪訝そうな顔をしたが、声をひそめてこう言った。
「……身投げだよ」
「身投げ……ですか」
確かに、村人の隙間から彼らが取り囲んでいるモノを伺ってみると、人の形に盛り上がった藁のムシロが横たわっているのが垣間見えた。
ムシロに覆われ、その下に居る――“ある”と言った方が正確なのかも知れないが――者の顔を窺い知る事は出来ないが、わずかにはみ出した細い手足から、あのムシロの下に居るのが、女性である事だけは判った。
その傍らで、五、六歳程の男の子が、足を投げ出して地面にそのまま座っているのが見えた。彼の目は亡羊としていて、捉え所が無く、何が見えているのか時折視線を虚空に彷徨わせると何かを捕まえるかのようにその手を空に伸ばすと言う事を繰り返していた。
「あの……。あの子は……」
「あぁ、身投げした奴の子供さ。
この辺りじゃ有名な子供でね。一寸ばかり“ココ”がね」
村人は霖之助の問いにそう答え、自らの頭を人差し指で二度ばかり叩いた。その仕草だけで何を彼が言わんとしているのかを察した霖之助は、それ以上の追求を止める事にした。意味の無い事だ。
「若しかしたら、“それ”を悲観して、子供と一緒に死のうとしたのかも知れんなぁ……」
彼はそう呟くと、何が起きているのか理解していないであろう子供に、哀れむような視線を向けた。周りを囲む村人も同じ気持ちなのか、そっと辺りを見渡してみると、誰も彼もが同じような表情を子供に向けていた。
その中心に居る子供は、矢張り何が起きているのか理解していないらしく、回りを囲む大人達を見渡しては無垢な笑みをその顔に浮かべた。
「あの子は、これから……。誰か引き取ったりは?」
「誰もせんよ。ただでさえ今年は冬が妙に長くて、自分らの食べる分さえままならねぇんだからよ……」
「じゃあ、あの子は……」
「妖怪に喰われるのが先か、野垂れ死ぬのが先か……」
「そんな―――」
しかし、その先が続かない。
彼の言う通り、今年の幻想郷は“ある理由”で冬が五月を過ぎても明ける事は無かった。その所為なのだろう、何処の村も作物の生育が遅れ、夏も終わりになろうとしているというのに、稲を植えた田には、今だに水が張られている。
「生まれてきた事がいけなかったのか、産んでしまった母親が悪かったのか……。どちらにしろ、気分の良いモンじゃねぇな」
居た堪れなくなって、逃げるようにその場を離れた霖之助の耳に、村人の零したそんな言葉がさながら呪詛の如く残った。
「……はぁ」
もう何度溜め息をついたのだろう。
逃げるように村を離れた霖之助は、一人帰途の道を急いでいる。
時刻は既に誰彼刻。霖之助の背後には、長く己の影が伸びていた。
早く帰らなければ直ぐに夜に――妖怪の時間に――なる。仮令人間に友好的な妖怪が居たとしても、それはあくまで少数派であり、妖怪と人間は何処まで行っても、何時まで経っても襲い、襲われる関係なのだ。魔理沙や霊夢と違って、霖之助の“能力”は荒事には向いていない、襲われたらひとたまりも無い。自然、帰途を行く足も速くなろう。
「……はぁ」
もはや数える気も起こらない。
“あんな事”を見てしまった所為だろう、霖之助の気分はすこぶる優れなかった。他人事とすぐに忘れる事が出来る程、霖之助の頭は器用に出来ていない。
確かに、今の食糧事情を考えると、あの女性の取った行動が間違っていたと断言出来るわけでもない。だがしかし、正しかったのかと問われると首を傾げざるを得ない。そんな微妙なバランスが、霖之助の溜め息の数を増やし続けていた。
いっそ、知らない方が幸せだったのだろう。
「…………」
肩を落とし、視線を落とし、足を止めた霖之助はふと、自分の隣に誰か立っている事に気が付いた。
「どうかなさいました?」
顔を上げると、そこには子供がつけるような大きなリボンで髪を結っている女性が一人、霖之助の顔を覗き込んでいた。
「ご気分でも悪いんですの?」
「え、あ、否、なんでもありません。ご心配をおかけしました」
「それならよろしいのです」
何か奇妙な感じがする喋り方である。まるで子供が話しているようだ。
……おかしいか知ら……。二十歳はとうに越えているだろうに。
考えてみれば、彼女の髪をくくっているリボンも、大人がつけるような代物には見えない。
霖之助の視線に気が付いたのか、彼女は慌ててリボンを隠すように手で覆った。
「あぁ! やっぱり変ですのね! ……私、長い事患っておりまして、床についていたんですの。そこで子供の頃の夢を見て、思いましたの。良くなったらまたお外を走り回ろう、大好きだった大きなリボンをつけて」
そこまで言うと、表情を曇らせ「でもやっぱり変ですわね」と呟いた。
「あ、いえ、お気になさらず……似合いますよ」
霖之助の一言に、彼女は直ぐにぱぁ、と表情を明るくする。
「まぁ、お上手ですのね」
「いえ……。ではもう病の方は治ったんですね」
「えぇ、もうすっかり!」
子供のような笑みを浮かべたが、彼女はすぐさま何かを思い出したかのような表情を浮かべ、またその顔を曇らせる。
「……浮かれている場合じゃ無いんですの……。あの、私の子を知りませんか?」
「え?」
唐突に言われ、面食らったが、どうやら彼女の子供が迷子になっているらしい。
「その、恥ずかしい事ですが、私の子は、その、少しばかり頭の成長が遅れてまして、五歳になったというのに直ぐに何処かへ行ってしまうんですの……」
「あ、いや、これは言い難い事を……。失礼しました」
先程から謝ってばかりいるような気がするのは気の所為か。
結界という壁に囲まれた閉鎖空間である所の幻想郷では、外の血というものが非常に入り難い。稀にやってくる外の人間にしたところで、幻想郷の人間全てと交わる事が出来るはずも無く、どうしても近親間による婚姻や出産が増え、それ故に畸形や知能遅れの子が産まれ易くなってしまう。或いは、この女性の子供も、そんな子供なのかもしれない。
そのような子供の多くは“鬼子”と呼ばれ、得てして“家の恥”としてその存在を外に出したがらないものだ。一部に“わざと”そのような子を産ませる家があるが、そのような例は本当に稀である(霖之助はそんな家をひとつ知っているが)。
「もう直ぐ夜になります、女性一人じゃ危ないですから僕も手伝いますよ」
「はぁ。でも大丈夫ですの。何処に居るか判ってますから」
「え?」
つくづく妙な事を言う人だと思った。何処に居るか判っていたらそれは迷子と言わないのでは無いだろうか。或いは連絡があってそこに迎えに行くという事なのか。だが彼女は最初『私の子を知りませんか』と問うてきた。
……やっぱり少しおかしいのか知ら。
失礼だとは思うが、どうしてもそう思わざるを得ない。
「この先の村に居るようなので、迎えに行きますの。ご心配をおかけしました」
「あぁ、僕は何もしていませんし。そんな頭を下げられても困ります」
深々と頭を下げた彼女に、霖之助は少し苦笑を浮かべながら顔の前で手を振った。
「それでは、失礼しますの」
彼女はそう言うと踵を返し、霖之助とは逆の方向に歩き出した。
その先にあるのは先程まで霖之助が居た村。恐らくそこに子供が居るのだろう。
……例えどんな子でも、親にとってはやはり子供なのだな。
今日一日で親という生き物の両極端な例を見た気がした。
あの村で身を投げた親も、先程の彼女も、その形に違いはあれど、同じように子を思う親なのだ。
少し、気分が良くなったような気がした。
「さて、僕も急いで帰ろう」
呟くと、霖之助は止まっていた歩みを再開させた。
……霖之助はひとつ見落としをしている。
彼女が向かった先は霖之助とは逆方向。
ならば少なくとも彼女は霖之助の“前”からやって来なければならない筈である。
だが霖之助は、彼女に声をかけられるまでその存在に気が付かなかった。
さて、彼女は何処からやって来たというのだろう―――