たまたま窓を覗いたら呆れるほど綺麗な夜だった。
雲は少なく、紅い月が煌々と大地を照らしている。
私は数冊の魔道書を手に取り、普段なら決してすることのない月明かりの元で本を読んでみることにした。
月見もかねて夜空を飛んでいたら、月光が適度に照らされる場所を見つけた。
早速その場に腰を下ろし、持ってきた本を読み始める。
本を読み始めて数刻も経たないうちに自分の異変に気がついた。周りの景色が違うだけのいつもと変わらない読書のはずにも関わらず、なぜか私の心の鼓動はいやに高まっていた。持病の喘息の発作とは違う鼓動が、自分の耳にはっきりと聞こえている。
いつも見る無機質に並ぶ本棚がないのに不安感があるのか?
まさか。自身の問いかけに自嘲しながら馬鹿馬鹿しく首を振る。
これはそんな不安感からくる鼓動ではない。かといって夜の深まりからくる恐怖感でもない。まったく別の胸の高まり。まるで何かを待ち焦がれているかのように。
と、そんな思いに耽っていると不意に紅い月が影を差した。
「あら、珍しい。こんな所に魔女がいるなんて」
これが私と彼女の長い付き合いになる始まりだった。
私の前に現れたのはまだ年端のいかない少女だった。
もっとも、この幻想郷では外見の年齢なんていうのは殆どアテにならない。見てくれがそのまま通じるほど、この世界は優しくないのだ。
彼女の背には二対の翼と笑顔の口元から見える発達した犬歯。おそらく吸血鬼の類だろう。
「こんな所とはずいぶん無粋ね。適度に月明かりが射して、なおかつ本が読める絶好の場所だとは思うんだけれど?」
「そうね」と同意しながら私の近くに降りてきた吸血姫が辺りを見回す。
全体的に木々が生茂っているが、私と彼女の周りだけ切り取られたかのように広い空間が佇んでいる。紅い月も高い位置から煌々と照らしているため、絶好のロケーションとも言えよう。
「けれどここは紅魔館の近くの森。これが意味する所を貴女なら理解できるんじゃなくて?」
――紅魔館。
ああ、なるほど。納得する。
どんなに素晴らしいロケーションだとしてもその名を聞けば、人妖問わずして二の足を踏むだろう。
だが、
「あまり関係ないわね」
私にとってはひどく意味のないものだ。だから私は彼女から本に意識を移しなおそうとした。
「そうね。貴女ならそう言うと思ったわ。パチュリー・ノーレッジ」
意識が再び彼女に向き直る。
「私の事を知っているみたいね?」
彼女の赤い瞳と私の視線が交差した。彼女は私の納得しない表情に満足したのか、笑みを浮かべて唄うように告げた。
「えぇ、ある程度はね。七曜の聖賢。日陰の隠者。秘石の到達者。根源に近き魔女。生ける魔術大全。あぁ、それともオールワードといったほうがいいかしら?」
パタン。
自分で閉じた本の音が嫌なくらいはっきりと聞き取れた。
私の知識と記憶が彼女は何者であるかは、すでに導き出されてしまっている。できれば間違っていてもらいたいものだが、最悪な事に恐らく外れることはないだろう。
「そこまで知っていたらある程度とは言わないわよ。レミリア・スカーレット」
私は呆れて一息つきながら、半眼で睨みつけた。
「あら、私の事を知っているの?」
「そりゃね。紅魔館と聞いてあなたが吸血鬼で、さらにさっき意味深な台詞を言ってたら誰だってこの結論には至るわよ」
スゥッと彼女は微笑を浮かべ、切れ目のある目が一段と鋭くなった。
「ならばどうするの?」
挑戦的とも言える台詞と態度に、しかし私はさらに一息つく。
「どうもしないわよ。正直貴女が何者であろうと然程関心があるわけじゃないし、私は本を読みたいだけ。遊び相手なら他所で探してもらえないかしら?」
ただの気まぐれで外に出て本読んでいるだけなのだ。トラブルなんてごめんである。
「ふーん、そう」
瞬間、全身の肌が一瞬で粟立った。
根拠もなく私は咄嗟に全方位型の障壁スペルを張る。
――衝撃。
「ぐっ!?」
目視すらできなかった一撃に、私の体は横っ飛びになり吹き飛ばされる。幸いにしてスペルは間に合ったようだが、今の一撃が私を一瞬にして襤褸雑巾に変貌されるだけの威力を持っていることははっきりと分かった。
体を立て直し、一撃の正体に気づいて私は目を丸くした。
放たれた一撃は魔力の塊でもなく、弾幕でもなく彼女の拳だったのだ。
私が驚いている同様に、彼女の表情にも若干の驚きの表情が浮かんでいた。
「あの一瞬で、今の一撃を緩和するだけの障壁を張れるなんてね」
彼女の表情が徐々に喜悦へと変化していく。
「いいわ。いいわ。実に良いわ。こんな所で貴女のような者と巡り合うなんて、思ってもみなかったわ」
狂気を孕んだ喜びが、辺りに波紋となって拡がり続ける。気の弱い者なら、この狂った空気に中てられただけで発狂死するだろう。
――まぁ、もっとも私はこんな狂気に中てられた程度で引くような育ちはしてないけれど。
「へぇ?」
その狂気の中心を平然と見据える私を見てか、彼女はさらに頬を歪ませる。
「やり合う気?」
「当然でしょ。読書の邪魔をされた上に、こんなちょっかいをかけられて黙って下がるほど私は温厚な性格じゃないのよ」
彼女の指向性を持った殺気がまともに中てられる。だが引くつもりなぞさらさらない。一時的にとはいえ読書の楽しみを私から奪ったのだ。この程度では揺るがない。
「貴女、本当に良いわ。先の攻撃を防いだのもあるけれど、あなたは私を怖れていない。ずいぶんと久し振りよ。私に怖れを抱かずに挑んで来るのは」
先ほどよりもさらに濃密な狂気。
「楽しませてもらうわよ?」
巻き起こる魔力の奔流。
「貴女には、教育係が必要よね」
「そうかしら?」
「そうなのよ。だからね」
紅い月の元、夜空に二人の少女が舞い踊る。
「熱いお灸を据えてあげるわ! 紅と血を携えた姫君!」
「やってみなさい! 知と識を従える賢者!」
続き期待しています。
どうもレミィはエメラルドメガリスを殴り返しているイメージが(笑