深々と白いかけら舞い落つる一日――
渺茫たる原野に、ふたつの人影が立ち尽くしていた。
ひとつは、小娘の風体である。
真っ青な長衣をまとい、くりくりとした目の両端をツンと吊り上げたさまは、一見、ただの勝気な少女と見えぬでもない。
が、その背に負った薄い羽、またこの極寒にありながらの薄着にして素足、それらをかんがみれば、どうあれ生身の人間であろうはずはない。
しかり――彼女は妖精、それも氷精であった。となればこの寒天に苦しむどころか、むしろ躍動するのも道理といえよう。
娘は手を握ったり開いたりしながら、向かい合った人物に、しきりに何か訴えている。
「……つまり!」
ひときわ、少女が声を張り上げた。凍てついた大気をパリン! と打ち割らんばかりの、それは気迫。
「あんたは、あたしの言うとおりにすればいいのよ!」
まさに風も凍えさせんばかりの怒気であったが、それを真っ向から受けた相手は、まばたきもせず、
「――それはできません」
と、こちらは大地に染み込む根雪さながら、静かにしかし力強く答えたものである。
「あなたを見込んでついてきましたが、これ以上、助力することはできかねます」
淡々と述べたこの人物は、やはり歳若い女に見えたが、なに、よく見ればやはり人の手にはなりえぬ薄布のマントを羽織ってい、のみならずやはりこの冷気に鳥肌ひとつ立てていないところを見れば、これまた人間であろうはずはない。
まさしく――彼女は妖怪、それも冬のあやかしであった。
「あたしを、裏切ろうって、いうの」
残忍なまでに面相をゆがめ、氷精は一語一語を区切りながらいった。そうすることで、おのれの怒りを確認するかのごとく。
「裏切るなどとは。ただ……あなたに、これ以上ついていくことはできない、と言っているのです」
冬妖は少女の苛烈な視線にもたじろがず、地に足が根付いたかのように身じろぎすらすることなく、静かにいった。
「同じことよッ。あんたはあたしの手下なのに! 手下が主人を見捨てるって言うのは、裏切り以外のなにものでもないでしょうがァ――」
嚇怒。
視認できるほどの妖気が、氷精の周囲に渦巻いている。
「見捨てるのではありません。……あなたが行いを悔い、道を改めるのならば、私は喜んであなたを助けるでしょう」
清澄。
吹き寄せる凍気の渦を受け流しながら、冬の妖怪は諄々と説いた。
「今からでも、遅くはありません。あやまちを――」
「うるさい」
怒号。
大気がひび割れたかのごとき振動を帯びて、氷精は突進していた。
「食らわせてやるッ! レーーーーティ!!」
氷の弾丸と化した妖精は、真っ向微塵に冬妖・レティへと肉薄した。
「――チルノさん!」
一瞬、レティはマントを脱ぐや、ひらりと眼前にはためかせた。
「目くらましなどはっ!」
無駄! とばかり、氷精・チルノはまっしぐらに突っ込んだ。
その威力は、冬妖怪・レティを瞬時に爆砕!
……するはずだったが、しかし実際は空しく宙を切ったばかり。
「な……!?」
「――このマント、ただの伊達とでも?」
いつか、レティは上空に在った。その手には、先ほど脱いだ薄地のマント。
「ちっ! 何のまやかしよ!?」
「此処に宿るは、季節の力」
歌うように舞うように、レティはマントを翻した。
「――冬より春へ。春から夏へ。夏また秋へ。秋やがて冬へ――巡りめぐって繰り返される、四季の力」
ゆえに、と冬妖怪は続けた、
「その力は秋を冬に、冬を春へと移すもの。あなたのすべてを凍てつかせる冬の力では、この結界に近寄ることは不可能! なぜなら冬力来たれば春力をもって変換するがゆえに。あなたの冷気では、私は倒せない――」
チルノは憤怒した。
「小賢しいのよっ。小理屈ばかり並べて! 目にもの見せてやるっ!!」
と冷気集めて放ったものの、レティの結界に触れるやたちどころに暖気と化し、ゆらゆらと水蒸気を吹き上げるばかり。
「ものわかりの悪い人」
哀れむように、レティ。「力任せではいけないと、言っているのに」
「うるさいうるさいっ、あたしに指図するなっ!」
吼えたけりながら、チルノは激情のままに凍てつく波動を繰り出していく。
しばし、白煙が立ち上り、周囲を包んだ。
風一陣過ぎると、ふたつの影が浮かび上がる。
かたやチルノは、ハァーハァーと荒い息をついており、その肢体はすっかり青ざめ、いよいよもって凍えていた。
いっぽうレティはと見れば、マントを掲げながらも、その体躯はところどころ溶け崩れ、血液ならぬものを滴らせていた。
「――はぁ、はぁっ」
「――ふぅ……っ、ふぅぅ……」
互いに気息奄々、膠着の状態であった。
このまま、一夜も越そうかというほどであったが……
ふと、チルノが腕を下ろし、
「……やめるわ」
怪訝な面持ちのレティに向かって、なおいうには、
「あんたとやり合って勝とうが負けようが、何の得もないし……ね」
では、とレティは問うた、「所業を、改めると?」
そうね、とチルノは逡巡しつつも、「まぁ……そういうことも考えないと、いけないんじゃない?」
「わかっていただけたんですね……」
まぁね、と氷精は手を差し出した。「仲直りの、握手といこうじゃない」
「…………」
たっぷり数秒、レティは少女の手を見つめていたが、やがて、自分も手のひらを差し出した。
氷柱。
「――ッ」
チルノが、背に隠していた氷柱を振り下ろしていた。
頭蓋を痛打され、もんどりうって倒れる冬妖。
「……お見事……」
か細い息とともに、レティはいった。「……力押しだけでは……ダメだと……気づいたのですね」
おかげでね、とチルノはいった。
「……それでこそ……雪と氷の眷族……」
雪は、降りつづけていた。
白く白く装われていく、ふたりの身体。
氷精チルノは、心地よい冷たさに浸っていた。
(彼女は、笑っていたかな)
なんとなく、そんなことを考えながら。
渺茫たる原野に、ふたつの人影が立ち尽くしていた。
ひとつは、小娘の風体である。
真っ青な長衣をまとい、くりくりとした目の両端をツンと吊り上げたさまは、一見、ただの勝気な少女と見えぬでもない。
が、その背に負った薄い羽、またこの極寒にありながらの薄着にして素足、それらをかんがみれば、どうあれ生身の人間であろうはずはない。
しかり――彼女は妖精、それも氷精であった。となればこの寒天に苦しむどころか、むしろ躍動するのも道理といえよう。
娘は手を握ったり開いたりしながら、向かい合った人物に、しきりに何か訴えている。
「……つまり!」
ひときわ、少女が声を張り上げた。凍てついた大気をパリン! と打ち割らんばかりの、それは気迫。
「あんたは、あたしの言うとおりにすればいいのよ!」
まさに風も凍えさせんばかりの怒気であったが、それを真っ向から受けた相手は、まばたきもせず、
「――それはできません」
と、こちらは大地に染み込む根雪さながら、静かにしかし力強く答えたものである。
「あなたを見込んでついてきましたが、これ以上、助力することはできかねます」
淡々と述べたこの人物は、やはり歳若い女に見えたが、なに、よく見ればやはり人の手にはなりえぬ薄布のマントを羽織ってい、のみならずやはりこの冷気に鳥肌ひとつ立てていないところを見れば、これまた人間であろうはずはない。
まさしく――彼女は妖怪、それも冬のあやかしであった。
「あたしを、裏切ろうって、いうの」
残忍なまでに面相をゆがめ、氷精は一語一語を区切りながらいった。そうすることで、おのれの怒りを確認するかのごとく。
「裏切るなどとは。ただ……あなたに、これ以上ついていくことはできない、と言っているのです」
冬妖は少女の苛烈な視線にもたじろがず、地に足が根付いたかのように身じろぎすらすることなく、静かにいった。
「同じことよッ。あんたはあたしの手下なのに! 手下が主人を見捨てるって言うのは、裏切り以外のなにものでもないでしょうがァ――」
嚇怒。
視認できるほどの妖気が、氷精の周囲に渦巻いている。
「見捨てるのではありません。……あなたが行いを悔い、道を改めるのならば、私は喜んであなたを助けるでしょう」
清澄。
吹き寄せる凍気の渦を受け流しながら、冬の妖怪は諄々と説いた。
「今からでも、遅くはありません。あやまちを――」
「うるさい」
怒号。
大気がひび割れたかのごとき振動を帯びて、氷精は突進していた。
「食らわせてやるッ! レーーーーティ!!」
氷の弾丸と化した妖精は、真っ向微塵に冬妖・レティへと肉薄した。
「――チルノさん!」
一瞬、レティはマントを脱ぐや、ひらりと眼前にはためかせた。
「目くらましなどはっ!」
無駄! とばかり、氷精・チルノはまっしぐらに突っ込んだ。
その威力は、冬妖怪・レティを瞬時に爆砕!
……するはずだったが、しかし実際は空しく宙を切ったばかり。
「な……!?」
「――このマント、ただの伊達とでも?」
いつか、レティは上空に在った。その手には、先ほど脱いだ薄地のマント。
「ちっ! 何のまやかしよ!?」
「此処に宿るは、季節の力」
歌うように舞うように、レティはマントを翻した。
「――冬より春へ。春から夏へ。夏また秋へ。秋やがて冬へ――巡りめぐって繰り返される、四季の力」
ゆえに、と冬妖怪は続けた、
「その力は秋を冬に、冬を春へと移すもの。あなたのすべてを凍てつかせる冬の力では、この結界に近寄ることは不可能! なぜなら冬力来たれば春力をもって変換するがゆえに。あなたの冷気では、私は倒せない――」
チルノは憤怒した。
「小賢しいのよっ。小理屈ばかり並べて! 目にもの見せてやるっ!!」
と冷気集めて放ったものの、レティの結界に触れるやたちどころに暖気と化し、ゆらゆらと水蒸気を吹き上げるばかり。
「ものわかりの悪い人」
哀れむように、レティ。「力任せではいけないと、言っているのに」
「うるさいうるさいっ、あたしに指図するなっ!」
吼えたけりながら、チルノは激情のままに凍てつく波動を繰り出していく。
しばし、白煙が立ち上り、周囲を包んだ。
風一陣過ぎると、ふたつの影が浮かび上がる。
かたやチルノは、ハァーハァーと荒い息をついており、その肢体はすっかり青ざめ、いよいよもって凍えていた。
いっぽうレティはと見れば、マントを掲げながらも、その体躯はところどころ溶け崩れ、血液ならぬものを滴らせていた。
「――はぁ、はぁっ」
「――ふぅ……っ、ふぅぅ……」
互いに気息奄々、膠着の状態であった。
このまま、一夜も越そうかというほどであったが……
ふと、チルノが腕を下ろし、
「……やめるわ」
怪訝な面持ちのレティに向かって、なおいうには、
「あんたとやり合って勝とうが負けようが、何の得もないし……ね」
では、とレティは問うた、「所業を、改めると?」
そうね、とチルノは逡巡しつつも、「まぁ……そういうことも考えないと、いけないんじゃない?」
「わかっていただけたんですね……」
まぁね、と氷精は手を差し出した。「仲直りの、握手といこうじゃない」
「…………」
たっぷり数秒、レティは少女の手を見つめていたが、やがて、自分も手のひらを差し出した。
氷柱。
「――ッ」
チルノが、背に隠していた氷柱を振り下ろしていた。
頭蓋を痛打され、もんどりうって倒れる冬妖。
「……お見事……」
か細い息とともに、レティはいった。「……力押しだけでは……ダメだと……気づいたのですね」
おかげでね、とチルノはいった。
「……それでこそ……雪と氷の眷族……」
雪は、降りつづけていた。
白く白く装われていく、ふたりの身体。
氷精チルノは、心地よい冷たさに浸っていた。
(彼女は、笑っていたかな)
なんとなく、そんなことを考えながら。