一条の光の柱が立ち登る。まるで月を穿つように。
砕け散る結界と、吹き荒れる妖気。
平穏にして彼方に在る楽園、幻想郷において、最小で最大の事件が終わろうとしているのだと、八雲紫は感じた。
「……この様子だと、そろそろ終わりかしら」
誰に聞かせるまでもなく、独り呟く。既に夜明けは近く、冷え込みの頂点に達した夜気は容赦無く眠りを誘う。
もとより冬眠の必要な身、その理に逆らって覚醒しているのは少々つらい。
だが――
「まあ、せめて最後まで見届けないとね」
またも独り呟く。意識を遥か彼方へと遣っているので、口にした言葉はまったく記憶には残らない。むしろ、呟いているかどうかも判別がつかない。ただ、そのように考えていることだけは確かなのである。
月はすでに深く傾いていて、夜の色彩も薄れ始めていた。
それを目に映して、
「……ごめんなさいね、霊夢。でも、あなたには」
必要なことだったから。
最後の言葉を飲み込んで、正体不明の謝罪を紫は送った。
届かないはずの距離。受け入れられないはずの彼女の今の心。
それでも紫はそう言わずにはいられず、それを最後に呟くことを止めた。
このとき、彼女が何を考えていたのかは、恐らく誰も知らない。
何をしたのかも。
-4-
「夢想封印、獄ッ――!!」
放たれる超高速の弾幕。まさに地獄の惨状を呈する全方位複合弾。
確実に『殺す』という意思を込められたはずの式は、しかし魔理沙にはまったく別のものとして映っていた。
それは、彼女自身の痛みであり、叫び。
どうしようもなく怖くて、どうしたらわからないという感情の暴発。
だから、決して怖くはない。ただ、とても切なくて、放っておけないだけ。
魔理沙は微動だにせずに見据えると、右手に収めていた三符が一つをかざし、懐中の八卦炉を神速で引き出す。
この符は、通常では行使することが出来ないほどの膨大な魔力を用いる。だから、香霖こと森近霖之助謹製のほぼ万能マジックアイテム、ミニ八卦炉によって増幅をかける必要があるのだ。
自らに走る魔力の流れ、回路だの何だのとよく例えられるそれを八卦炉へ導く。担い手の魔力を得て、黄金色に発光するそれを、前方に迫り――到達した弾幕へかざす。
「……魔砲」
弾丸が掠めていく。ごくわずかな挙動のみで、集中を切らすことなく避けつづける。
かする痛みをはるか遠くへ置き、鮮やかな光の爆流、制御不能の魔砲を幻想する。
八卦炉が、内に満ちる小さき源の力を外に満ちる大なる源の力と合わせ、膨大な魔力を符へと注ぎ、
「ファイナルマスタースパークッ!!」
スペルカードの宣言を以って、その全てを惜しみなく解放した。
今度は、一度目に放ち、傷一つ与えられなかったそれとは違う。掛け値なしの全力射撃。
「…………ッ!!」
暴走寸前のレーザーはあっさりと霊夢の弾幕を吹き散らし、境内を覆う結界さえも吹き飛ばし、はるか遠く、月まで届けといわんばかりに空を駆け抜けた。
まるで夜明けと錯覚するように、世界に光が満ちる。
「これが、あんたの答え? こんな程度で――!!」
それでも、霊夢の咄嗟に張った五行防御結界は耐え切った。過負荷を訴えるように稲妻じみた光が走り、揺らぎが生まれている。が、魔砲はまたしても防がれ――
「悪いな、そいつは前座、だぜ!!」
叫ぶ魔理沙。その手には“一枚”のスペルカード。まったく見たことの無いもの。
――光の爆轟の中、八卦炉をしまい、残った二符を両手に持つ。
両符に込められた式を思考に焼付け、混ぜ、合わせ、結ぶ。
――空の彼方に生きる星々を儀球と模す、天儀『オーレリーズソーラーシステム』。
――月を穿つが如く駆け抜ける光を撃つ、光撃『シュート・ザ・ムーン』
隠し玉、あるいは切り札ともいえるそれを、一つの符へと合わせ、
幻想する。
はるか星の彼方、
見果てぬ宇宙の更に果て、
何よりも強い力を放ち、
波動の声を遥か彼方へ送る、
いまだ幻想に覆われた天体を。
そして、それを符へと刻み込み、新たなスペルカードを創生した。
「まさか、それを作るための時間稼ぎ――!?」
「そんでもって、お前のスペルカードを打ち止めにさせる布石だぜ、受け取れ!!」
驚愕する霊夢に、魔理沙は符の解放を持って応える。
その符に込められた想いは、届かぬ場所にいる巫女へ。
その符に込められた力は、忘れているものがある霊夢へ。
その符に込められた意味は、欠けてはならない親友。
だから、一発かまして、目を覚まさせてやる。
「恋星、『シューティングパルサー』!!」
高らかに叫ぶ声。
それに応えて、符が爆発した。
舞い散るように展開されるのは無数の光り輝く天体。
それが、七色の光条を世界に放ち、砕け散っていく。
その破片が弾幕となり、
集って再び天体へと再生し、
再び光条を放っては壊れ、霧のような弾幕となる。
時を追うごとに星と光、散り敷かれる弾幕は増え、まるで小宇宙のような世界を組み上げていく。
星への願い、想像もつかないほど豪放な営みを繰り返していく宇宙への憧憬。いつかは届くと、あらゆるものを振り切って光速で駆け抜けていく星の魔法使いの夢。
それは、そのスペルは、魔理沙の抱く想いそのものだった。
その光景に、乱舞する光と弾幕に、思わず意識を奪われた。
「……ッ、こんなもので!!」
結界に弾丸とレーザーが叩きつけられる音。それで意識を引き戻した霊夢は、今もなお結界を容赦なく削るそれらを辛うじてかわし、
そこへ、繰り広げられる弾幕のはるか果てから、二つの巨大な天体が突っ込んできた。
「な!?」
突進してくるそれを咄嗟に回避すると、それが弾幕の嵐を吹き散らすように、巨大レーザーの交差射撃を行った。両側の斜め後方から唐突に襲いくるそれは、回避をはるかに困難にする……はずだった。
「……なんの!!」
だが、それすらも霊夢は回避した。咄嗟に前方へと加速し、光が後方でぶつかり合い、互いを貫き合う。
胸をよぎるかすかな安堵。
「甘いぜ、こいつが本命だ――!!」
「……うそ!?」
そこで、いきなり不意を突かれた。
眼の前で、いつの間にか魔理沙が八卦炉を構えていた。符を維持するための膨大な魔力を発電しているはずのそれは、明らかにそれ以上の魔力を内包して、霊夢に狙いを定めている――――
そして、七色の光撃が撃ち出された。至近距離で放たれたそれは激流のように霊夢を結界ごと押し流し、容赦無く灼いていく。
そこで、結界は断末魔を上げた。
(……あ、)
亀裂を広げ、
(やばい……)
砕け散り、
(……ッ!!)
それが消滅する刹那、霊夢は全ての妖力を光へとぶつけた。
世界が光に包まれ、意識が消失する。
その直前、霊夢と、誰かに強く呼ばれたような気がした。
……夜明けを待たず、空の彼方が一瞬昼になったように輝く。
それが夜気に解けて消える頃、満ち満ちていた妖気も溶けて消えてしまった。
「……どうやら、日傘の必要はなくなったみたいね」
広大な湖のほとり、そこに佇んだまま神社の方角を見守っていたレミリアは、コートの襟を軽く整えて、隣の従者へと微笑みかけた。ちなみにコートは彼女が風邪を召してはいけないと用意したものである。
その従者、咲夜もまた、はいと小さく呟いて微笑み、頷いた。
「さて、太陽が出る前に戻らないとね。咲夜も早く寝ないと明日が辛いわよ」
「大丈夫ですよ。いざとなったら時を止めて寝ますから」
どこか冗談めかした言葉。それに、レミリアはくすりと笑うと、
「便利ね」
「ええ」
その笑顔とともに、その場を立ち去っていった。
「……彼女は、霊夢はこれからどんな風に生きるのでしょうね」
踵を返して紅魔館へ戻る途中、咲夜はそんな言葉を己が主人に投げかけた。
「まあ、大して変わらないわよ。ただ、これからがもっと楽しくなる、それ以外はね」
レミリアは、うっすらと楽しげな口調で、いつものように応えた。
「あーあ、結局徹夜か。まったく、美容に悪いぜ」
ゆらゆらと橙に揺らぐ夜空の彼方を見ながら、魔理沙は苦笑した。
その姿は目どころか、色々と当てられない状態一歩手前だった。愛用の箒は半ばからぽっきりと折れ、ミニ八卦炉は無理な使い方をしたせいか、ぶすぶすとみょんな色の煙を上げている。服に至っては縫ったり当て布をする程度では直らないと思えるほどにぼろぼろで、貴重な冬服の一つを台無しにしてしまった。
結局、あの即興スペルカードは失敗だったらしい。あまりにも複雑な式と膨大な魔力を用いたために、猛烈なバックファイアを喰らってしまった。やはり弾幕はパワーの方が性に合っているようだ。とりあえずあれは封印しておこう、と心に誓う。
と、そこで少々赤面する。あんまりにも威力が高すぎたせいか、心配のあまり思わず霊夢の名を叫んでしまったことも、いっしょに思い出してしまったのだ。
その記憶を心の中の棚へ大事にしまうと、思い出したついでに霊夢の方を振り向く。
ぺったりと、疲れきったように座り込んでいる姿。あの緋色の羽根も、赤みがかった金色の瞳も、また漆黒に染まっていた装束もすべてなかったことにされた、といった風情で元通りのめでたい紅白の格好に戻っていた。
「…………よ、すっきりしたか?」
疲れでふらふらになりながらも、魔理沙はゆっくりと霊夢の所へ歩き出した。
その声でぼおっとしている意識が輪郭を取り戻せたのか、霊夢が魔理沙を見上げる。
「なによ、とどめさすならさしなさいよ」
ぶっきらぼうに、半眼で睨みながら告げてくる。
「なんだ、まだ残ってるのか、お前?」
困ったように笑いながら、魔理沙もまた座り込む。立っているのが辛くなってきたのだ。
「……で、結局あの弾幕の答えは何なのよ」
「そりゃ自分で考えろ。私から言うには……まあ、ちょっと」
疲れたような霊夢の声。かすかに笑いながら、魔理沙がはぐらかす。
「答え、教えてくれるって言ったでしょ」
「…………あー」
そこに、強烈な反撃が飛んできた。ノリでそんなことを言ってしまった自分に、魔理沙は呪いを送った。
「ていうか、その前に恨んでないの? そんだけボロボロにしてあげたっていうのに」
「…………んー」
答えが得られないと見て取ったのか、霊夢はそんな風に話を変えてきた。
魔理沙はほんの一瞬だけ、白んできた空を見上げて考えると、
「まあ、それについては」
そういって、霊夢を優しく抱きしめた。
「すまん」
そして、ただ一言。数えきれないほどの意味をこめて、魔理沙はそれだけ呟いた。
小さな静寂。
霊夢は、その意味を図りきれなかった。なぜ、謝るのか。それに頭が思い至る前に、心の方が答えを出していた。
かすかに、自分が震えている。
息が上手くできない。
まるで出来かけの笛のような音を立てて、どうにか息を吸う。
頬が、目が熱い。
「……なんで、あんたが謝るのよっ……」
それで、霊夢は自分が泣いていることに気がついた。
それを見せたくなくて、顔を伏せて、しゃくりあげる声を押さえようとする。
「……なんか悪いことしたなら、謝るのは当然だぜ」
なおも涙を流し続けている霊夢の背中をさすりながら、魔理沙は自分に言い聞かせるように答えた。
自分のせいで、霊夢があんな風に壊れてしまった。
たとえ不可抗力だったとしても、そんなのは毛頭関係ない。
だったら、それなりの償いはしないといけない。
それで、ただ一言、謝ろうと、魔理沙は決めていた。
その独白のような言葉で、霊夢が、魔理沙もまた苦しかったのを理解した。
思わず、彼女の服の裾を強く握って、しがみつくように身体を押し付ける。
「うん……ごめんなさい、魔理沙……っ」
霊夢が、か細い涙声で、どうにか伝えてくる。
「……ばか。せめて泣き止んでから言え。……私まで、泣いちゃう、だろ、ああ、もうっ……参るぜ」
いや、それはすでに手遅れで、あっさりと涙がこぼれ始めてしまった。苦笑が混じって、泣き笑いの表情になる。
まあ、仕方ないなと受け入れて、魔理沙はあっさりと抑えることをやめた。
――あとは、なにもいらなかった。
ただ、気の済むまで、朝日が少し顔を出すまでの間。
二人は抱き合って泣き続けていた。