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湖の孤島に建つ洋館──紅魔館は、いつ建てられたのかは誰も知らないが、誰が住んでいるのかは割と有名だ。
もっとも、有名なのは館の主だけで、ほかにも住人はいるのだがそれは誰も知らない。
紅魔館はとても広いのだが、大きな屋敷だったら人も多いと考えるのは早計だ。どちらかといえば──いや、はっきり言うと無駄な広さである。
館には滅多な事では客はやって来ないのだが、それでも時折やって来る者はいる。そして、その大半は招かざれる客である。
吸血鬼を倒して名声を得ようという者は少なくない。
島を目指して、実際に島で辿り着ける者はなかなかおらず、ほとんどの者は舟ごと湖の水妖共の餌になっている。
湖が凍りつく冬であれば、舟は出せないかわりに歩いて島まで行くことは出来る。だが、やっぱり大半は氷精達に岩とか流木とかと一緒に氷付けにされた挙句、分厚い氷の下に沈められて春まで浮かんでこない。
そんなこんなで、紅魔館は有名だから、大きな屋敷だと知られているかというとそうではなく、だからどの程度の人が住んでいるのかは知られておらず、そういった見聞を湖外に持っていく者もいない。
なお、紅魔館の住人が客だとはっきり認識している者は、せいぜい十本の指で数えられる程度しかいないのを付け加えておこう。
それから、どこぞの神社よりは来客数は多い──かもしれない。
たぶん。
そして、客が来ないからいつも静かかというと、そうでもない。
「きゃははははは!!」
くるくると空中を旋回する赤い服の少女は、柔らかなウェーブのかかった金髪を棚引かせ、楽しげに笑い声を上げる。
その小柄な身体を、淡い赤い光の輪が取り巻いていた。
笑いながらその手を振る度に、光の弾がまるで花火が打ち上げられたように広がって、広さの割に窓の少ない回廊を黄白色に染め上げる。
広いと言っても、無限に広がる星空のように際限がないわけじゃなくて。
邸内で撃てば、どこかにぶち当たるのが至極当然の話だ。
光の弾は壁に突き刺さり、その都度轟音と共に閃光が弾け、爆風が回廊を駆け抜けてゆく。
立て続けに撃っている為、前から爆風が来たと思えば、直後には今度は左右から、はたまた後ろから。
さらに、爆音が反響し合って耳を劈かんばかりに襲い来る。
それだけならまだしも、衝撃波と化した音の波は、窓と言わず壁と言わず館を地震のようにビリビリと震わせ、立ち並ぶ彫像をもなぎ倒すその様は、もはや魔法弾に等しい凶器としか呼べない。
回廊は今や、混沌の世界の只中にあった。
それでいて、不思議なことに壁も崩れていなければ窓も割れていない。
それは、侵入者迎撃用の魔法設備の一環として、強力な護りの魔法が施されているからだ。
だが、高度な魔法設備は来客の乏しいこの館にあって、本来の責務を果たしてくれた事例は、五百年前まで遡っても数えるほどしかない。
そして皮肉なことに、それは天井近くで破壊のエネルギーを縦横に撒き散らす赤い服の少女──フランドール・スカーレットに、絶好の遊び場を提供する物に成り下がっている。
「どうしたのー!美鈴ー!もう終わりー??」
下に向かってフランドールが声をかけるが、返答はない。
死屍累々、といった趣で折り重なるように床に倒れている彫像の影で、赤い髪の少女──紅美鈴は音を立てないように十分注意しながら、大きく息を吐き出した。
紅魔館の警備部隊を統率している美鈴は、文字通り一騎当千。選りすぐりのメイド達で構成される最精鋭部隊の中にあって、随一の実力者であり、他のメイド達が束になってかかっても一歩も譲らない筈である。
ところが、相手がレミリアの妹、フランドールとなるとそれも形無しだ。夜の眷族達の頂点に君臨するレミリアの魔力は半端ではないが、その姉をも超えるフランドールは、まさしく無尽蔵の魔力をその小さな身体に秘めている。
おまけに、手加減を知らないから始末に負えない。本人は遊んでいるつもりでも、回廊の惨状が物語るように、強力な魔法で護られていなければとっくの昔に館は跡形も残っていないに違いない。
たまに付き合わされる弾幕ごっこも慣れたものだが、美鈴は今回に限って致命的な過ちを犯していた。
姉のレミリアに輪を掛けて気まぐれで移り気なフランドールは、撃ちまくってくるのをしばらく避け続けてやれば、すぐに飽きて別な遊びを探しに行ってしまう。
だから、たまにちょっとくらい反撃しても怒られはしないだろう、と思って美鈴はスペルカードを使ったのだ。
効果は絶大。
そりゃあもう。
我らが妹様は大喜びで、目をキラキラと輝かせ、心の底から楽しそうに無邪気な笑いを浮かべながら、これまでとは比較にならない数の魔法弾を撃ちまくってきたのである。
ええもう、そりゃあもう。
「いたー!美鈴ー!!」
その声に顔を上げると、回廊の向こう側から駆けて来る小柄な赤い影。
「げっ!!」
いつの間に反対側に移動したのかと、美鈴は顔を引きつらせながら慌てて倒れた彫像の上に跳び上がる。そこへ、
「み・つ・け・た!美鈴、みーつけたー!あはははは!!」
と、上から楽しげな声が降ってきた。弾かれたようにそちらを見やると、美鈴は驚愕して目を見開く。
黒い翼をパタパタと羽ばたかせながら、空中を漂うフランドールの姿がそこにはあった。
しかし、先程とは決定的に違うその姿。
天井近くに浮かぶフランドールは、二人だったのである。二人に見えるのではなく、間違いなく二人のフランドールがそこに浮かんでいた。
そして回廊の反対側からも、彼女が駆けて来る。
肌が粟立つような悪寒を覚え、もう一度振り返ると、美鈴は顔から血の気が引くのを感じた。
二人。
回廊の反対から駆けて来るフランドールの隣に、翼を羽ばたかせてふわふわと滑るように飛んでくる、もう一人のフランドールの姿。
もちろん、背中越しには、さらにもう二人のフランドールが天井近くを漂うように浮かんでいる。
四人。
青ざめた顔で、自らが仕える主の妹に、僅かでも刃を向けた愚かさを思い知る美鈴。
四人のフランドールの手には、赤いスペルカードが紅玉のように鮮やかな輝きを放っていた。
極上の笑顔で、四人のフランドールが同時に、でも各々がてんでバラバラの動きでスペルカードを振るうと、明かりが灯るように大小の光の弾が姿を現す。
そして、絶望が翼を広げて美鈴の上に舞い降りる。
またしても、フランドールの身体を爆心に、花火のように放射状に炸裂する魔法弾。
それも、まるで花火師の早打ちを思わせる連発でだ。
おまけに、壁や床まで距離がほとんどないので、たちまち天井付近で次々と爆発するのを皮切りに、次いで壁、そして床に着弾して爆炎が吹き上がる。
その隣を飛んでいたフランドールの身体からは、驟雨のように降り注ぐ光の弾の間隙を通すように、色の異なる丸い魔法弾が一直線に数珠繋ぎのように重なり合って射出される。
同時に、これでもかと言わんばかりに、背後から駆けて来た二人のフランドールが飛び上がり様、上空を通過しながら光の弾を乱れ撃つ。
閃光と共に爆ぜる炎。
それを吹き飛ばす轟音と衝撃波。
合流した四人のフランドールは、肩を寄せ合って本当に楽しそうに笑っていたが、その笑い声はもちろん美鈴には届くわけがない。
ああ、ごめんなさい。私が馬鹿でした。
我が主に等しく忠誠を尽くさねばならない妹様に、スペルカードを使うなんて。
美鈴は、館の傍の湖よりも深く反省する。
でも、今さら遅い。
-6-
ようやく静けさを取り戻した回廊。
強力な魔法に護られているおかげで、瓦礫の山にこそなっていないのだが、両脇に立ち並んでいた彫像やら、壁に掛けられていた絵やらが床じゅうに散乱して酷い有様だ。
「ちょっとー、美鈴ってばー。もう終わりなの~?」
床に伸びていた美鈴を見つけると、フランドールは馬乗りになってその頬を叩いた。それも、平手打ち以外には形容できない豪快な音を立てて。
回廊の惨状に比べればまだましな方だが、それでもちょっと酷い。
死人に鞭打つとは、まさにこの事である。
もっとも、幸いなことに──それが不幸の続きとはこの際言わないが──まだ死人の仲間入りはしていなかったらしく、
「あうあうあう…。」
と、情けない声が美鈴の口から漏れる。とてもじゃないが、この館の警備を一手に預かっているようには思えない姿だ。
「ねえー、起きてよ、美鈴~!」
そのまま気絶していればいいものを、なまじ反応があったため、フランドールは今度は思いっきり腕を振りかぶって、その頭をしたたかに殴りつけた。
かなり酷い。
だが、完全に目を回している美鈴は、まるで意味をなさない曖昧な言葉を口走るのみである。何か言おうとしているのではなく、単なる呻き声なわけだが、フランドールにとっては些細な違いでしかない。
というか、どっちでもいい。
「美鈴ってばー、もっと遊んでよー!ねえねえねえ!!」
さらに美鈴の頭をぼかぼかと叩くフランドール。
いくらなんでも酷すぎる。
「あうう…」
目を回しているのに、何故か涙目になっている美鈴。
ちょっと彼女が憐れというか、そのまま放っておくとフランドールは本当に殺っちゃいそうだ。なので、何とかフランドールを止めたいところなのだが、止めようにも他に誰もいないし、誰か止められるかというと止められる筈がない。
フランドールには全然悪気はなく、ただ彼女は純粋に遊んで欲しいだけなのである。
「…フランドール様。」
なかなか起きない美鈴をどうしようかと、腕組みをしながら考え込んでいた──本当に考えていたかどうかは疑わしいが、さらなる惨劇が待っているであろう事は想像に難くない──フランドールが顔を上げると、何時の間にか二人のメイドが傍に立っていた。
短髪で長身のメイドと、小柄でやや年配のメイドだ。
「えー、なにー?美鈴と遊んでいるのに邪魔しないでよ~。」
あからさまに不満そうな色を浮かべ、二人のメイドを半ば無視したように美鈴に視線を戻すと、今度はその襟首を引っ掴んでがくがくと揺さぶるフランドール。
「申し訳ありません。実は、この回廊のお掃除のお時間ですので。」
長身のメイドがそう言うと、フランドールはさらに不満の色を濃くし、口を尖らせる。
「ええ~?せっかく遊んでいたのにー、ぶー。」
当然、メイドの言っていることは半分は嘘である。
館の主が夜行性の為、昼夜が逆転している紅魔館とはいえ、普通はこんな夜更けに掃除などするはずがない。夜更けどころか、もう日付も変わろうかという時間である。
だが、掃除をしに来たという部分については本当だ。それが、フランドールが遊び倒した後の片付けに来たというだけの話であって。
「むー、お仕事なら仕方ないね。じゃあ別なところに行くよ。」
フランドールが、掴んでいた美鈴の襟をぱっと離すと、彼女の頭は重力に引っ張られて床に激突し、実にいい音を立てた。
酷いというか、あんまりなのだが、とりあえずこれ以上に凄惨な光景が繰り広げられるのは避けられたようだ。
美鈴の身体から降りると、白い歯を見せて笑うフランドール。先程までの不機嫌そうな顔とはうって変わって、天真爛漫といった笑顔だ。
二人のメイドも、それに応えて微笑むと深く一礼する。
二人に軽く手を振ると、小柄な赤い姿は黒い翼を羽ばたかせながら、回廊の向こうへと飛んでいった。
「相変わらずお見事──といったところかしら。」
フランドールの姿が消えるのを確認してから、年配のメイドがそう言うと、長身のメイドはそれを一瞥し、
「…そういう言い方はフランドール様に失礼だ。お話しすればお分かり頂ける。」
とたしなめる。
純粋無垢なフランドールは、レミリアに輪を掛けて気まぐれだが、我侭どころか恐ろしく素直な子なのだ。
何しろ、こんな時間に掃除すると言ったのに、何の疑いも持たなかったのである。
そして、”仕事なら仕方ない”などと言って立ち去った事から窺えるように、レミリア同様に人外の者としては完全にずれた感覚をしているように思われる。
だが、それは多分に誤解のある捉え方で、単なる言葉のロジックにすぎない。
「…失言だったわ。…もちろん、フランドール様がご自身でお決めになったことですものね。」
そう言って年配のメイドは苦笑するが、そこに先程の皮肉な調子はない。その代わりに、寂しそうな眼差しで、少女の消えた回廊の先を見つめた。長身のメイドも、そちらを見やって目を細める。
「不憫な方だ。──せめて、ご一緒にお戯れになる、ご友人などいればよいのだが。」
「そうね…。私もずっとそう願っているのだけれど…。」
年配のメイドも寂しげにそう呟いたが、最後の部分だけは口にしなかった。
それは、決して叶わないことなのだ。
フランドールは、その身に眠る力の強大さを知らず、その力を御する術も知らず、御する必然性も知らない。
無差別に、無秩序に、無軌道に、そして無慈悲に破壊をもたらす己の力を知らない。
白いティーカップの中に注がれている液体が何かも知らない。
そのティーカップを運んでくれるメイドが、自分とどう違うかも知らない。
そして、自分が誰なのかも知らない──。
無知は罪だと言うが、彼女の場合はそれは罪なのだろうか。
あまりにも純粋すぎるフランドールは、裏も表もなく、真も逆もなく、疑うことも、嘘をつくこともない。
真っ白いキャンバスのように無垢でありながら、それでいて他の何を以ってしても汚されることはなく、染まることもない。
どこまでも純粋で、曇りも翳りもない、鮮やかな孤高の真紅。
あまりの純粋さ故に狂気。
あまりの純粋さ故の孤独。
二人は、やるせない面持ちで溜息をついた。
自分達人間では、フランドールに仕える従者としての役目を果たすことは出来ても、決して遊び相手にはなれないのだ。
「…ひとまず、私は美鈴殿を部屋のほうに連れて行くとしよう。警備部隊に引継ぎを出してから戻る。タイムテーブルの変更はよろしく。」
「了解、そちらのほうは任せるわ。シフトの調整は、夜明けまでには各員に通達します。メイド長には事後承諾になってしまうけれど。」
美鈴の身体を軽々と担ぎ上げ、二本指を額に当てて敬礼するように投げると、長身のメイドは歩み去った。
入れ替わるように、廊下の角からわらわらと何人もの人影が姿を現す。
もちろん、館に勤めるメイド達だ。手にはほうきにちり取り、モップ、デッキブラシ、バケツ、雑巾などなど、各々が掃除道具を携えている。
邸内の清掃となると、ただでさえ広くて大変なところに、様々な物を運んだり動き回ったりと重労働もいいところで、清掃担当の者は年若い子が多い。
だが、集まった少女達は皆なんだか楽しそうにしていた。
それどころか、不敵な笑いのように取れる表情の者すらいる。
「…では、とりあえず通路の確保からいきましょうか。」
年配のメイドがそう告げると、少女達は一斉に頷いて動き出した。
「まずはこの彫像たちね。ほら、あなたそっち持って。あなたはそっち。」
「ちょっと待ってよ、先に絨毯のほうを直さないとダメでしょうが。そこ、皺になってるわ。」
「引っ張らない引っ張らない。もっと丁寧にやりなさいよ。」
「いい?いっくよ~。『一、二の、三』で持ち上げてね~。タイミング外したら殴るから覚悟しといてね~。」
「そういえば、魔理沙様が、お掃除をする魔法を研究なさっているって聞いたわ。」
「…それは無理じゃない?魔理沙さんが帰ると、いっつも緊急出動がかかるしね。」
「あーん、鉢がひっくり返っちゃってるよぅ…ぐっすん。せっかく中庭から持ってきたのに…。」
「それは無理もないわね、魔法で保護してもらわないとダメよ。燃えなかっただけ良しとしなさいな。」
「施術の依頼があったら、申請書類を提出して頂戴。あんまり数が多いと、パチュリー様の機嫌が悪くなるわよ。」
「はーい、ダメ~♪そこだけずれてるわ。もう半歩下がって…はいOK♪でも減点一点~♪」
「壊れないのはいいけれど、魔法で倒れないようにすればどうかしら。」
「あんた馬鹿ぁ?動かせなくなったら、どうやって掃除するってのよ!」
「…この落っこちた燭台、また全部元に戻すのかぁ。」
「あら、梯子がないじゃない、誰か取りに行ったのかしら?」
「はいはーい!梯子持って来たよー!ほら、どいてどいて。」
「先に窓のほう、忘れずに拭いといてよね。後でチェック入れるよ。」
「あうぅ…窓は許してよぉ…私、高いところダメなんだって知ってるでしょ~。」
「そっちは私が登るわ。代わりに、明かりの油を持ってきてね。」
誰かが指示を出しているわけでもないのに、最も効率のいいように各々の判断で動き回るメイド達。
わいわいと喋りながらも、彼女達の動きにはまったく淀みがない。
仕事唄のように、喋りながら仕事にあたるのが、彼女達の流儀なのかもしれない。それ程、傍で見ていても無駄な動きは無かった。
そして皆、一様に楽しそうにしている。
その姿からは、悲壮な過去など微塵も感じることは出来なかった。
誰も知らない紅魔館の住人達は、一騎当千の腕利き揃い。
抜群の士気の高さに加え、隙の無い連携で広大な館を守っている。
それは、この館を愛するが故に。
みんなが同じ想いを抱いているが故に。
(つづく)
皆さん実に生き生きとしているので・・・割と自分の中ではもう紅魔館のイメージがこんな感じに固まりつつあります。
美鈴と妹様は仲良しである派には良いお話でした。
・・・そして中g・・・もとい美鈴。 ・・・ガンバレ(合掌)
けれど今、彼女達は紅魔館のメイドとして、自身の意思で紅魔館に生きている。
彼女達をそうさせているのはまさに、他者を惹きつけてやまない館の主たち――
ああ……なんかいいですね。ある種の理想なのでしょうが、こういう設定は大好きです。
タイトルの意味が少し分かった気がします。確定させるのにはまだ尚早なのかも知れませんが。