ジーワジーワと蝉の大合唱。周りを絡み合う蛇のように生える樹木に覆われた山道。僕はサイダー片手に玉のように出る汗を拭いながらその道を歩いていた。
「あっちぃ…誰だよアスファルトなんて考えたやつ…」
妙に真新しいアスファルトの道路からは錯覚か陽炎が立ち上っているかのように見えた。都会の暑さとはまた違った暑さだけど、不快なのは変わりない。
夏休み。僕は当然のように父の実家に帰省するこの期間が限りなく嫌いだった。田舎過ぎて何もないのだ。ゲームが出来ない。クーラーもない。ゲーセンもなけりゃ玩具だって売ってない。あるのは馬鹿らしいぐらいの自然と絶滅寸前の駄菓子屋ぐらいか。正直、祖母の家にいると、やれいい機会だから勉強しろだの、掃除手伝えだのうるさいので飛び出したはいいけど、迷った。
「暑いし緑しかねえしなんだよここ…」
ぶつくさ独り言を垂れても状況は改善されなかった。当たり前だ。簡単な話だが、引き返せばいい。祖母の家はこんな山の中にはない。しかし、いまさら戻るのも負けたような感じがしたからひたすら前へと進んだ。
「…本格的にまずいかも」
前方でアスファルトが途切れ、完全な山道となっていた。羊歯やら雑草やらが踏み拉かれただけの獣道。さすがに引き返そうかと思っていると、耳に太鼓や笛のような音が微かに聞こえてきた。楽しげでまるで誰かを呼んでいるかのような旋律。
「お…祭り?こんな場所で?」
僕は少し考え、聞こえて来るほうへと進んだ。お祭りがあればとりあえず引き返すより楽しいだろうと。しかしアスファルトを抜け、土の地面となった道を進むも、一向にお祭りは見えない。
何より。もし会場に近付けば、音が大きくなるはずなのに、先ほどからこびり付いたように耳から離れない音は一定の音量で僕の耳に響いていた。それでも自分の耳を信じ、歩いていると突然、
「あれ…音が止んだ」
そして横に振り向くと、そこには石段の階段があった。目の前には何処までも続きそうな山道。横には階段。僕は迷わず階段へと進んだ。しばらく登ると予想通りの物があった。
「石段。鳥居。神社、とくれば…」
ちょっとした冒険気分。こんな辺鄙な所にあるお祭りなんて誰も知らないだろう。帰ったら姉や父さんに自慢してやろうと考えていると、石段が終わった。汗を拭いつつ前方に視線を移す。
「・・・」
目の前にはかつては立派だったであろう神社が建っていた。しかし屋根は崩れかけ、柱は腐りかけで、どうみても祭りなんかしている様子はない。
「無駄骨ってこういう時に言うんだよな…」
自嘲気味に言う僕。急に疲れが波のように押し寄せきた。あーあ、あの時大人しく引き返していれば…
そう悔やむ僕の背後から。
「誰?」
突然の声。僕はビクリと体と心臓を飛び上がらせ、
「ご、ごめんなさい!祭りだと思って!し、失礼しました!」
一目散に階段を降りた。
一瞬後ろを振り返ると、長く太陽の光を受けキラキラと光る髪が見えた。逆光で顔を見えないけど、女の子?確認するまでもなく僕はすぐに前を向き全速力で来た道を戻った。僕はもう自分の耳なんか信じない。そう誓いながら、下り道を駆け抜けた。
・・・
「だーかーらー山の上に廃れた神社があってお祭りっぽい音が聞こえたんだって」
「ふーん…笛と太鼓でしょ?まあ多分祭囃子の事だろうけど、びっくりするぐらいどうでもいいわそんな事…あっつぅちょっと祐樹扇いでよ」
雑誌から目を放さず僕の姉は団扇を僕に投げた。
僕はパシッと団扇を掴むも姉ではなく自分を扇いだ。
「信じてないな…で、すっげー髪の毛綺麗な女の子がいたんだって」
「どうせ驚いて逃げ帰ってきたんでしょ。本当に人がいたかどうかも怪しいわ」
それよりさっさと扇ぎなさいよと言う姉を無視し、僕は居間の奥で、父さんと喋っている祖母の方へと座ってる向きを変え、心持ち大きな声を出した。
「ばーちゃんさあこの家の裏の道から行ける山の上の神社って知らない?」
「うーん?祐樹はいつから神道に鞍替えしたんだ?今時珍しいぞ宗教なんて」
祖母の代わりに日本酒を飲む父さんが答えた。父さんはいつだってお酒を飲んでいる。
「いや、そうじゃなくてさあ。ばーちゃんなら知ってるかなあって」
「裏の山…ばーちゃんがまだ小さい頃には立派な神社が確かあった気がするけどねえ…も…もり…なんだったかねえ忘れたわ」
祖母はビールの入ったグラスをじっと眺めつつ独り言のように声を発した。祖母は父とは違い、飲まないけどビールをグラスに注いでは泡を食い入るように見ていた。まるでその行為に何かの意味を見出そうとするように。
「今は誰もいないはずだけどねえ」
「そっか…」
「ほら言ったじゃない。その祭囃子?は幻聴。髪の綺麗ななんちゃらは幻覚。くそ暑い中山道なんて歩いてたらそんなん一つや二つ見るわよ多分」
姉の無責任な発言に少し腹が立った。あれは幻覚でも幻聴でもない。確かなリアルとして僕の耳と目に焼きついている。だから僕は決めた。もう一度あの神社へ行こう。そう決心して僕は布団の敷いてある寝室へと移動した。今日はいっぱい歩き、いっぱい走った。眠気が全速力で向かってきているのを感じながら、僕は眠りについた。多分、夢は見ない。
・・・
泡のような夢を見ている。
ふわふわと浮かんでいるような。沈んでいるような。漂ってるような。
何処からが自分で。何処からが世界で、何処からが夢か。
皮膚呼吸みたいに世界を自分の中に取り込み、息を吐くように世界を出した。
ただただ傍観者として見下ろし、君臨者のように見下げ、ひたすら待った。
祭りは終わらない。争いは終わらない、誰も来ない。
私は遊び、私は戦い、そして何もしなかった。
そこには私の全てがあった、何も、なかった。ただただ自今完結の夢。
でも長く続いた冬眠もそろそろ終わりそうだ。覚醒の音が響いている。
電池切れのランプが点滅している。ちかちかとその為だけに光を放ち。
それでもまだ、泡のような夢を見ている。
・・・
翌日。相変わらずの晴天に辟易しながら昨日と同じ道を歩いた。丁度アスファルトが途切れる境目。
「やっぱり…」
微かにだが祭囃子が聞こえてきた。僕は自然と足取りが速くなり、最後に駆け出していた。まるで聞こえてくる祭囃子が逃げてしまわないように。自分の呼吸と心臓、草を踏み分ける心地よい音。そしてピタリと止む祭囃子。横には当然のように石段が存在していた。僕はなぜここで祭囃子が止むのか、なんて事は一切考えずただ慎重に石段を登った。
上がりきると、そこにはやはり朽ちた神社が寂寥感だけを醸し出していた。
そしてその神社までの石の敷かれた道に一人の少女がこちらに背を向け立っていた。まばたきすると消えてしまいそうな程、空気のような存在感。そこにいるのが当たり前で、しかし見えてるという状況が不自然。そんな感想を僕を抱いてしまった。その少女は年頃は僕と同じ、小学生ぐらいで巫女装束(漫画やアニメでしか見た事ないから確証はないけど、おそらく)を着ており、髪の毛は綺麗な黒髪で、ときおり光の加減か、深い緑色にも見えた。
僕は息を整え、その少女の背中へと声をかけた。
「今日はお祭りやってないの?」
なるべく友好的、そして会話が続くように。答えるように振り向く少女。その少女は僕が見たどんな女の子よりも可愛くて、そして寂しそうな顔。自分の心臓が飛びはね、顔が赤くなるのが手に取るように解った。まずい、予想外だ。どうしよう。こちらへと振り向く少女。
「…あなた、誰?どうしてここにいるの?」
少女の驚いたような表情。ドギマギする僕。もう思考が回らない。汗が毛穴から吹き出るのがわかる。
「あ、いや、この神社の下でお祭りの音がしてさ!なんかやってんのかなあって」
「お祭り?なんの事。お祭りなんてあるわけないじゃない」
僕はその子の強い口調に少し押される。なぜかその子は怒っていた。
「お祭り?そんなのできる訳ないじゃない!自分達が困ると頼って。必要ないと忘れて。そういう勝手な事をして困らせているのは誰?」
驚きから怒りへとシフトする表情。ビシっと僕に突き立てられる指。細くて綺麗な指。僕は焦るしかない。
「違うんだ!歩いていたら聞こえてきたからそうかなあって!勘違いみたいでごめん!」
必死に謝る僕。父さんがいつか言った、怒る女には手が付けられないという事を実感してしまった。
「神奈子様も諏訪子様もいない。来るのは今更祭りを求める人間。私はどうすればいいの?ねえ教えてよ神奈子様…諏訪子様…ひっく」
なぜかその子は泣き顔に。もう僕はどうしたらいいか全く検討もつかない。
「いや、なんていうかほんとごめん。だからほら、泣いたら駄目だって、ええっとほら泣いてると幸運の神様逃げちゃうとかなんとか」
しどろもどろになりながら必死に喋る僕。しかしどうやら僕の言ったセリフの何かがいけなかったらしく、しまいに泣き出す少女。僕はなんとか少女を宥めようとするけど、もうその子はなりふり構わずといった感じに泣き出し、僕は落ち着くのを待つしかなかった。
数分後。泣き止んだ少女は、喉渇いた、とポツリと呟くとのそのそと神社の裏の方へと歩きはじめた。
「ちょ、ちょっと待って!」
慌てて僕は後を追った。しかし。
「え?」
僕はその少女を見失った。まばたきをした瞬間には少女は視界から消えていた。隠れられそうな障害物もない。
「え、ちょっと…待って…」
幻?違う。少女は確かにいた。僕は確かにこの目に見た。なぜ少女が消える?ありえない。じゃあやっぱり幻?お化け?
「違う!」
僕は叫んだ。そしてその叫びと同時に強烈な眩暈に襲われた。足元が、視界が、世界が、ふらついていた。そしてまるでジェットコースターみたいな、急に足場を失ったような感覚。落下。
恐怖を感じる間もなく僕は、気を失った。
・・・
「いつつ…」
痛みで僕は意識を取り戻した。目の前には赤く赤く染まる夕空。お腹に響くような太鼓の音。喧騒。祭囃子。僕はとりあえず尻餅をついた状態から立とうと試みる。思いっきり腰を打ったせいか、立つのが辛い。それでもなんとか起き上がった。僕はどうやら階段の一番上の高台にいるらしく、下を見下ろすと階段は下の広場に続いておりそこにはお祭り会場らしきものがあった。音はそこから聞こえてきているみたいだ。広場の中央に櫓があり、その周りを囲むように出店らしきものが見えた。人も見えた。映画やドラマでしか見た事ないような古い時代の衣装に身を包んだ人々。遠目だからかもしれないけど、その人々は少し存在が虚ろに見えた。まばたきをするたびに人が入れ替わり、ただ祭り会場だけが確かな物としてそこに存在していた。
「落ちたのか?でも…ここは?」
後ろを振り返ると立派な神社がそこにあった。しかしそれは先ほどまでいた神社とは違って、朽ちておらず、立派な建て構えが僕を威圧した。僕は多分混乱していたのだろうか。後ろを振り返り、また前へと目線を移した時にやっと僕は隣にいる少女の存在に気付いた。先ほどの少女?いや違う。隣にいる少女は変に高い麦わら帽子のようなもの―なぜかその帽子のてっぺんには丸い物が二つ付いている―を被り横から金色の髪がはみ出ていた。その少女は石段に腰掛け、膝に肘を置き、顎を手で支えてただぼーっと下、つまり祭り会場を見つめていた。
「あの…すみません」
僕は控えめにその子に声をかけた。その少女は手を顎から離すと、こちらへとゆっくり振り向いた。その少女は見たこともないような服を着ており、まるで短パンTシャツの僕だけが場違いなようにすら感じられた。
「…君は…ここに何しに来たの?」
「なんか神社にいて少女が消えて、落ちて、いや自分でも良くわからないんだ」
その少女は全く無表情のまま、僕を見つめた。顔は先ほどの泣いていた少女と似ている、でも違う。何かに疲れきっているような、退屈しているような、そんな感じ。
「ここはね、永遠の遊び場。神遊び、祭、ハレの日。なんでもいいけど終わらないの。ケの来ない閉ざされた夕暮れ」
「僕にはイマイチ理解できないけどお祭が好きなら下にいけばやってるよ」
「あれはね、“象徴”。この階段を降りたところで辿り着けないし、着いたとしてもそこには何もない。何もないの」
「“象徴”、辿り着けない?意味が解らないよ」
少女は視線を僕から眼前の見事な夕日へと移した。一体この少女は何を言ってるんだ?僕には全く理解できない。神遊び?ハレ?ケ?なんだそれ。ただ、なぜか僕はその少女の横に座った。もう少し喋りたいと思ったからだろうか?不思議と違和感を感じなかった。何に対して?
「私はね、これがずっと続けばいいなあって思ってる。神と人間が唯一交わる事のできるこの瞬間を」
「でももう日が暮れるよ。夕日だし」
「そう。いつまでも続かない。ねえ“明日ハレの日、ケの昨日”ってわかる?」
「いや、聞いた事ないけど」
「ハレって言うのはそうね、お祭の事。ケってのはそれ以外。つまり日常」
「じゃあ、昨日は平凡でつまらなかったけど明日はお祭だから頑張ろうって意味?」
「でもね。ケがあるからこそのハレなんだよ。ハレだけが続いても、いずれはそれすらもケになっちゃう」
「君はハレが好きなんだ」
「そう。私はそれがずっと続けばいいと願った。でもそんなの“私”は望んでいない」
「…どういう事?」
「神は皆そういうジレンマに悩まされているってお話」
「神?神社だっけここ。君はここの子?」
神社の子は皆こんな感じなんだろうか?僕はまるで夢を見ているかのようにその子の言葉を受け止めていた。夢?何が夢だろうか。
「私は洩矢諏訪子。もう忘れ去られたモノ。今はただ夢を見ているだけの存在。残滓。」
「僕は…あれ?」
自分の名前が思い出せない。どうしてだ。自分の名前が解らない。名前を忘れる?そんな事ありえるはずがない。
「名前を忘れた、か。どうやら君は招かれざる客って感じ。ここは君みたいな人間が長居してはいけない場所」
「ちょっと待って!君はなぜ僕が名前を忘れたのか解るの?どうやったら思い出せる?ねえ!」
僕は混乱していた。名前を忘れるだなんてそんなの生まれて始めてだったから。
「落ち着いて。もう私には君を覚ます力はないの。だからそれが出来る者の元に送ってあげる」
「送るってなんだよ!」
「きっとまだ彼女は夢だって気付いてない。だから君が教えてあげて。もう私達は必要ないって」
「意味わからないよ!」
「ごめんね、でも最後にお話できて楽しかったかもね」
そう言い少女が立ち、こちらへと向いた。僕もつられて立つ。その少女は僕と同じぐらいの身長だった。少女が目を瞑り、何語かも解らない言葉でブツブツと呪文のようなものを唱えると、パンパンと手を二回叩いた。
「明日ハレの日、ケの昨日。忘れないでね」
洩矢諏訪子と名乗る少女の言葉が聞こえた瞬間、ぐにゃりと視界が曲がった。吐き気と眩暈が同時に襲い掛かってきて、僕は既視感を感じながら視界が黒く染まっていくのを見つつ意識を失った。
・・・
よく気絶する日だ。そんな暢気な事を考えられるということはもう意識があるのだろう。僕は硬い石の地面に倒れてた。そして、よく分からない言葉を喋る男達に囲まれていた。周りを見渡すとそこはやはり神社だった。最初の朽ちた神社でも、夕暮れの神社でもない。それでも僕は直感的に、この神社も同じ神社だと理解していた。恐怖も混乱もなかった。周りの男達は驚きと恐怖を混ぜ合わせたような表情で何かを口走っていたけど、やはり理解できない。
「あのう日本語喋れる方いませんか?」
僕が声を出した途端、周りの男達が僕からざざっと離れた。そして再び何かを喋り始めた。
「神社って外国にもあるのか。知らなかった」
僕が言葉を放つたびに周りが過剰に反応した。まるで僕が言ってはいけない言葉を口にしているかのように。すると、奥から、つまり神社の方から何か聞こえた。かろうじてそれは何かの言葉だということだけはわかった。僕の周りを囲む男達が一斉にひれ伏した。まるで神か王が今から現れるようなそんな雰囲気。僕は一人神社の方へ目を向けた。
一瞬の風。僕の、風で細められた視界の先に現れたのは一人の女性。圧倒的な存在感。紫の髪。胸には鏡が下がっていた。女性は何事か告げると、男達が、顔を下げつつ、後方へと退いた。気付くと神社の境内には僕とその女性。
「我を呼ぶは誰ぞ」
「あ、日本語」
「一体どうやってここに入ってきたのかしら。まあいいわ、座りなさい」
その女性は地面に直接座った。僕も釣られ、座る。女性は何処から出したか真っ赤なさかづきを持っていた。それを口まで持っていくと、ゆっくりと傾けた。
「ふう・・・私は八坂神奈子。君は?」
「僕は…」
やはり思い出せない。自分が一体で何者で何処からきたのかすらわからない。僕はここで何をしているんだ?
「なるほどね。迷子ってところかね」
「何も思い出せないんです。自分の名前も。ここが何処で、自分が何処から来て、何処に行きたいのかも」
僕は正直に話した。隠す程の事も思い出せない。
「それは困ったね。私としては君の処遇に困る」
「処遇?」
「そ、信者達がね、怯えているんだよ。君の存在にね」
なぜ僕みたいな子供に怯える?でも確かに先ほどの男達の様子はおかしかった。
「なぜ僕に怯えるのですか?僕は何もしていない」
「今、まさにしているじゃない。ほら、こうやって私と喋れる」
「日本語?日本人だったら当たり前でしょ」
「君は今、神の言葉を喋っている」
神?何を言っているんだ。僕はただ、喋っているだけだ。神になんかなった覚えはない。
「君はあの土着神の配下か?にしては様子が変だけどね」
「土着神?」
「洩矢諏訪子。土着神の頂点。私の、敵」
神奈子さんが敵、と言った時、少しだけその顔が和らいだのを僕は見た。敵というには温和な顔だ。いや、違う、そうじゃない!何かが引っかかる。洩矢諏訪子…そうだ僕はその洩矢諏訪子にここに飛ばされたんだ!
「僕はその人にここに飛ばされたんだ!僕を助けてくれるって!」
そうだ、一体僕は何を寝ぼけていたんだ。早く帰らないと。でも何処へ?
「ここへ送られた。なぜ私のところへ?まさか降伏するとでも?」
「違うんだ!僕は多分誰かの夢に迷い込んだ!それでその洩矢諏訪子は僕を助けられないから神奈子さんつまりあなたの元に送ったんだ!」
「送る?意味が分からないわね夢?なんの事?」
「夢なんだよ!これも夕暮れのお祭りも!」
少しづつ記憶が戻る。そうだ僕はあの朽ちた神社で少女に出会ったんだ。それが発端。
「私は今、その洩矢諏訪子と戦っている、何年も何年も。勝てるはずなのに、勝てない。負けもしない。勝てもしない」
神奈子さんは再びさかづきを傾けた。僕が見る限りそのさかづきは空だった。彼女は言葉を続けた。
「それが夢…いや記憶の残滓。欠片。私の?洩矢諏訪子の?いえきっと私のね」
神奈子さんは思い立ったように立ち上がった。
「私は戦いの記憶をずっと引きずっていたのか。笑えるね」
神奈子さんはまるで秋風のように笑った。せつない笑いだった。
「あなたにとって、戦いはハレ?」
僕の言葉。まるで誰かが僕の口を借りて喋っているような感覚。
「戦いはハレね。いい意味でも悪い意味でも」
「じゃあケは?あなたのケは何処にあるんですか?」
「私のケ…日常…それもまた戦い…ううん違う」
「僕にはよくわからないけど、あなた達を待っている子がいるんだ。だからもう目を覚まそうよ」
みんな夢を見ているんだ。僕は多分あの子のせいで迷い込んでしまったんだ。夢に。
「きっとあいつはもう、気付いているんだろうねこの事を。私が一番未練たらしいってことかしら…」
神奈子さんは僕に歩み寄ると、顔を近づけてきた。そして僕の耳元で、目を瞑って、と囁いた。
「私の目を覚ましたお礼に君を戻してあげる。でも約束。もう私達には関わらない。その私達を待っているって子にもよ」
僕は、返事が出来なかった。なぜなら僕はもう一度、あの子に会いたかったからだ。
「さようなら。そしてありがとう」
暖かい抱擁。まるで眠りに落ちるように。ただなぜか流れる涙を感じながら。僕は夢から覚める。
・・・
ジーワジーワと蝉の大合唱。僕は一人朽ちた神社の前で立っていた。
自分の名前もわかる。クラスの出席番号だって覚えてる。
僕はやっと帰ってきた。そして。
僕は。
振り返る誘惑を振り切り、石段を降りた。
その途中。
「帰るの?参拝もせずに?」
少女の声。僕は一瞬振り返りそうになるのを堪えた。
「まあいいけどね。また来る?今日はちょっと泣いちゃったけど、多分、もう大丈夫。そんな気がするの」
大丈夫だよ。君の待っていた二人はきっと帰ってくる。でもそんな事僕を言えなかった。
「私は早苗。君は?」
僕は言うべき名前を覚えている。でも言うべき言葉がなかった。
「私、ここで待っているからいつでもおいでよ。神社は人とそして神様の為にあるんだから」
また来るよ、と僕は胸で言って、無言のまま石段を降りた。でも、もう多分ここには来れない。僕は最後の石段を降り、そのまま祖母の家へと戻った。
・・・
「さてと名残惜しいけど帰るぞ諸君!」
父さんの言葉を背に受けつつ僕は荷物を車のトランクへと積んだ。
あれから数日、僕はいたって普通の生活を送り、そして今日、家へと帰る。
車の助手席に乗り、父が運転席に座った。
「ねえ父さん。帰り道だけど、少し寄り道してもらってもいい?」
「うん?まあいいけど何処へ?駄菓子屋か?」
「違うよ。裏の山道。忘れ物をしたかもしれないからさ」
「ええ。いいじゃんどうせ大したもんじゃないでしょ?早く帰ろうよ」
後部座席で寝そべる姉の言葉を無視して僕は父さんに懇願した。どうしても確かめたい事がある。
「うん、実はな、ほら祐樹言ってたろ、神社の事。どうもそこな、新しい道路を作るって事で移転したらしい」
「移転?でも本当にそこにあったよ」
「それでな、その新しい道、国道への近道らしいから今日丁度通ろうと思っていたんだよ」
父さんはそう言うとキーを回した。エンジンが唸りをあげる。
「でも確かにあの道は行き止まりだった…」
「とりあえず行ってみよう」
まるで徒歩で行くのが馬鹿らしいぐらいあっと言う間にその場所へとついた。
父は車を止め、僕の方へと向いた。
「ここで間違いないのか?」
「うん…」
僕は車から降りた。確かに。
ここだった。
ここでアスファルトは途切れ、獣道になり、その先に石段があった。
なのに。
目の前には綺麗に舗装された道路が続いていた。
「…ねえ祐樹、多分ここにはさ、神社はないよ」
姉が窓から顔を出し、眩しそうにこちらを見ながらつぶやいた。
「あの神社も…夢?」
じゃあ一体誰の夢?
僕はただ炎天下の中、耳を澄ませた。
でも僕には何も聞こえなかった。
「帰ろう父さん」
僕は再び車に乗ると、父さんは車をスタートさせた。
窓を開けていると、微かに耳の奥で祭囃子が鳴っていた。
それももう聞こえない。
おわり。
>>正直言うと、書いててこれは創想話にうpしていいのかと悩みました。
どんな書き手でも自分の作品に不安があるのは誰もが同じ。
それをあとがきで主張しているのはマナーがなっていないとしか言えない。
よって-50点
それはともかくとして、外の世界の少年の視点で守矢神社の3柱の忘れ去られていく様子を描いた作品として、
私は有りなんじゃないかなあと思います。
聞こえてくるけどあくまで“象徴”でどこにも存在しない祭囃子、
そして「それももう聞こえない。」という結末。
幻想郷に来る前の、信仰も何もかもを失い2柱の声が聞こえない早苗さん、閉じられた夢を見ている諏訪子と神奈子の行く所までいってしまったかのような有り様、そしてついには全てから忘れ去られていく。
ここまで追い詰められていたからこそ彼女達は幻想郷に来る事が出来たのかもしれませんね。
作品から伝わるなんともいえない寂廖感が個人的には気に入りました。
理由はどうあれ形にするべきではなかったです・・・
以後気をつけさせていただきます。