このお話は作品集82「探し物は何ですか」、作品集84「見つけにくい物ですか」、作品集86「カバンの中も」、作品集88「机の中も」、作品集88「探したけれど見つからないのに」の続編です。予めご了承下さい。
「ふーん……『八意印の夢薬』、ついに一般販売開始か……面白そうではあるな」
射命丸文の発行する文々。新聞。先日余計な約束を取り付けられたせいで、僕のところには毎号二部も届くようになってしまった。まぁ余った分は料理等に利用できるから、そう悪いというわけでもないが。
しかし肝心の内容が、そう面白くないのである。毎回つまらないわけではないが、今更数年前の異変を暴く! などと言われても興味は湧かない。今日はその典型的な例である。
どのくらいつまらないのかというと、広告を読んでいた方がまだ楽しめるくらいだ。彼女にはもう少し頑張って貰いたいな。
「なぁ……いつになったら読み終わるんだ? さっきから同じところばっかり読んでるじゃないか。君には記憶力がないのか」
「新聞くらいゆっくり読ませてくれよ……そうだ。実は僕、慢性活字欠乏症でさ。一日に二万文字読まないと発作を起こすんだよ」
「なんだそれ。息をするように嘘を吐くなよ」
「いや、これが嘘のようで実はでたらめなんだ」
「嘘じゃないか……ややこしい言い回しをするなよ面倒臭い」
だから黙っていろと言うのに。
普通人間というのは同時に二つのことができない。新聞を読みながら誰かの対応をするなんて尚更だ。だからどうしても会話がおざなりになってしまう。
そういうわけで適当なことを言って煙に巻こうとしたのだが……だめだな。こいつはいつまでも噛み付いてくるタイプだ。
「やれやれ……どうやら男性が同時に二つのことができないというのは事実みたいだね。頭が一つのことに集中してしまうからかな? 何にしろ効率が悪いことには変わりないが」
「男女でそのような違いがあるとは驚きだが……なら君は同時に二つのことができると言うんだね。やってみせてくれよ」
「もうやってるよ。私は呼吸をしながら生きている」
「子供の屁理屈だろそれ」
真面目に聞いた僕がバカだった。
僕もやってるよそれくらい。やらなきゃ死ぬだろ。
「さて、おふざけはこれくらいにして本題に入るとしよう。先日の事件のことなんだが――」
「またそれか……本当飽きないよな」
「飽きるも何もないだろう。推理とは求めることから始まる。探求心こそが探偵の原形なのだ」
「そうか。そりゃ良かったな。僕を巻き込まないでくれ」
自信満々に言うナズーリン。だが、一体何度同じ台詞を聞かされたと思っているのだろうか。
「推理とは~」とか始まる前口上。続く二つの事件に関しての推理。それを叩き台にして議論は始まるのだが、大抵、いや毎回僕の反論を彼女は打ち破ることができない。
まぁ僕が屁理屈をこねくり回しているからなのだが、これがなかなかどうして上手にはまる。適当に言ってるだけなのにな。あいつ実は馬鹿なんじゃないか?
とにかく、そんなことがほぼ一日おきに続けばいい加減嫌になってくるというものだ。幾ら彼女が論破される度に半泣きになったとしても耐え難い苦行である。とても良い眺めだったが。
それに、僕はあれらの事件にそれ程執着していない。被害が出ていないからだ。何もなかったのだからそれで良い、というのが僕の基本的な考えである。余計なことに首を突っ込む必要はない。
が、彼女はこれまた正反対に考えているようなのだ。悪い奴は捕まえられるべきだし、探偵が捕まえるべきである。いささか何かに影響されている気はするが、しかし考えてみれば彼女自身が狙われているのだ。少なくとも表面上はそうなのだから、仕返ししてやりたいと考えるのもまぁ当然の道理だろう。
あぁ、捕まえるのは勝手だし追うのも勝手だ。探偵の義務だと思っていたって構わない。しかし。
どうして僕まで道連れにしようとする。
「君がどんな推理を広げようと結局は推理に過ぎないんだよ。事実なんて分かりゃしない。多少違っていたところで、それらしいことを言ってしまえばそれが真実になってしまうんだよ」
「だからと言って何も考えずに指をくわえて見てろって? ふん、探偵の名が泣くね。君だって仮にも探偵の端くれなんだ、少しは自覚を持って貰いたいな」
「そもそも僕は探偵じゃないんだけど……」
こいつに言っても無駄か。
なんだかんだである程度結果を残してしまっているしな。僕が認めていなくても周囲の認識が変化してしまっている。事実上、僕は探偵なのだ。
……実に不本意だが。
「まぁいい、そこは百歩譲って認めるとしよう。だが君の意見には賛同しかねるな。終わったことを掘り返すのは、あんまり好きじゃないんだよ」
そう。終わったこと。
何度も言っているように、被害はないまま終わったのだ。なら、それでいいじゃないか。どうして足を踏み入れたがる。
ましてや誰かに依頼されたわけでもなし……義務ではないのだ。見過ごしたって誰も文句は言わない。なのに。
それでもまだ諦めようとしない彼女が――僕には、とても危うい、希薄な存在に見えてしまっている。
傷つくのは何も、一人だけじゃないんだぞ。
そういう意味も含めて、僕は手を引けと言っているのに。
「成程。君の言うことはよく分かる。確かに個々人の意見は尊重すべきだ。しかし」
「しかし?」
「しかし、事件はその二つだけじゃなかった、……と言ったら、君はどうする」
それまでふざけていたような態度が一転、引き締まった真面目な顔つきになる。
どうする。
どうするって。
そりゃ、決まってるだろ。
「どうもしない。ただ話を聞くだけさ。
だから話を聞こうじゃないか。どうしてそんな大事なことを黙っていた――今すぐ話せ」
「言われなくても。そう……あれは一つ目の事件のあった次の日だったね。朱鷺子君と話して茹だった頭を、帰り道で充分に冷やして……事務所に戻ったんだ。
いつも通りに鍵を開け、事務所の中に一歩入る。その時点で何か気配が違っていた。すわ泥棒かと恐る恐る電気を付けてみて――初めて、部屋の中が荒らされていたことに気付いたんだ」
何でもないことのように、ナズーリンはそれを口にした。
「書類とか、色々、何から何まで。後片付けは大変だったよ? 子ネズミたちに手伝わせたけどね。
それにしても奇妙だったのは、ここでも何も盗まれていなかったことだ。部屋の中を引っ繰り返したような惨状だったが、ただそれだけだ。何が狙いかも分からない。
はっきりしたのは、私が標的だったってことかな」
「僕じゃなく……君だったって言うのか? 分かっていたってことなのか?」
「ま、順当に考えてもそうだったしね。君か私か、二つに一つなんだから。君じゃないのなら私と言うわけだ。
次の日からも、同じようなことは続いたよ。ただ違ったのは――明確に、私の探偵道具を狙っていたということ」
「……ペンデュラムとか、ロッドとか?」
「あとネズミも。私の隙を見て、こっそり持ち出そうとして……そのいずれもが途中で私に見つかって、すぐに諦めて逃げ出してたけどね。
部屋の中が荒らされていたのは、多分それらを探していたからだろう。言わずもがな私はそれらを肌身離さず持っている。事務所に行っても見つかるものか。私あるところに道具あり、だからな」
上手いことを言おうとして失敗している感じだ。
成程……僕の知らないところでそんなことがあったのか。それなら、そこまで躍起になるのも……あるいは、当然か。
だが、そうすると二つの疑問が浮かぶ。
「二つ聞こう。それならあの偽者……“朱鷺子”はどういうつもりだったんだ? 一度は手にしておきながら、何も盗まずその場を立ち去った……行動としては全く合理的じゃない」
「それは……正直なところ、分からない。だけど合理性だけ求めても仕方ないんじゃないか? 人の心は揺れ動く。何かしら気でも変わったのかもしれない」
「それを言ったら身も蓋もないだろ……お前今推理の定義を全否定したぞ」
「付け加えて言うなら、連続した事件と考えているからいけないんだ。犯行に関連性はなく、別種の二つの事件がたまたま重なっただけかもしれない。そうすれば最初のはともかく、他のは一貫した考えに基づいているだろう?」
「道具を盗む、その一点において、か。確かにな。それなら一応納得はできる」
もしそうなのだとしたら、初めの事件が一層不気味に謎めくだけなのだが。
しかし、他にも事件があったとは……そこまで執拗に狙われていたとは思わなかったな。となると、冗談半分ではあったがやはり空が犯人だという線も薄くなってくる。
まぁ、そこからは彼女の考えを聞くとしよう、ここに来た以上は何かしら考えがある筈だしな。それより、だ。
「じゃあ二つ目だ。ナズーリン……どうして君は、それら以外に事件があったことを黙っていた?」
「……どういう意味だ?」
「だってその度に君は襲われていたんだろ? 何一人で解決できると思ってるんだよ。例え一回は無事だったとしても、二回目、三回目も同じように上手く行くとは限らない。いつだって危険は隣にいるんだ。
一人で何でもできると思うな。頼れる時には誰でも頼れ。勘違いするなよ。一人で生きていける程――妖怪はそんなに、強くない」
「ほう。随分と壮大な話だね。妖怪は一人で生きていけない……如何にも哲学的だな」
「茶化すなよ。真面目な話をしてるんだぜ。
いいか、誰でもとは言わないさ。でも――身近にいる、それこそ僕にくらいは、頼ったっていいんじゃないか?」
「…………」
「無理にとは言わない。だが無理をする必要もない。もう少しくらい楽をしたっていいだろ。今の君は……自分に、厳し過ぎると思う」
「……だから、何? 頼めば守ってくれるとでも言うの?」
「勿論。白馬の王子様だなんて寒々しいことを言う気はないが、そのつもりは充分にある」
「ばっかみたい。“つもり”だけでできたら何の苦労もないんだよ。そんなの……せめて、私より強くなってから言ってよ」
呆れた、とでも言うかのようなナズーリンの口調。
そう、僕は彼女より弱い。断然弱い。超弱い。
正直真っ向勝負を仕掛ければ足元にも及ばないだろう。彼女はアウトドア派、僕はインドア派。たったそれだけの違いでも、充分に差は付けられる。
先日暇潰しにやった腕相撲で、それを思い知らされた。
僕の方が腕力はあるとばかり思っていたのだが、その認識は間違っていたようだ。
「絵空事は画材を用意してから始めてほしいね。君の言っていることはただの空言さ。例え覚悟があっても……それじゃあ、頼らない方がマシだ」
「まぁ、実際そうなんだけどね……それでも可能性として、一応示しておいたまでだよ。藁にすがるくらいなら、僕に捕まった方がまだマシじゃないか。
そう、今の君は、藁にもすがらずに一人で溺れているようにしか……見えなかったからね」
「お気遣いありがとう、でもご心配なく。自分の限界は自分が一番知っているからさ。そこまで気に掛けてくれるのは嬉しいが、これでも引き際ってのは心得ているつもりだよ。
……随分と話が逸れたな。元の路線に戻そう」
やや強引ではあるが、あれ以上続けていても埒が明かないと判断したのだろう。それには僕も同感である。
……よくよく考えてみたら、戻したところで気乗りのしない話なんだっけ。ああもう、八方塞がりじゃないか。
なんて、頭を抱えそうになった時。
――カランコロン。
そんな、店からの助けのような音が店内に響いた。
すぐさま視線を玄関の方に移すと、何やら見慣れない、ハイカラな印象を受ける姿のお嬢さんが一人。店内をじろじろと物珍しそうに見ている。初顔だな。
僕は立ち上がり、カウンターの前に回り込む。最近まともな客が来てなかったからな、そろそろ常連の一人でも増やしたいところだったんだ。
なるべく愛想良くしておくか。
「おお、お客さんじゃないか。悪いなナズーリン、その話は後にして貰おう。
さていらっしゃい。ここは古道具屋香霖堂だ。何か欲しい物があったら――」
「ああ、いえ、貴方に用はないの。用があるのは――」
修道衣によく似た服を着た少女は僕の言葉を遮り、かつんかつんと足音を立てながら店の中へと入って来る。
そして、ナズーリンの横に立つと――どうしてあいつは驚いたような顔をしているんだ――次の瞬間。
ガシッ、と。
ナズーリンの首を掴んだ。
そのままギリギリと握力のままに締め上げられ、苦悶の表情を浮かべるナズーリン。声も出せずにじたばたと抵抗するが、余程力が強いのか振りほどくことが全くできない。
突然のことに唖然として動けずにいた僕に、少女は顔だけこちらに向けてにこりと笑った。
「申し遅れました。私は雲居一輪。ただの妖怪ですわ。
本日は――“探偵”を頂きに参りました」
慇懃無礼なまでの、その口調。
直感的に、僕は理解する。
こいつが全ての犯人だと。
挨拶をしてよそ見をしていた少女――雲居一輪――の隙をついて、ナズーリンは拘束から無理やり逃れ僕の方へ逃げ込む。
喉を押さえてけほけほと苦しそうに咳き込んでいたが、息ができないわけではないようだ。それでもあのままだったら喉を潰されていただろう。
あら、と首を傾げる一輪。そして不思議そうな顔をして、再度こちらを見て言った。
「どうして逃げるの? ナズーリン」
「いきなり首を絞められたら誰だって逃げ出すわ!」
的確な突っ込みだった。
……あれ、なんかそれっぽい雰囲気だった筈なんだけど……なんでちょっと軽い感じになってんだ。
その上なんか知り合いみたいだし……もしかして僕だけか? 何も把握してないの。
「おいナズーリン、君は――」
「ん? あぁ、あいつのことだろ。思っている通りだよ。知り合いだ。
そして私の――依頼主でもある」
下唇を噛みながら、ナズーリンは呟く。
……っておい、本当かよ。
「じゃあ……なんでそんな奴が、君を襲いに来るんだ? だって依頼主なんだろ?」
「知るか。本人に聞けよ」
「なんで怒ってるんだよ……」
答える気はないらしい。
仕方ない。言われた通り本人に聞くとするか。
「えーっと……一輪、だっけ? どうして君は――」
「問答無用!」
「うわぁっ!?」
尋ねている途中から、正しく問答無用に腕を振り回して突っ込んできた。
辛うじて横に避けたが、代わりにカウンターが粉々に破砕される。あの直撃を食らっていたら間違いなく無事では済まなかっただろう。
結構気に入ってたし壊されたのは癪だが……まぁ、死ななかっただけ良しとしよう。うん。
そうやって自分に言い聞かせている僕を尻目に、木くずまみれになったのを手で払い、事も無げに一輪はくるりと振り返って構えを取った。
「邪魔をするなら同罪よ。引っ込んでなさい、間男」
間男って。
何の容疑を掛けられているんだ僕は。
しかしあんな風に襲い掛かられては、ナズーリンならともかく僕ではひとたまりもないだろう。大人しく彼女の言うことに従うことにして、僕は部屋の隅の方に移動した。
「構えなさいナズーリン。真実を語るは拳のみよ。貴女が本当の探偵だと言うのなら……力で、それを証明して見せなさい」
「……君は全く変わっていないな、一輪。いつもそうだ。彼女のことになると見境が――」
「お黙り。姐さんの名を口にするな。今の貴女にその資格はない」
「やれやれ……分かったよ。君の正義は飽くまでも拳だったしね。私もそれに倣おうじゃないか」
懐からロッドを取り出し、身を低くした体勢を取るナズーリン。一輪の誘いに応じるようだ。
両者とも一定の距離を間に置いたまま、微塵も動く気配がない。しかし互いに睨み合い、ほんの少しの隙をすら見逃さないように気を研ぎ澄ましている。
油断した方が負け。ありふれた言葉なのに、この張り詰めた空気の中ではそれこそが真理のように思える。
それでも、動かなければ、始まらない。
――先に動いたのは、一輪だった。
ゆらり、と、身を傾かせ。
縮地法でも使ったかのように、次の瞬間にはナズーリンの目の前にまで迫った。
咄嗟にナズーリンは上体を後ろに倒し、ロッドを交差させて防御の体勢を取る。一輪の拳は遥か上、何もないただの空気を切っただけ――
の、筈だった。
確かに、ナズーリンは避けた筈なのに。
鈍い金属音が響き渡り、固く握り締めた手から一方のロッドが弾け飛ぶ。カーンと高い音を立てて床に落ちたロッドは、針金のように真ん中からぐんにゃりと曲がっていた。
そう、それはまるで、力任せに捻じ曲げられたような。
そのままナズーリンは空いた片手を地面について、そこを軸に体を捻り低い位置から蹴りを繰り出す。しかしそれは一輪にはお見通しだったようで、彼女は既に一歩身を引き足の届かない位置にいた。
着地し立ち上がり、手を握ったり開いたりを繰り返すナズーリン。それはまるで、ちゃんと手が機能するかどうかを確かめているかのようだ。
「くぅ……やはりそうきたか。念のため防御しといて良かったよ。あぁ、手がジンジンする」
「前よりは手首が強くなったようね、ナズーリン。褒めてあげるわ」
「そいつはどうも。……あぁもう、残ったこっちまで微妙に曲がってる。馬鹿力も程々にしたまえ。毎回これでは商売あがったりだ」
「それは雲山に言って頂戴。私の責任じゃないわ」
「よく言うよ、ベースは君の腕力の癖に」
苦笑するナズーリン。一見和やかな会話だが、二人とも気を緩めているわけではない。殺気に満ち満ちたままだ。
そんな中でナズーリンは平然と、首から下げたペンデュラムを手に取り高く掲げる。するとペンデュラムは強く光り輝いて、パキンという音と共に五つに割れてしまった。
五つの水晶体はナズーリンの手から離れ、彼女の周囲をぐるぐると回りだす。光は一層輝きを増し、一周、二周とする毎に段々と大きくなっていく。
やがて光は収束し、回転も止まった頃にはペンデュラムはナズーリンの背丈と同じくらいまでに巨大化していた。
「防御は最大の攻撃と言うが……さて、君はこの防御を凌ぎ切ることができるかな? 言っておくが生半可な打撃じゃびくともしないぞ」
「ふん。防御する暇もないかもね? 攻撃は最大の防御。その意味は――相手に攻撃を、許さないってことなのよ!」
再び駆け出す一輪。それと同時にペンデュラムはナズーリンの周囲を回り始める。
そう、ちょうど、あらゆる攻撃を遮断するかのように。
そればかりか、水晶体は弾幕まで展開し始めた。
全方位に一列に連なる大弾は一輪の行動範囲を狭める。隙間を縫って一輪は幕を抜けるが、そこから更に低性能の追尾弾幕が彼女を追い詰める。
紙一重でかわしながら一輪も負けじと弾幕を展開するが、ペンデュラムに阻まれナズーリンに届くことなく吸収されてしまう。
隙を見て直接攻撃を仕掛けるも、拳が届く前にペンデュラムが壁のように立ち塞がる。そのまま水晶体は横薙ぎに、紙を吹き倒すかのように彼女の体ごと強引に引き倒す。ぶちのめすという表現がぴったりだった。
一転して逆転した形勢。今や一輪は手も足も出ない。地面に叩きつけられて、そこに伏したままぴくぴく痙攣していた。
だというのに彼女は、尚も不敵に笑っていた。
「ふ、ふふ、ふふふふふ……成程。確かに強い。そういう相手なら、私は俄然燃えてくる」
「……おい? 一輪、もしかして君、いつもの悪い癖が――」
「誠に楽しく、歓天喜地であるっ! いざ、雲山――!」
一輪が飛び跳ねて起き上がると同時に、店の中が靄のようなもので満ちていく。
思わず口元を手で押さえたが、程なくして靄は段々と薄まっていく。何事かと思った時に、僕はそれに気付いた。
靄は晴れていっているのではない。一輪の肩の辺り、その一点に、急速に集まっていることに。
凝縮された靄はその色合いを濃くし、段階的に形を整える。霞となり、霧となり、圧縮されて雲となり。やがて人間の頭大になった頃に、漸く正体が何なのかを理解した。
「……これは……入道?」
形は常に留まることなく、雲のように変化し続ける。
人の顔を模ったその妖怪は、やはり入道としか思えなかった。
「あいつは入道を使うんだ。だからさっきやったような多段攻撃も可能になる。実に厄介なコンビだよ」
「そうか……密度を小さくすれば目には見えなくなるもんな。どこぞの鬼と同じ手口、か」
「そういうこと。ただそれ以上に厄介なのが……あいつの性格、なんだよなぁ」
こめかみの辺りを押さえて、嘆くように呟くナズーリン。僕が真意をはかりかねている最中に、一輪が不意に口を開いた。
「さぁやるわよ雲山。久々に本気が出せそうよ。全力で行きましょう!」
一輪の言葉に頷く入道。いや、雲山……だったか。いかつい親父顔が頼もしい。
これで、敵じゃなかったら良かったんだけどな。
雲はゆっくりと変形し、一輪の両手に纏わり付いた。そう、まるでそれは――腕に武具を、装着したかのような。
恐らくその通りなのだろう。一輪は何度か腕をぶんぶんと振り、調子を確かめているように見える。
そして充分に確認したと見えると、すぅ、と息を吸って、
疾走けた。
「来たな! 守符! 『ペンデュラムガード』ッ!!」
再び水晶体が展開され、今までにない速度で回り始める。動きを追っていると目が回ってしまいそうなくらいだ。
ペンデュラムからは更にあらゆる方向に弾が射出され、容赦なく一輪の体に襲い掛かる。しかし微塵も怯み躊躇することなく、猪の如く猛進する。
服が破れても、何度転びそうになっても、それでも一輪は走る。とても楽しそうに笑いながら。
そしてぐるぐると回り続ける水晶を前に立ち止まり、
「あっははははは! さぁ、ここからが本番よ!
連打! 『キングクラーケン殴り』!!」
叫んだ。
叫ぶと共に、ペンデュラムに拳を叩きつける。
一度、二度、三度。
七度、八度、九度。
瞬きをしたその一瞬に、一体どのくらいの連打があったのか。
空気との摩擦で発火でもしてしまうのではないかと思うくらい、彼女の殴打は速かった。
それでいて一発一発が重いことが、ずしんずしんと地面に響く振動から分かる。一体どれだけの威力のパンチが彼女の腕から繰り出されているのか、想像するだけで寒気が走る。
これではあの堅固な防御線もいつまで持つか――そんなことを思っていた時のことだった。
ぴしり。
それは、ひび割れる音。
それは、亀裂の走る音。
それは、何かとても硬い物が、砕けてしまう直前の音。
ひびの入ったペンデュラム。間断なく繰り出される打撃は、更に続けてその芯を打ち貫いた。
先程まで大きな壁としてそこにそびえていたペンデュラムは、意外なほど呆気なく、実に簡単に砕け散った。
それと同時に、他の四つの水晶体も同様にパキリと音を立て。
皆一様に、中心からひびが走り、そして砕けてしまった。
青くキラキラと輝きながら、飛散する小さな細かい破片。宝石のような煌めきは、しかし時の経つごとに色褪せてしまって。
地面に触れてしまった時には、既に輝きは失われていた。
ガラス玉と成り果てた神秘の宝石は、ただそこに欠片としてあるのみ。当然そんな状態では、攻撃を防ぐ盾になるわけがないわけで。
続く一輪の右ストレートは、確実にナズーリンの頭を捉えている。すぐ目の前に迫る脅威に、彼女は何もできずその場で身を竦ませていた。
このまままともに食らえば、目も当てられないような事態になることは間違いないだろう。何しろあの威力だ。一撃必殺と言っても過言ではない。
そう、そのまま食らえば。
しかし、そんな時こそ邪魔は入るもので。
「ってぇぇぇええええいっ!!」
一対一の戦闘に今にも決着がつこうとしている時に、奇声を上げながら割り込み水を差す一人の青年の姿が、そこにはあった。
というか、僕だった。
危険を覚悟し、僕は二人の間に身を投げ出したのである。
一輪の右手は僕の前髪を数本裂いたところでぴたりと止まる。勿論ナズーリンには届いていない。数十寸の間を開けて、彼女の徒手は空中に止まっていた。
何とか、間に合ったみたいだな。
「……退きなさい。邪魔をするなら貴方も敵だと言った筈よ? もう忘れてしまったの?」
「生憎と、目の前で知り合いが窮地に陥っているのを黙って見過ごせるような性格じゃないんでね。それに最後までやらなくてももう決着はついている。そのくらいにしておけよ」
「それが何だって言うのよ。契約不履行にはお咎めなしって言うの? そんなの虫のいい話だと思わない?」
「やり過ぎだって言ってるんだよ。事情はよく知らないが、もう充分なんじゃないか? もし、最後まで続けようと思っているのなら……僕が代わりに、相手をしよう」
そう、最初から徹底的に叩きのめすつもりだったのかもしれない。そのつもりでここに来て、勝負を挑んだのかもしれない。でも、それなら、だからこそ、手出ししないわけにはいかない。
だから、これは一つの賭けだった。
そして予想通り、一輪は僕の戯言染みた狂言を笑い飛ばした。
「あははっ! あんたに相手が務められるわけないじゃない。見るからにヒョロそうな体つきの癖に、冗談も大概にしなさいな」
「見た目で判断するのなら、君だって十分か弱そうな少女にしか見えないよ。少なくとも、さっきやったような力任せの技を得意にしてるだなんて思えない。
それと同じだ。腕に自信もなくて、こんな場所に店を構えるとでも思ったのかい? それは幾らなんでも……楽観的、過ぎるだろう?」
一輪の顔から、すっと笑みが消える。
そう、これは一つの賭けなのだ。勿論僕の言っていることなんて全てはったりである。しかし真の実力者程そうとは見えないのもまた常識だ。
だから僕は笑みを絶やさなかった。かのスキマ妖怪やヒマワリ畑の妖花に倣い、常に薄笑いを浮かべていたのである。
どうやらその効果はあったようで、一輪はすっかり血相を変えていた。強大な力を持つ妖怪を前にしたとあっては、流石に肝も縮み上がっているに違いない。
あとは上手くいさめて、この場を丸く収めれば――そんな僕の考えはとても甘かったということを、彼女のくつくつという笑い声が教えてくれた。
「あぁ……素晴らしい。なんて理想的な展開なのかしら……!
相手が強ければ強い程、私は俄然燃えてくる! いざ、南無三――!」
「いやいやいやいや! ちょっと待て! まだ話は終わってない!」
腕をぶんぶん振り回している。危ない。
しまった、選択を誤った。こいつは逆だ。戦闘を好むタイプだったんだ!
よくよく考えたら、ナズーリンとの会話でもそんな感じのことを言ってたな……厄介とはそういう意味か。
後ろの方から「君は本当にバカだな……」と呆れる声が聞こえてくるが、その通りだ。僕はバカである。考えなしの大馬鹿者だ。
くそっ、なんか相手はやる気満々だしどうすればいいんだ!? 何か、何か別の言い逃れを考えなければ……やられる!
「そろそろ宜しいかしら? もう待ち切れないのよ」
「いや……待て、そう……そうだ、そう。あれ。うん、あれ」
「……? 何?」
「えーと……そ、そうだ! 僕は争い事を好まないんだよ。できることならあまり闘いたくないんだ」
「でも、そんなことを言ったってもう遅いわよ。止める気ないし」
「……ほ、ほら、ちょっと落ち着いて周りを見てみろよ。そうしたら僕の言いたいことも分かるだろう」
「周り?」
行き着くところまで行き着いて、捻り出した最後の考え。
僕は右から左へと、大きく視線を動かした。
視界に入るのは、床に散乱した物、物、物。全てこの店の商品だ。
そりゃ、あれだけ大暴れすれば部屋の中はめちゃくちゃになる。まして弾幕戦まで繰り広げたのだ。ぱっと見ただけでも、壊れてしまった物が少なくないことぐらい分かる。
そう、最後に僕が思い付いたのは、一輪の一般常識に訴え掛けること。言うに事欠いて、大暴れした張本人の情に賭けたのだ。
自分でも無理のあり過ぎる作戦だと思う。だがもう諦めた。他に方法など思いつかない。もうどうにでもなれ。やんぬるかな。
――と、思っていたのだが。
これがこれがどういうわけか、意外や意外功を奏したようで。
「――す、すいません! 本当にごめんなさい!」
見る見る内に真っ青な顔になった一輪は、ひたすら平身低頭して僕に謝った。
足の踏み場もない程のそこに、一輪は上手く隙間を見つけて器用にその場に正座した。
僕もそれに倣い、足で物を除けてスペースを作り座る。勿論、隣には不貞腐れたナズーリンを座らせて。
一転して低姿勢になった彼女に初めは困惑していたが、曰く「姐さんのことになると熱くなってしまって」だそうだ。二次被害を及ぼすことは想定の範囲外だったということらしい。そもそも僕に迷惑を掛けるつもりはなかったのだそうだ。とんだとばっちりだった。
未来永劫不変の物などないわけだし、今更怒ったところでもうどうしようもない。どころかここまでやられると寧ろ清々しくすらある。いや、そりゃ諦められるようなものではないが。
それより僕は、性根は礼儀正しいらしい彼女が何故こんな凶行に及んだのか、そちらの理由の方が気に掛かって仕方がなかった。
ナズーリンとも浅からぬ因縁があるみたいだし、知りたいと思う欲求はますます深まるばかりである。そこで僕は単純なその疑問をぶつけてみることにした。
「そうだな……うん、聞きたいことが一つ……いや、かなりあるんだけど……どうだろう。答えて貰えるだろうか?」
「はい、私が答えられることでしたら、何でもお答えしたいと思いますが……?」
不思議そうに首を傾げる一輪。
僕は一拍の間をおいて、それから大きく息を吸って切り出した。
「そう、先日から立て続けに起こっている盗難未遂事件。それに先立って起きた、謎の“朱鷺子”の来訪事件。これらは全部……君がやったことなんだな?」
「……ええ。その通りです。全て私が計画し、ある目的の下に行動した結果でございますわ」
認めた。
頷き、頭を下げ、それでも全く悪びれもせずに、それが当然のこととでも言うかのように――事も無げに、認めた。
ここぞとばかりに、ナズーリンがふんと鼻を鳴らしてそれ見たことかと呟く。
「だから言っただろ。こいつが犯人だってことは明白だって」
「言ってないだろ」
何どさくさに紛れてさも分かっていたかのように振る舞ってるんだ。お前一言も、一輪のいの字さえ出してなかっただろうが。
それに――君だって全くのシロってわけでもないんだぞ、ナズーリン。
一輪の口ぶりからすれば、何か尋常じゃない理由もくっついてそうだったんだからな。
「それじゃあ、一つ一つ洗っていくとしよう。必要に応じてその時の君の考えも含めて説明してくれるとありがたい。お願いできるかな?」
「勿論。それじゃあ……まずは、姐さんのことからお話ししないといけないかしら」
やや逡巡して後、勿体ぶりつつ一輪は話し始めた。
「そう、姐さん……聖のことから。
あの方は大層偉かったと聞いています。なんでも、僧侶とかいう職業の中でも高い位であったとか……まぁ、人間のややこしい制度なんか知ったこっちゃありませんが。聖が素晴らしかったという事実だけで充分です。
何が素晴らしいって、その考え方です。『妖怪は迫害されるべきでなく、共に歩んでいく永遠の伴侶としてあるべきである』……人間の中でこれ程立派な考えを持った者が、いったいどれだけいるのでしょうね。
私たち妖怪は、そんな聖を快く迎え入れました。勿論何か企んでいるんじゃないかって訝しんでいたのも、多少はいたみたいだけれど……でも、あの方と関わっている内に自然と理解したみたいでした。『この方こそが、自分たちのついていくべき人だ』って……ま、当然の帰結ですね。分からない方がどうかしてます」
「……おい、それは本当に必要な話なのか? あんまり長くなるようなら――」
「必要に決まってるじゃない! それとも何!? あんたも人間らしく姐さんの教えが理解できないってわけ!?」
「い、いや、そこまでは……分かったよ、必要なら構わないから」
怒られてしまった。
「姐さんが関わると前後不覚に陥る」というのは事実らしい。物凄い剣幕だったし。
……一応、僕も妖怪ではあるんだけどなぁ。
怒鳴ったことで幾分か気持ちも冷めたようで、はっとした表情になる一輪。頭を数度横に振って、深呼吸してから再度彼女は口を開いた。
「……すいません、少々取り乱してしまいました。そうですね、ここからはかいつまんでお話しすることにしましょう。
人間と妖怪を平等に扱う聖。今は幾分平和になったようですが、何分昔の話ですので……そんな聖が他の人間から白い目で見られることは、当然避けられぬことでした。
その上聖は、人間を超えた力を――いわゆる法力を、その身に備えていたのです。しかしそれは人外の力。人妖平等を唱えていたこともあり、人々は彼女を恐れ、こともあろうに封印してしまったのです――全く愚かな。あの方に導いて頂けば、何も恐れるものなどないというのに」
「……その話、何かで聞き覚えがあるな。何かの本で読んだのか……な?」
「あら、それは良い知らせですわね。我々と志を同じくした人間でもいたのかしら。今にも書物を通じて教えが伝わっているのは喜ばしいことだわ。
それはともかく……封印されてから、聖の名は次第に忘れられていきました。それは自然の摂理ですから、仕方のないことかもしれませんが……一人、また一人と同胞が去っていくのは心が締め付けられる思いでしたわ。
そうして最終的に残ったのは、私を含めてたった三人。かつては隆盛を誇った我らも、千年を経て三人を残すばかりになって……でも、そこで私たちは思ったのです。このままで良いのかと。このまま何もせず、聖の教えが絶えていくのを眺めていて良いのかと……そう、千年が経った今こそが、動き出すにふさわしい時期なんじゃないか、そう思ったのです。
いいわけない。決まり切っていた答えでした。だから始めたのです。聖の封印を解く――そう、来るべき大復活のための準備を!」
大復活。
なんか残念な響きの言葉だった。
「そのために私たちは、昼夜を問わず働きました。聖を復活させる、その崇高な目的のために。
でも、どうしても必要な物があったのです。それがなければ封印は解けず、永遠に聖を助けることができない、そんな物。だけどそれは今では遠く複数に分散し、見つけることが容易ではない。それにそんなことに人員を割いている暇もありませんでしたわ。何しろ三人しかいないんですもの」
「そこで出てきたのが――ナズーリン、ってわけか」
「そうです。餅は餅屋って言うでしょう? 失せ物探しには探偵よね、って。
……でも、期待は裏切られた。確かに依頼した筈なのに、報告がないのを不審に思って調べてみれば……あぁ、なんてこと! 調査なんてまるでしてやいない! 期待外れもいいとこだわ!」
大仰に空を仰いで嘆く一輪。
成程……そういうことか。それでようやく点が繋がるわけだ。
やはり――クロだった、ということか。
一輪の言葉を受けて、ナズーリンは何か言いたそうに口をもごもごとさせていたが、しかし結局何も言わなかった。言われていることが全て図星だからかもしれない。非難されても仕方がないのを自覚しているわけだ。
彼女は今、何を思っているのだろうか。
「それから後のことは、既にご存知のことかと思いますが……一応、順を追って説明して行きましょう。
それでも暫くは、私もあの子のことを信じて待っていました。しかし待てども待てども、便りの一つさえ寄こしません。痺れを切らした私は、一つ喝を入れてやろうと思い立ったのです。
しかし、私も鬼ではありません。ここで最後のチャンスを与えようと思って、実力を試してみようと考えました。一ヶ月の遅れを取り戻す程の実力、才能さえあるならば、そして考えを改め仕事に専念したのならば、見逃してあげようと。
そのために事務所に潜り込んでまで、この古道具屋に来てもおかしくなさそうな人物の資料を探し、変装をして試験を行ったのです。それがあの宝探しゲームでした。
……しかし、そんな私の目論見も、全ては崩れてしまいました。突然の“本物”の来訪。実録を見定めることもできずに、私は逃げ出すしかありませんでした。
とは言っても、あれだけ苦労していたのだから……やはり、才能はないと見て問題なかったのでしょうね。わざわざ見つけやすい場所に隠してあげたというのに……無駄な気配りでした」
はぁ、と肩を落とす一輪。一応は信じていたのに、裏切られてしまったような気分だったのだろう。それはそうだ。探偵業なんて、信頼の上に成り立っている職業なのだから。
しかし……実にどうでもいいことなのだが、気になることが一つあるな。
「変装と言っても……限度があるだろう。知り合いである僕でさえ分からないくらい似ていたぞ。あれはどうやったんだ?」
「それは……そう、簡単な話ですわ。雲山」
そう、入道の名前を呼ぶと、突如彼女の周囲が霞がかる。
すぐにそれは雲となり、広がり一輪の体を包み込んだかと思うとぐにぐにと形を変える。徐々に変化し、やがて動きが収まった頃には、外見はすっかり朱鷺子にしか見えなくなってしまっていた。
成程。入道は姿形、大きさも自由自在だ。その特性を利用すればこそ……こんな力業も可能になる、というわけか。
……決めゼリフみたいなものはないみたいだな。蒸着、とか、少しは期待していたのだが。
「と、この通り。造作もありませんわ」
「それで声色まで似せられるのは驚きだな。いや、見た目も全く遜色ないことも充分驚いたが……本人に見せたいものだ」
どんな反応をするか、見てみたい気もしないでもない。
一輪はこのくらいでいいでしょう、と言うと変装を解いた。もう少し見ていたかったが、まだ話もあることだしな。僕もあまりにまじまじと見ていたせいもあるかもしれない。
「……そしてその晩、よく考えてみたのです。依頼した探偵が頼りにならないのならば――私たちが、探偵となるべきではないかと。実際、私以外に動けるような者がいなかったことも事実だったのです。それならば、仕方あるまいと――」
「それで、道具を盗もうと? 短絡的な行動に思えるが」
「しかし、才能がない筈のあの子が探偵としてある程度功績を残しているのは確かでした。その理由を求めるとするならば、やはり道具の性能が良かったからではないかと」
「……そうか。逆に言えば、道具さえあれば誰でもナズーリンのように失せ物を見つけられる、と。そういうわけか」
「そうです。私たちも素人ですし、道具に頼らねば満足な成果は得られないだろうことも理由の一つでした」
理には適っている……のかな。
僕個人の意見としては、そんな物に頼らずとも充分な成果は期待できそうに思えたが……ナズーリン含め、僕らの目を欺いたその手口は見過ごせるようなものじゃない。というか、朱鷺子の存在を見つけ出すまでのやり方が既に充分探偵らしい仕事をしているように思えるのだが……あながちあの言葉も嘘じゃないんじゃないか。私でも探偵になれそうとか何とか言ってたの。
ただの一妖怪をそこまで突き動かすことのできるその姐さんとやら、一体どんな人物なのだろうか……?
「ここから先は、もういいですよね? 大方見当はついていると思いますが」
「そうだな。謎という謎は、そのくらいのもんだし」
もう一つ僕が実際に目の当たりにしたあの人里でのことも、入道を利用したのだろう。あの時は確か砂埃も舞っていたしな。気体なのだからその場から退散することなど容易も容易だ。
他の事件は、概要すらよく知らないが……まぁ大体同じだろうな。結局失敗したみたいだし、そんなのはどうでもいい。問題はそれからだ。
それでは、と一輪は静かに呟く。そしてナズーリンの方を向くと、満面に笑みを湛えて告げた。
「道具をこっちに寄こしなさい、ナズーリン」
「…………」
ナズーリンはキッと一輪を睨み付け威嚇する。閉じられた両手の中で大事そうに包み込まれているのは勿論粉々のペンデュラムだ。それすらもまだ取られると思っているのか、なるべく一輪から遠ざけようと身をよじっている。
「ペンデュラムは壊れてしまったから、ロッドとそのネズミちゃんくらいかしら。ほら、大人しく渡しなさい。そうすればまだあんたにも帰れる場所はあるかもしれないわよ」
「……嫌だ」
追い詰めるかのような一輪の口調に、しかしはっきりとナズーリンは拒絶する。
「……貴女、まだ自分の立場が分かっていないようね。仕事を放棄し、対等な勝負にも負けて、それで何を主張できると思っているの? ……あぁ、もしかしてネズミのことかしら。それなら安心なさい、事が終われば全部返してあげるから。ほら、ね?」
そんな一輪の優しい提案にも、ナズーリンはふるふると首を横に振るばかり。
終いには駄々をこねる子供のように、顔を伏せて全く話を聞かなくなってしまった。
そうなれば一輪も容赦はしない。交渉は決裂したとばかりに、力尽くで奪おうとし始める。
……予想はしていたが、両者とも必死な分、かなり凄絶な光景だった。
正直、目も当てられない。
……あぁ、もう。
だから僕は、甘いんだよ。
僕は床に両手をつき、ゆっくりと頭を下げる。そして一輪が僕のやっていることに気付くのを待ってから、何かを言う前に先に切り出した。
「頼む。ここは僕に免じて――見逃しては貰えないだろうか」
「なっ……や、止めて下さい! 貴方が謝ることではありませんし、それに……そもそも、貴方には関係のないことでしょう!」
「関係がないことはない。君の言った通り、元々の原因には僕も一枚噛んでるみたいだし……筋違いってことはないだろう」
「だとしても……貴方にそこまでされては、私も姐さんに会わせる顔がありません。ご迷惑を掛けてしまった償いもまだしていないというのに」
「だったら尚更だ。償いをしたいと思うのなら……彼女に、もう一度だけチャンスを与えてやってくれないか。僕からもよく言い聞かせて、ちゃんと依頼に専念させるようにする。だからどうか、もう一度だけ……!」
「…………!」
一輪の息を呑む音が聞こえる。
卑怯な手だとは分かっている。根が真面目な彼女なら、少しでも負い目のあるこの僕の申し出は断れないだろうと、そういった算段もあったことは事実だ。しかし、そんな卑怯な手を使ってでも――僕は、目を逸らしたかったのだ。
ナズーリンの、あんな、痛々しい姿から。
奪われまいと、必死に何かをだき抱えるように体を丸まらせていたナズーリン。それを一輪は乱暴に転がし、何とか両腕に抱えた――道具を、奪い取ろうとしていた。
ナズーリンにとって、それらはやはり大切な「宝物」なのだ。それを失った後の彼女の姿を想像するだけで、僕の心はかき乱される。そうでなくたって、誰かが泣いている姿なんて、そうそう見たいものでもないだろう。結局は……僕の、エゴでしかないわけなのだが。
暫くの後、はぁ、と物憂げそうに溜め息を吐く音が聞こえる。そして、
「……分かりました。他でもない貴方の申し出です。聞き入れないわけにはいけません。ですから……お顔を上げて下さい。お願いしますから」
一輪は言った。
素直に僕は顔を上げ、ありがとう、と小さな声で礼を言う。一輪は眉をしかめて、こめかみの辺りを手で押さえていた。
ナズーリンの方を見遣る。しかし彼女は喜ぶでもなく、ただ僕の方を不思議そうに見ているだけだった。
握りしめた両手を大事そうに抱え、目尻にはほんの少しの涙を浮かべて。
……あぁ、甘いよなぁ。悪いのは、こいつの方だって言うのに。
それでも僕は、安堵してしまう。
「仕方ありませんね……そういうことなら、私は帰ろうと思います。そんなに時間を無駄にできる程、余裕があるわけでもないので」
「ああ。……悪いな、僕のわがままに付き合わせてしまって」
「いえいえ。しかし、これだけは覚えていて下さい。我々に時間は残されてはいないのです。だから、チャンスとは言っても――そう長いことは待っていられないことは、承知しておいて下さいね」
「あぁ、分かったよ」
そんなやり取りを交わして、雲居一輪と雲山は、この店から去っていった。
滅茶苦茶になった商品、店と、僕らを残して。
「……姐さんのことになると人が変わって、その上格闘バカ、ねぇ……真面目なのは良いが、それが暴走に拍車を掛けているタイプだな」
人、それをはた迷惑な奴と言う。
改めて店の中を調べてみたら、思いの外被害は甚大だった。成程、これで罪悪感を感じないと言う奴は悪魔か何かだろう。具体的には魔理沙とか霊夢とか。
まぁ、溶かして再形成すればあるいは売り物になるかもしれない。
「ほら」
「……?」
ナズーリンの方に手を差し出す。しかし肝心の彼女はその意味が分かっていないようで、不思議そうに首を捻っていた。
「そのペンデュラムだ。直してやるから早く渡せ。ついでにロッドも曲がってたし、一緒にやってやるよ」
そう僕が言うと、あっ、と小さな声を漏らして、ナズーリンはそれらの道具を僕に手渡した。
……あーあー、こりゃ酷い。改めて見たら相当だぞ。
ま、溶かして冷やせば何とかなるだろ。そんな感じに適当に見当を付けて、僕はそれをカバンの中にしまった。
と、後ろから、か細い声で何か聞こえてくる。ナズーリンが何か喋っていたのだろう。よく聞こえなかったが。
「あぁ、悪い。よく聞き取れなかった。もう一度言ってくれ」
「……その……あ、ありがとう。私なんかのために、そんな……頭まで下げてくれて、その上、道具まで直してくれるだなんて……本当に、感謝してもし切れない」
「なんだ、そんなことか。別にいいよ、構いやしない。それより、一つ約束してくれ」
「あ……あぁ! 私にできることなら、何でも――」
「なるべくここに来ないでほしい」
「…………え?」
「言ってただろ。君は僕の店にばっかり来て、仕事を全くしていなかったって――それまでの評判は良かったってことは、つまりちゃんと仕事をこなしていたってことだろ? なら何が原因かって言えば、そりゃここに来てることだってことは明白さ。
君との会話は楽しいよ。それは認めよう。でも、そんな、友人との交流を一番にして仕事を放ってしまうようならば――やっぱり、来ない方が良いと思う。二度と、ではないにしても、控えるべきだ。少なくとも、この件が解決するまでは」
「……それは、そうだけど」
「だろう? 君も分かっている。僕も分かっている。なら答えは簡単だ。その通りにすれば良い。何、そんな難しい話じゃないだろ。仕事自体は難しそうだが、君ならきっとやれる。この間見つけられなかったのだって、たまたま調子が悪かっただけだろ? 見返してやるんだよ。本当の実力を見せつけてやるんだ。そうすりゃきっと、皆君のことを見直すだろうな」
「……あぁ、そうだな。見返して……ぎゃふんと、言わせてやる」
「その意気だ。さ、今日はもう帰ると良い。疲れただろ? 三日後くらいにまた来てくれよ。その時までには、道具は直しておくから――道具がなくてもちゃんと仕事はやるんだぞ。そんなに待てないって言ってたしな。あんまり待たせても具合が悪いだろう」
「そう、だ、な。うん、……分かった。それじゃあ頼んだよ、霖之助。出来に期待してるよ」
「ああ。それじゃあ、また」
そう言って玄関に向かうナズーリン。一瞬呼び止めそうになったが、しかし、それも悪いだろうと思って口を噤む。
一歩足を踏み出し、外に出て、くるりとこちらを振り返り、最後にナズーリンは小さく手を振った。
「また、ね」
扉の閉まるその一瞬、彼女はほんの少しだけ、悲しそうに笑った。
雲山の能力の解釈や展開も面白かったのですが、少々霖之助の口調に違和感を感じました
これからの展開に期待です、頑張って下さい!!
変わっていったのでしょうかね。
次も期待しております。
後、ナズーリン自身の撒いた種なのに、いくらなんでもヘタレ過ぎると感じられました。
普段から名乗る"探偵"がかなり薄っぺらく、ただのミーハーか何かにまでおとしめられているような気がします。
この流れで次回のタイトル……いったいどんな展開になるのか想像もつかないので楽しみに待ってます
違和感があるかな~と。
ちょっと都合よくキャラを動かし過ぎな気がしました。
でも好きなシリーズなので、次の期待も込めてこの点数で。
ただ他の人も言ってるけど、霖之助の口調(会話文・地の文)、性格が違和感。
自分はラノベのハーレム系主人公っぽく感じた。
例えば
>~~~一人の青年の姿が、そこにはあった。
>というか、僕だった。
これ化物語というラノベの引用ですかね?(違ったら申し訳ない
まあ、そういう事が駄目というわけではないけど、いくら二次創作とはいえ
霖之助というキャラとして見れないというのはSS作品としてあまりよろしくないかと。
ナズーリンにしても前回の朱鷺子の時もそうだけど「探偵」にしては…といった感じ。
これは狙ってるのかもしれないけど。
まーこれまでの交流もあるし、こんくらいやってもいいのかな、とは思いましたが。
あとナズがちょっとヘタレかな? と。
あと口調に関してなんですが、原作ではぶっきらぼうなときは思いっきりぶっきらぼうですし(「服の仕立て直しは引き受けてやろう。だがな、ただじゃないことくらいはわかっているよな?」とか)
二次だともうちょっと丁寧よりですし、どっちつかずな印象を生んだのかな、と思います。
個人的にはさして違和感はなかったのですが、参考までにということで。
やや口調が崩れてきたようにも感じますね。
行動は雰囲気付け次第で何とでもなると思いますが。
とはいえ面白かったです。
もうタイトルには突っ込まないことにした
でも面白かったです。
まぁ大抵の東方キャラがそうなのですが
ナズの巻き返しに期待
うはwwwみwwwwなwwwwぎwwwwっwwwwてwwwwきwwwwたwwww
口調もそうだけど思考のシークエンスが
続きには期待します
ニ・三人が言ってたら作者さんもわかるって。
とりあえず次回作がwktkすぎて体中テッカテカやぞ!
話自体は面白かったです。
ストーリー面白くて2次に侵されてなければいいじゃん
個人的には口調に違和感は覚えませんでした。
強いて言えば「だぜ」くらいでしょうか。