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注意 この作品は、
作品集73「籠から飛び出した少女」
作品集77「サブタレイニアンキャット」
作品集81「放さない、離れない」
作品集83「初めての料理」
作品集84「酒にまどろむ」
の続きの話となっています。
上記の話を読んでからこの作品を読むことをお勧めします。
それと、オリジナル設定、オリジナルキャラが多数登場します。
なので苦手な方は戻るを押してください。
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昼間だというのにカーテンが閉じられ、ランタンの灯りで照らされる緋色の部屋。
物はまだあまり置かれておらず、ベッドやクローゼット、テーブルや椅子など必要最低限な物しか置かれていない。
そんな部屋の中、フランは椅子に座ってテーブルに置いた一体の人形を見つめていた。
それは、いつかアリスの家に行った時に貰った魔理沙の人形。あの日以来、ずっと部屋の中に飾っている。
人形を見つめながら思い出すのは昨日の大宴会の事。
初めて行った大宴会。初めて誰かと食べ歩きをして、初めて酒を飲んで酔って、そして、初めて誰かとキスをした。
初めてが一杯あった。その中でも特に鮮明に覚えているのは魔理沙にキスをしたこと。
酔っていてもあの時の感触、感覚は忘れない。
柔らかい唇、身近に感じる体温、温もり。魔理沙に近づけたことに対する喜びと嬉しさ。
思い出すだけで自然と頬が緩んでくる。
こんこん
「フラン、入るわよ」
聞こえてきたのは姉のレミリアの声。
「うん、入ってきてもいいよ」
扉の方に顔を向けて答えた。それに合わせて静かにゆっくりと扉が開かれる。
「フラン、調子はどうかしら?気分が悪いのは治った?」
「もう大丈夫。でも、お姉様の方が大変だったんでしょ?大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ」
実はこの姉妹、朝からフタリして二日酔いをしていた。
フランは気分が悪くなっていて、レミリアは気分が悪いのに加え頭痛までしていた。
そんなわけで今日はフランも珍しく部屋の中にいたのだ。
「ねえ、お姉様、私に何か用事があるの?」
話をするために来たのだったら咲夜を呼んで紅茶を淹れさせているはずだ。大抵レミリアはフランの所に長居をするから。
「ええ、調子がよくなったのならベランダでお茶会でもしましょう、と思ってね」
「お茶会?私以外に誰か誘ってるの?」
お茶会を開くときは大抵、外部のモノを交えて行う。だからフランは、この時も誰かを誘っているのだろう、と思っていた。
「貴女だけよ。たったフタリだけのお茶会。そして、紅茶を淹れるは貴女と私」
静かな声でのその提案はフランの予想を裏切るようなものだった。けど、悪くない、と思っている。
「咲夜から聞いたわよ。なかなか筋が良いそうじゃない」
レミリアは笑顔を浮かべて告げていた。
「……招待を受けてくれるかしら?」
芝居が掛かったように手を差し出す。
「うん、面白そう。もちろん、招待させてもらうわ」
笑みを浮かべ、レミリアの手を取った。
◆
紅魔館にある広いベランダ。そこに、秋の暖かな日差しが降り注いでいる。普通のモノなら眩しくもなく熱くもなくちょうどいいと思えるくらいの日の強さだが、吸血鬼姉妹のフタリは長時間当たれば続ければ命の危険にさらされかねない。
ベランダの中央には大きい傘に覆われた真っ白なテーブルがある。
フランとレミリアのフタリはそこに向かい合って座っている。
フタリの間に置いてあるのはお茶菓子と紅茶を淹れるのに必要な道具一式。これは、咲夜に用意させたものだ。お茶菓子はクッキーやマフィン、パイ。全て咲夜のお手製だ。
その横にはティーポットやティーカップなどのティーセット、ミルクや砂糖を入れた小瓶、茶葉の入った瓶、水の入った大きなポット、そして、ヤカンと宝石の埋め込まれた謎の物体が置かれている。
「これは?」
フランが真っ先に興味を示したのは謎の物体だった。
「それは、パチェから借りてきた水を温めるためのパチェ特製のマジックアイテムよ」
それは、少し魔力を流すだけで弱火から強火まで自在に操れる、という優れもので、いつもは小悪魔が紅茶を淹れる時に使っている。外で水を温める道具は無いか、と尋ねたところ貸してくれたのだ。
「だから、こうやって魔力を注げば……ほら、この通り」
レミリアが発熱装置の方へと手をかざして魔力を注ぐと埋め込まれた宝石が輝きを発し、熱が放出され始める。
そして、手をかざすのをやめると宝石の輝きが消え、熱も放出されなくなった。
「さてと、ちゃんと動くことも確認できたし、お湯を沸かしましょうか」
「うん」
フランは頷き、ヤカンに水を入れ始めた。
◆
フランが鼻歌を歌いながら紅茶をカップに注ぐ。
最初はレミリアが紅茶を淹れたのだがなかなか好評だった。
密かにヒトリで練習をしていた、というのは秘密だ。まあ、咲夜辺りは気付いていそうだが。
レミリアは紅茶を注ぐフランの様子を眺めている。上機嫌そうに鼻歌を歌っている妹の様子にレミリアも気分がよくなる。
「懐かしいわね、その歌」
紅茶が注ぎ終わると同時に、レミリアはポツリ、とそう漏らした。
「え?お姉様、この歌のこと知ってるの?」
フランは首を傾げる。
ずっとずっと疑問に思っていた。心の中に染みついたように離れないこの歌を。
どこで聞いたのだろうか、誰から聞いたのだろうか、なんという歌なのだろうか。
どうしても知りたい、というほどでもなかったから誰かに聞くようなことはしなかった。だから、意外なところでレミリアが反応した今、フランは強い興味を抱き始める。
「……覚えていないのね。……それは、お母様が貴女によく歌っていた子守唄よ」
「お母様……」
フランは呟いて思い返そうとする。姉妹、という間柄なら当然いるべき母親の存在を。
……けれど、思い出せない。地下室に閉じ込められ、閉じ籠っていたことしか思い出すことができない。
一番古い記憶は、今とそんなに変わらない姿をしたレミリアが訪ねてきた時のこと。何をしたのかは全く覚えていない。
けれど、そんなことはどうだっていい。フランにとって衝撃的だったのは、両親のことについて全く覚えていない、ということだった。顔や声はおろか、雰囲気さえも思い出せない。
「お姉様、私、なんにも覚えてない……」
不安をその表情に浮かべる。長い間、幽閉されていた、ということは何度も思い出したことがある。幻想郷に来る前のこともおぼろげながらも覚えている。
けれど、結局それらの記憶は何年前まで遡っていたのだろうか?
自分の記憶なのに、それが不確かだということが不安を大きくしていく。
「……仕方のないことだわ。覚えていても辛いだけでしょうから」
憂いを帯びたレミリアの口調。レミリアは知っているのだろう、フランがその過去の記憶を失ってしまった原因を。
「お姉様。お姉様の知ってることを全部私に教えて。お母様や、お父様のこと、昔、どんな暮らしをしていたのかを」
「思い出したら、後悔するようなこともあるわよ」
「それでも、知りたい」
記憶にただ唯一刻まれた子守唄が心の中に響く。それが、両親の存在を求め、求める。
フランはじっ、とレミリアの顔を見つめる。教えてくれるまでは視線を逸らさない、といった風だった。
「……」
「……」
レミリアもフランの紅い瞳を見つめ返す。真っ直ぐ向けられる視線を静かに受け止める。
そして―――
「……わかったわ。話してあげる。でも、貴女の様子がおかしいと思ったらすぐに話すのをやめるわ」
それほどまでに痛烈な話となるのだ、と言外に告げる。
「うん、わかった。……あ、ちょっと待ってて」
そう言うや否やフランは館の中へと飛んで戻って行った。レミリアが止める暇もなかった。
数秒間、呆然とし、それからすぐに気を取り直す。
何から話そうかと頭の中で整理をする。そうしながら、フランの淹れた紅茶を口に含んだ。
「……せっかく、美味しい紅茶を淹れてくれたのに、無駄になりそうね」
ぽつりと漏らしたのはそんな言葉。そんな感想を零したくなるほどに、美味しく、そして、それを無駄にしてしまうほど、話は重く長くなってしまうだろう。
今のうちに味わっておこう、と二口目を口に含んだ。自分の淹れた紅茶とどちらが美味しいか、と問われれば間違いなくこちらだ、と答える。それほどまでに、フランの淹れた紅茶は美味しい。
紅茶を淹れる腕では負けてしまったけれど、負けたのが自分の妹であるからから悔しさは全く感じなかった。
「お姉様、おまたせ!」
フランが出て行った時と同様、飛んで戻ってきた。レミリアの対面に座り直したフランはアリスから貰った魔理沙の人形を抱いていた。
「……フラン、紅茶、美味しかったわ」
レミリアは静かな口調でフランの淹れた紅茶に対する感想を言った。
以前のレミリアなら魔理沙の人形を抱くフランを見てで、複雑な心境のひとつくらい抱いていたところだろうが、魔理沙の気持ちを聞き、それを認めてしまった今、そんなことはなかった。といっても、全く、というわけでもなかったが。
「あ、お姉様、私の淹れた紅茶飲んでくれたんだ。良かったぁ、お姉様の口に合って」
フランは安心したような笑みを浮かべた。
毎日咲夜の淹れた紅茶を飲んでいるレミリアの口に合うかどうか心配だったのだろう。
「……フラン、心の準備はいいかしら?」
フランの笑みを見ながらレミリアはそう告げた。何の、とは言わなかった。
それに対して、フランは、顔を引き締め、人形を抱き締める腕に少し力を込めて無言で頷いた。
「では、昔の私たちの紅魔館での暮らしから話していくわ―――」
――――
――
―
貴女も知っての通り私たちスカーレット家はルーマニアの辺境の森の中に館を建てて暮らしていたわ。私と、貴女と、お父様とお母様。それと、何人かの従者。家のことは従者達がやってくれていたわ。
このことは、覚えているかしら?
―――ううん、覚えてない。
……そう。とにかく、そんな構成で暮らしてたわ。
お父様の名前はレイヴン・スカーレット。月の光を反射するような銀髪で私達と同じ紅い瞳にはいつも不敵な色が浮かんでいたわ。そして、私のよりも大きく立派な黒い羽が印象的だったわね。
自由気ままで少し直情径行があるような性格だったわ。といっても、普段の生活で目立ったような暴走はなかったけれど。
お母様の名前は、ユナ・スカーレット。知的で澄んだ蒼色の瞳。そして、貴女と同じ綺麗な金髪が特徴だったわ。
お母様も自由気ままな性格だったわね。けど、それでいて、フランのことを一番気にかけてたのがお母様だと思うわ。いつも、貴女の傍にいたから。
貴女はあの頃から、既に地下室に入れられていたわ。……貴女が力を暴走させて、最初に傷つけられたのがお父様だったから必要以上に貴女の力を危惧したのでしょうね。……最近までの私みたいに貴女のことを気にかけながら具体的な行動は起こさなかったわ。
けど、お母様は貴女に傷つけられても貴女から離れるようなことはしなかった。時には、……動けなくなるくらい傷つけられていたこともあったけれど、それでも、貴女を見捨てるようなことはしなかったわ。
それが良かったのか、次第に落ち着いてきて、あの頃の貴女は今ほどではないけれど、落ち着いていた感じだったわ。
一日中お母様に抱かれていたり、お母様の話を聞いたり、寝る時にお母様の子守唄を聞いていたり、本当に貴女はお母様のことが好きだったんだと思うわ。
そのお陰で、私はあまりお母様と関われなかったんだけれど、まあ、そんなことはいいわ。あの時の貴女からお母様を取るのも気が引けたしね。
暮らし自体はそんなに悪いものでもなかったわ。
私たちは時折、人間を襲う私たちを退治しにくる人間たちの相手をしながらも、それなりに平穏な暮らしをしていたわ。お父様があえて悪名高かったり、人間たちの中でもはみ出し者となっている者ばかりを狙っていたから、向こうもこっちを本気で倒そうとしていなかったからでしょうね。
大きな変化はないまま時間は流れて、ある男が私たち家族に加わるわ。
それは、ヴラディスラウス・ドラクリヤ。私は、ヴラド、って呼んでたわ。串刺し公やドラキュラ公として名高かった男ね。けど、そんな二つ名に似合わず冷静でどちらかというと情に厚い性格だったわ。
私たちが彼と出会ったのは綺麗な満月の出ていた夜の墓場だった。
私は珍しくお父様に連れられて少し離れた修道院の墓場まで来ていたわ。お父様は面白いモノがいる、と言っていたわ。
あの時の墓場は不気味なくらいに静かだった。聞こえていたのは風の音と、私とお父様が墓場の中を歩く足音だけ。
お父様が立ち止まったのは周りの墓よりも一回り大きい墓の前だったわ。そこに腰かけるようにして、全身土まみれの壮年の男がいたわ。彼の横には人が一人埋められそうなくらいの穴が開いていた。
私は思ったわ。彼は、土の中から出てきたんだ、ってね。
「お前がヴラディスラウス・ドラクリヤか?」
高圧的な態度でお父様が話しかけた。ヴラドは混乱しているようだったわ。翼の生えた私たちの姿、突然話しかけたお父様の存在、そして、自分自身のことに。
「なんだ、お前は……。いや、それよりも、私は……」
「自分のことも忘れてしまったのか?四十の半ばで没したと聞いていたのだがな」
「いや、自分のことはしっかりと覚えている。私はヴラド三世。串刺し公、ドラキュラ公として恐れられている」
尊大な口調だった。彼は、いつだって自分の名前に誇りを持っているようだったわ。
「いた、だろう?お前は一度死に、世の人々の間では故人として扱われている」
「……やはり、そうなのか。だが、ここにいる私は一体何者なのだ?」
「高名なブラディスラウス公だろう?」
お父様は両手を広げて何かの演劇をしているかのように言っていたわ。
「そういうことでは、ない。何故、一度死んだはずの私がこうして動けているのか、そう言うことを聞いているのだ」
「さあな。それは私も知らない。私は妙な気配を感じて様子を見に来ただけだ。そういう煩わしいことはユナの方が詳しいだろう」
「……ユナ?」
「そう!ユナ!私の唯一にして最愛の妻だ!誰よりも賢く、そして誰よりも優れている!」
お父様は誰よりもお母様のことを愛していて、少し名前が出ただけでこんな調子だったわ。だからかしらね、無理やり連れてきたというのに執事もメイドも誰一人として逃げだそうとしなかったのは。
「なら、その傍らにいるのはお前の娘か?」
「ああ、そうだ。私たちの愛の結晶のレミリアだ。手を出したら、容赦はしないぞ?」
「いや、そんなつもりは毛頭ない」
手を振ってお父様の言葉を否定していたわ。
「なにっ!私たちの子供に魅力がないというのかっ!」
「お父様、落ち着いて。みっともないわ、そんなに声を荒げたら」
あの時は呆れながらもお父様の暴走を止めていたように思うわ。しょっちゅう暴走してたからお母様も私もお父様を止めるのには慣れていたわ。。
「む、確かにそうだな。すまないな、レミリア。こんなみっともない父親の姿を見せてしまって」
「ううん、別にいいわ。慣れてるから」
「なんと!それは、私がいつもみっともないということか!」
「そう言うことじゃないけれど、お母様や私たちのことを話してる時の姿はすごくみっともないと思う」
「おお、なんと言うことか!娘にそのようなことを言われてしまうとは!」
……昔はなんとも思ってなかったけれど、今こうして思い返してみるとかなり恥ずかしいわね。今も生きていたらどうなっていたことやら……。
「はは……」
私たちの会話を遮るようにして笑い声が聞こえてきたわ。
「何だ?お前も私のことがみっともないと思うのか?」
「いや、いや。すまない、そう言うことではない。……見かけが化け物だから警戒していたが、こうしてお前たちを見ていると、人間以上に人間臭いのだな」
「はっ、お前がどのような人間を指して言っているかは知らないが、集団を形成しなければ生きていけないような種族とは同一視されたくないものだな」
自由気ままなお父様は集団を嫌っていたわ。だからこそ、お父様の周りにいたのははみ出し者ばかり。執事達やメイド達もそうだったらしいわ。そして、お父様にとって掛け替えのないお母様も。
「集団が嫌いか……。まあ、集団の恐ろしさは分からないでもないがな」
「恐ろしい?何故、私が恐れなければならない?集団が嫌いなのは群れることで弱く見えるからだ。そんなものを見ていると虫唾が走る」
「そうか。……私が言ったのは、お前達のようなモノでも愛するモノがいるのだな、ということだ」
輝かしいものを見るような羨ましがるような、そんな眼差しをお父様に向けていたわ。
「……ふんっ、それこそ虫唾が走るな。愛することをするのが人間だけだと思っているとはなんとも愚かしいな」
見下すような視線。驕った人間もお父様の嫌いな物のひとつだったわ。
「……愚かしい、か。ふむ、そうかもしれんな。人外に言われてわかるとは真に愚かしいことだな」
妙に納得したように頷いてたわ。その時に、私は彼もはみ出し者なんだ、って気付いたわ。
「さてと、レミリア、戻るぞ。ユナが待っている」
「うん、そうね」
お父様が踵を返すのに合わせて私も踵を返す。ヴラドに付いてくるようには言わなかったけど、お父様が自分から誰かを連れ帰ろうとしたことは一度としてなかったわ。
少し話をして、相手に興味を惹かせて向こうから追いかけてくるように仕向ける。束縛を嫌うお父様だからこそ、気に入った者にどうするか選ばせてたのよ。
「おい、ちょっと待て」
ヴラドの声が聞こえてきたけれど、立ち止まらなかった。溜息のようなものが後ろから聞こえてきたわ。
やがて、二つだった足音は三つに増えたわ。
◆
館に戻って真っ先に向かったのはお母様の所だったわ。ヴラドがどうしても自分のことを知りたいみたいだったから。
お母様はいつものように貴女と地下室にいたわ。確か、あの時は、貴女のことを抱いていたわ。
「あら、レミリア?ここに来るなんて珍しいわね。……その人は?」
私の後ろに立つヴラドを見てそう言ったわ。お父様は貴女に近づきたくない、と行ってヒトリで部屋に戻っていたわ。
「お父様と修道院の墓場に行った時に会ったの。自分が今どんな状態なのか知りたいらしいから、お母様、教えてあげてくれる?」
「ええ、いいわよ。……フラン、ちょっとの間離れていてくれるかしら?」
「……やだ」
貴女はそう言って決してお母様から離れようとはしなかったわ。
「しょうがないわね。ごめんなさい、このままでいいかしら?」
「いや、別に構わん」
「ありがとう。……さてと、単刀直入に言うと貴方は魔物になってるわね」
「……ふむ?」
ヴラドは怪訝そうにはしていたけれど、驚いたような様子はなかったわ。一度死んだはずなのに生き返っていたから何か予感はあったのかもしれないわね。
「原因はやっぱりあれかしらね。不特定多数の人間に吸血鬼だなんだの言われているせいでしょうね。普通の人間の言霊なんて何の力もないけれど、それが集まり巨大になれば魔法使いのそれよりも強力な物となるわ」
「なら、私は吸血鬼にでもなってしまった、ということなのか?」
「ま、そういうことね。ようこそ、人外の世界へ、って所かしら。といっても、今の貴方は半分だけ、といった感じかしら?」
朗らかな様子でそんなことを言っていたわね。
「……お前も、人外なのか?」
「ええ、そう。私は生粋の魔法使いよ」
そのことを証明するかのように魔力の灯りを灯したわ。ヴラドは驚いてるみたいだった。初めて魔法を見たのだからしょうがないことでしょうけどね。
「…………まだまだ私の知らないこともあるのだな」
「そんなの当たり前のことじゃない。私だってわからないことはたくさんあるわ。例えば、どうすればレイヴンがこの子に構うようになってくれるか、とかね」
お母様は憂いを瞳に浮かばせながら貴女の髪を梳いていたわ。
「その子も、お前たちの娘なのか?」
「ええ、そう。フランドール、って言うのよ。……そういえば、まだ貴方の名前を聞いていなかったわね」
「うむ、そう言えばそうだったな。私はヴラディスラウス・ドラクリヤ。ヴラドと呼んでくれても構わない」
「ふーん、ドラクリヤ―――『竜の息子』ねぇ」
お母様が興味を持ったのはそこだったわ。
「?それがどうかしたのか?」
「名は体を表す、そういう言葉を知っているかしら?」
「まあ、知ってはいるが」
「貴方が本当に名で体を表すような存在なら面白い存在になりそうね」
「それは、私が竜になる、ということか?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないわ」
曖昧にそんなことを言っていたわ。普段はそんな曖昧なことは言わないんだけれど、あの時のお母様はからかっている、という感じだったわ。
たぶん、ヴラドのことが気に入っていたのかもしれないわね。執事達やメイド達に対してもそうだったけれど、家族以外で気に入ってる者はよくからかっていたわ。
だから、その次のお母様の言葉は当然のことだったのかもしれないわ。
「貴方、この館に住んでみないかしら?」
「住む場所がないのでその申し出は嬉しいが……、いいのか?館の主の意向も聞かずに」
「ふふ、何を言ってるのかしら?この館の主はレイヴンと私のフタリよ。それに、あの人が貴方をここまで連れてきた、ということは住んでもいい、ということよ。気に入らないモノは絶対に館には近づけさせないから」
「そうか、恩に着る」
「気にしなくてもいいわよ。代わりに、レミリアの相手をしてくれたら嬉しいわ」
お母様は貴女につきっきりだったし、お父様は度々ふらっ、といなくなるから常に私のことを見ているモノが欲しかったのでしょうね。まあ、私自身はいてもいなくても良かったんだけど。
「その位ならお安い御用だな」
「ほんとにそうかしらね?結構我が侭だから苦労すると思うわよ」
「お母様、私は我が侭じゃないわ」
そう、今も昔も私が我が侭だったことはないわ。ねえ、フラン。
―――え?えっと……
なんで、そこで目を逸らすのよっ!……まあ、いいわ。
「これでも、一城の主だったことがあるから、我が侭を聞くことには慣れている」
「そう、それは頼もしいわね。じゃあ、今から頼んだわよ」
「ああ、任された。……では、レミリア嬢―――」
「レミリアでいいわ」
「ふむ、では、レミリア。私にこの館の案内をしてくれないか?全ての部屋、とは言わないが最低限は案内してほしい」
「嫌よ、面倒くさい」
……確かに、昔は我が侭だったかもしれないわね。
「いいじゃない、案内してあげたら。優秀な従者を作り上げるにはまず最初に手塩を掛けてあげないといけないのよ。そして、存分に苦労したところでこき使ってあげるといいわ。貴女もこの館の主となれる素質があるんだから、従者の使い方はしっかりと学んでおかないと」
お母様はそうやってさりげない感じで私に帝王学を教えてくれていたわ。私の考え方のほとんどはお母様の受け売りよ。それと、お父様を見て学んだことも参考にしてるわ。あと、ヴラドに言われたことも私の大事な糧のひとつね。
「わかったわ。……ヴラド、付いてきて」
「うむ、よろしく頼むぞ」
貴女をあやすようにして撫でていたお母様を残して地下室から出たわ。
◆
それから、一年が経ってヴラドも完全に私たちの家族の様に馴染んでいたわ。
そう、他の執事やメイド達とは一線を画していた。たぶん、他のモノたちと違って積極的に関わってきたからこそ、スカーレット家のヒトリとして認められたのでしょうね。
私にとっても掛け替えのないヒトリだったわ。最初はこんなのどうでもいい、って思ってたけれどね。
やることやることが的確で私から指示を出すなんてことはなかった。逆に私のほうがあれこれと言われてたわね。
でも、言い方が高圧的でも嫌味っぽくもなかったからか私は嫌々ながらもそれに逆らうことはそれほどなかったわ。
それに、ヴラドの言うことは私の大切な糧になっていたわ。
あれは、暑い夏の日だった。といっても、向こうはこっちとは違って家の中にさえいれば快適だったけれどね。
で、そんなとき、暇で暇でしょうがなくて部屋の中でだらだらとしていた時だったわ。
ノックをするや否やヴラドが入ってきたわ。答えるのが面倒だから私が寝てるとき以外は勝手に入ってきてもいいって言ってたのよ。
「……レミリア、だらけすぎではないか?」
「することがないのよ。だから、こうしてだらけているのは当然よ」
「そこで自分ですることを探せるようになった方が後々充実した生き方が出来るぞ」
「……じゃあ、ヴラドはこんな暇な状態をどうやって抜け出すのかしら?」
「ふむ、そうだな。……散歩に行くにはまだまだ日が高いな。なら、館の中を歩き回ってみるのはどうだ?」
「……ヴラドは私が何年ここにいると思ってるのかしら?」
「そういえばレミリアが何年生きているのか聞いたことがないな。何年だ?」
「十五年よ」
「十五年か。人間で十五というともっと成長していると思うんだが、やはり魔物というのは人間よりも成長が遅いのか?」
「さあ、知らないわよ、そんなこと。……それよりも。十五年も過ごしてきた館の中を歩き回ってどう時間が潰れる、っていうのよ!」
「もしかしたら何かあるかもしれないぞ?ここまで広い館だ。入ったことのない部屋の一つや二つくらいはあるんじゃないか?」
「うん、あるかもしれないわね。でも、困ることなんてないからどうでもいいわ」
あの頃の私は好奇心、というものがまるでなかったわ。たぶん、お父様とお母様が自由だったからその反動で冷めたのかもしれないわね。
「子供らしからぬ考え方だな。レイヴンもユナも好奇心に溢れているというのに」
「お父様とお母様はお父様とお母様で、私は私よ」
「ふむ、刺激が足りないのかもしれないな。よし、行くぞ、レミリア」
「えっ?ちょっと、引っ張らないでよ!」
ヴラドに手を引かれて私は自分の部屋から連れ出されたわ。
◆
「……それで、何処に行くつもりよ」
私たちは並んで廊下を歩いていたわ。あの時はまだ咲夜の力で館の中の空間を弄ってはいなかったけれど、廊下の向こう側が少し霞むくらいには広かったわね。
「そんなこと決めているわけがないだろう?気になるところがあれば入ってみる、ただそれだけだ」
「…………」
予想に反して無計画だったから私は呆れて何も言えなかったわ。
そのまま無言で私たちは足を進めていたわ。
「……お?この大きな扉はなんだ?」
普段は立ち入らないような場所まで来て、ヴラドが立ち止まったのは豪華な装飾の成された大扉の前だった。
「そこは、お母様の集めた魔道書とか、お母様の書いた魔導書とかが収められている部屋よ」
「ふむ、そうなのか。では、入ってみるか。魔道書、というのも気になるところだしな」
「たぶん、入ったところで魔導書なんて読めないだろうし、何にもないと思うわよ」
「レミリアはこの部屋を隅々まで見たことがあるのか?」
「別に。ただ、入口から覗いたことがあるだけよ」
「それは勿体ないな。何事も隅々まで見てようやくその本当の価値がわかるというものだ」
そう言いながらヴラドは大扉を開いたわ。止める気もなかったし、ヴラドを放って部屋に戻ってもすることがないから私は無言でヴラドについて行った。
扉の向こうは下り階段になっていてその先に扉があったわ。ヴラドがその扉を開いたわ。
「おお!ここまで大量の蔵書を見るのは初めてだな。……これが、魔導書というものか。見かけは普通の本と変わらないのだな」
お母様の魔導書を保管していた場所は、今のパチェの図書館よ。あの頃から既に本棚の森が出来ていたわね。今みたいにどこまでも広がるような広さを持っていたわけではないけれど。
「……読めないな」
適当にページをぱらぱらと捲りながらそう呟いていたわ。
「当たり前よ。最近魔物になったばかりの貴方にお母様の魔道書が読めるはずがないじゃない。魔道書を読むにはそれ相応の魔力が必要なのよ」
「レミリアは読めるのか?」
「お母様の書いた物は読めないけど、低級の魔導書なら読めるわよ」
「ふむ、そうか」
頷きながらヴラドは本を棚に戻したわ。
「で、満足した?」
「いや、まだ部屋の中を見ていない」
「別に何にもないと思うわよ」
「……レミリアよ。図書館には妖精が住むことがある、という話を聞いたことがあるか?」
突然、ヴラドがそんなことを言ったわ。当然、私はそのことをいぶかしんだわ。けど、すぐにヴラドが何を言おうとしてるのか気付いた。
「?聞いたことがないわけじゃないけれど、それが?……もしかして」
「そう、もしかしたら妖精の一匹や二匹はいるかもしれんな」
「そんなわけないじゃない。あんな臆病な奴らがわざわざこんな場所に住み付くと思ってるのかしら」
あっちにいた妖精はこっちにいた妖精と違って単に憶病なのが多かったわ。その代わり力を持った妖精も多かったわ。こっちでは氷精が妖精の中で力を持ってる部類に入るけど、向こうであの程度は普通より少し強い程度だったわね。
「そういう決めつけはよくないな。変わりモノの一匹や二匹くらいはいるのではないか?それに、どうせすることはないのだろう?だったら、部屋の中を探索してみるのもいいではないか」
「……好きにすればいいわ」
あの時の私は素直じゃなかったわね。
……ってフラン、なによその視線は。
―――なんでもないわ、お姉様。
いや、なんでもない、っていう風には見えないわね。
―――そんなことよりも、続きは?
……そうね、今はこんな些細なことはどうでもいいわ。
それで、私たちはヴラドを先頭にしてお母様の書庫を適当に歩き回っていたわ。
目に入るのは無数の魔導書ばかりで面白い変化も何もない、そう思っていたわ。けれど、ただ書庫の中を歩き回る、というだけには留まらなかったわ。
「……何かいるわね」
書庫の奥の辺りまで来た、という辺りで私は何かがいることに気付いたわ。
「ふむ、妖精かもしれんな」
「仕事をさぼってる執事かメイドかもしれないわよ」
「夢のないことを言う。まあ、どちらにしろ調べてみるしかないだろう。妖精ならどうするか、などは考えていないが、執事かメイドなら仕事に戻らさせねばならんしな。それで、どの辺りにいるかわかるか?」
「あっちの方。奥にいるわ」
私が指差した方にヴラドは歩いて行ったわ。ここまで来たら当然、私も追いかけるしかなかった。
最後の本棚を曲がってそこで目にしたのは、
「どうやら、私の想像が合っていたようだな」
「私の考えもある意味正解よ」
そこにいたのは、ヴラドが想像していたとおり妖精で、何故かメイド服を着ていたわ。おそらく、変装して乗り込んだつもりだったんでしょうね。けど、それにしては背中の羽が特徴的すぎだったわ。それがわかっていたから、その二匹の妖精は書庫の奥、なんて場所にいたんでしょうけど。
私たちの声に反応して二匹の妖精は私たちの方へと視線を向けてきたわ。その内の一匹はすごく怯えているみたいだったわ。
「ど、どうするのっ?見つかっちゃったよ!」
「どうするもこうするも、逃げられはしないでしょうね。目の前にいる吸血鬼が特別運動が苦手でどんくさくない限りは」
対照的にもう一匹の方は平然とした様子だったわ。諦めている、というよりは客観的に物事を受け入れているだけのような感じだったわね。
「……それで、貴女たちはこんな所で何をしているのかしら?」
怯えていた方が私の言葉に体を震わせたわ。
「食べ物をちょっと拝借させてもらおうと思ってここに住まわせてもらってるわ。ここまで誰かが来ることもないからここを拠点にしていたんだけれど、流石吸血鬼、といったところね。この部屋の主っぽい魔女は私たちに全然気付かなかったのに、貴女は的確に私たちの居場所を特定したわね。油断し過ぎていた私たちには逃げる暇もなかったわ。……それで、私たちをどうするつもり?個人的には、妖精でも吸血鬼になれるかどうか、ということに非常に興味があるのだけれど」
「ちょっと!」
「なに?貴女は殺される方がいいっていうの?……まあ、個人の種族に対する矜持にあれこれ言うつもりはないけれど」
「そう言う意味じゃなくて!なんでそんなに冷静なの!」
「?焦った所で何か進展があるのかしら?むしろ、早々に最悪な選択肢へと向かって行きそうな気がするけれど」
平然とした様子の妖精はかなり変わった考え方の持ち主だったみたいだったわ。
「……別に、私はどうするつもりもないわよ。ここはお母様の部屋だから、貴女たちをどうするかはお母様が決めるわ」
「それは、あの魔女のこと?」
「うん、そうよ」
「……下手をすれば、魔女の実験台、か。ぞっとしないわね。殺される方がよっぽどましかもしれないわね」
「ちょ、ちょっと、な、何怖いこと言ってるの!」
「ええ、怖いことね。でも、幸いなことにその怖い魔女はいない。逃げたいなら今のうちよ」
「あ、あなたはどうするの?」
「ん?私は残るわ。ちょっと、興味が湧いてきたし、ここの居心地はかなり気に入っているわ。みすみす捨てるなんて勿体ないじゃない。怖いのなら、別に私のことを置いて出て行っても構わないわよ」
「う、うん、そうする。……あなたと居られて楽しかったよ」
そんな一生の別れのような言葉を残してもう一匹の妖精はどこかへ飛んで行ってしまったわ。
「捨てられたみたいね」
「そうでもないわよ。特に臆病なあの子にしては長くいてくれたわ。……それで、そこの吸血鬼さん。私と魔女との仲介役をしてくれないかしら?あの魔女の娘である貴女が仲介役となってくれればとても心強いわ。そろそろ、こそこそしてるのも嫌になってきたからちょうどいい機会だわ」
仲間がいなくなっても怖気ついた様子も見せずに私に向かってそんなことを言ったわ。私の中で妖精、っていうのは臆病な印象しかなかったから、その当時の私にしては珍しく興味をそそられたわ。
「別にいいわよ。けど、その代わり条件があるわ」
「なに?」
「私の従者にならないかしら?」
「従者?こんな恰好をしてるからかしら?」
「そんなもの関係ないわ。私が貴女に興味を持ったから、貴女が私の従者になってくれたら面白そうだと思ったから、ただそれだけよ」
「吸血鬼さんに気に入られるなんて光栄ね。でも、何をしろって言うのかしら?料理も洗濯も出来なければ、勉強を教えることもできないし、子守り役も十分そうね」
「なっ……!子守りってどういうことよっ!……って、ヴラドも笑ってるんじゃないわよ!」
あの言葉は今でも忘れられないわ。あの妖精、私のことを子供扱いしてたのよ!
それに、ヴラドもお腹を抱えて笑ったりしてるし、あの時は本当に最悪だったわね。
「ああ、いや、悪い。そこの妖精の言葉があまりにも的確でな」
「ヴラドっ!」
ヴラドまで私のことを子供扱いしてるみたいだったから睨んでおいたんだけど、
「本当に悪かった。だから、そんなに泣きそうな目でこっちを睨むな」
笑いを堪えて私の頭に手を乗せながらそんなことを言ったわ。あれは、かなりの屈辱だったわ。
「…………貴女は、別に何もしなくていいわ。面白そうな貴女を傍に置いておきたいだけだから」
これ以上、何かを言っても恥の上塗りになるだけのような気がしたから早々に話題を元に戻したわ。
「そう、なら別にいいわよ。貴女の従者になってあげても。でも、魔女からここに住む許可が出なかったら、ならないわよ」
私の考えを汲み取ってくれたのか、その妖精はそれ以上話題を掘り返すことをしなかったわ。……それはそれで屈辱的だったけれど。
「なら、決定ね。お母様のことだから、きっと貴女が住むのを許可してくれると思うわ」
「そう。じゃあ、仲介役、頼んだわね。お嬢様」
あの妖精はそんな風に言って慣れない様子で一礼をしていたわ。
◆
「妖精?本を荒らさないんだったら勝手に住んでもらってもいいわよ」
私の予想通り、お母様は簡単に妖精を住ませることを許可してくれたわ。あのときもやっぱり貴女を抱いたままだったわ。
「ありがとう。ありがたく住まわせてもらうわ」
「どういたしまして。……でも、どうして、レミリアが妖精のことを告げに来たのかしら?」
当然の疑問だったでしょうね。吸血鬼と妖精、なんていう稀有な組み合わせを見れば。
「私の従者にするためよ。お母様とこの妖精の仲介役をするのがその条件だから」
「そう。……一年前にはヴラドを、そして今日は妖精、ね。レイヴンに負けず劣らず変わったモノばかりを従者にするわね」
「やはり、私はレミリアの従者、という扱いなのか?」
「まあ、そうね。私の言ったことを律儀に守ってレミリアの面倒を一番見てくれていることだしね。感謝してるわよ」
言ってお母様はヴラドに微笑みかけたわ。本当に信頼しているような微笑みだったわ。
「こちらも住まわせてもらっている身だからな。それに、レミリアの相手をするのもなかなか楽しい」
「どういう意味よ」
「それなりに忙しくて充実している、ということだ。お前はなかなか我が侭だからな」
「私は我が侭じゃないわよ!」
「誰がどうみても我が侭だと思うがな。あと、あまり声を荒げると威厳が無くなるぞ。主というモノ、何を言われても堂々としておらんとな」
そう言って、自らの言葉を実践するかのようにヴラドは堂々とした態度で立っていたわ。
対して何も言い返せない私はヴラドを睨んでいるだけだったわ。
「うぅー……」
「ふふっ、フタリとも仲がいいのね」
不意に聞こえてきたのはお母様の楽しそうな笑い声。
「……まあ、一年一緒にいて嫌にならないってことはそうなんだろうけど、相変わらずヴラドが言うことは気に入らないわ」
「ふむ、私は事実を言い、悪い部分を直すための方法を教授してやっているだけなのだがな」
「ヴラドの言うことが役に立つ、っていうのは認めるけど、やっぱり気に食わないわ」
「……面倒な性格なのだな」
「吸血鬼なんて一般的にそんなものよ。貴方の言ってることを有用だと思うだけ他の吸血鬼に比べて殊勝だと思わないと」
そう言ったのはめでたく私の新しい従者となった妖精だったわ。
「うむ、そうかもしれんな」
ヴラドは妖精の言葉に頷いていたわ。出会ったばかりだというのに早速同じ思いを共有しているみたいだったわ。
「……ヴラドはいいとして。妖精、どうして貴女は主である私に対してそうずけずけと物が言えるのかしら?」
「私が言いたいからよ。あと、私にはラナンディール、という名前があるわ」
「……妖精の癖に」
「妖精の癖に?何を言ってるのかしら?妖精だからこそ、よ」
「ああ、もう、わかったから黙ってなさい!」
「はいはい、わかったわ、お嬢様」
あいつのお嬢様、は単なる皮肉にしか聞こえなかったわね。あの時は、なんだってこんなのを従者にしたんだろう、って思ってたわ。
「……お姉様、楽しそう」
ふと、静かな声でそう言ったのはフラン、貴女だったわ。気がつくと、お母様から離れて私の方を見ていたわ。
「楽しそう?どこがよ」
あの時はまだ私が勝手に作りだした貴女との隔たりもそんなに大きくなかったから私も普通に話しかけてたわ。
「なんとなく、そんな風に見えた。違うの?」
「違うわよ。むしろ、うんざりしてるわ」
「そう……。でも、嫌そうじゃない」
淡い微笑みを浮かべていたわ。今思い返してみれば、貴女はあの頃からも私のことを慕ってくれていたのかもしれないわね。愚かで鈍い私は全然気付いていなかったけど、ね。
◆
それからまた、いくらかの時間が過ぎたわ。
ヴラドはいつも私の傍にいたし、ラナンはいたりいなかったりだったわね。本当に私のことを主だと思っていたのかしらね?
最初のころはラナンの自分勝手さにイラついていたけれど、時間が経てばどうでもよくなってきたわね。
……で、そんなラナンは私よりもむしろお母様のことを慕っているみたいだったわ。いつの間にかお母様に話しかけるときだけは敬語になっていたし。
ある日、ラナンが傷付いたお母様を連れて私の所までやってきたわ。
◆
「レミリア!傷の手当ては何処ですればいいのかしら!」
小さな身体でお母様を背負って必死な形相で廊下を歩いていた私とヴラドの方まで向かってきたわ。ラナンは服の所々に血を付けていたし、お母様はそれ以上に血で濡れていたわ。
私はたまらず、気を失っているお母様の方へと走って行っていたわ。
「お母様っ!?何があったのよ!」
「後で話すから、今は落ち着きなさいっ!」
あの時だったわね。ラナンが私よりもお母様の方を大切にしてるんだ、って本当に気付いたのは。
悔しい、と思う余裕はなかったわ。目の前でお母様が血を流していたのだから。
「ラナン。私が治療道具を取ってくる。ユナはベッドの上に寝かせて安静にさせておくんだ」
「……待って」
私たちを置いて、治療道具を取りに行こうとしたヴラドを呼び止めたのは弱々しいお母様の声だったわ。
「……治療は、後でいいわ。それよりも、あの子の、フランの所まで、行かないと。私がいなくなって、あの子は不安に、思ってるでしょうから」
「お母様!ダメよ、安静にしてないと!」
「そうですよ!その傷をそのままにしていると死んでしまいますよ!」
「フタリの言う通りだ。ユナ、お前は安静にしているべきだ」
私たちは三者三様の言葉でお母様を止めようとしたわ。けど、私たちサンニンの言葉ではお母様の意思を変えさせることは出来なかったわ。
「大丈夫。あの子のことを、想えば、こんな傷、どうってこと、ないわ」
そう言いながら、お母様は魔法で自らの体を浮かせてラナンの背中から離れたわ。
「心配してくれて、ありがとう。レミリア、ラナン、ヴラド。でも、私は行かせてもらうわ」
私たち全員に微笑みを向けて去って行こうとしたわ。私とラナンは何も言えなかったわ。けど、ヴラドは違った。
「ユナ、私が連れて行ってやろう」
「いらない、わ。私ヒトリで、いけるから」
お母様はそう言ってヴラドの申し出を断ったわ。お母様が意固地になりやすい、ということを知っていたヴラドは同じことを言うことはなかったわ。
「ユナ、心配だから私も付いていこう」
「……そうね。途中で、倒れるかもしれない、し。倒れたら、頼むわよ」
「お安い御用だ」
頷いて、ヴラドは血を流しながら飛んで行くお母様を追いかけていくわ。
私とラナンも一度顔を見合わせてからフタリを追いかけて行ったわ。
◆
地下へ向かう途中、お母様とラナンから何があったのか、を聞いたわ。
フタリの話を合わせると、お母様が魔力で空間の裏側に隠していたレーヴァテインがお母様の制御下を離れて貴女に喚び出されて貴女の目の前に現れた。それに触れた貴女は魔力を暴走させてお母様を部屋の外に吹き飛ばしてしまった。お母様はその時に、壁に叩きつけられて意識を失ってしまったらしいわ。
そして、ちょうど地下への階段の近くを通りかかったラナンが物音を聞きつけてお母様を運んだ。その時の貴女は呆然としていたそうよ。魔力の暴走は魔杖を掴んだその瞬間だけだったみたいね。
「ここの廊下、こんなに、長かったかしら?」
私たちは、壁に手をついて肩で息をするお母様を先頭として地下室の入口近くまでやってきたわ。
「それは、お前が血を流しすぎているんだ。本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫、よ。フランや、レミリアが成長するのを、見届けるまでは、死ぬに、死ねないから」
そう言ってお母様は壁から手を離して地下への階段を降り始めたわ。魔力で体を浮かしているとはいえ、途中でそれが途切れてしまえば階段を転がり落ちかねない状態だったわ。
それでも、誰もお母様を支えようとはしなかった。その背中が助けを拒絶している、ということがはっきりと伝わってきたから。
階段を降り切って、聞こえてきたのは、すすり泣く声だったわ。
その声が聞こえてきた途端にお母様は扉の壊れた部屋の中へと急いで入って行ったわ。
「……フラン、ほら、私は大丈夫だから、泣かないでちょうだい」
「お母、様……?」
部屋の中を見てみると荒れた部屋の中心でお母様が貴女のことを優しく抱いて、頭を撫でていたわ。
「お母様、お母様っ!」
貴女も泣きじゃくるようにしてお母様に抱きついたわ。
「……っ……」
でも、当然怪我をしているお母様にとってそれは苦痛を与えられる行為でしかなかった。
お母様は痛みに耐えて呻き声さえも漏らさないように歯を食いしばっていたわ。そして、貴女のことをより一層強く抱き返していた。
私はただただ、そんなお母様の姿に目を奪われたわ。なんて、美しいんだろうって。あんな方がお母様でよかった、って。
「……ぁ。お母様、ごめん、なさい」
泣きやんで、お母様が血を流していることに気付いたのか貴女はお母様に抱きつくのを止めたわ。でも、お母様は貴女を決して放そうとはしなかった。
「貴女が、謝る必要なんて、ないわ。私が、兆候を読めなかったのが、悪かったんだから」
「でも、でも、お母様、痛くないの?大丈夫なの?」
「だぁいじょうぶ、よ。貴女の感じてる、恐怖や不安に比べたら、こんな傷、どうってことない、わ」
たぶん、あの時お母様は貴女に微笑みかけたんだと思うわ。苦痛をものともしていないような、貴女を安心させようとするようなそんな微笑みを、ね。
お母様に微笑み返す貴女の顔が見えたから私はそんなことを思ったわ。
けど、そんな貴女の微笑みもその直後には凍りついてしまったわ。お母様が、気を失ってしまったから。
「お母様っ!お母様、お母様っ?」
そして、取り乱した貴女は涙を流しながらお母様の身体を揺すり続けたわ。けれど、すぐにヴラドによってお母様は抱え上げられ、貴女はヴラドを見上げるだけになったわ。
「フラン、ユナは私に任せてくれ。医者の心得などはないが、なんとかする。ラナン、手伝ってくれるか」
「え、ええ、いいわよ」
お母様が倒れたことに気を取られていたのかラナンは珍しく狼狽したような声をしていたわ。
「レミリア、お前はフランのことを頼む」
そう言うとヴラドはすぐに部屋から出て行ったわ。その後をラナンが追いかけていくのを視線で追いかけて、見えなくなると貴女の方に視線を向けていたわ。
でも、私は貴女に何を言えばいいのか、何をしてあげればいいのかわからなかった。それまで、ああいった場面に出くわしたことは一度としてなかったから。
「お姉様、お母様は、大丈夫、だよね……」
話しかけてきたのは貴女の方からだったわ。不安に揺れて、今にも消え入りそうな声だったわ。
「うん、大丈夫。大丈夫なはずよ」
私は自身の不安を隠すようにそう、何度も何度も呟いていたわ。
―
――
――――
レミリアがふぅ、と一息を吐く。それから、顔を俯かせ魔理沙の人形を抱きしめるフランへと視線を向ける。
「フラン、大丈夫かしら?」
自らの母親を瀕死の状態にまで傷つけてしまった、という過去はフランにとって辛いだろうからの問い。
「うん、大丈夫。……それに、お姉様の話を聞いていて思い出したわ。昔の、ことを」
「そう。……よかった、わね」
その記憶には辛いものも混ざっていることを知っているからこそ、言葉を少し濁らせてしまう。けど、それでも口にしようと思ったのは俯くフランの顔に少しだけ嬉しそうな色が見えたから。
「うん……。お母様は、ずっと、ずっと私の傍にいてくれた。優しい声で話しかけてくれた。私を包み込むように子守唄を歌ってくれた。お母様が私に無関心だったら今の私は絶対にいなかった」
歌うように告げる。過去の美しい記憶だけを使って何かを編み上げるかのように。
「あの後もお母様は全身に包帯を巻いたまま毎日のように私の傍にいてくれたわ。……あんなことをしたのに傍にいてくれていたことが嬉しくて、でも、傍にいたらまた傷つけてしまうんじゃないだろうか、って怖くて不安で……」
過去の恐怖と不安とが甦ってきたのか人形をぎゅっ、と抱きしめる。
「だから、お母様に魔力の制御の仕方を教えてもらったのよね」
レミリアはその姿を何度か見ていた。膨大すぎて制御されきれなかった魔力が暴走しユナやフラン自身をも傷つけている姿も。
「うん。おかげで暴走させない程度には制御出来るようになったけど、それ以上お母様から何かを教えてもらうことは、なかったわ……」
辛そうに目を伏せてしまう。
それも仕方のないことだろう。その先に起きた出来事こそフランが自らの記憶を閉じ込めてしまうような出来事だったのだから。
「フラン、この続きは―――」
「ううん、聞かせて。私は私に起きたことは思い出したけどお姉様に何があったのか知らないから」
「……わかったわ。続きを話しましょうか」
――――
――
―
貴女も知ってのとおり、あれはお母様の怪我が完治して一ヶ月くらい後のことよ。
朝になって寝巻きに着替えて寝ようとしていたときだったわ。何かが壊れ、崩れるような音が聞こえてきた。館全体が震えているようだったわ。
「な、何っ?」
私は衣装棚に伸ばした手を止めて困惑していたわ。
また、お父様やお母様、もしくは私か貴女を狙うやつらが来たんだと思ったわ。けど、同時にいつもとは違う何かを感じていたわ。
「レミリア!無事かっ!」
私が寝ているということを示す札をドアノブに掛けていたはずだけれどヴラドはノックもなしに入ってきたわ。まあ、私もそのことについて言及しているような余裕はなかったけれど。
「私は、無事よ。それよりも、何があったのかしら?」
「さあ、わからん。とりあえず一番近かったお前の無事を確かめに来たんだ。……レミリア、どうする?私についてくるか?それとも、部屋で大人しくしているか?」
「当然、付いて行くに決まっているわ。私のほうが貴方よりも戦い慣れているのよ。戦いは私に任せてちょうだい」
館に進入してきたやつらと戦う機会なんていくらでもあったわ。それなりに手応えのあるのもいたけど、そのほとんどが相手にならなかったわ。
「そうだな。だが、私もそれなりに戦える」
ヴラドはそう言いながら手に持っていた槍を少し揺らしたわ。
彼も何度か侵入者と一戦を交えていたことがあったわ。妖怪化していたおかげで大抵の人間には負けないくらいの強さはあったけれど、私には並ばない程度の実力だったわ。
「あんまり、期待はしていないわ。……早く、行きましょう。嫌な予感がするわ」
ざわざわと心の内で不安がざわめいているのを感じながら私たちは音のした方へと向かっていったわ。
お父様の部屋がある方へと……。
◆
お父様の部屋まで駆けつけてみると、酷い有様になっていたわ。
扉は壊され、中の調度品は滅茶苦茶にされて、壁が壊されていたわ。けど、お父様もいなければ侵入者もいなかったわ。
「これは、酷いな……。レイヴンは、何処だ?」
「さあ、わからないわ。けど、この部屋が壊された時にはここにはいなかったみたいね」
血も灰も落ちていないからそう答えることができたわ。
「そうみたいだな。……侵入してきたのは、魔法使い、か?」
ヴラドがそう言った直後、小さく空気が震えたのがわかったわ。
「ヴラド、どこかで誰かが戦ってるわ」
「……どこでだ?」
「わからないけど、あっちの方」
館の玄関の方に指を向けたわ。
「行くぞっ」
「ええ」
ヴラドの言葉に頷いて、私たちは駆け出したわ。多分、ヴラドも不吉な予感を覚えていたんだと思うわ。だから、全力で私たちは廊下を駆け抜けたわ。
◆
辿り着いたの水浸しとなったロビーだったわ。その中心には一人の魔導書を持った赤毛の女が腕から血を流して立っていたわ。その目の前には一本の槍。足元には真っ黒な水があったわ。
一瞬で理解した。お父様が殺されてしまったのだと。
けど、動くことは出来なかったわ。だって、私にとってお父様は無敵に近い存在だったんだもの。いくら不吉な予感を感じていたとはいえ、負けるなんて思うはずがないわ。
だから、動けなかった。
やがて、向こうも私たちの存在に気付いたみたいだったわ。
元から、私たち全員を相手にするつもりだったのか怯んだ様子もなく、私たちの方に向けていくつもの水柱を伸ばしてきたわ。正面からでは決して避けられそうになくて、けど、後ろに下がれば簡単に避けられそうな攻撃。
これに、お父様はやられたんだ、ってわかったわ。それが、後の先の一撃だったのか、もしくはもっと別な方法で当てたのかはわからないにしても。
お父様の姿を見て動けなくなっていた私は、内から闘争本能が湧き上がってくるのがわかったわ。
後ろに下がるなんて考えは全くなかったわ。お父様が死んだのを理解して完全に冷静さを失っていたのでしょうね。
近距離まで詰める余裕はないから魔力を練り上げて、遠距離から攻撃することだけを考えていた。
「レミリア!退くぞっ!」
ヴラドが叫ぶ声が聞こえたけど、そんなもの無視をしたわ。
そして、私は魔力で作り上げた投げ槍を思いっきり投げつけてやった。水柱に勢いを削がれることなく真っ直ぐ飛んでいき、魔法使いの左胸を貫いたわ。この時点では視界は水柱に遮られていて確認なんて出来なかったんだけれど。
そう、逃げずに攻撃に移った私に攻撃を避けてる余裕なんて残されていなかった。
死ぬ覚悟は、していなかったわね。ただ勢いだけでこうなってしまったんだから。多分、お父様だって同じだったんじゃないかしら?勢いだけで水の中に突っ込んで行って果てていったんだと思うわ。
ただ、お父様と違って私には自分の行動の結果を考えるだけの余裕が残ってしまっていた。
冷静になった途端に私は恐怖を覚えたわ。お父様と同じようになってしまうんじゃないか、ってね。
「くそっ……!」
悪態をつくような声がしたと思ったら突然私の視界は閉ざされてしまったわ。誰かに正面から抱き締められている、それだけはわかったわ。
「ぐ……っ。……くっ……」
それから聞こえてきたのは水の流れる音と呻き声だけだったわ。誰の呻き声かわかってしまったから私はただ水の音が聞こえなくなるのを望んだ。
そして、騒がしいだけの水の流れる音は聞こえなくなって後にはヴラドが苦しそうに息を整える音だけが残ったわ。
「…………はぁ……、はぁ……。大丈夫、か、レミリア」
私を放すと苦しそうな表情を浮かべたままそう聞いてきたわ。
「え、ええ、大丈夫、よ」
「そうか、なら、良かった。……だが、これからは、そんな軽率な行動は、するな。まず、安全を確保する、それが、第一だ」
「……ええ」
その時、私は知ってしまったわ。軽率な行動で他の誰かが苦を受けることがあるんだということを。
「それよりも、ヴラドは、平気なの?」
「……全身に力が、入らない。あと、水を、受けていた部分が、痛む。それぐらい、だ。問題は、ない」
身体を揺らしながらヴラドは立ち上がったわ。
「死ぬ覚悟を、していたのだがな。まあ、生き残れた、というのなら、僥倖だ。まだまだ、お前の、面倒を見なければ、いけないようだから、な」
そう言いながら私の頭を撫でてきたわ。
「なんで、頭を撫でるのよっ!」
振り払ってやったわ。……まあ、単なる照れ隠しだったんだけれど。
「泣きそうな顔をしていたからな」
「泣きそうになってなんかないわよ」
けど、ヴラドに言われて目尻に涙が浮かんでいることに気付いたわ。私は本当にヴラドを失うことを恐れていたわ。
「それにしても、何故、私は無事だったのだろうな。ユナの言っていた名は体を表す、というやつか?」
「単に中途半端に吸血鬼化してるだけかもしれないわよ。貴方、血も飲まなければ、人の肉も食べようとしないでしょう?吸血鬼も竜も人を食べる生き物よ」
「ふむ、そんなものなのか。……まあ、なんだっていいのだがな」
本当にどうでもよさそうに呟いたその直後、館が鳴動するほどの爆発音が響き渡ったわ。
「あっちは……地下室?」
「……っ!お母様とフランが心配だわ。行きましょう、ヴラド。走れないならそこで待っててもいいわよ」
「馬鹿を言うな。無茶をするお前だけを行かせるわけにはいかない」
「そう、なら、精々遅れずに付いてくるのよ」
それだけ言って私は全力で駆け出したわ。
◆
…………地下室に駆けつけて、私たちが見たのは、凄惨な光景だったわ。
天井は無くなって二階まで突き抜けていて、部屋はそこら中が焼け焦げ、原形を失った家具は火を燻らせていたわ。
何よりも目についたのは赤色。地下室の入口があったはずの場所には紅い水たまりが出来上がっていたわ。
そして、部屋だった場所の真ん中には貴女と、一切動きを見せないお母様の姿が見えたわ。遠目でもお母様がもう動かない、ということを私は知ったわ。
貴方はお母様を抱き締めたまま一向に動こうとしていなかった。ただ、しきりに何かを話しかけていたわ。返事は何もないはずなのに。
……恐らく、あの時に一度、貴女の心は壊れてしまったのでしょうね。
―
――
――――
「…………」
フランを前にしてそれ以上話すのが辛いのかレミリアは言葉を止めてしまう。
「あの時、私は―――」
けれど、代わりにフランが口を開き、過去に彼女が見たことを語り始めようとする。ぎゅっと、人形を抱く腕に一層、力を込めて。
「フラン……」
語り出すのを止めるようにフランの名前を呼んだがフランは止まらない。
「―――いつものようにお母様と一緒にいたわ」
――――
――
―
魔力をある程度制御できるようになって、ついでだから魔法も教えてあげよう、ということになったわ。
私は嬉しかった。あの時の私にとってお母様に与えられるものだけが全てだったから。
けど、私がお母様から魔法を教えてもらうことは結局出来なかった。私がお母様から受け取るはずだったものは、何かが壊れるような音のせいで、二度と私に渡されることはなくなってしまった。
「……フラン、今の音、聞こえた?」
「うん、聞こえた。また、侵入者?」
「そうでしょうね。……さてと、迎撃の準備をするかしらね」
あの時のお母様は私にレーヴァテインを渡していたから、呪文の詠唱なしに魔法を使うためには魔法陣を描く必要があったわ。その為に、お母様は私から離れた。
遠くから音が聞こえてきたから私もお母様も完全に気を抜いていた。まだ、侵入者はここまで来ないだろう、って。
だから、いつの間にか立っていた銀のレイピアを持った男に気付いた時には何も出来なかった。
ただ、銀色の切っ先がお母様の胸を貫くのを見ていることしかできなかった。
お母様はただ、静かに倒れてしまった。
床にゆっくりと染みわたって行く赤色を見ても私は何が起きたのか理解できなかった。
ただ、倒れたお母様しか見ていることしかできなかった。
……けど、侵入者である男が私の心情を推し測るなんてことをすることはなくて、すぐに私の方に向かってきた。
怖い、なんて思わなかった。……ううん、思えなかった。
ゆっくりと状況を理解した私はいつのまにか右手にお母様から貰った杖、レーヴァテインを掴んでいた。
そして、切っ先を男に向けて―――
気が付くと、部屋はボロボロになって男は壊れて動かなくなってた。
―
――
――――
「……あの後のことは覚えてないんだけど、お姉様、教えてくれる?」
「…………貴女にとって本当に辛い話になるわよ」
「うん、大丈夫。……多分」
顔を俯かせて人形に顔を埋めるようにする。本当は不安で不安でたまらないのだろう。それでも、知りたい、という気持ちがあるから逃げはしない。
「……わかったわ」
――――
――
―
部屋の様子を見て私は動くことが出来なくなっていたわ。代わりにヴラドが貴女のほうへと近づいていった。
「フラン、大丈夫かっ?……っ!」
近づいたヴラドの左腕が吹き飛ぶように爆ぜたわ。あの場でそんなことが出来るのは貴女だけだったのに、私は誰がやったのか一瞬理解できなかった。
「……貴方も、お母様を壊しに来たの?」
抑揚のない声に何も映していないような虚ろな瞳。あの時の貴女はお母様しか見ていなかったようだわ。それも、生きているものとして。
だから、近づいてきたヴラドを敵だと認識したのでしょうね。
「……いや、違う」
ヴラドは苦痛に耐えながら貴女に話しかけていたわ。
「なら、私を?」
「……そうでも、ない。私は、ただ、お前たちの様子を見に来た。……手遅れ、だったみたいだがな」
「本当?」
貴女はヴラドの言葉を疑っていたわ。貴女とヴラドが話をするなんてことはほとんどなかったからそうなってしまったのでしょうね。
そう思えたのは貴女が私の言葉にはしっかりと答えてくれたから。
「フラン、ヴラドの言ってることは、本当よ」
「あ、あなた、ヴラドだったんだ」
私にそう言われてようやく、前に立っているのがヴラドだと気付いたみたいだったわ。けど、ヴラドの腕には気付いていなかったみたい。
「うん、大丈夫。私もお母様も平気だから。お姉様、私が侵入者を壊したんだよ。ねっ、お母様」
その場に不釣り合いなくらい明るい笑顔を浮かべて言ったわ。正直、私はあの時の貴女が怖かった。
「……フラン……」
「なあに?お姉様」
「……」
何かを言った方がいいと思った。けど、何を言えばいいかなんてわからなかったわ。だから、私は貴女の名前を呼んでおきながら何も言えなかった。
「どうしたの?」
「いいえ、なんでもないわ。……ヴラド、フランのこと、頼んだわ」
「……わかった……」
だから、私はヴラドに貴女のことを任せて逃げることしか出来なかった。
◆
「……レミリア、何が、あったのかしら?」
階段を上がった所でラナンに声をかけられたわ。
「…………侵入者がやってきてお父様と、お母様が、殺されたわ」
「え……?ユナ、が……?でも、そんな……」
無意味な言葉を漏らしていたと思ったら、突然地下室に向かって走って行ったわ。
私はラナンの後ろ姿を見ながら気がつくと、壁に背を付けて座っていたわ。羽に自分の体重をかけていたけれど、全く気になっていなかったわ。
ただ、どうしてこうなってしまったのだろうか、とこれからどうしようか、ということだけが頭の中でぐるぐると回っていたわ。
どうしてこうなったのか。それは私たちが吸血鬼だから。
これからどうするのか。そんなことはわからない。
そんな風に、わかりきったことを考え続けていたわ。
その中には当然、貴女のことも入っていたわ。どうすれば、貴女が元に戻るのか、と考えていたわ。
けど、結局は何も答えが出なくて、考えているようで何も考えていなかったのかもしれないわ。
そんな時に、ヴラドが私に話しかけてきたわ。
「レミリア、大丈夫か?」
「……大丈夫、よ。貴方こそ、腕は大丈夫なの?」
「かなり痛むが、まあ、なんとか、耐えられないことも、ないな。もし、私が人間のままだったなら、動けて、いなかっただろうがな」
そう言いながらヴラドは私の隣に座ってきたわ。私が大丈夫ではない、とわかっててくれたんでしょうね。
「……フランはどうしたのよ」
「ラナンに、任せてきた。あいつの方が、私よりも、フランのことを知っているからな」
「……フタリっきりにして、大丈夫なのかしら?」
「おそらく、大丈夫、だろう。私の時とは違い、ラナンのことは、ちゃんと、わかった、みたいだからな」
「……でも、ラナンはお母様のことを知った時、錯乱してるみたいだったわよ」
「そうだったのか?私に、話しかけてきたときは、そのようには、見えなかったがな。……まあ、あいつなら、大丈夫、だろう。私としては、お前のことの方が心配だな」
「……どういうことよ」
「お前は、辛いことほど、表に出そうとは、しないからな。思っていることを話せ、とは言わない。ただ、ヒトリでいるよりは、誰かが傍にいた方が、いいだろう?私のように、お前の傍に、長い間、いたモノがな」
「……自意識過剰ね」
「何とでも言うがいいさ」
そのまま私もヴラドも黙ってしまった。私はずっと床を見つめていたわ。ヴラドが何を見ていたのかは知らないわ。
ヴラドがいてくれたのは、正直言って、だいぶ心強かったわ。あのままヒトリでいたら、思考の深みへと嵌まって行ってしまいそうだったもの。
「……ねえ、ヴラド」
黙っているのが耐えられなくて気がつくと、口を開いていたわ。
ヴラドは特に何かを答えることなく、私が喋り出すのを待っているみたいだったわ。
「……これから、どうすればいいのかしらね。お父様も、お母様も殺されてしまって、主は不在。フランは、あんなことになってしまったし……」
「お前が、主になれば、いいだろう?どれだけの従者がお前の下に残りたいというかはわからないが、少なくとも私はお前といるつもりだ。……それに、フランのことは気長にやればいいだろう。すくなくとも言葉は通じるのだろう?ならば、停滞することはないはずだ」
「……随分と、簡単そうに言ってくれるのね」
そう言う風に言うのがヴラドの心遣いなんだと気付いていたわ。あの時の私はそれを素直に受け入れられなかったけど。
「お前ならば、簡単にやってくれると思っているからな」
それに気付いていたのか、ヴラドは私のプライド高さをくすぐるような言い方をしてきたわ。……本当にヴラドは私の扱いを心得ていたみたいだったわ。
「……そうね。ここの主くらいなら簡単そうね。……でも、フランのことは……」
「お前が悲観的になっていてどうする。……まあ、今のお前では無理そうだがな。今はフランのことはラナンに任せて私たちは館の被害を調べるぞ」
ヴラドが立ち上がる気配が伝わってきたわ。けど私は、立ち上がらなかった。このまま、ずっと座っていたい、と思ったのよ。
「どうしたんだ?行くぞ」
けど、ヴラドはそうさせてくれなかった。
「……わかった」
仕方なく立ち上がってヴラドの後ろをついて行くように館の中を見て回ったわ。
◆
館の中を回ってみたけれど、私たちがいたところ以外特に被害はなかったわ。魔法使いがいたから、あらかじめ私たちが何処にいるのか把握していたのでしょうね。
従者たちはお父様とお母様が殺されたことを知って皆、驚いたり悲しんだりしていたわ。
私たちは従者たちに館の修理を命じたわ。それが終わったら好きな場所に行っていい、と付け加えてね。
その後はヴラドとフタリで塵になってしまったお父様を集めたわ。その間にラナンがお母様を運んできてくれたわ。
貴女が寝た隙に運んだらしいわ。貴女と何か話したのか、と聞いてみたけど何も答えてはくれなかったわね。
それから、私たちは従者たちを連れて、館の外に出たわ。陽が出ていたけれど、ちょうど館が影になっていて傘をさす必要はなかったわ。
墓穴は皆で掘ったわ。最初は私とヴラドだけでするつもりだったけれど、皆がやりたい、っていうからそう言うことになったのよ。最初に言い出したのはラナンだったわ。
本当にお父様もお母様も皆から慕われていたのだと改めて感じさせられたわ。
フタリは同じ場所に埋めておいてあげた。お父様とお母様もそうされることを望んだでしょうから。
最後に墓石を立てて簡単な墓が完成したわ。
従者達は順番に祈りを捧げて去って行ったわ。そして、最後に残ったのは私と、ヴラドと、ラナンだったわ。
「……レミリア、言いたいことがあるのだけれど、いいかしら?」
最後に、墓の前で膝を付いて祈りを捧げていたラナンが立ち上がってそんなことを言ってきたわ。
「いつもは好き勝手に言ってるのに、改まって何よ」
「……この館を出て行きたいのよ」
「そう。貴女の好きなようにすればいいわ」
妖精であるラナンにとって、ここの雰囲気には耐えられないだろう、と思っていたからなんでもないことのように言うことが出来たわ。
……でも、本当はフランのこともあるから彼女には残っていて欲しかった。
「……止めないのね」
「だって、貴女を引き止めている理由がないもの」
「…………ありがとう。貴女達と居られて楽しかったわ。……それと、ごめんなさい。こんな時だって言うのに、離れてしまって」
「お礼の言葉は受け取って上げるけど、なんで謝られなければいけないのかしら?自分の行きたい場所好きなように生きる。それが妖精っていうものでしょう?」
「……そうね。じゃあ、さようなら。また、貴女に平穏が戻ることを祈っているわ」
「……ええ、さようなら」
そして、ラナンは一度も振り返ることなく飛んで行ったわ。
「行かせても良かったのか?」
「良かったから行かせたのよ」
「そうだな。……だが、本当はフランのことを任せるつもりではなかったのか?」
伊達に長く一緒にいただけじゃないだけあって私の考えを的確に言い当てたわ。
「……フランは、私の妹よ。私が、なんとかするわ」
意地があったから素直には認めなかったけど。
「そうか。なら、いいんだがな」
ヴラドも特に言及してきたりはしてこなかったわ。
「さてと、館に戻るわよ」
「了解だ」
―
――
――――
「―――こんな所かしらね。あの後あったことは」
そう言ってレミリアは語るのをやめる。
「フラン、大丈夫かしら?」
顔を俯かせたまま何も反応を返さないフランを訝しげに見る。
「ん、大丈夫よ、お姉様」
顔を上げてレミリアを安心させるように笑顔を返す。
「……昔、そんなことがあったんだなぁ、って」
けど、すぐに笑顔は引っ込んでしまい、悲しげな表情を浮かべる。それは、母が死んだ時のことに対するものなのか、それともそんなことがあったのを忘れてしまっていたことに対するものなのかはわからない。
「……そういえば、ヴラドはどうしたの?」
昔、レミリアの傍に居続けた従者のことを聞く。
「ヴラドは、あれから百年くらい後に死んでしまったわ。……やっぱり、完全な妖怪になり切れていなかったのよ」
「そうなんだ。……お姉様はヴラドが死ぬ時、何を想っていたの?」
いつか、聞いてみたいと思っていた問い。自分の姉は知人が死に逝くとき何を想うのか。
「……さあ、よく覚えていないわ」
そう言いながらレミリアはフランから顔をそらす。そして、さり気なさを装いながら瞳を拭った。
当然、その程度でフランを誤魔化すことはできない。
(……お姉様でも泣くことがあるんだ)
レミリアの様子を見ながらフランはそんなことを思った。
「……まあ、そんなことはどうでもいいのよ。ヴラドは殺されたのではなくて天寿を全うできた。その事実さえあれば十分よ」
「……うん、そうだね」
フランは頷いた。それに、言葉にされなくてもなんとなくだがレミリアが何を想っていたのかは伝わってきた。
「ここまで話したならついでだから、咲夜やパチェ、美鈴に小悪魔がこの館に来た時のことも話してしまいましょうか?」
「うん、聞いてみたい」
「わかったわ。……まず、あのヨニンの中で最初にこの館にやってきたのは美鈴だったわ」