Coolier - 新生・東方創想話

彼女の黄昏とプラスチックダイアローグ【Ⅶ】

2009/10/12 03:53:43
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【彼女の黄昏とプラスチックダイアローグ/彼女の夜明とプラスチックモノローグ】





あなたの帽子のかぶり方 お茶の飲み方
輝くような微笑み方 調子はずれの歌い方
恋のデコボコ道で私達は再び逢わないかもしれない
でも、この思い出は誰も私から奪えない

― アイラ・ガーシュウィン「They Can't Take That Away From Me誰も私から奪えない」







【Side:CU/あるいは地獄の季節】


きっかけは何だっただろう。今はもう思い出せない。

ただあの日、彼女は莓が食べたいと言ったのだ。


[Alice]


これから起こることならともかく、もうすでに終わってしまったことにいつまでもいつまでも心を痛めているのは誰がどうみても非生産的なことだとわかっている。わかっているけれどどうしようもない。だってこの痛みはつまるところ喪失感と言うやつで、永遠に喪われてしまった以上痛みはいつまでも治ることが出来ないのだ。永遠に治らないなら、あとはもう鈍感になるしかなかった。なにも感じないように。喪失が幾度と鋭く胸を引っ掻こうと、痛みなど感じないように神経を隅々まで鈍らせて感じなくするだけ。

そんなこと可能なのかよ出来っこないぜとあの黒くて白い奴なら笑うだけだろうけれど、アリスにはそれが出来たのだった。それ自体がソウシツってやつじゃないの馬鹿ねと紅くて白い奴が言いそうな気がしたけど、アリスは肝心なところで結構馬鹿なのかも知れなかったから、やっぱりどうしようもなかった。どうしようもないからどうしようもない。甘く毒のような愚かさに頬擦りをして、アリスはそれきり壊れてしまうことにした。


だって、仕方がない。

アリスにはどうしても、誰にもあげたくない記憶があったのだ。




【暗転】


あと何回「初めまして」と言えばいいのだろうか。


【暗転】








【夢京夜】



夜半に戸を叩かれた。
玄関に出て行くと、宵に紛れるように彼女がいた。

――――――――何用かしら

私は彼女の黒い服を初めて見た。
いつもの青いのとは随分と印象が変わり、それは彼女の淡い金髪と似合ってはいるが、それ以上に少女が病弱そうに映り、私はこの生気の感じない少女が、ここ数年ほとんど人前に姿を現さなくなっていたことを思い出した。瞬きを忘れたように静かな青い瞳がまっすぐに見上げてくる。その透明さを反映したように、やはり感情の抜け落ちた酷く透明な声が、彼女の唇から出てくるのだった。

――――――――売って欲しい物があるの

彼女は、指を一本立てた。

――――――――胡蝶夢丸を、これくらい

彼女の指は真っ白で細かった。骨を連想させるそれは、儚げでどこか優美ですらあった。
その所為だろうか。
私は彼女の言葉に一つ頷いて了承をしながら、ふと、飴を買う幽霊の話を思い出した。








【魔導書人形】


揺れる灯火を頼りに、アリス・マーガトロイドはヒトガタを作る。黙々と、一人で。あるいは無数の人形と語らないながら。

昼間でも薄暗いこの森は、夜ともなれば完全に闇に沈む。アリスの家周りは多少木々が少ない。故に、普段なら森の中ほど暗くはない。普段ならば。

今夜は、月がない。

夕方頃に出てきた雲は低く厚く、今も空を覆っている。生憎と蝋燭は切れていた。どこぞの妖怪と違い、アリスは灯なしで出来る事はせいぜい食事ぐらいないものだ。細かい作業をするのに手元が見えなくて話にならない。暖炉を篝火にすることも考えたが、作業内容が場所を限定してしまう。いつもの作業場で道具を広げながら、アリスは魔法で火を点した。灯の生み出す彼女の影は壁へ天上へと伸びて、まるで小さな木のようだった。己の影を木陰にして、アリスは使い慣れた椅子に腰掛ける。両手の指を温めるように一回組んで息を吐いた。その様子は、ちょっと願い事をしている姿に似ていた。

揺れる灯火を頼りに、アリス・マーガトロイドはヒトガタを作る。黙々と一人で。あるいは人形と語らないながら。

彼女の傍にはとっくに冷めてしまった紅茶が、カップに二口分ほど残っている。あまりに長い時間放っておいた所為で香りは失せ、その表面には数滴垂らしたミルクが凝結し、蛋白質の薄い膜が出来ていた。アリスはもうそれを飲まないだろう。アイスティーとは違い、それはどこか空しい味がするのだ。

今夜は、月がない。
今夜は、星もない。

手を迷わず動かしながら、アリスはもうすぐ生まれる人形の名を考えていた。









【テニエルの功罪】


神綺は少女が吐き出す泡沫を数えていた。
薄い金色をした髪が水中を漂って、時折少女の顔を隠してしまう。
硝子の外にいる神綺の手では、その髪を払うことが出来ない。

――――――――もう少し短くしようかしら

持っていた本に目を落とす。本の表紙には髪の長い少女が描かれていて、その絵を指先でなぞりつつ、神綺は楽しむように思案する。少しぐらい思い出を反映してもいいだろうと思って参考にしたのだが、それに拘り過ぎたのかもしれない。この子はもはやあの娘ではないのだから、自分の好きにしてしまおう。そう考え、神綺は右手を振りかけ――――――――

「いえ、それは孵ってからでもいいか」

魔法ではなく自らの手で切ってあげるというのも、「親子」らしくてよいではないか、と考え直した。神綺はその発想に一人悦に入り、満足そうに頷いた。ならば、と今度は左手を動かし、空中に少女のデータを呼び出す。そして、【外見設計図】から頭髪の項目を引っ張り出すと、そこだけ固定ではなく、時間と共に伸びるように、人間で言うなら『成長』に似たパターンを組む。書き直しを終え、全体と矛盾しないかを読み直してみる。そして、完璧としか言いようがない、というように至福の笑みを浮かべた。

「もうすぐ。もうすぐよ、――ちゃん」

硝子の向こう、未だ少女の意思では開かれない瞳が、創造主を映して微笑んでくれるだろうその時を想像し、神綺は今すぐにでもこのフラスコを割りたくなった。

少女の収まるセパラブルフラスコは縦に長い丸形で、半透明のチューブが付いたカーバに目を遣らなければ透明な卵のようだ。床に置くには不安定な形をしているフラスコは宙ぶらりんにされており、ランプ部分で何本もの蔦が絡み付いて、支えることによって安定を得ていた。蔦はサーガス小屋の屋根さながら、一番上で一点に絞られ、その一点を鷲の足を象った天井鉤が掴んでいる。だから少女の顔を見るとき、神綺はいつも空中に浮いていなければならないが、そんなことは神でなくても造作ないことで、神綺はこの親鳥が巣を守る似たママゴトが、実のところ気に入っているのだ。


その下、巨大な魔法陣が広がる床では、そんな彼女たちを見つめるように一匹の猫がいた。




【暗転】



――――――――鍵をください

悔しさを隠さない瞳が、真っ直ぐと夢子を見ていた。

――――――――鍵を、ください。夢子さん

ボロボロになった服を着替えるより先に、グシャグシャになった髪を整えるより先に、アリスは夢子にそう言った。

――――――――絶対に許せない奴らがいるの。だから、最後の鍵を、ちょうだい

自身もボロボロになった服をつかまれた夢子は、その言葉に頷くことしか出来なかった。



【暗転】



そぞろな夕暮れだった。

昼間の熱が大気に色濃く残っていて、どこからともなく花の朽ちる香りが漂ってくる。甘ったるくてねっとりとしていて、なんだか空気が馴れ馴れしくて気持ち悪い。吸い込んだ酸素がいつまでも肺に溶け込まないような、そんな息苦しさ。ひどく落ち着かなくて、はやく家に着きたくてしようがなかった。足早に道無き道を行く。水欲しげに萎びた草を踏みつける。普段はそんなでもないのに、今日は嫌に汗をかく。手汗で本を取り落としてしまいそうだ。

そこで、声をかけられた。

「こんばんは」

二度と関わり合いたくないと思った声が、当然のようにそこにいた。

「どうしてあんたが魔界(ここ)にいるの」

アリスの言葉に、けれど彼女は応えず、

「その本、面白そうね」

すっと伸ばされた一指しは、アリスの魔導書を捉えて静止する。

「ずぅっと不思議に思っていたの。その本はどこか変だって。不思議に思わなかったの?どうして他者に遺すものであるグリモアに、まだ幼い貴女の名前があるのかと。著したのが貴女だというのなら、何の疑問も無いわけだけど」

「でも、そういうのとも違った」

最初は魔法にだけ興味があったのよ?、とその妖怪は語った。だから貴女をずっと追っていたの、と。ずっと見ていたの、とも。背筋の寒くなる話だ。けれど、そんなことよりも、今のアリスには知りたいことがある。

――――――――好きにするがいいわ。どうせ、万華鏡だもの

とても不思議な、姉の言葉。知り合ったばかりの頃のような、突き放した態度。逸らされた目。なにより、言われたアリスよりも、夢子の方が何倍も傷ついていたように見えた理由を。

「貴女なら、わかるというの?」

――――――――この本の秘密に?そして、私の秘密に?

「もちろんよ」

彼女は手を差し出して笑う。アリスは、どうしても知りたいと思った。だから――――――――



恐る恐る、アリスはその妖怪の手をとったのだった。



振り返ると影が伸びている。アリスの物と、隣の妖怪のもの。
傘を開いたその影は、何だか妙に大きく見えた。








【暗転】


本のヒビのそのままが、彼女に入った亀裂だった。
幽香の目の前で、小さな、本当に小さな少女が崩れていったことを覚えている。


――――――――だから私は貴女のことを嫌いなの


あの日、粉々に崩れ去ったはずの少女が、幽香を見上げて


――――――――返して貰うわよ?最後の一ページ


あの日、ボロボロに崩れ去ったはずの本を掲げて、幽香にスペルを宣言した。



それが、つい半年くらい前の話。











【招かれざる訪問客】


――――――――あんまり大事に仕舞ってあったから、出して遊んでみたくなったのよ


予想通りノックはなんの意味もなかった。

鍵一つくらいはどうとでもなるので、気にせずに踏み入る。
久々に訪れた彼女の家は少し埃ぽかった。あのきれい好きの住み処とは思えない。彼女の友達だったどこかの魔法使いのように物が雑然としているということはないが、多くが永く放っておかれたままで、机や食器棚にはうっすらと白いものが積もっている。かつて入ってすぐのこの客間は、彼女がどんなに研究で手一杯になろうと掃除を欠かさない一室だったのに。汚れているだけでなく、カーテンが引かれた室内は暗くもあった。これでは鳥目でなくても人間なら自分の手を見るのがやっとだろう。いくらここが魔法の森だからといって、昼間でこんなにも暗くはならない。遮光カーテンの他にも彼女が張った結界のようなものが日光をさらに遠ざけているのだ。

アリスはどこだろうか。生活の匂いを感じない客間を後にする。


一通り部屋を見て回ったが、家主の影も形も見あたらなかった。どの部屋も万遍なく埃に沈み、換気のされていないこの家は息苦しかった。ここならばと思っていた寝室もしばらく使われた形跡が無く、ひょっとすると彼女はとっくにこの家からいなくなっているのではと思い始めた頃、他の部屋よりサイズが一回り小さい扉を見つけた。鈍く光を反すシャンパンゴールドのプレートには、筆記体でラボと綴ってある。彼女のお手製だろうか。手習いの見本のように癖のない字だった。ドアノブからは強い拒絶を感じた。簡易な封印が施されている。開けようと触れれば、並の妖怪なら腕の一つでも灼け落とされるかもしれない。並の妖怪ならば。

笑って取っ手に触れる。掌が焼ける臭いがしたが、玄関と同じように構わず捻った。本当に開けられたくないのなら、こんなふうに目立つようにしなければいいのだ。鈍い音を立てて重たげに施錠が破れ、開いた視界の先に階段が現れる。下り階段。地下にあるのはどこぞの黒くて白い奴曰く、確か人形部屋だという話だった。もっともそれを聞いたのはもう随分前の話だから、今もそうだとは限らない。


壁にぶつけないよう傘を握り直し、急勾配の螺旋を降りて行った。



階段を下りきると、そこにも扉があった。今度は何の力も感じない。それがどういう意味なのか一瞬だけ考えたが、すぐにどうでもいいこだと思い直し、私はドアノブを握り、回した。

そこに、彼女はいた。


「ようこそ、風見幽香――とは言いたくないのよね、本当のところ」

幼い声だった。いつかの黄昏に聞いた、あの声。
アリスだ、と思った。

「今日はなんの用かしら。ひょっとして、あのことを思い出してくれたの?」

アリスはソファーから降りると、私の方へ歩いてくる。青い目、淡い金髪。それが、すぐ目の前に来て、止まる。じっと見つめられて、やっぱり妙な気がした。

「それとも、またわたしをいじめに来たの?」


私が何も言わないでいることが愉快らしく、彼女は軽やかな調子でふんわりと浮かぶと、私の高さで視線を合わせてくる。どこか挑発するように。そうか、挑発だ。そこまでされて、ようやっと彼女は愉快なのではなく、ひどく苛立っているのだと気づいた。

「それとも――――――――」


くすり、と耳元で笑い声をたてられる。


「彼女の、方を?」





アリスは、アリス・マーガトロイドを指さして、ワラった。






【暗転】



――――――――還りましょう



【暗転】






【指先一つで歪む夜】


――――――――また消えている。



閉じていた瞼を開けると、月明かりが降ってきた。

眼前には夜に沈んだ幻想郷が横たわっている。
眠っている。
今宵は特別な夜なのだ。
人間も妖怪も妖精も、その他魑魅魍魎の類、一切合切全ての意識ある者達は、一つの例外なく眠りについている。
八雲紫を除いて。

しんと、静寂が耳にいたい。風すら気配を潜めていて、幻想郷は本当に静かだった。左の小指を噛む。誰にも見せたことのない、一人きりの時だけの癖。歯と爪がかちとぶつかる。これをすると、何故か普段は忘れている空腹感を思い出す。もうずっと昔に満たすことは諦めているのに、まれに強く出てきては紫を苛立たせる。それなら忘れていればよいのだけれど、たびたび指を噛んでは不快な気分になる。

ああそうか。つまり逆なのだ。指を噛んで思い出すのではなく、空腹を覚えて指を噛んでいるのだろう。無意識にあったものが、噛むという動作を経てはっきりと意識に昇ってくるのだ。だからなんだという話だけれど。こんな下らないことを考えてしまうのは、予想が現実なものになってしまったからだろうか。最後に舌先で舐って小指を解放する。式には見せられないわと思う。手袋を戻し、はぁと息を吐いた。

――――――――やはり見つからない

上にも下にもいないことはわかっている。境界で分かたれたこの世界のどこにも彼女の気配が見あたらない。感じないし、探せない。幻想郷の中にいないなら――――――――

――――――――あとは、「外」しかない

消去法ではそれが答えで、けれどそれは違反行為で、そうして紫には彼女がそんなことをする気がしないのだ。だからきっと、それは彼女の意志によるものではないのだろう。それとも紫の見立てが甘いだけで、やっぱり「彼女」の意思なのだろうか。

「馬鹿な子」

どうしたものかと考えて、どうでもいいじゃないと結論に出す。あのどうしようもなく不完全な未熟者がどこかに消え失せようと、それに心を痛めるような者などもはや誰一人としていないのだから。けれど。それでも。

結局は、退屈なのだ。

だから、しかたがないから八雲紫はじんわりと笑って、人指し指で線を描く。くすぐるように夜を歪ませる。行き先は彼女の家。どこかに行ってしまった彼女が残したものを見ようと、紫は歪みの中に身を躍らせる。きっとその先には、とてもつまらないものが一つ、眠るように捨て置かれているだろうから。




アリスの屋敷には地下がある。その地下にはラボがある。ラボの中には大きなカウチソファーが置いてある。背もたれの片側が高く、ふわふわとした毛が長いタイプ。アイボリー色をしていて、座るとちょうど良い具合に沈んでいつまでも疲れない。

その長椅子にアリス・マーガトロイドはいた。

寝返りを打てそうなほど広いカウチの上にあって、何かを抱きかかえるように身を丸めて小さくなっている。深く眠っているようだった。ノックの音に気づけないくらいに。また少し痩せただろうか。もともと細身なのに黒い服なんて着ているから、白い肌が蒼ざめていっそう痩せこけて見える。血の足りていない吸血鬼だってもう少し生き生きしてると思うのは、肌色以外にも根本的に彼女から生命感を感じない所為だ。いつもお供にしていた人形よりもよっぽど人形らしい人形遣い。整った顔と言えば聞こえがいいが、本当に「整えられた造形」である以上、笑うに笑えない。

肩に伸ばそうとした手を止めて、しばしの間思案する。置いてある人形達の幾つかから強力な魔力を感じる。侵入者に反応しているのか、紫が立ち位置を変えるたびに視線が追ってくる。攻撃をしてこないのは相手が紫だからだろうか。そうだとしたら少し複雑だ。
自分は救いなんて何一つ持っていないのだから。

「アリス」

意識があったのだろうか。特に声を張り上げることなく、一度名前を呼んだだけでアリス・マーガトロイドの睫が震えた。ゆっくりと眼が開いていく。

「……ゆ、かり…?」

ああ、アリスだ、と紫は思った。

あれ以来すっかり聞き慣れてしまった幼げな声は、眠っていたせいか芯のないぼんやりとしたものだった。余計な刺激をしないようにそっと彼女の視界に入ると、声同様にとろんとした眼が視線をあらぬ方向に漂わせていた。彼女が視力を落としたいう話は耳にしていない。まだ意識がしゃんとしていないだけだろう。

「どうかしたの?」

そうだとしても自分には関係ない。そんな素っ気ない口調だった。仕方がないことだ。人間と組んででも異変解決に乗り出していたあの頃の面影は、とうに彼女の中から消えてしまったのだから。

「眠そうねぇ。今日はお茶を出してくれないのかしら」
「カビの生えた葉でよければ」

そういえば、もう食事を摂っていないと藍が言っていた。

「わざわざお茶を飲みに来たの?」

放っておいてくれとでも言うように、声が少しきつくなる。
溜め息が出た。

「新しい子が就いたの」

ぴくりと、音すら鳴った気がした。再び閉じきるかと思われた目が、紫の言葉に持ち上がり、インディゴライトの虹彩が完全に円を描いていた。視線が紫を真っ直ぐと捉えている。この部屋に入って初めて、見上げる青には感情が見えていた。彼女と目をきちんと合わせて話すのは久しぶりだ。それとも、ちょっとぶりと言うべきだろうか。ほんの二十年ぐらいなどは。言葉無く話の続きを促される。

「驚くことじゃないわ。今がいつぐらいかわかっているのかしら。これで霊夢の後から数えて五人目よ」
「……みんな亡くなったの?」
「三人目はまだ生きてるわ。当代、ではなく先代は急遽してね。おかげで引き継ぎが大変だったわ。ほら、あんまり体が強くなかったでしょう」
「さあ?どうだったかしら」

魔法使いは記憶を手繰るように視線を漂わせ、

「そう、あの子は逝ったのね……」

僅かに惜しむように呟いた。アリス・マーガトロイドは「三代目」までは交友がある。霊夢ほどではないが仲はそれほど悪くなかったはずだ。その関係も、霊夢の死後は途絶えていたが。じっと眼を見る。

「泣かないのね」
「泣いて欲しかったの?」
「いいえ。ただ、霊夢の時は泣いていたから」
「そうだったかしら」

よく覚えていないわ。人形然とした青には嘘がなかった。だから、それはつまり本当に、彼女は忘れてしまったということだ。

「それを伝えに?」
「いいえ。本題はこれから」

未だカウチから起き上がらない彼女に一歩近づく。アリスは逃げない。ただ不思議そうに紫を見上げている。オモチャみたいだと思った。護衛人形と変わらない動きで、ただ目の前の相手の姿を映しているだけ。近くで動くものに反応しているだけ。

「アリス、貴女が望むなら」

脳裏に浮かぶのはいつも鳥籠のこと。
とっても綺麗な鳥籠のこと。
それを抱きしめて笑っている、慈愛に満ちた女のこと。
それに気づかずに笑っている、自信に満ちた女の子のこと。

憐れという言葉が何より相応しい彼女の為に、八雲紫は優しく笑った。






――――――――貴女を、還してさしあげますわ




【暗転】





一つだけ確かなのは、アリスは最後までキノコを好きにはなれなかったということだ。あるいは最期までと言うべきだろうか。この最期とはもちろん、いつもいつもアリスの分のキノコを食べていた魔理沙の最期のことだし、振る舞った鍋に文句を言われ続けた霊夢の最期のことだ。それは冬場の神社では珍しくもない光景で、鬼なんかはそれを横目に(あるいは肴に)酒を飲んでいたし、たまに隙間妖怪なんかもちゃっかり炬燵の一角(正確には角ではなく辺だが)を陣取って鍋をつついていたものだった。


「アリスは好き嫌いするから大きくなれないんだー」
「食べても食べなくても、もう関係ないのが魔法使いなのです」

何かにつけて頭を撫でる癖が付いた手を叩いて、アリスはとりあえず白滝を中心に箸を伸ばす。魔理沙はケチくさいなぁとつれなくされた左手をひらひらとさせる。撫でたって背は縮まないじゃないかとうるさいので、椎茸を口に詰め込んでやると、もしゃもしゃと咀嚼した。ちょっと間抜けだった。成長がないのはどっちの方だと思う。

「でも髪は伸びたりしてるじゃない」

アリスの向かいに陣取っている霊夢は、すでにあらかた食べ終わったのか、呑気に茶なんかを啜っている。今飲んでいる湯飲みが空けば、次は酒にいく心算なのだろう。つまみはどうしようかなどと呟いている。

「私も髪は伸びるけど、他はあんま変わらないわねぇ」

冬の間は確認されないはずの隙間妖怪は、当然のように神社の夕食のお相伴にあずかっていて、もっと味は薄い方がいいとかなんとか言っている。勝手なものだ。でももう少し薄味というのは賛成だ。アリスは鍋より蜜柑が食べたくなってきた。

外では音もなく雪が降っている。



アリスが戻ってくると、炬燵には誰もいなかった。灯りが消えていて、人の頭ほど開いた障子から青白い光が漏れている。ひょいと覗くと、酒の肴に月見だか雪見だかで縁側に出て、そのまま眠りに落ちたらしい人間二人を見つけた。肩を揺らしてみるが、むにゃむにゃと言葉にすらなっていない声が返ってくるだけだった。今はアルコールが体内を回っていて良い気分でいるが、すぐに開きっぱなしになった血管で体が冷えていくのは明らかだ。風邪だけでは済まない時季なのに。

「子供じゃないんだから」

引きずってやろうかと思ったが、魔理沙だけでなく霊夢もいるから、結局は魔法で浮かして布団に落としてやった。一組しかない布団に二人は窮屈そうだった。長方形の枠組みから霊夢は腕が、魔理沙は足がそれぞれ十数センチほど飛び出している。数年前まではなんとか二人でも収まったのに。惜しい。

「子供じゃないものね……」

仮処置として余った手足の下に座布団を敷いてやり、上にはタオルを掛けておいた。真冬の寒さにこれで十全とは言えないが、まぁ無いよりはマシだろう。まさか文句は言われまい。さて。一仕事終えたアリスは自分の荷物をまとめる。といっても外套を羽織る程度で、あとは本一冊と人形を数体引き連れてい行けばいいだけだ。二人が歯磨きを済ましていないことだけが気がかりである。起こそうという選択肢はないけれども。







ふんわりと境内から浮かび上がったところで、辺りは急に真っ暗になった。



ぱちん



扇子の閉じる音が、聞こえた。



「もう、いいんじゃないかしら」



ざらりとした言葉が、耳の奥、鼓膜を撫で上げた。



「やくも、ゆかり……」



真っ暗で、何も見えなかったのに。
胡乱さと機知に富んだ笑いが消えていくのがわかった。



「もう充分でしょう?そろそろ戻ってきなさいな」



その妖怪の手が、伸びて――――――――――――――――




――――――――――――――――そうして、世界は反転した。










【暗転】














【亡き天文台の為の三文詩 Ⅲ】


――――――――彼岸花って気持ち悪いよね。私、あの花嫌いなの。子供の時からそうだったわ。


                 でも待って。子供の私は、どこで彼岸花を見たの?


[魔法を使えない魔術師]


裸足の下には、冷たい石畳があった。なんだかお墓みたいね、とその人はいった。


その人は、なんだかひどくぼんやりとしていた。それでもようやっと自分以外の人を見つけた私は、嬉しくて嬉しくて声をかけた。

――――――――こんにちは

――――――――……だれ?

挨拶も無しに、その人は私を見て首を捻った。見た目より幼い動作だった。私は私より十ほどは上だろうその人が、実は自分と大差ないのだという不思議な感覚にとらわれた。この人もきっと何か不安に思っているのだと思った。それで、不躾なその質問に答えてあげなければという思いに駆られ、口を開いた。だが、

――――――――わたしは、わたしは……あれ?

何故か、私は自分が何者なのかを思い出せなかった。そんな私を見て、その人はようやっと少し感情のこもった声を出した。

――――――――あなたもわからないのね。私と同じね。私も私がわからないの

――――――――そうなの?それで、こまらないの

――――――――うん。でも、そうね。今は困るかも。あなたがいるから

そういって、その人はくすくすと笑った。

――――――――いつからここにいるの?

――――――――ずっと。あるいは、あなたがくるほんの少し前から。思い出した、あなたはご両親と一緒だった

――――――――でも、パパもママもいなくなっちゃったの

――――――――迷子ね。でも大丈夫。……うん、確か大丈夫なのよ。こういうのは

――――――――こういうの?

雲を掴むような実態の無い会話。私はこの人は何を言っているのだろうと思う一方で、次にその人が口にする言葉を知っている気がした。



――――――――神隠し。そう、貴女は隠されたの。そして、私は自分から隠れたんだったわ




そこで、「私」は目が覚めた。




【暗転】


「メリー。メリー。マエリベリー・ハーン」

起きなさい、と頭を叩かれた。


[妖鳥と化猫]


「私が寝ぼけて現実を都合良くねじ曲げたのでなければ、ちょっとだけ眠るから、すぐに起こしてって言った気がするんだけど。だいたい、20分くらいだった気がするわ」

堅い本を枕にした所為だろうか、痛めた首にしきりに手をやって、奇っ怪な目を持つ私の親友はカーテンの隙間から漏れている光に目を細めた。その理由が単に眩しいだけならば、彼女の言葉にこれほどの棘は感じまい。時計を見てみると6時を回ったところだった。世界はすっかり朝である。親友の持つ気持ち悪い目の能力も、こうなってしまっては何の役にも経たない時間帯だった。ひょっとすると有明の月ぐらいなら見つけられたかも知れないけれど。

「そうね」

ゆるゆると時計から目を離し、私は彼女の言葉を肯定してあげた。

「いつから20分は夜が朝になるくらいの時間を言うようになったのかしらね?」

そもそも自力で起きられないのが悪いのではないか、という意見はこの際置いておく。こちらに何の利益のない頼み事でも、一度引き受けてしまえば責任というものがある。まして達成が困難という内容でもなかった。ほんと、どうしてあの後、私は眠ったりなどしたのだろう。直前まで目は充分に冴えていたし、彼女を起こす為に数分ごとに時計に目を遣っていたというのに。あと五分くらいで起こそう。そんなことを考えていた気さえするのだが。

「うーん。わからないわ」
「私も今日の試験の出来がわからないわ」
「あら?今回は自信があるようなこと言っていたじゃない」
「今回も、よ。もちろんあったわ。昨日の夜までは。寝過ごすなんて思っても見なかったんだもの」

どうすれば一夜漬けにこれだけの自信を持てるのだろうか。

「そりゃ、昨日までにも勉強してたからよ。私が言っているのは、これでほぼ完璧とは言えなくなったってことね」

作文問題で完璧というのは可笑しい気がしたが、それは彼女のことなので大して気にしてはいけない。つまりは教授を唸らせるだけの回答を用意していたが、その論証を完璧にする為の資料が足らなかったとかそういうことだろう。どんな内容なのかは聞かないことにする。機嫌は直るかも知れないが、今度は私の時間が足らなくなってしまう。

「とりあえず、何か胃に食べ物を入れましょう」
「この場合、栄養を送る必要があるのは脳な気がするけど」
「なら甘いものがいいかも。あのカフェテリアは何時から開くんだったかしら。でもどのみち待てないか」
「仕方ないわ。購買でもカードは使えるし、あっちなら早くからだってやってるでしょう。でもその前に珈琲かなにかないかしら?」

空腹もそうだが、少しばかり寒さを覚えていた。起き抜けで体温が低いからだろう。早急に温かい物を口にしたかった。けれど、その言葉に返ってきた相棒の返事は、ささやかな私の願いを無惨にも打ち砕くものだった。

「あら残念。ちょうど粉が切れているの」

お気に入りの帽子を被りながら、彼女ときたらすぐにでも飛び出しそうに笑った。






「ねえ蓮子」
「なあにメリー」

試験が終わって、私たちはいつものようにカフェテリアで時間を殺していた。もとい、蓮子風に言うなら、倶楽部活動に勤しんでいた。

「この前騒がれてたひまわりね、結局、回収されずに燃やされちゃったんだって」
「知っているわ。月旅行で余興にされたんでしょう?」
「そう。でも何で燃やすのが余興になるのかしら。回収した後、ステーションで解体ショーの方が面白そうなのに」
「マグロか何かみたいに言わないでよ。そうね、案外別の理由があったんじゃないの?人の手に渡るとまずい情報が記録されているとか」

それが月の都の様子とかだったら素敵ね、と蓮子は言う。こんな事を言い出すなんて、きっと昔の変な映画を観でもしたのだろう。いつものことね。いつの間にか話題はお得意の物理の話になっている。話題と言っても蓮子が一方的に話しているだけだけれど。私は適当に相づちを打ちながら、ポケットの中の写真を指で撫でた。


――――――――ねえ蓮子。私ね、昨夜は彼岸花の夢をみたわ


燃える花の中で、唐突に消えてしまったあの人は、隠れていた相手に見つかりでもしたのだろうか。どうか彼女を見つけたその人が、彼女を虐めないでくれますように。私は、何故か酷く切実に、そんなことを願ったのだった。






【暗転】












【コールドスリープ】

人形は、決して自分からは遊んで欲しいと言わないものさ。

[毒人形と人形少女]

「わけわかんないんだけど」

黒くて赤い少女は、黒くて白くなりつつある少女を見下ろした。

「自分で自分を捨てるとか、わけわかないことするのね」

メディスンの言葉に、横たわる少女は面白いジョークを聞いたとでもいうように、力のない笑みを浮かべた。

「貴女をここに捨てても、毒にも薬にもならないでしょうけど。死なれると寝覚めが悪いのよ」

少女は―――アリスは動かない。明らかに衰弱していっている。ここ最近、この魔法使いが夢遊病患者のように彷徨いているのは噂に聞いていたが、よりによって何故ここに来たのだろう。単に力尽きたんだろうけどと自己問答をする若い妖怪は、自身の毒気に当てられたのだろうという可能性を意図的に無視した。面倒な、と苛立った様子で指を噛んだあと、辺りを見渡す。

白い世界の中を、ちらちらと青い影が踊っていた。

氷精だ、とわかるのと同時に、メディスンは思い出す。そうとう前の話ではあるが、チルノはアリスの人形劇をよく見ていたはずだ。言えばここで留守ぐらいしてくれるだろう。してくれなくても毒で弱らせればいいかもしれない。しないけど。昔の自分なら絶対してるなぁとメディスンは思った。もっとも、それならそもそもアリスなんて放っておくけど。

チルノにその場を頼み、メディスンは雪原を征く。面倒だ面倒だと言いながらも飛ぶ速度を少しも落とさないのは、ずっと昔、人形遣いが戯れにした約束を、時々思い出していたからだろうか。


「さっさと目覚めなさいよ。私の手足を長くしてくれるんでしょう?」





【暗転】



ちらちらと青いのが見えた。

あれは夏の日のことで、布を買った店の外壁を覆う蔦は、水欲しそうに乾涸らびて力が無かった。森の入り口で丁度良い切り株を見つけたアリスは、それに腰掛けると茶色の紙袋をガサガサといわせて、購入したばかりの布を取り出した。臙脂色をしたそれは大凡縦横一メートルほどで、全部で5枚あった。それで一組。お得意様と言うことで割引も効いた。良い買い物をしたなとアリスは満足そうに紅を指でなぞった。

不意に、視界の端っこの方を、青い何かがちらちらした。

辺りは重苦しい緑ばっかりで、洒落た花の一つもないもんだから、アリスは砂漠で逃げ水でも見たような心地がした。砂漠なんて行ったことないけど。でも本当に、空の欠片が落っこちたみたいな色。綺麗で涼しそうで、透明で鮮やか。星とかはよく落ちてくるし、雲にだって結構簡単に届くけど、いったい空ってどうやって砕けるのかしらとアリスは馬鹿馬鹿しいことを夢想した。何処ぞの鬼が酔っぱらいでもしたかしらね。酔っていないとこなんて見たことないけど。

「今日は不思議な日ね。知らなかったわ。妖精でも迷子になるなんて」

目線を手元に落としたまま、アリスはのんびりと挨拶をした。

「迷うほど道を選んでいるなんてね」

この都会的冗句が通じなかったと見えて、小さな相手はそれまでずっと隠れん坊でもしてたかのように、みつかったぁと陽気な声を上げた。葉の陰から出てきたそれは、興味津々というようにアリスを見ている。空気を入れずに固めた氷みたいな目はまんまるで、世の憂いなど欠片も存じぬという快い輝きに溢れていた。氷なのに、とアリスは思う。太陽が似合う奴、と。動きの一つ一つに愛嬌があって、可愛いものに目がないアリスはこの時点で相好を崩しかけたが、それより先に高いわけじゃないけど不思議にキンとした声で小さく青いのが、ねえねえ、と言った。

「なにしてんの?」

こっちの台詞なんだけどな。なんてことは思っても言わず、アリスはとりあえず手招きしてあげた。こういうとき、小さな手合いには膝を貸すものだと教えられていたから。今日は戦う理由もないしね。心の中で言い訳のように呟く。決して涼しくて気持ち良さそうだからとか、そういった理由ではない。

「なにしてると思う?」
「お、ナゾナゾね。あたいの特異文屋」

さっそく間違っている気がした。でも本人は気にしてない。ふふん、と根拠のない自身に充ち満ちている。まぁ、妖精はそんなもんでいいじゃないかしらと思う。アリスは鬼じゃないから、話す相手が強いかどうかなんてどうでもいいことなのだ。それが力だろうと頭だろうと。それに、適当にあしらえる奴って嫌いなじゃない。魔法と人形とお菓子と紅茶の次の次ぐらいに、だけど。

「ずばり、悪巧みね。誰もいないところですることなんてそれしかないわ!」
「なるほど。じゃあ、あなたもさっきまで悪いことをしてたのね。私が来る前は」
「あたいは“さっきまで”アリスを見てたわ。ということは、あたいは悪くないのよ!」
「それなら、私の傍には今もあなたがいるんだから、当然悪くないはずよ」

はいはずれー、とからかう。

「いいヒントね!」
「ヒントだったんだ」

妖精は元気だなぁ。なんだかいろいろと面倒なので、アリスは訂正するのを諦めて、目の前の青い頭に触れた。撫でるわけでもなく、無遠慮に、しかし不快と言うほどでもない手つきで髪をいじりだす。さて、妖精にも枝毛ってあるのかしら。

「なーにー?」
「いえ、ちょっと知的好奇心に駆られて。ねえ、このリボンって毎朝自分で選んでるの?」
「日替わりだよ。ってことは、えーと、誰が選んでるの?カレンダー?」
「カレンダーを見てあなたが選んでるんじゃないの?」
「でも、面倒だからたまに一週間同じだったりする」
「日替わりじゃないじゃない」

妖精じゃなかったら許されない行為である。

「そんなことより、今日はやらないの?人形劇」
「その人形劇の準備をしてたの。これが、新しい人形の服」
「赤?青とか水色とかの方が格好良くない?」
「妖精の人形は作らないわよ」
「妖精差別よ!」
「まあ、作ってもいいですが」

この子がモデルなら作りやすそうだ。あまりデフォルメ化しなくても、単にそのまま真似ればいいだろう。

「本当?出来たら見に行く!」
「あげるわよ。お礼は氷一年分でいいわ」
「それぐらいお安いご用よ。いくらか知らないけど!」

その気になれば魔法で作れなくも無かったが、無料というのは良くない。あまり気安く頼まれるようになっても困るし。氷精はうきうきとしている。こんなに喜んでもらえるなら、作り甲斐があるというものだ。とりあえず今日の分と渡された氷がちょっと重たかったが、アリスが左手をちょっと動かすと、たちまち風船のように漂いだした。

「そうだ、せっかく氷もあるし、この前のレシピを試してみよう」

紙袋を抱え直し、アリスは足取り軽く森へと入っていった。




けれど、その約束は果たされることなく、双方に忘れ去られたけれど。













【ゆきよりんごのかのごとくふれ】


だから、これはきっと罰なんだと思った。


[氷精と人形少女]


ちらちらと青いのが見えた。

「死んじゃうよ?」

氷精が言う。

「このままじゃ死んじゃうよ、アリス」

すごく真剣な眼で言う。

「うん」

なのに、私の返す言葉は全然真剣じゃない。

「そうだね」

不誠実極まりなくて、相手への配慮ってものが欠片もない。

「うん、そうだね、死んじゃうね」
「そうだねって……」

発言を肯定され、チルノはなんだか泣きそうだった。
変なの。
なんでチルノがそんな顔するんだろう。
でもその顔、ちょっと可愛いかも知れないよ。
いつもの生意気そうなところ、全くなくて、こっちもすごく真っ新でいられる気がするから。
ああ、すごく嫌なこと考えてるなぁ。

「…ぅかぁ。早く来てよぉ」

なんでこんなに嬉しいんだろう。
ああ、そうか。
ようやっと、あの時の願いが叶うから。


だから、ね。

「泣かないで」


――――――――今度は上手に、死んでみせるから




【暗転】


きっかけは何だっただろう。今はもう思い出せない。
ただあの日、彼女は莓が食べたいと言ったのだ。
冬に莓なんて無いことぐらい、私も彼女も知っていたのに。


だって、仕方がない。
アリスにはどうしても、誰にもあげたくない記憶があったのだ。


だから、これはきっと罰なんだと思った。
そんな漠然とした、曖昧模糊とした悟りを得る。














【彼女の夜明とプラスチックモノローグ】


私の箱庭。私の楽園。
さあ貴女の心に、今鍵をかけよう。
私という存在が、貴女の中で永遠に失わないように、。
それでいて取り出し、触れることもないように。


私の箱庭。私の楽園。
さあ 目隠しをして、アリス。
夢の終わりは、いつでも少し寂しいね。
でも、それは幸せだった証拠だから。
次に目を覚ましたときはきっと――――――――


忘れては駄目よ、アリス。
私たちは、決して優しくなんて無い。
でも貴女がどうしてもと言うなら、それは私が覚えていてあげる。


だから、おやすみ。
そして、おはよう。













――――――――――――――――世界が反転する




そうして、最後の夢再生が行われる。












【コプリン群シンドローム】




気がつくと、アリスは家にいた。
そろそろ来るだろうな。
アリスは玄関の戸を見た。

――――――――アリス・マーガトロイドは、次に起きることを知っている

予想通り、戸は叩かれた。誰に?そんなの、決まっている。
扉を開ける。鍵はかけていない。その必要はないのだから。

「よぉ」
「うん」

――――――――アリス・マーガトロイドは、次に起きることを知っている

予想通りのその通り、立ち姿も脳裏のそのまま、霧雨魔理沙がそこに、いた。

「こんばんは」
「うん、今晩は」

意味のない会話をする。どうして?どうしても。きっと必要なことなのだ。
そうして、次に魔理沙はこう言うのだ。

「星を、見に行こう」

――――――――アリス・マーガトロイドは、次に起きることを知っている

アリスは、意味もなく迷う振りをして

「ええ。行きましょう」

他にどうしようもないから、頷いて笑った。



冬だけれど雪は止んでいて、静かで、それだけだった。
魔理沙は空を指さして、あれが何の星、それとこれで何々の星座、と自慢そうに言っている。
その全てが元はアリスが魔理沙に話したものだと、アリスにはわかっていて、魔理沙だって気づいている。
けれど二人は無視をしている。ほんとのところ、話題なんてなんでも良かったんだ。

――――――――アリス・マーガトロイドは、次に起きることを知っている

だから、もういいかな、と思った。だから、そう言った。

「もういいわ、魔理沙」
「アリス?」

不思議そうに首を傾げた魔理沙に触れて、アリスは言った。

「もういいの。だから、隠れん坊は、お終い」

きょとんとした顔が、次の瞬間に音を立てるように消えて、

「そうか。なら、今日は帰りのエスコートは無しだ」

アリスのその言葉を待っていたように、魔理沙は本当の意味で笑った。
月明かりが眩しい。アリスは目を細めた。

「あの日も吹雪じゃなければ良かったのに」
「そう言うな。多分、私の方は吹雪で良かったと思ってるぜ」
「もっと長く生きられたかもしれないのに」
「必要ないさ。充分楽しかったんだ」
「あんな寒い日に莓なんて、本当に食べたかったの?」
「どうかな?そこまではわからないなぁ」

「そうね、貴女は夢だものね」
「今は、お前だって夢じゃないか」
「その夢も終わるわ。魔導書に限界が来ているもの。アリス・マーガトロイドはそれでもいいけど」
「アリスが可哀想じゃないか。あっちは望んでなんていなかったんだから」
「私だって魔導書がそんな事になるなんて知らなかったのよ。ううん、忘れていたのよ。忘れさせられたの。まぁ、お母さんは好意でやってくれたんだろうけど」
「その所為でもう一度壊れかけるなんて間抜けだけどな」
「うるさいわね。仕方が無いじゃない。だって私も楽しかったんだもの。だから大切で、だから、忘れたくなかったんだもの」
「そう言われると照れないこともない、多分」

多分が外せなくて、魔理沙は笑う。しょせん夢だものなぁ、と。でもさ、と続ける。

「大切なものと必要なものとでは、全然違うと思うけどな」
「うるさいわね。この生涯半人前魔法使いもどき」

我ながらあんまりな言葉だなぁ、思わなくもなかったが。

「ちぇ。私の言葉じゃ、届かないってか」
「そんなこと、ないけれど」

むしろ届きすぎて痛いほどだ。
その胸の痛みがさよならと言う。

ああ。私たちは魔法使いだったんだなぁ。どこまでも。今までも。そしてこれからも。
例え今この瞬間を最後に、永遠に失われる夢の終わりのこの中にあっても。

だから、名残惜しいけれど触れていた手を放して、アリスは魔理沙から半歩離れる。
異変解決に繰り出した、あの頃のようになんでもない日常の延長として。
そんな何気ない毎日が、呆れるほどに好きだったから。


「ばいばい」


またね、とは言わずに、アリス・マーガトロイドは「夢」を手放した。







――――――――――――――――そうして、世界は反転する





【暗転】


――――――――祈らないでよ。叶えてあげたくなるじゃない。


八雲紫が、そこにいた。



「おはよう、とは残念ながらまだ言えないわけだけど」

別に残念ではなかったけれど、怖いのでアリスは黙って頷いておいた。

「さて」
「……」

両肩を掴まれ、アリスは拘束される。別に今更逃げも隠れもしないけれど。

「何か申し開きがあるかしら」
「ないわ。だから、煮るなり焼くなり好きにすればいいわ」
「あら殊勝。ところで煮るとか焼くとか、食べ物みたいよね」

人も食べるという妖怪は、人形遣いを見て嗤った。

「いっそ食べてしまおうかしら」
「……それも良いかもしれないわね」
「本気にするわよ?」

そんな言葉とは裏腹に、触れる指はさみしいほど優しかったから、アリスは本当になんだっていいと思ったのだ。

「してよ。貴女の一部になれば、もう何処にも行かなくて済みそうだもの」
「前言撤回。殊勝と言うよりやけっぱちなだけね。でも、そうね」

腕を掴んでいた手が、ぽんと頭に載せられる。

「そんな風に言うって事は、戻るつもりはあるわけね」
「…え」

なにか、信じられないこと聞いた気がした。

「戻って、いいの?」
「もんちろんですわ。幻想郷はそれ以外の場所より寛容なのです。ただし、優しくはありませんが」

充分優しいと思うけれど、そう思うのはアリスが未熟だからだろうか。

「それにしても」
「うん?」
「夢の中でぐらい、幸せになればいいのに」

何を言っているのかわからなくて、アリスは紫の言葉の続きを待つ。

「同じ時間を生きちゃえばよかったのに」
「ああ」

そういうことか。なるほどなぁと思う。確かに、好きな夢を魅れるけれど、でも。
こればっかりは、魔法使いではない貴女にはわからないんだろうなぁとアリスは紫を見て、

「必要ないわ。魔理沙の速度には、霊夢という存在がいるもの」

いた、ではなく、いるという表現に、八雲紫はやっぱりアリスも妖怪であることがわかったようで。

「魔法使いが。そんなに無邪気に笑うもんじゃないわ」

妖怪で、魔法使いだから、アリスの真実は、アリスのものなのだろう。





だから、アリスは振り返る。
アリス・マーガトロイドは、アリスへと振り返った。

本を抱えた小さなアリスは、人形を抱える少しだけ大きなアリスに、ありったけの全てで微笑んだ。


――――――――思い出したの?私の可哀想な人

――――――――思い出したわ。可哀想な私


アリスはアリス・マーガトロイドを。
アリス・マーガトロイドはアリスを。
魔導書と人形は、ただお互いを弔って。
形影相弔って。

胸の痛みがさよならと言う。
小さなアリスは、大きなアリスの瞼に触れる。
小さく柔らかい指で。
安心を与える声色で。
子守歌を囁くように優しく言い聞かせる。


―――――――さあ 目隠しをして、アリス。夢の終わりは、いつでも少し寂しいね。


私の箱庭。私の楽園。

――――――――さあ貴女の心に、今鍵をかけよう。

私という存在が、貴女の中で永遠に失わないように。
それでいて取り出し、触れることもないように。


私の箱庭。私の楽園。

―――――――さあ 目隠しをして、アリス。夢の終わりは、いつでも少し寂しいね。

でも、それは幸せだった証拠だから。
次に目を覚ましたときはきっと

――――――――忘れては駄目よ、アリス。私たちは、決して優しくなんて無いことを

――――――――でも貴女がどうしてもと言うなら、それは私が覚えていてあげる。


だから、おやすみ。
そして、おはよう。


魔導書が開かれて、本を抱えた小さなアリスは、人形を抱える少しだけ大きなアリスに、ありったけの全てで微笑んだ。
本の頁が瞬いて、瞼越しに光がアリス・マーガトロイドの瞳を焼いた。

そうして、あっけないほど一瞬で、小さなアリスは掻き消えて、


――――――――ただいま/さようなら

たった一言、鳴くような声が聞こえて、


ぱたん、という本の閉じる音がした後は、もう、アリスはそこにいなかった。


――――――――ただいま/さようなら


どこにも、いなかった。







世界の目覚める音がする。









                                                                                     .
【目が覚めても一人でないことが、たた単純に、私は嬉しかったのです/花患い】

起こしたかった訳じゃない。ただあの青がみたくなったのだ。

[花と人形]

おはよう、とその妖怪は言った。
最悪な目覚めだった。
雪を抱えた雲が眩しくて、アリスは手の甲で両目を覆った。
妖怪からは花の香りがした。
当たり前のことなのだけれど。

「……なんであんたがいるわけ?」
「貴女が呼んだんじゃない」
「呼んでないわ。呼ぶわけないじゃない」

仮に呼んだとして、なんで来たりなんてするのだろう。

「人がわざわざ思い出したのに、そういうこと言うのね」
「思い出した?」
「最後の一頁よ。返っているでしょう?」
「……知らない。わからない」

知っていた。本当は戻っていることがわかっていた。
でも言わない。
だって、それでまた「私」は死に損ねたのだから。


――――――――胸の痛みがさよならと言う


「泣かないでよ。私はまだ何もしてないじゃない」

「泣いてない。雪が溶けたんでしょう?もうすぐ春だもの」

霊夢が亡くなってから、六十度目の春が来る。
全てを遠くへ連れて行く春が。
ああ、今年もまた、狂ったように花が咲くのだ。

「いいじゃない。結構なことだわ」
「花の妖怪のあんたにはね」
「人形遣いも何かすればいいんだわ」
「何かって何よ」
「人形劇とか」
「いやよ。きっと里の人たちも気味悪がるわ。あの小屋は朽ちてしまったし、もう覚えてる人なんてだれもいない」
「妖精が覚えていたわ。物覚えの悪い妖精がね。それに、あの小屋ならそんなに酷くなっていないわ」

え、とアリスは思わず手をどける。
緑色の髪。赤い目がアリスを見ていた。


「大きな木が生えていて、それが屋根代わりになっているの。だから、貴女が思うほど、人は忘れていないのよ」


アリスがまた眩しさを覚えて手で目を覆うより先に、風見幽香は傘を空へ向けた。
ぽんっという音がして、花の綻ぶように傘が開く。






その姿は、丁度幽香の話した木と小屋の様子に似ているのだった。







――――――●―――――――●――――――●――――――●―――――――

遅刻しました、すいません

こちら、歪な夜の星空観察倶楽部です

苦情の方は筆者かメーローの方へお願いします。
良い名前ですけど、メーロー。
次はエピローグというか後日談なので、どうぞ気楽に、そして気長にお待ち下さい。

追記

>一つ一つの言葉を理解する度に涙が込み上げて仕方ありませんでした。
>一度死に損なった存在を「寛容だけども優しくない世界」はそう簡単に死なせてくれないのですね。
>アリスがこれまで背負ってきたものを思うと、これで何もかもが解決したのかどうかは分かりませんが、
>もしも彼女がひとまずの安寧を得ることができたのならばこれほど嬉しいことはありません。
>エピローグ、楽しみにしてます。
プラダイは情報量が多く、時間の幅も300年ぐらいあるので、相当わかり辛かったと思います。
特に、どれがどのアリスの心情なのかを一読で把握することはほとんど不可能ではないでしょうか。
(書いている側ですら、事の起こりを時系列順に並び直すだけで充分面倒なぐらいですし)
そんな話に付き合っていただき、ありがとうございます。
アリスの今後がどんな感じなのかは、エピローグでお見せできると思います。

>ああーそういう……ああ……
>正直前回まで何が何だか状態だったのですが、静かに解けた……
>なんだろうこの読後感。アリス、アリスよぅ。
腑に落ちていただけたなら、筆者も一安心です。いやもう、本当に。
いつも視点はころころしてますが、特に今回はほとんど回想なので、どこを軸に話が進んでいるのか、伝えられているのか心配で心配で。
次回はようやっと気楽に読める話を書けます。最終回ですけど。

>おぼろげながら、ようやく輪郭が見えてきた。アリスの悲しみと言うか、絶望? が非常に色濃く見えるのがとても印象的です。
>紫が意外と世話焼きなのが面白いなと思った。無論、暇つぶし的意味が強いのかもしれないけれど。
プラダイのアリスの気持ちは、何というかちょっと難しいですね。
激しいというよりは静かを、静かというよりは根深さを目指したんですけど。
あと、紫が面倒見良かったのは理由があるんですけど、それははっきりは書かないですけど、次のエピソードから感じ取ってください。

>貴方の作品は、毎度ため息をついてしまうような不思議な読後感はあれど、泣いてしまうことはありませんでした。
>……今までは。
>このⅥ、Ⅶ、怒涛の勢いでいろんなものが胸にこみ上げ、しかし負けるものかと(?)必死に食いしばっていたのですが、
>アリスとチルノのやり取りで涙腺決壊…
>素晴らしいお話を拝読できて感無量です。エピローグも2100万年は正座してお待ちしております。
アリスとチルノの会話というと、【ゆきよりんごのかのごとくふれ】の所でしょうか。
ここはかなり最初から書いてあった場所なので、そう言って貰えると嬉しいですね。
元ネタを知っていないと意味不明なタイトルですけど。
個人的に【この雪はどこをえらぼうにも】と対にしているタイトルです。

>アリスが好きで好きで仕方がありません。
>どうしたらこんなに綺麗な物語を描けるのか。脱帽です。
アリスは自分も好きですよ。その割に結構酷い目に遭わせている気がしますが。
綺麗な物語と言っていただき、ありがとうございます。
ですが、このシリーズはかなり解釈の余白を残したつもりなので、もし綺麗に見えるのだとしたら、それは読み手の力でもあるんです。

>アリスの心の痛みの正体はこれか……
>最終回を楽しみにしてます
はい、これでした。
完結しましたが、いかがでしょうかね。
気に入って頂けたなら幸いです。

この作品は、


(次回の予測のヒントになる危険性の為、省略します。完結したらこっそり追加されます)



上海アリス幻樂団ワールドと皆さまの励ましで出来ています。
歪な夜の星空観察倶楽部
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コメント



0.1070簡易評価
2.100名前が無い程度の能力削除
一つ一つの言葉を理解する度に涙が込み上げて仕方ありませんでした。
一度死に損なった存在を「寛容だけども優しくない世界」はそう簡単に死なせてくれないのですね。
アリスがこれまで背負ってきたものを思うと、これで何もかもが解決したのかどうかは分かりませんが、
もしも彼女がひとまずの安寧を得ることができたのならばこれほど嬉しいことはありません。
エピローグ、楽しみにしてます。
7.100名前が無い程度の能力削除
ああーそういう……ああ……
正直前回まで何が何だか状態だったのですが、静かに解けた……
なんだろうこの読後感。アリス、アリスよぅ。
8.90名前が無い程度の能力削除
おぼろげながら、ようやく輪郭が見えてきた。アリスの
悲しみと言うか、絶望? が非常に色濃く見えるのがとても
印象的です。

紫が意外と世話焼きなのが面白いなと思った。無論、
暇つぶし的意味が強いのかもしれないけれど。
11.100名前が無い程度の能力削除
貴方の作品は、毎度ため息をついてしまうような不思議な読後感はあれど、泣いてしまうことはありませんでした。
……今までは。
このⅥ、Ⅶ、怒涛の勢いでいろんなものが胸にこみ上げ、しかし負けるものかと(?)必死に食いしばっていたのですが、
アリスとチルノのやり取りで涙腺決壊…

素晴らしいお話を拝読できて感無量です。エピローグも2100万年は正座してお待ちしております。
16.100柚季削除
アリスが好きで好きで仕方がありません。
どうしたらこんなに綺麗な物語を描けるのか。脱帽です。
22.100名前が無い程度の能力削除
アリスの心の痛みの正体はこれか……

最終回を楽しみにしてます