出汁をいっぱいに吸い込んだ、みずみずしい大根。
ほんのり甘辛いあぶらげと、とろっとした餅のハーモニーが心地よい、巾着。
白滝の、口の中でぷりぷりと踊る食感も捨てがたい。
「これで、冬だったら完璧だったのにね」
早速、リグルから突っ込みをもらった。
夜とはいえ、そろそろ夏も本番直前という時期だ。それなりに暑い。
屋台の新メニュー、熱々おでん。
自信作なんだけど、食べるほうも作るほうも、汗だくだくじゃ敵わない。
「うーん、やっぱり冷たいのが良かったかなあ。素麺とか、冷奴とか」
「ううん、十分おいしいよ。冬じゃないのがもったいないって思っただけだから」
「そう? それならいいんだけれど……」
問題はやつだ。
常連客の、もう一名様のほう。
彼女にとっては、死活問題という次元の話だ。大丈夫だろうか。
「チルノ、えーっと、その……。大丈夫?」
「ん? 全然、へっちゃらだよ。ふーふーすればひんやりだもん」
冷やしおでんはじめました。……と言うどころか、凍りついてるのは如何なものか。
チルノよ、今すぐおでんの神様に謝ったほうがいいぞ。
ほら、リグルを見てみろ。あれが礼儀正しいおでんの食べ方なんだ。
ナイフアンドフォークで、はんぺんを寸分の狂いも無く八等分してやがるぜ。
ケーキじゃないんだから。蝋燭乗っけて誕生日でも祝うつもりか、はんぺんで。
それに比べてチルノときたらどうだ。
大根って、あんなガリガリ鳴らして食べるものだったっけ。
あと、ちくわはアイスキャンディーじゃないから。そこんとこよろしく。
「できれば温かいままで食べてほしいんだけど、しょうがないよねえ」
「冷たくてもいいんだって。何ていうの? 白滝の、口の中でバリボリと踊る……」
「それ踊ってないよ!? むしろ複雑骨折してるから!」
「まあまあ、冷めてもおいしいってことなんじゃないの?」
「えー。そういうことになるのかなあ」
「なるって。だから、きっと新しいお客さんも来てくれるはずだよ」
新しいお客、かあ。今はもう気にしていないのに、この虫むしQったら。
焼き鳥撲滅だーとか言ってた、オープンしたての頃だったかな。
その頃はメニューが珍しいとかで、お客さんがいっぱい来てくれてたっけ。
でも、それっきり。串焼きばっかりだったからか、すぐに飽きられてしまったのだ。
残ったのはチルノにリグル、あとはルーミアぐらいなもの。
毎晩のようにどんちゃん騒ぎで、いつの間にやらお馴染みの顔ぶれとなってしまった。
「新しい、お客さんねえ……」
「絶対来てくれるって。冷やしおでん作戦で大儲けだよ!」
「ただ、お客さんがちゃんとお金を払うとは限らないよねー」
「むう、それは私が身をもって知っていますー」
そう。お客が入ったところで、お金になるとは限らない。
むしろ材料を食べられてしまう分、損なのかしら。
それにたくさんお客が来ても、私一人じゃ、どうしてもさばききれないってのもあるし。
お陰で屋台は赤字続き。これからどうやってやっていけばいいのだろう。
人手不足に、財政困難。屋台、続けていけるのかしら。
ただ、リグルだけはあてになるのよね。時々、みんなの分まで払ってくれるもの。
「じゃあ、みすちーは、何で?」
「ええと、チルノさん? 質問は、はっきりとお願いします」
チルノが箸を静かに置いて、じっと眼を見てきた。
会話に、妙に変な間が空いた。
その目が黒くてぼんやりとしていて、何だか不気味に思えてしまう。
「みすちーは何で、屋台なんかやってるの?」
鋭く切り込まれて、返事をすることができない。
むう。私、どうして屋台やってるんだろう。
焼き鳥撲滅のため? ……八目鰻で対抗しても無駄だって分かってきちゃったし。
生活の足しにする? ……収入なんて最初から期待していないし。
歌を歌いたくて? ……屋台なんかなくても歌えるじゃない。
あれ? うわあ、どうしよう。もう何も浮かんでこない。
「親父から受け継いだこの店を俺は守る!」とかそういうのが見つからない。
私、鳥頭だし。何か大切なこと、忘れちゃってるのかなあ。
「……はい、それではリグルさんの回答は?」
「ちょっと、ここで私にふるの!? 駄目だよ、自分のことぐらい分かろうよ!」
「だ、だって。本当に分かんないんだもん!」
「そう。……それじゃあ、今度会うとき、答えを聞こうかな」
「ん、どったのリグル? 今度って?」
「……というわけで、今日はそろそろ、ね」
見ると、お皿の中はすっかりきれい。手荷物をまとめて、帰る気まんまんスタイル。
いつもは屋台を閉めるのを手伝ってくれるんだけど。
「あれ? リグル、今日は早いね」
「あ、うん。えーっとほら、準備というか。いや、体の調子がさ」
「え、リグル、死ぬの!?」
「ちょっとチルノ、縁起でもない! ……えーっと、どこか悪いの?」
「うん。ほら、最近は蛍のシーズン、過ぎたから……」
繁殖期を終えると、蛍は一生の役目を終えてしまう。
死に行く仲間を見守ることしかできないのは、辛いだろうなあ。
私も、小鳥なんかが死んでたり、焼き鳥なんかを見るとショックだもん。
妖怪の健康は心から。
この時期はリグルにとって、残酷かもしれないなあ。
「そっか。それじゃあ、おでんの代金だけど――」
「ご、ごめん。今日もまだ無理。でも、今度は払えるから」
「そう? それじゃあ、つけとくよ?」
「うん、ありがとね」
そういえばリグルはここ最近、ずっとお金を払っていない。
蟲の知らせサービス、辞めちゃったらしいし。
うーん。何かあったのかなあ。
何となく心配に思っていると、リグルはもう、地から足を離していた。
「じゃ、私はそろそろお邪魔するよ」
「あ、いつの間に。リグル、お大事にね」
「バイバイリグルー!」
「うん、それじゃあ二人とも、またね!」
リグルの背中がすうっと宵闇に吸いこまれていく。
ああ、これが、最後の姿だった。
この時から私はずっと、リグルを見なくなってしまったのだ。
リグルがいなくなって、もう一週間になる。
おかしい。リグルは毎日屋台に来ていたのに、ずっと来ない。
その辺の妖怪に聞き込みしても、見てないとばかり言われる。
いよいよ心配になって、ここ三日間探しているのに、見つからない。
もちろん、リグルんちは隅から隅まで探した。みんなで時々遊びに行く、霧の湖の周りも探した。
たくさん蜘蛛の巣を見てみたけど、そのどれにもひっかかっていなかった。
早朝に色んな木に頭突きをしてみたりもしたけど、落ちてきやしない。
神社の軒の下も、台所の隅も探したけど、駄目だった。
そろそろ探す場所も無くなってきている。今日はどこを捜索しようか。
「最近は、蛍のシーズン、過ぎたから……」
ふっと、そんな声が頭をよぎる。
最悪の事態が起きていなければいいんだけど。
「リグルー! リグル、いるー!?」
足元の石をひっくり返しては、リグルがいないか調べてゆく。
おかしいな。よく、こういうところに虫はいっぱいいるのに。
石の裏にもいないとなると、どこにいるのよ。まったく。
地にいないとなると、空か? そう思って、何となしに見上げてみたら。
ああ、何かいる。青いの、いる。
青いの、何か慌てて急降下してきている。
「……みすちー! みすちー! やっと見つけたあ……」
「ちょっとチルノ、どうしたの!? ぼろぼろじゃない!」
「あたい、あたい、リグルを助けようって思ったのに、あたい!」
「ちょっと待て。今何て言った!?」
「リグル、助けたかったのに、できなかった……」
ええと、チルノはリグルを助けようとしていた。
つまり、それは……。
「リグルいたの!? 見つかったのね! やったよ、チルノ最強伝説だよ!」
「な、何言ってんの!? 助けられなかったって言ってるじゃん!」
「あ……。え……?」
「今頃、リグルはこーまかんに捕まって、大変なことになってるんだ!」
「え、何? こうまかん?」
ええっと。リグルが、こうまかんに捕まった?
何で捕まらなくちゃならないんだ。
悪いことでもしたのか? あいつ。
「一体何があったのよ! もっとちゃんと教えて!」
「ええとね。あたい、近くで遊んでたの。それで……。そう、あたい、見たの。
中にリグルが、いたのね。そしたら……。何か、ひどいことされてるの。捕まってるから」
「え、え? 何かされてるの?」
「うーんと……。鞭打ち、とか?」
「む、むちぃ!?」
「あ、違った。えーっと。毒ガス室?」
「大罪人だねリグルったら! 何をやったらそうなるのさ!」
「知らないよ! とにかく、ひどいことされてるんだって!」
「そ、そうなの……!? ど、どうしよう!」
「決まってんでしょ? 一緒にリグルを助けに行こうよ!」
私の手を取って、今にも飛び立とうとするチルノ。
ちょっと待たんかい。状況整理がまだ出来てないんだってば。
「助けに行くったって、一体どこに!?」
「言ったじゃん! こーまかんだってば!」
「え……? それ、地名なの?」
「あ、当たり前でしょ! 何と勘違いしてたのよ!」
「てっきり人名かと……」
広間 寛。四十三歳、独身。
レタスの開発に携わる。
近年は妖精との共同作業により、日照時間の調整に成功。
サニーレタスとして莫大な利益を上げたという。
「そんな名前のやつ、いるわけないでしょ!? みすちーったらこーまかんも知らないの!?」
「じゃあ逆に聞くけど、チルノは知ってるの? こーまかんって何する所なの?」
「え、何するところって言われても……」
「どんなやつがいるの? あんた、ぼろぼろだったじゃん! 強くて怖くて食欲旺盛なやつがいたらどうするの!?」
「だって、あの門番強かったんだもん! 中に入れてくれやしない」
「ほら、チルノ負けたんでしょ? そこ、絶対に危ないところじゃん!」
「でも、リグルが捕まってるんだよ!? 助けなくちゃ!」
「う……。確かにほっとくわけにはいかない、よねえ」
その危ないところにリグルがいるのだ。放っておくのは可哀想にも程がある。
でも、このまま突っ込んで行くのは、勇敢というより無謀だ。
第一、なんて事無いところなら、とっくにチルノ一人で解決しているはずなのに……。
「みすちーと二人なら、絶対門番にも勝てるって! 最強プラスα!」
「さっき負けたのにまだ最強言うか! ……でも、本当に勝てるの?」
私、そんなに弾幕に自信ないし。
弱い者はいくら束になっても、ただの弱い集団になるだけ。
でも、何とかしないと。リグルが捕まってるんだし……。
うーん。こういうとき、まずどうすれば……。
「そうだ、こういう時は、他人に聞けばいいんだよ!」
「……他人に聞く。聞いてどうするのよ」
「ほ、ほら! 強い人は大体、何か弱点があるものなんだよ! 多分……」
「そっか! さすがみすちー、頭いいね!」
「でも残念ながら、誰に聞けばいいのかが分かんないんだけどね……」
「大丈夫、あたい、良いところ知ってるから!」
「良いところ? そんなところ、あったかな……?」
「それがあるの! だから着いてきて、来れば分かるよ!」
「そ、そう? どこだろう……?」
そんな都合のいいところ、あったかしら。
この辺で情報屋さんだなんて、聞いたことがない。
しかもチルノ、人里に向かってるような気がするんだけど。
いいのかなあ。真昼間から妖怪がお訪ねするなんて。いや、夜に行くほうがいけないのかな?
でも、今は緊急事態。チルノに着いていく他、選択肢は無いのだ。
「ほら、ここ、ここ!」
人里の端っこのほうに、黒っぽい洋風の店があった。
塗装がまだ綺麗だから、どうやら最近建てられたものなんだろうな。
その店の看板には、やたら斜体のしゃれた字で、こう書かれていた。
「カクテルバー、ムーンライトカクテル……?」
二回もカクテルって言わなくても。
よほど大事なのね。
「うん、そうだけど。みすちー、忘れてた? ルーミアのお店だよ」
「いやいやもちろん覚えてたよ! ルーミア、お店始めてたんだよね。うん」
「段々、忙しくなってるみたいだよ。最近はお店のことばっかり」
「あ、それならお客さんから、色々聞いてるかもね」
「ルーミアならこうまかんの上手い入り方、知ってるって」
ああ、ルーミア、お店始めてたよね。すっかり忘れかけていたよ。
でも、よりによって飲み屋さんだなんて。何を思って始めたんだ。
「それにしても、中々いい雰囲気の店じゃない? こういうとこに来るの、初めてなの」
「へー。あたいは慣れてるから、どうってこと無いよ。ほら、入ろ、入ろ!」
よりによって、チルノにエスコートされてしまう。何だ、この劣等感は。
手をひっぱられて、そのまま薄暗い店内にご招待されることになってしまった。
店のドアには、「人間お断り」の紙が貼られてあった。
照明はほとんど点いてなく、窓は高そうなカーテンで覆われている。
お陰で、昼間にも関わらず、店内はすっかり暗闇であった。
一歩踏み込むと、近くの席から人相の悪い客がガンを飛ばしてきた。
ここ、私たちが来るような店だったかな……? ちょっと怖い。
図体のでかいおじさん、さっきからずっと睨んでくるし。
ちょっと刺激したら、殴りかかってきそうだよ。
そしてあの鋭い眼光ときたら、目からビームが出てもおかしくない。
その近くにいる頭巾の姉さんなんて、夜は何かに乗ってぶいぶい暴走してそうだもん。
幻想郷的には自転車が限度になるけど。
「チルノ。みすちーも。いらっしゃい」
「ルーミア、来たよー」
「久しぶり、ルーミ……ア!?」
シックな石造りのカウンターに、スポットライトが一つ、点いた。
ぼんやりと照らされる彼女は、白いシャツに黒のベストと、いつもの服装によく似ている。
普段と違うのは、胸元で輝く、真っ赤な蝶ネクタイぐらいなものであった。
だけど、どうしてだろう。
リキュールのたくさん置かれた棚と、涼しげなカウンターの間に立っていて。
その物憂げで涼しい表情で、どこか遠くを見つめていて。
十進法のポーズはどこへやら、グラスを落ち着いた手つきで拭いていて。
そんな彼女はもう、まさしくバーテンダーであった。
カウンターの端には、大きなラッパを引っ付けた蓄音機が置かれてある。
そこから、ムーンライトカクテルがどうたらと歌う、洋楽が心地よいリズムで流れている。
ああ、私はもうすっかり、この雰囲気に酔ってきたのかもしれない。
ジャズのリズムに合わせて、ルーミアが白銀のシェイカーをカランコカランコと躍らせる。
オウ。ヴェリー、テクニシャン。シーイズ、ヴェリーバーテンダー。
ユー、マストノット、イートミー。イエース。
「来店記念の、サービス。ダークアンドホワイト。召し上がれ」
「ジ、ジスイズ? あ、ありが……。センキューヴェリーマッチ!」
「み、みすちーがおかしい……」
グラスを傾け、まずは軽く、一口。
オウ、イエス。ビターテイスト。ほろ苦いカフィーの味がまず、舌に広がる。
アンド、それをカヴァーするように、スウィートなミルクがスプレットドスター。
カフィーとミルクが見事にイリュージョンレーザーして……。
うん。完璧にコーヒー牛乳だ、これ。どう味わってもアルコール0%だよ。
確かにダークアンドホワイトだし、その、おいしいけどさ。
私のときめきが何処かにさよならバイバイしちゃったよ。
「あの……。あたいはイチゴ牛乳ね」
「そういうと思ったよ。……これをどうぞ、ストロベリークライシス」
「あ、ありがと」
「……ところで、今日は突然、どうしたの? 二人とも」
「……ああ、そうだった!」
「そうだよみすちー! リグルだよリグル!」
「リグルがね、こうまかんに捕まったらしいの!」
ルーミアの表情が、一瞬険しくなった。
彼女の紅い目が、一旦ぼんやりと遠くを射て、すっと閉ざされてしまった。
微かに息を吸って、落ち着いた声で彼女は呟いた。
「そう、なのかー」
どうしてこう、一挙一動がクールなんだこいつは。
また、この怪しげな雰囲気に飲み込まれそうになってしまったよ。
とにかく今は、こうまかんとやらの情報を仕入れないと。
「それで、ルーミアが何か知っていたら、教えてほしいの」
「もちろん。構わないよ」
「お客さんからたくさん、じょーほーってのを貰ってるのよね」
「ああ。ちょっとした雑談から、聞いてはならないものまで、それはもう」
聞いてはならないことまで知ってると申すか。
河城にとりの帽子の中身とか、因幡てゐの耳の数とか、秋穣子の帽子にある葡萄の賞味期限とか。
こういうの、全部知ってるんだろうなあ。ああ、気になる。
でも、今はぐっと抑えて。リグルのことが第一だ。
「あのね。私たち、こうまかんにリグルを助けに行きたいの!」
「こうまかん……。やつは危険だよ。それでも行くのかい?」
「もちろん! ……で、でもルーミア。やつって?」
「功馬 勘。カリフラワーの栽培に携わる男で……」
「ちーがーう! こーまかんったら場所の名前なの!」
「そう……なのか?」
ああ、ルーミアがクールから「あったか~い」に変わりつつあるよう。
「ほら、あたいのよくいる霧の湖があるじゃん。あの真ん中に紅いお屋敷があるでしょ?」
「知ってる? 実はそこ、紅魔館っていうお屋敷なんだよ」
「知ってた! あたいでも知ってた!」
「だけど、そこにリグルが捕まってるっていうのは、残念ながら初耳だよ」
「う……そっか。初耳なら、仕方ないか」
そもそもこのことを知っていたら、ルーミアは先に知らせてくれていたはずだ。多分。
有用な情報は手に入らないかも、と思いかけたその時。
ルーミアがにやりと笑った。
「ただ、紅魔館のやつらの弱点なら、知ってるよ」
「弱点、あるんだ!」
「これでやつらもこてんぱんね!」
何という幸運。
弱点があるなら、私たち弱小組でも勝機はある!
「いい? 紅魔館は、吸血鬼のお屋敷なの」
「吸血鬼……。確か、すっごく強かったような……」
「吸血鬼のお屋敷というだけあって、その屋敷に住む者はみんな、吸血鬼という噂なの」
「……」
チルノが黙って俯いてしまった。
彼女なりに怖がってるのかもしれない。
それにしてもみんな吸血鬼か。中々おぞましいお屋敷だなあ。
「その吸血鬼の弱点。日光、もあるけど室内じゃ効果的ではない」
「と、いうことは他に弱点があるの?」
「そう。流水と、大豆製品。これを持っていけば、全員に勝てるはず」
流水と、大豆製品。大豆、製品……。
ん、大豆だって!? あれなら、いけるのでは!
「……うん。チルノ、行ける。紅魔館に勝てるよ!」
「そ、そうなの!? 何か分かったの?」
「分かっちゃったの! ありがとうルーミア、今度奢ってあげる!」
「お役に立てたようで、何より。……それで、よければの話だけど」
「ん、何?」
「その時は、一緒に料理してもいいかな?」
「え? そりゃ、もちろんいいよ。そっか。ルーミアが手伝ってくれるなら、助かるなあ」
「ふふ。元よりみすちーの為。この店を始めた甲斐があったよ」
うん? 私の為というと、どういうことだろう。
むむ、ちょっと気になるけど、今はそれどころじゃない。
弱点が分かった今、紅魔館へ突っ込みたくて、うずうずしてきているのだ!
「……? そ、それじゃ、急ぐよチルノ! ルーミア、また来るね!」
「あ、ちょっとみすちー! ……ルーミア、偶には遊びに来てね」
「近いうちに。それじゃ、またいらっしゃいね」
一旦屋台に引き返し、急いで準備をしに行く。
この作戦なら、吸血鬼を一網打尽にできるはずだ!
待っててリグル、今助けに行くから!
「だ、誰か助けてくださいー! もう、もう食べられませんー!」
「どう? あたい達の力を思い知った!?」
「早く降参しないと、お腹壊しちゃうよー」
名づけて流し冷奴大作戦。
霧の湖をチルノが凍らせ、屋台のおでんの豆腐を乗っける。
これを大量に相手に浴びせることで、流し冷奴のできあがり。
でも門番さんは何を思ったか、垂れ流す豆腐全部を食べきろうとしているのだ。
「まだです! このお屋敷には、豆腐の欠片も入れさせない!」
「なかなかしぶといわね……。みすちー、あと豆腐何個!?」
「大丈夫、まだ二百ちょっとはあるよ」
「え!? に、にひゃく……。うぷっ……」
絶望感からか、門番さんの顔がみるみる青くなっていく。
これでもよくがんばったってば。もともと、豆腐は五百丁ほどあったんだから。
ああ、食べるペースがどんどん落ちていく……。
「せ、せめて麻婆豆腐なら、良かった……」
「か、勝ったのね!? あたい達、最強コンビね!」
「いいのかなあ、こんなので……」
「私が駄目でも、咲夜さんならあなた達なんて……。うう、しゃべるとお腹に響く……」
「へへ! 何が来ても、冷奴がある限りあたい達は負けないわ!」
「アイラブ冷奴! ウィーラブ冷奴!」
「お、お嬢様、すみませ~ん……」
門番さん、地面に突っ伏したまま動かなくなったんだけど、大丈夫かなあ。
むむ、何てことだ。ゆっくりながら立ち上がったぞ!
まだ戦えるというのか。何という根性なんだ。
立ち上がって、私達に向かってくる!
と思いきや、そのまま私たちを尻目に、お腹を押さえながら館内に戻っていった。
ああ、ご愁傷様です……。
「チルノ。私達も、行くよ!」
「オーケー!」
門番さんを追い抜いて、勢いよく正面玄関へ突っ込んでいく。
振り向くと、ぴったりとチルノがついてきていた。
何だか、にっこり笑顔で久々にご機嫌モードだなあ。
遊びじゃないんだぞ、全く。
「あ、ここじゃ水が無いじゃん」
「……ということは、館内じゃ冷奴、流せないじゃない!」
紅魔館に入ってから、ようやく気がついた。
早くも流し冷奴作戦、失敗か。
「仕方ない、ここは冷奴投げつけ作戦しかないみたい」
開いた窓から、さあっと風が吹き込む。
変に静かになっちゃったなあ。
真っ赤な絨毯に、真紅のクロス。天井でさえ薄紅色。
深い紅の空間に、不自然な沈黙が流れた。
廊下を歩いていると、チルノが何も話さなくなったのだ。
あっちをきょろきょろ、こっちをきょろきょろと、挙動不審ここに極めり。
「チルノ、どうかしたの?」
「……え、何か言った?」
「ちょっと、本当にどうしたの。あんまりそわそわしないでよ」
「べ、別に……。初めて入るから、ちょっと緊張してるだけだよ」
「ふうん? チルノにしては、珍しい……。おっと、誰か来るよ!」
メイド姿した妖精が不審そうにこっちを見つめてくる。
すると、チルノは俯いてしまって、バツが悪そうにしてしまう。
かと思えば、はっと顔を上げて、何か言いたげに唇をかみ締めている。
しまった。こういう時は、ばばっと物陰に隠れないといけないのに、ばればれじゃない!
「ど、どちら様です……?」
「ばれちゃ仕方無い、問答無用! 豆符『木綿豆腐が割れる日』、くらえ!」
「ちょ、みすちーどうして勝手に!」
「う、うわあああ! 助けてメイド長!」
ピッチャー、私。
軸足から指先に向かい、力を豆腐に伝えて行く。
鞭のようにしなる腕から、重心が乗りに乗った豆腐が解き放たれる。
渾身のナックルボールが妖精に決まる!
はず、だったのに。
消えた。豆腐、消えた。
うっかり本当の魔球を投げてしまったかしら。
「冷奴一人前、出来上がりました」
妖精メイドがいつの間にか、長身スリムな人間メイドに入れ替わっていた。
そして彼女は何やら一皿、こちらに差し出しているではないか。
投げたはずの豆腐に、ふわふわの鰹節に、青々としたワケギが乗せられている。
更には、色艶からして上等に見える醤油が、ほんのりとかかっていた。
味も極めて優秀。さっぱりとした薬味と、醤油の微かな甘辛さがマッチしていて。
うーむ。美味である。
「絹ごし豆腐だったら、やられるところだった……」
「ちょっとちょっと、何食べて……。うわ、本当の冷奴だ!」
「これ以上お屋敷で豆腐を撒くというのなら、すべて麻婆豆腐にして門番に食べさせてくれるわ!」
「ど、どうしようチルノ! このままじゃ、門番さんが豆腐に飽きて可哀想!」
「どうするもこうするも、こうすればいいのよ!」
私から豆腐を手にしたチルノは、断続的に冷気を放出し始めた。
霧に包まれながら、豆腐の姿が段々と変わってゆく。
……まさか、チルノ!
「どうだ! 必殺、高野豆腐作りよ!」
「チルノすごい! これなら麻婆豆腐にならな、い?」
チルノの握る高野豆腐が一瞬で消える。
と思ったら、またもやお皿の上に乗せられている。
「高野豆腐一人前、出来上がりました」
「い、いつの間に出汁が!」
しかもさりげなくインゲンまで乗せられてしまった。
「みすちー、いけない! このままじゃ一つ残らず料理されちゃう!」
「ほらほら。遊ぶんなら他のところになさいな。豆腐は間に合ってるから」
「あ、遊びに来てるんじゃないんです! 私の友達が捕まってるって聞いたから!」
「はい? ……そんな覚えはないんだけど」
「そうだよみすちー。リグルが捕まるわけないじゃん!」
今こいつ、何て言った。リグルが捕まるわけ、ないだと?
一気に頭がまぜこぜになって、状況が掴めなくなった。
メイドさんが否定するのはともかく、チルノまで!?
まさか、私、騙されてた?
「ああ、リグル。彼女ならいますよ。お会いしたければ、これから用意いたしますが?」
「突然不気味に接客モードだあ。ねえチルノ、どうする? 怪しいよ?」
「行くに決まってんでしょ? えーっと。嘘ついてごめんね、みすちー」
「う、嘘? あ、それより。えっと、会います。お願いします!」
「では、案内いたします。客間に着きましたら、中でしばらくお待ちください。こちらへどうぞ」
メイドさんに誘導されて、長い廊下を歩いていく。
ああ、ようやく変なテンションから開放された気がする。
チルノがよく分からなくなってきたけど、一息ついて落ち着いて話せそうだ。
「では、リグルを呼んできますので、しばらくお待ちください。その間、紅茶をどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
広々とした客間に、大きな机がどっしりと置かれてある。
その周りのふかふかの椅子に、二人仲良く座らされた。
メイドさんが部屋から出て行った後、突然チルノが立ち上がった。
「どしたの、チルノ。トイレとか?」
「いや、そのさ。あたい、行きたい場所があるの」
「行きたい場所? 何か面白そうなとこでもあった?」
「さっき、見たでしょ、妖精。メイドの」
「ああ、いたね。あの娘がどうかしたの?」
「ちょっと、知ってる顔だから。また、話してみたいの。いい、かな?」
「うーん? いいんじゃない? 何か面倒を起こさないでよ?」
「もちろんだよ! じゃあ、ちょっと行ってくる!」
ドアも閉めずに、パタパタとチルノは駆けていった。
……今日のチルノ、何か変だな。
紅茶を頂きながら、今まであったことを整理することにした。
まず、リグルがいなくなった。
いなくなったら、チルノが大変だーとか言って飛んできたな。
リグルを助けようとして、門番さんに追い返されたんだっけ。
で、私がいれば紅魔館にも入れると思って、連れてこられた。
でも、リグルは捕まってなんかいない。多分これが嘘だったらしい。
だけどリグルは、やっぱり紅魔館にいて……。
そして現在、チルノは友達に会いに行きましたとさ。
あー。分かんない。私馬鹿よね。お馬鹿さんだ、私。
色んな事が全然つながって来ない。チルノ、何で嘘ついてたんだ。
そもそもリグル、ここで何やってたんだ。
紅茶が半分くらい無くなったところで、ドアがバタンと閉まった。
そして、コンコンコンとノックが聞こえた。いちいち律儀な。
「そんな改まらなくても。入っていいよー」
「失礼しま……うわ、みすちー!」
「ちょっぴりお久しぶり……ってちょっと、リグル!?」
紺と白を基調とした、頭の先から足の先までふりふりフリル。
妙に丈の短いスカートに、ふわふわの純白のエプロンなんかして。
挙句の果てには触覚におっきなリボンなんかつけちゃってるし。
何だか恥ずかしそうにしながら、リグルは私の前に座った。
「お客さんってみすちーだったの。あの、服はあまり、気にしないでほしいな……」
「気になるよー。リグル、メイドさんにでもなったの?」
「それが、その……。うん、なっちゃったの」
なっちゃったで御座いますか。
リグルが、メイドさん、ねえ……。
「ごめんね、黙ってて。ちょっと、言うの、恥ずかしくってさ」
「あ、うん。びっくりしちゃったよ、突然いなくなって。いっぱい探したよ?」
「うう。本当ごめん。でも、嬉しいな。心配してくれてたなんて」
「いいのいいの。無事って分かっただけで一安心。じゃあ、リグルはここで働いてるんだ」
「そういうこと。その、ずっと前から憧れてて、ね。……似合う?」
「ノーコメントでお願いします」
「うわ、ちょっと、お世辞ですらもらえないなんて!」
「だって、私が突然、巫女服着てきて『似合う?』って聞いてきても困るでしょ?」
「ま、まあそうかも。みすちーが巫女服……。ふふっ」
「あ、笑ったなー!」
「だって、あまりにも似合わな……。ごほん、ノーコメントでお願いします」
「うえ、ひどいー」
「へへーん。おあいこ様だって」
ふう、すっかり和やかムードですな。
これで今日は一件落着……。
じゃないような気がしてならない。
「そうだよ! チルノ! チルノのことだ! 今、チルノも来てるの」
「や、やっぱりいたんだ……」
「やっぱりっていうと、何かあったの?」
「それが、ちょっとあってね……」
和やかムードが一転。
リグルが苦い笑みをこぼしながら、話し始めた。
「その、ルーミアがお店開いたの、覚えてる?」
「あ、当たり前でしょ! そのくらい覚えてるもん」
「よかった。それで、実はその時、チルノと揉めたんだ」
むむ? それは本当に初耳だぞ。
「ルーミアがお店やるって知った途端、私から逃げる気なんだーとか言って、チルノが暴れるの」
「そんなこと、あったんだ……」
「だからルーミアと私で、何とか落ち着かせようとしたんだけど、駄目だった。
最後には、勝手にすればって言って、飛んでいっちゃったの」
「それじゃあ、今のチルノも?」
「多分、そう。メイドなんて辞めちまえって言ってくるよ」
キリリという音がした。
ドアがゆっくりと開かれる。
チルノだ。
嗚咽を漏らしながら、鼻をすすっている。
目の下にはすでに、涙の跡があった。
全身をぶるぶると震わせて、こちらをナイフのような眼差しで睨んだ。
「え、チルノ。……どうしたの?」
「リグルも……だろ」
「ちょっとチルノ? 落ち着こう?」
「リグルも、嫌って言うんだろ!?」
彼女が叫んだ途端に、耳がじんじんと震えた。
涙がもう一粒、チルノの目からこぼれる。
何か言ってあげないといけない。でも、良い言葉が見つからない。
一番冷静だったのは、リグルだった。
「チルノ。まずは落ち着いて。何が嫌なのか、分からないよ」
「嘘つき! あたいが来んのが嫌だから黙ってたんでしょ! メイド、どうせ辞めたくないんでしょ!」
「……うん。ごめんね、これは辞められない」
「やっぱり! そうやってみんなあたいから逃げようとするんだ!」
「そんなことないよ。いつか、お休みとるからさ。その時、屋台でまた一緒に会おう?」
リグルが紅魔館にいても、普通に会うことはできるはずだ。
チルノ、そこまで悲観的にならなくてもいいはずなんだけど。
何か、あるのだろうか。
「なんで。なんでだよ。そんなむきになって、メイドさんしなくていいじゃん……」
「しないといけないの。みすちーの屋台、誰かが支えないと、大変だよ?」
「屋台? そうだ! みすちー! ほら、みすちーも何とか言ってよ!」
「えっと、ここで私!? リグルに!?」
「みすちー、リグルがいなくて寂しそうだったじゃん! リグルが辞めたら、屋台に毎日来るじゃん!」
確かに、心配だってした。できることなら、たくさん顔だって合わせたい。
だけど、そんなことは私の都合でしか、ない。
「……ううん。私も辞めてほしくない。リグル、メイドさんになりたかったんだよね?」
「えっと……。うん。確かに、そうだよ」
「お願い、チルノ。私はよく知らないけど、リグルだって、きっとがんばって夢を叶えたんだよ」
チルノは唇を噛み締めながら、両手でグーを作っていた。
何とか、伝わってくれるといいんだけど。
「せっかく叶えた夢を壊されたら、リグルが可哀想だよ。リグルの気持ち、分かってあげて?」
正直な気持ちを、ぶつけた。
何とか、伝わってくれると、良かったのだけれど。
その敵対的な眼差しは全く消えようとしなかった。
「リグルばっかり味方して。みすちーも。リグルも。みんな、あたいを置いてくんだ」
「それは……違うよ。チルノ、違うって!」
「みんなあたいのこと、置いていくんだ!」
「聞いて! そうじゃなくて、あのね、チルノ! ……その!」
「もういい! あたいだってあんた達、大っ嫌いだから!」
ドアを壊さんばかりに開け放ち、それこそ逃げんとばかりに飛び出してしまった。
「チルノ!」
「みすちー、放っておいてあげて!」
「駄目だよ、追わなきゃ! チルノ、絶対寂しがってる!」
ルーミアとも、リグルとも、チルノは疎外感を味わっているに違いない。
チルノの友達に会った時だって、きっとそんな事があったのだろう。
あの怒りとも嘆きともつかないチルノの行動は、寂しさをぶつけているようにしか、思えなかった。
「だから、行ってくる!」
「ちょっと、みすちー! ……うまくやってね」
リグルの言うとおり、放っておいてあげるのが正解なのかもしれない。
だけど、このまま放っておくと、なんだか取り返しのつかないことになる気がするのだ。
また同じ四人で仲良くお酒を飲み交わす、そんなことが出来なくなるかも知れない。
ただ、そうなると思うと、嫌で嫌で堪らなかったのだ。
チルノの気持ちが知りたい。
その一心で、私は既に空に飛び込んでいた。
「やっぱり、来たね」
霧の湖の、だだっ広い湖面の上だった。そこに彼女は、いた。
チルノがそうしているのか、一面に霧が広がっている。
その水滴の一粒一粒が、夕日をぼんやりと反射していた。
真っ赤な光は湖にも顔を伸ばし、不気味にくるくると揺れ続ける。
日を背に浴びるチルノの長い影が、私をつつく。
「来るよ。もちろん」
飛び出て行ったはずなのに。
彼女は待ち構えていたかのように、湖上に浮かんでいたのだ。
おかしいな。もうすぐ夏本番だというのに、薄ら寒い。
少し、震えが出てきてしまうほどだ。
「チルノ……。教えてほしいよ。あんなに怒っちゃった訳、きっとあると思うの」
ゆっくりと、穏やかになだめるように尋ねた。
一番の、根本的なチルノの率直な気持ちが、知りたかった。
だからこそ、できるだけ刺激しないように、慎重になってしまう。
「せっかく待ってやったというのに、そんなくだらないことを問うんだ」
だけど、チルノはもう苛立ちを隠せない。
苦しそうに瞳が歪み、きりきりと歯と歯がぶつかり合っているのが分かる。
「あんた達が、置いてく」
「置いてく?」
「あたいは大人になれないのに、みんなあたいを置いていくんだ!」
悲痛な叫びが木霊して、湖に波が立っていく。
でも、これで良かった。
チルノの心に、ようやく一歩近づくことができた。
「ねえ」
チルノの冷たい声が、私の脳に溶けていく。
いつか見た、彼女の真っ黒な瞳が、私を射抜いた。
「みすちーは何で、屋台なんかやってるの?」
あの時の言葉。
だけどその意味が、ほんの少しだけ変わってしまった。
「ねえ」
彼女の言わんとすることは、もう分かってしまう。
私を、リグルやルーミアの時のように、引きずり込もうとしている。
だけど、私は。
「辞めちゃおうよ、屋台。それで、あたいともっと遊んでよ。だから、逃げていかないでよ、みすちー……」
あの時の私とは、違う。
もう、あの問いに答えられる。
「それは、駄目。辞めるわけには、いかない」
「そう……。みすちーならひょっとしたら、と思ったけど。残念!」
彼女の手に冷気が込められるのが見えた。
本能的に体を捻らせる。
次の瞬間には、氷塊が私の髪を掠めていた。
「大した理由も無いのに、屋台なんか続けてた癖に!」
「理由なら、あるよ!」
「……ふーん。聞かせてよ、あたいなんかより大切な理由ってのを!」
つい、笑みがこぼれてしまう。
呼吸を整え、指を思いっきり前に突き刺した。
「理由は……あんただ、チルノ!」
「……はあ?」
素っ頓狂な声を上げて、睨んできた。
「何で、あたいなんだよ! あたいのためなら、辞めちゃえよ!」
「働くようになってから、リグルとも、ルーミアとも、遊びにくくなった?」
「当ったり前! あいつらの他も、皆そうなっていくんだ!」
「もし新しく友達ができても、また同じ道を辿るかもしれない」
「そ、そうだよ! 何だよ、そんなこと言って。馬鹿にしてんの!?」
「子どもはいつか働き出していっちゃう。今も昔もこれからも、チルノは取り残されていく」
「聞いてんの!? 分かってるんだよ、あたいだって! あたいが一番、分かってる!」
チルノは妖精だ。
妖怪とはいつか隔たりができてしまい、散り散りになってしまう。
同じ妖精同士でさえも、彼女はほとんど交友関係を持っていない。
妖精として、彼女はあまりに特別な存在だったのだろう。
「でも、私は屋台をやってるよ」
「そうだよ。だからあんたも同じで! あんた、も……!」
もはやチルノは、うまく言葉を続けることができなかった。
手にどんどん力をこめて、ぷるぷると震えている。
虚勢を張るにもほどがあるぞ、チルノ。
「嘘つき。違うって分かっている癖に」
「違う。同じだって。いや、違って同じで、同じが違いで!」
「お馬鹿。屋台を辞めたらどうなるの? もうあんたは私と屋台で馬鹿騒ぎなんて、できなくなるよ?」
「あれ……えっと、あれ?」
屋台を続けないと、逆にチルノと会う機会は減ってしまう。
これは、チルノだけの話じゃない。
「それに、リグルもルーミアも、いつか来るって言ってたじゃない。
屋台がなかったら、二人とも帰ってくる場所、無くなっちゃうよ」
あの賑やかでうるさい日々。
私だって、あの時は毎晩を楽しみにしていたものだ。
また、屋台でいつもの四人で一緒に過ごしたいよ。
「屋台はね、皆のおうちなの。無くなっちゃったら、皆ばらばらになっちゃう」
「……そ、そうなの?」
「私は屋台を辞めないよ。だからチルノ。あなたは、いつでも屋台に帰ってきていいの」
いつしか、霧が止んでいた。
湖面は波ひとつ無い凪となり、沈みかけた夕焼けが名残惜しそうに私達を照らしている。
私も少し興奮していたみたいで、ようやく息が落ち着いてきた。
「置いていかないし、逃げもしないよ、チルノ。同じところに、同じように、私はいるんだから」
「え……。あ、ふえ? ちょっと、待ってよ……」
ずいぶんと混乱しているのだろう。
チルノの顔はもう、くしゃくしゃに縮まっていた。
小さい頭で、精一杯私の言葉を咀嚼しようとしているのだろう。
「いいの? よかったの? いつでも、行けて。あたいを置いてかないで、いいの?」
「当たり前よ! あんたのおうちって思っちゃっていいんだから!」
「そっか。そっか! あたいのおうちか! あは、ははは……」
ぷつっと糸が切れたかのように、チルノは湖に真っ逆さまに落ちていった。
手を伸ばすが、届かず。パシャアと、心地の良い音が響いた。
ぷかぷかと湖面に浮かぶ彼女は、安心しきった笑顔を見せていた。
緊張と不安が無くなって、すっかり緩みきってしまったんだろうな。
全く手間がかかるやつだ。びしょ濡れじゃないか。
一通りくつろがせたら、うちでおでんでも食べさせてやるか。
月明かりも届かない、木の生い茂った獣道。
真っ暗な道を、紅い提灯がほのかに照らす。
今日の屋台は貸切コース。
ほかほかのおでんを相手に、小さなお客さんが奮闘していた。
「あたいだってね。昔はいっぱい、妖精の友達、いっぱいいたのよ」
「どうしたの、突然?」
「だけどさ。メイド妖精募集とか何とかいって、みーんな紅魔館にいっちゃった」
「……そっか」
慣れない冷酒を飲みながら、ぶつぶつと愚痴られる。
大丈夫かなあ、チルノ。無理しちゃって。
「あたいも、きょーみはあったの。でも、止めといたよ」
「ふうん? どうしてなの?」
「馬鹿ね。あたい、妖精じゃん。妖精は遊んでなきゃ、妖精って言わないよ」
「遊ぶのが仕事、ねえ。人間の子どもみたい」
妖精は妖精らしく。
何だかチルノはそこのところを、頑なに守っているんだな。
まさにプロ妖精と言ったところか。
「なのに皆、自分から飛びついてって。馬鹿みたい」
「チルノは釣られないで、頑張ったんだね」
「そうだよ。でも、あいつらはもう駄目になっちゃった……」
「そう、なの?」
「見たんだよ。上司だの部下だので、働いてたんだ、あいつら。あんなの、もう妖精じゃない……」
チルノなりのこだわりがあるんだろうな。
何と声をかけてあげたらいいのかよく分からなくて、無言でお酒を注いであげた。
差し出すと、お猪口をいっぱいに傾けて、きゅっと一気に呑み干された。
「今日だって、勇気出して聞いたんだよ。あんた、辞めてまた一緒に遊ぼうって」
「ああ、今日の妖精メイドさんね」
「そしたらさ。駄目だって。他のやつにも、たくさんそう言った。
でも、仕事仲間っていうの? 立場っていうの? てーさいっていうの?
そんなもん気にしちゃってんのよ、妖精の癖に。昔の友達より、そっちのが大事になっちゃってんだよ」
おっと、まずいかもしれない。
どんどん饒舌になって、目に涙を浮かべて訴えかけてくる。
「だから、働いてるやつはそうなるんじゃないかって! リグルも! みすちーも!」
「チルノ、大丈夫? ずいぶん酔ってきてない?」
「酔ってないよ! いいからちょうだい!」
「飲んでばっかりじゃすぐつぶれちゃうよ? ほら、おでんもいっぱいあるから、どーぞ」
今日の主役の豆腐さん。おでんにすれば厚揚げさん。
出汁は昼に寝かせていた分、旨みが一層増している。
おでんの暖かさは、冷えた心さえ癒してくれるはずだ。
「ほら、偶には暖かいままで食べちゃってよ」
「いーやーだー! 熱いのはいやなの!」
「大丈夫、少し冷ましてるから。ほら、口開けて!」
疑いの眼差しを向けながら、おずおずとチルノは口を開けた。
そこに、ひょいと厚揚げさんを突っ込んだ。
最初はびっくりしたみたいだけど、すぐにほっぺたが緩んでいた。
「うわ、何これ。おいしい」
「でしょ? これでも随分、研究したんだから」
「うん、いい仕事、してりゅ……」
ついに酒がまわってきたか。
ほっぺたをテーブルに乗せて、ふにゃふにゃ言い出した。
「リグルもルーミアも、来るかなあ?」
「今晩はもう無理じゃないかな。でも、いつかきっと来るって」
「そっかあ。良かったー。うん、良かった……」
「帰ってくるんだから。絶対に」
自分に言い聞かせるように、つぶやいた。
「……今日は、ごめんね?」
「いいんだって。気にしないの。今日のことはすっかり忘れちゃいなさいな」
「あたい、最強だから忘れないよ?」
「あはは、それを聞いたらちょっと安心するよ」
「ほんとに忘れたくなーいの。みすちー、変に優しい日だったし」
「そう、かな?」
「そうだよ……。それで、あたいは……。あたいはー……」
チルノ、とうとう目蓋が重力に逆らえなくなってきている。
そのままぱたりと、テーブルに寄りかかってしまった。
今日はこのままお泊りコースですか、そうですか。
夜はそこそこに冷える。
チルノは冷やしとけばいいとは思ったけど、可哀想だから薄布くらいはかけてやることにした。
「あたいは、知らないから、よく分かんないけどさ……」
起きているやら、寝ているやら。
うとうとしながら彼女が、ぽつんと私につぶやいた。
「みすちーって、お母さんって感じがする」
心臓がビッグバンを起こした。
どっきりさせやがって。仕返ししちゃうぞ、この。
チルノの頭にそっと手を乗せ、柔らかく撫でてやる。
小さな頭を撫でるたび、彼女がどんどん、か弱い存在に思えてくる。
ずっとそうしていると、いつの間にか、すうすうと穏やかな寝息が立っていた。
とろけてしまいそうな寝顔を見ていると、私までほっとしてしまう。
「お休み、チルノ」
上下する彼女の肩を見守りながら、私は紅提灯の灯をゆっくりと消した。
「それから……。お帰りなさい」
ほんのり甘辛いあぶらげと、とろっとした餅のハーモニーが心地よい、巾着。
白滝の、口の中でぷりぷりと踊る食感も捨てがたい。
「これで、冬だったら完璧だったのにね」
早速、リグルから突っ込みをもらった。
夜とはいえ、そろそろ夏も本番直前という時期だ。それなりに暑い。
屋台の新メニュー、熱々おでん。
自信作なんだけど、食べるほうも作るほうも、汗だくだくじゃ敵わない。
「うーん、やっぱり冷たいのが良かったかなあ。素麺とか、冷奴とか」
「ううん、十分おいしいよ。冬じゃないのがもったいないって思っただけだから」
「そう? それならいいんだけれど……」
問題はやつだ。
常連客の、もう一名様のほう。
彼女にとっては、死活問題という次元の話だ。大丈夫だろうか。
「チルノ、えーっと、その……。大丈夫?」
「ん? 全然、へっちゃらだよ。ふーふーすればひんやりだもん」
冷やしおでんはじめました。……と言うどころか、凍りついてるのは如何なものか。
チルノよ、今すぐおでんの神様に謝ったほうがいいぞ。
ほら、リグルを見てみろ。あれが礼儀正しいおでんの食べ方なんだ。
ナイフアンドフォークで、はんぺんを寸分の狂いも無く八等分してやがるぜ。
ケーキじゃないんだから。蝋燭乗っけて誕生日でも祝うつもりか、はんぺんで。
それに比べてチルノときたらどうだ。
大根って、あんなガリガリ鳴らして食べるものだったっけ。
あと、ちくわはアイスキャンディーじゃないから。そこんとこよろしく。
「できれば温かいままで食べてほしいんだけど、しょうがないよねえ」
「冷たくてもいいんだって。何ていうの? 白滝の、口の中でバリボリと踊る……」
「それ踊ってないよ!? むしろ複雑骨折してるから!」
「まあまあ、冷めてもおいしいってことなんじゃないの?」
「えー。そういうことになるのかなあ」
「なるって。だから、きっと新しいお客さんも来てくれるはずだよ」
新しいお客、かあ。今はもう気にしていないのに、この虫むしQったら。
焼き鳥撲滅だーとか言ってた、オープンしたての頃だったかな。
その頃はメニューが珍しいとかで、お客さんがいっぱい来てくれてたっけ。
でも、それっきり。串焼きばっかりだったからか、すぐに飽きられてしまったのだ。
残ったのはチルノにリグル、あとはルーミアぐらいなもの。
毎晩のようにどんちゃん騒ぎで、いつの間にやらお馴染みの顔ぶれとなってしまった。
「新しい、お客さんねえ……」
「絶対来てくれるって。冷やしおでん作戦で大儲けだよ!」
「ただ、お客さんがちゃんとお金を払うとは限らないよねー」
「むう、それは私が身をもって知っていますー」
そう。お客が入ったところで、お金になるとは限らない。
むしろ材料を食べられてしまう分、損なのかしら。
それにたくさんお客が来ても、私一人じゃ、どうしてもさばききれないってのもあるし。
お陰で屋台は赤字続き。これからどうやってやっていけばいいのだろう。
人手不足に、財政困難。屋台、続けていけるのかしら。
ただ、リグルだけはあてになるのよね。時々、みんなの分まで払ってくれるもの。
「じゃあ、みすちーは、何で?」
「ええと、チルノさん? 質問は、はっきりとお願いします」
チルノが箸を静かに置いて、じっと眼を見てきた。
会話に、妙に変な間が空いた。
その目が黒くてぼんやりとしていて、何だか不気味に思えてしまう。
「みすちーは何で、屋台なんかやってるの?」
鋭く切り込まれて、返事をすることができない。
むう。私、どうして屋台やってるんだろう。
焼き鳥撲滅のため? ……八目鰻で対抗しても無駄だって分かってきちゃったし。
生活の足しにする? ……収入なんて最初から期待していないし。
歌を歌いたくて? ……屋台なんかなくても歌えるじゃない。
あれ? うわあ、どうしよう。もう何も浮かんでこない。
「親父から受け継いだこの店を俺は守る!」とかそういうのが見つからない。
私、鳥頭だし。何か大切なこと、忘れちゃってるのかなあ。
「……はい、それではリグルさんの回答は?」
「ちょっと、ここで私にふるの!? 駄目だよ、自分のことぐらい分かろうよ!」
「だ、だって。本当に分かんないんだもん!」
「そう。……それじゃあ、今度会うとき、答えを聞こうかな」
「ん、どったのリグル? 今度って?」
「……というわけで、今日はそろそろ、ね」
見ると、お皿の中はすっかりきれい。手荷物をまとめて、帰る気まんまんスタイル。
いつもは屋台を閉めるのを手伝ってくれるんだけど。
「あれ? リグル、今日は早いね」
「あ、うん。えーっとほら、準備というか。いや、体の調子がさ」
「え、リグル、死ぬの!?」
「ちょっとチルノ、縁起でもない! ……えーっと、どこか悪いの?」
「うん。ほら、最近は蛍のシーズン、過ぎたから……」
繁殖期を終えると、蛍は一生の役目を終えてしまう。
死に行く仲間を見守ることしかできないのは、辛いだろうなあ。
私も、小鳥なんかが死んでたり、焼き鳥なんかを見るとショックだもん。
妖怪の健康は心から。
この時期はリグルにとって、残酷かもしれないなあ。
「そっか。それじゃあ、おでんの代金だけど――」
「ご、ごめん。今日もまだ無理。でも、今度は払えるから」
「そう? それじゃあ、つけとくよ?」
「うん、ありがとね」
そういえばリグルはここ最近、ずっとお金を払っていない。
蟲の知らせサービス、辞めちゃったらしいし。
うーん。何かあったのかなあ。
何となく心配に思っていると、リグルはもう、地から足を離していた。
「じゃ、私はそろそろお邪魔するよ」
「あ、いつの間に。リグル、お大事にね」
「バイバイリグルー!」
「うん、それじゃあ二人とも、またね!」
リグルの背中がすうっと宵闇に吸いこまれていく。
ああ、これが、最後の姿だった。
この時から私はずっと、リグルを見なくなってしまったのだ。
リグルがいなくなって、もう一週間になる。
おかしい。リグルは毎日屋台に来ていたのに、ずっと来ない。
その辺の妖怪に聞き込みしても、見てないとばかり言われる。
いよいよ心配になって、ここ三日間探しているのに、見つからない。
もちろん、リグルんちは隅から隅まで探した。みんなで時々遊びに行く、霧の湖の周りも探した。
たくさん蜘蛛の巣を見てみたけど、そのどれにもひっかかっていなかった。
早朝に色んな木に頭突きをしてみたりもしたけど、落ちてきやしない。
神社の軒の下も、台所の隅も探したけど、駄目だった。
そろそろ探す場所も無くなってきている。今日はどこを捜索しようか。
「最近は、蛍のシーズン、過ぎたから……」
ふっと、そんな声が頭をよぎる。
最悪の事態が起きていなければいいんだけど。
「リグルー! リグル、いるー!?」
足元の石をひっくり返しては、リグルがいないか調べてゆく。
おかしいな。よく、こういうところに虫はいっぱいいるのに。
石の裏にもいないとなると、どこにいるのよ。まったく。
地にいないとなると、空か? そう思って、何となしに見上げてみたら。
ああ、何かいる。青いの、いる。
青いの、何か慌てて急降下してきている。
「……みすちー! みすちー! やっと見つけたあ……」
「ちょっとチルノ、どうしたの!? ぼろぼろじゃない!」
「あたい、あたい、リグルを助けようって思ったのに、あたい!」
「ちょっと待て。今何て言った!?」
「リグル、助けたかったのに、できなかった……」
ええと、チルノはリグルを助けようとしていた。
つまり、それは……。
「リグルいたの!? 見つかったのね! やったよ、チルノ最強伝説だよ!」
「な、何言ってんの!? 助けられなかったって言ってるじゃん!」
「あ……。え……?」
「今頃、リグルはこーまかんに捕まって、大変なことになってるんだ!」
「え、何? こうまかん?」
ええっと。リグルが、こうまかんに捕まった?
何で捕まらなくちゃならないんだ。
悪いことでもしたのか? あいつ。
「一体何があったのよ! もっとちゃんと教えて!」
「ええとね。あたい、近くで遊んでたの。それで……。そう、あたい、見たの。
中にリグルが、いたのね。そしたら……。何か、ひどいことされてるの。捕まってるから」
「え、え? 何かされてるの?」
「うーんと……。鞭打ち、とか?」
「む、むちぃ!?」
「あ、違った。えーっと。毒ガス室?」
「大罪人だねリグルったら! 何をやったらそうなるのさ!」
「知らないよ! とにかく、ひどいことされてるんだって!」
「そ、そうなの……!? ど、どうしよう!」
「決まってんでしょ? 一緒にリグルを助けに行こうよ!」
私の手を取って、今にも飛び立とうとするチルノ。
ちょっと待たんかい。状況整理がまだ出来てないんだってば。
「助けに行くったって、一体どこに!?」
「言ったじゃん! こーまかんだってば!」
「え……? それ、地名なの?」
「あ、当たり前でしょ! 何と勘違いしてたのよ!」
「てっきり人名かと……」
広間 寛。四十三歳、独身。
レタスの開発に携わる。
近年は妖精との共同作業により、日照時間の調整に成功。
サニーレタスとして莫大な利益を上げたという。
「そんな名前のやつ、いるわけないでしょ!? みすちーったらこーまかんも知らないの!?」
「じゃあ逆に聞くけど、チルノは知ってるの? こーまかんって何する所なの?」
「え、何するところって言われても……」
「どんなやつがいるの? あんた、ぼろぼろだったじゃん! 強くて怖くて食欲旺盛なやつがいたらどうするの!?」
「だって、あの門番強かったんだもん! 中に入れてくれやしない」
「ほら、チルノ負けたんでしょ? そこ、絶対に危ないところじゃん!」
「でも、リグルが捕まってるんだよ!? 助けなくちゃ!」
「う……。確かにほっとくわけにはいかない、よねえ」
その危ないところにリグルがいるのだ。放っておくのは可哀想にも程がある。
でも、このまま突っ込んで行くのは、勇敢というより無謀だ。
第一、なんて事無いところなら、とっくにチルノ一人で解決しているはずなのに……。
「みすちーと二人なら、絶対門番にも勝てるって! 最強プラスα!」
「さっき負けたのにまだ最強言うか! ……でも、本当に勝てるの?」
私、そんなに弾幕に自信ないし。
弱い者はいくら束になっても、ただの弱い集団になるだけ。
でも、何とかしないと。リグルが捕まってるんだし……。
うーん。こういうとき、まずどうすれば……。
「そうだ、こういう時は、他人に聞けばいいんだよ!」
「……他人に聞く。聞いてどうするのよ」
「ほ、ほら! 強い人は大体、何か弱点があるものなんだよ! 多分……」
「そっか! さすがみすちー、頭いいね!」
「でも残念ながら、誰に聞けばいいのかが分かんないんだけどね……」
「大丈夫、あたい、良いところ知ってるから!」
「良いところ? そんなところ、あったかな……?」
「それがあるの! だから着いてきて、来れば分かるよ!」
「そ、そう? どこだろう……?」
そんな都合のいいところ、あったかしら。
この辺で情報屋さんだなんて、聞いたことがない。
しかもチルノ、人里に向かってるような気がするんだけど。
いいのかなあ。真昼間から妖怪がお訪ねするなんて。いや、夜に行くほうがいけないのかな?
でも、今は緊急事態。チルノに着いていく他、選択肢は無いのだ。
「ほら、ここ、ここ!」
人里の端っこのほうに、黒っぽい洋風の店があった。
塗装がまだ綺麗だから、どうやら最近建てられたものなんだろうな。
その店の看板には、やたら斜体のしゃれた字で、こう書かれていた。
「カクテルバー、ムーンライトカクテル……?」
二回もカクテルって言わなくても。
よほど大事なのね。
「うん、そうだけど。みすちー、忘れてた? ルーミアのお店だよ」
「いやいやもちろん覚えてたよ! ルーミア、お店始めてたんだよね。うん」
「段々、忙しくなってるみたいだよ。最近はお店のことばっかり」
「あ、それならお客さんから、色々聞いてるかもね」
「ルーミアならこうまかんの上手い入り方、知ってるって」
ああ、ルーミア、お店始めてたよね。すっかり忘れかけていたよ。
でも、よりによって飲み屋さんだなんて。何を思って始めたんだ。
「それにしても、中々いい雰囲気の店じゃない? こういうとこに来るの、初めてなの」
「へー。あたいは慣れてるから、どうってこと無いよ。ほら、入ろ、入ろ!」
よりによって、チルノにエスコートされてしまう。何だ、この劣等感は。
手をひっぱられて、そのまま薄暗い店内にご招待されることになってしまった。
店のドアには、「人間お断り」の紙が貼られてあった。
照明はほとんど点いてなく、窓は高そうなカーテンで覆われている。
お陰で、昼間にも関わらず、店内はすっかり暗闇であった。
一歩踏み込むと、近くの席から人相の悪い客がガンを飛ばしてきた。
ここ、私たちが来るような店だったかな……? ちょっと怖い。
図体のでかいおじさん、さっきからずっと睨んでくるし。
ちょっと刺激したら、殴りかかってきそうだよ。
そしてあの鋭い眼光ときたら、目からビームが出てもおかしくない。
その近くにいる頭巾の姉さんなんて、夜は何かに乗ってぶいぶい暴走してそうだもん。
幻想郷的には自転車が限度になるけど。
「チルノ。みすちーも。いらっしゃい」
「ルーミア、来たよー」
「久しぶり、ルーミ……ア!?」
シックな石造りのカウンターに、スポットライトが一つ、点いた。
ぼんやりと照らされる彼女は、白いシャツに黒のベストと、いつもの服装によく似ている。
普段と違うのは、胸元で輝く、真っ赤な蝶ネクタイぐらいなものであった。
だけど、どうしてだろう。
リキュールのたくさん置かれた棚と、涼しげなカウンターの間に立っていて。
その物憂げで涼しい表情で、どこか遠くを見つめていて。
十進法のポーズはどこへやら、グラスを落ち着いた手つきで拭いていて。
そんな彼女はもう、まさしくバーテンダーであった。
カウンターの端には、大きなラッパを引っ付けた蓄音機が置かれてある。
そこから、ムーンライトカクテルがどうたらと歌う、洋楽が心地よいリズムで流れている。
ああ、私はもうすっかり、この雰囲気に酔ってきたのかもしれない。
ジャズのリズムに合わせて、ルーミアが白銀のシェイカーをカランコカランコと躍らせる。
オウ。ヴェリー、テクニシャン。シーイズ、ヴェリーバーテンダー。
ユー、マストノット、イートミー。イエース。
「来店記念の、サービス。ダークアンドホワイト。召し上がれ」
「ジ、ジスイズ? あ、ありが……。センキューヴェリーマッチ!」
「み、みすちーがおかしい……」
グラスを傾け、まずは軽く、一口。
オウ、イエス。ビターテイスト。ほろ苦いカフィーの味がまず、舌に広がる。
アンド、それをカヴァーするように、スウィートなミルクがスプレットドスター。
カフィーとミルクが見事にイリュージョンレーザーして……。
うん。完璧にコーヒー牛乳だ、これ。どう味わってもアルコール0%だよ。
確かにダークアンドホワイトだし、その、おいしいけどさ。
私のときめきが何処かにさよならバイバイしちゃったよ。
「あの……。あたいはイチゴ牛乳ね」
「そういうと思ったよ。……これをどうぞ、ストロベリークライシス」
「あ、ありがと」
「……ところで、今日は突然、どうしたの? 二人とも」
「……ああ、そうだった!」
「そうだよみすちー! リグルだよリグル!」
「リグルがね、こうまかんに捕まったらしいの!」
ルーミアの表情が、一瞬険しくなった。
彼女の紅い目が、一旦ぼんやりと遠くを射て、すっと閉ざされてしまった。
微かに息を吸って、落ち着いた声で彼女は呟いた。
「そう、なのかー」
どうしてこう、一挙一動がクールなんだこいつは。
また、この怪しげな雰囲気に飲み込まれそうになってしまったよ。
とにかく今は、こうまかんとやらの情報を仕入れないと。
「それで、ルーミアが何か知っていたら、教えてほしいの」
「もちろん。構わないよ」
「お客さんからたくさん、じょーほーってのを貰ってるのよね」
「ああ。ちょっとした雑談から、聞いてはならないものまで、それはもう」
聞いてはならないことまで知ってると申すか。
河城にとりの帽子の中身とか、因幡てゐの耳の数とか、秋穣子の帽子にある葡萄の賞味期限とか。
こういうの、全部知ってるんだろうなあ。ああ、気になる。
でも、今はぐっと抑えて。リグルのことが第一だ。
「あのね。私たち、こうまかんにリグルを助けに行きたいの!」
「こうまかん……。やつは危険だよ。それでも行くのかい?」
「もちろん! ……で、でもルーミア。やつって?」
「功馬 勘。カリフラワーの栽培に携わる男で……」
「ちーがーう! こーまかんったら場所の名前なの!」
「そう……なのか?」
ああ、ルーミアがクールから「あったか~い」に変わりつつあるよう。
「ほら、あたいのよくいる霧の湖があるじゃん。あの真ん中に紅いお屋敷があるでしょ?」
「知ってる? 実はそこ、紅魔館っていうお屋敷なんだよ」
「知ってた! あたいでも知ってた!」
「だけど、そこにリグルが捕まってるっていうのは、残念ながら初耳だよ」
「う……そっか。初耳なら、仕方ないか」
そもそもこのことを知っていたら、ルーミアは先に知らせてくれていたはずだ。多分。
有用な情報は手に入らないかも、と思いかけたその時。
ルーミアがにやりと笑った。
「ただ、紅魔館のやつらの弱点なら、知ってるよ」
「弱点、あるんだ!」
「これでやつらもこてんぱんね!」
何という幸運。
弱点があるなら、私たち弱小組でも勝機はある!
「いい? 紅魔館は、吸血鬼のお屋敷なの」
「吸血鬼……。確か、すっごく強かったような……」
「吸血鬼のお屋敷というだけあって、その屋敷に住む者はみんな、吸血鬼という噂なの」
「……」
チルノが黙って俯いてしまった。
彼女なりに怖がってるのかもしれない。
それにしてもみんな吸血鬼か。中々おぞましいお屋敷だなあ。
「その吸血鬼の弱点。日光、もあるけど室内じゃ効果的ではない」
「と、いうことは他に弱点があるの?」
「そう。流水と、大豆製品。これを持っていけば、全員に勝てるはず」
流水と、大豆製品。大豆、製品……。
ん、大豆だって!? あれなら、いけるのでは!
「……うん。チルノ、行ける。紅魔館に勝てるよ!」
「そ、そうなの!? 何か分かったの?」
「分かっちゃったの! ありがとうルーミア、今度奢ってあげる!」
「お役に立てたようで、何より。……それで、よければの話だけど」
「ん、何?」
「その時は、一緒に料理してもいいかな?」
「え? そりゃ、もちろんいいよ。そっか。ルーミアが手伝ってくれるなら、助かるなあ」
「ふふ。元よりみすちーの為。この店を始めた甲斐があったよ」
うん? 私の為というと、どういうことだろう。
むむ、ちょっと気になるけど、今はそれどころじゃない。
弱点が分かった今、紅魔館へ突っ込みたくて、うずうずしてきているのだ!
「……? そ、それじゃ、急ぐよチルノ! ルーミア、また来るね!」
「あ、ちょっとみすちー! ……ルーミア、偶には遊びに来てね」
「近いうちに。それじゃ、またいらっしゃいね」
一旦屋台に引き返し、急いで準備をしに行く。
この作戦なら、吸血鬼を一網打尽にできるはずだ!
待っててリグル、今助けに行くから!
「だ、誰か助けてくださいー! もう、もう食べられませんー!」
「どう? あたい達の力を思い知った!?」
「早く降参しないと、お腹壊しちゃうよー」
名づけて流し冷奴大作戦。
霧の湖をチルノが凍らせ、屋台のおでんの豆腐を乗っける。
これを大量に相手に浴びせることで、流し冷奴のできあがり。
でも門番さんは何を思ったか、垂れ流す豆腐全部を食べきろうとしているのだ。
「まだです! このお屋敷には、豆腐の欠片も入れさせない!」
「なかなかしぶといわね……。みすちー、あと豆腐何個!?」
「大丈夫、まだ二百ちょっとはあるよ」
「え!? に、にひゃく……。うぷっ……」
絶望感からか、門番さんの顔がみるみる青くなっていく。
これでもよくがんばったってば。もともと、豆腐は五百丁ほどあったんだから。
ああ、食べるペースがどんどん落ちていく……。
「せ、せめて麻婆豆腐なら、良かった……」
「か、勝ったのね!? あたい達、最強コンビね!」
「いいのかなあ、こんなので……」
「私が駄目でも、咲夜さんならあなた達なんて……。うう、しゃべるとお腹に響く……」
「へへ! 何が来ても、冷奴がある限りあたい達は負けないわ!」
「アイラブ冷奴! ウィーラブ冷奴!」
「お、お嬢様、すみませ~ん……」
門番さん、地面に突っ伏したまま動かなくなったんだけど、大丈夫かなあ。
むむ、何てことだ。ゆっくりながら立ち上がったぞ!
まだ戦えるというのか。何という根性なんだ。
立ち上がって、私達に向かってくる!
と思いきや、そのまま私たちを尻目に、お腹を押さえながら館内に戻っていった。
ああ、ご愁傷様です……。
「チルノ。私達も、行くよ!」
「オーケー!」
門番さんを追い抜いて、勢いよく正面玄関へ突っ込んでいく。
振り向くと、ぴったりとチルノがついてきていた。
何だか、にっこり笑顔で久々にご機嫌モードだなあ。
遊びじゃないんだぞ、全く。
「あ、ここじゃ水が無いじゃん」
「……ということは、館内じゃ冷奴、流せないじゃない!」
紅魔館に入ってから、ようやく気がついた。
早くも流し冷奴作戦、失敗か。
「仕方ない、ここは冷奴投げつけ作戦しかないみたい」
開いた窓から、さあっと風が吹き込む。
変に静かになっちゃったなあ。
真っ赤な絨毯に、真紅のクロス。天井でさえ薄紅色。
深い紅の空間に、不自然な沈黙が流れた。
廊下を歩いていると、チルノが何も話さなくなったのだ。
あっちをきょろきょろ、こっちをきょろきょろと、挙動不審ここに極めり。
「チルノ、どうかしたの?」
「……え、何か言った?」
「ちょっと、本当にどうしたの。あんまりそわそわしないでよ」
「べ、別に……。初めて入るから、ちょっと緊張してるだけだよ」
「ふうん? チルノにしては、珍しい……。おっと、誰か来るよ!」
メイド姿した妖精が不審そうにこっちを見つめてくる。
すると、チルノは俯いてしまって、バツが悪そうにしてしまう。
かと思えば、はっと顔を上げて、何か言いたげに唇をかみ締めている。
しまった。こういう時は、ばばっと物陰に隠れないといけないのに、ばればれじゃない!
「ど、どちら様です……?」
「ばれちゃ仕方無い、問答無用! 豆符『木綿豆腐が割れる日』、くらえ!」
「ちょ、みすちーどうして勝手に!」
「う、うわあああ! 助けてメイド長!」
ピッチャー、私。
軸足から指先に向かい、力を豆腐に伝えて行く。
鞭のようにしなる腕から、重心が乗りに乗った豆腐が解き放たれる。
渾身のナックルボールが妖精に決まる!
はず、だったのに。
消えた。豆腐、消えた。
うっかり本当の魔球を投げてしまったかしら。
「冷奴一人前、出来上がりました」
妖精メイドがいつの間にか、長身スリムな人間メイドに入れ替わっていた。
そして彼女は何やら一皿、こちらに差し出しているではないか。
投げたはずの豆腐に、ふわふわの鰹節に、青々としたワケギが乗せられている。
更には、色艶からして上等に見える醤油が、ほんのりとかかっていた。
味も極めて優秀。さっぱりとした薬味と、醤油の微かな甘辛さがマッチしていて。
うーむ。美味である。
「絹ごし豆腐だったら、やられるところだった……」
「ちょっとちょっと、何食べて……。うわ、本当の冷奴だ!」
「これ以上お屋敷で豆腐を撒くというのなら、すべて麻婆豆腐にして門番に食べさせてくれるわ!」
「ど、どうしようチルノ! このままじゃ、門番さんが豆腐に飽きて可哀想!」
「どうするもこうするも、こうすればいいのよ!」
私から豆腐を手にしたチルノは、断続的に冷気を放出し始めた。
霧に包まれながら、豆腐の姿が段々と変わってゆく。
……まさか、チルノ!
「どうだ! 必殺、高野豆腐作りよ!」
「チルノすごい! これなら麻婆豆腐にならな、い?」
チルノの握る高野豆腐が一瞬で消える。
と思ったら、またもやお皿の上に乗せられている。
「高野豆腐一人前、出来上がりました」
「い、いつの間に出汁が!」
しかもさりげなくインゲンまで乗せられてしまった。
「みすちー、いけない! このままじゃ一つ残らず料理されちゃう!」
「ほらほら。遊ぶんなら他のところになさいな。豆腐は間に合ってるから」
「あ、遊びに来てるんじゃないんです! 私の友達が捕まってるって聞いたから!」
「はい? ……そんな覚えはないんだけど」
「そうだよみすちー。リグルが捕まるわけないじゃん!」
今こいつ、何て言った。リグルが捕まるわけ、ないだと?
一気に頭がまぜこぜになって、状況が掴めなくなった。
メイドさんが否定するのはともかく、チルノまで!?
まさか、私、騙されてた?
「ああ、リグル。彼女ならいますよ。お会いしたければ、これから用意いたしますが?」
「突然不気味に接客モードだあ。ねえチルノ、どうする? 怪しいよ?」
「行くに決まってんでしょ? えーっと。嘘ついてごめんね、みすちー」
「う、嘘? あ、それより。えっと、会います。お願いします!」
「では、案内いたします。客間に着きましたら、中でしばらくお待ちください。こちらへどうぞ」
メイドさんに誘導されて、長い廊下を歩いていく。
ああ、ようやく変なテンションから開放された気がする。
チルノがよく分からなくなってきたけど、一息ついて落ち着いて話せそうだ。
「では、リグルを呼んできますので、しばらくお待ちください。その間、紅茶をどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
広々とした客間に、大きな机がどっしりと置かれてある。
その周りのふかふかの椅子に、二人仲良く座らされた。
メイドさんが部屋から出て行った後、突然チルノが立ち上がった。
「どしたの、チルノ。トイレとか?」
「いや、そのさ。あたい、行きたい場所があるの」
「行きたい場所? 何か面白そうなとこでもあった?」
「さっき、見たでしょ、妖精。メイドの」
「ああ、いたね。あの娘がどうかしたの?」
「ちょっと、知ってる顔だから。また、話してみたいの。いい、かな?」
「うーん? いいんじゃない? 何か面倒を起こさないでよ?」
「もちろんだよ! じゃあ、ちょっと行ってくる!」
ドアも閉めずに、パタパタとチルノは駆けていった。
……今日のチルノ、何か変だな。
紅茶を頂きながら、今まであったことを整理することにした。
まず、リグルがいなくなった。
いなくなったら、チルノが大変だーとか言って飛んできたな。
リグルを助けようとして、門番さんに追い返されたんだっけ。
で、私がいれば紅魔館にも入れると思って、連れてこられた。
でも、リグルは捕まってなんかいない。多分これが嘘だったらしい。
だけどリグルは、やっぱり紅魔館にいて……。
そして現在、チルノは友達に会いに行きましたとさ。
あー。分かんない。私馬鹿よね。お馬鹿さんだ、私。
色んな事が全然つながって来ない。チルノ、何で嘘ついてたんだ。
そもそもリグル、ここで何やってたんだ。
紅茶が半分くらい無くなったところで、ドアがバタンと閉まった。
そして、コンコンコンとノックが聞こえた。いちいち律儀な。
「そんな改まらなくても。入っていいよー」
「失礼しま……うわ、みすちー!」
「ちょっぴりお久しぶり……ってちょっと、リグル!?」
紺と白を基調とした、頭の先から足の先までふりふりフリル。
妙に丈の短いスカートに、ふわふわの純白のエプロンなんかして。
挙句の果てには触覚におっきなリボンなんかつけちゃってるし。
何だか恥ずかしそうにしながら、リグルは私の前に座った。
「お客さんってみすちーだったの。あの、服はあまり、気にしないでほしいな……」
「気になるよー。リグル、メイドさんにでもなったの?」
「それが、その……。うん、なっちゃったの」
なっちゃったで御座いますか。
リグルが、メイドさん、ねえ……。
「ごめんね、黙ってて。ちょっと、言うの、恥ずかしくってさ」
「あ、うん。びっくりしちゃったよ、突然いなくなって。いっぱい探したよ?」
「うう。本当ごめん。でも、嬉しいな。心配してくれてたなんて」
「いいのいいの。無事って分かっただけで一安心。じゃあ、リグルはここで働いてるんだ」
「そういうこと。その、ずっと前から憧れてて、ね。……似合う?」
「ノーコメントでお願いします」
「うわ、ちょっと、お世辞ですらもらえないなんて!」
「だって、私が突然、巫女服着てきて『似合う?』って聞いてきても困るでしょ?」
「ま、まあそうかも。みすちーが巫女服……。ふふっ」
「あ、笑ったなー!」
「だって、あまりにも似合わな……。ごほん、ノーコメントでお願いします」
「うえ、ひどいー」
「へへーん。おあいこ様だって」
ふう、すっかり和やかムードですな。
これで今日は一件落着……。
じゃないような気がしてならない。
「そうだよ! チルノ! チルノのことだ! 今、チルノも来てるの」
「や、やっぱりいたんだ……」
「やっぱりっていうと、何かあったの?」
「それが、ちょっとあってね……」
和やかムードが一転。
リグルが苦い笑みをこぼしながら、話し始めた。
「その、ルーミアがお店開いたの、覚えてる?」
「あ、当たり前でしょ! そのくらい覚えてるもん」
「よかった。それで、実はその時、チルノと揉めたんだ」
むむ? それは本当に初耳だぞ。
「ルーミアがお店やるって知った途端、私から逃げる気なんだーとか言って、チルノが暴れるの」
「そんなこと、あったんだ……」
「だからルーミアと私で、何とか落ち着かせようとしたんだけど、駄目だった。
最後には、勝手にすればって言って、飛んでいっちゃったの」
「それじゃあ、今のチルノも?」
「多分、そう。メイドなんて辞めちまえって言ってくるよ」
キリリという音がした。
ドアがゆっくりと開かれる。
チルノだ。
嗚咽を漏らしながら、鼻をすすっている。
目の下にはすでに、涙の跡があった。
全身をぶるぶると震わせて、こちらをナイフのような眼差しで睨んだ。
「え、チルノ。……どうしたの?」
「リグルも……だろ」
「ちょっとチルノ? 落ち着こう?」
「リグルも、嫌って言うんだろ!?」
彼女が叫んだ途端に、耳がじんじんと震えた。
涙がもう一粒、チルノの目からこぼれる。
何か言ってあげないといけない。でも、良い言葉が見つからない。
一番冷静だったのは、リグルだった。
「チルノ。まずは落ち着いて。何が嫌なのか、分からないよ」
「嘘つき! あたいが来んのが嫌だから黙ってたんでしょ! メイド、どうせ辞めたくないんでしょ!」
「……うん。ごめんね、これは辞められない」
「やっぱり! そうやってみんなあたいから逃げようとするんだ!」
「そんなことないよ。いつか、お休みとるからさ。その時、屋台でまた一緒に会おう?」
リグルが紅魔館にいても、普通に会うことはできるはずだ。
チルノ、そこまで悲観的にならなくてもいいはずなんだけど。
何か、あるのだろうか。
「なんで。なんでだよ。そんなむきになって、メイドさんしなくていいじゃん……」
「しないといけないの。みすちーの屋台、誰かが支えないと、大変だよ?」
「屋台? そうだ! みすちー! ほら、みすちーも何とか言ってよ!」
「えっと、ここで私!? リグルに!?」
「みすちー、リグルがいなくて寂しそうだったじゃん! リグルが辞めたら、屋台に毎日来るじゃん!」
確かに、心配だってした。できることなら、たくさん顔だって合わせたい。
だけど、そんなことは私の都合でしか、ない。
「……ううん。私も辞めてほしくない。リグル、メイドさんになりたかったんだよね?」
「えっと……。うん。確かに、そうだよ」
「お願い、チルノ。私はよく知らないけど、リグルだって、きっとがんばって夢を叶えたんだよ」
チルノは唇を噛み締めながら、両手でグーを作っていた。
何とか、伝わってくれるといいんだけど。
「せっかく叶えた夢を壊されたら、リグルが可哀想だよ。リグルの気持ち、分かってあげて?」
正直な気持ちを、ぶつけた。
何とか、伝わってくれると、良かったのだけれど。
その敵対的な眼差しは全く消えようとしなかった。
「リグルばっかり味方して。みすちーも。リグルも。みんな、あたいを置いてくんだ」
「それは……違うよ。チルノ、違うって!」
「みんなあたいのこと、置いていくんだ!」
「聞いて! そうじゃなくて、あのね、チルノ! ……その!」
「もういい! あたいだってあんた達、大っ嫌いだから!」
ドアを壊さんばかりに開け放ち、それこそ逃げんとばかりに飛び出してしまった。
「チルノ!」
「みすちー、放っておいてあげて!」
「駄目だよ、追わなきゃ! チルノ、絶対寂しがってる!」
ルーミアとも、リグルとも、チルノは疎外感を味わっているに違いない。
チルノの友達に会った時だって、きっとそんな事があったのだろう。
あの怒りとも嘆きともつかないチルノの行動は、寂しさをぶつけているようにしか、思えなかった。
「だから、行ってくる!」
「ちょっと、みすちー! ……うまくやってね」
リグルの言うとおり、放っておいてあげるのが正解なのかもしれない。
だけど、このまま放っておくと、なんだか取り返しのつかないことになる気がするのだ。
また同じ四人で仲良くお酒を飲み交わす、そんなことが出来なくなるかも知れない。
ただ、そうなると思うと、嫌で嫌で堪らなかったのだ。
チルノの気持ちが知りたい。
その一心で、私は既に空に飛び込んでいた。
「やっぱり、来たね」
霧の湖の、だだっ広い湖面の上だった。そこに彼女は、いた。
チルノがそうしているのか、一面に霧が広がっている。
その水滴の一粒一粒が、夕日をぼんやりと反射していた。
真っ赤な光は湖にも顔を伸ばし、不気味にくるくると揺れ続ける。
日を背に浴びるチルノの長い影が、私をつつく。
「来るよ。もちろん」
飛び出て行ったはずなのに。
彼女は待ち構えていたかのように、湖上に浮かんでいたのだ。
おかしいな。もうすぐ夏本番だというのに、薄ら寒い。
少し、震えが出てきてしまうほどだ。
「チルノ……。教えてほしいよ。あんなに怒っちゃった訳、きっとあると思うの」
ゆっくりと、穏やかになだめるように尋ねた。
一番の、根本的なチルノの率直な気持ちが、知りたかった。
だからこそ、できるだけ刺激しないように、慎重になってしまう。
「せっかく待ってやったというのに、そんなくだらないことを問うんだ」
だけど、チルノはもう苛立ちを隠せない。
苦しそうに瞳が歪み、きりきりと歯と歯がぶつかり合っているのが分かる。
「あんた達が、置いてく」
「置いてく?」
「あたいは大人になれないのに、みんなあたいを置いていくんだ!」
悲痛な叫びが木霊して、湖に波が立っていく。
でも、これで良かった。
チルノの心に、ようやく一歩近づくことができた。
「ねえ」
チルノの冷たい声が、私の脳に溶けていく。
いつか見た、彼女の真っ黒な瞳が、私を射抜いた。
「みすちーは何で、屋台なんかやってるの?」
あの時の言葉。
だけどその意味が、ほんの少しだけ変わってしまった。
「ねえ」
彼女の言わんとすることは、もう分かってしまう。
私を、リグルやルーミアの時のように、引きずり込もうとしている。
だけど、私は。
「辞めちゃおうよ、屋台。それで、あたいともっと遊んでよ。だから、逃げていかないでよ、みすちー……」
あの時の私とは、違う。
もう、あの問いに答えられる。
「それは、駄目。辞めるわけには、いかない」
「そう……。みすちーならひょっとしたら、と思ったけど。残念!」
彼女の手に冷気が込められるのが見えた。
本能的に体を捻らせる。
次の瞬間には、氷塊が私の髪を掠めていた。
「大した理由も無いのに、屋台なんか続けてた癖に!」
「理由なら、あるよ!」
「……ふーん。聞かせてよ、あたいなんかより大切な理由ってのを!」
つい、笑みがこぼれてしまう。
呼吸を整え、指を思いっきり前に突き刺した。
「理由は……あんただ、チルノ!」
「……はあ?」
素っ頓狂な声を上げて、睨んできた。
「何で、あたいなんだよ! あたいのためなら、辞めちゃえよ!」
「働くようになってから、リグルとも、ルーミアとも、遊びにくくなった?」
「当ったり前! あいつらの他も、皆そうなっていくんだ!」
「もし新しく友達ができても、また同じ道を辿るかもしれない」
「そ、そうだよ! 何だよ、そんなこと言って。馬鹿にしてんの!?」
「子どもはいつか働き出していっちゃう。今も昔もこれからも、チルノは取り残されていく」
「聞いてんの!? 分かってるんだよ、あたいだって! あたいが一番、分かってる!」
チルノは妖精だ。
妖怪とはいつか隔たりができてしまい、散り散りになってしまう。
同じ妖精同士でさえも、彼女はほとんど交友関係を持っていない。
妖精として、彼女はあまりに特別な存在だったのだろう。
「でも、私は屋台をやってるよ」
「そうだよ。だからあんたも同じで! あんた、も……!」
もはやチルノは、うまく言葉を続けることができなかった。
手にどんどん力をこめて、ぷるぷると震えている。
虚勢を張るにもほどがあるぞ、チルノ。
「嘘つき。違うって分かっている癖に」
「違う。同じだって。いや、違って同じで、同じが違いで!」
「お馬鹿。屋台を辞めたらどうなるの? もうあんたは私と屋台で馬鹿騒ぎなんて、できなくなるよ?」
「あれ……えっと、あれ?」
屋台を続けないと、逆にチルノと会う機会は減ってしまう。
これは、チルノだけの話じゃない。
「それに、リグルもルーミアも、いつか来るって言ってたじゃない。
屋台がなかったら、二人とも帰ってくる場所、無くなっちゃうよ」
あの賑やかでうるさい日々。
私だって、あの時は毎晩を楽しみにしていたものだ。
また、屋台でいつもの四人で一緒に過ごしたいよ。
「屋台はね、皆のおうちなの。無くなっちゃったら、皆ばらばらになっちゃう」
「……そ、そうなの?」
「私は屋台を辞めないよ。だからチルノ。あなたは、いつでも屋台に帰ってきていいの」
いつしか、霧が止んでいた。
湖面は波ひとつ無い凪となり、沈みかけた夕焼けが名残惜しそうに私達を照らしている。
私も少し興奮していたみたいで、ようやく息が落ち着いてきた。
「置いていかないし、逃げもしないよ、チルノ。同じところに、同じように、私はいるんだから」
「え……。あ、ふえ? ちょっと、待ってよ……」
ずいぶんと混乱しているのだろう。
チルノの顔はもう、くしゃくしゃに縮まっていた。
小さい頭で、精一杯私の言葉を咀嚼しようとしているのだろう。
「いいの? よかったの? いつでも、行けて。あたいを置いてかないで、いいの?」
「当たり前よ! あんたのおうちって思っちゃっていいんだから!」
「そっか。そっか! あたいのおうちか! あは、ははは……」
ぷつっと糸が切れたかのように、チルノは湖に真っ逆さまに落ちていった。
手を伸ばすが、届かず。パシャアと、心地の良い音が響いた。
ぷかぷかと湖面に浮かぶ彼女は、安心しきった笑顔を見せていた。
緊張と不安が無くなって、すっかり緩みきってしまったんだろうな。
全く手間がかかるやつだ。びしょ濡れじゃないか。
一通りくつろがせたら、うちでおでんでも食べさせてやるか。
月明かりも届かない、木の生い茂った獣道。
真っ暗な道を、紅い提灯がほのかに照らす。
今日の屋台は貸切コース。
ほかほかのおでんを相手に、小さなお客さんが奮闘していた。
「あたいだってね。昔はいっぱい、妖精の友達、いっぱいいたのよ」
「どうしたの、突然?」
「だけどさ。メイド妖精募集とか何とかいって、みーんな紅魔館にいっちゃった」
「……そっか」
慣れない冷酒を飲みながら、ぶつぶつと愚痴られる。
大丈夫かなあ、チルノ。無理しちゃって。
「あたいも、きょーみはあったの。でも、止めといたよ」
「ふうん? どうしてなの?」
「馬鹿ね。あたい、妖精じゃん。妖精は遊んでなきゃ、妖精って言わないよ」
「遊ぶのが仕事、ねえ。人間の子どもみたい」
妖精は妖精らしく。
何だかチルノはそこのところを、頑なに守っているんだな。
まさにプロ妖精と言ったところか。
「なのに皆、自分から飛びついてって。馬鹿みたい」
「チルノは釣られないで、頑張ったんだね」
「そうだよ。でも、あいつらはもう駄目になっちゃった……」
「そう、なの?」
「見たんだよ。上司だの部下だので、働いてたんだ、あいつら。あんなの、もう妖精じゃない……」
チルノなりのこだわりがあるんだろうな。
何と声をかけてあげたらいいのかよく分からなくて、無言でお酒を注いであげた。
差し出すと、お猪口をいっぱいに傾けて、きゅっと一気に呑み干された。
「今日だって、勇気出して聞いたんだよ。あんた、辞めてまた一緒に遊ぼうって」
「ああ、今日の妖精メイドさんね」
「そしたらさ。駄目だって。他のやつにも、たくさんそう言った。
でも、仕事仲間っていうの? 立場っていうの? てーさいっていうの?
そんなもん気にしちゃってんのよ、妖精の癖に。昔の友達より、そっちのが大事になっちゃってんだよ」
おっと、まずいかもしれない。
どんどん饒舌になって、目に涙を浮かべて訴えかけてくる。
「だから、働いてるやつはそうなるんじゃないかって! リグルも! みすちーも!」
「チルノ、大丈夫? ずいぶん酔ってきてない?」
「酔ってないよ! いいからちょうだい!」
「飲んでばっかりじゃすぐつぶれちゃうよ? ほら、おでんもいっぱいあるから、どーぞ」
今日の主役の豆腐さん。おでんにすれば厚揚げさん。
出汁は昼に寝かせていた分、旨みが一層増している。
おでんの暖かさは、冷えた心さえ癒してくれるはずだ。
「ほら、偶には暖かいままで食べちゃってよ」
「いーやーだー! 熱いのはいやなの!」
「大丈夫、少し冷ましてるから。ほら、口開けて!」
疑いの眼差しを向けながら、おずおずとチルノは口を開けた。
そこに、ひょいと厚揚げさんを突っ込んだ。
最初はびっくりしたみたいだけど、すぐにほっぺたが緩んでいた。
「うわ、何これ。おいしい」
「でしょ? これでも随分、研究したんだから」
「うん、いい仕事、してりゅ……」
ついに酒がまわってきたか。
ほっぺたをテーブルに乗せて、ふにゃふにゃ言い出した。
「リグルもルーミアも、来るかなあ?」
「今晩はもう無理じゃないかな。でも、いつかきっと来るって」
「そっかあ。良かったー。うん、良かった……」
「帰ってくるんだから。絶対に」
自分に言い聞かせるように、つぶやいた。
「……今日は、ごめんね?」
「いいんだって。気にしないの。今日のことはすっかり忘れちゃいなさいな」
「あたい、最強だから忘れないよ?」
「あはは、それを聞いたらちょっと安心するよ」
「ほんとに忘れたくなーいの。みすちー、変に優しい日だったし」
「そう、かな?」
「そうだよ……。それで、あたいは……。あたいはー……」
チルノ、とうとう目蓋が重力に逆らえなくなってきている。
そのままぱたりと、テーブルに寄りかかってしまった。
今日はこのままお泊りコースですか、そうですか。
夜はそこそこに冷える。
チルノは冷やしとけばいいとは思ったけど、可哀想だから薄布くらいはかけてやることにした。
「あたいは、知らないから、よく分かんないけどさ……」
起きているやら、寝ているやら。
うとうとしながら彼女が、ぽつんと私につぶやいた。
「みすちーって、お母さんって感じがする」
心臓がビッグバンを起こした。
どっきりさせやがって。仕返ししちゃうぞ、この。
チルノの頭にそっと手を乗せ、柔らかく撫でてやる。
小さな頭を撫でるたび、彼女がどんどん、か弱い存在に思えてくる。
ずっとそうしていると、いつの間にか、すうすうと穏やかな寝息が立っていた。
とろけてしまいそうな寝顔を見ていると、私までほっとしてしまう。
「お休み、チルノ」
上下する彼女の肩を見守りながら、私は紅提灯の灯をゆっくりと消した。
「それから……。お帰りなさい」
俺もみすちーのおでん食いたい。
よいお話でした。
>>13
そうなんです。
書き終わった後にがっくり後悔。
原点に返るなら大ちゃん出そうよ自分!
こればっかりは申し訳ないところ。
きっと大ちゃんは木陰でチルノをじっと見守っていたのさ!
>>17
不条理ギャグという響きは大好きだけれど、今回もそうなっていたのかー。
確かに冷奴やリグルを探すみすちーは不条理か。
みすちーにおでんを「あーん」してもらいたい。厚揚げ大好き。
>>25
美鈴も咲夜さんもノリノリです。
でもみすちーに油はノリノリじゃないです。