雨が降る、雨が降る、雨が降る。
風が吹く、風が吹く、風が吹く。
川は溢れ、湖も飛沫を飛ばし、三途の河では運び手が横になっていた。あ、何時も通りだ。
ともかく――幻想郷に、台風がやってきた。
――紅魔館。
堅牢な洋館である、かの館。
けれど、年月とともに綻びが生じるのは致仕方ない。
吹きつける暴風に数少ない硝子窓が悲鳴をあげ、今、その使命を終えようと――
――していたが、持ち直したようだ。
内側から厚い粘着テープを張ったのだろう、揺れが収まっている。
よくよく見れば他の窓も補強されている。見栄えを損なわない出来るだけ透明なものを選んでいる所が流石と言えよう。
そう、流石は‘完全で瀟洒な従者‘だ。
けれど、透明なテープは後で剥がし難くはなかろうか。
……彼女からすれば、『余計な御世話』の一事なのだろう。
事態を的確に予測し行動する。それはそう、彼女の主に限りなく近い。
補強の後も万が一を考え、カーテンを閉める――その直前。
風に舞う、緑の帽子。
――美鈴の補強忘れてたぁぁぁ!?
響く大声。
続く衝撃音。
転倒する‘従者‘。
いや、‘少女‘と呼んだ方が適当か。
少なくとも、鼻を押さえて蹲る姿に‘完全で瀟洒‘は逃げ出したように思える。
極周囲とは言え、人の気配も妖気も感じないのだろう、素以下の状態の彼女は、その、可愛い。
一瞬後には戻ってくる‘完全で瀟洒‘。鼻頭が多少赤いのはご愛嬌。
窓に映る、新たな二つの人影。
一つは小さい。常人の半分ほどの影は、妖精だと認識させるのに十分だ。
もう一つは大きい。振り向く従者よりも大きい。この館で彼女よりも背丈が高い者、つまりは、門番だろう。
影から落ちる黒い点。
両者から滴るそれは、雨だろう。
気まぐれに外に出てしまった妖精を門番が助け、その拍子に帽子が飛んだ――そう言ったところか。
肩を落とす従者。
右手が消えた。胸に当てているのであろう。
しかし、すぐさま肩をいからせる――お説教の時間と言う訳だ。
裏付けるように、二つの影が反応する。
頭を何度も下げる小さな影。
両手を振る大きな影。
そして……カーテンが閉められた。閉めたのは、恐らく門番。
――魔法の森、人形遣いの一軒家。
こんな日だと言うのに、どたばたと激しい音がする。
いや……こんな日だから、だろうか。
彼女は必死になっている。
ドアを開け今まさに出て行こうとする、白黒魔法使いを止めるのに。
「あのねぇ……ざざ降りじゃないの、何考えてるのよ?」
「雨が、風が、あと宴会が、私を呼んでいる!」
「子どもかあんたは!」
「失敬な! 私は少女だぜ」
「少女は台風の日に外なんて出ない!」
尤もだ。
「いや、凄かった。雨で前は見えないわ風で木が飛んでくるわ」
「鬼気迫る顔で言ってんじゃないわよ」
「うむ、実に拙かった。もう一回」
「行くなーっ!」
「あ痛っ」
ハリセン代わりに人形を振るう人形遣い。こなれてきた。黄信号?
「それは爆発しないのか」
「ヒトを爆弾魔みたいに……」
「いや、まぁ」
「ともかく、まず、髪を拭きなさい」
「自然の脅威を舐めるなよ?」
「舐めてるのはあんたでしょうが」
「いや、まぁ」
「……で、何よ?」
「ドロワまでぐっちょりだぜ」
それはもう、濡れ濡れであろう。
「着替え……よりも、お風呂を沸かせた方が早そうね」
なんて事はなく対処されて、凹む魔法使い。
「もっとこうさぁ、面白い反応プリーズ」
「時と場合によるわよ」
「今がその時だ!」
「風邪引きたいの?」
「引きたくはないです」
素直に返答に、人形遣いは頷く――宜しい。
「余は風呂の後に温かい紅茶を所望だぜ」
一転して半眼となる。
けれど、すぐににまと笑う。
ふふ、ではなく、はは、でもなく、にま。
「いいわよ」
「お、珍しく優しい反応」
「私は何時だって優しいわよ?」
「いやいや。ご冗談を」
「いいけど」
振り向き魔法使いを室内へと招く人形遣いは、間違いなく悪戯気な笑みを浮かべていた。
「とっておきのアイスクリームは私の物」
「お前の物は私の物」
「駄目よ。あつあつの紅茶と一緒じゃ、お腹壊すもの」
「てめぇ、それが狙いか!」
「あんたは私が美味しそぉうに食べてる様を見てるだけ」
――おほほのほ。
玄関に残ったのは、そんな可愛らしい哄笑だけだった。
――妖怪獣道。
「やらせはせんっ、やらせはせんぞぉぉぉぉぉっ」
何の台詞だったろうか。
雨風の中、両手を広げて屋台の前に立ちふさがるのはその店主である夜雀だ。
裂帛の気合のお陰か、守るべきものがあるからか、防御陣はほぼ完全。
小さな彼女の小さな屋台は、けれど吹き飛ばされずに済んでいた。
けれども、‘ほぼ‘である。
彼女自身が防御陣の対象に入っていない。
ごっこに没頭しているからか、己の力量を弁えているからか――後者だろう。
何故なら、彼女は‘賢しい‘夜雀だから。
だが――。
降り注ぐ雨。
吹きつける風。
徐々に、だけれど確実に、彼女を蝕む。
夜雀の体力が尽きるのは時間の問題であろう。
「この屋台のチェーン化の暁には、ドレスなど叩いてぴぎゃ!?」
意外と早く、その時がきた。
しかし、夜雀を小さく転倒させたのは風雨ではない。
それに似せられた‘力‘――弾幕は、彼女の額で花となった。
状況に似合わない優雅さで、ふわりと夜雀の前に現れたるは――
「何すんのさ、幽香!?」
――‘花の大妖‘。
「別の服で来るべきだったかしら」
「青の配分が多すぎるよ」
「それもそうね」
何の話か。
「って、それより! いきなり弾幕って何考えてるのよ!?」
置きあがった夜雀が激怒の声をあげる。
尤もな意見に、けれど大妖は揺るがない。
静かに腕をあげ緩やかに指を向け、言う。
「後ろ。屋台、揺れてるわよ」
「しまったぁぁぁ!?」
「冗談よ」
性質が悪い。
「あ、あんたねぇぇぇ……え?」
「だけど、さっきのは私の台詞」
「え、あれ?」
怒りの表情を一転させ、後退さる夜雀。それはそうだろう。
大妖がじりじりと詰め寄ってきているのだから。
しかも、笑っていない。
「何を考えて、この雨と風の中、突っ立っているのよ。
屋台を守ってるんでしょうけど、順序が逆でしょう?
切り盛りする貴女が倒れたら元も子もないでしょうに」
大妖の言葉とその表情。
夜雀が、足を止める。
真っ向から向き合った。
「中にさ、リグルがいるのよ」
‘蟲の王‘は、風雨の寒さに‘力‘を出しきれない。
「それと、ルーミアも」
‘宵闇の少女‘は、そも風で飛ばされやってきていた。
「だから、私が頑張らないと」
――諸々の事情を伝えず、夜雀は言いきった。
「……そ」
――諸々の事情を問うほど、大妖も野暮ではなかった。
「じゃ、私も中に入りましょうっと」
「うぉぉぉい、此処は手伝うところでしょ!?」
「あら酷い。リグルやルーミアは守るのに、私は守ってくれないの?」
叫ぶ夜雀に、胸に両手を当て問う大妖。酷いのはどっちだ。
「やったらぁぁぁぁぁ!!」
咆哮と共に再び仁王立ちとなる夜雀。
何と言うか、自暴自棄。
防御陣を展開する――。
その直前に。
「冗談よ」
「ぐえ!?」
「貴女も中に入りなさい」
後ろ襟を引っ張られたままの態勢で、夜雀は大妖を見上げた。
「でも、全方位展開なんて私には」
「私を誰だと思っているの?」
「‘泌尿器‘の風見幽香」
なにその二つ名。
――ピチューン。
夜雀改め焦げ雀をずるずると引っ張り、大妖は屋台へと足を向ける。
空いたもう片方の腕があげられ、手が開かれた。
その途端、周囲を覆う暖かな妖力。
無論、周囲には、小さな屋台も含まれていた。
「任せなさいな、賢しい夜雀。
尤も、さっきの防御陣だって大したものなのだけれど。
ねぇ、……貴女も、そう思うでしょう?」
呟く大妖に、応えるのは夜雀。
「過大評価だと思うなぁ」
「うっそ、起きてる!?」
「驚く位強いの撃ったんだ!」
リカバリーは一級品か。
ぎゃーぎゃーわいわいと騒ぎながら、フタリは屋台へと入っていった。
――守矢神社。
「大雨暴風……此処は波浪もか」
呟く言葉とは裏腹に、天つ神は縁側で胡坐を組み、泰然としている。
隣に置いてある盆の上の杯を持ち上げた。
唇を湿らせ、続ける。
「私は農耕の神、風雨を司るもの。
この程度の雨風、どうというものか。
蓄えた信仰心を‘力‘に変えずとも潰せよう」
区切り、喉を潤す。
「だが、潰さんよ。
そもそも、潰してどうなる。
より激しい雨が降り、より強い風が吹くようになるだけだ。
自然とはそう言うもんさ。
こっちの都合なんてお構いなし。
我が儘娘の聞かんきとでも言えるかね。
一度成っちまった現象ってのは――当然と言えば当然だが――必然だからね。
そいつを外的要因でどうこうしたってどでかいしっぺ返しがくるだけだ。
私でもどうにもならん程度の、な。
神も人も妖怪も、自然現象は‘防ぐ‘しかないのさ。
事前にどうにかするなら別だがね。
『午前未明に発生しそうな台風を、こんちこれまた一つどうにかお願いしますよ神様神奈子様』とでも言われりゃ考える。
そう、外の連中はそうすりゃよかったんだ。
機械ばかりを信仰するから、結局、被害を軽減する事しかできていない。
まぁ、それだけで進歩と言えなくもないか。
私ら八百万の神は、基本のんびりしているからあてにならんのだろうしね」
くっくっ――と小さく笑う。自嘲気味とも本心愉快とも聞きとれる、そんな響き。
杯を口につけ、垂直に傾ける。
ごくりごくりと、数度、喉を鳴らす。
空になった杯から唇を離し、口を開く。
「……お前は違うみたいだがな」
浮かべる笑みは、間違いなく愉快気なものだった。
「神奈子が惚けた……っ」
ひょこりと庭から顔をだした土着神の声は、悲愴感に満ち満ちていた。
「ケロちゃん風雨に負けろ!」
「いきなり弾幕飛ばすなぁ!?」
「お前が悪い、お前が!」
悪態を口にしつつ放たれる弾幕は、目的を果たせず暗闇の中に消えていく。
目的とはつまり、土着神を泣かす事。
何やってんだか。
舌打ちと共に放られた手拭いで軽く雨を払い、土着神は縁側に腰を下ろした。
「珍しく真面目な顔してるからさ。どったの?」
「ん、少しな。……お前の方は? 湖に行っていたんだろう?」
「今は問題なし。夜明けまで降ったら拙いだろうけどね」
「なら、大丈夫だな」
「あぁ、大丈夫だ」
何でもない事の様に言う天つ神。何でもない事の様に頷く土着神。
彼女たちは、解っているのだ。
夜明けまでに過ぎ去る事を。
「そういやさ」
「ん?」
「‘潰さんよ‘」
「あぁ」
「風、弱くしてんじゃん」
「秋姉妹に頼まれたからね」
「お甘いこって」
冷やかす土着神に、天つ神は、ただ肩を竦めるだけだった。
「そんな調子じゃ、あの子に頼まれたら潰しちゃうんじゃないの?」
「上目遣いでお願いされたら辛抱堪らんかもしれん」
「あのね」
「潰すと思うか?」
「思わないけどさ」
言って、笑いあう二柱。
「あぁ、そうだ、あの子は、早苗は何処に? 私、今日まだ会っていないんだ」
「起きるの遅いんだよ。起きたら起きたで秋姉妹に捕まってたし」
「過ぎた事はどうでもいいんだ。で、あの子は?」
「タイミングがなかったんだろうね。麓に」
「そう、麓に」
笑う天つ神。
笑い返す土着神。
――刹那、動く。
「さぁなえぇぇぇ!」
「行こうとしてんじゃない!」
「だってお前、この雨だぞ、風だぞ!?」
どちらも。飛び立とうとした天つ神は土着神に足首を掴まれていた。
「まぁ……お泊まり確定だろうね」
「カナちゃん風雨に負けべぶらぁ!?」
「行くなっつってんだろ。それに、早苗だけじゃないみたいだし」
地面に叩きつけた天つ神を、立ち上がり抱えあげる土着神。
細い両の腕は、けれどしっかりと役割を果たしている。
小さな嘆息を零す彼女は、優しい微苦笑を浮かべているのだろう。
「行っちゃ、ダメ?」
「ダメ。と言うか」
「んぅ?」
そんな土着神に、天つ神は問うた。
と言うより、おねだりか。
しかも、上目遣いだ。
「辛抱堪らん!」
「ちょ、やめ、みら!?」
「雨さん風さん神奈子はこんなに大きくなりました!」
何の話か。
暫しの後。
天つ神の意見が受け入れられた。
つまり、二柱は室内に戻り……だから、何の話か。
――博麗神社。
少女が一人、縁側で暗い空を眺めていた。
風が彼女の髪をなびかせる。
雨が彼女の服を濡らす。
浮かびあがるラインは山あり谷ありで、つまるところ巫女ではなく――
「早苗さん、中で待ちませんか」
「風邪引いちゃいますよ?」
――大方の予想通り、風祝である。
二つの声。
問うのは庭師。
追随するのは月兎。
室内から出てきたフタリに振り返り、風祝は応える。
「あ、準備を進めなくてはいけませんでしたね」
返答に、フタリは顔を見合わせた。
「私たちが着いた頃には終わっていたような……」
「まさか此処にあれだけの食材があるとは思いませんでした」
「『適当に用意しといて』との事でしたので。霊夢さん秘蔵の品です」
さらりと言う風祝に、庭師は顔を青くし月兎は喉に手をあてた。
「量はともかく執念にかけては幽々子様に勝るとも劣らない、あの霊夢の!?」
「食べちゃった! 私がっつり食べちゃった!?」
あな恐ろしや。
騒ぐフタリをよそに、当の風祝は平然としたものである。
「冷めてしまいますから、食べて頂いてよかったんです」
むしろ、若干怒り気味。
「霊夢さんにも非はありますし」
「まぁ……珍しくアポありですもんね」
「本格的に降り始める前に着けて助かりました」
因みに、魔法使いと人形遣いも参加予定ではあったそうだ。
「えっと……でも、霊夢、人の里に行ったんですよね。様子を見てくるって」
「わ、巫女らしい! 役に立つかどうかは置いといて」
「うどんげさん、しー!」
宥める言葉をかける庭師。
すかさず潰す月兎。
フタリの様子に、風祝は漸く微苦笑を浮かべた。
「お気を使わせてすいません、妖夢さん、うどんげさん。
怒って……ない訳ではないですけど。
……待ちたいんです」
空を見上げる風祝。
雨が彼女に降りかかる。
風が彼女を吹きつける。
展開している防御陣は、既に随分と疲弊していた。
「此処で、待ちたいんです」
神社にも、勿論玄関はある。
けれど、此処に訪れる大概の人妖は、縁側にまず舞い降りる。
それはそう、主人である巫女自身も同じだった。
風祝の願いは、だから、誰よりも先に巫女を迎える事。
落ちついた顔で浮かべる表情に滲む決意の色は、相当に固そうだ。
とは言え、それが見えるのは外側からだけである。
要は、庭師と月兎には見えない。
フタリは頷き合った。
「早苗さん! マシュマロ、私秘蔵のマシュマロが此処に!」
「え、妖夢そんなの持ってたっけ?」
「いや、あの、半霊ですけど……」
食で釣る庭師。
「せめて、傘を……あ、カッパ! 妖夢が着てきた黄色いカッパを!」
「幽々子様が! 幽々子様が無理やり……!」
「可愛かったよ!」
衣を提案する月兎。
風祝の表情が段々と微苦笑に変わる。
共に、その決意も緩まった。
仕方あるまい。
彼女の想いは確かに強かったが、フタリの思いも弱くはないのだから。
「そうだ、じゃあ、ちゃぶ台を動かそう!」
重なる声に、風祝が振り向く。
「うどんげさん、カッパは多分、その、着れません」
「そっか、色々大きいですもんね」
「どーせ! どーせ!」
「妖夢さん、マシュマロなら其処にも揺れています」
「あ、尻尾。そういうのもあるのか!」
「食べちゃダメー!?」
喚くフタリにくすくすと笑う風祝。割と酷い。
各々に対して一勝一敗と言うところか。
何故なら、彼女は既に負けていた。
フタリの思いは、願いは、風祝へと届いたのだ。
両手を床につき立ち上がり、風祝は縁側から室内へと戻った。
けれど、境の障子はそのままで、閉め忘れている。
――否。彼女は彼女の意思でそうしたのだろう。
帰ってくる巫女の気配を、誰よりも先に捉える為に。
だから、手を開き、覆う。
雨は、風は、防がれた――。
――。
――。
――。
――隙間。
「ただいま戻りました、紫様」
「はぁい、おかえり、藍……っぽい何か」
「幾らなんでも失礼な!」
「や、だって、髪に雨が服に葉っぱが」
「マヨヒガで結界を張っていましたから」
「そうなの?」
「なんです。外は台風ですよ」
「ふーん」
「ふーん……って。それだけですか」
「藍、ゆかりん怖いの! 守って!」
「橙に四十結界を張ったので、無理です」
「貴女ね、式を守ってどうす……四十!?」
「ええ。ヨンマル。少々疲れました」
「充実した疲労感漂わせてるんじゃないわよ」
「そうですね」
「でしょう?」
「まだ早かった。他の所もあたらないと」
「あのね」
「ですが、ほどほどに大きい台風ですし」
「適当にやってるでしょ」
「てきとうって……」
「いいから。お風呂に入ってきなさい」
「沸いているんですか?」
「私も入った所だもの」
「のんびりされたもので」
「冷たい視線を感じるわ!?」
「向けてませんて。では」
「あ、そうだ、ねぇ藍」
「頂きます――と、なんです?」
「『やらせはせんぞ』って何の台詞だっけ?」
<了>
風が吹く、風が吹く、風が吹く。
川は溢れ、湖も飛沫を飛ばし、三途の河では運び手が横になっていた。あ、何時も通りだ。
ともかく――幻想郷に、台風がやってきた。
――紅魔館。
堅牢な洋館である、かの館。
けれど、年月とともに綻びが生じるのは致仕方ない。
吹きつける暴風に数少ない硝子窓が悲鳴をあげ、今、その使命を終えようと――
――していたが、持ち直したようだ。
内側から厚い粘着テープを張ったのだろう、揺れが収まっている。
よくよく見れば他の窓も補強されている。見栄えを損なわない出来るだけ透明なものを選んでいる所が流石と言えよう。
そう、流石は‘完全で瀟洒な従者‘だ。
けれど、透明なテープは後で剥がし難くはなかろうか。
……彼女からすれば、『余計な御世話』の一事なのだろう。
事態を的確に予測し行動する。それはそう、彼女の主に限りなく近い。
補強の後も万が一を考え、カーテンを閉める――その直前。
風に舞う、緑の帽子。
――美鈴の補強忘れてたぁぁぁ!?
響く大声。
続く衝撃音。
転倒する‘従者‘。
いや、‘少女‘と呼んだ方が適当か。
少なくとも、鼻を押さえて蹲る姿に‘完全で瀟洒‘は逃げ出したように思える。
極周囲とは言え、人の気配も妖気も感じないのだろう、素以下の状態の彼女は、その、可愛い。
一瞬後には戻ってくる‘完全で瀟洒‘。鼻頭が多少赤いのはご愛嬌。
窓に映る、新たな二つの人影。
一つは小さい。常人の半分ほどの影は、妖精だと認識させるのに十分だ。
もう一つは大きい。振り向く従者よりも大きい。この館で彼女よりも背丈が高い者、つまりは、門番だろう。
影から落ちる黒い点。
両者から滴るそれは、雨だろう。
気まぐれに外に出てしまった妖精を門番が助け、その拍子に帽子が飛んだ――そう言ったところか。
肩を落とす従者。
右手が消えた。胸に当てているのであろう。
しかし、すぐさま肩をいからせる――お説教の時間と言う訳だ。
裏付けるように、二つの影が反応する。
頭を何度も下げる小さな影。
両手を振る大きな影。
そして……カーテンが閉められた。閉めたのは、恐らく門番。
――魔法の森、人形遣いの一軒家。
こんな日だと言うのに、どたばたと激しい音がする。
いや……こんな日だから、だろうか。
彼女は必死になっている。
ドアを開け今まさに出て行こうとする、白黒魔法使いを止めるのに。
「あのねぇ……ざざ降りじゃないの、何考えてるのよ?」
「雨が、風が、あと宴会が、私を呼んでいる!」
「子どもかあんたは!」
「失敬な! 私は少女だぜ」
「少女は台風の日に外なんて出ない!」
尤もだ。
「いや、凄かった。雨で前は見えないわ風で木が飛んでくるわ」
「鬼気迫る顔で言ってんじゃないわよ」
「うむ、実に拙かった。もう一回」
「行くなーっ!」
「あ痛っ」
ハリセン代わりに人形を振るう人形遣い。こなれてきた。黄信号?
「それは爆発しないのか」
「ヒトを爆弾魔みたいに……」
「いや、まぁ」
「ともかく、まず、髪を拭きなさい」
「自然の脅威を舐めるなよ?」
「舐めてるのはあんたでしょうが」
「いや、まぁ」
「……で、何よ?」
「ドロワまでぐっちょりだぜ」
それはもう、濡れ濡れであろう。
「着替え……よりも、お風呂を沸かせた方が早そうね」
なんて事はなく対処されて、凹む魔法使い。
「もっとこうさぁ、面白い反応プリーズ」
「時と場合によるわよ」
「今がその時だ!」
「風邪引きたいの?」
「引きたくはないです」
素直に返答に、人形遣いは頷く――宜しい。
「余は風呂の後に温かい紅茶を所望だぜ」
一転して半眼となる。
けれど、すぐににまと笑う。
ふふ、ではなく、はは、でもなく、にま。
「いいわよ」
「お、珍しく優しい反応」
「私は何時だって優しいわよ?」
「いやいや。ご冗談を」
「いいけど」
振り向き魔法使いを室内へと招く人形遣いは、間違いなく悪戯気な笑みを浮かべていた。
「とっておきのアイスクリームは私の物」
「お前の物は私の物」
「駄目よ。あつあつの紅茶と一緒じゃ、お腹壊すもの」
「てめぇ、それが狙いか!」
「あんたは私が美味しそぉうに食べてる様を見てるだけ」
――おほほのほ。
玄関に残ったのは、そんな可愛らしい哄笑だけだった。
――妖怪獣道。
「やらせはせんっ、やらせはせんぞぉぉぉぉぉっ」
何の台詞だったろうか。
雨風の中、両手を広げて屋台の前に立ちふさがるのはその店主である夜雀だ。
裂帛の気合のお陰か、守るべきものがあるからか、防御陣はほぼ完全。
小さな彼女の小さな屋台は、けれど吹き飛ばされずに済んでいた。
けれども、‘ほぼ‘である。
彼女自身が防御陣の対象に入っていない。
ごっこに没頭しているからか、己の力量を弁えているからか――後者だろう。
何故なら、彼女は‘賢しい‘夜雀だから。
だが――。
降り注ぐ雨。
吹きつける風。
徐々に、だけれど確実に、彼女を蝕む。
夜雀の体力が尽きるのは時間の問題であろう。
「この屋台のチェーン化の暁には、ドレスなど叩いてぴぎゃ!?」
意外と早く、その時がきた。
しかし、夜雀を小さく転倒させたのは風雨ではない。
それに似せられた‘力‘――弾幕は、彼女の額で花となった。
状況に似合わない優雅さで、ふわりと夜雀の前に現れたるは――
「何すんのさ、幽香!?」
――‘花の大妖‘。
「別の服で来るべきだったかしら」
「青の配分が多すぎるよ」
「それもそうね」
何の話か。
「って、それより! いきなり弾幕って何考えてるのよ!?」
置きあがった夜雀が激怒の声をあげる。
尤もな意見に、けれど大妖は揺るがない。
静かに腕をあげ緩やかに指を向け、言う。
「後ろ。屋台、揺れてるわよ」
「しまったぁぁぁ!?」
「冗談よ」
性質が悪い。
「あ、あんたねぇぇぇ……え?」
「だけど、さっきのは私の台詞」
「え、あれ?」
怒りの表情を一転させ、後退さる夜雀。それはそうだろう。
大妖がじりじりと詰め寄ってきているのだから。
しかも、笑っていない。
「何を考えて、この雨と風の中、突っ立っているのよ。
屋台を守ってるんでしょうけど、順序が逆でしょう?
切り盛りする貴女が倒れたら元も子もないでしょうに」
大妖の言葉とその表情。
夜雀が、足を止める。
真っ向から向き合った。
「中にさ、リグルがいるのよ」
‘蟲の王‘は、風雨の寒さに‘力‘を出しきれない。
「それと、ルーミアも」
‘宵闇の少女‘は、そも風で飛ばされやってきていた。
「だから、私が頑張らないと」
――諸々の事情を伝えず、夜雀は言いきった。
「……そ」
――諸々の事情を問うほど、大妖も野暮ではなかった。
「じゃ、私も中に入りましょうっと」
「うぉぉぉい、此処は手伝うところでしょ!?」
「あら酷い。リグルやルーミアは守るのに、私は守ってくれないの?」
叫ぶ夜雀に、胸に両手を当て問う大妖。酷いのはどっちだ。
「やったらぁぁぁぁぁ!!」
咆哮と共に再び仁王立ちとなる夜雀。
何と言うか、自暴自棄。
防御陣を展開する――。
その直前に。
「冗談よ」
「ぐえ!?」
「貴女も中に入りなさい」
後ろ襟を引っ張られたままの態勢で、夜雀は大妖を見上げた。
「でも、全方位展開なんて私には」
「私を誰だと思っているの?」
「‘泌尿器‘の風見幽香」
なにその二つ名。
――ピチューン。
夜雀改め焦げ雀をずるずると引っ張り、大妖は屋台へと足を向ける。
空いたもう片方の腕があげられ、手が開かれた。
その途端、周囲を覆う暖かな妖力。
無論、周囲には、小さな屋台も含まれていた。
「任せなさいな、賢しい夜雀。
尤も、さっきの防御陣だって大したものなのだけれど。
ねぇ、……貴女も、そう思うでしょう?」
呟く大妖に、応えるのは夜雀。
「過大評価だと思うなぁ」
「うっそ、起きてる!?」
「驚く位強いの撃ったんだ!」
リカバリーは一級品か。
ぎゃーぎゃーわいわいと騒ぎながら、フタリは屋台へと入っていった。
――守矢神社。
「大雨暴風……此処は波浪もか」
呟く言葉とは裏腹に、天つ神は縁側で胡坐を組み、泰然としている。
隣に置いてある盆の上の杯を持ち上げた。
唇を湿らせ、続ける。
「私は農耕の神、風雨を司るもの。
この程度の雨風、どうというものか。
蓄えた信仰心を‘力‘に変えずとも潰せよう」
区切り、喉を潤す。
「だが、潰さんよ。
そもそも、潰してどうなる。
より激しい雨が降り、より強い風が吹くようになるだけだ。
自然とはそう言うもんさ。
こっちの都合なんてお構いなし。
我が儘娘の聞かんきとでも言えるかね。
一度成っちまった現象ってのは――当然と言えば当然だが――必然だからね。
そいつを外的要因でどうこうしたってどでかいしっぺ返しがくるだけだ。
私でもどうにもならん程度の、な。
神も人も妖怪も、自然現象は‘防ぐ‘しかないのさ。
事前にどうにかするなら別だがね。
『午前未明に発生しそうな台風を、こんちこれまた一つどうにかお願いしますよ神様神奈子様』とでも言われりゃ考える。
そう、外の連中はそうすりゃよかったんだ。
機械ばかりを信仰するから、結局、被害を軽減する事しかできていない。
まぁ、それだけで進歩と言えなくもないか。
私ら八百万の神は、基本のんびりしているからあてにならんのだろうしね」
くっくっ――と小さく笑う。自嘲気味とも本心愉快とも聞きとれる、そんな響き。
杯を口につけ、垂直に傾ける。
ごくりごくりと、数度、喉を鳴らす。
空になった杯から唇を離し、口を開く。
「……お前は違うみたいだがな」
浮かべる笑みは、間違いなく愉快気なものだった。
「神奈子が惚けた……っ」
ひょこりと庭から顔をだした土着神の声は、悲愴感に満ち満ちていた。
「ケロちゃん風雨に負けろ!」
「いきなり弾幕飛ばすなぁ!?」
「お前が悪い、お前が!」
悪態を口にしつつ放たれる弾幕は、目的を果たせず暗闇の中に消えていく。
目的とはつまり、土着神を泣かす事。
何やってんだか。
舌打ちと共に放られた手拭いで軽く雨を払い、土着神は縁側に腰を下ろした。
「珍しく真面目な顔してるからさ。どったの?」
「ん、少しな。……お前の方は? 湖に行っていたんだろう?」
「今は問題なし。夜明けまで降ったら拙いだろうけどね」
「なら、大丈夫だな」
「あぁ、大丈夫だ」
何でもない事の様に言う天つ神。何でもない事の様に頷く土着神。
彼女たちは、解っているのだ。
夜明けまでに過ぎ去る事を。
「そういやさ」
「ん?」
「‘潰さんよ‘」
「あぁ」
「風、弱くしてんじゃん」
「秋姉妹に頼まれたからね」
「お甘いこって」
冷やかす土着神に、天つ神は、ただ肩を竦めるだけだった。
「そんな調子じゃ、あの子に頼まれたら潰しちゃうんじゃないの?」
「上目遣いでお願いされたら辛抱堪らんかもしれん」
「あのね」
「潰すと思うか?」
「思わないけどさ」
言って、笑いあう二柱。
「あぁ、そうだ、あの子は、早苗は何処に? 私、今日まだ会っていないんだ」
「起きるの遅いんだよ。起きたら起きたで秋姉妹に捕まってたし」
「過ぎた事はどうでもいいんだ。で、あの子は?」
「タイミングがなかったんだろうね。麓に」
「そう、麓に」
笑う天つ神。
笑い返す土着神。
――刹那、動く。
「さぁなえぇぇぇ!」
「行こうとしてんじゃない!」
「だってお前、この雨だぞ、風だぞ!?」
どちらも。飛び立とうとした天つ神は土着神に足首を掴まれていた。
「まぁ……お泊まり確定だろうね」
「カナちゃん風雨に負けべぶらぁ!?」
「行くなっつってんだろ。それに、早苗だけじゃないみたいだし」
地面に叩きつけた天つ神を、立ち上がり抱えあげる土着神。
細い両の腕は、けれどしっかりと役割を果たしている。
小さな嘆息を零す彼女は、優しい微苦笑を浮かべているのだろう。
「行っちゃ、ダメ?」
「ダメ。と言うか」
「んぅ?」
そんな土着神に、天つ神は問うた。
と言うより、おねだりか。
しかも、上目遣いだ。
「辛抱堪らん!」
「ちょ、やめ、みら!?」
「雨さん風さん神奈子はこんなに大きくなりました!」
何の話か。
暫しの後。
天つ神の意見が受け入れられた。
つまり、二柱は室内に戻り……だから、何の話か。
――博麗神社。
少女が一人、縁側で暗い空を眺めていた。
風が彼女の髪をなびかせる。
雨が彼女の服を濡らす。
浮かびあがるラインは山あり谷ありで、つまるところ巫女ではなく――
「早苗さん、中で待ちませんか」
「風邪引いちゃいますよ?」
――大方の予想通り、風祝である。
二つの声。
問うのは庭師。
追随するのは月兎。
室内から出てきたフタリに振り返り、風祝は応える。
「あ、準備を進めなくてはいけませんでしたね」
返答に、フタリは顔を見合わせた。
「私たちが着いた頃には終わっていたような……」
「まさか此処にあれだけの食材があるとは思いませんでした」
「『適当に用意しといて』との事でしたので。霊夢さん秘蔵の品です」
さらりと言う風祝に、庭師は顔を青くし月兎は喉に手をあてた。
「量はともかく執念にかけては幽々子様に勝るとも劣らない、あの霊夢の!?」
「食べちゃった! 私がっつり食べちゃった!?」
あな恐ろしや。
騒ぐフタリをよそに、当の風祝は平然としたものである。
「冷めてしまいますから、食べて頂いてよかったんです」
むしろ、若干怒り気味。
「霊夢さんにも非はありますし」
「まぁ……珍しくアポありですもんね」
「本格的に降り始める前に着けて助かりました」
因みに、魔法使いと人形遣いも参加予定ではあったそうだ。
「えっと……でも、霊夢、人の里に行ったんですよね。様子を見てくるって」
「わ、巫女らしい! 役に立つかどうかは置いといて」
「うどんげさん、しー!」
宥める言葉をかける庭師。
すかさず潰す月兎。
フタリの様子に、風祝は漸く微苦笑を浮かべた。
「お気を使わせてすいません、妖夢さん、うどんげさん。
怒って……ない訳ではないですけど。
……待ちたいんです」
空を見上げる風祝。
雨が彼女に降りかかる。
風が彼女を吹きつける。
展開している防御陣は、既に随分と疲弊していた。
「此処で、待ちたいんです」
神社にも、勿論玄関はある。
けれど、此処に訪れる大概の人妖は、縁側にまず舞い降りる。
それはそう、主人である巫女自身も同じだった。
風祝の願いは、だから、誰よりも先に巫女を迎える事。
落ちついた顔で浮かべる表情に滲む決意の色は、相当に固そうだ。
とは言え、それが見えるのは外側からだけである。
要は、庭師と月兎には見えない。
フタリは頷き合った。
「早苗さん! マシュマロ、私秘蔵のマシュマロが此処に!」
「え、妖夢そんなの持ってたっけ?」
「いや、あの、半霊ですけど……」
食で釣る庭師。
「せめて、傘を……あ、カッパ! 妖夢が着てきた黄色いカッパを!」
「幽々子様が! 幽々子様が無理やり……!」
「可愛かったよ!」
衣を提案する月兎。
風祝の表情が段々と微苦笑に変わる。
共に、その決意も緩まった。
仕方あるまい。
彼女の想いは確かに強かったが、フタリの思いも弱くはないのだから。
「そうだ、じゃあ、ちゃぶ台を動かそう!」
重なる声に、風祝が振り向く。
「うどんげさん、カッパは多分、その、着れません」
「そっか、色々大きいですもんね」
「どーせ! どーせ!」
「妖夢さん、マシュマロなら其処にも揺れています」
「あ、尻尾。そういうのもあるのか!」
「食べちゃダメー!?」
喚くフタリにくすくすと笑う風祝。割と酷い。
各々に対して一勝一敗と言うところか。
何故なら、彼女は既に負けていた。
フタリの思いは、願いは、風祝へと届いたのだ。
両手を床につき立ち上がり、風祝は縁側から室内へと戻った。
けれど、境の障子はそのままで、閉め忘れている。
――否。彼女は彼女の意思でそうしたのだろう。
帰ってくる巫女の気配を、誰よりも先に捉える為に。
だから、手を開き、覆う。
雨は、風は、防がれた――。
――。
――。
――。
――隙間。
「ただいま戻りました、紫様」
「はぁい、おかえり、藍……っぽい何か」
「幾らなんでも失礼な!」
「や、だって、髪に雨が服に葉っぱが」
「マヨヒガで結界を張っていましたから」
「そうなの?」
「なんです。外は台風ですよ」
「ふーん」
「ふーん……って。それだけですか」
「藍、ゆかりん怖いの! 守って!」
「橙に四十結界を張ったので、無理です」
「貴女ね、式を守ってどうす……四十!?」
「ええ。ヨンマル。少々疲れました」
「充実した疲労感漂わせてるんじゃないわよ」
「そうですね」
「でしょう?」
「まだ早かった。他の所もあたらないと」
「あのね」
「ですが、ほどほどに大きい台風ですし」
「適当にやってるでしょ」
「てきとうって……」
「いいから。お風呂に入ってきなさい」
「沸いているんですか?」
「私も入った所だもの」
「のんびりされたもので」
「冷たい視線を感じるわ!?」
「向けてませんて。では」
「あ、そうだ、ねぇ藍」
「頂きます――と、なんです?」
「『やらせはせんぞ』って何の台詞だっけ?」
<了>
ええい、絵師は、絵師はおらんのか!
カナちゃんが可愛いww
泌尿器の風見幽香は酷すぎるwww
本当、誰かの心配ばっかりしてるやつらだらけの、やさしい幻想郷ですね。
だがそれがいい