もういいかい?
――まあだだよ
もういいかい?
――まあだだよ
もういいかい?
――まあだだよ
もういいかい?
――もう……
『かくれんぼ』
◇
どこかでフクロウの声がする。
長く、物悲しい声。胸を鷲掴みにされるような心地がした。
私はそっと目を開ける。
どうやら寝過ごしてしまったみたいだ。
日は沈みきり、辺りは暗闇に包まれている。
欠伸をしながらベッドから降りた。ぎい、と鈍い音が上がる。
「咲夜―?」
広々とした部屋の中に私の声が木霊した。
だが、すぐに私の下へ現れるはずの瀟洒な彼女は現れない。
全く。
はっと私は我に帰る。
そうか、今日はかくれんぼの日だ。私が鬼で、みんなが隠れる役。
私は仕方なく寝巻きを脱ぎ捨て、一人で着替えをはじめる。
ほら、ボタンを留める手つきは中々こなれたものじゃないか。
多少苦戦しながらも何とか服を替え、帽子を被る。鏡の前で髪を整える。
その場でくるりと一回転。さあ、フランドール・スカーレットの出来上がりだ。
今日こそは、みんな見つけてやるんだから!
まず私はダイニングに向かった。
空腹感はなかった。妖怪にとって吸血や食事は生存活動ではなく、あくまで一種の娯楽にすぎない。まあ、それでも無性に血が飲みたくなる時というのは確かにあるんだけどさ。
でも、お姉様は私がきちんと食事をとらないとちょっと悲しそうな顔をする。別に食べなきゃ死ぬって訳でもないのに、私に規則正しく健康に生活してもらいたいらしい。
ダイニングは妖精メイド達で溢れかえっていた。
そこにもちろんお姉様たちの姿はない。まだ見つけてないからね。
食事はもう済ませただろうから、今日はゆっくりと探そう。
席に着くとすぐに妖精メイドが食事を運んでくる。
今日のディナーは目覚めにぴったりなトーストとハムエッグ、砂糖とミルクのたっぷり入ったカフェ・ラッテ。ほのかに香る血の匂い。ここでブラックコーヒーなんか飲めれば格好いいんだけど苦くて苦くて。
ディナーなのに目覚めにぴったり、って何か矛盾してるかな?
妖精メイドの作った料理も美味しいけど、咲夜の料理と違ってちょっとしょっぱい。
むしろ私が甘党すぎるのかもね。
なかなか瀟洒に食事を終えると(あんまり食べ物をこぼさなかった!)、私はお姉様――レミリア・スカーレットの部屋へ向かった。お姉様はいつもここに隠れる。
……うん、言っちゃ悪いんだけど、一番見つけやすいんだ。
お姉様は隠れるのも鬼をするのもあんまり上手くない。ちなみに私は隠れる方が得意。「そして誰もいなくなるか?」で余裕だからね。でも、あんまり見つからないから退屈なんだよね。
お姉様の部屋は殺風景な私の部屋と違って派手で綺麗だ。
床はふかふかの真っ赤な絨毯が敷かれている。
中央にどっしり構えるベッドは大きくて回りはカーテンみたいな布で覆われてる。天蓋ベッドって言うんだって。枕が二つあるのはスルーね。
……いいじゃん、たまにはお姉様と寝たって。
覗いてみるとそこには流石にお姉様が寝ている――なんてことは流石になかった。
布団は跳ね飛ばされてくしゃくしゃになっている。私だって自分で畳んでるのになあ。
仕方なく代わりに畳んでいると、いつもお姉様の寝ている場所の隣、ぽっかりと開いたその空間に私そっくりの見覚えのある人形を発見して、私はあわててカーテンを閉めた。
何か見ちゃいけないものを見た気がする。危ない危ない。ほっぺたが熱い。
しばらく部屋の中を探し回り、私はお姉様を見つけた。
自分の体よりサイズの小さいくずかごに頭を突っ込んでいた。当然、腰より下ははみ出している。頭隠して何とやら。この有名なことわざをそのまま体で表現している人を私は初めて見た。
――むう。
お姉様のことだから、真剣に隠れているに違いない。ここは一つ出来る妹としてお姉様の顔を立てておくとしよう。
「あれ? お姉様、今日はここにいないのかなぁ」
くずかごの中にまで聞こえるように少し大きな声を出す。そしてしばらく部屋中を歩き、私は部屋の扉の前に立った。
「やっぱり、ここにはいないみたいだな……」
続いてノブを捻る。これが第二段階。
私があたかもこの部屋の捜索を諦めたかのように思わせるのだ。
すると、図ったようにがさごそとくずかごの中から音がした。……お姉様は放置されるのが大嫌いだからね。
「音がしたわ。やっぱりこの部屋にいるのね」
呟きながらまたしばらく探しまわる。
そして頃合を見計って、私はとうとう足を掴んでくずかごの中のお姉様を引っ張り出した。帽子の先にちり紙がくっついたなんとも情けない姿だ。
「やあやあ愛しいお姉様」
「流石私の妹ね、フラン。なかなか見つけにくかったでしょう?」
私に宙吊りにされたままお姉様があんまりに得意げに胸を張るので私は曖昧に微笑んだ。言わぬが仏ってね。言わないけど、顔に赤く跡がついてる辺りカリスマゼロだよ。
「私カリスマありまくりじゃない!」
言っちゃった。てへ。
「ところで全員見つかったのかしら。もちろん私は最後よね?」
「……」
「え、もしかして、まだ一人見つかってないの?」
私は黙って首を振る。
「じゃ、じゃあ二人くらいよね、残り」
「……お姉様が一番最初よ。美鈴も咲夜もパチェも小悪魔もまだ見つけてないわ」
仕方なく私が伝えると、一瞬激しくお姉様の瞳が揺れた。
それから少し顔を歪めて――小さく寂しそうに微笑んだ。
……何故だか私は焦燥にかられる。
「で、でもお姉様。私は難しい方から攻める派だからね! 美味しいものは最初に食べる派だから!」
「……っ、そうね! やっぱり私がラスボスね! ……でも私、美鈴より先に見つかっちゃったのね……」
一瞬元気を取り戻したものの、お姉様はすぐにぶつぶつ呟き始める。
まあ、回復の早いお姉様だから直ぐに元気になるかな。
他の人も探さないといけないので私はそろそろお暇することにした。
「じゃあね、お姉様。帽子の所のちり紙は取っておいた方がいいよ」
私はひらひらと手を振った。
閉じられていくドアの向こう側で。
お姉様は私に聞こえないように、
――深く、長く、溜め息をついた。
ぶらぶらと廊下を歩きながら、私は次に向かう場所を決めかねていた。
こんな時は――そうだね、靴飛ばしだね。
靴飛ばしは咲夜から教わった外の世界の遊び。天気占いなんかをするんだってさ。靴が表なら晴れ、裏なら雨。それを元にして表なら門、裏なら魔法図書館にしよう。
……えいっ。
蹴った靴をけんけんしながら回収。
私は地下へと足を向けた。
「相変わらず黴臭いね……」
重厚な造りの図書館の扉を押し開けたとたん、むっとした臭気が鼻をついた。古書が多いが故の臭いでもあるのだろうけど、これはちょっといただけない。掃除しろ。
館内は相変わらず暗い。一寸先は闇ってね。ここなら隠れ場所などいくらでもありそうなものだ。
一歩進むごとに足元で小さな埃が踊る。喘息持ちのパチェは大丈夫なのかな。
……ああ、そうか。動かなければ埃も立たないね。
一人で納得。
入り口から奥へと向かえば向かうほど辺りは闇に包まれる。ちなみに例え真っ暗になっても吸血鬼は夜目が利くから安心だ。
所狭しと並ぶ本棚の合間を抜けながら歩く、歩く。
どれくらい歩き続けただろうか。
私の視界が開け、辺りが光で満ちた。眩しさにとっさに目をつむる。
突然の明かりに恐る恐る目開けると、机でパチェが本を読んでいた。
「パチェ、かくれんぼなんだから隠れようよ……」
思わず零れる私の力ないツッコミ。読書に没頭中のパチェは当然華麗にスルーだ。
私はスルーされた腹いせに眼鏡をさりげなく頭上へとずらしてやった。まだ気づかない。
文字が読めなくなったパチェは段々顔を本に近づけていき――ぶつかった。
慌てて眼鏡を戻してあげると、ようやくこちらに振り向いた。
うん、パチェはやっぱり眼鏡がよく似合うね。目の下の隈と少しやつれた頬さえ何とかなれば尚よしだよ。
「フラン、いたずらはやめてちょうだい」
「パチェが隠れてくれないんだもん」
「隠れてたわよ、本棚に囲まれた中に」
その発想はなかった。というか言い訳にしか聞こえないよ。
……まあとにかく見つけられたからいいか。
気を取り直して私は小悪魔探しを開始することにした。
「ねえパチェ、小悪魔はどこにいるか知らない?」
「午前中からそこの本の山の中に埋まってるわ」
「助けようよ!?」
思わず私は叫んでしまった。
「小悪魔だし大丈夫よ。本人は隠れているつもりかもしれないじゃない」
「それはない」
よくよく見ると確かにすぐ傍の本棚から大量の本が流れ出して巨大な山を作っていた。
原因は本の詰めこみすぎだね。棚に入れる規定量を遥かにオーバーしている量だ。
私が慌てて山を掘り進めていくと、うつぶせに倒れている小悪魔が発掘された。抱え起こすがぐったりとしていて脈はない。
「脈がないよ!?」
「ああ大丈夫です……私、こあ、くま……です……ら……」
起き上がった小悪魔はがくり、という効果音と共に私の腕の中で力を失った。
その表情は妙に晴れやかで逆に気味が悪い。
「大丈夫じゃないよねぇ!」
「ほら」
「パチェも、『ほら』じゃないでしょ! どう見ても大丈夫じゃないでしょ!?」
私はぜえはあと息を切らす。ここんとこ運動不足だったからなあ。
思わず舞い上がる埃を吸い込んでゲホゲホしていると、小悪魔が私の背中を叩いてくれた。
……ん? 小悪魔?
驚く私を尻目に、急に元気を取り戻した彼女は舌をぺロリと出して、「小悪魔ですから」と微笑んだ。この悪魔め。
この二人には翻弄されまくりだよ。
私が帰ろうとするとパチェがいきなり本から顔を上げた。
「……ねえフラン。残りは何人かしら」
「美鈴と咲夜だから、二人だね」
「…………そう」
パチェは眉間に皺を寄せ、すぐにいつもの無表情に戻った。
「まあ精々頑張ってね」
「……頑張ってください」
「おうともさー」
いまいち応援成分を感じられないパチェと小悪魔の声援を背に、私は魔法図書館を後にした。
扉を押し開け、なんとなく外へと足を踏み出す。
ぼんやりと明るい紅魔館の中とは違い、外は本当に真っ暗だった。
夜目が利かない人間はとうに活動しない時間である。妖怪の時間だ。
月が隠れてしまっているのはいささか風流に欠けるかな。
ぶらぶらと庭を歩いていると、私はいつの間にか館を一周していた、
困ったなぁ、と頭をかいてみる。
そろそろ門番詰所にでも向かってみようか。
紅魔館の門。
……そこに紅美鈴が生えていた。
正確には、紅美鈴の下半身が地面から突き出し、上半身が埋まっていた。まるでシンクロナイズドスイミングをしているかのようだ。
その足は垂直に天を指し、微動だにしない。……死んでるの?
やっぱり、図書館より先にこっちに来るべきだったかな。
放置しておくわけにもいかないので、勢いよく体を引っこ抜いてみた。
大量の土くれが飛び散り、快い音を立て美鈴は宙を舞った。
ぐちゃり。
ちょっと生理的に嫌な音を立てて地に潰れる。関節がちょっと構造的にありえない方向に曲がっている。
「ああ、中国…………いろいろと楽しかったよ。安らかにね……」
「中国じゃないですよ!? 死んでませんよ?」
跳ね起きしながら美鈴がリザレクション。まあ生きてたのは分かってたけどね。
それにしても、愛用の帽子含め美鈴の全身は泥と傷だらけだ。
「めい……じゃなくて中国、なんとなく予想はつくけど、なんでそんなに傷ついてるの?」
「美鈴で合ってますって。変に訂正されると何かいたたまれませんから! ちなみにこの傷は午前中に魔理沙さんの襲撃にやられたんです。地面に埋まってたのは空からのマスタースパークの絨毯爆撃による被害です」
「どうせ寝起きであんまり動けなかったんでしょ」
「違いますよ! 起きる前に狙撃でやられたんですって!」
……余計悪いよ。寝てたんじゃないか。
「このことは後で咲夜に報告だね」
「っ! ……すみません……」
まあこれくらい美鈴にとっては日常茶飯事だからそんなに気にしないだろう。
……あ、気にしないのは問題だね。
それにしても、と私は美鈴の隣に大の字で横になった。驚く美鈴。
「よく午前中から土の中にいて無事だったねぇ」
「ああ、それですか。私の能力、気を使う程度の能力ですから。ええ、土の中の空『気』の濃度を操って呼吸を保つことぐらい朝飯前です」
……なんか凄いよ、それ。大気中の酸素濃度を操るなんて、どこぞの錬金術師並みに凄いよ。
私が誉めると、美鈴は私は火とかは起こせませんから、とうつむいて照れた。
それから私たちは本当に些細な、他愛のない話をした。
さて――。
私はお尻の泥を払うと立ち上がる。美鈴も慌てて私に倣った。
「そろそろ行くよ、……いいかげん咲夜も見つけてあげないとね」
「そう――……ですね」
「門番頑張ってね。夜の方が危ないんだから」
「ええ。でも、夜はお嬢様と妹様の時間ですから、大丈夫です」
「だからって寝ちゃだめ」
めっ、として微笑むと、私は後ろ手を組んで館の中へと歩く。
さて、完全で瀟洒な従者はどこに隠れているんだろうね。
途中で振り返ると、美鈴はさっきと同じところで天を仰いでいた。
「美鈴ー! どうしたの、星でも見えるー?」
私が尋ねると、やっと聞こえるかどうかという位の小声で美鈴は呟いた。
「いや……雨ですよ……」
――――雨なら私は外に出られないよ、美鈴。
食堂に行ってみた。
冷蔵庫の下まで覗いたけど、咲夜はいなかった。
風呂に行ってみた。
誰もいない浴室は入浴者を待ち、湯気で満ち溢れていた。
客室に行ってみた。
クローゼットの隅まで見たけれど、客どころか鼠一匹いなかった。
大広間に行ってみた。
パーティの時は人妖で賑わうこの場所も、ひっそりと静まり返っている。
メイド達の個室を一つ一つ訪ね歩いた。
私の姿にみんな驚いたり、喜んだり、反応はまちまちだったけどそこにも咲夜の姿はなかった。
どうしよう。――もう、探すところがない。
もうずっと、咲夜を見つけられてない。
今日も、一日が、終わってしまう。
私は廊下で一人うずくまった。
咲夜。
咲夜。
咲夜がいない。
私は鬼なのに。見つけなきゃいけないのに。
どうして見つからないの。どうして何処にもいないの。
夜になって、朝が来て、また夜が来て。
ずっと続く私たちのかくれんぼ。
咲夜だけが見つからない。見つけられない。
また朝が来てしまう。
もういいよ。
もういいよ。私の負けでいい。
「……くや…………咲夜!」
だから、負けでいいから出てきてよ。
咲夜は呼べば出てきてくれるんじゃないの?
肩に手が置かれた。
お姉様の手だ。
「ねぇ、フラン。……咲夜はもう――」
「嫌!」
嫌だ。
お姉様が呼んだら咲夜は来る。……来るに決まってる。来ないはずがないじゃない!
気がついたら私はお姉様の手を振り払っていた。
「痛っ――!」
悲鳴が上がった。
――――紅い。
お姉様の手が、紅い。
紅い、そして甘い、――血だ。
は。
はは。
咲夜は見つからない。目の前が紅い。
どうする?
――どうしようか。
紅、素敵ね。塗り潰したい。
――塗り潰しちゃおうか。
壊しちゃおうか。
「あははははっ――」
この手は真っ赤だ。私には見える。
どす黒い赤。洗っても落ちないの。
落ちないから、分からないように、バレないように、全部真っ赤に塗り潰すの。
コワレロ。
ミンナミンナ、コワレテシマエ。
「――――そこまでよ」
私の脳髄にパチェの声が突き刺さった。
――世界が、現状が私の目の前に帰ってくる。突きつけられる。
お姉様は右肩から先が完全に消え失せ、傷口からは大量の血が流れ出していた。
それでも、お姉様は私を片腕で抱きしめて、泣いていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、――フラン」
「たはは……」
また――やっちゃったんだね……。
物々しい音と共に地下室の鍵が下ろされる。
どんなに暴れても、決して壊れることのない私の部屋。
決して壊せない、開けられない、お姉様とパチェの作った箱。
いつも寝起きしている場所だけれど、閉じ込められたのは久しぶりだった。
最後にここに閉じ込められたのはいつだったろう。あの日も今日のように寒い日だったろうか。
◆
あの日――。
しばらくここで暮らしなさい、というお姉様の声で地下室の扉は閉ざされた。
私は確か、部屋の隅でうずくまっていた。
惨めだった。
自分への苛立ちと悲しみで、どうしようもない気持ちだった。
コンコン。
聞こえるはずもないノックの音がする。
「失礼します」
声に私が顔を上げると、そこには咲夜が立っていた。
いつもと変わらぬ笑みをたたえ、いつもと同じように瀟洒に咲夜が立っていた。
「午前三時ですので、妹様にもお茶をお持ちしないといけないと思いまして」
「今の私はちょっと不安定だから壊しちゃうよ」
「おお怖い」
両手で体をかき抱くようにしながら飄々と述べる咲夜に、私は少しだけ笑ってしまう。
「お茶、もらおうかな」
「はい、かしこまりました」
そして、少しだけ好意に甘えることにした。
二人だけの、小さな茶会が始まった。
乱れ一つない動作で紅茶を淹れ、お茶請けはとりとめもない話。
博麗の巫女が冬の蓄えを忘れ餓死寸前の生活をしている話(これはちょっと笑えなかった)。魔理沙が香霖堂という店に入り浸って店員を気取っているという話。永遠亭で兎競争(ときょうそう)があり、その結果によって兎の格付けがされたという話。
どの話も外をあまり知らない私には面白かった。
一方で、咲夜がここに来た理由は別にあると私は気づいていた。
白玉楼で一日だけ主と従者が入れ替わった話を語り終わった後、案の定、咲夜は少し黙り込んだ。俯き、逡巡の表情を浮かべる。
一拍おいて、咲夜は立ち上がった。そして、意を決したように顔を上げる。
「フラン様、どうかレミリアお嬢様をお恨みにならないで下さい」
それは余りに突飛な発言だったから、私は言葉に詰まってしまった。
すると咲夜は、今度は私に向かって深々と頭を下げたのだ。
私は焦った。お姉様が悪くないことなど百も承知だったから。
咲夜も焦ったように早口で言葉を紡ぐ。
「お嬢様が毎回妹様を閉じ込めているのには理由があるのです、けれどそれをお話しないのは――」
「――私に責任を感じさせないため、でしょ?」
「っ!」
意図しなかったであろう私の発言に咲夜の顔が引きつる。図星。
「……分かってるよ、それくらい」
「そう、ですか」
すっかり意気消沈した咲夜は小さく溜め息をついた。
私だって、初めて地下室に閉じ込められた時はお姉様を恨んだ。
一日中ずっと開かない扉を叩き続け、声を届けようと叫んだ。
でも、何度も閉じ込められるうちに気づいたんだ。
悪いのは、私だ。
今回だって、私は閉じ込められて当然だった。
また傷つけてしまうところだったんだから。
こんなに脆く弱いなんて知らなかった。
構ってくれないパチェに構ってもらおうとしただけなのに。少し遊んでもらおうとしてもらっただけなのに。
危うく親友を壊されかけたお姉様は泣きそうな顔をして、それから静かに怒った。
もういくつも壊した。いくつも傷つけた。
お姉様も、パチェも、小悪魔も、美鈴も、咲夜も、みんな傷つけた。
私は異常だ。なのに何故か、お姉様は私を殺さない
妹だから?
吸血鬼だから?
殺してよ。
もういっそ、殺してよ。殺してください。
お願い。
迷惑かけたくないんだよ。
足を引っ張りたくないんだよ。
壊してしまうのが怖いんだよ。
お願いだよ。
そうすれば楽になるよ。苦しくなくなるんだよ。……私も、みんなも。
幸せに――なれるんだよ。
「私なんか、いない方が――」
パシッ――。
乾いた音が地下室に響いた。しばらくして、熱で咲夜に頬を張られたのだと気づいた。
「失礼しました……けれど、二度とそのような発言はお止めください」
咲夜は怒っていた。これ以上ないくらい怒っていた。傷つけてしまった時さえ全く私を怒らなかったのに。訳が分からなかった。
「そのような発言をフラン様にさせたくないからこそ、レミリアお嬢様は理由をお話にならないのです!」
「だけど実際――!」
手を掲げ、咲夜は私の叫びを制した。
「……そうですね、もうそろそろお話する時かもしれません」
ポツリと咲夜は呟いた。
「ちょっと話をさせて下さい。これ以上妹様が自分を卑下するようなことをおっしゃるようなら、私の堪忍袋が破裂しそうですので。いいですか?」
その有無を言わさぬ口調に私は頷くしかない。
「まずお断りしておきたいのが、この紅魔館内の全員――妖精メイド達含め、妹様のことをお荷物だなどとは思っていません」
「で、でも」
「ホントです」
「…………うん」
それから、咲夜は私に話し始めた。
嘘偽りのない真実、残酷で優しい真実を。
こほん。
本当はこの話をすることはレミリアお嬢様に口止めされていたのですが……。
私は、そろそろ妹様が真実を知る時だと判断しましたし、最終的にはお嬢様も私の裁量に任せてくださいました。
さて、もう薄々気づいていらっしゃるかもしれませんが、お嬢様が妹様を地下室に閉じ込めるのは、妹様の力が暴発する可能性がある時です。
妹様が外で力を制御出来ずに暴発してしまったら、お嬢様やパチュリー様や私では止めることはできません。そうなると紅魔館だけでなく幻想郷の住民に被害が及ぶ恐れがあり、なんとか沈静化できたとしても、幻想郷から私たちが危険分子として追い出されてしまうでしょう。
そして、更によくない事に、今後そのような事態が起こる可能性は極めて高いのです。
……このことが分かった時、お嬢様は紅魔館の住人を全員大広間に集めました。
お嬢様は全ての事情を皆に向かって話しました。そして、ざわつくメイド達に向かって、ゆっくりと口を開き、
「私は全ての運命を統べてみせる。皆の運命も、フランの運命も。 ――千に一つ、万に一つの運命をも私は手繰り寄せてみせるわ」
だから私についてきてほしい――、そう言ってお嬢様は頭を下げました。
はい。レミリアお嬢様が頭を下げたのを見たのは、後にも先にも、あの一回ですねぇ。
この演説のおかげで、メイド達は誰一人として紅魔館を辞めることはなかったのです。驚きですか? お嬢様は実は結構皆から信頼されてるんですよ。ええ、カリスマがあろうとなかろうと、です。
その夜。お嬢様は珍しく自分から私の部屋へ来ました。
私からはしょっちゅう行きま……こほん。
お嬢様は、開口一番、
――――私は、悪者になろうと思う。
こう呟いたのです。
この日からですね。
お嬢様が妹様に対し冷たく当たるようになったのは。
これからもお嬢様は何度でも妹様を閉じ込めなくてはなりません。暴発する可能性があるときはいつでも、妹様が何も悪いことをしていない時でさえ、そういう『運命』が視えたら妹様を閉じ込めなくてはなりません。
妹様にこの事実を伝えたら、おそらく自分自身を責めてしまう。それはお嬢様が一番危惧するところでした。
きっとお嬢様は苦しんだでしょう。一方を選べば愛する妹に恨まれ、他方を選べば愛する妹を傷つけてしまいます。
それでもお嬢様は茨の道を選んだんですよ。
いつかきっと妹様と一緒に共に歩める日を夢見て。
だからフラン様。
決して。決して、二度と!
自分が『いらない子だ』などとおっしゃらないでください。
咲夜の話が終わった。
「どうして――」
「どうしてお姉様は私にそこまでしてくれるの?」
咲夜は私の髪をゆっくりと撫でた。
「可愛い可愛い妹だから、だそうですよ」
もう、耐えられなかった。
視界がぼやけ、熱い雫が零れた。
私は咲夜の胸に顔を埋めて泣いた。
思えば、お姉様に初めて地下室に閉じ込められて泣いた時以来、私は泣いたことがなかった。泣くことでこんなにすっきりするなんて知らなかった。
涙が涸れた後、そのことを咲夜に話すと、咲夜は
「あの時は、お嬢様も地下室の扉の外で座り込んで大泣きしていたんですよ」
さすがは姉妹ですね、と言って微笑んだ。
私は誓った。
どうにもならないこの力。今まで私を振り回してきたこの忌まわしい力を、自分で完全に制御してみせる。そしていつか誰も傷つけないようになると。誰かを救えるようになると。
――それまでは、全てを知ったまま、お姉様の優しさに甘えさせてもらおうと。
「あ、忘れてました」
咲夜は懐から一体の人形を取り出した。それは最愛のお姉様――レミリア・スカーレットの容貌を可愛らしくデフォルメしたものだった。
「え? ……これ、私に?」
「これからも妹様を閉じ込めなくてはいけない時があるかもしれません。そんな時はこの人形を紅魔館の皆だと思って元気を出してくださいね」
「うんっ! ありがとう咲夜!」
やっぱり全員揃っての紅魔館ですね。
そう言って咲夜は微笑んだ。
◇
地下室にはそれ以来閉じ込められることはなかった。
私の部屋だから、寝泊りはずっとここで行っていたけど、それ以外でここにいることを強制されることはなかった。
折角大分力を制御できるようになっていたのに。
私が今日暴れて、お姉様を傷つけてしまう未来までも、お姉様には視えていたのだろうか。
視えていたならなぜ、先に私を閉じ込めようとしなかったのかな。
考えていたら、見つからない咲夜のことを思い出して涙が出てきた。
ねえ咲夜。
みんな揃っての紅魔館じゃないの?
駄目なんだよ。咲夜がいなくちゃ駄目なんだよ。
◆
咲夜から貰ったのはいわゆるマトリョーシカ人形だった。
お姉様人形を分割すると、中から一回り小さいパチェ人形が出てきた。
パチェ人形を分割すると、中から更に小さい小悪魔人形が。
小悪魔を分割すると、もっと小さい美鈴人形が出てきた。
「気に入っていただけましたか?」
美鈴人形は――割れなかった。
「うん……でも……ねえ、なんで咲夜がいないの?」
私が尋ねると咲夜は目を逸らし、必死に動揺を隠そうとするかのように手を弄った。
いつもの瀟洒さは欠片もなく、明らかに様子がおかしかった。
「そ、それは――」
「なんで?」
私は追及の手を止めない。
「別に私はいなくても……人間、ですし」
「駄目だよ!」
自分でも驚くほど大きい声が出た。咲夜はもっと驚いたろう。目が真ん丸になっている。
「咲夜もいなくちゃ駄目なんだよ! みんな揃っての紅魔館でしょ?」
「そう、ですね……」
「そうだよ」
全く、咲夜は何を言い出すんだ。
私は腕を組み、ほっぺたを膨らませて「怒っている」アピールをした。
咲夜を見ると、
「……っく……」
泣いていた。咲夜が。
目から大粒の涙を零して、咲夜が泣いていた。
私は驚いた。
驚いたけど、さっき咲夜がしてくれたように、その小さな背中をゆっくりとあやすようにとんとんと叩いてあげた。
決して壊さないように。傷つけぬように。
その後、咲夜は早速勇んで自らの人形を作りに行った。
しばらくして現れた咲夜が持っていた人形は、他の紅魔館住民のデフォルメされた人形と違って、やたら細かいところまで丁寧に作りこまれているものだった。
その理由を私が尋ねると、
「お嬢様たちの人形は森の人形使いにお願いして作ってもらっていたのですが、行ってみたら留守のようだったので自分で作ってみちゃいました。……お気に召しましたでしょうか?」
そう言って咲夜は照れた。気に入らないはずがない。
そのことを伝えると、咲夜はほっと胸を撫で下ろしたのだった。
私はよく出来た五体を机の上に並べた。
仲良く並ぶ皆と私を交互に眺めて、
やっぱり全員揃っての紅魔館ですね。
そう言って咲夜は微笑んだ。
◇
『これからも妹様を閉じ込めなくてはいけない時があるかもしれません。そんな時はこの人形を紅魔館の皆だと思って元気を出してください』
かつての咲夜の言葉が脳裏にフラッシュバックした。
私は駆け出していた。
布団に飛び込み、その中を隅々まで手でさぐる。
ない。
備え付けられた棚の引き出しを片っ端から引きあける。
ない。
私は泣いていた。
理由も分からず泣いていた。
涙がどうしても止まらなかった。
胸の中で、何か大切なものが音を立てて崩れていった。
本棚から本を片っ端から引きずり出し、中を覗く。
ない。
潜り込んだベッドの下でとうとう私は少し埃を被った“それ”を見つけた。
私は震える手で“それ“を開いていく。
お姉様、パチェ、小悪魔、美鈴。
そして――。
私は、震える声で。
「咲夜、みーつけた」
涙がとめどなく頬を伝う。
ただ、とてつもなく大きい喪失感があった。
「――――見つかってしまいましたか」
頬を染めながら静かに微笑む、咲夜の声が聞こえた気がした。
了.
フランが涙を流しながらマトリョーシカを探す姿が切ないですね……。
でもフランは強い子だからきっと元気になれるさ!
日常からシリアスまでの移り変わりが流れるようだ。
切ない……。最後のあとがきが一番切ない……。
あとレミリアはなんだかんだでカリスマに溢れていると思う。
読み直して各キャラの言動の意味がよくわかった
自分の中で素直に良いと思える話が1つ増えました
画面が、画面がぁ……
SSで泣いたのひさしぶり。
フラン・・・
釣られてよかった…いいはなしだ…
誤字報告
「どうしてお嬢様は私にそこまで~」→フランのセリフなんで「お姉さまは」かな?
美鈴の話に魔理沙が出てきてたけど、それも美鈴の嘘ってことかな
切な過ぎる
気が付いたらPCの前で泣いている自分…
あわせてお読みいただければ幸いです。
この点数は久々に付けたな…80点満点計算イエア
それでも、ちゃんと隠れていたレミリアが健気だ。
みんな、やさしいですね
切ないね。
皆が優しいから、こんなにも切ないんだろうねぇ。
けど切ないな……
良いものを読ませてもらいました。
ありがとうございます。
フラン……;;
そして,それを知りながらも面影を探そうとする純粋なフランが心底愛しいと思った。
残された面々は切ない気持ちだろうに...でも決して咲夜さんのことを忘れたり,
フランの気持ちをないがしろにはしないだろう。
紅魔館とは,場所を意味するのではなく,そこに住まう者の絆を呼ばうことだろうから。
そして,カリスマブレイク気味なおぜうさま。あなたは素敵だ。
>「私は全ての運命を統べてみせる。皆の運命も、フランの運命も。 ――千に一つ、万に一つの運命をも私は手繰り寄せてみせるわ」
この言葉を紡ぐレミリアが,真に上に立つものであることを再認識した。
決意を持って厳と行動することは王道。その決意を言霊に紡ぐ主に心の底から震えた。
解釈見ないと少し分かりにくかったかな。
しかし冷蔵庫の下を覗く妹様が可愛過ぎる。そんなところに隠れられるのは台所の黒い悪魔くらいのものだよフランちゃん。
良い作品をありがとうございました。紅魔館のみんなは、ほんとうにやさしいなぁ…
フランドール最高!
読ませてくれた作者さんに感謝したい。
レミリアが可哀想。
美鈴が可哀想。
小悪魔が可哀想。
パチュリーが可哀想。
咲夜が可哀想。
でも、皆前を向いていて素敵でした。
こういうのは後から来るので、学校で泣いてるかもしれません。
最後のこの一言で一気に込み上げました
危うく泣くところでした……
部屋にいるのに、雨が降ってやがるぜ。
美鈴渋いなぁ。
住民皆の何らかの悲しみが伝わってきて良かった
と思ったら美鈴さん…
あぁもうベッドの上なのに、なんで雨が…(泣)
まあ、最後の行のところはなかなか評価すべきどころだと思う。
いい味を出していた。故にこの点数。
感動しました。
なんか辛い話なのに、なんでだろう……
紅魔家、いいなぁ・・・。感動しました!!
素敵な話だと思いました
これは泣ける話でした。
モニターが曇って見えないよ……
予想はできていても涙腺は対処できませんでした
悲しいけれど、後味はいい話でした。
二度目で涙腺に来る構成ですね
おもしろかったです
とても、いい話でした。
でも読んだ後に嫌な感じが残らなくてさっぱりした気持ちになりました
読んでくださった皆様、ありがとうございますm(_ _)m
今後も精進していきたいと思いますので、応援をよろしくお願いいたします。
それでこそ、咲夜さんwwwメイドだからしょうがない!
でももういけない…ギャグが物悲しいよ…
頑張れフラン
素晴らしい作品を有難うございます。