厳しい冬が終わり、幻想郷に春の足音が聞こえ始めた。早くも春告精を見かけたという噂もちらほらと上り始めている。妖精達の活動も活発になり、目を覚ました自然の息吹を感じる事が出来る。霧の湖を根城にする妖精達も賑やかに、元気にはしゃいでいた。
ただ一匹を除いて。
「ねえねえ、あたいもまぜてよ」
「えー、だってチルノちゃん寒いんだもん」
妖精は暖気を好む。氷の精であるチルノは常に冷気を発しており、当然彼女の周囲は寒い。湖上の妖精達の中でも一番の力を持ち、リーダー各でもあるチルノだがそんな事情もあり彼女に近付きたがる妖精はあまり居なかった。
「なによ! かくれんぼなら大丈夫でしょ!?」
「いいけど、チルノちゃん鬼でも隠れる方でもすぐわかっちゃうし」
「そうそう、寒いからすぐわかるんだよね」
他の妖精達に悪意がある訳ではない。チルノを邪険に扱うつもりもない。ただ、良くも悪くも純粋すぎるだけであった。
「じゃあさ、じゃあさ、カエル捕まえて遊ぼうよ! あたいとっておきの場所知ってるんだ!」
「えー、そんなのつまんないよ」
「なによなによ!」
仲間外れにされた、否定された、そういった諸々の感情が怒りに変わり、そして冷気となりチルノの体から放出される。周囲の気温が急激に下がり、他の妖精達はガタガタと震えながら「寒いよ」「やめてよ」等と口々にチルノを非難する。
「もういいよ! あんた達には教えてやんない!」
チルノは妖精達に向かって「べー」と舌を出し、一人森の方へと駆けて行った。残された妖精達は困惑した面持ちでチルノの後ろ姿を見つめた。
森の中を人里の方向に少し進むと、ぽっかりと開けた場所に出る。その空間の中心には大きな岩があり、その大岩を囲むように小さな岩が円形状に置かれている。そこはチルノのお気に入りの場所であり、大岩の上に寝そべり、木々の隙間から見える丸い青空を見るのが好きだった。この場所が自然に出来たものなのか、誰かが人工的に作ったものかはチルノには判らなかったし、考えようともしなかった。
今頃他の妖精達はみんなで楽しく遊んでいるのだろうか。そんな事をぼんやり思いながらしばらく空を眺めていた。だがそれもすぐに飽き、チルノは体を起こすとキョロキョロと辺りを見渡し始めた。
ここは近くに小さな沼があり、たまに蛙が紛れ込んで来る事があった。それもお気に入りの理由の一つだった。チルノは早速ぴょこぴょこと跳ねる蛙を見つけ、そろりそろりと近付いて行く。そして距離を詰めると勢いよく蛙に飛び掛かった。
「捕まえた! あたいったら最強ね!」
チルノは鼻を鳴らし、手にした蛙を天高く突き上げた。だがそこに歓声を上げる観客や拍手をしてくれる友人は居ない。小さな氷精の心は大きな孤独感に支配されていた。
手の中の蛙がそんなチルノを見てゲコゲコと鳴いた。まるで孤独な彼女を嘲笑うかのように。少なくともチルノにはそう聞こえた。慰めてくれたという発想は今のチルノには浮かびようもなかった。
「このっ!」
蛙を握った手に力を込める。すると蛙は瞬時に凍り付き、活動を停止した。
「どうだっ! あたいを馬鹿にするとこうなるのさ!」
凍り付いた蛙を再び天に突き上げ、勝ち誇る。しかしその行為はチルノの心を更に空虚にするだけであった。
(つまんない……)
普段ならば凍らせた蛙は常温で置いておいたり水に戻すなどして解凍し、解放する。決して命を奪う事はしない。だがこの時、チルノの心を漆黒の感情が支配した。手に持った氷の塊を睨み付ける。そしてチルノは、蛙を閉じ込めた氷の塊を岩に叩き付けようと思い切り腕を振り上げた。
その時──
「ダメ!!」
突然の大きな声にチルノは驚き、振り上げた手から氷の塊がポロリと落ちた。
「あっ! あわあわあわ……」
慌てて両手をバタつかせるチルノだが時既に遅く、凍った蛙はそのまま地面へと落ちて行く。瞬間、声を発したと思しき少女が体ごと地面に滑り込み、氷の塊を抱き抱えるように受け止めた。蛙の無事を確認し、二人同時に「ふ~」と安堵の息を漏らす。
「……何よあんた。 人間?」
チルノは突然現れたその少女を見た。それは人里に何処にでも居るような十歳くらいのごく普通の少女だった。少女は立ち上がると険しい目でチルノを睨み付ける。チルノは思わず怯んだ。
「な、何よ?」
「どうしてこんな酷い事をするの?」
凍った蛙をチルノの鼻先に突き出す。
「ふん、楽しいからに決まってるでしょ!」
「カエルさんだって生きてるんだから死んじゃったら可哀相じゃない!」
「あたい悪くないもん!」
「誰だって、死んじゃうのは嫌だよ……」
そう言うと少女は目にいっぱいの涙を溜め、ぽろぽろと泣き出してしまった。
「あたい、悪くないもん……」
チルノもつられてぽろぽろと泣き出し、ついには二人でわんわんと大声で泣き出してしまった。森の中には二人の少女の泣き声がしばらく響く事となった。
「……それでさー、何で人間がこんな所に居るのよ」
二人は泣き止んだ後、蛙を沼に帰しに行った。今は大岩の上に腰を掛け、ぽっかりと空いた空を眺めていた。
「ここはね、私のお気に入りの場所なんだ」
「そっか! あたいもあたいも!」
「じゃあ、同じだね」
「おんなじ!」
チルノと少女は互いににっこりと微笑みあった。
「見て」
少女は木々の間から覗く空を指差した。
「空がまあるく見えてるでしょう? あの空がトンネルになってて、あそこを潜り抜けるとどんな空にでも行けるの」
「ほんと!?」
「だったらいいなって話だよ」
「なぁんだ」
一瞬目を輝かせたチルノだがすぐに頬を膨らませ、つまらなそうに足をばたばたさせる。
「……私本当はね、外にも出ちゃいけないんだ」
少女は両膝を抱え悲しそうに顔を伏せた。
「どうして?」
「病気なの。お医者様はもう治らないって」
「ふーん」
病気と言われても病を患った事の無いチルノには実感が持てなかった。
「私ね、小さい頃からずっと家の中に居て、殆ど外に出た事無かったの」
「ずっとお家の中に? 退屈じゃなかった?」
「すごく退屈だった。だから外に出た時凄くドキドキしたの」
少女は空のトンネルを見上げ、そこに腕を伸ばし手のひらを広げた。
「この幻想郷の空も凄く広いと思ったんだけど、幻想郷の外にはもっともっと広い世界があるんだって。先生に聞いたの。だから、ひょっとしたらあの空から外の世界の空に行けるんじゃないかって、そう思ったの」
「そっか! じゃあ、あたいが確かめて来てあげる!」
「え、ちょっと! それはもしもの話で……」
そう言うや否や呆気に取られる少女をその場に残し、チルノは勢いよく上空へと飛び上がった。だが数分後、飛び上がった時の勢いは何処へやらチルノは項垂れた様子でふらふらと空から降りて来る。
「ごめん、ダメだった」
疲れた様子で落胆し、項垂れるチルノを見て少女は思わずプッと吹き出してしまった。
「な、何? 馬鹿にすんの!?」
「違うの。……ありがとう」
「え?」
「この話を先生にも言ったの。でも笑ってまともに取り合ってくれなかった。でも貴方はそれを信じて確かめようとしてくれた。だから、ありがとう」
チルノは腕を組み「う~ん」と唸ったが、やがて何かを理解したのか(恐らく何も理解していないだろうが)「まあね!」と胸を反らした。
「ねえ、私達、友達にならない?」
「友達? ……うん! なる!」
「今から私達は友達!」
「うん!」
少女にとってはチルノは初めての友達であり、チルノも人間の友達も悪くないなと思った。
次の日も、その次の日も、二人はこの場所を訪れ色々な話をした。チルノは人間と、少女は妖精と話す機会など滅多に無い為、お互いの話に興味津々と言った様子だった。
「寺子屋? なあにそれ」
「里の子供達が集まって勉強する所。でも宿題忘れると先生に頭突きされるの。すっごく痛いのよ」
「先生?」
「うん、私の先生。ちょっと怖いけど、大好き」
時には少女が里での生活や寺子屋の話を聞かせる。
「あいつら、あたいの事仲間外れにするのよ!」
「ふーん、でもそれはちょっと違うのかも知れないよ? みんな本当は貴方と遊びたがってるんだよ」
時にはチルノが湖の妖精達の話や蛙の捕まえ方などをお互いに話して聞かせた。
二人が出会ってからあっという間に五日ほどが経った。蜜月の時が過ぎるのは早い。しかしチルノは気付いていなかったが少女の体調は日に日に悪くなって来ていた。元々病気が良くなっていた訳ではない。たまたま体調の良い日が続いたのでこの一週間ほど特別に外出が許されていただけなのだ。それでも少女はチルノと遊びたかった。だが再び少女に外出禁止の沙汰が言い渡されたと言う。
「……暫くここには来られないかも」
「えー、なんで?」
「最近また体調悪くて。……ねえ、何か寒くない?」
「全然! あたい最強だから!」
「そう。……寒い」
少女は体を丸めガチガチと震えている。
『チルノちゃん寒いから』
チルノはふと妖精達のそんな言葉を思い出した。
「……あ、ねえ。ひょっとしたらあたいの所為で……」
そう言いかけると、少女は急に激しく咳き込み出した。大岩からずり落ち、苦しそうに胸を押さえる。
「ど、どうしたの!?」
チルノは慌てて少女を抱き起こすも初めての事態にどうしたらいいのか判らず、パニックを起こしかけた。少女はぜぇぜぇと荒く息を吐きながら、チルノを落ち着かせようとその手をぎゅっと握った。
「あ、あたいの所為? あたいが寒いから?」
「違う、いつもの発作。すぐに、収まるから……」
少女は息を整えると、心配そうに手を握り返してくるチルノに笑顔を見せた。それは偽りの笑顔であったが、泣き出しそうな顔の妖精を安心させるには十分なものであった。
「そろそろ帰らないと。お父さんとお母さん、きっと心配してる……」
「おとーさんとおかーさん?」
「そうよ。貴方には居ないの?」
「うん、いないよ。おとーさんとおかーさんってどんなの?」
「……厳しくて、怒ると怖い」
「ええ!?」
少女は儚げな笑みをチルノに向ける。
「……でも誰よりも優しくて、あったかいの」
「ふーん。あ、それだったらあたいにも居るよ。おと-さんとおかーさん」
「え、そうなの?」
「うん、この幻想郷だよ。厳しくて、怒ると怖くて、優しくてあったかいんでしょ? 幻想郷とおんなじだ」
妖精は自然の具現である。少女はそんな話を聞いた事があるのを思い出した。自然は冬の厳しさや春の暖かさをもたらし、時には怒り、猛威を奮う。大自然が親ならば妖精はその子供とも言えるのかもしれない。
「そっか。妖精は自然から生まれて自然に還るって先生が言ってた」
「自然にカエル? あたいカエルじゃないよ?」
少女はヨロヨロと立ち上がるが、すぐに力を失い、膝を着く。どうしたものかとチルノが思案するその時、二人だけの静かな空間にガサガサと茂みを掻き分ける音が響く。
「やはりここに居たか」
そこに現れたのはチルノの見知らぬ女性だった。白髪に青の混じった髪の上に変わった形の帽子を乗せている。
「うわわ、あんた誰!?」
「慧音先生……どうしてここが判ったんですか? お父さんにもお母さんにも、誰にも言ってないのに……」
「何日か前に一度だけお前の後を付けた。悪いとは思ったが心配でな。この事は誰にも喋ってないので安心しろ」
慧音と呼ばれた人物はチルノを睨み付ける。
「妖精か。この冷気はお前の仕業か?」
「冷気? うん、そうだよ。凄いでしょ」
えっへんと胸を反らすチルノを無視し、慧音は少女に肩を貸し立ち上がらせる。冷気は普段無意識で出している為、本人は特に気にした事が無かった。その所為で少女への影響も考慮出来なかったのだ。
「お前の冷気はこの子には毒だ。二度と近付くな。いいな?」
氷精に冷たい視線を送り冷たく言い放つ。
「……え?」
「先生、この子は悪くないんです。私が……」
「いいから帰るぞ。ご両親が心配している」
少女は慧音の背に負ぶさりながら、振り返って叫んだ。
「ねぇ、また会えるよね? 約束だよ! この場所で、この空の下で!」
「うん、明日も居るよ。明後日も居るよ! 明後日の明後日の次の明後日だってここに居るよ!」
チルノは少女にぶんぶんと手を振りながら叫び返す。あの少女と過ごしたこの数日、チルノの冷えた心は確かに温かくなっていた。チルノには胸の中の温かいものが何なのかはまだ判らなかった。だが、またあの少女に会いたい。そう強く思った。
「チルノちゃん最近一人で何やってるの?」
あれから三日が経った。あの日以来少女はあの場所に現れていない。それでもチルノはあの大岩の上で空を眺めながら待ち続けた。さすがに心配になったのか、妖精達はチルノを遊びに誘う事にしたのだ。
「チルノちゃん、今日は私達と一緒に遊ばない?」
「あたい忙しいから」
素っ気なく答え森の中へ消えて行くチルノ。
「チルノちゃんまだ怒ってるのかなあ?」
「でも、飽きっぽいチルノちゃんがあんなに熱心に何やってるんだろう……」
湖上の妖精達は揃って顔を見合わせた。
「あれー、今日もいないや」
チルノはおーい、おーい、と呼び掛けながら大岩の回りをぐるぐる回る。事情を全く知らない人が見たら何かの怪しげな儀式に見えた事だろう。
「おーい……お?」
大岩の上に何かがあった。チルノは岩によじ登り、それをじっと見つめる。それは一通の手紙だった。風で飛ばぬように上に小石が置いてある。手紙には「チルノちゃんへ」と記されていた。
「チ、ル、ノ。ちるの……あたいにだ!」
チルノは大岩の上に腰かけ、手紙を開封すると声に出して読み始めた。
「え~と、……が……くて、ながら……いに、けません……」
しかし、チルノは漢字が読めなかった。手紙を書いたあの少女も難しい漢字が書ける訳ではなかった。少女はチルノがそこまで馬鹿だとは思わなかったのだろう。だが残念ながら今の所チルノにそこまでの教養は無かった。
「……フッ、なかなか歯応えのある手紙ね!」
妙案を思い付いたチルノは手紙を握りしめると大急ぎで湖へと引き返して行った。
「あ、チルノちゃん戻って来たよ」
「ほんとだ。チルノちゃーん」
チルノは妖精の群れを見つけると猛スピードで駆け寄って行った。そして急ブレーキで停止し、大きく息を整えると妖精達に手紙を突き出した。
「みんな、見て!」
「なぁに、お手紙?」
「そう、あたいお手紙貰ったの! 凄いでしょ!」
妖精達は口々に「すごーい」「大人みたい」等とチルノをもて囃した。チルノは「ふふん」と鼻を鳴らし、胸を反らす。
「チルノちゃん、それで何て書いてあるの?」
「あ、そうだった。ちょこっとだけ難しい字があってね。半分くらいしか読めなかったんだ」
実際は殆ど読めていないのだが。
「で、みんなで協力して読んでもらいたい訳なのよ」
「でも、チルノちゃんが読めないんなら私達も読めないよ」
「そこはホラ、アレよ! 良く言うじゃない、三人寄れば……え~と、も、も、もじゃもじゃの知恵?」
「ねぇチルノちゃん、だったらあの紅いお家の人に読んでもらいなよ」
そう言って妖精の一人が霧の向こうに浮かぶ紅い屋敷を指し示す。悪魔の棲む館、紅魔館を。あそこなら大人の妖怪やメイドをしている妖精が居る。字を読める者ならいくらでも居るだろう。
「でも、あの家には怖い悪魔が棲んでるって……」
別の妖精が紅魔館を見ながら身震いする。
「大丈夫だよ。だってあたい最強だもん!」
「あ、チルノちゃん!?」
「行って来る!」
心配する妖精達に見送られながら、チルノは紅魔館を目指した。
湖畔に立つ紅い洋館、紅魔館。凶悪な悪魔が棲んでいるらしく、空気が淀んでいる為に湖上の妖精達は近付きたがらない。だが館内では多くの妖精メイドが働いているという。その門には武術を得意とする屈強な妖怪が居り、数々の侵入者を撃退していると伝えられている。
チルノは辺りの様子を慎重に窺う。門の支柱に背中を預け居眠りをしている妖怪の姿が目に留まる。あの人なら怖くなさそうだと思ったチルノは寝息を立てる紅い髪の妖怪を揺り起した。
「ねーねー、お姉さん」
「うわぁっ! サボってません! サボってませんよ!?」
紅魔館の門番、紅美鈴は慌てふためき辺りをきょろきょろと見回す。目の前で不思議そうにしているチルノの姿を認めると「ふぅ」と安堵の息を漏らした。
「なーんだ、妖精かあ。今はメイドの募集はしてないわよ?」
「メイドなんかやらないよ! それよりこれ見てよ!」
チルノは美鈴に握りしめた手紙を突き出した。寝起きの美鈴は訳の判らないままそれを受け取る。
「なに? 手紙? 私に?」
「違うよ! これはあたいが貰ったの! 凄いでしょ?」
チルノは偉そうに腕を組み、ふふんと鼻を鳴らす。毎回このパターンである。とりあえず自慢しないと気が治まらないらしい。
「はあ……」
美鈴は何が凄いのかは良く判らないがとりあえず同意しておく事にした。
「それで、貴方が貰った手紙を何故私に渡すの?」
「その手紙、ちょいとばかし難しい字を使っててね。大体は読めたんだよ? でも肝心の部分が判らないのさ」
要するに字が読めないので代わりに読んで下さいという事である。美鈴は他人宛ての手紙を読んで良いものかと思ったが相手は字の読めない妖精である。それに本人の要請なら至仕方ないだろう。
「じゃあ、読むよ?」
手紙には少女が体調を崩し、臥せっている事やしばらく会いに行けない事への謝罪などが書かれていた。美鈴は病気の少女とこの妖精が交友関係にあるという事を理解した。
(ふ~ん、人間と妖精がねぇ……)
手紙を読み終えると、チルノは目を輝かせ「もう一回読んで!」とせがんだ。初めて手紙を貰った事がとても嬉しかったのだろう。その後もチルノはもう一回もう一回とせがみ、結局美鈴は何回も同じ手紙を読む事になった。満足気に手紙を見つめるチルノを見ている内に、美鈴も何だか嬉しいような気分になって来た。
「そうだ、お手紙貰ったんだから、お返事を書かなきゃね」
「お返事?」
「そ、お返事」
「でも、あたいお手紙なんて書いた事ないよ」
「大丈夫。私が教えてあげるわ」
「ほんと!?」
「うん、じゃあとりあえず中に入りましょうか」
「でも、くっきょーな門番と恐ろしい悪魔が居るって……」
「屈強な門番? それってひょっとして私の事?」
美鈴はクスクスと笑いながらチルノを屋敷の中へと促す。だがチルノはそこで尻込みしてしまう。どうやらおかしな噂が広まっているらしい。
「門番は私。私の事怖い?」
チルノはぶんぶんと首を振る。
「それにこの時間はお嬢様は寝てらっしゃるから大丈夫よ」
そう言うと美鈴はチルノにウインクをして見せた。
「私は美鈴。貴方の名前はチルノでいいのかしら?」
「うん! あたいチルノ。よろしくね、お姉さん」
チルノは安心したのか満面の笑みを見せた。
「……で、あのバカは仕事サボって一体何をしているのかしら?」
図書館の主、パチュリー・ノーレッジは部屋の片隅のテーブルに本や紙を広げる門番と妖精に冷やかな視線を送る。
「はあ、何やら妖精に字を教えてるそうですよ」
「何でまたそんな事……って、あんたも何やってんのよ」
パチュリーは紅茶とケーキの乗った盆を持つ小悪魔を睨み付ける。
「あの子達にお茶を出そうかと」
「あいつらは客でも何でもないでしょうに……」
呆れて溜息を吐くパチュリーを尻目にチルノは紙にがりがりとインクを付けたペンを走らせていた。美鈴はそれを見守りながら「上手上手」と微笑んでいる。
「二人とも、少し休憩しませんか?」
「あら、ありがとう」
小悪魔は美鈴とチルノの前にケーキの乗った皿とティーカップを置いた。「パチュリー様の分もありますよ」と言うとパチュリーは仕方ないといった様子でテーブルに着く。美鈴はこうなった経緯をパチュリー達に話した。
「ふーん。で、これがその子の手紙? 読んでいいかしら」
「いいよー。これおいしいね!」
チルノはケーキを頬張りながらご満悦の表情をしている。
「ふむふむ、病気の人間と妖精の友情物語って訳ね。その子を元気付ける為に文通を始めるの?」
「うん。元気になって欲しいけど、もう治らないんだって」
その場に居たチルノ以外の全員が「え?」と声を漏らす。チルノは紅茶を啜ると「熱っ」と呻いた。パチュリーは美鈴に体を寄せ、小声で言った。
「ちょっと。この子、死の概念って物が理解出来てないんじゃないの? もしもその人間が死んだらどうするつもりなのよ?」
「どう、と言われましても……」
美鈴は困惑した顔でパチュリーを見つめる。
「あんたが首突っ込んだんだからちゃんと責任持ちなさいよ。例え、どんな結末になろうともね」
「……どんな結末でも、ですか?」
「書けたー!」
チルノの声に美鈴の体がビクッと跳ねた。目の前で無邪気に笑う妖精。“もしも”の時、幼い彼女は友人の死を受け入れる事が出来るのだろうか。それを理解させなければいけないのだろうか。そんな事が自分に出来るのだろうか。そんな思いが美鈴の心をチルノの笑顔とは真逆に暗く沈ませた。
「……ま、もしもはもしもよ。必ずしもそうなるとは限らない。でも、一応覚悟はしとけって話よ」
「そう、ですね……」
「お姉さん、あたいの手紙ちゃんと見てよ!」
「え、ああ。良く書けてるわ。じゃあこれを届けに行かないとね」
チルノと美鈴は図書館を後にする。二人が出て行った後、小悪魔はテーブルの上を片付けながらパチュリーに言った。
「パチュリー様、何もあんな事を言わなくても良かったのでは?」
パチュリーはカップの中で揺れる紅い液体を見つめた。
「聞こえてたの? 何も意地悪で言った訳ではないわ。どうあっても人間は妖精や妖怪より早く死ぬ。関係を保つには覚悟が要るという事を言いたかったのよ」
「……咲夜さんの事を言っているのですか?」
「そう言う訳じゃないけど、あのバカ、妖怪の癖に妙に人間臭いから」
「大丈夫ですよ。美鈴さんはそんなに弱くありません。あの妖精だって、きっと」
「……だと、いいんだけど」
二日後。チルノは再び美鈴の元を訪れた。美鈴は門の前でブラウスを肌蹴てだらしなく寝転がっていた。
「お姉さん、大変大変! お手紙のお返事のお返事が来たよ!」
「……ふぇ?」
「ふぇじゃないよ! 起きてよ!」
チルノはブラウスの胸元の隙間に小さい氷の塊を落とす。すると美鈴は声にならない叫びを上げ飛び上がった。しばらく悶絶しながらゴロゴロと地面の上を転げ回った。
「遊んでないで読んでよぅ」
「あー、はいはい」
美鈴は服を正しながら手紙を受け取るとざっと目を通してみた。
「──っ!」
一瞬言葉を失う。手紙には病が進行してもう立ち上がれない、自分はもう死ぬかもしれない、と言った悲観的な内容が記されていた。
「ねーねー、何て書いてあるの?」
「え? ええ、お返事ありがとうって。まだ元気にならないからもう少し待って欲しいって……」
思わず嘘が口を衝いて出る。パチュリーの言っていた事が真実味を帯びて来た事に美鈴は背筋が寒くなるのを感じた。手紙に良く目を通すと気になる一文を見つけた。『あの空が見たい』という一文。その一文に何か強い意志の様な物を感じた。
「チルノ、“あの空”って何の事か判る?」
「判るよ。判るけど、う~ん……」
チルノは腕組をして呻き始めた。どうやら話したくない事があるようだ。とりあえず美鈴は図書館に場所を移し、チルノから詳しい話を聞く事にした。
小悪魔はお菓子とお茶を出し、パチュリーも同じテーブルに付き、話に耳を傾ける。チルノは「本当は秘密なんだけど」と渋っていたがケーキを頬張りながら“あの空”について語った。
「ふーん。少し前まではその場所で会ってた訳ね」
「でもパチュリー様、不思議じゃないですか?」
小悪魔は自分のケーキをチルノに譲り、疑問を口にする。
チルノはとっておきの場所の大岩の上で手紙を見つけた。そしてその返事を同じ様に大岩の上に置いて帰ったらしい。次の日にはチルノの置いた手紙は無く、その次の日、つまり今日、少女からの新たな手紙が大岩の上に置かれていたと言うのだ。
「その子は今、動けない程病気が進行しているんですよね? では誰がチルノさんの手紙を回収し、その子の手紙を置きに来たのでしょうか?」
「親御さんか誰かじゃない?」
「でも、病気の子供を妖精と関わらせたがるとは思えません」
小悪魔は紅茶のおかわりをチルノのカップに注ぎながら言った。チルノは腕を組み「う~~ん」と唸った。そんな話を何処かで聞いた様な気がしたのだ。
「そうだ! 確かあの子はこの場所は誰も知らないって言ってた」
「ますます判りませんね」
小悪魔はチルノの口に付いたクリームをハンカチで拭きながら首を傾げた。チルノは更に「う~~~ん」と唸る。あの少女とは別の誰かにあの場所であったような気がしたのだ。
「そうだ! 先生って人だ! 先生って人はあの場所知ってるよ。一週間くらい前にそこで会ったもん」
「何でほんの一週間前の事忘れてるのよ」
パチュリーは紅茶の中に沈んでいた薄切りのレモンをスプーンで突つきながら呆れた表情を見せる。
「でも、あの先生って人凄く怖そうだった。私に二度とあの子に近付くなって言ったもん」
「まあ、とりあえずお返事書こうか。ね、チルノ」
嫌な事を思い出しむくれるチルノに美鈴はそう促しつつ、パチュリーに耳打ちをする。
「必要とあらばチルノの後を付けてその場所とやらに行きますが……」
「この件に関しては私も小悪魔も口を挟まない。勝手にしなさい。ところで……」
パチュリーは一所懸命に手紙に向かうチルノを見る。
「貴方、そろそろ片仮名くらい書けるようになりなさいよ」
「今口を挟まないって言ったばかりじゃないですか」
「何よ?」
「でもこの子、結構物覚え良いですよ。年相応って言うか、そんなに馬鹿じゃないです」
「あたい馬鹿じゃないよ!」
「判ってるよ。チルノはお利口さん」
美鈴はチルノの頭をぐりぐりと撫で回す。チルノは「えへへー」と照れた様に笑った。
「みんな優しいね。めーりんお姉さんも、ぱちょりーお姉さんも、こあくまお姉さんも」
「ぱちょりーじゃなくてパチュリーよ」
「あたい、みんなの事好きだよ」
薄暗い地下の図書館に妖精の明るい笑顔がパッと咲いた。美鈴と小悪魔の顔もつられて綻ぶ。
「まったく、この紅髪コンビは……」
パチュリーはそんな二人を半目で見ながらやれやれと溜息を吐いた。
手紙を書き終えたチルノはいつも通り二人の約束の場所へと向かった。その後ろをこっそりと美鈴が付ける。手紙の受け渡しをしている人物は恐らチルノが言っていた先生という人物だろう。
美鈴はその人物に会い、少女の病状を聞き、その病状次第でチルノと少女を会わせてあげたいと思った。しかし話ぶりからするとその人物はチルノに対して好意的ではないようだ。
チルノの後を追い、森をしばらく進むとぽっかりと円形に開いた場所が見えた。中心に大きな岩も確認出来る。美鈴は茂みに身を潜め、息を殺す。
チルノは大岩の上に手紙を置くと美鈴には全く気付いた様子もなくそのまま来た道を戻って行った。このまましばらく茂みの中に隠れチルノの手紙を回収しに来る人物を待つ。美鈴は意識を研ぎ澄まし、何者かが訪れるのを待った。
三十分程経ったであろうか。ガサガサと茂みを掻き分ける音に美鈴はハッとなって目を覚ました。
(しまった、うっかり寝てしまった!)
既に日は沈みかけ、森の中に暗い影を落としている。美鈴はじっと目を凝らし、その様子を窺う。長い髪に妙な形の帽子を乗せた人物が大岩の上のチルノの手紙を手に取る。
「あの!」
その瞬間、美鈴は茂みから飛び出す。その人物は美鈴の方に振り返ると警戒し、身構えた。
「何者だ! 妖怪か!?」
「私は紅魔館の紅美鈴と言います。その……」
「……ひょっとして、あの妖精に手紙を書かせている者か?」
「そうです」
「……そうか。私は上白沢慧音。里で教師をしている者だ」
「何故、貴方が手紙の受け渡しを?」
美鈴は慧音の目を見つめる。教師をしているだけあって悪そうな人物には見えない。チルノが怖いと言ったのはこの厳格そうな雰囲気の所為だろう。
「あの子に頼まれたからだ。この場所は里の人間ではあの子と私しか知らない。誰にも喋らないと約束してしまったしな」
「それで、その子の病状はどうなんですか?」
「……正直、芳しくない」
「チルノを会わせる事は出来ませんか?」
「あの妖精、チルノと言ったか。あの子には突き放す様な態度を取ってしまった。すまないと思っている」
慧音は俯いた。全ては教え子の少女を思っての事だろう。美鈴はそれを責めるつもりはなかった。
「しかし、彼女は今起き上がるのも困難な状態だ。彼女のご両親が妖精の見舞いを許すとも思えない」
「そんな……」
「友達に会わせてやりたいという思いもある。だがチルノの冷気は今の彼女に取っては命取りになりかねないんだ」
「…………」
美鈴は何も言えなかった。慧音は「すまない」としばらく頭を下げ続けた。
慧音と別れ、紅魔館に戻った美鈴はぼんやりと図書館の天井を眺めていた。自分は何と無力なのだろうか。安易にチルノに協力したのは間違いだったのだろうか。そんな考えが頭の中をぐるぐる回る。
「何ガラにもなく考え込んでるのよ」
椅子にもたれ天井を見上げる美鈴の顔をパチュリーが覗き込む。紫の艶やかな髪が美鈴の頬を撫でる。
「パチュリー様……私はどうすればいいのでしょうか? チルノの為に何か出来る事は無いのでしょうか?」
「その慧音って先生はチルノが冷気を発しているから駄目だと言っていたんでしょ? ならチルノが冷気をコントロール出来る様になればいいんじゃないの?」
美鈴は頭を起こし、パチュリーの顔を正面から見る。
「そんな事が出来るのでしょうか?」
「さあねえ。私は“気”の使い方に関してはそんなに詳しくないからね。ま、何事もやってみなくちゃ判らないんじゃない?」
「気のコントロール……そうか!」
パチュリーの助言で美鈴は閃いた。チルノと少女を会わせる事が出来る方法を。確実に、と言う訳ではないが何もしないよりはずっと良いと思った。
「パチュリー様」
美鈴はパチュリーの顔を見ながらにやにやしている。
「何よ?」
「口を挟まないとか何とか言いながらかなり重要なヒント出してくれてますよねぇ」
「うるさいわね。私はこれから読書に集中するから、あんたはとっとと自分の部屋に戻りなさいよ!」
パチュリーは本で顔を隠しながら美鈴を怒鳴り付ける。その横で小悪魔がくすくすと笑っていた。美鈴は心の中でパチュリーに感謝の言葉を述べた。直接口に出さなかったのは、この魔女はきっと照れてしまうだろうと思ったからである。美鈴はパチュリーに一礼し、静かに図書館の扉を閉めた。
「今日はお返事無かったー」
チルノはガッカリとした面持ちで紅魔館の庭に力なく降り立つ。美鈴は花壇の水やりの手を止め、そっとチルノに手をかざした。判っている事だが冷気が出てひんやりしている。だが常に強力な冷気を放出している訳ではない。時には自分の意思で、時には無意識下の感情の起伏で、チルノは冷気をある程度制御している。
妖精は自然そのものと言える存在である。つまりチルノは自然の冷気そのものであり、その冷気は完全に抑える事は恐らく出来ないだろう。だが努力次第では人体に害が出ない程度まで抑える事が出来るかもしれない。美鈴はパチュリーの助言を元にそう考えた。美鈴はチルノをじっと見つめた。
「ねえ、チルノ」
「なあに?」
「お友達に会いたい?」
「うん、会いたい!」
「会える方法があるかも知れない」
「ほんと!?」
「でも、その為にはチルノの努力が必要なの。出来る?」
チルノの肩に手を乗せ、その瞳を真っ直ぐに見つめる。
「あたい、何でもするよ! 何をすればいいの?」
「冷気を抑える為に気のコントロールの仕方を教えてあげる。でも簡単に出来る訳ではないの。貴方の努力次第」
「あたい出来るよ!」
「時間が無いから少し厳しくするわよ? 少しでも弱音を吐いたらならすぐに教えるのをやめるわ。それでもいい?」
チルノは真剣な表情で頷いた。
「判った。付いて来なさい」
「うん!」
「返事は『はい』よ!」
「はい!」
美鈴は信じていた。チルノの持つ可能性を。そして友情の為の努力の先には必ず勝利があると。
その光景を館内の廊下の窓から心配そうに見つめる影があった。
「チルノさん大丈夫でしょうか?」
「もし出来ない様なら、所詮は子供の友情ごっこだったって事でしょ。妖精如きが何処まで出来るか見せてもらおうじゃないの」
「パチュリー様」
小悪魔は嘆息しながら隣に立つ魔女に視線を向ける。
「何よ?」
「本当に素直じゃないですね」
「うるさいわね。ほら、さっさと図書館に戻るわよ!」
小悪魔はくすくすと笑いながらパチュリーの後に続き、もう一度窓の向こうに視線を向ける。小悪魔も信じていた。運命は幼い少女達の願いを決して裏切ったりしないと。
人里のとある民家。ここ数週間、慧音は一日の授業を終えると必ずその家に立ち寄る事にしていた。病に伏せる教え子の見舞いと、手紙の受け渡しをする為に。
少女は布団に横になったまま虚ろな瞳で訪ねて来た教師の顔を見つめる。慧音はその日の授業の内容やあった出来事などを少女に話して聞かせる事にしていた。
「先…生……」
「ん、何だ?」
掠れそうな声。少女はこの一週間程で急激に衰え、喋る事すらやっとという状態だった。少女は布団の中から一通の手紙を取り出すと、震える手でそれを慧音に手渡す。
「最後の……手紙です。チルノ……に」
「馬鹿。最後だなんて、そんな事を」
少女はやつれた顔に力無い笑みを浮かべる。慧音は泣き出したくなる感情を抑え、少女の手をにぎりしめる。教師である自分が弱さを見せてはいけない、気丈に振る舞わなければいけない。そう思っていた。
「人は死んだら……生まれ変われるんですよね?」
「ああ。地獄で閻魔様に裁かれる。だがそんな事はまだ考えなくていい。それはずっと先の事だ。今は生きる事を考えるんだ」
「私、妖精になりたい……幻想郷の……自然の一部に……」
「…………」
慧音は黙ったまま少女の手を握る。
「そう……すれば……ずっと……チルノと……遊べ……る」
「元気になって遊べばいい。元気になればいつだって遊べるし、もう私も止めない。だから、な?」
喋り疲れたのか、少女はそのまま気を失う様に眠りに落ちた。慧音は受け取った手紙を見つめる。
最早一刻の猶予も無い。無理矢理にでも会わせてやるべきか。それとも心を鬼にし、快復を待つか。
だが快復は絶望的だった。慧音は一度竹林に住む友人と共に、その友人と敵対関係にある薬師の元を訪れた。
その薬師達は公の場に出る事を拒んだ。事情を話し、友人と共に頭を下げ、薬を処方して貰える様に頼んだ。何とか竹林から出て来てもらい、診察を頼んだ。だがその薬師が出した答えも最早手遅れと言う物だった。診察を終えた薬師は「もう少し早ければ……」と悔しそうな表情をしていた。治療するには自然の理を捻じ曲げなければいけないとも言った。だがそんな事は許されない。
「どうすれば、私はどうすればいいんだ……」
慧音は苦しそうに眠る少女の頬を優しく撫でた。美鈴と同様に慧音もまた自分の無力さを嘆き、苦しみ、悩んでいた。
「──で、どうなのよ、修行の成果の程は」
翌日。紅魔館のテラスでパチュリーは紅茶をスプーンでくるくる掻き回しながら正面に座る美鈴に尋ねた。
「ええ。かなり冷気を自在に制御出来る様になりました。弾幕ごっこをやらせたら妖精で右に出る者はいないでしょう!」
「……強くしてどうすんのよ」
「あ、いえ。力を溜める事でより強い冷気を放出出来る様になったんです。つまり溜めてる間は冷気をかなり抑えられるんですよ!」
「……溜めた後は発射しなきゃダメなんでしょ? 妖怪はともかく、人間相手にどうすんのよそれ」
「……どうしましょう?」
「知るか!」
パチュリーは自分のスプーンを思い切り美鈴に投げ付けた。それは見事美鈴の額にヒットし、そのまま床の上に落ちた。代わりに美鈴のティースプーンを奪い再び紅茶を掻き回す。「もってかないで~、まだ砂糖の塊が」と呻く美鈴を無視し、良い具合に撹拌された紅茶を一口飲む。
「美鈴さ~ん、パチュリー様~」
テラスの下から小悪魔の呼び掛ける声が聞こえた。パチュリーは椅子を立ち、下を覗く。
「小悪魔、どうしたの?」
「チルノさんが見えられましたよ」
「あら、今日はいつもより早いですね」
美鈴はパチュリーが席を立った隙にスプーンを奪い返し、紅茶を掻き混ぜた。
「小悪魔、チルノをこっちへ。それと咲夜にお茶とお菓子を用意するように言っておいて」
「今日のお手紙は自分で読めたよ」
チルノは美鈴に手紙を渡す。
「本当? 凄いじゃない!」
「でも意味が判んなかったの」
美鈴は「どれどれ」と手紙を開く。そこには小さく、弱々しい字で、たった一文だけが記されていた。
『生まれ変わっても、友達になってくれますか?』と。
「…………」
美鈴は何も言えず、チルノの顔を見る。先に読ませるべきでは無かったと思った。
「友達になってくれますかって書いてあるよね? でもさー、そんなの当たり前じゃん。もう友達なんだからさ。お手紙に書く事かなあ?」
「ところで“まれわっても”ってどういう意味?」と付け足すが美鈴には聞こえていなかった。美鈴は勢いよく椅子から立ち上がる。もうこれ以上耐える事は出来なかった。
「チルノ、今から会いに行こう。その子に」
「本当!?」
「大丈夫なんですか?」
小悪魔が心配そうに美鈴とチルノの顔を見比べる。
「多分、この子は今とても心細い状態にあると思うんです。だからこそ、友達であるチルノが勇気付けてあげないと……生への希望を見出せないと……きっとこの少女は……」
「生への希望、ね。この一文からは来世への願望しか感じられないわ」
パチュリーはその手紙を見ながら呟く。
「パチュリー様、だからこそ……」
「そうよ。だから急ぎなさい、美鈴、チルノ。早く行って安心させてあげなさい」
「パチュリー様……」
「感動するのは後でいいわ。ほら、早く行きなさい。後悔しない様にね」
チルノと美鈴は互いの顔を見つめ合い、「うん」と頷いた。
人里に妖怪や妖精が顔を出すのは珍しい事ではない。だが大抵の人間は妖精に対してイタズラ等への警戒心を持っている。里を訪れる妖怪は人間を襲う事は無い。だが多少の恐怖を感じているのも事実であった。
少女の両親が病気の娘の面会を妖怪や妖精に許すだろうか。美鈴は自分は人間の振りで通せるかもしれないと思った。だがチルノはそうはいかない。
今はあれこれ考えている余裕は無かった。何とか熱意と誠意を示し、説得するしかないと美鈴は思った。ひとまず美鈴は何人かの通りすがりの人間に少女の家の場所を尋ねる事にした。
「あー、あの女の子ね。それならそこの角を曲がって少し行った所だよ」
「そうですか、ありがとうございます」
「それにしても可哀相にねぇ。まだ小さい娘さんだったのに」
「え……?」
美鈴の背筋にざわりと嫌な悪寒が走る。
「ねーお姉さん、早く行こうよ! 何ボーッと突っ立ってるのさ!」
「え、ええ……」
二人は一歩一歩少女の家へと近付いて行く度に心臓の鼓動の音が大きくなるの感じる。だがその感じ方は美鈴とチルノでは全く違うものだった。
「あたい何かドキドキしてきた!」
やがて二人は少女の家に辿り着く。その一軒の家の前に人だかりが出来ていた。皆一様に悲しそうな表情をしている。その光景を見た美鈴は少女の身に何が起こったのかを察した。
「チルノ……今日は帰ろう」
美鈴は震える手でチルノの手を握る。
「えー、何で? せっかく目の前まで来たのに!」
「いいから!」
駄々をこねるチルノに美鈴は思わず声を荒げる。
「何でよ! お姉さんの意地悪! いいもん、あたい一人で行くもん!」
チルノは美鈴の手を振り解き、少女の家へと駆けた。
「チルノ、駄目よ!!」
突然の珍客にそこに居た人々は驚いた。チルノは群衆の間を抜け、家の中へと入り込む。
「おーい! あたいだよ、チルノだよ! 遊びに来たよ!」
チルノは少女の姿を探し、家の中を飛び回った。そして、やっと布団の中で横になる少女の姿を見つけた。少女の顔には白い布が掛けられている。枕元には一振りの守り刀が置かれていた。
「寝てるの?」
チルノは白い布を取り、顔を覗き込むと少女の体をゆさゆさと揺すった。
「ねー、起きてよ。折角遊びに来たんだからさあ」
ドタドタと激しい足音と共に数人に大人が少女の部屋へと入って来た。少女の父親と思しき男がチルノの手を掴み、捻り上げる。
「何だお前は! 娘の体をどうするつもりだ!」
「痛い!」
チルノは咄嗟に冷気を発し、怯んだ父親の手を振り解く。父親は一瞬呆気に取られた様子だった。だが直ぐに険しい形相となり、チルノを睨み付ける。
「そうか、お前だな。お前が娘に取り憑いて命を吸い取ったんだな?」
「あたいが何? 何言ってるのさ?」
チルノはこの騒ぎの中でもピクリとも動かない少女の顔を見た。更に父親が声を荒げる。
「お前がこの子を殺したんだろう!?」
「殺した? あたいが?」
血の気の無い少女の顔を見つめ、問いかける。
「……そうなの?」
「違う!」
少し遅れてやって来た美鈴が、集まって来た人間達の輪を掻き分けながら叫ぶ。
「違う! チルノは悪くない!」
「お姉さん。この子、一回お休み?」
美鈴は首を横に振る。嘗てパチュリーはどんな結末を迎えてもいいように覚悟をしておけと言った。だが美鈴は心の片隅でこの様な最悪の結末が訪れる訳がないと考えていた。チルノに残酷な現実を受け入れさせねばならないという役目を半ば放棄していたのだ。
ただチルノを傷付けたくなかった。だがそれはただの我儘であり、現実からの逃避に他ならない。美鈴はパチュリーの忠告を聞かなかった自分の甘さを呪った。
そしてチルノの今後の為にも誰かが教えねばならない。その役目を負う事になった現実を不幸と思ってはならない。少女の死を冒涜してはならない。そう考えた。
「チルノ……人間はね、一度死んでしまったらもう目覚めないの。ずっとお休みなのよ」
「もう起きないの?」
「……ええ。転生して新たな肉体を得たとしても、それはもう別の人なの。その子ではないわ」
「あたいの所為?」
「それは違う!」
「……そうなら、言ってくんなきゃ判んないよ」
少女の顔を見つめたままチルノは呟く。
「あたいが冷たいから? 寒いから? だったら、言ってくんなきゃ判んないよ」
ゆっくりと振り返り、美鈴に顔を向ける。
「あたい馬鹿だから、判んないよ……」
チルノの瞳から涙が零れる。その涙は小さな氷の塊となり、ぽろぽろと足元に落ちて行く。
「違う、貴方は馬鹿なんかじゃない。馬鹿なんかじゃないよ」
美鈴はチルノに駆け寄り、その小さな体を抱き締める。
「──────ッ!!」
「チルノ! 駄目よ!」
チルノの声にならない叫びが響く。感情の爆発と共にその冷気も暴走する。
人間達は慌てて部屋の外に退避し、美鈴は咄嗟に少女を守るように遺体に覆い被さった。冷気の奔流に部屋は忽ち凍り付き、動けない美鈴の体に文字通り身を切る様な冷気が容赦なく牙を剥く。
しばらくするとチルノは力を使い果たし、その場にしゃがみ込んだ。落ち着きと正気を取り戻すとハッとなり美鈴と少女の方を見た。美鈴の体には凍傷と氷の刃で出来た切り傷が幾つも出来ていた。
「お、お姉さん、ごめん。あたい、あたい……」
チルノは震える手を美鈴へと伸ばす。美鈴は顔を上げ、その手を握り返しながら微笑んだ。
「もう、駄目じゃない。大切な友達の体を傷付ける所だったわよ?」
体中傷だらけで平気な筈が無い。だが美鈴は微笑みながらチルノの頭を撫でた。チルノは嗚咽を漏らしながら何度もごめんなさいと謝っている。
「私が何の為に力の使い方を教えたか判る? 大切なものを守る為よ。決して傷付ける為じゃないわ」
「ごめんなさい……」
「謝るのは私の方だわ。貴方にも、この子にも」
美鈴は横たわる少女に向き直る。美鈴が体全体で庇ったので遺体には傷一つ付いていない。
「初めまして。貴方がチルノの大切なお友達ね」
物言わぬ少女の亡骸に手を会わせ、黙祷する。美鈴の瞳からも涙が溢れる。
「……ごめんね。間に合わなくって、ごめんね」
少女の冷たい手を握り締める。妖怪である美鈴の体の傷はすぐに癒える。だが心の傷はそうはいかない。チルノの心の痛みや少女のこれまでの苦しみを思えば体の痛みなどまるで気にもならなかった。
チルノの暴走が収まったのを確認した少女の両親が部屋へと入ってくる。美鈴はチルノの体を抱き寄せ、その頭を撫でた。
「お騒がせしてすいませんでした。でもこの妖精は、本当にこの子の大切な友達だったんです」
父親は「そうか」と呟き、チルノの顔を見た。
「さっきは酷い事を言って悪かった。だが、二人共もう出て行ってくれ。もうそっとしておいてくれ……」
美鈴はペコリと頭を下げチルノの手を引いた。チルノは涙を拭い、静かに眠る少女に手を振った。
「あたいね、あんたと友達になれて本当に嬉しかったんだ。ありがとうね。ばいばい」
少女の両親の啜り泣く声を聞きながら、美鈴とチルノはその家を後にする。
少女の家を出るとそこには慧音の姿があった。里の人達と何やら話をしている。慧音の姿を見たチルノは思わず美鈴の後ろに身を隠す。
「お前達、来ていたのか」
「上白沢先生」
「……あの子は今朝早くに亡くなったんだ。この後神葬祭を行う予定だ」
「いえ、葬儀には出ません。先生、色々ありがとうございました」
美鈴は慧音に「失礼します」と頭を下げ、その横を通り抜ける。
「……私の所為だ」
慧音は呟いた。
「え?」
美鈴は振り返る。慧音は背を向けたまま肩をわなわなと震わせている。
「私の所為だ。私が許してやっていれば、もっと早く会わせてやれば……」
「貴方は悪くない。勿論チルノが悪い訳でも無い。誰も悪くないんです。仕方の無い事だったんです」
「……チルノ、私の事を恨んでいるだろう?」
「ううん。恨んでなんかないよ」
チルノは慧音の服の裾を引っ張った。
「あの子は先生の事大好きだって言ってた。あたい、あの子の好きなものは全部好き。あの空の事も、先生の事も。だから恨んでなんかないよ」
その言葉を聞いた瞬間、慧音はその場で泣き崩れた。堪えていたものが一気に溢れ、人目を憚らず涙を流し、嗚咽を漏らした。
きっとこの人はずっと耐えていたのだろう。自分なんかよりずっと辛い立場に居たのだから。美鈴は慧音の震える背中を見つめながらそう思った。座り込んで泣きじゃくる慧音の肩に優しく触れ、落ち着くのを待った
「大丈夫ですか、先生」
「……ああ。取り乱してすまなかった」
「さ。帰ろう、チルノ」
「待って、まだ手紙のお返事書いてない。書いて渡さなきゃ」
「そっか。……上白沢先生、最後にお願いがあります」
「何でも言ってくれ。せめて、何か償いをさせてくれ……」
チルノと美鈴の二人は慧音の家を訪れる事にした。手紙を書く為の紙と筆を借りる為である。
少女から寺子屋の話を聞いていたチルノは興味津々な様子でキョロキョロしていたが、今日は休日で寺子屋は開いていないと知ると少しガッカリした様子だった。だが直ぐに気を取り直し、手紙を書く為に机に向かう。
「チルノ、少し姿勢が悪いぞ。もっと背筋を伸ばせ。正座も崩すな」
慧音は美鈴の手当てをしつつ、字の練習をするチルノを自分の生徒の様に叱った。そして悲しそうな顔でチルノが居る席を見つめる。
「チルノが使ってるその机な、あの子が使ってた物なんだ。結局、数える程しかここで教える事は出来なかったがな」
「書けた!」
「……って、随分早いわね。何て書いたの?」
「秘密だよ!」
チルノは美鈴と慧音に見られないように手紙を折り、封をする。
「上白沢先生、チルノの代わりにこの手紙をあの子の棺に入れてもらえませんか?」
「ああ。引き受けた」
「あたいの手紙、ちゃんと読んでくれるかなあ?」
「大丈夫だ。きっと天国で読んでくれるさ」
慧音はチルノの頭を撫でる。
「先生、ありがとうございます」
「私の事は慧音でいい。私はそんな偉い人間ではない。あまり畏まらないでくれ」
美鈴は慧音の顔を見つめた。先程の涙で目が真っ赤になっている。二人は少女とチルノにとって協力者の様な、保護者の様な立場にありその心を砕いた。それ故に互いに親近感の様なものを感じていたのだ。美鈴はそんな慧音の体を強く抱き締める。
「慧音、ごめんね。私には温かい助言をくれる人達が居た。でも慧音は一人で苦しんでいたのよね。だからごめん、力になれなくて」
「ば、馬鹿。私は一人だった訳じゃない。気にするな。それに、今優しくされたら……また泣くだろ」
「うん、泣けばいいよ。大丈夫、私も思いっきり泣くから」
「お姉さん達、お友達になったの?」
「ああ、チルノとも友達だ」
「そうだね、みんな友達。チルノも、あの子も」
人は死んだら生き返らない。反魂の法や不死の仙薬を用いれば生き返ったり死を免れたりする事も出来るだろう。あの少女も或いはそれを望んでいたのかも知れない。だがそれは自然の摂理に反する事である。輪廻の輪から外れ、永遠に生き続ける事が幸せな事とは限らない。
妖精と人間の死の概念は違うものである。だが妖精も出会いと別離を経験すれば命の尊さを学べる事が出来るだろう。自分の教え子はその命を以ってこの妖精に大切な事を伝えたのだ。決して彼女の死は無駄にはならない。慧音はそう信じ、美鈴とチルノを抱き締めた。その胸は、とても温かかった。
あれから何ヶ月かの時が過ぎた。暖かな春と湿った梅雨を越え、幻想郷は初夏の爽やかな空気に包まれていた。これと言った大きな変化も無い日常。
「お嬢様は本気でそんな事を?」
「レミィは一度言い出したら聞かないからね」
夏でも涼しい紅魔館地下の図書館。パチュリーと小悪魔は読書をしながらくつろいでいた。
「でも、幻想郷全体を霧で包むなんて事出来るんですか?」
「出来るでしょうね。それより問題は人間や妖怪の賢者達がどう動くかだけど」
「お嬢様の我儘にも困ったものですねぇ」
「……そう言えば、美鈴はどうしてるの?」
「あの後は大分落ち込んでいた様子でしたが、最近は元気を取り戻しているみたいですよ」
「ここも随分静かになったわね」
「……そうですね」
それからチルノは紅魔館を訪れる事は無く、美鈴も特別な用事がない限り図書館に来る事は無かった。心の傷を癒すには時間を置く他に無い。心の傷がやがて思い出へと変わるその時を、ゆっくりと待つしか無いのだ。
「ま、図書館は本来静かなものだからね。元通りになっただけの事」
「でも、またきっと騒がしくなりそうな気がします」
「何でよ?」
「何となく、ですけど。その方が良いかなあって」
「……ふん。良い訳ないわ」
パチュリーは不機嫌そうに本を閉じ、それを小脇に抱え席を立った。
「あ、どちらへ?」
「ん、たまには日の光でも浴びてみようかなと。ついでに門番がサボってないか見張りに」
「ついで、ですか?」
「何よ?」
「いえ、別に」
小悪魔はにやにやと笑いながら図書館の主の背を見送った。不機嫌そうに見えるが、その実心の中は穏やかさと優しさで満ちた魔女の背を。
美鈴は門の支柱に寄り掛かり、ぼーっと空を眺めていた。いつまでも悲しみを引き摺っていてはいけない。チルノも慧音も、パチュリーや小悪魔も、それをきっと乗り越えているのだろう。それに一番辛いのはあの子の両親なのだから。あれから美鈴はそう何度も自分に言い聞かせていた。
だが空を見ていると少女の手紙の一文を思い出す。『あの空が見たい』と言う一文。結局見せて上げる事は出来なかった空の事を。
「こら。何をぼーっとサボっているのよ」
「あ、パチュリー様。珍しいですね。こんな所までいらっしゃるなんて」
「いい加減シャキッとしなさいよ。門番は言わば紅魔館の顔なんだから」
「……結局、私は何も出来なかったんですよね。あの子達を会わせる事も、空を見せる事も出来なかった」
「……貴方達は出来る限りの事を精一杯やった。それで充分だと思うわ。誰も責めやしないわよ」
今日の湖は霧が晴れ、湖面が太陽の光を反射し輝いていた。妖精達も楽しそうにはしゃいでいる。美鈴とパチュリーは無言のまま、しばしその様子を眺めていた。
「チルノはあれからどうしてるの?」
「楽しそうに遊んでいるのを良く見掛けますよ。まるで全て忘れてしまったかのように」
「妖精の記憶力なんてそんなものかしらね。それに、忘れた方が良い事もあるわよ」
美鈴は空を見上げながら悲しそうな表情を見せる。パチュリーもつられて空を見上げた。久し振りに見る太陽が目に痛かった。
「でもあの事は忘れてほしくない。どんなに悲しくても忘れてはいけない事もあると思うんです。例え記憶から無くなったとしても、胸の中に残った想いは無くならないと、私は信じています」
「……そうね。あら、噂をすれば。あれチルノじゃない?」
パチュリーの指差した方向に視線を向ける。湖の上を青い妖精がこちらに向かって飛んで来るのが見えた。チルノの隣を見慣れない妖精が一人飛んでいる。二人の妖精は美鈴の前にふわふわと降り立った。
「ねーねー、お姉さん」
「こんにちわ、チルノ。今日はどうしたの?」
「あたいね、新しい友達が出来たの。凄いでしょ?」
腕を組み「ふふん」と鼻を鳴らすチルノの後ろで妖精が一人もじもじと美鈴達の様子を窺っている。緑の髪を片側で結い、黄色い翅を生やしたその妖精。人見知りの激しい妖精なのかもしれない。美鈴は極力優しい笑顔で「こんにちわ」と挨拶した。その妖精はチルノの背に体を半分隠したまま恥ずかしそうに「こ、こんにちわ」と挨拶を返した。美鈴はその初めて会う妖精の何か違和感の様なものを感じた。
「……貴方、何処かであった事あったかしら?」
その問いに妖精は首を横に振る。
「じゃあ、あたい達行くね。この子にとっておきの場所教えてあげるんだ!」
そう言うとチルノ達は湖の向こうへと飛び立って行く。美鈴は黙ったままその様子を見つめていが、いつの間にか自分の頬に一筋の涙が流れている事に気が付いた。パチュリーが心配そうにその顔を覗き込む。
「どうしたのよ? あの妖精がどうかしたの?」
「いえ。……あの、パチュリー様」
「ん?」
「人間が妖精に生まれ変われるなんて信じられます?」
「まさか。人間が妖精に転生するなんて考えられないわ」
「そうですよね。でも、もしも、もしもですよ? そんな奇跡が起こったら素敵だと思いませんか?」
「……ま、閻魔様の裁きが甘いとそういう事もあるかもね」
あの妖精と以前何処かであった様な気がする。確証があった訳ではないし、それを確かめる術も無い。ただ何となく、本当に何となくそんな気がしただけだった。パチュリーが言った様にそれはあり得ない事で、思い込みや願望と言って差し支えないレベルだった。
パチュリーは踵を返し、門の中へと足を向ける。そして何か思い出したかのように立ち止まる。
「そうそう、あの妖精珍しい個体かもしれないわね。少し興味が湧いたから今度チルノと一緒に図書館に呼ぶといいわ」
そして振り返り、微笑みながら言った。
「その時は……そうね、小悪魔に紅茶とケーキを用意させるわ」
美鈴の顔に自然と爽やかな笑みがこぼれる。パチュリーはそれを見届けると満足そうに館内へと戻って行った。あの優しい魔女は悲しみを乗り越える切っ掛けを与えに来てくれたのだろう。美鈴は涙を拭い、大声で感謝の言葉を叫んだ。
「パチュリー様ー、ありがとうございます! 私も小悪魔もパチュリー様の事が大好きですよー!」
パチュリーは平然と背を向け歩いているが、きっと不機嫌そうな顔を真っ赤にして照れているに違いない。その顔を思い浮かべ微笑みつつ、美鈴はチルノ達が去って行った空を見上げた。
もうあの氷の妖精が心を冷たくする事はないだろう。あの少女が彼女の小さな胸に大きな温かい心を残してくれたのだから。そして残された者達が彼女のその心を温め続けるのだから。
「ここがあたいのとっておきの場所。友達だから特別に教えてあげたんだからね!」
「……チルノちゃん、私この場所知ってる。初めて来た場所なのに」
「初めてなのに知ってるの?」
「うん。良く判らないけど私ね、ここでチルノちゃんにもう一度会いたかった、そんな気がするの」
「初めて来たのにもう一度? 変なの」
「うん、変だね。でも何かとっても嬉しいの」
「あたいも嬉しいよ」
「じゃあ、同じだね」
「おんなじ!」
「……ずっと、友達でいようね」
ずっと友達でいよう。それはチルノがあの少女への最後の手紙に記した一文だった。その言葉を聞いた瞬間、チルノの瞳から自然と涙が溢れた。チルノは何故自分が泣いているのか理解出来なかった。だがその涙は凍り付く事なく零れ落ち、幻想郷に大地に染み込んだ。
大ちゃん……。
クライマックスでは目頭が熱くなりました。
すみません。点数を入れ忘れていました。
大ちゃん可愛いよ大ちゃん。
涙を流しても、いつかまた笑い合えるのなら。それはやっぱりハッピーエンドだと思います。
大ちゃん、お幸せに。
感動しました。
一人一人のキャラに魅力があって良かったです。
特にチルノに世話をやく美鈴とぱちょりー様の掛け合いが最高でした
泣ける
ちょっとカブってるけど要するにそれは王道ということで。
真っ向勝負で良く書ききった作品だと思う。
個人的嗜好では、最後部分がちょっと語りすぎかも。多少ぼかした方が余韻が良かったかも知れない。
西洋でいう女の子の姿をした妖精、ピクシーは、洗礼前に死んでしまった子供の生まれ変わりだそうな。
中盤からずっと泣きっぱなしでした(泣)