夜の帳が落ち、丑三つ時と呼ばれる時間帯。
深々とした様子の命連寺の一室に、薄ら笑いを浮かべた人影があった。
暗闇の中、その影はくつくつと笑みを零し、ゆっくりと得物を持った右手を掲げる。
「ふふ、この艶やかさに甘くとろけそうな匂い。誠に香り、我腹ペコである! いざ、南無―――」
「さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」
「へぶぅっ!!?」
人影が右手を振り下ろそうとした刹那、障子を突き破った小柄な人物が人影を蹴り飛ばした。
きりもみしながら倒れる人影を尻目に、小柄な人物―――ナズーリンは華麗に回転しながら見事に着地する。
「聖、こんな夜中に何をしているんだ君は」
「な、ナズーリン!? なぜここに!!?」
呆れたような声を向けられて、人影―――聖白蓮は身を起こしながら、ここに彼女がいることに酷く狼狽しているようであった。
盛大なため息をこれ見よがしに零すと、ナズーリンはジト目で聖に視線を向ける。
「ご主人が無くし物をされていてね、私は今までそれを探していたわけさ。帰ってみれば、怪しい人影が部屋にはいって行くから誰かと思えば……」
そこで、ナズーリンは机の上に置かれた物体に目を向ける。
白いホイップクリームでデコレーションされたそれは、世間一般で言われるケーキと言う代物だ。
またため息一つを零して、視線を元に戻すとしょんぼりと項垂れている聖の姿。いつの間にか正座である。
「聖、私の記憶が確かなら君は今ダイエット中だったと思うんだが?」
「うん」
「封印されている間、録に運動も出来なかったから痩せたいっていう君に、ご主人も協力しておやつを抜いているというのに、君と言う奴は……」
「……反省してます」
ますます項垂れていく聖を視界に納めながら、ナズーリンはどうしたものかと思案する。
何しろ、彼女がこうやって夜中にこっそりと間食をしようとしたことは一度や二度ではないのだ。
最近のスイーツなるものに触れて、どうにも甘味好きの血でも騒いでしまったらしい。
聖を信頼しているナズーリンの主人、寅丸星はこのことに関しては苦笑を零すばかりでちっともアテにならないし、困ったものだ。
と言うより、そもそもはためから見て十分に痩せているほうだというのに、どうしてこうちょっとした体重が気になるのか。
「ナズーリンはわからない? ダイエット中の甘いものの誘惑とか!」
「生憎、私は小食な方でね。元からそんなに食べないから体重もあまり変動しないし、ダイエットは経験がないんだ」
「うぅ……、なんてうらやましい」
恨みがましい視線を向ける聖にも、ナズーリンは涼しげな顔ではいはいと軽くあしらうのみ。
そんな時、廊下から足音が聞こえてきてナズーリンが其方を振り向けば、寝巻き姿の星がぱちくりと目を瞬かせてそこに立っていた。
「おや、こんな夜中に明かりがついていると思えば、どうしたのですか? 聖、ナズーリン」
「あぁご主人、君からも何か言って―――……待てご主人、君のその手に持っているそれは何だ?」
「え? ケーキですけど……あ」
疑問を口にした星の手にある包みに気がついて、ナズーリンが冷や汗を流しながら言葉を紡ぐ。
すると、星は何の悪気もなくにっこりと笑みを浮かべて言葉にした直後、自分がデザートを控えているのだと今更のように思い出したらしい。
はっとしたように言葉を飲み込んだ星を視界に納め、ナズーリンはにっこりと微笑んだ。
無論、その額にはしっかりと青筋が浮かんでいたが。
「おいそこの虎、君も正座だそこに直れ!!」
この後、ネズミに説教される魔法使いと虎という奇妙な光景は夜明けまで続いたそうな。
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「とまぁ、そういうわけで寝不足なわけだよ」
「あはは、そりゃまた大変ね」
日は昇り、結局ろくに寝もしないまま今日を迎えたナズーリンの言葉に、空色の髪をした少女―――多々良小傘は苦笑いを浮かべて慰めの言葉をかけていた。
ナズーリンが彼女と知り合ったのは以前、小傘が命連寺の面々を驚かそうと忍び込んだときである。
もっとも、小傘が雲山の姿を見て気絶したんで、実質被害ゼロだったわけだが。
その時以来、不屈の闘志を燃やして命連寺を訪れ、そのたびに気絶してナズーリンに介抱されるもんだからどんどん仲がよくなっていったのである。
「ふーん、それじゃナズーリンのご主人は今頃寝てるの?」
「まさか。あの生真面目なご主人が昼間に寝るとかありえないよ。客人が来ていてね、彼女と一緒に出かけたよ……っと、噂をすれば」
耳をピクピクと動かしてナズーリンが後ろを振り返る。
すると、門をくぐって帰宅する寅丸星ともう一人の姿を確認し、
「あら、小傘さん?」
小傘は脱兎のごとく逃げ出した。
「阿修羅閃空ッ!!」
しかし残像残して回り込む風祝こと東風谷早苗。一体その体捌きはどこで覚えたというのか、あっという間に小傘を捕獲してにっこりと微笑む早苗。
冷や汗流しながら、あうあうと言葉にならない声を零す小傘。まるで肉食動物に捕食された小動物のようである。
心なしか、早苗の背後に蛇の幻影が見えないこともない。
「ふふふ、こんなところで出会うなんて奇遇ですね小傘さん。さ、あっちに行って楽しいことしましょうねぇ~」
「にゃ、にゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!?」
ずーるずーると引きずられていく小傘を見送りながら、心の中でドナドナを歌うナズーリン。
残念ながら、彼女にはあのドSモードに入った風祝を止めるすべはない。
そんな彼女の隣に、星が並びながら早苗と小傘に視線を向ける。
「ナズーリン、止めてあげなくてイイのですか? あのままだと、あの子がドSに目覚めてしまいますよ?」
「何を言っているんだいご主人、あの巫女はサドスティック星のゴッドマザーだよ。もう手遅れだ」
「では、あの傘の子は?」
「自覚はないようだけど、あの子は潜在的Mだから問題ないよ。なんだかんだで、あの二人はお似合いという事さ」
「……大丈夫なんですか、それ?」
「大丈夫、間違いないよ。ところでご主人、その包みは?」
適当に会話を打ち切って、星の手に持っている包みに目を向ける。
もう既にいやな予感しかしないのだが、そんなナズーリンの気持ちなど露知らず、星はにっこりと笑みを浮かべた。
あれ、なんかデジャヴ。
「ケーキですよ。……って、待ってくださいナズーリン落ち着いてください!!」
「やだなご主人、私は至って冷静だよ?」
「ロッド振りかぶりながら言われても説得力ないですよ!!?」
大きく振りかぶったロッドを見て涙目の星。
それで少し満足したのかナズーリンはロッドを下ろすと、小さくため息をついて彼女に視線を向ける。
「で、弁解は?」
「弁解とは失礼ですね。これは、ナズーリンに買ってきたんですよ」
「……私に?」
意外な言葉が出てきて、ナズーリンは目を丸くする。
うっかりな彼女のことだから、てっきり聖と交わした約束を忘れたのではないかと危惧したのだが、どうやらそうでもないらしい。
小傘の悲鳴を耳に聞きながら、ナズーリンはどういうことかと目で問いかける。
一心同体とはよく言ったもので、それで大体は伝わったらしい。困ったような笑みを浮かべながら、星は静かに頷いた。
「はい。ナズーリン、あなたは私が聖と一緒におやつを抜くと約束をしてから、食べてないでしょう?」
「……何をかな?」
「おやつ、ですよ。あなたまで私達に付き合わなくてもいいのに、律儀に手をつけてないの、知っているのですよ」
柔らかい星の言葉。その言葉がくすぐったくて、頬を描きながら視線を背ける。
けれど、赤くなった頬までは隠せなくて、それを見て星は苦笑した。
ばれていないと思っていたのだが、どうやら星には見抜かれていたらしい。
いや、うっかりでどこか抜けてる星が気付けたのだ。この分だと、聖のほうも気付いていたかもしれない。
二人に気を遣わせまいと、ばれないように振舞っていたというのに、どうしてこううまくいかないかなぁと内心で少し憂鬱だ。
「失敗したな。気付かれてないと思っていたのに」
「ふふ、ぬえやムラサが私のところに相談に来ましてね、ナズーリンが最近おやつを食べないから、何かあったんじゃないかって」
「あぁ……そういうことか。まいった、まず彼女達の口から封じるべきだったか」
「言い方物騒なんですけどっ!?」
ぎょっとした声を上げる主人を見て、薄っすらと笑みを浮かべるナズーリン。
その不気味に恐ろしい笑みを見ると冗談に思えないのだから怖い話である。
ゴホンッとわざとらしくせきをして、星は言葉を続けた。
「とにかく、そういうわけなのです。ですから、遠慮なく食べてください、ナズーリン。せっかく、早苗さんに美味しいケーキのお店を教えてもらったんですから」
「あぁ、それで巫女と一緒だったわけか。まぁ君はともかく、聖に悪い気がするんだけど」
「……なんだか言い方に棘がある気がしますが、そのことなら心配要りませんよ。昨夜、あなたにこってり絞られたおかげで見事にノルマ達成です」
「嫌な達成の仕方だな」
まったくですねと、顔をしかめたナズーリンの言葉に星が同意する。
結果オーライといえばそうなのだけれど、なんだか納得が行かないこの不思議。
どうりで、聖が今朝一番に体重計に乗った後から部屋から出てこないわけだ。今頃、昨夜不足した睡眠分を取り戻している頃だろう。
「さ、ちゃんとお友達の分も用意してありますから、客室でみんな誘って食べてください。いつも頑張ってくれている、ナズーリンへのお礼です」
「お礼……ねぇ。君はいいのかい、ご主人。ここ最近食べてないだろう?」
「私は―――もうしばらくしてから、聖と一緒に食べに行ってきますよ」
苦笑して、でもどこか楽しそうな星の姿にそれ以上何も言えず、「そうかい」といって肩をすくめるとナズーリンは小傘と早苗のところに向かう。
今も、多分顔が赤いんだろうなァと彼女は思う。ああやって、ストレートな好意と言う奴には昔ッからどうも弱かったのだ。
素直に、嬉しかった。見返りを求めて彼女に仕えているわけではなかったから、余計に。
監視役がこれじゃいけないんだがなァと思うのだが、それでもまんざらでもないと思うのだから仕方がない。
それに、たまにこうして星の優しい笑顔が見れるからこそ、こうやってナズーリンは頑張れるのだ。
「あぁ、二人とも。今日はその辺にしておきなよ。これからケーキでもふるまおうと思うんだけど、どうかな?」
だから、今日は彼女のくれたご褒美を甘んじて受け入れよう。
その言葉にきょとんとした二人を尻目に、星のほうを振り向いてみれば、いつの間にか起きてきたらしい聖と微笑ましそうにこちらに視線を向ける彼女の姿。
恥ずかしくなって、もう一度早苗と小傘に視線を戻すと、満面の笑みで頷いているところだった。
やはり、二人とも甘味は好物らしい。これなら、星の行為も無駄にはなるまい。
さて、明日からまた頑張りますかね。と、二人を案内しながらナズーリンは思う。
どうせ、ご主人はすぐに無くし物をするうっかり屋なのだからと、満足そうにくすくすと笑いながら。
書きたいお話を書けばいいのよー、って聖母(ひじりまま)が言ってた
あ、ナズーリンが凄くいい動きしてました。
いつの間に殺意の波動に・・・。
ねずみかわいいよ。
星はどの作家さんでも天然いいひとで確定かな・・・。
同じような話が溢れそうなだけに。
ナズはかわいいなぁ…
早苗に連れてかれる小傘の悲鳴とか頬を赤くするナズーリンが可愛いですねぇ。
この雰囲気…実に素晴らしい!