ある夜のこと、人里の茶屋で年の離れた二人の男が茶を啜っていた。
「こんな場所で申し訳ないが、本題に入らせて貰ってもよろしいか?」
そう切り出した若い方の男はある秘密結社のリーダーだった。妖怪を幻想郷から追い出そうとする、所謂過激派の連中だ。
「墓に片足突っ込んだような老骨に、いったい何の用かね?」
もう一人は人里で最高齢の老人である。
「貴方の父君は高名な退治屋だった言う話だが、そちらの方面に心得は?」
老人は団子を一つ口に入れて、茶を啜る。
「儂ももう九十を過ぎて、後は死ぬだけと思っていたが……親父のことを聞かれるとは思わなんだ。……勿論心得はあるよ、幻想郷の民は元々、そう言う類の者が多い。お前さんもそうだろう?」
……それで?老人はそう呟いて、若者に続きを促した。
「私達は、幻想郷の今の現状を何とかしたいのですよ。……妖怪の支配体制から抜け出すために、貴方の知識を私達に貸して頂きたい」
若者はそう言って頭を下げた。
「……支配体制、か」
「そうです!今の幻想郷は妖怪にバランスが傾きすぎている。その証拠に我々人間には幻想郷に対する知識がない!調べようとしても重要な情報は妖怪の手の内です。妖怪に対抗するための書物であった幻想郷縁起にも妖怪の手が加わる始末だ!妖怪は本来、倒すべき敵のはずです。それが今や……これでは家畜と同じだ」
若者は言葉を切ると、もう一度頭を下げた。
「確かにお前さんの言うことも一理ある……人間と妖怪は退治し、退治される関係じゃ。じゃが、今の幻想郷がバランスを失った状態だとは思えんよ」
若者の表情が変わるのを見て、老人は苦笑した。
「落ち着け。……確かに妖怪は力が強いし知恵もある、とてつもなく強大な力だがね。支配だとか、家畜だとか、そう言うものではないと思うよ。今の妖怪は、種族としては途轍もなく弱いんじゃよ。……幻想郷に縋らねば、後がない」
若者はそれを聞いて大笑いした。
「ははは!馬鹿なことを言わないで下さいよ。妖怪共は私達人間を簡単に殺せるんですよ?その強大な力だけでは飽きたらず、妖怪拡張計画と大結界で反発する人間の芽すら潰した!そんな奴らが追い詰められているですって?冗談も程々にして下さい」
だからこそだった。力の強い妖怪が、幻想郷などと言う狭い土地で暮らす必要はないだろう。今の時代に流れ着く外来人は、退魔の術を持っていない。外の世界で妖怪を阻害するものは何一つ無いのだ。若者はそう認識していた。
老人は神妙な面持ちで呟く。
「……親父から聞いた話だ」
老人の父親は大結界での隔離以前、退治屋として名を馳せていた。そこから伝え聞いた話は信憑性も高いものだ。
「大結界の騒動の後、親父は妖怪の賢者の一人に聞いたんだと。『何故人間に有利な結界など張るのか』とな。最初は発達していく舎密に対抗するためか?と思っていたらしいが、答えは違った。『恐れを忘れ、力を忘れ、記憶も風化して、段々と小さくなって、最後には存在すらも忘れ去られて、人間に愛想を尽かされると、私達は消滅してしまうのよ』妖怪の賢者はそう言ったそうだ。お笑いだろう?恐怖は妖怪の糧、それは知っている。それを人間が忘れてしまった後は、妖怪が愛想を尽かして何処かに行ってしまうものだと思っていた。よく物語にある消えてしまったってのは、何も力を蓄えて居るんじゃない、消滅してしまうんだとさ。綺麗さっぱりと……な」
若者は、半笑いだった自分の顔が青ざめていく様を感じ取った。今、自分がどんな顔をしているか、分からない。
「ばかな……そん、な、はなし、しんじられる、わけが……ない」
若者は唇をわなわなと震わせ、呟いた。
「はは……そうだ、妖怪に聞けばいい!……妖怪ならその話が本当かどうか分かるはずだ!」
「それなら、夜雀がやっている屋台に行こうか。あそこなら妖怪も沢山居るじゃろう」
老人は放心状態の若者と共に、夜雀の屋台へと向かった。
ミスティア・ローレライの屋台は、今日も妖怪達で賑わっていた。最近はたまに人間も来るそうで、売り上げも良好である。
「たいしょー!鳴き声一つー!」
「はいよー!ちんちんー♪」
「あはは!ミスチーひわいー!」
「なにおう!」
……そんな中に、年の離れた二人の男がやってきた。
「いらっしゃーい!ご注文は?」
若者が口を開こうとするのを手で塞いで、老人が幾つか注文をした。
「兎に角お前さんは一度落ち着かねばならん。……さあ、遠慮せず飲め!」
半ば無理矢理に若者に酒を飲ませた。
「なに?えらく年の離れた組み合わせねぇ。人間が来るってだけでも結構珍しいのに。……あ、そっちのおじいちゃんは久しぶりね!覚えてるよ!」
「……昨日も来ただろうに。……まあ、覚えていただけでも進歩かのう」
若者は卓に突っ伏してぶつぶつと何事か呟いていた。
それを見て、氷精と宵闇の妖怪がちょっかいを出してきた。
「なんだー?なやみごとならさいきょーのあたいにまかせておけー」
「チルノべろんべろんだなー。……お兄さんだいじょうぶ?顔色悪いよー?」
「……お前達は外の世界に行ってみたいとか思わないのか?」
「……んー?あんまり思わないね。それになんか、外の世界の人間には敵わないって感じがするの……漠然と?」
宵闇の妖怪の言葉は、思いの外深く若者の心を抉った。
「なんだかよくわからないけど、あたいはさいきょーだからかんけいない!」
氷精が自信満々に叫んだ後、それまで黙って酒を飲んでいた銀髪の女が呟いた。
「この際だからうじうじと悩んでないで、いいたいこと言っちゃえば良いんじゃないかしら?」
その言葉を聞いて、若者はぽつりぽつりと語り始めた。
「妖怪に……娘が喰われたんだ。……妻が病で逝って、私には娘しか居なかった。……娘はまだ小さくて、妖怪に対する恐怖心がなかった。……そんな年頃の子供は、時期が来れば恐怖を覚えて帰ってきていた。……だからまさか自分の娘が喰われるなんて思っても見なかった。……頭の中で分かってはいたんだ、大結界があっても、100%安全な訳じゃない、喰われるかも知れない、怪我をするかも知れない。……注意もしていた。……だが娘は喰われた!」
若者の声が響く。
「私はその妖怪を殺したよ。……大して強くもなく、楽に仇を討てた。……次の日から、娘の墓に供えられる花が減っていたが……考えないようにした」
屋台の喧騒はもう止んでいた。
「秘密結社を立ち上げるまでになって……妖怪を追い出すために色々と頑張ってきたが、今日、私が今まで持っていた価値観が音を立てて崩れた」
妖怪ってのは強いものだと思っていたんだ。若者はそう呟いて、自嘲気味の笑みを浮かべた。
この間、老人と銀髪の女は万が一に備え、お札を何枚か握りしめていた。
「妖怪ってのは自然の権化のようなもの。……だからと言って天災みたいなものだ、で納得はできないでしょうね」
「そう言うことです。でも、今まで力にものを言わせて好き勝手やっていると思っていた妖怪達が、理由を持っていることに気付いて道に迷ってしまった。……私のような思いをする者がこの先も出るのなら、妖怪なんていない方が良い。……そう思っていたんですが」
迷いが出てしまいました。そう呟いて、若者は頭を抱えた。
「……いいんじゃないかなー」
宵闇の妖怪がふにゃっと笑った。
「そう言う組織があるって事は、私達のことを恐れているって事でしょう?なら止める必要はないんじゃない?……イエスマンばかりじゃ楽園は成り立たないって誰かが言ってた」
「おお、ルーミアがなんかすごいこと言ってる!?」
「私も妖怪だからねぇ。不遜な態度と圧倒的な力で人間を恐怖のどん底に叩き落とすのだ」
若者は一連の会話で悩みが軽くなった気がした。そもそも妖怪の機嫌を窺ってどうするんだ、うじうじと悩む前にやれることをやれるだけやってみればいい。
「大将、勘定お願いします」
「はいよー、またどうぞー!」
若者は立ち上がって、飲み代を渡すと、客達に頭を下げた。
「皆さん今日はどうもありがとうございました!……ご老体も貴重な話をどうも」
屋台の客達がひらひらと手を振った。
「いやいや、惑わすようなことを言って悪かった、儂はもう少し此処で飲んでいるからの。……悩みは吹っ切れたか?」
老人がそう言うと、若者は照れたように笑った。
「おかげさまで。……長年あった胸のつかえが取れたような気分です」
「考えは……変わったかの?」
「いいえ、程度の差はあっても、今の妖怪と人間の立場は間違っていると思います」
老人は若者の答えを聞いて満足そうに頷く。
「うむ、その考えは貴重だ。……大事にな」
「……ああ、そう言えば貴方の答えを聞いていなかった。……教えて頂けますか?」
老人は少し考え込んでから、答えた。
「……儂の答えはな、共生じゃ。……表には見えていなくても、此処は人間と妖怪の共生の地だと思う。……その雰囲気が普通に感じられるようになったら、嬉しいのう」
その答えを聞いて若者は満足そうに頷いた。