レミリアは知った。ぎゃおーと言っても許されない事があるのだと。
「お嬢様……」
熱い視線ばかりを送ってくれる咲夜も、今だけは冷たく感情の欠片もない眼で見下ろしている。一切の反論を許さず、ただただ裁く者が浮かべるような視線だ。
我ながら、自分の子供っぽさに呆れてしまう。何がぎゃおーだ。そんなものは魔法の呪文でも何でもない。言えば許して貰えるだなんて、どうして思っていたんだろう。
悔しくて唇を噛む。
「いくら私でもフォローできる事とできない事があります。これがどちらなのか、言わずともお分かりですね?」
裏拳で紙切れを何度も叩く。ぱんぱんと小気味よい音が聞こえた。
唇から滴り落ちる血を舐めとって、恨みがましい目で答案用紙を睨み付けた。
そう、全てはあれが原因。諸悪の根元。生きとし生ける者を地獄の奥底へと突き落とす魔の紙切れなのだ。
あれさえ無ければ、今頃は咲夜と楽しくお茶会を開いていたことだろう。
それなのに。
「分かってますよね、ご自分の点数ぐらい」
慧音が開いている寺子屋へ、戯れに行ったのが間違いだった。丁度テスト中だったので、良い機会だからと咲夜がテストへの参加を促した。まさか当主たる御方がこんな問題を間違うはずがありませんよね、などと煽りつつ。
そうまで言われて黙っているレミリアではない。威風堂々と筆を握りしめ、問題だけが踊る答案用紙を真実で彩っていったのだ。
所詮は子供が答えるような問題。長らくの時を過ごしてきたレミリアからすれば、欠伸をしながらでも解ける。
「零点ですよ、零点! しかも寺子屋でただ一人の!」
問題は解けた。間違ってもいなかった。
ただ、大切な所を確認し忘れていた。
「どうして名前の欄をちゃんと見なかったんですか!」
燦然と輝くレミリア・スカレーット。微妙に惜しい所がまた腹立たしい。
ただ一つだけ確実なのは、これを書いたのがレミリア・スカーレットだということだ。
当然、名前を間違えたのだから零点という結果だけが待っていた。
「ただ間違えたのなら、私が手取り足取り勉強を教えて差し上げましたが、これはどうすることもできません!」
涙ながらに訴えられては、さしものレミリアも反撃の言葉が無かった。しかも勝手に伝家の宝刀だと思っていた『ぎゃおー』は、既に初手で咲夜に封じられている。今日はそんなもので誤魔化されませんよ、と言われては二の足を躊躇うのも無理なかった。
レミリアはどうすることもできず、ただ咲夜の言葉を黙って聞くばかり。
いや、そんなことでいいのか。自分はそれで納得できるのか。
咲夜を悲しませたままで、許されるというのか。
「咲夜……」
「なんでしょう、お嬢様」
「私、目が覚めたわ」
力強く、従者の前で宣言をする。
後光すら差しそうな勇ましさに、慌てて美鈴が日傘を持ってきた。そんなもの、迂闊に差せば灰になる。
「お嬢様!」
胸の前で手を組み、祈る乙女のような体勢で咲夜は主の凛々しさにまた涙を流した。だが、今度の涙は心地よいものであった。
レミリアは咲夜の手から答案用紙を奪い取り、くしゃくしゃに握りつぶす。
「私、修行してくるわ! どんな人でも許してくれるような、そんな最高のぎゃおーを!」
「それでこそ、私のお嬢様です!」
颯爽と夕日に消えゆくレミリアを、咲夜は拍手で送り届けた。
その背中はレミリアのものと思えないほど頼もしくあったのだが、よく見たら日傘をさしてお供をする美鈴の背中だった。
レミリアの背中は相変わらず、こうもりのような羽がパタパタと動いて可愛らしい。
咲夜の拍手がより一層強くなった。
山に籠もり、巻き藁に叫び続けること早数百回。汗も滲み、いつのまにか拳は血豆だらけになっていた。不思議なことに。
だがそれだけやっても、一向に何かを掴めた気がしない。むしろ時間をただ浪費し、無駄な経験を積んでいる錯覚すら覚えた。
付き添いでやってきた美鈴も、レミリアの焦りを自分のことのように感じていた。
「お嬢様、今日はこの辺で止めておきましょう」
「駄目よ……だって、まだ何もできていない……」
タオルを掛けようとする美鈴を遮り、再び巻き藁にぎゃおーと叫ぶ。
深き森の中に、レミリアの声だけが木霊していった。
「何の声かと思って来てみれば。それじゃ駄目ですね、レミリア・スカーレット」
「誰!?」
はっと、声のした方を振り返る。
小高い丘の上に、小さな人影があった。
「あなたのぎゃおーには重さがない。だからいざと言うときに効果を発揮しないのです」
人影はそう言うや否や、とうっ、と丘を蹴って跳躍した。
木々はそれを邪魔することなく、全くの無傷で着地を果たす。
顔をあげたその人こそ、現人神と誉れ高い東風谷早苗であった。
「な、なんであなたが此処にいるのよ!」
「境内の掃除をしていたら、妙な声が聞こえるようになったんです。集中も出来ませんし、これは異変かと思い、こうして参上したのですよ」
考えてみれば、ここは妖怪の山。天狗や河童だけでなく、守矢の神も鎮座する山なのだ。
突然の乱入者に驚きはしたものの、ここで諦めるつもりなどない。早苗を無視して特訓を続けようとしたレミリアは、ふと動きを止めた。早苗の言葉に引っかかるものがあったのだ。
「私のぎゃおーには重さがない?」
「そうです。先程から何度も聞いていましたが、あなたは数をこなすことで逆にぎゃおーの価値を下げている。本来、ぎゃおーというのはもっと重みのある言葉なのです」
訳知り顔で説明しているが、どうしてこんなにも詳しいのか。早苗の口からぎゃおーなどという言葉を聞いたことはない。
その疑問を肌で感じ取ったらしく、優秀な生徒を見るような目つきで早苗は笑った。
「私が普段からぎゃおーと言わないのは、それを言うことで相手が馴れてしまうからです。ですが、ここぞという時に使えば」
一端区切り、勿体ぶりながら言葉を続ける。
「それは最大の効果を発揮する」
つまり早苗はこんな特訓など無意味で、むしろ普段から使わないことを心がければ良いと言っているのだ。なるほど、確かにその話には説得力がある。
「騙されてはいけないわ!」
「だ、誰です!」
小高い丘の上に、小さな人影と大きな入道の姿があった。
「確かに言葉へ重みをつけるのは大事なこと。でも、それよりも大事なのは可愛らしさを磨くこと」
人影はそう言うや否や、とうっ、と丘を蹴って跳躍した。入道もそれに続く。
木々をもろともせずはね除け、そのまま早苗に向かって一直線に進む。
「一輪の力を借りて、いま必殺のウンザン・アタック!」
華麗なる飛び蹴りは、あっさりとかわされた。
地面との摩擦を楽しみながら、大地を削っていく人影と入道。
しばらくすると何事も無かったかのように戻ってきた。
「悪いけど、巫女だけに良い格好はさせないわ。お悩みがあるなら、この聖輦船の乗組員、雲居一輪と雲山が聞きましょう」
「何ですか、またあなたですか。お願いですから、私の邪魔をしないでください」
「邪魔をしてるのはあなたの方じゃない。私はこのレミリアさんに用事があるんだから、あなたは帰って掃除して昼ドラ見ながら煎餅を齧ればいいじゃないの」
「それは八坂様の日常です。私とは関係ありません」
いきなり現れて口げんかを始める二人に、さしものレミリアもどうしていいのか分からない。ちなみに美鈴は完全に無視して、晩飯の用意を始めていた。
「じゃあ、こうしましょう。二人が同時に教えて、最終的に良かった方をレミリアさんに決めて貰うということで」
「わかったわ。それでいきましょう」
当人を差し置いて、いつのまにか方針が決まったらしい。
時間を無駄にしたくなかったレミリアは、そんな二人を無視して巻き藁への叫び込みを再開していた。今度はなるべく可愛らしく、聞くだけで腰が砕けるような声になるよう気を付けながら。
「あの、レミリアさん?」
「私達の話、聞いてましたか?」
特訓に集中したいのだけれど、それを二人は許してくれない。特訓を邪魔された苛立たしさも助け、口から漏れた言葉は殺気と威厳に満ちあふれていた。
「ぎゃおー」
息を飲む二人。それは今まで耳にしてきた中でも、最もおぞましく、最も恐ろしい言葉。
これ以上の追求は命を危険に晒してしまう。そう思わせるほど、レミリアの言葉には力があった。
二人は顔を見合わせ、レミリアに頭をさげた。もう、我々から教えることは何も無いと。
そうして去っていく二人をよそに、レミリアは己の喉を押さえていた。
「い、今のは……」
可愛らしくもなく、媚びた風でもない。全く新しい、威厳に満ちたぎゃおー。
そうか、と呟く。
「これが私の探し求めていた、本当のぎゃおーなのね!」
迷走していた霧の中。
レミリアはようやく、光の差す方向を見つけた。
後はとにかく、今の感覚を忘れないよう繰り返してモノにするだけ。
「お嬢様、スパゲッティが茹であがりましたよ」
トマトソースを堪能してから、特訓を再開しよう。
咲夜は待っていた。レミリアの帰りを。
先に戻った美鈴によると、とうとう帰ってくる気になったのだという。
それはつまり、彼女が追い求めた理想のぎゃおーに辿り着いたということ。
咲夜は待っていた。そして楽しみにしていた。
自分はどういう風にして、彼女を許してしまうのだろうかと。
夕日が沈む。
吸血鬼の時間帯だ。
地平線の向こうから、大きなシルエットが姿を現す。
「あれは……」
巨体の上に見えるのは、コウモリのような羽を背負った小さな少女。紛れもなく、レミリア・スカーレットだ。
駆け寄りたくなる衝動を抑え、こちらに近づくのを待つ。ここで駆け寄るのをレミリアは良しとしないだろう。瀟洒な従者として相応しい勤めは、ただ黙って主の帰りを待ちわびるのみ。
逸る気持ちと身体を必死に宥め、咲夜はレミリアが近づいてくるのを黙って待ち続けた。
徐々に距離が縮まるにつれ、その巨体が何であるかの検討がつく。
象だ。
レミリアは象に跨っていた。
「お嬢様!」
堪えきれず名前を叫んでしまった咲夜を、両手で制すレミリア。その仕草たるや、どこぞの王族かと見まごう程である。
「お嬢様? 何を言ってるのかしら?」
象から飛び降り、愛馬にそうするように優しく撫でる。
「私の名はぎゃ王。そして、この子は愛象のタベチャウ象よ」
「ぎゃ、ぎゃ王!?」
当主から王になっていたとは。いかなる特訓をすればそうなるのか。
だが、咲夜にとってそんなことは些末事でしかなかった。
お嬢様が格好良くなって帰ってきた。
その事実だけで充分であった。
「では、ぎゃ王様。どうぞ、館へ」
「悪いけど、私は諸国を巡ってあらゆる罪人を許して回ることにしているの。だからあなたの気持ちは嬉しいけれど、ここで立ち止まっているわけにはいかないのよ」
やんわりとした口調なれど、その言葉には芯があった。何にも屈せず、やり遂げようという信念が。
咲夜も瞬時に理解する。レミリアを説得することなどできないと。
だから身をひき、頭を下げた。
「あなた様の行く先に、幸多からんことを」
「あなたもね、十六夜咲夜」
そうしてレミリアは再びタベチャウ象に跨り、地平線の彼方へと消えていった。
咲夜はそれを見送りながら、自分の頬に冷たい何かが滴り落ちるのを感じていたという。
「ただいま、咲夜。早速だけどチーズケーキが食べたいわ。ワンホール」
「は?」
地平線へ消えたレミリア。その逆方向から、同じ顔をした少女が現れる。
レミリアと名乗る少女は動きの止まった咲夜を見て、首を傾げた。
「どうしたの、咲夜。特訓ばっかりで疲れたから、甘いモノが食べたいのよ。あとスパゲッティにも飽きたから、今日はハンバーグがいいわね」
レミリアを見つめ、そしてぎゃ王が消えた地平線を見つめる。
何度もそれを繰り返し、咲夜はようやく理解した。
ああ、あれは本物のぎゃ王様だったんだと。
そろそろ永琳は八重結界氏の脳みそを解体して、その発想がどこから出てくるのか真剣に調べるべき。
あとがきの破壊力も異常www
>その巨体が何であるかの検討がつく。
見当ですかね?
日輪ならぬ一輪がツボに入ったwww
スイマセン。調子乗りましたww
惜しくらむは神奈子様が、神奈子様が神々しくも艶めかしい御身を見せて下さらなかった事位で。
最後のおぎゃー!でトドメ刺されたwwwww
…………なんだこれww
気づいたら100点をつけてしまっているw
脳みそをどうこねくりまわして発酵させたらこんなネタ出てくるんだよこんちきしょー!