『故郷に帰らせて頂きます。
橙へ。勝手で悪いが何時戻るかわかりません。
藍より』
* * * * * * * * * * * * * * * *
とある小春日和、人里。
中秋も過ぎコロコロと空模様も移り変わる頃にしては珍しく温かい日和だった。里はいつも以上に賑わい、どの家でも今日を逃すなと言わんばかりに洗濯物を干している。
そんな平和な日、一匹の妖怪が何気無く寺子屋の中へ入って行った。
周りの同年代(もっとも自分は大分生きてるが)よりは自分の方が頭がいい。特に数里分野。だが他の課目はそうでもない。特に言語、歴史学。
それらは結界のチェックには必要無いのではと猫又・橙は思う。
されど主曰く、『全ての教養を兼ね備えてこそ〈八雲〉なんだ』らしい。
というわけで、定期的に出される課題をこなす為に、ちょくちょく紅魔の大図書館や里の寺子屋に行くことがあった。
『山』の風祝には、外のエリート学生さんみたい、と言われた。
現在、橙は摂関政治についてのレポートをまとめる為、半獣の下を訪れていた。
「―――じゃあ、グスタフ系とカーン系の類似をまとめればいいでしょうか」
「ああ。しかし……すごいな」
「え?」
半白澤、上白沢慧音は感嘆の声を上げる。
「いや、橙の学習欲だよ。寺子屋の生徒たちにも見習ってもらいたいものだ」
褒められれば嫌な気はしないが、自分は彼らの祖父母の時代から生きている。未だに勉学に励む身とは何やら恥ずかしいものだ。
「ああ、そうだったな。何分、他の妖怪の子たちと遊んでいるイメージが強かったから。
しかしお前の数学的能力は最早、幻想郷でも屈指だと思うぞ。
流石、〈八雲〉の式だな」
……まだ、八雲じゃない。
「あ……と、まあなんだ。お昼は食べていくといい。
今日は生徒の父母が炊き出しをしてくれているから、一緒に食べていけ」
「はい。御馳走になります」
今日は夜にマヨヒガへ行く。それまでは時間が余っているので丁度良い暇潰しになるだろう。
橙と里の子供たちの仲は良い。
慧音の心遣いもあって、何時寺子屋にお邪魔しても彼、彼女らは温かく迎えてくれる。ただ生徒が代替わりしても慧音の下へお邪魔しているので、橙としてはどうも気まずい。
気まずいのだが―――
「あ! チェン! 久しぶり。元気してた?」
「うん。さよちゃん。みっちゃんも久しぶり」
―――何故か容姿一回りは違うだろう彼らの親、数代前の寺子屋の生徒達は絡んでくる。
(幻想郷は全てを受け入れる……か)
主の主の言葉を思い出す。単純なのか、奥深いのか……よくわからないなぁ。
豚汁を啜りながら物思いに耽った。
「あちっ!!」
* * * * * * * * * * * * * * * *
「―――でね……ちょっと、チェン。聞いてる?」
「あ、うん」
うわの空で冷ました豚汁を啜っている橙の隣で、友達の親ら(彼女らも友達だが)が雑談をしていた。
「だから言ってやったのよ。『実家に帰らせて頂きます』ってね!」
「えー。キツイでしょ……子供どうしたの?」
「もう勢い余って、置いてっちゃった」
「うわっ。酷い親。チェンどう思う?」
「え?」
正直、聞いてませんでした。スイマセン。
「……ん~。あんまり想像つかないかな」
「まあ、親子とか夫婦とか、チェンの家は問題無さそうだもんね」
「あはは……」
旦那、紫様。妻、藍様……違うな。年下家政夫、藍様。姉さんグータラ女房、紫様。
本人達には聞かせられないような、何とも失礼な例えを思い付いた。
「こらこら、お前達。くだらない話で橙を悩ますな」
子供たちを見ていた慧音がこちらに入って来た。
「ま、慧音センセは旦那のこと尻に敷きそうだもんねぇ」
「そうそう。実際してそうだし」
ターゲットを慧音へと変える奥様方。
「んな! 別に私はアイツのことなど……」
「え!? 誰誰!」
「あ、いや……」
「知らないのぉ? センセの彼氏はね……」
良い様に元教え子たちに遊ばれる教師。
夫婦……恋人かぁ……今の私には縁が無いな。自分に彼氏なんかできたら―――
《……へえ。君が橙を誑かしたの……ちょっと奥で話をしないか……紫様、少し外します》
《程々にねェ……私の分も残しておきなさい》
―――今はまだダメだな。
そんなドロドロ恋愛妄想をしている橙の横で、慧音いびりは続いていた。
「お前ら! いい加減にしてくれ! 私に彼氏なんて―――」
云百年生きているというのに恋の一つもしてない(?)とは、意外と色の無い生活をしている。
妖怪に恋愛どうこうってのもおかしな話か、と我に戻った橙は苦笑した。
慧音の場合は半分、だが。
「もしかして、里の男共?」
「莫迦ね。センセに限ってそれは無いわよ。妹紅お姉様じゃない?」
「いや、意表をついて幼馴染って噂の霖之助さんかもよ!」
キャッキャうふふ……
「お、お前ら! そこに直れ!!」
* * * * * * * * * * * * * * * *
夕刻。
橙はタジタジの慧音にレポートを手伝ってもらい、一度隠れ家へ戻った。
その後、紫に買ってもらった外の『ぶらんど』のバックに必要な物を詰める。
「今日はお使い頼まれてないから……本と……よし」
手下の、未だに言うことを聞かない、猫達に留守を頼みマヨヒガを目指した。
マヨヒガの場所は幻想郷の……何とも形容し難い場所にある。紫曰く、猫の隠れ家の上らしいが本人は、○こでもドアを使うのでとてもアバウトな表現しかしない。
実際仲の良い幽々子でさえ紫が迎えに行かなければ足を運べない。そんな場所だ。
そういうわけでマヨヒガの『場所』を特定出来るのは紫と藍だけ。他にも閻魔や上位の神様なら行けるらしいが、どうやら勝手が違うらしい。
橙の場合、藍から渡されている霊符を使ってマヨヒガへ向かう。
どうしてはっきりとした場所を教えてくれないのかと尋ねたところ、私達は空間座標でマヨヒガの位置を確認しているけど……橙にはまだ難しいかな、と誤魔化された。
「妖力を込めて……」
橙が渡されている霊符は、いわばマヨヒガ急行バスのチケットの様なもの。主らは自分の車で好きに行き来している感じだ。
妖力がこもった符はスキマを開け、簡易ど○でもドアとなった。橙はそこへ飛び込み、なんとも不可解な空間内に数分漂う。水の中とも違うし、もっとも式が外れるので潜るほど水中にいたことは無いが、宙に浮く感じとも違う。
何かこう、ドロっとしたような……ふわふわしたような……これまた形容し難い感覚。
初めは空間酔いしたが、今じゃ慣れたもので足場を構築し飛びまわることさえできる。調子に乗って頭から落ちたこともあったが。
数分経つと入ったのとは別のスキマが見える。基本一方通行なので間違うことは無い。
橙は光が漏れているスキマへとダイブした。
* * * * * * * * * * * * * * * *
マヨヒガ。
「藍様、紫様、こんばんわー」
橙はスキマから出て八雲亭の玄関を叩いた。
和風のお屋敷タイプの家。白玉楼ほど広くは無いが、並の家ほど小さくは無い。
橙は知った顔で屋敷の中へと上がり込む。
「藍様?」
何時もは顔を見せる主が現れない。
不安に思いつつも廊下を進み、居間へ向かった。
「……こんばんわぁ」
居間には誰もいなかった。
台所だろうか?
「藍様?」
いない。
更に不安になりつつ、今度は藍の自室へ向かう。
「失礼します」
声をかけ、戸を開ける。
いない。
その後、風呂や庭も探したが主の姿は無かった。
結界の点検か買い物にでも出かけているのだろうか……いや、無い。もしそうであるなら、藍の性格上、書き置きの一つでもしている。
屋敷を一通り探し、最後に……本当に最後の部屋だが、主の主の部屋に向かった。普段入らないよう言伝されている紫の部屋。
一度興味本位で覗いてみたのだが……何時の間にか居間にいた。それ以降、怖くて紫の部屋には近づかないようにしていたが、そうも言ってられないみたいだ。
橙は戸越しに声をかけた。
「紫様。橙です。いますか?」
声はしなかった。寝てるか、もしくは居ないのだろうか。
橙は仕方なく居間で待つことにした。
―――数分後。
ガラッ……と玄関が開く音が聞こえた。
「藍様!」
居間を飛び出し玄関へ向かうの方へ向かう橙。
やっと帰って来た! 心配させられた代わりに、あのビーズクッションのような尻尾へ潜り込んでやろう。
今すぐ主の顔を確認すべく、駆け出した―――
「ただいま……橙、来てたの」
―――が、そこにいたのは主の主だった。
「あ……紫様。おかえりなさい」
「ん」
何故か、普段着ている少女臭漂う洋服でもなければ大陸服でもなかった。しかも髪はボサボサ。おまけにスッピンときてる。
橙は色々と疑問に思い、思い切って紫に尋ねた。
「あの……紫様」
「何?」
抑揚の無い声で返事をする紫。
「あの……藍様は?」
「……」
無言で歩を進める。そして居間の、少し早いが先週押入れから出したばかりの炬燵に潜り込んだ。
「あの……」
「……」
紫の後ろに正座する。
無言の主の主が少し怖かったが、そんなことも言ってられない。主のことを聞き出そう。
漸次、頭上にスキマが開きヒラヒラと何かが落ちて来た。
封筒……
「紫様……?」
「読みなさい……」
中に入っていた手紙を取り出し―――目を疑った。
「え……」
確かに……主の字だ。しかし―――
「どう……して……」
「……」
藍が、出ていった。
紫は未だに無言だった。
何処から出したか、机の上に緑茶があり、それを静かに飲んでいた。
「紫様……これ……」
「見ての通りよ……」
どこか腑抜けた様子の紫。橙は疑問を感じた。
「何で……?」
「……さあ」
明らかに何かを隠している様子だった。
「嘘ですよね……故郷(国)って……外じゃないですか」
「……少なくとも幻想郷にはいないわよ。式も剥がれてるし」
橙は察した。
紫が髪も服も整えないで外から帰って来たのは、きっと急いで藍を探しに行ったためなのだと。
しかし……わからなかった。何故、藍が出て行く必要が。しかも、わざわざ外へ……
ふと、昼の会話が浮かんだ。
―――『実家に帰らせて頂きます』―――
「……!? 紫様! もしや藍様と喧嘩したんじゃ?!」
「……」
一向に橙の目を見ない紫。
「紫様!」
「だったら……なんなの……」
どうやら図星の様だ。橙は声を張った。
「なんで喧嘩なんか! しかも家(ここ)から出て行くなんて何やったんですか!?」
「別に……勝手に出てったのよ。知らないわ」
ありえない。仮にも八雲の従者である。そんな勝手が許されるわけがない。
更に問い詰める。
「知らないって……! 紫様が追い出したんじゃないんでしょう!!」
「……そんなわけないでしょ。いい加減喧しいわ、橙」
「う……で、でも幻想郷から出て行ったって……」
「みたいね。もういいかしら? 寝る」
紫は幽鬼のように立ち上がり自室に向かおうとした―――
「……何よ」
「藍様を探しに行きましょう! まだそう遠くには行ってないはずです!」
「だから、いないって……しつこい」
―――が、裾を式の式に掴まれた。
据えた目で橙を睨む。しかし橙は裾を離さず、再び喰いついてきた。紫はキレる一歩手前だった。
「紫様!」
「……五月蠅い」
浮遊感。
橙はスキマに放られた。
「紫様ぁ!!」
* * * * * * * * * * * * * * * *
数時間前、朝方。
従者を侍らせて居間で転がる八雲紫は、機嫌が最悪に悪かった。昨日の晩の宴会で、賭け麻雀をしたんのだが……見事に鴨にされた。
相手は神奈子とさとりと輝夜。
無論、彼女らの麻雀はまず正規なものではない。各々能力有り、技能有りのチート麻雀だった。ただし、当たり前だが、暴力無し。待った無し。そして、これはオリジナルなのだが、天和・地和無しの倍レートルール(一発上がり有りにするとゲームにならない為)。
普段は快勝するはずの紫もこの日ばかりは調子が悪かった。
「ああもう! アイツら絶対組んでたわ!!」
なんせ役ができないのだ。上がれても平和(あ)がりのみ。
対して連中らは四暗刻、大四喜、九蓮宝燈……役満ばかり。
始めは余裕をかまして逆転ホームランを狙っていたが、気付いた時にはもう遅い。何時の間にか箱られていた。
確かに酔っていた所為もあるが、よりにもよって自分を嵌めるなんて……
「ああ! もう! 藍! ら~ん!」
「はいはい。ここに。寝ますか? それともお風呂に入ってから?」
「主がやられたっていうのに貴女は余裕なの!?」
「ああ、悔しい悔しい。とりあえず、お風呂沸かしておきます。朝食も軽くでいいですね?」
まさにどうでもいいといった感じだった。
「だいたいねえ、アンタが相席しなかったから……」
「できレースや念話の反則使ってまで勝ちたいんですか? 日ごろのツケが回って来たんですね。
いい薬です。とりあえず、洗濯物出しといてくださいね」
「……何よ」
いつもは藍とペアを組んでゲームに入る。無論、イカサマ使って。
自分お構い無しで、せっせと家事をこなす従者に腹が立った。確かに己の悪い点は有るのだが、頭に来る。
「賭けの対象に橙が入ってるのに……」
「……は?」
聞き捨てならない。藍は台所に向かおうとしていた足を止め、首だけ紫の方を向いた。
「意味が、わかりません」
「従者貸出よ。私が勝てば連中の手下借りれたのに……」
「だから、何故、橙なのですか?」
藍は、空の湯呑みを歯だけでカクカク持ち上げる主の隣に正座する。
紫は真面目な顔で近寄る己の式に気後れした。
「……私ならまだしも、何故、橙を?」
「う……だって、アンタ貸したら私どうすんのよ」
「意味がわかりません。貴女は一人では歯も磨けないんですか?
それにあの子は『私』の式ですよ」
誇張しすぎだが、真顔で大分おかんむりの藍。紫は更にバツが悪くなった。
「まったく……普段好き勝手やってるんですから、こんな時まで迷惑かけないでください。
永遠亭と地霊殿と守矢ですね? 今から、何か代わりのモノを持って頭下げてきますから。
とりあえずお風呂の様子お願いします……はぁ」
「……何よ。あの子だって私の従者じゃん」
「『間接的』に、です。蔵のお酒何本か出しますよ。いいですね?」
「……」
従者の癖に生意気だ。元々虫の居所が悪かったのにコイツの所為で更に悪くなった。
紫はブツブツ文句をつけた。
「いいじゃない、少しくらい。酒の席でしょ……はっちゃけたって」
「そのはっちゃけている方々がいる傍ら、裏でツマミ作ったりお酒足したりしている従者達(主に5ボス)のこと、考えたことあります?
しかも宴会に橙いなかったじゃないですか。他の連中の従者はその場にいたかもしれませんが、いない者を品にするなんて……」
「五月蠅いわね……もう」
「まして、橙はまだ幼いんですよ? 少しは考えて下さい」
「……人間達よか生きてるでしょ」
「それでも! はぁ……あと、今日橙が来ますから、朝から迎え酒は止めて下さいね」
生意気。
正直、『口』では藍には勝てない。駆け引きやら弾幕勝負なら負けることは無いが、家事・口喧嘩・ステゴロでは相手にならない。加え口喧嘩は大体紫に非がある。言い訳をしても『はいはい、苦しいですね』で流されてしまう。
グチグチ呪詛のように言葉を垂れる紫の後ろのお風呂タイマーが鳴った。
「まったく……昔は良い子だったのに」
「『こういう』風にしたのは誰ですか? それよりそろそろお風呂お願いします。
あとトイレのウォシュレット使えなくなってましたが、また紫様何かしました?」
「そうやって何でも私の所為に……グチグチ」
「何か、しました、か?」
「してないわよ! しつこい! 早くどっか行って来い!!」
「まったく……あと、結界の点検今日は―――」
小姑のようにイチャモン(紫視点)をつける藍に、紫の文句もきつくなる。
「わかったわかった! 早く行きなさい!」
「紫様が立ちあがったら、私も動きましょう」
未だ傍らで正座する藍。紫が動くまで梃子でも動かないつもりらしい。
「アンタね……言い過ぎよ」
「言っても聞かないから、言い過ぎてしまうのです。わかっているのならやることやってください」
「幼獣だった貴女を世話した私に対して恩は無いの?」
「今する話じゃないでしょう? いいから、頼みますよ」
「……ふん、やりますやります。これでいんでしょ……ったく」
よいしょとヤル気なく立ち上がる紫。遅れて立ち上がる藍。
テーブルの湯呑みをもち、後ろを追った。
「そう言って前もやらなかったじゃないですか。役割くらいやってくださいよ。
霊夢や幽々子様、香霖堂に逃げてばかり。まったく、色目ばっかり使って……彼女らに迷惑かかるんですから」
「は?」
カチンときた。そして紫は―――
「何よ……アンタだって―――」
言ってはならない一言を―――
「昔(転生前)は―――」
―――言ってしまった。
「淫売(雌狐)だったじゃない」
賽を投げた。
―――ガシャン。
「あ」
紫は急に頭が冷えた。自分は、今、何を言った。
後ろにいた従者は、無言で落として割れた湯呑みを拾っていた。
「あ、ら、藍……」
「……」
スタスタと、台所に向かう藍。紫はその時、声をかけられなかった。
そして……藍は蔵から数本銘酒を袋詰めし、マヨヒガから出ていった。
紫はどうしようもなく、風呂に入り、布団に潜った。
時間は進む――――――
* * * * * * * * * * * * * * * *
―――ズン。
腰から落ちた。下は石畳の様だ。
「痛い……!? あ、紫様!」
「……橙?」
「え……霊夢」
どうやら博麗神社に落とされたようだった。
「どうしたの?」
「え、あ、いや……そうだ! 藍様を見なかった?」
「あんたも? 見たわよ」
「何処で!?」
飛び起き霊夢に掴み掛かる。慌てていたので爪が飛び出してしまった。
「っ!! 痛いから離しなさい!」
「あ、ごめん」
「まったく……アンタも紫も何だって言うのよ」
「紫、様も……?」
「あれ? 関係無いの?」
紫もきっと藍を探しに来たのだろう。とりあえず、藍のことを聞くのが先だ。
「何処でって……博麗神社(ここ)で」
「え……」
「出てったわよ。外に」
「え……本当に……出てっちゃった、の」
ふと、涙がポロポロ流れ出した。
目の前で急に泣き出した橙に驚く霊夢。まるで自分が泣かせているようではないか!
「あー、霊夢がまた妖怪イジメしてる! いーけないんだー」
「黙れ! 酔っ払い!」
「ふがッ!!」
神社からひょこっと顔を出した小鬼に、巫女さんは容赦なく弾をぶつけた。
「とりあえず、上がりなさい。話聞くから」
「ううぅ……ごめっ、ゴメン……なさ……」
ペタンと座りこんでしまった橙の手を引き、霊夢は神社に入った。
とりあえずお茶を出し、泣き猫が落ち着くのを待った。
「で、どうしたの?」
橙は多少落ち着いた後、先の事柄を話し出した。
「うーん……藍出てく時『結界の点検だから』って言ってたから、すんなり見逃しちゃったけど」
「でも、手紙に……如何して……」
「私に聞かれても、ねぇ……」
むぅー、と悩む霊夢の横で寝そべっていた萃香が口を開いた。
「喧嘩でしょ? 只の」
「でも、只の喧嘩なら何時もしてます。出ていくなんて……」
普段なら、紫が不貞寝して終わるのだが、今回は違った。
「……」
ふと、思い付いたような表情で黙りこんだ萃香を、霊夢は見逃さなかった。
「……萃香。アンタ何か隠してるでしょ」
「え! いや、別に……何も」
「萃香様! お願いです! 知っているのなら教えて下さい!」
「う、ええっと……」
萃香は迷った。
『これ』は人様の家庭内の問題だし、自分が如何こうして良いものか。でも、橙は身内だしなぁ……
「私の口からは……ちょっと……」
「お願いします!」
必死に懇願する橙。腕にしがみ付いて目尻に涙を溜めて頭を下げる。
萃香もこれには困った。そこに霊夢も追い打ちをかける。
「言え。命令。鼻の穴を増やしたくなければ5秒以内に」
「わ、わかった! わかったよ……」
退魔針をチラつかせながら巫女に脅され、小鬼は口を開いた。
「……前にもあったんだよ」
「何が?」
「……家出。藍の」
「はぁ?」
考えられない。
何だかんだ言いながら紫にべったりな藍がそんな真似をするのだろうか。
「なんで?」
「……これは言えない」
「5,4,3―――」
「ちょ! これだけはダメなんだって! 私が紫に怒られる!」
「紫様が悪いんですか!?」
「え、あ、まあ紫が悪いってのは確かだよ。れいむ! やめッ! イタイイタイ!」
針を顔に押し付けるが一向に話さない萃香。霊夢は溜息をつき諦めた。
「まあ、紫が悪いのね……藍が悪いケースなんて考えられないけど」
「うん……萃香様。どうしてもダメですか?」
「……私の一存では、ね」
しゅんと、何か考え込むように俯く橙。そして立ち上がり、霊夢に向き直った。
「霊夢! 結界から出して!」
「「はあ?!」」
突発的に意味不明なことを告げた橙に二人は肝を抜いた。
「ん、なんで?」
「藍様を追う!」
「ば、莫迦言わないの! 簡単に出せるわけ無いじゃない。
それに出たところで当ては有るの?」
「え……いや……でも、故郷(くに)に帰るって!」
「だから……藍の故郷って大陸(中国)でしょ? アンタ言語わかるの?」
「……少しは」
「それに大陸って言ったってどんだけ広いと思ってるの。少し頭冷やしなさい」
正論に口を紡ぐ橙。再び下を向く。二人もどうしようもなく、肩を降ろした。
「ちょっと萃香。アンタ藍の居そうな場所知らないの?」
「莫迦言わないでよ。あの子大陸全土で活動してたんだよ。紫くらいしか知らないっしょ……」
付き合いの長い萃香もお手上げだった。
三人喪中の様なテンションでお茶を啜っていたが、暫くして一人常時ハイテンションな奴がやって来た。
「オウ、霊夢! ……なんだ? 誰か死んだのか?」
「……アンタはこんなに寒いのに、春みたいな奴ね」
「はは、言うじゃねえか。まず腋をしまえ。
お! 珍しいのがいるな。どうしたんだ?」
「魔理沙……」
最近箒が帰って来て、マックス機嫌がいい魔理沙がズカズカと上がって来た。
勝手に煎餅を齧りながら、橙の話を聞いた。
「はあ……なんだ。夫婦喧嘩か」
「夫婦って……まあ、的は得てるけど」
魔理沙の例えに苦笑し、橙は溜息をついた。
「まあ、原因ってのはなんなんだ?」
「コイツが話さない」
「だーかーらー、勝手に人様の汚点ばらせないでしょ?」
「いいや。誰かに聞こっと。誰なら知ってる?」
萃香の気苦労お構いなしに、己が好奇心のままに行動しようとする魔理沙。
「いやいや、私が言えなきゃ他の奴らも言えるわけ無いでしょ」
「あっそ」
魔理沙は一寸考え、萃香に聞いた。
「なあ、その『前』の喧嘩って何時やったんだ?」
「え? 確か……一〇〇……いや二〇〇年前くらいかな」
「私ら、生まれてないじゃないの」
霊夢は改めてこいつらは人外なんだと心でごちる。
橙は今の話を聞き、萃香に尋ねた。
「萃香様。因みに……藍様どれくらいして帰ってきましたか?」
「んー……四・五〇年くらいだったかなぁ」
「「「五〇ぅ!!?」」」
ぶっ飛んだ数字に仰天する三名。
「ま、まあ霊夢達にはアレかな……橙は気長に待ってれば戻ってくるよ」
「嫌です!!」
流石に困る。自分はまだ半人前だし、第一、半世紀も藍に会えないなんて考えられない。
一体自分はどうすればよいのだ……
魔理沙は今にも大泣きしそうな橙を見て、再び考えた。
(『あくまで』私の好奇心。コイツの為じゃない……
幻想郷の大賢者様と最強の妖獣様の喧嘩の理由が知りたいだけだ!)
「萃香……『前』は二〇〇年前なんだな?」
「大体ね」
三〇〇年前……紫と仲の良い連中でコイツ以外……
幽々子は、ダメだな。コイツが話さなきゃ話さない。てゐと阿求は、やっぱり無理。いざ、紫と喧嘩する度胸は無いだろう。輝夜、妹紅、永琳……外には無関与。紅魔館……アイツら何時幻想入りしたんだっけ?
くそっ! 魅魔様がいれば……地底の連中も知らねえだろうし……ルーミアは胡散臭え……
となると―――アイツかアイツか。
「おい! 橙!」
「え、何?」
「行くぞ!」
「へ? ど、何処に?」
魔理沙はすくっと立ち上がり、邪魔したな、と縁側から外に出た。
「魔理沙、何処行く気?」
「霊夢も来るか?」
「だから何処よ」
「行ってからのお楽しみ。まあ、紫のとこじゃねえよ」
ふわりと箒に跨る。霊夢は、メンドイと誘いを一蹴した。
「魔理沙! ……莫迦なことするんじゃないよ」
「五月蠅え! 臆病小鬼は黙ってな!」
「なっ!」
「橙! 後ろ乗れ!」
橙は迷ったが、動かなければ何も始まらないと魔理沙の箒に横座りした。
「さあ! 行くぜ! 霧雨エクスプレス発進だ!」
「んにゃぁ!?」
箒星の様に尾を引きながら飛んでいく魔理沙。橙は必死に腰にしがみついていた。
残される二名。
「臆病って……」
「行っちゃった……詮索屋は嫌われるのにねぇ。で、どうなの?」
「え? 何が?」
「喧嘩の原因」
臆病者と言われブツブツ文句垂れる萃香に霊夢が聞いた。
「……」
「なるほど。橙がいるから言えないわけじゃなかったのね」
「ごめん……」
だから臆病と言われても、友情を選んだのか。霊夢は納得した。
「ほんと……あの子は自分に忠実ね」
「ああ……今時、情で動いてちゃ生きていけないのにね。鬼でもいないよ」
それが霧雨魔理沙の美点であり、欠点でもあるのだが。二人は苦笑した。
「さて、午後から降りそうだから洗濯しちゃいましょ」
「あいさー」
そして各人、動き出した……
(続く)
橙へ。勝手で悪いが何時戻るかわかりません。
藍より』
* * * * * * * * * * * * * * * *
とある小春日和、人里。
中秋も過ぎコロコロと空模様も移り変わる頃にしては珍しく温かい日和だった。里はいつも以上に賑わい、どの家でも今日を逃すなと言わんばかりに洗濯物を干している。
そんな平和な日、一匹の妖怪が何気無く寺子屋の中へ入って行った。
周りの同年代(もっとも自分は大分生きてるが)よりは自分の方が頭がいい。特に数里分野。だが他の課目はそうでもない。特に言語、歴史学。
それらは結界のチェックには必要無いのではと猫又・橙は思う。
されど主曰く、『全ての教養を兼ね備えてこそ〈八雲〉なんだ』らしい。
というわけで、定期的に出される課題をこなす為に、ちょくちょく紅魔の大図書館や里の寺子屋に行くことがあった。
『山』の風祝には、外のエリート学生さんみたい、と言われた。
現在、橙は摂関政治についてのレポートをまとめる為、半獣の下を訪れていた。
「―――じゃあ、グスタフ系とカーン系の類似をまとめればいいでしょうか」
「ああ。しかし……すごいな」
「え?」
半白澤、上白沢慧音は感嘆の声を上げる。
「いや、橙の学習欲だよ。寺子屋の生徒たちにも見習ってもらいたいものだ」
褒められれば嫌な気はしないが、自分は彼らの祖父母の時代から生きている。未だに勉学に励む身とは何やら恥ずかしいものだ。
「ああ、そうだったな。何分、他の妖怪の子たちと遊んでいるイメージが強かったから。
しかしお前の数学的能力は最早、幻想郷でも屈指だと思うぞ。
流石、〈八雲〉の式だな」
……まだ、八雲じゃない。
「あ……と、まあなんだ。お昼は食べていくといい。
今日は生徒の父母が炊き出しをしてくれているから、一緒に食べていけ」
「はい。御馳走になります」
今日は夜にマヨヒガへ行く。それまでは時間が余っているので丁度良い暇潰しになるだろう。
橙と里の子供たちの仲は良い。
慧音の心遣いもあって、何時寺子屋にお邪魔しても彼、彼女らは温かく迎えてくれる。ただ生徒が代替わりしても慧音の下へお邪魔しているので、橙としてはどうも気まずい。
気まずいのだが―――
「あ! チェン! 久しぶり。元気してた?」
「うん。さよちゃん。みっちゃんも久しぶり」
―――何故か容姿一回りは違うだろう彼らの親、数代前の寺子屋の生徒達は絡んでくる。
(幻想郷は全てを受け入れる……か)
主の主の言葉を思い出す。単純なのか、奥深いのか……よくわからないなぁ。
豚汁を啜りながら物思いに耽った。
「あちっ!!」
* * * * * * * * * * * * * * * *
「―――でね……ちょっと、チェン。聞いてる?」
「あ、うん」
うわの空で冷ました豚汁を啜っている橙の隣で、友達の親ら(彼女らも友達だが)が雑談をしていた。
「だから言ってやったのよ。『実家に帰らせて頂きます』ってね!」
「えー。キツイでしょ……子供どうしたの?」
「もう勢い余って、置いてっちゃった」
「うわっ。酷い親。チェンどう思う?」
「え?」
正直、聞いてませんでした。スイマセン。
「……ん~。あんまり想像つかないかな」
「まあ、親子とか夫婦とか、チェンの家は問題無さそうだもんね」
「あはは……」
旦那、紫様。妻、藍様……違うな。年下家政夫、藍様。姉さんグータラ女房、紫様。
本人達には聞かせられないような、何とも失礼な例えを思い付いた。
「こらこら、お前達。くだらない話で橙を悩ますな」
子供たちを見ていた慧音がこちらに入って来た。
「ま、慧音センセは旦那のこと尻に敷きそうだもんねぇ」
「そうそう。実際してそうだし」
ターゲットを慧音へと変える奥様方。
「んな! 別に私はアイツのことなど……」
「え!? 誰誰!」
「あ、いや……」
「知らないのぉ? センセの彼氏はね……」
良い様に元教え子たちに遊ばれる教師。
夫婦……恋人かぁ……今の私には縁が無いな。自分に彼氏なんかできたら―――
《……へえ。君が橙を誑かしたの……ちょっと奥で話をしないか……紫様、少し外します》
《程々にねェ……私の分も残しておきなさい》
―――今はまだダメだな。
そんなドロドロ恋愛妄想をしている橙の横で、慧音いびりは続いていた。
「お前ら! いい加減にしてくれ! 私に彼氏なんて―――」
云百年生きているというのに恋の一つもしてない(?)とは、意外と色の無い生活をしている。
妖怪に恋愛どうこうってのもおかしな話か、と我に戻った橙は苦笑した。
慧音の場合は半分、だが。
「もしかして、里の男共?」
「莫迦ね。センセに限ってそれは無いわよ。妹紅お姉様じゃない?」
「いや、意表をついて幼馴染って噂の霖之助さんかもよ!」
キャッキャうふふ……
「お、お前ら! そこに直れ!!」
* * * * * * * * * * * * * * * *
夕刻。
橙はタジタジの慧音にレポートを手伝ってもらい、一度隠れ家へ戻った。
その後、紫に買ってもらった外の『ぶらんど』のバックに必要な物を詰める。
「今日はお使い頼まれてないから……本と……よし」
手下の、未だに言うことを聞かない、猫達に留守を頼みマヨヒガを目指した。
マヨヒガの場所は幻想郷の……何とも形容し難い場所にある。紫曰く、猫の隠れ家の上らしいが本人は、○こでもドアを使うのでとてもアバウトな表現しかしない。
実際仲の良い幽々子でさえ紫が迎えに行かなければ足を運べない。そんな場所だ。
そういうわけでマヨヒガの『場所』を特定出来るのは紫と藍だけ。他にも閻魔や上位の神様なら行けるらしいが、どうやら勝手が違うらしい。
橙の場合、藍から渡されている霊符を使ってマヨヒガへ向かう。
どうしてはっきりとした場所を教えてくれないのかと尋ねたところ、私達は空間座標でマヨヒガの位置を確認しているけど……橙にはまだ難しいかな、と誤魔化された。
「妖力を込めて……」
橙が渡されている霊符は、いわばマヨヒガ急行バスのチケットの様なもの。主らは自分の車で好きに行き来している感じだ。
妖力がこもった符はスキマを開け、簡易ど○でもドアとなった。橙はそこへ飛び込み、なんとも不可解な空間内に数分漂う。水の中とも違うし、もっとも式が外れるので潜るほど水中にいたことは無いが、宙に浮く感じとも違う。
何かこう、ドロっとしたような……ふわふわしたような……これまた形容し難い感覚。
初めは空間酔いしたが、今じゃ慣れたもので足場を構築し飛びまわることさえできる。調子に乗って頭から落ちたこともあったが。
数分経つと入ったのとは別のスキマが見える。基本一方通行なので間違うことは無い。
橙は光が漏れているスキマへとダイブした。
* * * * * * * * * * * * * * * *
マヨヒガ。
「藍様、紫様、こんばんわー」
橙はスキマから出て八雲亭の玄関を叩いた。
和風のお屋敷タイプの家。白玉楼ほど広くは無いが、並の家ほど小さくは無い。
橙は知った顔で屋敷の中へと上がり込む。
「藍様?」
何時もは顔を見せる主が現れない。
不安に思いつつも廊下を進み、居間へ向かった。
「……こんばんわぁ」
居間には誰もいなかった。
台所だろうか?
「藍様?」
いない。
更に不安になりつつ、今度は藍の自室へ向かう。
「失礼します」
声をかけ、戸を開ける。
いない。
その後、風呂や庭も探したが主の姿は無かった。
結界の点検か買い物にでも出かけているのだろうか……いや、無い。もしそうであるなら、藍の性格上、書き置きの一つでもしている。
屋敷を一通り探し、最後に……本当に最後の部屋だが、主の主の部屋に向かった。普段入らないよう言伝されている紫の部屋。
一度興味本位で覗いてみたのだが……何時の間にか居間にいた。それ以降、怖くて紫の部屋には近づかないようにしていたが、そうも言ってられないみたいだ。
橙は戸越しに声をかけた。
「紫様。橙です。いますか?」
声はしなかった。寝てるか、もしくは居ないのだろうか。
橙は仕方なく居間で待つことにした。
―――数分後。
ガラッ……と玄関が開く音が聞こえた。
「藍様!」
居間を飛び出し玄関へ向かうの方へ向かう橙。
やっと帰って来た! 心配させられた代わりに、あのビーズクッションのような尻尾へ潜り込んでやろう。
今すぐ主の顔を確認すべく、駆け出した―――
「ただいま……橙、来てたの」
―――が、そこにいたのは主の主だった。
「あ……紫様。おかえりなさい」
「ん」
何故か、普段着ている少女臭漂う洋服でもなければ大陸服でもなかった。しかも髪はボサボサ。おまけにスッピンときてる。
橙は色々と疑問に思い、思い切って紫に尋ねた。
「あの……紫様」
「何?」
抑揚の無い声で返事をする紫。
「あの……藍様は?」
「……」
無言で歩を進める。そして居間の、少し早いが先週押入れから出したばかりの炬燵に潜り込んだ。
「あの……」
「……」
紫の後ろに正座する。
無言の主の主が少し怖かったが、そんなことも言ってられない。主のことを聞き出そう。
漸次、頭上にスキマが開きヒラヒラと何かが落ちて来た。
封筒……
「紫様……?」
「読みなさい……」
中に入っていた手紙を取り出し―――目を疑った。
「え……」
確かに……主の字だ。しかし―――
「どう……して……」
「……」
藍が、出ていった。
紫は未だに無言だった。
何処から出したか、机の上に緑茶があり、それを静かに飲んでいた。
「紫様……これ……」
「見ての通りよ……」
どこか腑抜けた様子の紫。橙は疑問を感じた。
「何で……?」
「……さあ」
明らかに何かを隠している様子だった。
「嘘ですよね……故郷(国)って……外じゃないですか」
「……少なくとも幻想郷にはいないわよ。式も剥がれてるし」
橙は察した。
紫が髪も服も整えないで外から帰って来たのは、きっと急いで藍を探しに行ったためなのだと。
しかし……わからなかった。何故、藍が出て行く必要が。しかも、わざわざ外へ……
ふと、昼の会話が浮かんだ。
―――『実家に帰らせて頂きます』―――
「……!? 紫様! もしや藍様と喧嘩したんじゃ?!」
「……」
一向に橙の目を見ない紫。
「紫様!」
「だったら……なんなの……」
どうやら図星の様だ。橙は声を張った。
「なんで喧嘩なんか! しかも家(ここ)から出て行くなんて何やったんですか!?」
「別に……勝手に出てったのよ。知らないわ」
ありえない。仮にも八雲の従者である。そんな勝手が許されるわけがない。
更に問い詰める。
「知らないって……! 紫様が追い出したんじゃないんでしょう!!」
「……そんなわけないでしょ。いい加減喧しいわ、橙」
「う……で、でも幻想郷から出て行ったって……」
「みたいね。もういいかしら? 寝る」
紫は幽鬼のように立ち上がり自室に向かおうとした―――
「……何よ」
「藍様を探しに行きましょう! まだそう遠くには行ってないはずです!」
「だから、いないって……しつこい」
―――が、裾を式の式に掴まれた。
据えた目で橙を睨む。しかし橙は裾を離さず、再び喰いついてきた。紫はキレる一歩手前だった。
「紫様!」
「……五月蠅い」
浮遊感。
橙はスキマに放られた。
「紫様ぁ!!」
* * * * * * * * * * * * * * * *
数時間前、朝方。
従者を侍らせて居間で転がる八雲紫は、機嫌が最悪に悪かった。昨日の晩の宴会で、賭け麻雀をしたんのだが……見事に鴨にされた。
相手は神奈子とさとりと輝夜。
無論、彼女らの麻雀はまず正規なものではない。各々能力有り、技能有りのチート麻雀だった。ただし、当たり前だが、暴力無し。待った無し。そして、これはオリジナルなのだが、天和・地和無しの倍レートルール(一発上がり有りにするとゲームにならない為)。
普段は快勝するはずの紫もこの日ばかりは調子が悪かった。
「ああもう! アイツら絶対組んでたわ!!」
なんせ役ができないのだ。上がれても平和(あ)がりのみ。
対して連中らは四暗刻、大四喜、九蓮宝燈……役満ばかり。
始めは余裕をかまして逆転ホームランを狙っていたが、気付いた時にはもう遅い。何時の間にか箱られていた。
確かに酔っていた所為もあるが、よりにもよって自分を嵌めるなんて……
「ああ! もう! 藍! ら~ん!」
「はいはい。ここに。寝ますか? それともお風呂に入ってから?」
「主がやられたっていうのに貴女は余裕なの!?」
「ああ、悔しい悔しい。とりあえず、お風呂沸かしておきます。朝食も軽くでいいですね?」
まさにどうでもいいといった感じだった。
「だいたいねえ、アンタが相席しなかったから……」
「できレースや念話の反則使ってまで勝ちたいんですか? 日ごろのツケが回って来たんですね。
いい薬です。とりあえず、洗濯物出しといてくださいね」
「……何よ」
いつもは藍とペアを組んでゲームに入る。無論、イカサマ使って。
自分お構い無しで、せっせと家事をこなす従者に腹が立った。確かに己の悪い点は有るのだが、頭に来る。
「賭けの対象に橙が入ってるのに……」
「……は?」
聞き捨てならない。藍は台所に向かおうとしていた足を止め、首だけ紫の方を向いた。
「意味が、わかりません」
「従者貸出よ。私が勝てば連中の手下借りれたのに……」
「だから、何故、橙なのですか?」
藍は、空の湯呑みを歯だけでカクカク持ち上げる主の隣に正座する。
紫は真面目な顔で近寄る己の式に気後れした。
「……私ならまだしも、何故、橙を?」
「う……だって、アンタ貸したら私どうすんのよ」
「意味がわかりません。貴女は一人では歯も磨けないんですか?
それにあの子は『私』の式ですよ」
誇張しすぎだが、真顔で大分おかんむりの藍。紫は更にバツが悪くなった。
「まったく……普段好き勝手やってるんですから、こんな時まで迷惑かけないでください。
永遠亭と地霊殿と守矢ですね? 今から、何か代わりのモノを持って頭下げてきますから。
とりあえずお風呂の様子お願いします……はぁ」
「……何よ。あの子だって私の従者じゃん」
「『間接的』に、です。蔵のお酒何本か出しますよ。いいですね?」
「……」
従者の癖に生意気だ。元々虫の居所が悪かったのにコイツの所為で更に悪くなった。
紫はブツブツ文句をつけた。
「いいじゃない、少しくらい。酒の席でしょ……はっちゃけたって」
「そのはっちゃけている方々がいる傍ら、裏でツマミ作ったりお酒足したりしている従者達(主に5ボス)のこと、考えたことあります?
しかも宴会に橙いなかったじゃないですか。他の連中の従者はその場にいたかもしれませんが、いない者を品にするなんて……」
「五月蠅いわね……もう」
「まして、橙はまだ幼いんですよ? 少しは考えて下さい」
「……人間達よか生きてるでしょ」
「それでも! はぁ……あと、今日橙が来ますから、朝から迎え酒は止めて下さいね」
生意気。
正直、『口』では藍には勝てない。駆け引きやら弾幕勝負なら負けることは無いが、家事・口喧嘩・ステゴロでは相手にならない。加え口喧嘩は大体紫に非がある。言い訳をしても『はいはい、苦しいですね』で流されてしまう。
グチグチ呪詛のように言葉を垂れる紫の後ろのお風呂タイマーが鳴った。
「まったく……昔は良い子だったのに」
「『こういう』風にしたのは誰ですか? それよりそろそろお風呂お願いします。
あとトイレのウォシュレット使えなくなってましたが、また紫様何かしました?」
「そうやって何でも私の所為に……グチグチ」
「何か、しました、か?」
「してないわよ! しつこい! 早くどっか行って来い!!」
「まったく……あと、結界の点検今日は―――」
小姑のようにイチャモン(紫視点)をつける藍に、紫の文句もきつくなる。
「わかったわかった! 早く行きなさい!」
「紫様が立ちあがったら、私も動きましょう」
未だ傍らで正座する藍。紫が動くまで梃子でも動かないつもりらしい。
「アンタね……言い過ぎよ」
「言っても聞かないから、言い過ぎてしまうのです。わかっているのならやることやってください」
「幼獣だった貴女を世話した私に対して恩は無いの?」
「今する話じゃないでしょう? いいから、頼みますよ」
「……ふん、やりますやります。これでいんでしょ……ったく」
よいしょとヤル気なく立ち上がる紫。遅れて立ち上がる藍。
テーブルの湯呑みをもち、後ろを追った。
「そう言って前もやらなかったじゃないですか。役割くらいやってくださいよ。
霊夢や幽々子様、香霖堂に逃げてばかり。まったく、色目ばっかり使って……彼女らに迷惑かかるんですから」
「は?」
カチンときた。そして紫は―――
「何よ……アンタだって―――」
言ってはならない一言を―――
「昔(転生前)は―――」
―――言ってしまった。
「淫売(雌狐)だったじゃない」
賽を投げた。
―――ガシャン。
「あ」
紫は急に頭が冷えた。自分は、今、何を言った。
後ろにいた従者は、無言で落として割れた湯呑みを拾っていた。
「あ、ら、藍……」
「……」
スタスタと、台所に向かう藍。紫はその時、声をかけられなかった。
そして……藍は蔵から数本銘酒を袋詰めし、マヨヒガから出ていった。
紫はどうしようもなく、風呂に入り、布団に潜った。
時間は進む――――――
* * * * * * * * * * * * * * * *
―――ズン。
腰から落ちた。下は石畳の様だ。
「痛い……!? あ、紫様!」
「……橙?」
「え……霊夢」
どうやら博麗神社に落とされたようだった。
「どうしたの?」
「え、あ、いや……そうだ! 藍様を見なかった?」
「あんたも? 見たわよ」
「何処で!?」
飛び起き霊夢に掴み掛かる。慌てていたので爪が飛び出してしまった。
「っ!! 痛いから離しなさい!」
「あ、ごめん」
「まったく……アンタも紫も何だって言うのよ」
「紫、様も……?」
「あれ? 関係無いの?」
紫もきっと藍を探しに来たのだろう。とりあえず、藍のことを聞くのが先だ。
「何処でって……博麗神社(ここ)で」
「え……」
「出てったわよ。外に」
「え……本当に……出てっちゃった、の」
ふと、涙がポロポロ流れ出した。
目の前で急に泣き出した橙に驚く霊夢。まるで自分が泣かせているようではないか!
「あー、霊夢がまた妖怪イジメしてる! いーけないんだー」
「黙れ! 酔っ払い!」
「ふがッ!!」
神社からひょこっと顔を出した小鬼に、巫女さんは容赦なく弾をぶつけた。
「とりあえず、上がりなさい。話聞くから」
「ううぅ……ごめっ、ゴメン……なさ……」
ペタンと座りこんでしまった橙の手を引き、霊夢は神社に入った。
とりあえずお茶を出し、泣き猫が落ち着くのを待った。
「で、どうしたの?」
橙は多少落ち着いた後、先の事柄を話し出した。
「うーん……藍出てく時『結界の点検だから』って言ってたから、すんなり見逃しちゃったけど」
「でも、手紙に……如何して……」
「私に聞かれても、ねぇ……」
むぅー、と悩む霊夢の横で寝そべっていた萃香が口を開いた。
「喧嘩でしょ? 只の」
「でも、只の喧嘩なら何時もしてます。出ていくなんて……」
普段なら、紫が不貞寝して終わるのだが、今回は違った。
「……」
ふと、思い付いたような表情で黙りこんだ萃香を、霊夢は見逃さなかった。
「……萃香。アンタ何か隠してるでしょ」
「え! いや、別に……何も」
「萃香様! お願いです! 知っているのなら教えて下さい!」
「う、ええっと……」
萃香は迷った。
『これ』は人様の家庭内の問題だし、自分が如何こうして良いものか。でも、橙は身内だしなぁ……
「私の口からは……ちょっと……」
「お願いします!」
必死に懇願する橙。腕にしがみ付いて目尻に涙を溜めて頭を下げる。
萃香もこれには困った。そこに霊夢も追い打ちをかける。
「言え。命令。鼻の穴を増やしたくなければ5秒以内に」
「わ、わかった! わかったよ……」
退魔針をチラつかせながら巫女に脅され、小鬼は口を開いた。
「……前にもあったんだよ」
「何が?」
「……家出。藍の」
「はぁ?」
考えられない。
何だかんだ言いながら紫にべったりな藍がそんな真似をするのだろうか。
「なんで?」
「……これは言えない」
「5,4,3―――」
「ちょ! これだけはダメなんだって! 私が紫に怒られる!」
「紫様が悪いんですか!?」
「え、あ、まあ紫が悪いってのは確かだよ。れいむ! やめッ! イタイイタイ!」
針を顔に押し付けるが一向に話さない萃香。霊夢は溜息をつき諦めた。
「まあ、紫が悪いのね……藍が悪いケースなんて考えられないけど」
「うん……萃香様。どうしてもダメですか?」
「……私の一存では、ね」
しゅんと、何か考え込むように俯く橙。そして立ち上がり、霊夢に向き直った。
「霊夢! 結界から出して!」
「「はあ?!」」
突発的に意味不明なことを告げた橙に二人は肝を抜いた。
「ん、なんで?」
「藍様を追う!」
「ば、莫迦言わないの! 簡単に出せるわけ無いじゃない。
それに出たところで当ては有るの?」
「え……いや……でも、故郷(くに)に帰るって!」
「だから……藍の故郷って大陸(中国)でしょ? アンタ言語わかるの?」
「……少しは」
「それに大陸って言ったってどんだけ広いと思ってるの。少し頭冷やしなさい」
正論に口を紡ぐ橙。再び下を向く。二人もどうしようもなく、肩を降ろした。
「ちょっと萃香。アンタ藍の居そうな場所知らないの?」
「莫迦言わないでよ。あの子大陸全土で活動してたんだよ。紫くらいしか知らないっしょ……」
付き合いの長い萃香もお手上げだった。
三人喪中の様なテンションでお茶を啜っていたが、暫くして一人常時ハイテンションな奴がやって来た。
「オウ、霊夢! ……なんだ? 誰か死んだのか?」
「……アンタはこんなに寒いのに、春みたいな奴ね」
「はは、言うじゃねえか。まず腋をしまえ。
お! 珍しいのがいるな。どうしたんだ?」
「魔理沙……」
最近箒が帰って来て、マックス機嫌がいい魔理沙がズカズカと上がって来た。
勝手に煎餅を齧りながら、橙の話を聞いた。
「はあ……なんだ。夫婦喧嘩か」
「夫婦って……まあ、的は得てるけど」
魔理沙の例えに苦笑し、橙は溜息をついた。
「まあ、原因ってのはなんなんだ?」
「コイツが話さない」
「だーかーらー、勝手に人様の汚点ばらせないでしょ?」
「いいや。誰かに聞こっと。誰なら知ってる?」
萃香の気苦労お構いなしに、己が好奇心のままに行動しようとする魔理沙。
「いやいや、私が言えなきゃ他の奴らも言えるわけ無いでしょ」
「あっそ」
魔理沙は一寸考え、萃香に聞いた。
「なあ、その『前』の喧嘩って何時やったんだ?」
「え? 確か……一〇〇……いや二〇〇年前くらいかな」
「私ら、生まれてないじゃないの」
霊夢は改めてこいつらは人外なんだと心でごちる。
橙は今の話を聞き、萃香に尋ねた。
「萃香様。因みに……藍様どれくらいして帰ってきましたか?」
「んー……四・五〇年くらいだったかなぁ」
「「「五〇ぅ!!?」」」
ぶっ飛んだ数字に仰天する三名。
「ま、まあ霊夢達にはアレかな……橙は気長に待ってれば戻ってくるよ」
「嫌です!!」
流石に困る。自分はまだ半人前だし、第一、半世紀も藍に会えないなんて考えられない。
一体自分はどうすればよいのだ……
魔理沙は今にも大泣きしそうな橙を見て、再び考えた。
(『あくまで』私の好奇心。コイツの為じゃない……
幻想郷の大賢者様と最強の妖獣様の喧嘩の理由が知りたいだけだ!)
「萃香……『前』は二〇〇年前なんだな?」
「大体ね」
三〇〇年前……紫と仲の良い連中でコイツ以外……
幽々子は、ダメだな。コイツが話さなきゃ話さない。てゐと阿求は、やっぱり無理。いざ、紫と喧嘩する度胸は無いだろう。輝夜、妹紅、永琳……外には無関与。紅魔館……アイツら何時幻想入りしたんだっけ?
くそっ! 魅魔様がいれば……地底の連中も知らねえだろうし……ルーミアは胡散臭え……
となると―――アイツかアイツか。
「おい! 橙!」
「え、何?」
「行くぞ!」
「へ? ど、何処に?」
魔理沙はすくっと立ち上がり、邪魔したな、と縁側から外に出た。
「魔理沙、何処行く気?」
「霊夢も来るか?」
「だから何処よ」
「行ってからのお楽しみ。まあ、紫のとこじゃねえよ」
ふわりと箒に跨る。霊夢は、メンドイと誘いを一蹴した。
「魔理沙! ……莫迦なことするんじゃないよ」
「五月蠅え! 臆病小鬼は黙ってな!」
「なっ!」
「橙! 後ろ乗れ!」
橙は迷ったが、動かなければ何も始まらないと魔理沙の箒に横座りした。
「さあ! 行くぜ! 霧雨エクスプレス発進だ!」
「んにゃぁ!?」
箒星の様に尾を引きながら飛んでいく魔理沙。橙は必死に腰にしがみついていた。
残される二名。
「臆病って……」
「行っちゃった……詮索屋は嫌われるのにねぇ。で、どうなの?」
「え? 何が?」
「喧嘩の原因」
臆病者と言われブツブツ文句垂れる萃香に霊夢が聞いた。
「……」
「なるほど。橙がいるから言えないわけじゃなかったのね」
「ごめん……」
だから臆病と言われても、友情を選んだのか。霊夢は納得した。
「ほんと……あの子は自分に忠実ね」
「ああ……今時、情で動いてちゃ生きていけないのにね。鬼でもいないよ」
それが霧雨魔理沙の美点であり、欠点でもあるのだが。二人は苦笑した。
「さて、午後から降りそうだから洗濯しちゃいましょ」
「あいさー」
そして各人、動き出した……
(続く)
リアルなのは使用です。やり過ぎかなw
2作目できました。見てやってください。